Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№121長野・富山県境爺ヶ岳(3百名山)

2023年10月25日 | 三百名山回顧

 名峰雄峰が群雄割拠する北アルプスでは、信州信濃大町の西に聳える爺ヶ岳はチョット地味な存在です。三つのピークが並んだ山容は穏やかで、名前からして爺ヶ岳と老け込んでいます。

 そんな爺ヶ岳なのでこの山を目指してというより、後立山縦走や鹿島槍ヶ岳登山のついでに山頂を踏んだという登山者が多いのではないでしょうか。私も昭和55年に初登山して以降何度か山頂を踏みましたが、いずれも後立山縦走の折りでした。

 しかし平成24年の10月に、親しい山仲間達と一緒に日帰りで爺ヶ岳を登った事がありました。それが実に楽しかった思い出で、古いホームページに記録が掲載されていたので、下記に転載してみます。

 

平成24年10月16日(火) 北ア、爺ヶ岳      天気=晴れ

06:54柏原新道登山口→ 09:07一枚岩→ 10:48~11:11種池山荘→ 11:35~37爺ヶ岳南峰→ 11:47~12:18爺ヶ岳中央峰→ 12:45~13:17種池山荘付近→ 14:41一枚岩→ 15:49柏原新道登山口

 山仲間のS夫妻&I夫妻と一緒に登山するのは去年秋の会津、小野岳大嵐山以来1年ぶりです。皆さん何だかんだと忙しく、今日の北ア、爺ヶ岳登山は久し振りに賑やかな山行となりました。そんな我々に天気も味方して、今朝は爽やかな秋晴れです。
 黒部アルペンルートの扇沢ターミナル近くにある柏原新道登山口を、AM7時前に出発する。ヒンヤリ冷えた大気が心地よく、汗も掻かず快調に登って行く。爺ヶ岳南尾根の西斜面をトラバースするように刻まれた柏原新道は、適度な傾斜と良好な整備で登山者が安心して歩ける好ルートです。

柏原新道登山口

 樹林帯の道を黙々登って行くと、樹林越しに展望が垣間見えてく

る。扇沢ターミナルの施設が眼下に小さく見え、その奥に鋭鋒、針ノ木岳へ突き上げる針ノ木沢雪渓の全貌が確認できます。


眼下に扇沢ターミナル駅と奥に針ノ木岳

 やがて石のケルンが建つ休憩ポイントに着いた。「この先危険転落注意」と書かれた標識がある。此処から200m程は急斜面を横断する道だが、道幅も広く危険を感ずる程ではない。この辺りから樹相が黒々した針葉樹林から落葉樹に変り始め、紅葉が艶やかになってきた。次々ビューポイントが現れるので、脚が中々前へ進まない。

紅葉の登山道
 上から大荷物を背負った若者の集団が降ってきた。昨日小屋閉めした種池山荘の従業員達だった。小屋が昨日で営業を終えた事はネットで承知していたが、もしかしたら残り物のビールを飲めるのではという淡い期待が消滅してしまった。

落石要注意地点
 稜線に建つ種池山荘がだんだん大きく見えてくる。登山道が左に鋭角に曲る所は岩の集積した急斜面で、時折落石もあり要注意箇所だ。此処を通過すると何度か屈曲しながら登り稜線上の種池山荘に着いた。固く戸を閉ざされた山荘の周囲は素晴らしい展望で、今まで今まで見えなかった立山・剣連峰のギザギザした稜線が姿を現した。

種池山荘から登って来た道(遠く富士山が見える)

山荘から爺ヶ岳
 ギックリ腰から回復したばかりの I (旦那)さんは此処に留まると言い、残る5人で爺ヶ岳を目指す。山頂まで1時間も掛からないので、私は一人先行させてもらう。大展望の稜線上に刻まれたジグザグ道を息を弾ませ登って行くと、アドレナリンが噴出して気持ちが高揚してくる。

登山道から種池山荘と背後に立山・剣連峰
 山荘から24分で南峰に着き、後続の仲間を確認後、最高点の中央峰へ向う。その途中の鞍部で、降りてきた単独の男性が「その先に雷鳥がいますよ。」と教えてくれた。その言葉通り1羽の雷鳥がハイ松の中で一生懸命食事中だった。彼(女?)の身体の一部は雪山に備え、白く変身しつつあった。鞍部から一投足で爺ヶ岳中央峰(2670m)に着いた。


食事中の雷鳥

 秋晴れの澄んだ大気の中で山頂からの眺めは絶景の一言、見渡す限り北アルプスの殆んどの山々視界に望め、遠くは富士山や八ヶ岳、浅間、南アルプス等の山々も確認できる。特に鹿島槍ヶ岳と立山・剣連峰の眺めが圧巻だ。後続して来た仲間と共に山頂で記念写真を撮る。標高差1300m余の日帰り登山は楽ではなかったけれど、その労は充分報われた思いがする。


爺ヶ岳中央峰っ山頂

山頂から鹿島槍ヶ岳

中央峰から南峰と奥に針ノ木岳方面

下山の道(右に岩小屋岳、左に針ノ木岳)

 山頂を後に I さんが待つ種池山荘近くまで降り、全員で残った果物やお菓子を食べながらのブレイクタイム、食事を終えると往路をゆっく下山の途につく。時折りカラカラと落石音が聞こえる。岩小屋岳の方に眼を転じると山頂直下の崖で大規模な落石が発生し、まるで火山の噴火のように土煙が立ち昇っていた。

岩小屋岳直下、落石の土煙
 PM16時頃全員登山口に戻ると、大町温泉郷の薬師の湯で登山の汗を流す。その後地元の池田町在住のF氏夫妻と合流して一緒に会食する。F(旦那)さんは以前から留学生のボランティアに尽力しておられ、今年の夏には世話した元留学生に呼ばれてキルギスタンへ行ってきたそうで、その旅行話が大変興味深かった。

 奥さんのS子さんとは30年以上前からの山仲間で、会うと懐かしい思い出が甦る。その夜はF氏の簗場にある別荘に泊めてもらい、別荘で育てたナメコをお土産に頂き、翌日我家へ戻った。

Fさんの別荘にて

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日本三百名山回顧№120長野・富山県境、鹿島槍ヶ岳(百名山)

2023年09月23日 | 三百名山回顧

 信州安曇野の西側に屏風のように連なる後立山連峰の中で、一際目立つ優美な山が鹿島槍ヶ岳です。吊り尾根を挟んで南峰と北峰二つのピークが並び立つ双耳峰で、その美しい山容は後立山連峰の盟主と言うべき存在です。

 そんな鹿島槍ヶ岳を最初に登ったのは昭和52年の夏、白馬岳から後立山連峰を縦走した時に山頂を踏みました。2回目は昭和54年9月末に後立山連峰の唐松岳から針ノ木岳まで縦走した時で、アルバムにその時の写真が幾つか残されていました。

昭和54年9月28日(金)~30日(土)

唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~針ノ木岳

鹿島槍ヶ岳北側直下の難所八峰キレット

鹿島槍ヶ岳山頂

鹿島槍ヶ岳から冷池小屋に向かう尾根

 

 3回目は昭和60年5月の連休に岳友F君と二人で残雪の五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳を縦走しました。これも私の山歴の中で、想い出多き忘れ難い山行でした。その時の記録が当時所属していた山岳会の古い会報に載っていたので、鹿島槍ヶ岳の部分を抜粋して下記に転載してみます。

昭和60年5月3日(金)~5日(日)

五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳       参加者 Y・F、 H・F 男2名

 ・・五竜岳から、稼いだ高度を勿体ないほど落としながら小さいピークを次々と越えて行く。途中で人見知りしない雷鳥たちが絶好の被写体となって、単調な歩みの我々を楽しませてくれる。

 キレット小屋で再びアイゼンを装着し、「さあ、これから難関の八峰キレットだ」と心を引き締める。キレットへの降りはシュルントの裂け目に落ちそうで、登りは嫌らしいトラーバス、固定ロープが無ければザイルのお世話になるところだ。

 反対から来た大学生パーティがザイル操作にもたついたお陰で、中々前へ進めない。夏のキレットは話ほど大した事無いが、雪が付くとさすがに厳しい。

 キレットを抜け、いよいよ鹿島槍への登りだ。重荷に喘ぐ我が身に「これが最後だ」と言い聞かせながら、やっとの思いで吊り尾根のコルに着いた。北峰を空身でピストンし、南峰に着くとたくさんの登山者が思い思いに周囲の景色を楽しんでいた。

 我々も今までの疲れと緊張を解きほぐしながら、歩いて来た五竜岳からの尾根を安堵の思いで眺める。正月以来の雪山で随分心配もしたが、やっぱり来て良かったなあとつくづく思う。

鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳方面

 その晩、冷池のテント場で大きな満月に照らされて寝たのだが、翌朝目覚めて空を見ると三日月になっている。しばらくキツネにつままれた思いでいると、「月食だ」と言うF君の声で原因が分かった。

冷池テント場から鹿島槍ヶ岳

 な~んだとも思ったが、これも今まで頑張った我々に対する天のささやかなプレゼントかなと柄にもない気分になった。「月食と鹿島槍」これも山行の忘れられない思い出となるだろう。

 あれから40年以上の歳月が過ぎましたが、F君とは今でも古き良き山友です。

 

 

 4回目は平成7年8月に山仲間のF子さんと我々夫婦の三人で、テントを背負い鹿島槍ヶ岳から五竜岳~唐松岳まで縦走しました。今より随分若かったとは言え、キレットなど危険な岩場の多いコースを思い幕営装備を背負ってよく歩いたなあと思います。

平成7年8月11日(金)~13日(日)

鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳

鹿島槍ヶ岳南峰から爺ヶ岳方面

鹿島槍ヶ岳山頂

山頂から五竜岳方面

北峰直下の北壁とカクネ里の雪渓

難所、八峰キレットの通過

 

 最後となる5回目は、平成17年5月に単独爺ヶ岳を経由して鹿島槍ヶ岳を登りました。この時の山行記録が古いホームページに載っていたので、下記に転載してみます。

5月22日(日) 天気:曇り後雨

05:53柏原新道登山口→06:47南尾根分岐→08:50~09:09南尾根JP→10:10~10:30爺ケ岳南峰→11:20赤岩尾根分岐→11:32冷池山荘

 前夜は扇沢の駐車場で車中泊し、AM6時柏原新道登山口より歩き始める。「午後から雨」の天気予報にあまり気分が乗らない。途中から夏道を離れ尾根筋の道に入る。笹や枝の煩い歩き辛い道だ。樹林の中、我慢の急登を続けポッと雪原に出た。
 視界が開け行く手に爺ケ岳の稜線が聳え、背後には安曇野平が見渡せる。緩やかな雪道をしばらく歩き最後に岩屑の道を急登し爺ケ岳南峰に辿り着いた。
 高曇りの空の下、鹿島槍を始めとする後立山の山々が残雪をまとい連なって見える。爺ヶ岳を出発した頃からポツポツ雨が降り出したが、衣服を濡らさぬうちに何とか冷池山荘に到着した。今日はテント泊の予定であったが雨に濡れるのが嫌で小屋泊まりに変更した。

 

5月23日(月) 天気:晴れ後曇り

05:57冷池山荘→06:50~06:59布引山→07:38~08:00鹿島槍ヶ岳→08:26布引山→09:00~09:26冷池山荘→09:40赤岩尾根分岐→10:39~10:48爺ケ岳中央峰→11:04~11:18爺ケ岳南峰→11:58南尾根JP→12:40~12:44 1920m地点→13:44柏原新道登山口

 朝、外へ出ると青空が広がっている。昨日の雨が雪に変ったのか、稜線の山々は真っ白に変貌している。天気予報が悪かっただけに嬉しい誤算です。
 朝食を済ますと慌しく出発。辿る雪道はアイゼンとピッケルが良く効いてまるで冬山気分。周りの景色を楽しみながら登り鹿島槍ヶ岳へ到着、吹く風があまりに寒くて自撮りする事ができない。山頂からは二昔前、F君と歩いた五竜岳の鋭い山容が姿を現し懐かしい。しばらく周囲の眺めを堪能した後往路を下山する。

登山コースから左より布引山、鹿島槍南峰、北峰

登山コースから西に望む立山(左)、剣岳方面(右)

布引山より鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳山頂(南峰)

南峰より望む北峰

山頂より爺ヶ岳方面

下山の道より振り返る布引山

 冷池山荘で荷物を回収し、爺ケ岳経由で扇沢に下山、途中爺ヶ岳の降りで右靴底が剥がれたが、テープで固定してさほど支障はなかった。
 下山後大町温泉の露天風呂で後立山連峰を眺めると、稜線は既に厚い雲の中であった。温泉を出ると池田町に住む山友のF子さん宅を訪ね、久し振り旧交を温めた。その後中央道を経由して帰宅の途についた。

 

 鹿島槍ヶ岳は超健脚で無ければ一日で辿りつけぬ遠い山、今後里から眺める事はあっても山頂を踏む事は無いでしょう。

 

    ・・「双耳の、姿麗し鹿島槍」・・

 

 

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日本三百名山回顧№119長野・富山県境、五竜岳(百名山)

2023年08月28日 | 三百名山回顧

 五竜岳は白馬岳、鹿島槍ヶ岳と共に、北アルプスの後立山連峰を代表する名峰です。東山麓の安曇野からは、五竜菱と呼ばれる岩壁を纏った勇壮な山容を眺める事ができます。

 私が五竜岳を登ったのは、昭和52年の夏に白馬岳から針ノ木岳まで縦走した時に山頂を踏んだのが最初でした。その後も昭和54年の9月、昭和60年の4月、平成20年の5月、平成22年の8月、最後は令和3年9月と、過去に何度も訪れています。

 これらの山行の中で最も印象深かったのは、昭和60年5月連休に岳友のF君と二人で歩いた、五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳の雪山縦走でした。当時の山岳会会報に私が書いた山行記録が残されていたので、概略を転記してみます。

         記

昭和60年5月3日(金)~5日(日)    メンバー= Y/F、  H/F、 男2名

5月3日(金) 快晴

08:00 テレキャビン山頂駅→ 08:40地蔵の頭→ 09:50~10:00小遠見山→ 10:15大遠見山→ 13:10五竜小屋前

5月4日(金) 快晴

05:15五竜小屋前発

06:07~25五竜岳

 

 ロープウェーに乗って、一汗も掻かずにテレキャビン山頂駅へ着いた。これから登る遠見尾根が白銀の背骨をウネウネと白岳へ突き上げているのが真っ青な空の下によく見える。

 五月連休の会山行は北アの五竜岳~鹿島槍ヶ岳となり、結局参加者は言い出しっぺの私とF君の二人だけになった。何とも淋しい限りだが健脚の彼となら互いに気をつかわずに済むし、何より残雪に輝く雄大な山々がそんな気持ちを吹き飛ばしてくれる。

 しっかりしたトレイルを辿り身体が馴染まぬまましばし急登に喘ぐと小遠見山に到着、ここから眺める鹿島槍は、北壁を正面に息を飲む迫力だ。山に来た喜びを噛みしめる。

遠見尾根、白岳直下の登り?

 遠見尾根のゆったりとした起伏を辿り五竜岳が間近になると、その東壁の各ルンゼから絶え間なく雪崩が生じ、轟音が谷間に響き渡る。白岳への長い急登を頑張ると、屋根だけ現れた五竜小屋へ到着した。テントを張り終え、まずはビールで乾杯。それから夕刻までの長い時間は雪上の日光浴としゃれこんだ。

五竜小屋テント場から望む五竜岳

 2日目、快晴。朝冷えでクラストした雪面にアイゼンがよく効いて、急な斜面を気持ちよく五竜岳へ登る。山頂へ登ると視界が広がり鹿島槍までの稜線が手に取るように見える。今冬の積雪が少なかったせいか稜線西側はほとんど地肌が露出している。・・・

五竜岳山頂直下の痩せ尾根

五竜岳山頂から鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳山頂から五竜岳

岳友F君と私(冷池小屋幕営地で)

・・・・・その後の記録は、次回の三百名山回顧「鹿島槍ヶ岳」で掲載します。

      

 ※平成20年の5月連休にも雪の五竜岳を登ったが、その山行記録が古いホームページに載っていたので、下記に転記してみたいと思います。

        記

平成20年5月2日(土)~3日(日)     単独

5月2日(土) 天気=晴れ 

08:35~09:00テレキャビン山頂駅→ 10:22~35小遠見山→ 10:53中遠見山→ 12:21西遠見山→13:08五竜山荘(幕営)

 連休の渋滞を覚悟していたが、AM2時半早朝出発が功を奏して花園ICで小渋滞にあった他はスンナリ走ってAM7時過ぎ、五竜遠見スキー場に着いた。山麓に殆ど雪はないが、稜線にはタップリ残雪があるようだ。運行前のテレキャビン山麓駅には登山者が約30~40名、スキーヤーはその倍以上列を作って待っている。

 8時15分運転開始で、テレキャビンに続々と客が乗り込んでいく。山頂駅に着くと慎重に装備を点検準備して出発する。地蔵ノ頭下まで、リフトに乗って行った登山者達もいるようだ。

 歩いて数分もすると額から汗が滴り落ち、雪面からの照り返しが強烈だ。今回セルロイドの中敷板を自作して、登山靴とアイゼンの間に付けている。雪の付着防止用で中々歩きやすい。ただ薄いので最後まで保つか自信はない。又、アイゼンのサイズが大き過ぎて、前後に動くのが不安だ。ガッチリ固定したから外れる事は無いと思うけれど。

小遠見山山頂

 1時間半で小遠見山到着。鹿島槍や五竜岳の展望が素晴らしい。これから進む遠見尾根が中遠見、大遠見、西遠見のピークを経て白岳に突き上げている。五竜小屋まで先は長い。

長々と続く遠見尾根と五竜岳

 だんだんと調子が出てきた。日本縦断歩き旅の成果だろうか、足の筋肉に余力がある。先行する登山者達を次々抜いて行く。中遠見山の標識は出ていたが大遠見山、西遠見山は雪に埋もれ地形で察するのみだ。登るにつれカクネ里から鹿島槍北壁の眺めがヒマラヤ峰を見るように雄大だ。

大遠見山から望む鹿島槍ヶ岳

 最後の登りは白岳経由ではなく、五竜山荘目指して山腹を横切るようにトレイルは刻まれている。「雪崩が起きないだろうか。」とヒヤヒヤしながら登った。

西遠見山から白岳への登り

 稜線のテント場に着くと、さっそくテンのト設営に掛かる。すると突然支柱がポッキリ折れてしまった。山荘の人から粘着テープを借り、1時間掛けて何とかテントを設営できたが、すっかり気落ちしてしまった。もう15年以上使った物だから寿命なのか。今夜強風が吹かないで欲しいと祈るばかりです。午後のビールは、砂漠に落ちた水のようにアッという間に飲んだ。

五竜小屋前でテント泊

5月3日(日) 天気=晴れ

05:55五竜山荘→ 06:49~07:05五竜岳→ 07:51~08:36五竜山荘→ 09:01~11西遠見山→ 09:58中遠見山→ 10:14~26小遠見山→ 11:06テレキャビン山頂駅

 時折風は吹いたが、テントは一晩持ち堪えてくれた。ラーメンだけの朝食を終えると行動食を持ち五竜岳へ出発する。登るにつれ傾斜が強くなり、トラーバスや雪壁の登りで緊張感が高まる。早朝の硬い雪面に一歩足を滑らせれば谷底へ真っ逆さまだ。

 20年以上前の5月、F君と二人鹿島槍へと縦走した時、ここはアイゼンとピッケルが効いて快適な登りだったという印象だったが、それは若さ、それとも岳友がいる心強さだったのだろうか。

五竜岳山頂直下の痩せ尾根

 ナイフリッジのピークを越えて、最初に着いたパーティと入れ替わるように誰も居ない五竜山頂へ着いた。素晴らしい展望が広がる。西は黒部川越しに剣岳から毛勝山塊へノコギリ歯のような稜線が連なり、北は唐松岳、不帰岳を経て白馬三山が望め、南は鹿島槍がキレット越しに聳え立ち、オイデオイデと誘っているように見える。いつまでも飽きない眺めだ。

五竜岳山頂

山頂から鹿島槍ヶ岳

 後続のパーティが登って来たので山頂を後にする。続々登ってくる登山者に幾度か道を譲りながら降る。テント場に着くと山頂を振り仰いでしばらく休憩する。テントの撤収を終えると下山にかかる。

 降りは快適だ。西遠見山で振り返ると白岳の大斜面を登山者達が点々とアリのように降っているのが見える。一人スキーの登山者がアレヨアレヨという間に滑り降りて来る。彼には大遠見山付近で簡単に抜かれてしまった。

 小遠見山で五竜岳と鹿島槍ヶ岳に別れを告げ、スキーヤーの舞うゲレンデを突っ切りAM11時過ぎテレキャビン山頂駅へ戻って来た。

 テントの支柱や雪付着防止の靴中敷板が壊れたりと幾つかのアクシデントもあったが、二日間好天に恵まれて、実に楽しい山行でした。下山後、白馬村「岳の湯温泉」で湯船に浸す顔が真っ黒でヒリヒリする。これが私にくれた雪山からのお土産です。

・・「五月晴れ、雪崩絶えまぬ五竜岳」・・

 

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日本三百名山回顧№118長野・富山県境、唐松岳(3百名山)

2023年07月29日 | 三百名山回顧

 北に白馬岳、南に五竜岳、鹿島槍ヶ岳など名峰、雄峰が連なる後立山連峰の中で、標高の低い唐松岳はチョット影の薄い存在です。しかしその山腹に広がる八方尾根は日本屈指のスキーゲレンデで、ゴンドラ、リフトなどの交通アクセスが良い事から、北アルプスでは数少ない日帰り登山可能な山として登山者には人気があります。

 そんな唐松岳を最初に登ったのは、後立山連峰を白馬岳から針ノ木岳まで縦走した昭和52年の8月でした。山頂の写真も残ってはおらず、この時の印象は薄いものでした。

 2回目は平成7年8月に、山仲間のF子さんと我々夫婦の3人で鹿島槍から唐松岳まで幕営縦走した時に山頂を踏みました。この時私の服装を見ると短パンに運動靴姿、まだ若くて元気があったというか山を舐めていた感があります。

 平成7年8月10日~12日  鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳~八方尾根

五竜小屋前のテント場

白岳付近から唐松岳方面

唐松岳山頂

八方尾根の降り

 

 3回目は平成15年8月に、八方尾根を登って唐松山荘でテント泊して山頂を踏み、餓鬼山経由の長い道程を黒部峡谷の祖母谷温泉まで降りました。

 実はこの登山の半年前に私は胃ガンの手術を受けており、病からの回復半ばだったんですが、妻と二人で歩いたこの山行が私に少なからぬ勇気と自信を与えてくれました。

 平成15年8月10日~12日   八方尾根~唐松岳~祖母谷温泉

八方尾根の登り

唐松山荘のテント場

テント場から望む五竜岳

餓鬼山山頂

餓鬼山避難小屋

祖母谷温泉に到着

祖母谷温泉とテント場

 4回目は平成22年8月に、単独で白馬岳から五竜岳まで縦走した時に山頂を踏みました。この時の記録は古いブログに残されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

       クリックしてネ。

 最後に登ったのは令和3年9月で、八方尾根から五竜岳まで縦走した時に唐松岳の山頂を踏みました。これも過去のブログに記録されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

       クリックしてネ。

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日本三百名山回顧№117長野・富山県境、雪倉岳(2百名山)

2023年07月03日 | 三百名山回顧

 富山・新潟県境に聳える雪倉岳は日本二百名山の一座だが、北に朝日岳、南に白馬岳と人気の山が隣接するので北アルプスの中では地味な脇役的存在です。雪倉岳に登った人でも、白馬岳~朝日岳間を縦走した時に山頂を通過しただけという人が殆どじゃないでしょうか。

 我々夫婦も昭和62年8月2日に白馬岳から朝日岳を縦走した時に、雪倉岳の山頂を踏んだだけです。この日は好天に恵まれて、山頂から白馬岳や朝日岳など360度の素晴らしい山岳展望と楽しむ事ができました。又豊富な残雪と美しい高山植物の群落が強く印象に残っています。

白馬岳から雪倉岳(右手前)と朝日岳(左奥)

雪倉岳山頂

 花と残雪と展望に恵まれた北アルプスの隠れた名峰に再び訪れたいとは思っても、日帰りでは山頂に到達できぬ健脚コースの山なので、今では「遠きに在りて想う山」となってしまいました。

 

・・「雪倉は、花と残雪映える山」・・

 

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日本三百名山回顧№116長野・富山県境、白馬岳(百名山)

2023年06月15日 | 三百名山回顧

  信州白馬村の西に高く聳える白馬岳は、槍穂高連峰と共に北アルプスを代表する人気の山です。中でも大雪渓から白馬岳のコースは人気が高く、私も登山を始めて間もない頃の昭和52年の夏に、このコースから白馬岳を登りました。

 この時は3泊4日で白馬岳針ノ木岳まで縦走し、一回の山行で5座の日本三百名山を登頂しました。その頃経験の浅かった私に、ダイナミックな山の魅力を教えてくれた山行でした。

 昭和52夏(期日不明?)

猿倉~白馬岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~針ノ木岳~扇沢

大雪渓へ向かう林道から白馬岳

白馬大雪渓出発地点

大雪渓に続く登山者の列

白馬岳から杓子岳方面

白馬岳山頂

 次に登ったのは昭和62年の7月末、白馬岳から朝日岳を妻と二人で縦走しました。(前回の北ア、朝日岳で紹介済み)

 3回目は平成12年の8月に、岳友のE子さんと我々夫婦の3人で白馬槍温泉から白馬岳へ登り、長い下山の道を降って黒部峡谷の欅平まで歩きました。日本一高所の白馬槍温泉や清水岳に咲くコマクサの群落など、このテント泊山行も思い出多きものでした。

平成12年8月15日~18日

猿倉~白馬槍温泉~白馬岳~祖母谷温泉~欅平

白馬槍温泉に向かう小日向のコル付近

小日向のコルから白馬槍温泉方面

白馬槍温泉のテント場

白馬槍目指して登る

白馬槍の稜線間近

登山道で出会った雷鳥

稜線の白馬槍温泉分岐(背後の山は白馬槍ヶ岳)

白馬槍ヶ岳山頂

白馬槍ヶ岳から杓子岳(右手前)と白馬岳(左奥)

杓子岳手前の登山道から白馬槍ヶ岳

杓子岳山頂?

杓子岳の降りから白馬岳への道

白馬岳から清水岳へ降る尾根

清水岳山頂付近

 

 その後、平成22年8月には単独で白馬岳から五竜岳までテント泊縦走しました。この山行は私の古いHPに記録が残されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

   let' s touch 

 実は2年前の7月末にも、大雪渓から白馬岳を目指したのですが、この時は妻が暑さで足に痙攣を起こし、登頂する事はできませんでした。70歳を過ぎた高齢者には、白馬岳は遠い山なんだなあと実感させられた山行でした。でももう一度チャンスがあれば、白馬岳山頂からの景色を眺めてみたいものです。

 

    ・・「老骨に、今では遠き白馬岳」・・

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日本三百名山回顧№115新潟・富山県境、朝日岳(3百名山)

2023年05月14日 | 三百名山回顧

 細々と続いている三百名山回顧ですが、いよいよ名峰、雄峰目白押しの日本を代表する山岳地帯北アルプスへ突入します。まずは北の方から富山・新潟県境に聳える朝日岳です。標高2418mは北アルプスの中ではそれ程高くないが、富山湾沿岸から眺めると、ゆったりとして堂々たる山容を望む事ができます。

 最初に朝日岳を登ったのは昭和62年の夏、妻と二人で栂池スキー場から白馬岳~雪倉岳~朝日岳を縦走し、蓮華温泉へ降った幕営山行でした。この時はいろいろアクシデントがありました。

 まず白馬岳テント場でテントを張った初日に大雨強風の荒天に見舞われ、支柱は曲りテントが吹き飛ばされそうになって(実際に風船玉のように飛ばされたテントもあった)、慌てて白馬岳頂上小屋へ避難、そのまま二日間の停滞を余儀なくされました。

 三日目の8月2日に天気は回復し、朝日岳に向って縦走を開始した。雪倉岳を経由して朝日小屋のテント場で幕営する予定だったが、テント料金をケチって朝日岳北側の白高地と呼ばれる草原にテントを張った。

 その日の夕食を食べ終わった頃に、突然朝日小屋の人が我々のテントを訪ねてきた。無許可の地にテントを張った事を咎められるのかと思ったが、小屋の人の話を聞くと・・「今朝方、蓮華温泉登山口を出発した登山者の中に高齢のご夫婦が居て、その二人だけがまだ小屋に到着していない。ひょっとしたら道の迷った可能性もあるので探しに来た」と教えてくれた。

「何かあったら連絡してください」と言って、山小屋の人は引き返していった。その10分くらい後に、話題にしていた高齢夫婦が我々のテント近くまで登って来たのだった。

 夕闇の中私は慌てて(お~い、お~い)と叫びながら山小屋の人を追いかけ、その後なんだかんだあったものの、結局そのご夫婦は山小屋の人に連れられて朝日小屋へ登って行った。

 結果論だが我々があそこにテントを張っていなかったら、残雪の多い時期なので高齢夫婦は暗闇の中で道を見失い、遭難沙汰になっていたかも知れない。そんなアクシデントがあった事も重なり、この幕営山行は忘れ難い思い出多いものとなりました。

 

 昭和62年7月31日(金)~8月3日(月)

栂池ロープウェイ山頂駅~ 白馬岳~ 朝日岳~ 蓮華温泉

白馬大池

白馬岳テント場付近

白馬岳山頂から朝日岳(左奥の山)方面

雪倉岳の登り

雪倉岳手前のお花畑?

雪倉岳山頂

雪倉岳から白馬岳方面

雪倉岳から朝日岳

朝日岳手前の小桜ヶ原

朝日小屋分地点?

朝日岳を越えて白高地のテント泊地

テント泊地で迎えた朝(背後の山は朝日岳)

 2回目に朝日岳を登ったのは平成6年の9月で、朝日岳から栂海新道を縦走して日本海の親不知まで歩いた山行だった。北アルプスと日本海を繋ぐ栂海新道は、いつか歩いてみたいと思っていた憧憬のコースで、この時は天気に恵まれて朝日岳から日本海の親不知まで計画通りに歩く事ができました。

2日目に泊った栂海山荘から眺めた能登半島や富山湾の風景、そして縦走を終えて親不知海岸の荒波で足を洗った思い出は、一生忘れえぬものです。

 

  • 平成6年9月15日(木)~17日(土)

北又登山口~ 朝日岳~ 犬ヶ岳~ 親不知 

北又小屋の登山口

朝日小屋のテント場

朝日岳への登りから朝日小屋

朝日岳山頂

栂海新道入口地点?

栂海新道、長栂山の降り?

栂海新道から朝日岳を振り返る

登山道から毛勝三山方面?

文子の池

サワガニ山から犬ヶ岳方面

犬ヶ岳山頂

栂海山荘から夕暮れの富山湾と奥に能登半島

親不知の栂海新道登山口

日本海の荒波で足を洗う

 

 

 

 

 

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日本三百名山回顧№114群馬・長野県境、浅間隠山(2百名山)

2023年04月10日 | 三百名山回顧

 「浅間隠山」は角落山塊の最高峰ですが、群馬県の東吾妻村や中之条町方面から眺めると名峰「浅間山」を隠してしまう位置にある為、「浅間隠山」という安易な名前が付けられたそうで、チョット気の毒な山です。

 浅間隠山の中腹を群馬と信州を結ぶ県道54号線が通っている為、県道最高地点の二度上峠から僅か1時間半のコースタイムで山頂へ登る事ができ、三百名山の中では比較的容易に登れる山の一つでしょう。

  又、山頂からは360度の展望で関東甲信越の山々が見渡せ、何より西隣に聳える浅間山が圧巻の眺めです。

 そんな浅間隠山へ登ったのは、平成9年11月初旬の頃でした。当時はまだ元気溌剌としていたので、二度上峠からでは物足らないと、峠下の軽井沢高原別荘地に車を停めて、そこから周回コースで浅間隠山を登りました。

 二度上峠経由で山頂へ向かう道は容易に登れたのですが、山頂から別荘地までの下山道は殆ど廃道化した藪道で、藪漕ぎに難渋しながら降った事を覚えています。それも今では、懐かしい山の想い出の一つとなりました。

 

平成9年11月2日(日)

軽井沢高原別荘地→ 二度上峠→ 浅間隠山→ 鞍部→ 軽井沢高原別荘地

浅間隠山山頂

山頂から八ヶ岳方面

山頂から北アルプス方面

山頂から角落山(手前左端)、妙義山(奥)方面

山頂から浅間山

 

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日本三百名山回顧№113群馬・長野県境、浅間山(百名山)

2023年02月22日 | 三百名山回顧

 浅間山は富士山や男体山と共に、関東平野からその雄大な山容を眺める事のできる名峰です。又現在も活発な活動を続ける活火山の為、最高地点の釜山山頂付近は立入禁止区域になっており、立入可能な外輪山の前掛山が山頂とみなされています。

 最初に浅間山を登ったのは、今から45年前の昭和53年10月の事でした。前日に上野駅発の信越線夜行列車に乗り、早朝信濃追分駅から一人で浅間山に向って長々と続く登山道を歩き始めました。(この道は現在廃道となっているようです)

 ところが前掛山直下の湯ノ平高原まで登って来ると、「通行禁止」の標識で山頂への道が閉ざされています。強行突破する勇気は無く、やむを得ず湯ノ平高原から外輪山の鋸岳~蛇骨岳~黒斑山を縦走して車坂峠へ下山しました。定かでありませんが、その時親切な方がいて、峠から私を車に乗せて下界の駅まで送っていただいたような記憶があります。

昭和53年10月23日(月)

信濃追分駅~湯ノ平高原~鋸岳~蛇骨岳~黒斑山~車坂峠

山麓の草原を登って行く

石尊山?から浅間山南面

湯ノ平高原からトーミの頭方面

トーミの頭山頂?

トーミの頭から仙人岳方面

トーミの頭から湯ノ平高原

 

 2回目に登ったのは昭和61年の10月でした。この時は我々夫婦を含めた山岳会の仲間7名で、車坂峠から浅間山を目指しました。山頂のお釜一帯は立入禁止のはずでしたが、大勢で登った勢いで初めて浅間山噴火口縁の最高地点まで登りました。

 辺りは亜硫酸ガスの臭気が漂い火口の中は凄惨な眺めで、あまり長居はしたくない雰囲気でした。でも途中の湯ノ平高原では野生のブルーベリーやカラ松茸を見つけ、それを採取したりして楽しい山行であった事を覚えています。

昭和61年10月10日(金)

車坂峠~湯ノ平高原~浅間山~湯ノ平高原~車坂峠

トーミの頭山頂

山頂から浅間山

山頂から鋸岳方面

浅間山への登りから外輪山

浅間山噴火口の最高地点に向かう

噴火口縁の最高地点

噴火口内の眺め

 3回目は平成25年7月28日(日)に、妻と二人で浅間山南山麓のあさま山荘から前掛山を往復しました。その時も私一人で噴火口を目指したのですが、ガスで視界が効かず途中で引きかえしました。

 尚、山行の詳細は下記をクリックしてご覧ください。

   見てネ

 

 最後にツービートのパクリで・・「浅間山、皆で登れば恐くない」・・良い子の皆さんはマネしないように。

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日本三百名山回顧№112群馬・長野県境、四阿山(百名山)

2023年01月25日 | 三百名山回顧

 群馬・長野県境に聳える四阿山(アヅマヤサン)は、山麓の菅平高原から眺めると、ゆったりとした女性的な山容で、西隣の根子岳と合わせて眺めれば、豊満な乳房のように見えなくもありません。

 百名山の中では登山コースも容易で、ベストシーズンには多くの登山者で賑わう山です。そんな四阿山へ最初に登ったのは、昭和57年6月13日の事でした。山仲間のNさんと二人で上野駅前夜発の夜行列車に乗り、菅平高原から登ったのですが、何しろ古い話ですからアルバムに残された数枚の写真以外、殆どの記憶は忘却の彼方です。

昭和57年6月13日(日)

菅平高原 → 根子岳 → 四阿山 → 菅平高原

四阿山のツツジ

根子岳から四阿山方面

根子岳と四阿山の鞍部から根子岳方面

四阿山山頂

 2回目は平成19年の9月に、東側のパルコール妻恋スキー場からゴンドラを利用して登りました。その時の記録が私の古いホームページに残されていたので、下記に転載してみます。

平成19年9月29日(土)       天気=曇り時々晴れ

09:43ゴンドラ山頂駅発→ 10:10~10:14第1休憩場→ 10:51茨木山分岐→ 11:09~11:38四阿山→ 11:51茨木山分岐→ 12:16第1休憩場→ 12:47~12:54浦倉山→ 13:00ゴンドラ山頂駅着

 本降りの雨の中、妻と二人四阿山目指して関越道を降る。どうもドライブだけで終わりそうだな。と思っていたが、渋川ICを降りる頃には雨も上がり遠くの空には青空さへ見えてきたので、俄然登山モードになってきた。

 R145を草津方面に走り、やがて左手に白い岩壁の上に緑の帽子を被せたような丸岩が見えてきた。妻と4ヶ月程前に登った山だ。

 その丸岩の真下にある長野原草津口駅を通り、JR吾妻線の終着、大前駅を越えてAM9時過ぎにパルコール嬬恋スキー場のゴンドラ駅に着いた。山頂駅まで往復シニア料金1100円、標高差600mを一気に稼げるのだから安い出費かもしれない。

ゴンドラ山頂駅

 ゴンドラ山頂駅を09:43出発、ここの標高2080m程。四阿山が2354mだから標高差274m、登山というより軽いハイキングという感じだ。

 しばらく歩いて立派な標識がある第1休憩場、雲が多いものの、けっこう視界が効いて、志賀の山々や遠く北アルプスの稜線も望む事ができる。

 前夜の雨のせいか泥濘の道が続く。水平の道からだんだん登りが増え、茨木山分岐を超えて一登りすると細い稜線上、岩場のある前山の奥に鋭く尖った四阿山頂が見えた。長野側から見るとたおやかな山容なのに、群馬側からだと印象が180度違う。

 11:09四阿山到着、1時間27分程で着いてしまった。さして広くもない山頂は登山者達で大賑わい。アプローチが容易で何と言っても百名山なのが人気の秘密なのだろう。

四阿山山頂

 とは言え2300mを越す山、展望は抜群だ。上信越から北アルプスまで多くの山々を見渡せる。太平洋岸に前線が停滞しているせいか、南側は見渡す限りの雲海、浅間山は雲に隠れて頑なに姿を見せない。

山頂から根子岳方面

山頂から志賀高原方面

 食事を終えると来た道を戻る。帰りは何組かの団体登山パーティとすれ違うが、紙に書いた自前の標識をコース上にやたら置いていくのは感心しないマナーだ。

 ゴンドラ山頂駅近くに戻ると反対側にある浦倉山を30分程かけて往復する。ついでに行っとこうという感じで展望もなく、ただ登っただけの山頂だった。

浦倉山山頂

 ゴンドラで下界に降りると、帰りは須賀尾峠からR406を通り高崎を経由して藤岡ICから関越に乗り、PM5時過ぎ我家に戻った。

 大した歩きじゃなかったけれど、取りあえず9月中に1回山に登ったとノルマをこなした心境だが、丸岩~菅峰以来4ヶ月ぶりに山を歩いた妻にとっては、良いリフレッシュとなったようです。

 

 3回目は平成29年6月22日のツツジが咲く時期に、山仲間のF家ファミリーと一緒に菅平高原から登った。天気も良くて山行は楽しかったのだが、実は前日のお昼過ぎに、私は居眠り運転で物損事故を起こしており、実のところ傷心の登山だったのです。

 写真に写る笑顔は何となくぎこちないが、今になればそれもほろ苦い思い出です。山行の詳細は下記をクリックしてご覧ください。

   クリックしてネ

 

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日本三百名山回顧№111群馬県、武尊山(百名山)

2022年12月13日 | 三百名山回顧

 群馬県北部に聳える武尊山は、幾つものピークを持つ雄大な山だが、谷川岳や赤城山、日光白根山など人気の名山が周囲にあるせいか百名山の中では地味な存在です。

 その武尊山へ最初に登ったのは、昭和58年10月2日(日)の事でした。遠い昔の話で記憶も朧気ですが、前夜は川場村の旭小屋に泊り居合わせた地元の人達の宴に誘われてご馳走になった事を覚えています。

 翌朝早く小屋を出発し、不動岳から前武尊山を経由して最高峰の沖武尊山(2158m)に登頂、その後利根川沿いの上の原入口バス停まで長い道程を降りました。

前武尊山から沖武尊山(左奥の山)方面

武尊山から剣ヶ峰(右奥の山は谷川岳)

沖武尊山山頂

沖武尊山から登って来た稜線

沖武尊山から剣ヶ峰

沖武尊山から尾瀬の至仏山(左)と燧ケ岳(右)

武尊山の降りから利根川上流の谷間

下山の道から沖武尊山を振り返る

 2回目は、平成15年9月15日(月)に片品村のほたか牧場から、妻と二人日帰りで沖武尊山を登りました。この時山頂は雲に覆われて展望も無く、数枚の写真がアルバムに残されただけで記憶の薄い山行でした。

ほたか牧場の白樺林

登山道から岩鞍スキー場方面(下界は晴れていたようだ)

武尊山山頂

 3回目は平成23年9月8日に、水上町の武尊神社から単独での山行でした。この時の記録が古いブログに残されていたので、下記に転載してみます。

上州武尊山登山

9月8日(木)   天気=晴れ
06:15武尊神社→ 06:51登山道分岐→ 07:33武尊沢出合→ 08:37~09:00剣ヶ峰山→ 09:53~10:10武尊山→ 11:04~10手小屋沢避難小屋分岐→ 11:42登山道分岐→ 12:12武尊神社


 上州、武尊山は、尾瀬と谷川連峰の間を取持つような位置にある膨大な山塊で,稜線には最高峰、沖武尊を始め幾つかのピークが連なっています。未踏であった剣ヶ峰を今回目指す事にしました。
 深夜割引で高速料金が安くなるので、朝4時前に鶴ヶ島ICから関越道に入る。上里SAで吉野家の牛丼を喰ってエネルギーを注入し、水上ICで高速を降りる。平日ゆえガラガラの一般道を北上し、登山口になる武尊神社には予定より早く6時頃着いてしまった。駐車場には数台の車が停っている。多分登山者のものだろう。

登山口の武尊神社

 手早く準備を終え出発する。この先も林道が伸びているが、ゲートで閉ざされ車は進入できない。少し進むと土砂崩れで道は塞がっていた。これではマウンテンバイク以外は走行できないだろう。
 林道は進むにつれて荒廃の度合いを増していく。数日来の大雨の影響か、道の至る所で流水が迸っている。30分余で道が二手に分かれる。左は手小屋沢避難小屋経由で沖武尊山へ向かう道だ。そのまま直進する。此処からは完全な登山道、幾つか沢を越える。地図に水場マークがある武尊沢を越えると、急登の度合いが強まってきた。
 木の根を掴んで強引に登って行く。いつまでも続く登りに、脚がだんだん重くなる。吹く風が少しづつ爽やかになってきたようで稜線間近な雰囲気、そして沖武尊と剣ヶ峰を結ぶ稜線に飛び出した。右に曲って5分程の登りで、誰も居ない剣ヶ峰(2020m)に到着した。
 山頂からの展望は抜群、爽やかな青空は空きの風情を思わせ上信越の山々が手に取るように見渡せる。秩父山地の奥には富士山まで確認できた。山頂南面の遠からぬ位置に川場スキー場があり、スキーがてら何度も拝んだピークに、今居ると思えば若干の感動がある。

剣ヶ峰から沖武尊山方面

剣ヶ峰から沼田市街地方面

 武尊山最高峰、沖武尊との間にはたおやかな尾根が繋がり、その稜線に一筋の道が刻まれてオイデオイデと誘っているようだ。単独の男性が登って来たのと入れ替わるように、沖武尊へ向け出発する。しばらく進んで振り返れば、剣ヶ峰が鉛筆の芯のように尖って見えた。

振り返って見る剣ヶ峰
 尾根の中間地点まで、緩やかに降って行く。赤シャツの単独男性が向うからやって来た。平日にも係わらず、この山を歩く人はけっこう居るようだ。中間部を過ぎると、今度は登りが続く。山頂間近はキツイ登りだが、爽やかに吹く風と青々しい風景が疲れを癒してくれる。やがて前武尊と沖武尊を繋ぐ稜線に辿り着き、僅かに左へ向かえば武尊山最高峰、沖武尊(2158m)の山頂、周囲の展望は剣ヶ峰にも益して素晴らしい。

沖武尊山山頂

山頂から剣ヶ峰方面

山頂から前武尊山(右端の山)方面

山頂から谷川岳方面

 男性が一人居て話しかけてくる。彼もこの好天に上機嫌の様子、聞けば武尊牧場スキー場から来たとの事。何年か前に妻と二人で登ったコースだ。やがて彼は会釈して、山頂を去っていった。食事がてらしばらく誰も居ない山頂の雰囲気を堪能する。
 食事を終えると、山頂を後に手小屋沢避難小屋経由のコースを下山する。降るにつれ、幾人かの登山者とすれ違う。このコースを選択する人が多いようだ。しばらくすると、緩やかな道は鎖やロープが張られた岩場の降りへと変った。タラタラ降りに飽きていたので、変化に富んだ道は返ってありがたい。

下山の道から沖武尊山
 やがて沢音が聞こえると、手小屋沢避難小屋への分岐、小屋は登山道から右に少し降りた場所にあり屋根だけが僅かに見えた。地図によると此処で道が二手に分かれるはずだが見当たらない。ひょっとして見落としたかなと不安になった頃分岐点に着いた。右は宝台樹スキー場へ降る道、武尊神社と記された左の道を降下する。
 朝方登った林道まで急勾配でグングン降って行くが、道はシッカリしている。武尊山は山岳信仰の山でもあるから、この道も昔から使われていたのであろう。30分程で登山道分岐に降立った。右に曲って休まず林道を登山口へと降って行く。朝方登る時には気付かなかったが、けっこう傾斜のきつい道だ。
 お昼過ぎに登山口の武尊神社へ戻った。時間も早いので、観光名所でもある「裏見の滝」を見物に行って見る。遊歩道を歩いて5分程の所にあり、先日の雨で水嵩の増した滝は迫力充分で中々見応えがあった。

裏見の滝
 見物を終えると水上町の日帰り温泉「ふれあい交流館」へ車を走らせ、山の汗を落した。この温泉は今年6月谷川岳に妻と登った時にも訪れたのだが、地元の人相手の素朴な良い温泉です。料金も割引券を使えば450円と大変リーズナブル、今日も時間が早いせいか入浴客は少なく伸び伸びとお風呂を楽しめた。入浴後、一般道を渋川市まで南下して渋川ICから関越道で夕刻我家へ戻った。

 4回目は今年の3月30日(水)に、山友Jさんと二人で川場スキー場から雪の沖武尊山を往復した。その記録については、下記をクリックしてご覧ください。


 

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日本三百名山回顧№110新潟県、雨飾山(百名山)

2022年10月30日 | 三百名山回顧

  白馬岳など北アルプス北部の山々と、日本海へ注ぐ姫川越しに相対するように聳えているのが今日ご紹介する雨飾山です。標高は2千mに満たないが、山麓から眺めると急峻な山容は個性的で日本百名山の一つに数えられています。

 雨飾山へ最初に登ったのは今から40年以上前の昭和56年5月中旬でした。この頃が人生で最も山に熱中していた時期で、前々週に山岳会の仲間達と穂高連峰を登った勢いで単独で雨飾山登山に向かったのでした。

 前日は秘湯の趣がある小谷温泉「山田旅館」に泊って翌朝早く登山を開始、出発前に宿の人から「今年アンタが初めての登山者かも知れないよ」と言われる。温泉から先は雪深い雪原が続き、何処でも歩く事ができました。山行の記憶は殆ど薄らいでいるのですが、誰一人会わぬ雪山は孤独ではあったけれど痛快な登山でもありました。

56年5月17日(日)

小谷温泉付近から雨飾山?

雨飾高原キャンプ場付近から雨飾山?

荒菅沢、布団菱の岩壁

荒菅沢源頭

ルート沿いの雪崩跡

雨飾山山頂

山頂から東の焼山方面

山頂から西の海谷山塊

 

 ※2度目の雨飾山登山は、西側山麓の以前は梶山新湯と呼ばれた雨飾山荘から山仲間のI夫妻と平成21年7月下旬に登りました。夏の最中で汗びっしょり掻かされましたが、和気アイアイの楽しい山歩きができました。この山行については古いブログの記録が残されていたので、下記に転載してみます。

 平成21年7月27日(月)~28日(火) 天気=曇り時々晴れ

06:55雨飾山荘発→ 07:20~28難所のぞき→ 08:28一ぷく処→ 09:22中ノ池→ 10:18~27笹平分岐→ 10:42~11:45雨飾山頂→ 12:06笹平分岐→ 12:46中ノ池→ 13:19~30一ぷく処→ 14:10難所のぞき→ 14:30雨飾山荘着

 海谷山塊最高峰の雨飾山は、標高2千メートルに届かぬとはいえ姿・形の良い日本百名山に名を連ねる名山だ。妻が珍しくこの山に登りたいと言う。

 前日、長野に向う車中は雨の中。日本列島は梅雨前線がピタリと張り付いている。この天気では明日の登山は無理かなと悲観的気分。

 夜は鹿島槍山麓のFさん別荘に泊めてもらう。今回は I 夫妻と我々夫婦4名で登る予定。朝5時に別荘を出発、国道148号から根知川沿いに登山口のある雨飾温泉まで車で入る。

雨飾温泉への道から雨飾山

 温泉駐車場から海谷三山(鋸岳~鬼ヶ面山~駒ケ岳)の険しい稜線が手の届くような距離で見えている。雨飾温泉はガッシリした建物で風情がある。隣に三角屋根の露天風呂、お風呂は下山してからのお楽しみ。

登山口の雨飾山荘

 準備を終えると出発する。登山道は露天風呂の脇から始まる。地図では登山口から雨飾山頂まで直線距離は2km余、だが標高差は1千メートル以上ありほとんど急登が続く厳しそうな道だ。

 小さなお社の横を通り見通しのない樹林の急坂を I さん(旦那)をトップに登って行く。岩の道はジットリ濡れて滑りそうで嫌らしい。30分程歩いて「難所覗き」と記された標識の所で休憩。蒸し暑くて脱いだTシャツを絞ると汗が滴り落ちる。

 難所覗きの上で少し緩やかになるが再び急登の道、両側がガレた細い尾根を通り、所々ハシゴやロープに頼って登って行く。標高が上がったせいか風が吹き抜け少し楽になった。背後に海谷三山が雲の合間に姿を現し、絵になる眺めだ。

難所のぞき上付近

 山腹を横切るように進むと大部分が植物に覆われた中ノ池、ここから笹平に向け最後の登り、山頂近しで全員の元気度がアップした感じ。急登が少しづつ緩やかになり小谷温泉からの道と合流する笹平の分岐点に到着。

登山道から海谷山塊方面

 山頂台地の笹平は高山植物が咲き乱れる雲上の草原、とても気持の良い所だ。その奥に二つのピークがこんもりとある雨飾山頂が見える。

笹平の草原

 10時40分過ぎ山頂に着く。 I 夫妻は30年以上前に新婚旅行で来て以来、私も30年程前の残雪時に単独で登って以来、それぞれに感慨多きピークである。妻も念願の山に登れて満足の態、思い思いに山頂からの展望を満喫する。

北峰から雨飾山山頂(南峰)へ

雨飾山山頂

 前後して登った関西の4人パーティが、我々に遠慮して北峰で休んでいる。彼(女)らに山頂を譲り下山を開始する。笹平でマラソンランナーみたいな単独男性が登って来た。今、山を走るトレイルランナーというのがブームのようだ。彼には難所覗きの上付近であっさり抜かれてしまった。

 ジメジメして滑り易い急坂を苦労しながら降って行く。3回ほど蛇君と遭遇、我々には濡れて嫌な道も彼らにとっては良い環境なのだろう。

 14時30分雨飾温泉到着。早速露天風呂に入る。さっきまで汗みどろで歩いていたのに、「いい湯だなー」とお風呂に浸るこのギャップ、何とも贅沢&天国の感「シアワセだなー」と呟きたくなる。山の神様は、我々4人の善男善女を評価して、梅雨の合間に好天をプレゼントしてくれたようだ。

 しばらく信州で別荘生活を続ける I さん(旦那)とは信濃大町の蕎麦屋で別れ、我々夫婦と I さん(奥さん)は、雨の中央道をひた走り午後9時前に我が家に戻った。

 

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日本三百名山回顧№109新潟県、青梅黒姫山(3百名山)

2022年08月24日 | 三百名山回顧

 青梅黒姫山は、糸魚川市郊外の日本海を見下ろす位置に在る標高1200m余の低山ですが、日本海の沿岸から一気に聳えているので、山麓から眺める姿は鋭く見応えのある山容をしています。

 その青梅黒姫山へ登ったのは、8年前の平成26年10月25日(土)、この頃は日本三百名山登頂を目指して、車中泊を繰り返しながらひたすら山に熱中している時期でした。

 青梅黒姫山は低山ながら登山口から山頂までの標高差が1200m近くあり、けっこう登りがいのある厳しい道程でした。しかし山頂からの眺めは抜群で、北は茫洋たる日本海、南は北アルプス北部の雄大な山々や頚城山塊など、素晴らしい景色を堪能する事ができました。

青梅黒姫山山頂

 尚、この山行は既に本ブログに掲載済みであり、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

 クリックしてネ。

 

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日本三百名山回顧№108群馬県、草津白根山(百名山)

2022年07月26日 | 三百名山回顧

 久々の日本三百名山回顧、今回ご紹介するのは日本三名湯の一つ草津温泉の西に聳える草津白根山です。この山は、白根山、逢ノ峰、本白根山という三つのピークからなっています。

 最高峰は本白根山(2170m)ですが、火山活動が活発な為に遊歩道以外は立入禁止に規制され、遊歩道の最高地点(2150m)をもって草津白根山の山頂を踏んだという事になっています。

 以前は山頂直下にゴンドラ山頂駅(現在は廃業)があり、近くに草津志賀高原道路も通っているので、草津白根山は誰もが簡単に登れる日本百名山の山でした。しかし2018年1月に本白根山が突然噴火し、噴石による多くの死傷者が出て、それ以降この山への立入は規制され登山禁止の山となってしまいました。

 その草津白根山へ最初に登ったのは、平成6年10月末でした。記憶は曖昧ですが、たぶん草津温泉からバスで白根火山バス停へ向かったと思います。そこから湯釜を見物し、本白根山を経由して草津温泉へと降りました。山は紅葉末期の晩秋で、ハイキング日和の一日でした。

 平成6年10月31日(月)

白根火山バス停➔ 湯釜➔ 本白根山➔ 逢ノ峰➔ 芳ヶ平➔ 草津温泉

白根山、湯釜

本白根山歩道最高地点

本白根山の鏡池(2018年にこの付近で噴火した)

芳ヶ平へ降る道

芳ヶ平?

草津温泉を見下ろす

草津温泉への道

 

 ※ 2回目は平成20年8月12日(火)に、万座温泉から本白根山を登りました。この時の山行記録が私の古いホームページに掲載されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

本白根山への登山道

  クリックしてネ。

※ 3回目は平成24年2月20日(月)に草津温泉へ山仲間とスキーへ出掛けた時、林道沿いに冬季閉鎖中の白根火山バス停まで滑り、そこからスキー靴で白根山(2160m)の山頂を踏みました。この記録も古いホームページ掲載されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

白根山への登りから湯釜を見下ろす

 クリックしてネ。

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日本三百名山回顧№107信越県境、斑尾山(3百名山)

2022年06月09日 | 三百名山回顧

 平成24年7月9日(月)登頂

 

 斑尾山は北信五山の一つで、北部信州の人に親しまれている山だが、妙高、黒姫、戸隠、飯縄など他の四山に比べれば、標高が低く地味な山と言える。しかし山腹にはスキー場が広がり、登山よりもスキーのゲレンデとして知名度が高い。

 山頂へは幾つかの登山ルートがあるが、いずれも軽いハイキングコースという感じで、三百名山の一つで無ければ登らなかったかも知れません。そんな斑尾山へ登ったのは北信五山の中では一番遅く、今から10年前の平成24年7月でした。

 早朝我が家を出発し、日帰り温泉まだらおの湯駐車場に車を停めて、ここから周回コースで斑尾山を登りました。山頂からの展望は無く、あまり印象に残らぬ登山でしたが、山腹に点在するペンションが、上から眺めるとスイスアルプスの山村風景の様でした。

まだらおの湯駐車場

斑尾山山頂

山腹に点在するペンション

 尚、当時の登山記録が私の古いホームページに残されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

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