浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

シリア旅行の思い出

2020年09月15日 23時03分48秒 | 旅行

2005年4月、シリアの首都ダマスカスでアジア地区の会議があり、出張旅行であったが、合間を見て、ダマスカスの街の観光スポットにも足を運んだ。シリアが50番目の訪問国となった。当時は内戦などなく、街を歩いていて治安上の不安を感じることも全くなかった。

シリア航空を利用し、アレッポ国際空港経由で現地入りした。見て回ったスポットは、ヒジャーズ駅、アゼム宮殿、ウマイヤド・モスク、スークハメディーエ、サラディーン廟、軍事博物館等であるが、どこも好奇心を駆り立てるスポットであった。新約聖書に出てくる「真っすぐな道」が実際にあったり、ローマ時代の柱や廃墟が残っていたり、歴史を肌で感じることができた。シャーム・パレス・ダマスカスホテルの最上階にある回転レストランから伝説の山であるカシオン山や市街を臨む景観が印象的であった。

内戦状態にある今となってはとても行ける国ではないので、貴重な体験をすることができた。

写真は、カシオン山や市街を臨む、アゼム宮殿、ウマイヤド・モスク

シリア旅行アルバム: https://youtu.be/TMYCkYMQCQs



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プエルトリコ旅行の思い出

2020年09月15日 22時30分12秒 | 旅行

2003年7月にプエルトリコの首都サン・フアンでマスターズ世界陸上競技選手権及び世界マスターズ総会が開催され、出張旅行で、1週間ほどサン・フアンに滞在した。プエルトリコが47か国目の地域となった。

プエルトリコは独立国ではなく、アメリカの自治連邦区であるが、カリブ海に位置するユニークな地域となっている。歴史地区は世界遺産として登録されており、スペインによって建設された軍事要塞であるエル・モロ要塞、サンホセ教会、ラス・アメリカス博物館、サン・フアン大聖堂、サン・クリストバル要塞や郊外のバカルティ・ラム工場を見学することができた。要塞は広大で見どころ十分であった、ラム工場では、試飲もでき、工場内を見学できるようになっている。全体的にのんびりした雰囲気で南国情緒が漂っていた。プエルト・リコといえば、ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の中の「アメリカ」という曲で、その名前が出てくるので、印象深い地域であった。なかなか行けないところであるので、この出張旅行に感謝する次第である。

 写真はエル・モロ要塞

プエルト・リコ旅行アルバム(3.07まで): https://youtu.be/CUwf4UFBvxM

ミュージカル「ウェストサイド物語」から「アメリカ」:


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ブルネイ旅行の思い出 

2020年09月15日 08時53分52秒 | 旅行

ヨーロッパは、コソヴォ訪問により、53の国と地域のすべてに足を踏み入れ、ヨーロッパ完全制覇を果たした。次に、旅行の思い出としては、アジア及び他の地域で人があまり行かない国々への旅行の思い出を振リかえってみたい。まずは、2001年7月に行ったブルネイである。

2001年7月にブルネイでアジアジュニア陸上競技選手権が開催され、出張で4日間ほど、首都バンダルスリブガワンに滞在した。競技会がメインであるが、合間を見て観光をすることもできた。国王の個人資産で建てられたというジャメ・アサール・ハサナル・ボルキア・モスクやカンポン・アイル(水上集落)やブルネイ博物館等を見ることができた。この国では国王は絶対の権利を持っており、皆からも支持されているようである。

国として、飲酒は禁止されているが、お目こぼしもあるようである。外国人旅行者も1本程度であれば、持込が黙認されているとのことであった。レストランでも酒類の提供は禁止されているが、特定の人には、特別ルームで飲酒を認めているようである。現に我々のグループの夕食会では持ち込んだお酒を飲むこともできた。

街中には、王様の肖像画がそこかしこに飾られていた。観光として見るべきものはそんなにないが、国自体が豊かで、何とも面白い国であるとの印象を持った。観光として旅行するチャンスは少ないとい思うので、貴重な経験をすることができた。

写真は、ジャメ・アサール・ハサナル・ボルキア・モスク及び水上集落

旅行アルバム: https://youtu.be/zDaEnOv_70o

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卓球による国際交流

2020年09月15日 08時20分10秒 | 卓球

卓球は、大学で始めて、今でも地元のクラブで楽しんでいるが、1977年に初めて外国人との親善卓球をやって以来、卓球の国際交流を何度も経験している。個別には、1977年にカンタス航空、1983年にルフトハンザ航空、中国民航(当時の国営会社)、1996年にイラン航空との親善試合を経験した。1983年の中国民航との親善試合は、代表団を結成し、9日間にわたり、北京、杭州、上海に遠征しての交流であった。北京空港到着時、赤じゅうたんを通って貴賓室に入ることから始まり、VIP待遇の親善交流であったが、こんな貴重な体験ができたことを今でも感謝している。中国とのレベルの違いは明らかで惨敗に終わったが、意義ある親善試合を行うことができた。自分の知る中国と昨今の習近平による共産党独裁政権とのギャップに違和感を覚える。

航空会社間では、1980年にマレーシア航空の提唱で、WOFIA(Wings Of Friendship Inter-Airlines)という国際大会が始まり、2001年の22回大会まで続いた。第4回と第19回は、東京での主催大会のマネジャーとして、すべての大会運営を経験することもできた。特に1983年の第4回大会は250人(海外から200人)もの参加者がいたので、今思い返すと想像を絶するものがあった。個人的に参加したのは、第2回ハンブルク、第3回パリ、第7回コペンハーゲン、第13回クアランプール、第16回ハンブルク、第17回中国中山市、第22回バンクーバー大会だけであるが、多くの外国人と卓球交流という貴重な経験をすることができた。トップ選手ならともかく我々愛好家レベルでこれだけ国際交流を経験している幸せ者も少ないものと感謝している。

その後、1985年から4年間、ドイツでも地元のクラブに所属し、クライスリーガ(ブンデスリーガのはるか下のリーグ)でプレイし、クラブの仲間と汗を流し、ドイツ人との交流試合を数多く経験できたこともラッキーであった。卓球を通じての国際交流は、まさにピンポン外交で自分にとって大きな財産となっている。
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