2012年3月12日、ダッカからバングラデシュ航空でネパールの首都カトマンズに入った。これで、ネパールが82番目の訪問国となった。格安のゲストハウスに4泊したが、料金はシャワー付きシングルの部屋で、1泊たったの450円。カトマンズには日本食レストランがたくさんあり、連日日本食レストランのお世話になった。
13日は、終日、スワヤンブナート、アサン・チョーク、ダルバール広場、シヴァ寺院、カスタマンダブ寺院等カトマンズの市内の観光スポットを歩いて見て回った。万歩計は約25000歩。
14日は、お釈迦様(ブッダ)の生誕の地(BC463年4月8日)として有名なルンビニに日帰り旅行をした。早朝発のイエティ航空でバイラワ空港に向かい、そこで車をチャーターしてルンビニを見て回り、夕方17時発の同航空でカトマンズに戻るという日帰りツアーを利用。飛行機代が往復で210米ドル、車代が50米ドルそこそこの値段はしたが、すべて自分で手配するよりはるかに効率的であった。
ブッダがこの地で誕生したことは、BC249年にマウリヤ朝のアショーカ王がこの地を参拝し、記念に石柱を建立した歴史的事実からも証明されている。長い年月を経てアショーカ王の石柱もいつの間にか埋もれていたが、1896年にドイツの考古学者が石柱を再発見し、さまざまな考古学上の発掘が進んだ。1970年にはルンビニを巡礼・観光センターとして開発することが国連で決定され、そのマスタープランは丹下健三氏によって設計された。
ブッダの生まれた場所にはマーヤー聖堂が建てられており、すぐ横にアショーカ王の石柱とブッダの産湯として使われた池があり、聖園を構成している。その場に立つとブッダのことや仏教の歴史を強く感じて感動深い。また聖園の北側は寺院地区となっており、広大な敷地の中に、日本、中国、韓国、ドイツ、フランス、ミャンマー等10数か国の寺院がすでに建設され、そこでは各国からの僧が修行に励んでいる。まるで、万博のパビリオンのイメージであった。
ブッダがこの地で誕生したことは、BC249年にマウリヤ朝のアショーカ王がこの地を参拝し、記念に石柱を建立した歴史的事実からも証明されている。長い年月を経てアショーカ王の石柱もいつの間にか埋もれていたが、1896年にドイツの考古学者が石柱を再発見し、さまざまな考古学上の発掘が進んだ。1970年にはルンビニを巡礼・観光センターとして開発することが国連で決定され、そのマスタープランは丹下健三氏によって設計された。
ブッダの生まれた場所にはマーヤー聖堂が建てられており、すぐ横にアショーカ王の石柱とブッダの産湯として使われた池があり、聖園を構成している。その場に立つとブッダのことや仏教の歴史を強く感じて感動深い。また聖園の北側は寺院地区となっており、広大な敷地の中に、日本、中国、韓国、ドイツ、フランス、ミャンマー等10数か国の寺院がすでに建設され、そこでは各国からの僧が修行に励んでいる。まるで、万博のパビリオンのイメージであった。
2014年には、イエスキリストの生誕地、ベツレヘム(パレスチナ自治区)にも訪問したので、仏教とキリスト教の二大聖地を巡礼したことになる。ルンビニは世界遺産にも指定されているので、仏教の歴史に興味のある方は巡礼者の気持ちになって是非一度この聖地を訪ねてみてほしい。
カトマンズ盆地は世界遺産として7つの地域が登録されているが、そのすべてを見て回ることができた。7つとは、ダルバール広場、スワヤンブナート、パシュパティナート、ボタナート、パタン、バクタプル、チャング・ナラヤンの世界遺産である。カトマンズとパタンのダルバール広場はまさに史跡といった感じで見ごたえがある。パシュパティナートではヒンズー教徒の火葬場にもなっており、嫌でも火葬現場を見てしまい、何ともいえないショックを受けた。
その後、2015年4月にカトマンズは、ネパール大地震に襲われ、この目で見てきた世界遺産や貴重な歴史的建物が多く倒壊するという悲劇に見舞われた。心が痛み何ともいえない残念な気持ちになったが、今はどうなっているのか復興ぶりが心配になる今日この頃である。
写真は、スワヤンブナート、ボダナート、パタンのダルバール広場及びお釈迦様の生誕地(ルンビニ)
ネパール旅行アルバム: https://youtu.be/owK_tzCjs3I