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北海道の開拓に力を尽くした榎本武揚は函館戦争で指揮を執った人でもありました。
彼の類まれなる頭脳と行動力、精神力を惜しむ人々の尽力があり、重罪反逆者として投獄されるも釈放されたと聞いています。
時を遡って、幕府がオランダに発注した軍艦の築造監督を任されたのが榎本武揚で、4年の歳月をかけ完成に至ったのが「開陽丸」です。それまで、日本で最高と言われていた咸臨丸は630トン、ペリーの軍艦は2500トンの旧式。
この軍艦は当初オランダ語で「夜明け前」という意味のフォールリヒターと呼ばれていましたが、完成後は「夜明けが過ぎて日が昇った」ということで「開陽丸」と名付けられたとか。
開陽丸を携えて日本に戻ったのが武揚32歳の時。もとは釜次郎だった名前を武揚に改名したのもこの頃なのだそうです。
後に開陽丸は冬の江差を攻撃中に、敵にではなく日本海の荒波と厳しい風雪によって沈没。
こうした歴史の一端を担った開陽丸の保存は大事ですが、水中でというのは難しいのだろうと思います。
そして、今日の新北のうた暦では、解説にあるように「函館戦争」で命を落とした人々の供養のために建立されたという「碧血碑」が詠まれています。
明治維新の際、北海道の地でも戦があったことを今に伝えるこうしたものに目を向けることも残された者の努めなのかと。
それでは今日はこの辺で。
明日が皆様にとって良い一日となりますように・・・・。