最後の訪問地がこの江川邸です。
この江川邸は、伊豆、駿河、甲斐、武蔵、相模、伊豆諸島の代官としての役所でもあった。
江川家は、上記の直轄地十万石を徳川家より賜っていたそうです。
この住居は、慶長五年(1600年)頃の建築になるのだそうです。
この江川邸は諸種の建造物も含め、国の重要文化財の指定を受けています。
この草地は枡形という所で、後には農民兵の訓練もこの場所で行っていたとか。
今は表門からは式台が見えますが、表門は現在の場所より数十メートル後方にあったとか。
その上、表門から式台は多少ずらして設置されていました。
これは、門外から式台近辺の人物に対する弓矢による襲撃を避けるためとか。
邸内の土間は、大凡五十坪の広さがあります。
また、天井板が貼られていないため、屋根裏の架構(小屋組み)が見えます。
邸内の部屋は、それぞれの役目を持っていて、塾の間もありました。
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