Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

今年の雪だるまクラブスキーツアー無事終了

2016年02月08日 | ボランティア

2月5日(金)~7日(日)

 年に一度、障害者とサポーターが共にスキーを楽しむ雪だるまクラブのスキーツアーは、何事も無く無事に終了した。毎年恒例の事とはいえ、宿や車の手配、その他モロモロの事前準備で役員達はバタバタしたけれど、終わってみれば楽しい三日間でした。

 参加者は概ね常連さんだったが、一本足スキーのKさんやチェアースキーのMさん等上級スキーヤーも新たに加わってくれたので、クラブの雰囲気も楽しいだけからちょっと変わってきたようだ。次回も新たな障害者スキーヤーが参加するとの話なので、来年のツアーが楽しみだ。

 会員の入れ替り等で一時は低迷した時期もあったけれど、ここ数年は参加メンバーも固定化し、徐々に勢いが出てきたような気がする。総会における私の拙い司会進行も、ボケ老人の愛嬌と笑ってくれるようになった。マア大して役には立たないけれど、元気なうちはクラブの為にお役に立てればと思ってます。

 眼下に野尻湖を望むゲレンデで

 休憩のひと時

 〃

 懇親会場で

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雪ダルマクラブスキーツアー、二日目

2016年02月06日 | ボランティア

  2月6日(土)

 今日の黒姫山スキー場は、晴れたり吹雪いたりの慌ただしい天気だった。

そんな中雪だるまクラブの面々は、それぞれのスキーを思い切り楽しいんだ。

 中でも一本足で滑るKさんと、チェアースキーのMさんはトップクラスの豪快な

滑りで圧倒された。前会長のTさんも義足ながら相変わらず華麗なスキー、皆さん

とても障害者スキーヤーとは思えない。

 今はゲレンデから戻り温泉に入ってホッと寛いだひと時、これから総会があるので

ちょっと憂鬱だ。

 一本足で豪快に滑るKさん

 チェアースキーで華麗に滑るMさん

 

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再び常総市の災害ボランティアへ(2)

2015年10月01日 | ボランティア

 9月29日(火)

 22名のボランティアを乗せたマイクロバスは新井木地区のサテライトに到着した。ここで数名のグループに振分けられ、グループごと要請があった個々の被災者宅へ向かう事になる。

 私は40代?の男性と20代?の女性の3人でグループとなり、単に年寄りというだけの理由で、私がグループのリーダーになった、支援するのは近くにあるご高齢ご夫婦のお宅で、2階建ての立派な建物だ。

 何をすべきかをご夫婦に伺うと、「庭に流れ込んだ漂流物の撤去」と「汚水に浸かった品々の洗浄」と遠慮がちに言われる。そこで男二人は庭のゴミ撤去、女性は物品洗浄と別れて作業を開始した。

 電気や水道は復旧しており重量物は撤去済なので、前回に比べると作業は格段に楽ちんだ。集めたゴミを次々と土嚢袋に詰め込んで集積する。ここの御主人は陶器作りが趣味で別棟に焼き釜を持ち、数多くの陶器類を所持しておられたが、それも水に浸かった為女性はその品々を黙々と水で洗浄する。

 仕事ならばきっちり定められてる休憩タイムもボランティアだとその辺が曖昧だ。地区リーダーはグループで自主的に休んでくれと言うが、頑張り過ぎる事も無かろうと思い、1時間に一度は休み、昼食の時間も長めにとった。

 休憩中の会話で、女性は「仕事を辞めて失業中なので来ました。」と言い、男性は「勤務先でボランティア休暇の制度があり、それを利用して来ました。」と話してくれた。毎日が日曜日でお気楽な私と違い、それぞれに自分の事でも大変なのに、他人の為に頑張ろうと言うその心意気が立派だなあ偉いなあと感心した。

  PM3時半作業終了時間となり、ご挨拶して帰ろうとしたら、ご夫婦が陶器と飲み物を手土産にと用意していた。我々はサンザ固辞したのだけれど、どうしても受取って欲しいと言われ根負けした形で有難く頂く事にした。(被災者の方に負担を掛ける事になるから本当はまずいんだろうけど。)

  私は義侠心や博愛精神などという高尚な気持ちでボランティアに来てる訳じゃない。ただ単に「善い事をした。」という自己満足に浸りたいだけだ。そんな私に支援先のご夫婦は、「今日は本当にありがとうございました。」と深々頭を下げてくれる。「イエイエとんでもありません。こちらこそ大した事も出来ず申し訳ありません。」と頭を下げたい心境である。

 今回は大して汚れもせず作業を終えた。

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再び常総市の災害ボランティアへ(1)

2015年09月30日 | ボランティア

9月29日(火)

 先週末の雨の後、すっかり爽やかな空気に入れ替り、秋の風情になった様子です。そんな中再び、常総市の災害ボランティアに赴いた。前回は我が街の社会福祉協議会が実施したボランティアバスに乗っかったのだが、今回は個人参加で行ってみた。

 6時前、車で我家を出発し、約2時間掛けて8時前に指定された駐車場「水海道物流センター」に着いた。ここから送迎バスに乗り、鬼怒川の対岸にある常総市災害ボランティアセンターに向かう。

 一応9時からの受付開始だが、既に多くの人が列をなしている。ボランティアセンターでは次のような手順を踏む。

(1)所定の用紙に記入して、受付へ提出する。

(この時、日付の入った名札に記入し、適宜な位置に貼り付ける。)

(2)車で来た人は、帰りの高速道路無料申請書(各高速道路毎分けて作成する。)

(私の場合は、常磐道~外環道~関越道と通過するので3枚作成した。)

(3)初めて参加の人は、簡単なオリエンテーションを受ける。又ボランティア保険未加入者は、無料で保険加入の手続きをする。

(4)以上の手続きを終えた人は、屋外にある青いテントの椅子に先着順に座る。

(5)先着順に逐次屋内の待機室に移動する。

(6)地区センター(サテライト)より支援要請のあった人数が、原則先着順で屋外にある送迎バス出発場所へ移動する。

(7)バスで要請のあった地区センターへ移動する。センター到着後、個々の支援要請先ごとに作業グループを割振られ、グループの一名がリーダーに指名される。

(8)各作業グループは支援要請された被災者宅へ徒歩で移動し、被災者の方から具体的な作業内容を伺い、ボランティア作業を開始する。

  とマア、以上のような手間の掛かる手順を踏んでボランティア作業をやるわけです。私の場合、ご高齢ご夫婦の被災者宅へ伺ったのだが、作業を開始したのは駐車場に到着してから2時間後の10時過ぎになってしまった。

  手続きをもっと効率的にすれば無駄な時間が減らせると思うが、不の事態を考慮すればやむを得ないのかも知れない。裏を返せばボランティアの受入れ体制が充分整っているとも言える。

  センターの受付が混雑していたのでボランティアの数は充分足りていると思ったが、後で常総市の「facebook」を見るとシルバーウイーク以降、参加者数が激減してしまい、ニーズの半数程にしかならないそうだ。

  世の中には、「未経験だがボランティアに興味がある。」という人が少なからずいるのではと推察します。常総市災害ボランティアセンターは、関東エリアで交通アクセスも良い所だし、そんな人は一度軽い気持ちで参加してみてはいかがでしょう。

  ボラティアの受入れ手順ばかりを長々と書いてしまったので、実際の作業について書き損ねてしまった。それについては次回のブログネタとします。

 

  心身障害者センター内にある常総市災害ボランティアセンター

 屋外の参加者待機場所

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常総市の災害ボランティア

2015年09月20日 | ボランティア

 9月19日(土)             天気=晴れ時々曇り

 早朝6時、集合場所の市役所駐車場へ到着すると既に大勢の人が集まっていた。今日のボランティアは、市民21名、職員5名の総勢26名が参加するとの事、副市長や職員の見送りを受けてバスは出発した。

 外環道や常磐道はさほどの渋滞も無かったが、谷和原インターを降り被災地近くになると道路規制の為か渋滞がひどくなった。それでもAM8時半過ぎには、支援地域の集合場所に到着した。

 今日我々が支援するのは関東鉄道、北水海道駅付近の住宅街、既に水は引いており壊れた建物があるわけじゃないから、一見するとのどかな郊外に見える。しかし家々には浸水の痕跡がクッキリ残り、高い所では2m近い浸水だった事が伺われる。

 今日常総市には2千名近いボランティアが集結したようだが、この地区に150名程動員されたそうだ。沖縄訛の若いお兄ちゃんが地域のボランティアリーダーで、陽気に且つテキパキと作業の指示をする。

 被災者宅の水に浸かった使用不能品の搬出、ゴミ収集車への積込が主な作業になった。山のように積まれたゴミは「こんなにあるのか。」と一瞬途方にくれるが、流石に大勢でやれば作業は早い。アリのようにたかって瞬く間にゴミの山が小さくなっていった。

 あるお宅では庭に陶器の飾り物がありまだ新しい。奥さんは一部欠けているからこれを捨てて欲しいと言う。でも娘さんは「残そうよ。」と涙を溜めて異を唱える。間にいる私はただオロオロするだけだ。

 あるブラジル人のご家族が助けを求めてきた。家の冷蔵庫を外へ搬出して欲しいと言う。狭い室内に大きな冷蔵庫が2台あり、一人、二人ではどうにもならない。四人がかりで何とか搬出できた。遠い異国でこんな災難に遭い、お気の毒としか言いようがない。

 最初は「ヤッタルゼー」と燃えていても、ヘドロの臭いが漂う中、ロクなトイレも無い過酷な環境での作業は午後になるとグッタリ疲れを増す。しかしボランティアは此処を去ればヌクヌクとした我が家に戻る事ができるが、復旧するまでこの環境に身を置かねばならない被災者の方々を前にしてグチは言えない。

 作業の終わり帰り際に、その被災者の方々からから「ありがとうございます。」とお礼の言葉を頂く。私なんぞ他人様から感謝されるなんて事殆ど無いから「こんな俺でもチョットはお役に立てるんだ。」と嬉しくなるし生きる勇気も湧いてくる。そういう意味じゃこっちこそボランティアの機会を与えてくれてありがとうございますとお礼を言いたい心境だ。

 作業終了時(けっこうドロだらけ)

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平成27年、黒姫高原雪だるまスキーツアー

2015年02月09日 | ボランティア

 2月7日(土)     天気=晴れ

 去年の雪だるまスキーツアーは関東地方が大雪に見舞われた時期だったので、帰宅する事が出来ず大変な思いをしたが、今年はその埋合せをするかのように天気に恵まれた。

 白銀輝くゲレンデで、それぞれレベルことののグループに分れスキーを楽しんだ。私はNさんと共にH君のサポートにまわる。H君は会話に難があるので最初は意思疎通に苦労したが、去年に続いての付合いなので彼の気持ちが何となく分かるようになってきた。

 高速リフト山頂駅付近で

 同じくゲレンデで

 H君はマラソンをやっているから足腰が強い。彼独特の変形ボーゲンで中級斜面なら何処でもガンガン滑って行く。彼が「イケ、イケ」と言うと、私は「ハイ、ハイ」と答えて先導する。そしてNさんが最後尾から追随する。そんなスタイルで午後3時半までスキーを楽しんだ。

 手前からNさん、H君、私

 ホテルアスティ黒姫でクラブのスキーツアーをやるようになって今年で4年目、ここはJAが経営母体の宿だが、施設はバリアフリーが進み料金もリーズナブル、従業員の方も丁寧な応接で大変心地よい。2階の温泉浴場から眺める妙高山、黒姫山が絶景で素晴らしい。そして玄関から直接ゲレンデに滑り込めるから障害者には嬉しい環境だ。

 夕食の前にクラブの総会を実施する。現会長のK子さんが腰痛の為継続は困難なので理事となり、副会長のH子さんが新会長に就任した。私は引き続き会計&雑用係を継続する。

 夕食会場

 会場で全員写真

 夕食後の懇親会では、其々の自己紹介がユニークで席が大いに盛上る。去年に比べ参加者も増え、初めての人、久し振りの人も幾人かおられ、クラブの活性化が増したようで嬉しくなった。

 2次会の懇親会場

 

 2月8日(日)     天気=雪

 朝から雪雲が空を覆い細かな雪が降り始め、天気は下り坂の様相だ。そんな天気に負けず、昨日と同様グループに分れて皆スキーを楽しむ。昨日サポートしたH君は事情があり朝方お母さんと一緒に帰ったので、フリーになった私は気の向くまま他のグループの人達と共にスキーを楽しんだ。

 今日、黒姫高原スキー場はスキー大会が開催されており、小学生から大人までそれぞれの部門に分かれてレースに挑戦していた。約1キロ程の距離を小学生でも早い選手は1分ちょっとで滑るのだから時速60キロ位は出てるだろう。イヤハヤ凄いもんだと感心する。

 スタートする小学生選手

 我々も午後2時頃にはゲレンデから上がりそれぞれ帰宅の途についた。今年は天気に恵まれ参加者も増えた。クラブにとっては何か手応えを感じたツアーだったような気がする。七夕の織姫・彦星みたいに年に一度しか会えないが、又皆さんと元気な姿で再会したいものだ。

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2014雪だるまスキーツアー

2014年02月19日 | ボランティア

2月14日(金)~16日(日)

 

 「障害者と健常者が一緒にスキーを楽しもう。」というコンセプトの雪だるまスキーツアーに、私が入会して早いものでもう11年になるが、今年ほどアクシデントの多いツアーは初めてだった。

 14日の朝我々が黒姫高原に着く頃までは良かったが、その後の雪の降り方は凄まじく、関東地方を中心に高速道路や鉄道の閉鎖が次々と発生した。それでもスキーをやる分には吹雪を我慢すればよいだけなので、グループに分かれて皆でスキーを楽しんだ。スキーを終えて宿に戻ると我々の車は巨大な雪だるまとなっていた。

 夕刻、今夜到着する予定のTさんから「大雪で家を出る事すら出来ない。」と電話があった。その他にもキャンセルがあり結局5名の人が宿に到達する事が出来なかった。

 テレビでは、交通途絶や地域の孤立等尋常ならざるニュースが報じられていたが、ここ黒姫高原で雪が降り続くのは当たり前の事でライフラインに何の影響がある訳で無く、我々は二日目もスキー・温泉・懇親会と大いに盛り上がった。

 二次会で集合写真(スキー場は吹雪で撮れなかった。)

 最終日の16日になっても、高速道路や鉄道は再開の目途が立たない。関東地方はひどい状況のようだ。皮肉な事にこの日の午後だけチラッと晴れ間が覗き黒姫山が姿を現した。

 最終日(16日)午後やっと姿を見せた黒姫山

 JR信越線と長野新幹線は細々と運転してるようなので、電車帰宅組はスキーを止め朝から駅に向かった。私を含む車組は早々に帰宅を諦め、不安な気持ちを抑えスキーを楽しんだ。電車組は黒姫駅や長野駅で長時間待たされ相当苦労したようだが、深夜に大宮駅まで戻れたので残留組一同ホッと安堵した。

 17日になっても高速道路の通行止めは続いている。Mさんは通行可能な磐越道~東北道経由で帰るという。その他の人は上田から鳥居峠越えで帰るという。

 良く言えば「石橋を叩いて渡る性格」率直に言うと「小心者」の私は国道18号や20号で車が缶詰状態という報道に怯えて、帰る勇気が湧かず高速が開通するまで待つ事を選択した。結局私を除く全ての人が帰宅の途についた。一人残った私はホテルアスティ黒姫四日目の夜を過ごした。昨日までの仲間の喧騒が消え、静かで淋しい夜だった。

 18日早朝パソコンで道路情報を見ると関越道と中央道が開通していた。今日は何が何でも帰ろうと思っていたが、これで安心して帰れる。上信道はまだ通行止めが続いていたので北陸道~関越道経由で帰宅の途につき、13時過ぎに我が家へ戻る事ができた。

 今回のツアー、一時はどうなる事かと散々気を揉まされたが、何とか全員無事に帰宅できたので結果はOKボクジョウである。時が経てば忘れ難い思い出として、今回のツアーを思い出すだろう。なお我が家へのお土産は気疲れで発症したと思われる風邪、やたら寒気がして帰宅後すぐに寝込んでしまった。

 

 

 

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黒姫高原4日目、我々だけが取り残された。

2014年02月17日 | ボランティア

2月17日(月)

 黒姫スキー場に来て4日目となった。昨日電車で帰った人達は、夜10字過ぎ大宮駅に到着したようで一安心、残されたのは我々車組だけ、そして今朝、ある人は長野経由、ある人は新潟経由で出発し、私とNさんだけが宿に残った。

 小心な私は無理をせず高速往路が開通するまで待ちます。ここにいる分には温泉と美味しい食事が保障されますから、明日には何とかなるでしょう。・・・・

・・・・追信 Nさんも午後電車で帰る事になった。いよいよ私一人になった。長野と関東がこれ程遠いとは・・・

 

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大雪で黒姫スキー場から帰れない。

2014年02月16日 | ボランティア

 2月16日(日)   天気=大雪

 !!男子フィギュアー羽生選手金メダル祝!!と喜んでいる状況では無くなった。14日から雪だるまクラブのスキーツアーで黒姫高原、ホテルアスティ黒姫に来ているが、大雪の為、関東への道は全て途絶、我が家へ戻る事ができない。

 電車で来た人たちは今朝駅へ向かった。車で来た人は今日も宿に泊まる事になるだろう。今も雪は降り続き明日帰れるかも判らない。他にやる事もないので、これからスキーをします。

 まあ大震災の時を思えば、とりあえず温泉と美味しい食事が確保できてるだけでもありがたいと思います。

 

 

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金華山黄金神社でボランティア

2013年07月01日 | ボランティア

 平成25年6月28日~30日

 久々に東北復興ボランティアへ行って来ました。場所は宮城県、牡鹿半島突端の島に建てられた由緒ある金華山黄金神社、此処は大震災の震源地から最も近い場所だった為に甚大な被害を受けた所ですが、2年以上経った今、随分復旧されているように見受けます。しかし震災の爪痕はまだアチコチに残されています。今回私が参加させてもらった「NPO法人チーム東松山」は今も活発な活動をしており、此処も14回目の支援になるそうで神社の方々とも緊密な絆で結ばれているようでした。今回の参加者は12名で、多くは何度も足を運ぶベテランボランティアさんばかり、気まぐれ参加で腰に爆弾を抱えた年寄の私は、足手まといじゃ無かろうかと何気に気後れする思いで参加しました。今回は、半ば土砂に埋まって壊れた倉庫の中から資材の搬出して整理するという作業で、指示をする作業服姿の男性二人は、何と神職に携る若い神官さんです。泥に塗れて黙々と作業する姿に頭の下がる思いでした。作業の内容については「金華山黄金神社」や「チーム東松山」のHPに詳しく記されているので省略しますが、二日間とも雨の中全員一生懸命頑張って、概ね予定通り作業を進める事が出来、神官さんや総代さん達から熱い感謝の言葉をいただきました。二日目の早朝、普段は立入出来ぬ厳かな本殿内において特別なご祈祷を賜り、何かありがたい後利益をいただけそうな気がします。震災から2年を過ぎ、熱が冷めてきた感のあるボランティアですが、まだまだその活動は必要とされています。多くの人々に人々に被災地へ足を運んでもらいたものです。被災地に行く都度感ずるのは、ボランティアに従事する若者達の生き生きとした行動力です。彼(女)らを見てると日本の若者も大したものだなあと誇らしく思えます。

 鮎川の港(手前の小さな船で金華山に渡ります。)

本殿に至る石の階段(壊滅的損壊から修復されています。)

ボランティアの作業中

神社の神官さんや愉快な厨房さんも顔を見せ楽しい晩餐でした。

 早朝のご祈祷(神社本殿)

土砂に埋まった倉庫

震災の爪痕が生々しい港から神社へ向かう道路

 金華山の港(総代さんと愉快な厨房さんが見送ってくれました。

 

金華山黄金神社ブログ   = http://blog.kinkasan.jp/

 

NPO法人チーム東松山HP= http://thm.hiki.tv/

(ボランティアに興味ある方はご覧ください。)

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雪だるまクラブスキーツアー

2013年01月28日 | ボランティア

 平成25年1月28日

 障害者と健常者が一緒になってスキーを楽しむ雪ダルマクラブのスキーツアーに今年も行って来ました。出発の朝、信越地方は大雪で、目指す黒姫高原スキー場の「ホテルアスティーくろひめ」手前の急坂で我が愛車はスリップして雪壁に衝突、そのままバックで平坦な所までズリ落ちて停車、携行したチェーンを装着して何とかホテルに辿り着いたが、「危なかった。」と後から冷や汗がドッと出た。以前乗ってた車は四駆で雪道に強かったが、今乗っているFF車は、チェーンが無ければとてもじゃないが雪道は恐くて走れない。足腰の調子が依然として思わしくないので、今回のツアーは温泉だけを楽しもうと思ったが、クラブの仲間が滑っている姿を見ると我慢出来ず、足の痛みを堪えて夕刻までスキーを楽しんだ。夜の懇親会時に、足腰の不調をつい愚痴ったら、隣席に居た足に障害を持つK子さんやH子さんから「それ位で落ち込む何て甘いわよ。」と一蹴された。彼女達から言われたら反論の余地もない。翌日もスキー楽しんだが、流石に午後になると足の痛みが増したのでスキーを止め、早めに帰宅の途についた。翌日、スキーの後遺症で症状が悪化するのではと危ぶんだが、以外にも調子が良い。クラブの仲間との楽しい語らいが私のマインドに良いホルモンをもたらして、病状改善に作用したのではないだろうか。

 懇親会で集合写真

 黒姫高原スキー場

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東京湾に森の島が・・・

2012年10月09日 | ボランティア

 平成24年10月9日
 ゴミと残土で築かれた東京湾に浮ぶ夢の島(一部)を森で覆われた島に変えようという、お役所にしては粋な事業が東京都の計画で進められています。近代建築物が林立する東京湾のド真ん中に緑に覆われた島があるなんて一寸感動ものの風景ではないですか。一般市民の植樹ボランティアも募集されており、昨日我々夫婦も参加してきました。自分の手で植えられた木が自分の死後も存在すると思うと何かワクワクします。植樹場所は、まだ立入制限されたお台場近郊の砂漠のような一角にありました。5年ほど前から植樹が始まり、3年以上過ぎた樹林はけっこう立派に成長していて10年後には森の島が完成するそうです。係員の女性に我々が植樹する場所まで導かれ、割当てられた区域で作業を始めます。最初はネットで梱包された苗木の束を取り出して一定の間隔で置いていきます。その作業中、妻が持上げた苗木の先端が私の右目に当り出血、本部にある救護所に連れて行かれ、看護師さんから消毒処置をしてもらった後、慈恵医大眼科まで行って診察を受ける事態となりました。担当医の話では「白目に傷がある」との事で、黒目に異常は無く痛みも無いので大した事も無く済みそうです。植樹が終ったら美味いものでも喰って帰ろうと思ったのが、とんだボランティアの一日となってしまいました。

植樹作業前の説明風景

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南相馬市ボランティア作業

2012年07月14日 | ボランティア

平成24年7月13日
 私の地元T市の福祉協議会が主催した東北ボランティアバスツアーに参加して来ました。今回活動したのは、福島県南相馬市の南部に位置する小高地区、福島第1原発から20キロ圏内にあり、今年4月に立入制限が解除されたばかりです。とは言っても一時的な立入のみで住む事は出来ません。今日指示されたのは、放置され雑草に覆われた畑の草刈作業です。草刈機を手に私はエンジンを轟かせて雑草に立ち向かったのですが、今日は曇り空ながら無風、不快指数最高レベルの天候で、たちまち全身から汗が噴出し、身体を冷やす水も無いので休憩時にはノックアウト寸前のボクサー状態です。午後3時半の作業終了時には全身汗まみれ、心底疲れましたが、畑の持ち主80歳近い高齢の女性と、その娘さんの感謝の言葉に、少しでもお役に立てたという喜びが湧きました。それにしても復興されつつある岩手や宮城の被災地に比べると、原発に近い此処福島の立ち遅れは際立っており、海岸付近の被災車両は放置されたまま、直接眼にした南相馬市南部や飯館村の広大な地域は、家屋はそのままに人影が途絶えてデスゾーンと化し、不気味な雰囲気を漂わせています。東京電力にも言い分はあるのだろうが、これを見たら犯した罪は例えようも無く甚大で、今まで原発で良い思いをしてきた前会長K氏を始めとする東電幹部、関連企業幹部、関係高級官僚、推進した政治家等のOB達は、その全財産を投げ打ち、福島復興に身を捧げてもらわねば罪無く故郷を追われた福島の人々に報いる事はできますまい。


南相馬市小高地区の作業現場

同上

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震災被災地の状況

2012年06月13日 | ボランティア

 平成24年6月13日
 今回のボランティアツアーで見た被災地の状況についても触れてみたいと思います。最初に訪れた石巻市立大川小学校は昨年に比べると瓦礫も撤去され随分スッキリしていました。しかし周囲に建物は無く人気もありません。このまま大震災の記憶を残すメモリアルとなるのでしょうか。此処で思うのは何故100m程離れた山に逃げなかったのかという事。しかし被災当日は余震が収まらず倒木や山肌崩壊の危険もあったから責任者が決断出来なかった事情も理解できます。
 宿泊は牡鹿半島突端にある現在休業中のおじか家族キャンプ村コテージでしたが、そこへ向う海岸沿いの被災地は、概ね瓦礫の整理を終えているようでした。しかし眼の届かぬ磯や岩場には、まだ多くの瓦礫が残されたままです。次に訪れた女川町には、高さ20mもの津波が襲来したそうです。20m近い高台に建つ近代的な町立病院にも2mの津波が押し寄せたというから想像を絶する凄さです。幸いにも病院は復旧し、綺麗な施設に甦っています。しかし病院から見下ろす街並は壊滅したままで、横倒しになったビルが無残な姿を留めています。眼にした被災地は、いずれも瓦礫の撤去は進んでいるようですが、再建は手付かずという感じです。被災地の多くは漁業が主産業なので、海岸沿いの再建が一番良いのでしょうが、そうすると津波の危険度が高まります。このジレンマがネックとなって再建が進まないのではと推測されます。


石巻市立大川小学校

 町立病院から見る女川の街並

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石巻市橋浦地区で農業体験

2012年06月12日 | ボランティア

  平成24年6月12日
 今年最初の東北ボランティアに行って来ました。今回は石巻市橋浦地区で田植えや鶏舎の掃除等の作業を行なったのですが、終ってみればボランティアというより農業体験ツアーと言った方が正解でした。六十数年日本人としてご飯で生きてきたのに田植えは初体験、知るのが遅すぎたと一寸悔やみました。場所を提供された農家の今野さんは無農薬有機農業の実践者で、肥料も自宅の鶏舎から出る鶏糞です。鶏の餌も自然のものが与えられ、その創意工夫や熱意と努力には頭が下がります。お昼は此処で採れたお米と卵の「卵掛けご飯」を頂いたのですが、あまりの美味さに素材の良さを実感しました。
 橋浦地区は、多くの犠牲者が出た大川小学校から遠くない場所ですが、現在「石巻茗荷村」建設プロジェクトが進んでいるそうです。此処は新たな交流の場を提供する地域コミュニティーで、近々ホームページも公開するとの事です。興味ある人は検索してみてください。申込めば地域外の人も賛助村民になれ、いろいろ優待特典があるようです。こういった被災地活性化プロジェクトを応援する事も立派な被災地支援ではないかと私は思います。

 

ボランティアメンバー  

養鶏場のゴミ廃棄

田植え体験

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