Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№115新潟・富山県境、朝日岳(3百名山)

2023年05月14日 | 三百名山回顧

 細々と続いている三百名山回顧ですが、いよいよ名峰、雄峰目白押しの日本を代表する山岳地帯北アルプスへ突入します。まずは北の方から富山・新潟県境に聳える朝日岳です。標高2418mは北アルプスの中ではそれ程高くないが、富山湾沿岸から眺めると、ゆったりとして堂々たる山容を望む事ができます。

 最初に朝日岳を登ったのは昭和62年の夏、妻と二人で栂池スキー場から白馬岳~雪倉岳~朝日岳を縦走し、蓮華温泉へ降った幕営山行でした。この時はいろいろアクシデントがありました。

 まず白馬岳テント場でテントを張った初日に大雨強風の荒天に見舞われ、支柱は曲りテントが吹き飛ばされそうになって(実際に風船玉のように飛ばされたテントもあった)、慌てて白馬岳頂上小屋へ避難、そのまま二日間の停滞を余儀なくされました。

 三日目の8月2日に天気は回復し、朝日岳に向って縦走を開始した。雪倉岳を経由して朝日小屋のテント場で幕営する予定だったが、テント料金をケチって朝日岳北側の白高地と呼ばれる草原にテントを張った。

 その日の夕食を食べ終わった頃に、突然朝日小屋の人が我々のテントを訪ねてきた。無許可の地にテントを張った事を咎められるのかと思ったが、小屋の人の話を聞くと・・「今朝方、蓮華温泉登山口を出発した登山者の中に高齢のご夫婦が居て、その二人だけがまだ小屋に到着していない。ひょっとしたら道の迷った可能性もあるので探しに来た」と教えてくれた。

「何かあったら連絡してください」と言って、山小屋の人は引き返していった。その10分くらい後に、話題にしていた高齢夫婦が我々のテント近くまで登って来たのだった。

 夕闇の中私は慌てて(お~い、お~い)と叫びながら山小屋の人を追いかけ、その後なんだかんだあったものの、結局そのご夫婦は山小屋の人に連れられて朝日小屋へ登って行った。

 結果論だが我々があそこにテントを張っていなかったら、残雪の多い時期なので高齢夫婦は暗闇の中で道を見失い、遭難沙汰になっていたかも知れない。そんなアクシデントがあった事も重なり、この幕営山行は忘れ難い思い出多いものとなりました。

 

 昭和62年7月31日(金)~8月3日(月)

栂池ロープウェイ山頂駅~ 白馬岳~ 朝日岳~ 蓮華温泉

白馬大池

白馬岳テント場付近

白馬岳山頂から朝日岳(左奥の山)方面

雪倉岳の登り

雪倉岳手前のお花畑?

雪倉岳山頂

雪倉岳から白馬岳方面

雪倉岳から朝日岳

朝日岳手前の小桜ヶ原

朝日小屋分地点?

朝日岳を越えて白高地のテント泊地

テント泊地で迎えた朝(背後の山は朝日岳)

 2回目に朝日岳を登ったのは平成6年の9月で、朝日岳から栂海新道を縦走して日本海の親不知まで歩いた山行だった。北アルプスと日本海を繋ぐ栂海新道は、いつか歩いてみたいと思っていた憧憬のコースで、この時は天気に恵まれて朝日岳から日本海の親不知まで計画通りに歩く事ができました。

2日目に泊った栂海山荘から眺めた能登半島や富山湾の風景、そして縦走を終えて親不知海岸の荒波で足を洗った思い出は、一生忘れえぬものです。

 

  • 平成6年9月15日(木)~17日(土)

北又登山口~ 朝日岳~ 犬ヶ岳~ 親不知 

北又小屋の登山口

朝日小屋のテント場

朝日岳への登りから朝日小屋

朝日岳山頂

栂海新道入口地点?

栂海新道、長栂山の降り?

栂海新道から朝日岳を振り返る

登山道から毛勝三山方面?

文子の池

サワガニ山から犬ヶ岳方面

犬ヶ岳山頂

栂海山荘から夕暮れの富山湾と奥に能登半島

親不知の栂海新道登山口

日本海の荒波で足を洗う

 

 

 

 

 

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日本三百名山回顧№114群馬・長野県境、浅間隠山(2百名山)

2023年04月10日 | 三百名山回顧

 「浅間隠山」は角落山塊の最高峰ですが、群馬県の東吾妻村や中之条町方面から眺めると名峰「浅間山」を隠してしまう位置にある為、「浅間隠山」という安易な名前が付けられたそうで、チョット気の毒な山です。

 浅間隠山の中腹を群馬と信州を結ぶ県道54号線が通っている為、県道最高地点の二度上峠から僅か1時間半のコースタイムで山頂へ登る事ができ、三百名山の中では比較的容易に登れる山の一つでしょう。

  又、山頂からは360度の展望で関東甲信越の山々が見渡せ、何より西隣に聳える浅間山が圧巻の眺めです。

 そんな浅間隠山へ登ったのは、平成9年11月初旬の頃でした。当時はまだ元気溌剌としていたので、二度上峠からでは物足らないと、峠下の軽井沢高原別荘地に車を停めて、そこから周回コースで浅間隠山を登りました。

 二度上峠経由で山頂へ向かう道は容易に登れたのですが、山頂から別荘地までの下山道は殆ど廃道化した藪道で、藪漕ぎに難渋しながら降った事を覚えています。それも今では、懐かしい山の想い出の一つとなりました。

 

平成9年11月2日(日)

軽井沢高原別荘地→ 二度上峠→ 浅間隠山→ 鞍部→ 軽井沢高原別荘地

浅間隠山山頂

山頂から八ヶ岳方面

山頂から北アルプス方面

山頂から角落山(手前左端)、妙義山(奥)方面

山頂から浅間山

 

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日本三百名山回顧№113群馬・長野県境、浅間山(百名山)

2023年02月22日 | 三百名山回顧

 浅間山は富士山や男体山と共に、関東平野からその雄大な山容を眺める事のできる名峰です。又現在も活発な活動を続ける活火山の為、最高地点の釜山山頂付近は立入禁止区域になっており、立入可能な外輪山の前掛山が山頂とみなされています。

 最初に浅間山を登ったのは、今から45年前の昭和53年10月の事でした。前日に上野駅発の信越線夜行列車に乗り、早朝信濃追分駅から一人で浅間山に向って長々と続く登山道を歩き始めました。(この道は現在廃道となっているようです)

 ところが前掛山直下の湯ノ平高原まで登って来ると、「通行禁止」の標識で山頂への道が閉ざされています。強行突破する勇気は無く、やむを得ず湯ノ平高原から外輪山の鋸岳~蛇骨岳~黒斑山を縦走して車坂峠へ下山しました。定かでありませんが、その時親切な方がいて、峠から私を車に乗せて下界の駅まで送っていただいたような記憶があります。

昭和53年10月23日(月)

信濃追分駅~湯ノ平高原~鋸岳~蛇骨岳~黒斑山~車坂峠

山麓の草原を登って行く

石尊山?から浅間山南面

湯ノ平高原からトーミの頭方面

トーミの頭山頂?

トーミの頭から仙人岳方面

トーミの頭から湯ノ平高原

 

 2回目に登ったのは昭和61年の10月でした。この時は我々夫婦を含めた山岳会の仲間7名で、車坂峠から浅間山を目指しました。山頂のお釜一帯は立入禁止のはずでしたが、大勢で登った勢いで初めて浅間山噴火口縁の最高地点まで登りました。

 辺りは亜硫酸ガスの臭気が漂い火口の中は凄惨な眺めで、あまり長居はしたくない雰囲気でした。でも途中の湯ノ平高原では野生のブルーベリーやカラ松茸を見つけ、それを採取したりして楽しい山行であった事を覚えています。

昭和61年10月10日(金)

車坂峠~湯ノ平高原~浅間山~湯ノ平高原~車坂峠

トーミの頭山頂

山頂から浅間山

山頂から鋸岳方面

浅間山への登りから外輪山

浅間山噴火口の最高地点に向かう

噴火口縁の最高地点

噴火口内の眺め

 3回目は平成25年7月28日(日)に、妻と二人で浅間山南山麓のあさま山荘から前掛山を往復しました。その時も私一人で噴火口を目指したのですが、ガスで視界が効かず途中で引きかえしました。

 尚、山行の詳細は下記をクリックしてご覧ください。

   見てネ

 

 最後にツービートのパクリで・・「浅間山、皆で登れば恐くない」・・良い子の皆さんはマネしないように。

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日本三百名山回顧№112群馬・長野県境、四阿山(百名山)

2023年01月25日 | 三百名山回顧

 群馬・長野県境に聳える四阿山(アヅマヤサン)は、山麓の菅平高原から眺めると、ゆったりとした女性的な山容で、西隣の根子岳と合わせて眺めれば、豊満な乳房のように見えなくもありません。

 百名山の中では登山コースも容易で、ベストシーズンには多くの登山者で賑わう山です。そんな四阿山へ最初に登ったのは、昭和57年6月13日の事でした。山仲間のNさんと二人で上野駅前夜発の夜行列車に乗り、菅平高原から登ったのですが、何しろ古い話ですからアルバムに残された数枚の写真以外、殆どの記憶は忘却の彼方です。

昭和57年6月13日(日)

菅平高原 → 根子岳 → 四阿山 → 菅平高原

四阿山のツツジ

根子岳から四阿山方面

根子岳と四阿山の鞍部から根子岳方面

四阿山山頂

 2回目は平成19年の9月に、東側のパルコール妻恋スキー場からゴンドラを利用して登りました。その時の記録が私の古いホームページに残されていたので、下記に転載してみます。

平成19年9月29日(土)       天気=曇り時々晴れ

09:43ゴンドラ山頂駅発→ 10:10~10:14第1休憩場→ 10:51茨木山分岐→ 11:09~11:38四阿山→ 11:51茨木山分岐→ 12:16第1休憩場→ 12:47~12:54浦倉山→ 13:00ゴンドラ山頂駅着

 本降りの雨の中、妻と二人四阿山目指して関越道を降る。どうもドライブだけで終わりそうだな。と思っていたが、渋川ICを降りる頃には雨も上がり遠くの空には青空さへ見えてきたので、俄然登山モードになってきた。

 R145を草津方面に走り、やがて左手に白い岩壁の上に緑の帽子を被せたような丸岩が見えてきた。妻と4ヶ月程前に登った山だ。

 その丸岩の真下にある長野原草津口駅を通り、JR吾妻線の終着、大前駅を越えてAM9時過ぎにパルコール嬬恋スキー場のゴンドラ駅に着いた。山頂駅まで往復シニア料金1100円、標高差600mを一気に稼げるのだから安い出費かもしれない。

ゴンドラ山頂駅

 ゴンドラ山頂駅を09:43出発、ここの標高2080m程。四阿山が2354mだから標高差274m、登山というより軽いハイキングという感じだ。

 しばらく歩いて立派な標識がある第1休憩場、雲が多いものの、けっこう視界が効いて、志賀の山々や遠く北アルプスの稜線も望む事ができる。

 前夜の雨のせいか泥濘の道が続く。水平の道からだんだん登りが増え、茨木山分岐を超えて一登りすると細い稜線上、岩場のある前山の奥に鋭く尖った四阿山頂が見えた。長野側から見るとたおやかな山容なのに、群馬側からだと印象が180度違う。

 11:09四阿山到着、1時間27分程で着いてしまった。さして広くもない山頂は登山者達で大賑わい。アプローチが容易で何と言っても百名山なのが人気の秘密なのだろう。

四阿山山頂

 とは言え2300mを越す山、展望は抜群だ。上信越から北アルプスまで多くの山々を見渡せる。太平洋岸に前線が停滞しているせいか、南側は見渡す限りの雲海、浅間山は雲に隠れて頑なに姿を見せない。

山頂から根子岳方面

山頂から志賀高原方面

 食事を終えると来た道を戻る。帰りは何組かの団体登山パーティとすれ違うが、紙に書いた自前の標識をコース上にやたら置いていくのは感心しないマナーだ。

 ゴンドラ山頂駅近くに戻ると反対側にある浦倉山を30分程かけて往復する。ついでに行っとこうという感じで展望もなく、ただ登っただけの山頂だった。

浦倉山山頂

 ゴンドラで下界に降りると、帰りは須賀尾峠からR406を通り高崎を経由して藤岡ICから関越に乗り、PM5時過ぎ我家に戻った。

 大した歩きじゃなかったけれど、取りあえず9月中に1回山に登ったとノルマをこなした心境だが、丸岩~菅峰以来4ヶ月ぶりに山を歩いた妻にとっては、良いリフレッシュとなったようです。

 

 3回目は平成29年6月22日のツツジが咲く時期に、山仲間のF家ファミリーと一緒に菅平高原から登った。天気も良くて山行は楽しかったのだが、実は前日のお昼過ぎに、私は居眠り運転で物損事故を起こしており、実のところ傷心の登山だったのです。

 写真に写る笑顔は何となくぎこちないが、今になればそれもほろ苦い思い出です。山行の詳細は下記をクリックしてご覧ください。

   クリックしてネ

 

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日本三百名山回顧№111群馬県、武尊山(百名山)

2022年12月13日 | 三百名山回顧

 群馬県北部に聳える武尊山は、幾つものピークを持つ雄大な山だが、谷川岳や赤城山、日光白根山など人気の名山が周囲にあるせいか百名山の中では地味な存在です。

 その武尊山へ最初に登ったのは、昭和58年10月2日(日)の事でした。遠い昔の話で記憶も朧気ですが、前夜は川場村の旭小屋に泊り居合わせた地元の人達の宴に誘われてご馳走になった事を覚えています。

 翌朝早く小屋を出発し、不動岳から前武尊山を経由して最高峰の沖武尊山(2158m)に登頂、その後利根川沿いの上の原入口バス停まで長い道程を降りました。

前武尊山から沖武尊山(左奥の山)方面

武尊山から剣ヶ峰(右奥の山は谷川岳)

沖武尊山山頂

沖武尊山から登って来た稜線

沖武尊山から剣ヶ峰

沖武尊山から尾瀬の至仏山(左)と燧ケ岳(右)

武尊山の降りから利根川上流の谷間

下山の道から沖武尊山を振り返る

 2回目は、平成15年9月15日(月)に片品村のほたか牧場から、妻と二人日帰りで沖武尊山を登りました。この時山頂は雲に覆われて展望も無く、数枚の写真がアルバムに残されただけで記憶の薄い山行でした。

ほたか牧場の白樺林

登山道から岩鞍スキー場方面(下界は晴れていたようだ)

武尊山山頂

 3回目は平成23年9月8日に、水上町の武尊神社から単独での山行でした。この時の記録が古いブログに残されていたので、下記に転載してみます。

上州武尊山登山

9月8日(木)   天気=晴れ
06:15武尊神社→ 06:51登山道分岐→ 07:33武尊沢出合→ 08:37~09:00剣ヶ峰山→ 09:53~10:10武尊山→ 11:04~10手小屋沢避難小屋分岐→ 11:42登山道分岐→ 12:12武尊神社


 上州、武尊山は、尾瀬と谷川連峰の間を取持つような位置にある膨大な山塊で,稜線には最高峰、沖武尊を始め幾つかのピークが連なっています。未踏であった剣ヶ峰を今回目指す事にしました。
 深夜割引で高速料金が安くなるので、朝4時前に鶴ヶ島ICから関越道に入る。上里SAで吉野家の牛丼を喰ってエネルギーを注入し、水上ICで高速を降りる。平日ゆえガラガラの一般道を北上し、登山口になる武尊神社には予定より早く6時頃着いてしまった。駐車場には数台の車が停っている。多分登山者のものだろう。

登山口の武尊神社

 手早く準備を終え出発する。この先も林道が伸びているが、ゲートで閉ざされ車は進入できない。少し進むと土砂崩れで道は塞がっていた。これではマウンテンバイク以外は走行できないだろう。
 林道は進むにつれて荒廃の度合いを増していく。数日来の大雨の影響か、道の至る所で流水が迸っている。30分余で道が二手に分かれる。左は手小屋沢避難小屋経由で沖武尊山へ向かう道だ。そのまま直進する。此処からは完全な登山道、幾つか沢を越える。地図に水場マークがある武尊沢を越えると、急登の度合いが強まってきた。
 木の根を掴んで強引に登って行く。いつまでも続く登りに、脚がだんだん重くなる。吹く風が少しづつ爽やかになってきたようで稜線間近な雰囲気、そして沖武尊と剣ヶ峰を結ぶ稜線に飛び出した。右に曲って5分程の登りで、誰も居ない剣ヶ峰(2020m)に到着した。
 山頂からの展望は抜群、爽やかな青空は空きの風情を思わせ上信越の山々が手に取るように見渡せる。秩父山地の奥には富士山まで確認できた。山頂南面の遠からぬ位置に川場スキー場があり、スキーがてら何度も拝んだピークに、今居ると思えば若干の感動がある。

剣ヶ峰から沖武尊山方面

剣ヶ峰から沼田市街地方面

 武尊山最高峰、沖武尊との間にはたおやかな尾根が繋がり、その稜線に一筋の道が刻まれてオイデオイデと誘っているようだ。単独の男性が登って来たのと入れ替わるように、沖武尊へ向け出発する。しばらく進んで振り返れば、剣ヶ峰が鉛筆の芯のように尖って見えた。

振り返って見る剣ヶ峰
 尾根の中間地点まで、緩やかに降って行く。赤シャツの単独男性が向うからやって来た。平日にも係わらず、この山を歩く人はけっこう居るようだ。中間部を過ぎると、今度は登りが続く。山頂間近はキツイ登りだが、爽やかに吹く風と青々しい風景が疲れを癒してくれる。やがて前武尊と沖武尊を繋ぐ稜線に辿り着き、僅かに左へ向かえば武尊山最高峰、沖武尊(2158m)の山頂、周囲の展望は剣ヶ峰にも益して素晴らしい。

沖武尊山山頂

山頂から剣ヶ峰方面

山頂から前武尊山(右端の山)方面

山頂から谷川岳方面

 男性が一人居て話しかけてくる。彼もこの好天に上機嫌の様子、聞けば武尊牧場スキー場から来たとの事。何年か前に妻と二人で登ったコースだ。やがて彼は会釈して、山頂を去っていった。食事がてらしばらく誰も居ない山頂の雰囲気を堪能する。
 食事を終えると、山頂を後に手小屋沢避難小屋経由のコースを下山する。降るにつれ、幾人かの登山者とすれ違う。このコースを選択する人が多いようだ。しばらくすると、緩やかな道は鎖やロープが張られた岩場の降りへと変った。タラタラ降りに飽きていたので、変化に富んだ道は返ってありがたい。

下山の道から沖武尊山
 やがて沢音が聞こえると、手小屋沢避難小屋への分岐、小屋は登山道から右に少し降りた場所にあり屋根だけが僅かに見えた。地図によると此処で道が二手に分かれるはずだが見当たらない。ひょっとして見落としたかなと不安になった頃分岐点に着いた。右は宝台樹スキー場へ降る道、武尊神社と記された左の道を降下する。
 朝方登った林道まで急勾配でグングン降って行くが、道はシッカリしている。武尊山は山岳信仰の山でもあるから、この道も昔から使われていたのであろう。30分程で登山道分岐に降立った。右に曲って休まず林道を登山口へと降って行く。朝方登る時には気付かなかったが、けっこう傾斜のきつい道だ。
 お昼過ぎに登山口の武尊神社へ戻った。時間も早いので、観光名所でもある「裏見の滝」を見物に行って見る。遊歩道を歩いて5分程の所にあり、先日の雨で水嵩の増した滝は迫力充分で中々見応えがあった。

裏見の滝
 見物を終えると水上町の日帰り温泉「ふれあい交流館」へ車を走らせ、山の汗を落した。この温泉は今年6月谷川岳に妻と登った時にも訪れたのだが、地元の人相手の素朴な良い温泉です。料金も割引券を使えば450円と大変リーズナブル、今日も時間が早いせいか入浴客は少なく伸び伸びとお風呂を楽しめた。入浴後、一般道を渋川市まで南下して渋川ICから関越道で夕刻我家へ戻った。

 4回目は今年の3月30日(水)に、山友Jさんと二人で川場スキー場から雪の沖武尊山を往復した。その記録については、下記をクリックしてご覧ください。


 

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日本三百名山回顧№110新潟県、雨飾山(百名山)

2022年10月30日 | 三百名山回顧

  白馬岳など北アルプス北部の山々と、日本海へ注ぐ姫川越しに相対するように聳えているのが今日ご紹介する雨飾山です。標高は2千mに満たないが、山麓から眺めると急峻な山容は個性的で日本百名山の一つに数えられています。

 雨飾山へ最初に登ったのは今から40年以上前の昭和56年5月中旬でした。この頃が人生で最も山に熱中していた時期で、前々週に山岳会の仲間達と穂高連峰を登った勢いで単独で雨飾山登山に向かったのでした。

 前日は秘湯の趣がある小谷温泉「山田旅館」に泊って翌朝早く登山を開始、出発前に宿の人から「今年アンタが初めての登山者かも知れないよ」と言われる。温泉から先は雪深い雪原が続き、何処でも歩く事ができました。山行の記憶は殆ど薄らいでいるのですが、誰一人会わぬ雪山は孤独ではあったけれど痛快な登山でもありました。

56年5月17日(日)

小谷温泉付近から雨飾山?

雨飾高原キャンプ場付近から雨飾山?

荒菅沢、布団菱の岩壁

荒菅沢源頭

ルート沿いの雪崩跡

雨飾山山頂

山頂から東の焼山方面

山頂から西の海谷山塊

 

 ※2度目の雨飾山登山は、西側山麓の以前は梶山新湯と呼ばれた雨飾山荘から山仲間のI夫妻と平成21年7月下旬に登りました。夏の最中で汗びっしょり掻かされましたが、和気アイアイの楽しい山歩きができました。この山行については古いブログの記録が残されていたので、下記に転載してみます。

 平成21年7月27日(月)~28日(火) 天気=曇り時々晴れ

06:55雨飾山荘発→ 07:20~28難所のぞき→ 08:28一ぷく処→ 09:22中ノ池→ 10:18~27笹平分岐→ 10:42~11:45雨飾山頂→ 12:06笹平分岐→ 12:46中ノ池→ 13:19~30一ぷく処→ 14:10難所のぞき→ 14:30雨飾山荘着

 海谷山塊最高峰の雨飾山は、標高2千メートルに届かぬとはいえ姿・形の良い日本百名山に名を連ねる名山だ。妻が珍しくこの山に登りたいと言う。

 前日、長野に向う車中は雨の中。日本列島は梅雨前線がピタリと張り付いている。この天気では明日の登山は無理かなと悲観的気分。

 夜は鹿島槍山麓のFさん別荘に泊めてもらう。今回は I 夫妻と我々夫婦4名で登る予定。朝5時に別荘を出発、国道148号から根知川沿いに登山口のある雨飾温泉まで車で入る。

雨飾温泉への道から雨飾山

 温泉駐車場から海谷三山(鋸岳~鬼ヶ面山~駒ケ岳)の険しい稜線が手の届くような距離で見えている。雨飾温泉はガッシリした建物で風情がある。隣に三角屋根の露天風呂、お風呂は下山してからのお楽しみ。

登山口の雨飾山荘

 準備を終えると出発する。登山道は露天風呂の脇から始まる。地図では登山口から雨飾山頂まで直線距離は2km余、だが標高差は1千メートル以上ありほとんど急登が続く厳しそうな道だ。

 小さなお社の横を通り見通しのない樹林の急坂を I さん(旦那)をトップに登って行く。岩の道はジットリ濡れて滑りそうで嫌らしい。30分程歩いて「難所覗き」と記された標識の所で休憩。蒸し暑くて脱いだTシャツを絞ると汗が滴り落ちる。

 難所覗きの上で少し緩やかになるが再び急登の道、両側がガレた細い尾根を通り、所々ハシゴやロープに頼って登って行く。標高が上がったせいか風が吹き抜け少し楽になった。背後に海谷三山が雲の合間に姿を現し、絵になる眺めだ。

難所のぞき上付近

 山腹を横切るように進むと大部分が植物に覆われた中ノ池、ここから笹平に向け最後の登り、山頂近しで全員の元気度がアップした感じ。急登が少しづつ緩やかになり小谷温泉からの道と合流する笹平の分岐点に到着。

登山道から海谷山塊方面

 山頂台地の笹平は高山植物が咲き乱れる雲上の草原、とても気持の良い所だ。その奥に二つのピークがこんもりとある雨飾山頂が見える。

笹平の草原

 10時40分過ぎ山頂に着く。 I 夫妻は30年以上前に新婚旅行で来て以来、私も30年程前の残雪時に単独で登って以来、それぞれに感慨多きピークである。妻も念願の山に登れて満足の態、思い思いに山頂からの展望を満喫する。

北峰から雨飾山山頂(南峰)へ

雨飾山山頂

 前後して登った関西の4人パーティが、我々に遠慮して北峰で休んでいる。彼(女)らに山頂を譲り下山を開始する。笹平でマラソンランナーみたいな単独男性が登って来た。今、山を走るトレイルランナーというのがブームのようだ。彼には難所覗きの上付近であっさり抜かれてしまった。

 ジメジメして滑り易い急坂を苦労しながら降って行く。3回ほど蛇君と遭遇、我々には濡れて嫌な道も彼らにとっては良い環境なのだろう。

 14時30分雨飾温泉到着。早速露天風呂に入る。さっきまで汗みどろで歩いていたのに、「いい湯だなー」とお風呂に浸るこのギャップ、何とも贅沢&天国の感「シアワセだなー」と呟きたくなる。山の神様は、我々4人の善男善女を評価して、梅雨の合間に好天をプレゼントしてくれたようだ。

 しばらく信州で別荘生活を続ける I さん(旦那)とは信濃大町の蕎麦屋で別れ、我々夫婦と I さん(奥さん)は、雨の中央道をひた走り午後9時前に我が家に戻った。

 

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日本三百名山回顧№109新潟県、青梅黒姫山(3百名山)

2022年08月24日 | 三百名山回顧

 青梅黒姫山は、糸魚川市郊外の日本海を見下ろす位置に在る標高1200m余の低山ですが、日本海の沿岸から一気に聳えているので、山麓から眺める姿は鋭く見応えのある山容をしています。

 その青梅黒姫山へ登ったのは、8年前の平成26年10月25日(土)、この頃は日本三百名山登頂を目指して、車中泊を繰り返しながらひたすら山に熱中している時期でした。

 青梅黒姫山は低山ながら登山口から山頂までの標高差が1200m近くあり、けっこう登りがいのある厳しい道程でした。しかし山頂からの眺めは抜群で、北は茫洋たる日本海、南は北アルプス北部の雄大な山々や頚城山塊など、素晴らしい景色を堪能する事ができました。

青梅黒姫山山頂

 尚、この山行は既に本ブログに掲載済みであり、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

 クリックしてネ。

 

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日本三百名山回顧№108群馬県、草津白根山(百名山)

2022年07月26日 | 三百名山回顧

 久々の日本三百名山回顧、今回ご紹介するのは日本三名湯の一つ草津温泉の西に聳える草津白根山です。この山は、白根山、逢ノ峰、本白根山という三つのピークからなっています。

 最高峰は本白根山(2170m)ですが、火山活動が活発な為に遊歩道以外は立入禁止に規制され、遊歩道の最高地点(2150m)をもって草津白根山の山頂を踏んだという事になっています。

 以前は山頂直下にゴンドラ山頂駅(現在は廃業)があり、近くに草津志賀高原道路も通っているので、草津白根山は誰もが簡単に登れる日本百名山の山でした。しかし2018年1月に本白根山が突然噴火し、噴石による多くの死傷者が出て、それ以降この山への立入は規制され登山禁止の山となってしまいました。

 その草津白根山へ最初に登ったのは、平成6年10月末でした。記憶は曖昧ですが、たぶん草津温泉からバスで白根火山バス停へ向かったと思います。そこから湯釜を見物し、本白根山を経由して草津温泉へと降りました。山は紅葉末期の晩秋で、ハイキング日和の一日でした。

 平成6年10月31日(月)

白根火山バス停➔ 湯釜➔ 本白根山➔ 逢ノ峰➔ 芳ヶ平➔ 草津温泉

白根山、湯釜

本白根山歩道最高地点

本白根山の鏡池(2018年にこの付近で噴火した)

芳ヶ平へ降る道

芳ヶ平?

草津温泉を見下ろす

草津温泉への道

 

 ※ 2回目は平成20年8月12日(火)に、万座温泉から本白根山を登りました。この時の山行記録が私の古いホームページに掲載されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

本白根山への登山道

  クリックしてネ。

※ 3回目は平成24年2月20日(月)に草津温泉へ山仲間とスキーへ出掛けた時、林道沿いに冬季閉鎖中の白根火山バス停まで滑り、そこからスキー靴で白根山(2160m)の山頂を踏みました。この記録も古いホームページ掲載されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

白根山への登りから湯釜を見下ろす

 クリックしてネ。

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日本三百名山回顧№107信越県境、斑尾山(3百名山)

2022年06月09日 | 三百名山回顧

 平成24年7月9日(月)登頂

 

 斑尾山は北信五山の一つで、北部信州の人に親しまれている山だが、妙高、黒姫、戸隠、飯縄など他の四山に比べれば、標高が低く地味な山と言える。しかし山腹にはスキー場が広がり、登山よりもスキーのゲレンデとして知名度が高い。

 山頂へは幾つかの登山ルートがあるが、いずれも軽いハイキングコースという感じで、三百名山の一つで無ければ登らなかったかも知れません。そんな斑尾山へ登ったのは北信五山の中では一番遅く、今から10年前の平成24年7月でした。

 早朝我が家を出発し、日帰り温泉まだらおの湯駐車場に車を停めて、ここから周回コースで斑尾山を登りました。山頂からの展望は無く、あまり印象に残らぬ登山でしたが、山腹に点在するペンションが、上から眺めるとスイスアルプスの山村風景の様でした。

まだらおの湯駐車場

斑尾山山頂

山腹に点在するペンション

 尚、当時の登山記録が私の古いホームページに残されていたので、詳細は下記をクリックしてご覧ください。

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日本三百名山回顧№106上信県境、白砂山(2百名山)

2022年05月18日 | 三百名山回顧

 平成7年7月30日(日)登頂

 

 白砂山は新潟・群馬・長野の3県が県境を接する位置に聳える山で、人里から遠く離れているのであまり知られていないが、前衛の堂岩山辺りから眺めると三角錐の端正な山容が実に美しい山です。

 その白砂山へ最初に登ったのは、平成7年7月末の夏山シーズンだった。この時は野反湖を見下ろす野反峠の駐車場に車を停め、そこから八間山~堂岩山を経由して白砂山の山頂を踏んだ。

野反湖峠(湖の一番奥が野反湖ダム)

八間山から堂岩山への道

堂岩山から野反湖方面

堂岩山から白砂山

白砂山山頂

山頂から佐武流山方面

 何しろ四半世紀以上前の事なのであまり記憶に残っていないが、アルバムを見ると良さそうな天気だったので楽しい登山であった事は間違いないでしょう。山頂からは地蔵峠を経由して野反湖ダムの登山口へ降った。妻をそこに待たせて私がジョギングで野反湖峠まで車を取りに戻った事は覚えている。

山頂から堂岩山方面

下山の道から野反湖と湖畔のキャンプ場

 その後も残雪期に佐武流山や忠次郎山を登山した時、通過点として白砂山の山頂を踏んでいる。その山行の詳細については、下記をクリックしてご覧ください。

      

 

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日本三百名山回顧№105志賀高原、横手山(3百名山)

2022年04月13日 | 三百名山回顧

 平成10年10月4日(日)登頂

 前回の三百名山回顧で志賀高原の笠ヶ岳を掲載したが、そこから東へ約4km東の位置に横手山(2305m)が聳えている。志賀高原では裏岩菅山に次ぐ高峰だが、山頂直下の渋峠を志賀草津道路が通り山頂を含む一帯はスキー場のゲレンデで、リフトに乗れば四季問わず労せずして山頂に立つ事ができる。

 山頂には横手山頂ヒュッテと併設された日本一標高の高いパン屋さんがあり、ホワイトシーズンはスキーヤ―&ボーダー、グリーンシーズンには観光やハイキングの人で賑わっている。

 私が妻と二人で横手山を訪れたのは今から四分の一世紀前、平成10年10月4日でした。記憶は定かで無いが志賀高原の大沼入り口付近に車を停め、そこからバスで渋峠まで移動して、歩き始めたのではと思います。

 峠から横手山へはリフトが通じているが、それに乗っちゃえば登山にならないので、遊歩道を20分ほど歩いて横手山へ着いた。これで終わりじゃあまりにアッケないので、横手山から更に北へ向かい、鉢山~四十八池~志賀山~裏志賀山と歩き、その後上越県境沿いに赤石山まで進み、大沼池へ降ったものと思われます。

横手山から志賀高原の眺め

四十八池の休憩ポイント

四十八池から裏志賀山方面

裏志賀山から大沼池

赤石山山頂

大沼池

 この頃の愛車は三菱パジェロミニで、当時のアルバムを捲ると毎週のように妻と山へ出掛けている。仕事はそれなりに忙しかったはずだが、こんなに山へ行ってたんじゃ私が出世できなかったのも当然だと今になって思う。

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日本三百名山回顧№104志賀高原、笠ヶ岳(3百名山)

2022年03月05日 | 三百名山回顧

 笠ヶ岳というのはよく聞かれる山名で、北アルプスや谷川連峰にもその名の山があり、私の住む埼玉には笠山何て山があります。いずれも笠を広げたような三角錐の端正な山容が、名前の由来になったのではないでしょうか。

 なだらかな山が多い志賀高原の中で、鋭い三角錐の笠ヶ岳はよく目立つ山です。山頂直下の笠岳峠までは車道が通じ、峠の茶屋に車を停めて、約30分も登れば山頂に立つ事ができます。

 この笠ヶ岳には遠い昔に、当時所属していた山岳会の仲間達と山麓の熊の湯温泉に前夜伯し、翌日宿から熊の湯スキー場から笠峠を経て山頂を踏みました。しかし前回掲載した岩菅山と同様に、幾らアルバムを探しても、その山行の記録を見つける事ができませんでした。

 そんな訳で何時誰と登ったのかの詳細は不明で、登頂を証明する手立てがありません。そこで2年前の8月に、当時歩いたコースを辿って妻と二人で再び登りました。その山行の詳細は私のブログに掲載済みなので、下記をクリックしてご覧ください。

   

 クリックしてね。

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日本三百名山回顧№103長野県、岩菅山(2百名山)

2022年01月26日 | 三百名山回顧

 スキーリゾートとして開発し尽くされた感がある志賀高原の中にあって、岩菅山の聳える一帯は原生林で覆われ、豊かな自然が残された貴重なエリアです。その岩菅山を最初に登ったのは、30年ぐらい前の40代だった頃と思います。

 下山地点の高天原スキー場に折り畳み自転車を残置して車で岩菅山登山口へ移動、登山口から岩菅山~裏岩菅山を登り、ノッキリから金山沢ノ頭を経由して高天原スキー場へ降った。

 しかしこの時の記録をアルバムで幾ら探しても見つからない。当時はフィルム写真だったが、もしかしたらカメラを忘れてしまったのかもしれません。アルバムに痕跡が無いので、山行日時も不明で登頂を証明する手立ちがありません。

 そんな事情もあるので、3年前の秋に妻と二人で再び岩菅山を訪れました。その年は志賀高原の麓を流れる千曲川で水害が発生し、流域には痛々しい氾濫の爪痕が残されていました。

 その時の山行記録が当時のブログに掲載されているので、詳細については下記をクリックしてご覧ください。

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日本三百名山回顧№101長野県、飯縄山(2百名山)&№102、黒姫山(2百名山)

2021年12月20日 | 三百名山回顧

 昭文社の登山地図「妙高・戸隠・雨飾」を広げると、1枚の地図の中に何と八座もの日本三百名山が鎮座しています。いずれも個性的で迫力ある山容の山が多いのですが、その中にあって飯縄山と黒姫山は、優美で女性的な姿・形をした山です。

 この二つの山へ妻と二人で登ったのは、平成9年7月の事でした。戸隠キャンプ場にテントを張り、7月5日はキャンプ場から戸隠スキー場の縁を通る静寂の道を登って飯縄山へ登頂し、下山は行き交う登山者の多い南登山道を戸隠バードラインまで降りました。

戸隠神社

飯縄山山頂

山頂から長野市街地方面

山頂から高妻山方面

 この時エピソードの一つとして覚えているのが、下山の途中で脚の痙攣で動けなかった高齢女性と遭遇した事です。知らんふりもできなかったので、私は自分のザックを妻に持たせ、その女性を背負って登山口へ降ったのでした。

 女性はチョット小太り体形の人でした。マアその身体の重い事、妙齢の女性なら張り切るところだが、テンションは上がりようも無く、登山口までの道程が果てしなく遠く感じられました。

 翌6日は戸隠村の黒姫山登山口から古池の縁を通って、しらたま平を経由して黒姫山へ登頂しました。下山は火口内の草原を通る西登山道を降って、車を停めている登山口へ降りました。この日は好天に恵まれて、何事も無く登山を楽しめたように思います。

登山道沿いの古池?

しらたき平から乙見湖方面?

黒姫山山頂

山頂から戸隠キャンプ場方面(眼下の湖は古池?)

火口内の草原?

 それから宿泊した戸隠キャンプ場も、幕営料金が安くて車の傍でテントが張れ、とても快適だった事を覚えています。今でも変わっていなければ、ぜひもう一度泊まってみたいキャンプ場です。

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日本三百名山回顧№99、長野県、戸隠山(2百名山)&№100、高妻山(百名山)

2021年10月29日 | 三百名山回顧

昭和55年9月23日(火)登頂

 

 前回の三百名山回顧で昭和55年9月22日に妙高山を登ったと書いたが、その翌日に信州の戸隠山と高妻山を登頂した。妙高山を下山した後、何処に泊まったか全く記憶に無いが、朝早い出発を考えると戸隠村の民宿にでも泊まったんじゃないだろうか。

 戸隠山は信仰の山で、戸隠神社が登山口になる。登山道沿いには岩場や鎖場が数多い。最大のハイライトは「蟻の塔渡り」と呼ばれるナイフリッジの岩尾根で、両側が断崖絶壁になっており、ザイルが無ければ此処を立って通過するのは至難の業です。戸隠山は三百名山の中でも屈指の危険な山で、登るなら若くて元気なうちが無難でしょう。

戸隠山から西岳方面

戸隠山の稜線

戸隠山から高妻山

 戸隠山から稜線の道を進むと一不動避難小屋が在り、此処から五地蔵山を越えて高妻山までピストンする。往復の道程は長かったが、高妻山の端正な山容が登高意欲を高めてくれた。

五地蔵山から黒姫山方面?

高妻山山頂手前の十阿弥陀

高妻山山頂から戸隠山

同 山頂から北アルプス方面

同 山頂から乙妻山方面

 この時は天気に恵まれた二泊三日の単独行で、火打山~妙高山~戸隠山~高妻山と一気に三百名山4座を踏破する事ができた。若かったから歩き通せたのだろうと思います。

 実は戸隠山には更に余談があって、この山行の1年後当時所属していた山岳会で、戸隠山~西岳を登る計画が持ち上がり私も一員に加わった。当日は上野駅から夜行列車で出発する事になっていたが、私は出発前に居酒屋でビールを飲んで、不覚にも上野駅へ向かう電車の中で眠りこけてしまった。

 この為山行には参加できず、しかもその時私を欠いた登山パーティは、西岳の稜線で1名が滑落事故を起こしてしまったのです。私の不参加が事故の一端に繋がっていたのではと深く後悔し、申し訳ない気持ちで当時の山仲間に頭が上がりませんでした。

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