Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

今年の年末はテレビ三昧の日々

2024年12月31日 | 日記

 12月30日(月)

 「俺の若い頃は」と言うセリフは年寄りの自慢話の定番だが、私が山にハマっていた40年くらい前は、「山男が街になんぞ居られるか」と粋がって、毎年正月には冬山登山へ出掛けていたものでした。

 中島みゆき風に言えば「そんな時代もあったネと・・」いうところですが、若気の至りとは言え雪深い雪山のテントで年越しの夜を過ごす何て、よくあんな事ができたなあと、今になって思います。

 そして歳月が過ぎ、後期高齢者となった今年の年末は、ヌクヌクとした家の中でテレビとパソコン三昧の日々を過ごしている。今日も午前中から「全国大学女子駅伝」のテレビ中継を見て、拓大、不破聖衣来選手の復活快走に感激し、午後は「全日本バドミントン選手権」を見て、女子高生新チャンピオンの宮崎友花選手に熱いエールを送った。

女子大学駅伝第5区で、6人抜きの快走で復活した不破聖衣来選手

 若い頃の覇気は、一体何処へ行っちゃったんだろう?雪山を登っていたあの頃は寒さに身体は震えていたけれど、心の中は熱く燃えていた。今は居心地の良い部屋に居て身体は暖かいが、心の中には冷たい隙間風が吹いている。

 でも日本人の平均健康寿命を超えたこの年齢まで、取りあえずは健康体で生き抜いて年末を迎えたのだから、そんな自分に「いいねマーク」を付けてあげようと思います。

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好みのラーメン店が、タブレット注文になり活気が無くなった?

2024年12月29日 | 日記

 今はラーメンブームなんだろうか、近くの国道407号沿いには次から次とラーメンチェーン店が進出して、ザッと数えただけで博多ラーメンの「鶴亀堂」、横浜系ラーメンの「町田商店」、「山岡ラーメン」、「京都北白川ラーメン魁力屋」などなどがある。

 それらラーメン店の中で私が専ら出掛けるのは、会津若松発祥の「幸楽苑」です。以前株主だったよしみもあるが、低価格の割に細い麺と味わいが私の好みなのです。先日も久々に油っこいものを食べたくなったので、国道沿いの幸楽苑を訪れた。

 お昼時の店内はかなり賑わっていた。以前は店員さんに注文していたのだが、今日来てみると各席に配置されたタブレットで注文するように変わっていた。私はこのタブレットで注文というのが好きでは無くて、もやしラーメンと餃子をセットで頼みたかったのだが、二度ほどやり直して注文を完了させた。

 ところが注文したものが中々できて来ない。向いのオッちゃんは確か私より後に注文したはずなのに、もう食べている。ひょっとしたらタッチパネルの操作ミスで厨房に注文が届いていないのではと心配になったが聞くのも気恥ずかしい。イライラし始めた頃、やっと注文した料理が届いた。店内をザッと見たところ、お客の数に比べ店員さんが少なくて、注文に対応しきれていないような様子だ。

 それとタブレットに変って、店内がやけに静かになったような気がする。それはお客「エ~と、焼きそばと餃子頼もうかな」、店員さん「ハイ、焼きそばに餃子ですネ、少々お待ちください」などという、お客と店員さんのやり取りが無くなったからではと思える。

 お店が機械化すれば人件費が削減され目先の利益になるかもしれないが、店員さんとお客の触れ合いが無くなったお店は活気に乏しく、長い目でみれば客足が遠のいて行くのではとないだろうか。

 このまま進むと注文はタブレット、配膳するのはロボットで支払いは自動精算機、店員さんは厨房で料理作る人だけ、未来はそんな食堂に変わってしまうだろうか。それも何だか味気ない風景だなあ。

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ウォッシュトイレに続いて洗濯機が壊れた。

2024年12月27日 | 日記

 長年使い続けたパナソニック製の洗濯機が、ストライキを起こすようになった。この前ウォシュレットトイレが壊れて買い替えたばかりなのに、「ウォッシャー・マシンよお前もか」と裏切られた気持ちになったが、既に耐用年数を過ぎており壊れても仕方のない寿命だった。

古いパナソニック製の洗濯機

 トイレと同様に洗濯機は日常生活に欠かせぬ必需品、無くては困るので電気製品ではいつもお世話になっている最寄りのケーズデンキを訪れた。広い店内の洗濯機コーナーでは、最新のドラム式から二槽式まで様々な製品が売られている。

 ザッと見渡して、手頃な値段で我家の望む規格の洗濯機があった。しかし「AQUA」と聞き慣れないメーカー、店員さんに「中国製ですか?」と訊ねたら、「以前パナソニックに吸収合併されたサンヨー電機の技術陣が、パナソニックへ移籍して開発した製品なんですよ」と説明してくれた。

 値段は安いし一応日本製、という事でこの洗濯機を買う事に決めた。ケーズデンキは迅速で、買った翌日には新しい洗濯機が我が家へ届けられた。機能的には以前のものと差したる違いは無いが、消費電力は随分省エネになるらしい。取りあえずは一安心です。

新しく買った洗濯機(オマケしてもらい¥64,280円で買った)

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日本三百名山回顧№133長野富山県境、烏帽子岳(2百名山)

2024年12月25日 | 三百名山回顧

 高瀬ダム近くの登山口から北アルプス三大急登の一つ、ブナ立て尾根を登った稜線上に烏帽子岳の鋭鋒が聳えている。烏帽子岳から槍ヶ岳に至る登山道は、裏銀座コースと呼ばれる北アルプスの人気縦走ルートです。

 その烏帽子岳へ最初に登ったのは今から44年前、昭和55年8月でした。職場の同僚だったA君とI君を誘い、三人で裏銀座コースを三泊四日で縦走したのです。

 二日目に泊った双六小屋では、「富士山吉田大沢の大規模な落石で、死者12名、負傷者29名の大惨事山岳遭難が発生」というニュースを聞いた事は今でも鮮明に覚えています。

昭和55年8月11日(月) 烏帽子岳~鷲羽岳~笠ヶ岳縦走

ブナ立て尾根の登山道から高瀬ダム湖

前烏帽子岳山頂?

烏帽子岳山頂

山頂から南沢岳(右手前の山)方面

 

 2回目の烏帽子岳は、平成4年9月に単独で烏帽子岳~七倉岳を縦走し、七倉ダムへ下山した。この翌週には妻と二人で、針ノ木岳~七倉岳を縦走し七倉ダムへ降った。七倉登山口の食堂に私が2週続けて顔を見せたので、お店の女将さんから「地質調査でもやってるんですか?」と不審げ気に尋ねられた思い出があります。

平成4年9月5日(土) 烏帽子岳~七倉岳縦走

南沢岳山頂

南沢岳から烏帽子岳(左手前の尖った山)

南沢岳から立山・剣岳方面

不動岳から南沢岳

不動岳から船窪岳方面(左奥の山は針ノ木岳)

 

 3回目の烏帽子岳は、令和元年8月に妻と二人で烏帽子岳から裏銀座コースを三泊四日で縦走しました。この時は2日目以降雨に降られて辛い山行でしたが、それも今では良き思い出です。この時の山行記録が私のブログに書かれていたので、下記に転載してみます。

令和1年8月18日(日)      天気=晴れ後曇り

高瀬ダム~烏帽子岳~烏帽子小屋

07:57高瀬ダム→ 08:03~101濁沢キャンプ地→ 08:20~26ブナ立て尾根登山口→ 09:28権太落とし→ 11:23~30三角点→ 12:49~13:10烏帽子小屋→ 13:45~14:00烏帽子岳→ 14:38烏帽子小屋

 私が最初に裏銀座コースを縦走したのは40年以上昔の話です。あの頃はまだ山を始めたばかりで、職場の仲間のI君とA君を誘って烏帽子岳から笠ヶ岳まで縦走したのだが、初心者ばかりの3人で良くも歩けたもんだと今では懐かしい。

 長い前置きになったが、昨夜車中泊した梓川サービスエリアからJR穂高駅へ行き、駅から歩いて5分程の所に在る登山者用無料駐車場に車を停めた。その後列車で信濃大町駅まで行って、 駅前からタクシーで登山口の高瀬ダムへ向かった。

 タクシー代は¥8,300円で、道中運転手さんがよもやま話に「先週は天気が良くて、沢山登山者が来てくれましたけど、韓国の人は随分減りましたね。でもあの人達は大声で煩いし、来てくれない方がいいですよ。」何て話もしていた。私も昔、白馬岳のテント場に泊った時、隣に韓国人パーティがテントを張り夜中まで煩かったので、運転手さんの気持ちがチョットは判る。

登山口の高瀬ダム堰堤上

 タクシーは、駅から30分足らずで高瀬ダムの堰堤上へ着いた。堰堤上には若い二人組の男性が先着していたが、サッサと準備を終えアッいう間に居なくなった。我々も準備を終えると彼らの後を追うように出発する。

 堰堤を渡ると直ぐに長さ400m程のトンネルを通過する。トンネル内は蛍光灯の灯りでヘッドライトを出す事も無かった。トンネルを抜けると、不動沢に架かる吊橋を渡る。吊橋を渡った所には、濁沢キャンプ場が在る。粗末な簡易トイレがあるだけの侘しいテント場で、こんな所でテントを張る人が居るのだろうか。

不動沢の吊橋

濁沢キャンプ場

 キャンプ場から5分程で濁沢に架かる丸木橋を渡る。手摺の無い橋は雨の時など滑りそうで渡るのがチョット恐い感じだ。橋を渡った先がブナ立て尾根コースの登山口で、此処から烏帽子小屋まで急登を登る。登山口傍の小沢から水が得られ、ブナ立て尾根コースで唯一の水場だ。

濁沢の丸木橋

濁沢の最下部の滝

ブナ立て尾根登山口

 ブナ立て尾根は北アルプス三大急登の一つと言われ最初から階段状の急坂が続く。道はよく整備され歩き難くは無いものの、今朝は風も無く暑さが堪える。暑さに強く無い妻は足取りが少し重い。

最初から階段が続く登山道

 数えきれぬ程ジグザグを繰り返し1時間程登ると「権太落とし」に着いた。昔権太という人物が此処から転落でもして、その名が付いたのだろうか。でも特に危険という場所でも無い。

権太落し

 登山道の要所には数字を書いた標識があり、登るにつれ「8,7,6・・・」とだんだん減って行く。標高が高くなってくると、少しは風も吹いて暑さが凌げるようなってきた。権太落としから2時間程で黄色い標柱が建つ三角点ピークに着いた。此処まででブナ立て尾根コースの三分の二を登った事になるが、まだ先は長い。

樹林越しに濁沢源頭部が見える。

三角点ピーク

 三角点ピークからしばらく緩やかな道だったが、稜線が近づくにつれ再び急登になった。樹林越しに見えていた南沢岳から不動岳への稜線が同じ目線に見えた頃稜線に達し、程なく烏帽子小屋に到着した。

登山道から不動岳方面

 烏帽子小屋は青いトタン屋根の木造で、昔の山小屋の風情が残る。料金は一泊二食で9千5百円で、他の北アルプスの山小屋と比べると若干安い。受付を済ますと、小屋で休んでると言う妻を残して単独で烏帽子岳へ向かう。

烏帽子小屋

 小屋からも見えるピークは、「ニセ烏帽子」とも呼ばれる前烏帽子岳(2605m)で、その先に日本二百名山の一つ烏帽子岳が聳えている。槍ヶ岳を小粒にしたような、キリリとした山容だ。

前烏帽子岳への登り

前烏帽子岳から烏帽子岳

 南沢岳へ向かう縦走路から左に曲り、鎖場やトラバースの有る岩稜をよじ登ると烏帽子岳(2628M)の山頂標識が立っていた。実際の最高地点は標識右手の岩塔で、此処へ達するには若干の勇気が要る。

登山道分岐から烏帽子岳

鎖場

トラバース地点

烏帽子岳の山頂標識

最高地点の岩塔

 山頂からは北アルプスの山々の展望が良く、眼下には高瀬ダムの湖面が意外な近さで望まれた。20分程の滞在で山頂を後にし、来た道を戻る。烏帽子小屋は設備こそ古めかしいものの、従業員の応接が良く食事もソコソコに美味くて居心地の良い宿だった。衛星テレビが明日の天気を報じていたが、「曇り後雨」の予報で一寸気懸りだ。

山頂から南沢岳(中央の山)、不動岳(右奥の山)方面

山頂から前烏帽子岳(左手前)、三つ岳方面(右奥)

烏帽子小屋に戻って来た。(奥のピークが前烏帽子岳)

 ※烏帽子岳という名のつく山は全国各地に幾つも存在するが、その中でも北アルプスの烏帽子岳が標高・山容共に断トツの名峰といえるでしょう。

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今年初めて見えた白銀の谷川岳

2024年12月23日 | 日記

 12月21日(土)

 群馬と新潟の県境に連なる谷川連峰は、遠い我が家のベランダからも望見する事ができる。早く白銀の谷川岳を見たいと思っていたのだが、このところ冬型の気圧配置が強くて県境の山々はいつも雲に閉ざされていた。

 21日の天気図を見ると、日本列島は広く高気圧に覆われている。これなら見えるかもと期待して朝方ベランダへ出てみると、西の彼方に白く輝く山波が望めた。今年初めて見る白銀の谷川連峰です。晴れ渡る空の下で少し霞んだような眺め、雨上りの澄んだ大気だともう少しクリアに見えるのだが、何しろ100km彼方の距離なので見えてるだけでも御の字です。

 思えば冬の寒波で西から日本列島へ押し寄せる雪雲を、あの山波が堤防となって関東平野への侵入を防いでくれているのです。我々関東の人間が、冬の間雪に悩まされず連日青空の下で暮らせるのも谷川連峰の存在があればこそ、そういう意味でも関東の人々は、谷川岳に感謝しなければなりません。

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若葉ウォークのクリスマスイルミネーションは人影まばら

2024年12月21日 | 日記

 ここ数日、本格的な冬の寒さが続いています。街中を歩いているとクリスマスソングが流れていて、もうすぐクリスマスだよと教えてくれる。週に何度か訪れるショッピングモールの若葉ウォークは、クリスマスを祝うイルミネーションが華やかに飾り付けられていた。

しかし平日の宵闇時に冷え冷えとしたショッピングモールを歩く人の姿はまばらで、クリスマスソング「清しこの夜」が、「サイレントナイト~、凍り~ナイト」と歌っているように聞こえてくる。

 寒さに耐えつつ我が家へ戻る途中、一際明るい流れ星が夜空に走るのが見えた。願掛けする間もない一瞬の出来事だったが、小さな希望の光を見たようでチョットいい気分になった。

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マイカーのタイヤを冬用に交換

2024年12月19日 | 日記

 12月17日(火)

 我が家から望む谷川連峰は白銀の山となり、スキー場オープンの便りもボチボチ聞かれるようになってきた。車のタイヤをソロソロ冬用にと思いつつも、寒い屋外に出るのが億劫で中々ヤル気になれなかった。

 先日「雪の結晶撮影」をモチーフにしている山の先輩 I さんのブログを覗いて見たら、「自分で冬用タイヤに交換し、雪国へ行って来た」という記事が載っていた。もう80歳に手が届く I さんがやってるのにと触発されて、風の弱い今日のお昼頃タイヤを交換をする事にした。

 ベランダに置かれていた冬用タイヤを車まで運び出し、近所の空地へ移動して作業に取り掛かる。以前脊柱管狭窄症に罹った事のある私は、固くしまったボルトの着脱やタイヤの持ち運びで再び腰痛になるのが心配です。

 そんな私の心強いスペシャルツールが、写真の鉄パイプと野外椅子です。鉄パイプは何処かの鉄屑置き場で拾ってきたものだが、これをレンチに差して作業するとトルクが増してタイヤのボルト着脱が容易になる。又タイヤを車軸から着脱する際は、野外椅子に座って作業すれば腰への負担が大幅に軽減される。

 これらのツールの手助けで腰痛にもならず、タイヤ交換は2時間足らずで終了した。業者に頼めば2~3000円はするところ、時給1000円程の作業です。これで雪国へ行ける準備は整った。でも近々出掛ける予定は今のところ無い。取りあえずスキーの板でも磨いときましょう。

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小平市のスナック和子で昔の職場仲間と忘年会

2024年12月17日 | お出掛け

 12月14日(土) 

 昔小平で働いていた頃の仲間から、「年末の飲み会をやりましょう」という誘いのLINEが入った。数少なくない職場仲間との付き合いなので、ありがたく参加させてもらう事にした。

 当日は早めに我が家を後にして、昔懐かしい小平の街並みを少し歩いてみた。西武小平駅から南へ真っすぐ伸びる通りを南へ進むと、右手に市民会館ルネ小平のモダンなビルが見え、その入口には日本一大きいと言われる郵便ポストが設置されている。

西武小平駅

ルネ小平前の日本一大きな郵便ポスト

 更に南へ歩いて行くと、五日市街道沿いに流れる玉川上水と交差する。ここらで丁度良い時間となったので、宴会場の一橋学園駅近くにあるスナック「和子」へ向かった。

喜平橋傍の玉川上水

 扉を開けると、懐かしい面々が居た。半年前の飲み会では10数名集まったが、今日の参加者は私を入れて5名だけ、師走の時期は皆さん何かと忙しいのだろう。でもこの位こじんまりした飲み会の方が、話が弾んで雰囲気が盛り上がるようだ。

 悲しかったのは、半年前の飲み会にも元気な姿を見せていたHさんが白血病で先月亡くなったという知らせ、彼は私とさほど変わらぬ齢なのに、人の命の儚さを思い知る。

 今日参加できなかった人の中にも、体調不良で来れなかった人が何人か居た。我々世代では今まで無病息災だった人は稀で、殆どの人が何がしかの病を患ってきた。こうして昔の仲間と楽しく飲めるのは、幸せな事なんだとつくづく思った。

スナック和子での飲み会

 

※西武一橋学園駅傍のスナック「和子」は目の覚めるような美人はいないけど、リーズナブルでフレンドリーな居心地よいお店です。お近くの方は、ぜひ気軽にお立ち寄りください。

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師走の今は、白菜と大根が旬の野菜

2024年12月15日 | 日記

 12月10日(火)

 「野菜の買い出しに」という妻の要請を受けて、日高市のJA日高中央農産物直売所へ車を走らせた。店内へ入ると今の時期旬の野菜は白菜と大根のようで、メインの販売棚に山のように積まれていた。

 「食欲の秋」とも言うが、私にとっては冬が一番食べ物の美味しい季節のような気がします。それはきっと冬の寒さに身体がより多くのエネルギーを欲し、それが食欲となるからではないだろうか。

 白菜と言えば「寄せ鍋」や「すき焼き」、大根は「おでん」などが思い浮かぶ。ホカホカと湯気が立ち昇るお鍋から、充分味の滲み通ったお肉や魚介、野菜を食べる喜び、日本に生まれて良かったと思える一時ではないでしょうか。

 今日の夕食で妻が作ってくれたのは、薄く味付けされた水炊きに野菜や魚介類を入れたもの、それに別皿のネギ味噌を絡めて食べる。「味噌だれ水炊き」とでも言ったらよいのだろうか、口には出さねど、思わず「星五つ」と心の中で叫びました。

 

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マイ誕生日プレゼントで、おニューのランニングシューズを買う。

2024年12月13日 | 日記

 先日都内の病院へ通院した時、神保町のミズノスポーツ直営店へ立ち寄って新しいシューズを買った。日常用に履いている古いランニングシューズの底が草臥れてきたので、ソロソロ買替えようと思っていたのです。

 以前毎年のようにマラソン大会に出場していた頃は、新しい順に試合用、練習用、日常用と3足のランニングシューズを持っていたが、6年前を最後に大会に出なくなってからは、ジョギング用、日常用の2足だけになった。

 今まで日常用として履いていた青色の靴は、3年前の冬にミズノで買ったものです。この靴でマラソン大会に参加した事は無かったが、北は北海道から南は九州まで、この靴を履いて歩き廻りました。

 どの位の距離を履いたかは不明だが、約1000日余使い続けました。それを物語るように、新品の頃に比べれば靴底は見事に摩耗していた。「長い間アリガトね」の言葉と共に、可燃ゴミの日に送り出してあげたいと思います。

 おニューの靴は前より一段と厚底になっていて、履いてみたら足が軽くなったような感じがする。この靴だったら若しかしてマラソン大会で走れるかも・・・という気がしてきたが、もし参加して「ただ今最高齢のFさんが、最後尾車と共にやっとゴール会場に戻ってまいりました。皆さん盛大な拍手を・・」何て放送されたらカッコ悪いしなあ。

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今日の夕方、月が土星を食べた。

2024年12月11日 | 天文

 12月8日(日)

 一般的なニュースになる出来事ではなかったが、少なからぬ天文好きの皆さんが夕闇の月を眺めたのではないだろうか。今日の午後6時19分頃、土星が月に隠される土星食という天文現象が首都圏で観望された。

 惑星が月に隠される掩蔽現象はそれ程レアなものでは無く、妻と私が自宅のトイレでバッタリ遭遇する位の確率で発生します。今回は発生したのが観望し易い夕暮れ時、天気が良くて月の影の部分から隠されるという絶好の観望条件だったのです。

 寒い中、ベランダから双眼鏡で覗いてみると、土星が月へ少しづつ近づいているのが分かる。天空に張り付いているかのように見える月だが、実際は地球を回る軌道を動いているのが実感できます。

 遠くの恒星が掩蔽される時は一瞬で星の光が消失するが、土星はある程度の大きさがあるので、ジワジワと光が小さくなっていった。そして掩蔽されてから約40分後、光り輝く月面の反対側から土星の小さな光が現れた。

 澄んだ初冬の夜空に起きた小さな天文ショーだったが、しばし世間の喧騒を離れて宇宙のロマンに浸る事ができました。ところで土星の環っかは倍率100倍ほどの小望遠鏡で見る事が可能です。冬は星空観望のベストシーズン、たまには顔を思いっきり上に向け輝く夜空の星を楽しみましょう。

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矢倉岳ハイキングの翌日は、富士五胡周辺の観光巡り

2024年12月09日 | 旅行

 12月2日(月)

 1日に箱根の矢倉岳へ登った後、富士山西麓の田貫湖畔に建つ休暇村富士で宿泊した。ここは富士山の眺めが良く、全国に展開する休暇村グループの中でも特に人気が高い宿です。

1日午後、田貫湖から富士山

同上UP(正面のガレ場は大沢崩れ、右のピークが最高地点の剣が峰)

同上(残照の富士山)

 富士山眺望の他に静岡県産グルメが豊富な食事も美味しくて、一泊と言わず長期滞在したい気分だが、毎日ご馳走三昧では過食できっと身体の具合が悪くなるでしょう。

 田貫湖畔は年に数日、ダイヤモンドヘッド(富士山の頂上にから朝陽が昇る現象)が観られるスポットとして有名だが、残念ながら今朝方は富士山のかなり右手山裾から朝陽が昇ってきた。

2日朝、日の出頃の富士山

2日午前の富士山

休暇村付近の紅葉

休暇村富士と富士山

河口湖畔富士ビューホテル庭園の紅葉(妻のカメラで撮った)

 2日の朝、宿を出発すると特に予定も無いので、富士山のビューポイントと紅葉を求めて富士五湖周辺の観光巡りをした。西湖や河口湖、忍野八海などで良い風景に出会い意気揚々我が家へ戻ったが、パソコンで再生してみると写真が全く撮れていなかった。

 普段あまり使用しないキャノン一眼レフカメラで撮ったのだが、内蔵していたSDカードに不具合があったようだ。そう言えば朝方休暇村で富士山を撮ってた時、「カードを初期化してください」とカメラのディスプレイに警告が表示されていた。その時カードを交換してれば問題無かったんだけれど、予備のカードを持っていなかった。

 写真に頼らなくても、富士山と紅葉の美しい風景を私の心に留めておく、そんな旅があってもいいではないか。・・・と負け惜しみで思う事にした。

 

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箱根山系、矢倉岳ハイキング(詳細)

2024年12月07日 | 山歩き

12月1日(日)    天気=晴れ

07:51地蔵堂駐車場→ 08:11沢出合→ 08:26高圧電線鉄塔下→ 09:13山伏平→ 09:29~59矢倉岳→ 10:13山伏平→ 11:09~17万葉公園→ 11:26~48足柄峠→ 12:31地蔵堂駐車場

 金太郎伝説で知られる神奈川県の足柄峠、その近くに聳える矢倉岳はまだ未踏だったので初冬の好日に登ってみる事にしました。箱根山系の中では低山の部類だが、眺めが良くて手軽に登れる矢倉岳は、ハイカーに人気の山です。

 早朝に出発したのが幸いして高速道路で渋滞する事も無く、朝7時半過ぎに登山口の地蔵堂駐車場へ着いた。登山者のものと思われる車が、既に3台ほど駐車していた。

地蔵堂

 準備を終えると地蔵堂でお参りした後、矢倉岳へ出発する。足柄峠へ向かう車道脇に一段と華やかな紅葉木が一本立っており、その横から登山道が始まっていた。

登山口に立つ見事な紅葉の木

登山口から登って行く

 急坂を登るとお茶畑に出て、そこから少し降ると細々と流れる小沢があり、沢を渡ると緩やかな樹林帯の登りが続く。しばらく登ると周囲の展望が開き、高圧電線鉄塔の下に着いた。

沢を渡る

高圧電線鉄塔の下

 電線鉄塔沿いにしばらく登り、やがて右に曲がって樹林帯の山腹を巻くような道を登って行く。電線鉄塔の下から約30分ほどで足柄峠と矢倉岳を繋ぐ登山道に達し、その先が登山道の分岐する山伏平だった。

樹林帯の巻き道

山伏平の分岐

 山伏平から矢倉岳へ向かう道に入る。地図で見るより急な道だったが、山伏平から約15分ほどで目的地の矢倉岳(870m)に到着した。初めて訪れた山頂は中央に鐘が設置されており、広々として富士山や相模灘の眺めも良く、気持ちの良い場所だった。

矢倉岳山頂

山頂から箱根の山々(煙が出ているのが大涌谷)

 30分ほどコーヒーブレイクを楽しんだ後、山頂を後にする。山伏平から万葉公園へ向かう尾根道は、ほど良いアップダウンの歩き易い道が続く。快適な登山道は万葉公園までで終わり、そこから足柄峠まで行き交う車を気にしながら車道を歩く。足柄城址や関所跡など見所多い足柄峠は、ドライブを楽しむ大勢の行楽客で賑わっていた。

万葉公園へ向かう尾根道

万葉公園の東屋

万葉公園の駐車場

足柄峠の関所跡

峠の聖天堂

足柄城址

 我々は賑わいを逃れるように、峠から足柄古道を降って行く。足柄古道は昔の旅人が峠を越えた道で、クネクネ曲がった車道をショートカットするように続いている。昔の面影を残す古道はほど良い傾斜で、心地よく降って行ける。地蔵堂近くまで降ると、先程登った矢倉岳の丸い山容を仰ぐ事ができた。

足柄峠の古道入口

気持ちの良い足柄古道の降り

矢倉岳を望む

 登山口へ戻って来ると、行楽の人々で凄い賑わいだ。地蔵堂の隣に在る「足柄古道万葉うどん店」でうどんを食べたかったが、長い行列を見て諦めた。矢倉岳一帯の山々は金太郎伝説や古い歴史の面影を残し、富士山や箱根の山々など眺望にも恵まれて、充実した山歩きを堪能できました。

 今宵は休暇村富士に泊り、後期高齢者に突入する私の誕生日を祝います。

地蔵堂へ戻って来た

駐車場は満杯状態

足柄古道万葉うどん店も行列ができている

道の駅足柄・金太郎のふるさとから望む矢倉岳

休暇村富士

 

 

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CT検査の後は都内の紅葉見物へ

2024年12月05日 | 日記

 CT検査を終えてG病院を出たのがAM10時半頃、しばらく東京へ来れないので都内の紅葉見物でもする事にした。最初に地下鉄半蔵門線の九段下駅で下車して、日本武道館がある北の丸公園へ向かった。

 九段下駅から5分ほど歩いてお堀を渡り田安門を潜り公園内へ入ると、巨大な日本武道館が迫って見える。北の丸公園は森や池、小川のせせらぎなどを配し、無料で見物できるのがありがたい。

外堀の千鳥ヶ淵

田安門

日本武道館

 平日ながら小学生の団体や行楽の人々が訪れて、ソコソコの賑わいでした。紅葉は遊歩道沿いに盛りを迎えていましたが、春の桜に比べると少し見劣りがします。

園内の池

広場では小学生の団体が食事中

園内の紅葉

同 上

 公園内をグルリと一周した後、隣接する靖国神社へ向かった。黄色く彩づいたイチョウ並木を従えて聳え立つ、入口の巨大な第一大鳥居は中々壮観な眺めです。境内には多くの人が参拝客の姿があり、外国人グループも大勢見掛けました。私も本殿でお賽銭を投じ合掌して、我々夫婦の健康成就&世の平穏を願いました。

神社の参道入口から北の丸公園方面

巨大な第一大鳥居

第一大鳥居の奥に立つ大村益次郎の銅像

第二鳥居へ向かう

第二鳥居の奥に拝殿

 靖国神社を出ると神保町の本屋街を歩いてミズノスポーツ直営店を訪れた。ジョギングシューズが古くなってきたので、買い替えようと思っていたのです。

神保町の本屋街

 久しぶりに訪れた店内は外国人客の姿が目立ち、「ミズノもインターナショナルになったもんだなあ」と、大株主の立場として嬉しく思いました。株主優待券を使って20%割引でランニングシューズを購入し、お店を後にした。

 その後秋葉原駅から山手線で上野へ向かい、上野公園内を散策した。ここは桜の花見で有名だが、紅葉は今一つの感じです。それに人混みが凄くて何だか落ち着けなかった。

上野駅公園側出口の大イチョウと奥にスカイツリー

春の桜が美しいさくら通り

上野東照宮

国立博物館前(関東地区の錦鯉品評会が開催されていた)

 今日は手軽な紅葉見物のつもりだったが、けっこう歩いたので上野駅から電車に乗る頃は疲れで脚が重くなっていた。疲れて汗を流した後は冷えたビールが一番のご褒美、池袋の食堂で飲んだ締めの生ビールが喉越しに至福の味です。最後に自分の顔を紅葉させ、ほろ酔い気分で我が家へ戻りました。

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20年目の節目で最後のCT検査を終える。

2024年12月03日 | 日記

 11月29日(金)

 毎年恒例のCT検査を受ける為、都内世田谷区の病院を訪れた。検査を異状無く終えて1時間後に担当医の説明を受ける。「血液検査もCTの映像も特に問題はありませんでした。」と、まず検査結果を教えてくれた。

 続いて・・「ところでFさんも胃ガンの手術を受けてから丁度20年目、術後の検査も節目を迎えたと思いますが、今後どうされますか?」と尋ねられた。 言葉つきは「どうされますか?」だが、「これで検査は終わりにしませんか?」という裏音声が聞こえてくる。

 今年7月の胃カメラ検査でも担当医から検査終了を臭わす言葉を言われていたので、少しは覚悟ができていた。私「お願いすれば今後も検査を継続できるんですか?」、医師「病院は構いませんが、Fさんも遠い所から通院で大変でしょうから近場の病院で検査を受けた方がいいのでは・・」私「イエ、東京見物も兼ねて通院するから、ちっとも苦ではないんですけど・・ここで私が決めなきゃならないですよね?」、医師「そうですねぇ」 

 慇懃ながら、医師は明らかにお断りムードです。私が生まれた九州では、未練がましい男が一番軽蔑される。ここが九州男児決断の時、「もう、これでよかですばい。」と検査の終了を承諾した。マア要経過観察対象者から一般人に健康度がUPしたのだと思えば、少しは気分も前向きになれる。

 支払いを終えて病院の外へ出ると、通い慣れた堂々たる病院の建物を振り返る。もうここへ来る事は無いんだと思うと、突き離されたような一抹の淋しさを覚える。又必ずここへ戻ってこよう・・・・アッ戻って来ちゃマズイんだった。

お世話になった都内のG総合病院

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