浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

ホンジュラス旅行の思い出

2020年09月19日 08時40分35秒 | 旅行

グアテマラシティ滞在中、2011年9月1日、隣国ホンジュラスにあるマヤ文明のコパン遺跡への日帰りツアーに入った。これで、ホンジュラスが78番目の訪問国となった。コパン遺跡はグアテマラシティから250㎞も離れており、車で約5時間かかるので、若干強行軍であった。早朝5時に出発し、帰りは渋滞に巻き込まれたこともあり、夜9時頃になった。プライベートツアーなので、一人だと割高となるが、運よく、同じ宿の日本人の方と二人で参加できた。車で国境を越えるはヨーロッパでは何回か経験があるものの、中米では初めてであったが、極めてスムースであった。ガイドブックに国境越えも危ないとの情報もあったが、ツアーに入ったためか、全く問題なし。

コパン遺跡は、世界遺産にも登録されたホンジュラスを代表するマヤ文明の都市遺跡で、8世紀、壮大な芸術文化が花開き、神聖文字の階段を始め、石碑や神殿や球技場やグラン・プラサ等華麗な遺跡が残されている。コパン遺跡は、マヤ文明の中でも際立った芸術性を見せているという。中米は雨季の真最中であったが、全く雨には降られず、蚊の心配もほとんどなく、ラッキーな遺跡巡りとなっった。

写真は、グラン・プラサ、神聖文字の階段及び球技場

ホンジュラス旅行アルバム(2.44~4.49): https://youtu.be/v29ubB9xrQw


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グアテマラ旅行の思い出

2020年09月19日 06時41分44秒 | 旅行

2011年8月29日からグアテマラの首都グアテマラシティに6泊した。当時長男が駐在していたカナダのカルガリーに1週間ほど滞在した後、エアカナダ便で、ヒューストン経由でグアテマラシティに入った。これで、グアテマラが77番目の訪問国となった。治安が心配だったので、日本人の経営する民宿に宿泊し、空港にもタクシーの出迎えをお願いした。

30日はグアテマラシティのダウンタウンを見て回った。ダウンタウン地区はガイドブックでは治安最悪との情報で、厳重警戒でカテドラルや中央市場や国立考古学民族博物館を見て回ったが、治安の悪さはさほど感じなかった。ガイドブック情報はいつも大袈裟すぎる感があり、我々の行動を左右しかねないのは残念である。

31日はシャトルバスで1時間のところにある古都アンティグアを一日中見て回った。アンティグアは、コロニアルの町並みとその廃墟が残る昔の首都で、コロニアル建築や敷石の道など町並みが美しく、大地震によって崩壊した教会施設なども観光の見所となっていて、世界遺産にも登録されている。街に着いて、その雰囲気のある町並みに思わずビックリするほど。

街の中心にあるカテドラルからウォーキングを始め、街のシンボル時計台、メルセー教会、カプチナス修道院を見てから、十字架の丘を約40分かけて登り、アンティグアの街全体を眺め、サントドミンゴ教会、サンタクララ教会、サンフランシスコ教会を見て回った後、トゥクトゥクという三輪タクシーにも乗った。

十字架の丘は、以前、強盗が出没していたので、観光警察が警備をしているとのことであったが、同じ道を歩いていたカナダのケベックシティからの女子学生から、より安全のために、いっしょに行動してほしいと頼まれ、旅は道連れ、最後まで、いっしょに見て回った。この後、ケベックシティにも行く予定なので、これも何かの縁かも知れないが、おじさんと若い女性のカップルは人目にどう映っていたであろうか。。。彼女は、2週間ほどスペイン語の勉強に来ていて、翌日帰るとのこと。アンティグアは、スペイン語学校の町としても知られている。若干歩き疲れたが、石畳の道と雰囲気のある中世の建物や教会の廃墟の残るアンティグアの町を十分堪能した。

写真は時計台とカテドラルと十字架の丘からの景色

グアテマラ旅行アルバム: https://youtu.be/v29ubB9xrQw

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