「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「銀幕版 スシ王子!  ~ニューヨークへ行く~ 」

2008年04月06日 20時52分37秒 | 映画
 
 毎回、どんなジャンルの 映画を撮っても、

 秀抜した手腕と センスを見せてくれる、堤幸彦監督の作品です。

 今回は、“いま面白いこと” をごった煮にした、

 何でもありのエンターテイメント。

 生まれついての寿司職人、米寿司 (まいず つかさ・堂本光一)。

 10才のとき、父と祖父が カジキマグロに突き刺されて死んだ トラウマで、

 魚の目を見ると パニックを起こす 「ウオノメ症候群」 に なってしまいます。

 寿司の道を捨て、琉球唐手の達人に 弟子入りするも、

 唐手の道は寿司の道、寿司の握りは唐手の握り ということを悟る。

 そして、シャリを極めようと、

 “シャリの達人” 俵 源五郎 (北大路欣也) に 弟子入りするため、

 寿司の新天地 ニューヨークに乗り込みます。

 日本刀で青竹を切るのが 寿司の握りを極めることだとか、

 米の心を読むのが 唐手の極意だとか、琉球唐手300年の怨念だとか、

 ふざけたことを 真剣そのもので全力投球すれば、

 観客の笑いをも 極めることになるのでしょう。

 もちろん 小ネタてんこ盛りです。

 合い言葉は、「お前なんか、N.Y. (握ってやる)! 」

「よっ、スシ王子!」

 グルメ、アクション、笑いあり、涙ありで、

 常に ツボを掴むことを外さない、堤監督の才覚は 羨ましい限りです。

 どこまで新天地を 切り開いていくことでしょう。
 
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「クローバーフィールド  HAKAISHA」 (2)

2008年04月04日 20時44分59秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53571264.html からの続き)

 「クローバーフィールド」 は、作品自体も 前代未聞の斬新なものです。

 最初から最後まで 全て、素人が撮っている ホームビデオによる映像です。

 突如 マンハッタンを襲った何者か、“HAKAISHA” (破壊者)。

 登場人物たちにも その正体は全く分からず、“あれ” と呼ぶしかありません。

 “あれ” の攻撃を受けて、命懸けで逃げ回る人物たちを、ビデオが撮り続けます。

 画面は右往左往し、手振れで激しく揺れるし、

 時には あらぬものが映されたり、カメラを落としたりします。

 それによって観客は、自分が 事件の真っ只中にいるかのような

 臨場感に包まれるのです。

 “あれ” はなかなか カメラのフレームに納まらず、その姿も定かになりません。

 終盤になって やっと全体が捉えられますが、じっくり映されることはなく、

 何なのか よく把握できない状況です。

 最後は カメラマンもやられてしまい、その先どうなったのか、

 “あれ” の正体も 分からないまま映画は終わります。

 続編の制作が 決まっているそうです。

 ビデオカメラだけの映像は 否応なく緊迫感を煽りますが、

 映画作品としては 極めて多くの制約を受けます。

 アングルは全て 一個人の目線です。

 俯瞰やロング,切り返しもなく、

 エイゼンシュタインの モンタージュ理論は通用しません。

 構成も、カメラマンの移動に合わせて、直線的な時間が進むだけです。

 また、素人が撮っている映像らしく 見せるために、

 スタッフは普段以上の 難しいテクニックを求められました。

 一流の腕を持つ プロのカメラマンにはできないことなのです。

 そこで カメラマン役の俳優に、

 実際にカメラを持たせて 撮ったシーンが沢山あるそうです。

 そして 一切が偶然のショット、パニックの中の “取り損ない” であるように

 見せるため、撮影には周到な計画が 立てられなければなりませんでした。

 また、CG映像と ホームビデオの組み合わせは、困難を極めたということです。

 激しく揺れたり 振れたりするビデオのフレームに、

 CG画像を ひとつずつ手作業で 組み合わせていかなければならなかったといいます。

 それら独自の作業によって 作られた映画は、

 観る側を終始 緊張させる “予測不能” の作品になりました。
 
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「クローバーフィールド  HAKAISHA」 (1)

2008年04月03日 22時10分20秒 | 映画
 
 話題作 「クローバーフィールド」 の ジャパンプレミア試写を観てきました。

 会場は、3月19日にオープンしたという、水道橋のJCBホール。

 「クローバーフィールド」 は、今までにない 異例のプロモーションで

 注目を集めました。

 映画館で 予告編が流れる中、ホームビデオの映像が出てきて、

 パーティの風景が映されます。

 突然 大音響と共に 建物が揺れ、パーティの参加者たちが 屋上へ出ると、

 マンハッタンらしき 遠方の高層ビルが 大爆発を起こし、その破片が飛んできます。

 慌ててビルの中に逃げ、今度は地上へ出ると、

 再び爆発が起きて 道路に落ちてきたのは、何と 自由の女神の頭部。

 映像は 全てホームビデオです。

 映画の宣伝文句も タイトルさえもなく、

 実際のニュース映像なのかとも 見紛うものです。

 全米では、ネット上でも 様々なミスリード,怪情報が飛び交い、

 話題騒然となったそうです。

 やがて 題名が明かされた 「クローバーフィールド」 の仕掛け人は、

 今ハリウッドで 最も注目されているという プロデューサー・

 J.J.エイブラムス。

 このプロモーションのキーワードは、『予測不能』。

 プレミア試写会でも、何が起こるか “予測不能” でした。

 会場に入るや、暗い場内に 異彩を放つライティング,

 「クローバーフィールド」 の映像と 音響が流されています。

 開始時刻になって、司会の襟川クロが 出てきますが、

 彼女自身も何が起こるか 知らされていません。

 司会のクロが紹介した映像と 別の映像が映されたり、

 いきなり マジシャンのセロが登場したり、

 クロが話している途中に いきなり 大きな音楽と映像が始まったり。

 そして極めつけは、スクリーンになっていた カーテンが開いて、

 スモークと赤い光に包まれて 出てきたのは、

 予告編で吹っ飛ばされた、あの 自由の女神の頭部でした。

 そこへ エイブラムスはじめ、キャスト,監督らが登場し、

 クロもすっかり 翻弄されていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53585239.html 
 
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「モンゴル (MONGOL)」

2008年03月31日 21時24分29秒 | 映画
 
 12世紀 モンゴル統一を果たした チンギス・ハーン (テムジン) の、

 壮大な “叙情詩” です。

 昨年日本でも、チンギス・ハーンの一代記を描いた

 角川春樹制作の 「蒼き狼」 がありましたが、

 ロシア人監督 セルゲイ・ボドロフの手による 「モンゴル」 は、

 比べ物にならない 深遠な作品を作り上げました。

 人間描写の重厚さ,映像の荘厳さ,音楽の脈動、言葉にならない表現から、

 作品の奥行きが伝わってきます。

 作者の人格的な深みが、それらに現れるのです。

 絵画,音楽,舞踊など、言葉以外による芸術でも、

 作者の思想,経験,人間観などが、否応なく表出されるわけです。

 もちろん そこに技術 (表現力) が伴いますが、

 技術とは 実は作者の世界観 そのものに他なりません。

 「蒼き狼」 の出演者は 反町隆史、菊川怜ら日本人で、セリフも日本語ですが、

 「モンゴル」 は 全編モンゴル語で、役者も モンゴル人や中国人などです。

 目のぱっちりした 現代的な美形ではなく、

 いかにも 12世紀のモンゴル人顔をした 俳優陣が、

 リアリティある重みを 感じさせてくれます。

 アジア人役者の中から 主役に抜擢された浅野忠信は、

 テムジンのカリスマ性を 見事に体現していました。

 モンゴル語のセリフを習得し、乗馬やモンゴルの殺陣も 自ら演じています。

 「蒼き狼」 では、テムジンの幼少期から 国家統一までの史実やドラマを、

 分かりやすく 描いていたのに対し、

 「モンゴル」 は それらを大幅に省略した分、

 テムジンの精神的な世界を 表現していました。

 テムジンの生涯には 空白の期間があります。

 ボドロフ監督は、その間 彼は投獄されていたのではないか という説を取り入れ、

 映画の重要な部分に 据えています。

 獄中でテムジンは 修行僧のように瞑想を深め、

 国家統一のための 哲学を確立していったといいます。

 まるで 石仏のようなメイクと、浅野忠信の存在感は 印象的でした。

 勇猛さと慈愛を併せ持ち、独創的で自由な人間・テムジンを 描き出した大作は、

 アカデミー外国語映画賞 候補作です。
 
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「ぼくたちと駐在さんの 700日戦争」

2008年03月28日 23時20分34秒 | 映画
 
 人気ブログ小説から生まれた、半分実話という 新感覚映画です。

 監督は 「時効警察」 の塚本連平、主演は市原隼人,佐々木蔵之助,麻生久美子。

 イタズラに青春をかけている ママチャリ (市原隼人) と、6人の高校生たち。

 その町に赴任してきた 駐在さん (佐々木蔵之助)。

 彼らの間に、凄まじいイタズラ合戦が 繰り広げられます。

 次々とイタズラを考え出す ママチャリたちに対し、

 駐在さんは 国家公務員であることも忘れて 反撃する、

 日本一 大人げない男なのでした。

 塚本監督は、「時効警察」 の 脱力感あふれる演出とは 様変わりし、

 バイタリティとスピード感のある コメディに仕上げています。

 そして やはり小ネタは満載。

 舞台は1980年の栃木で、当時のヒット曲や小道具も 巧みに散りばめられています。

 終始 笑わせられ、そして 最後にほろりとさせる エンターテイメントでした。

 市原直人は表情豊かで、テンポもよく、コメディも見事に演じています。

 試写会では 出演者たちの舞台挨拶。

 これはイタズラの映画 ということで、その時もイタズラの連発でした。

 まず 司会者の前説により、来場客全員に配られていた 紙のお面を、

 合図で一斉に被って、出演者を驚かすというもの。

 一緒にやってあげました。σ (^^;)

 市原隼人がドラマ撮影のため 間に合わないかも知れない と司会者が言い、

 会場から溜め息が漏れると、市原隼人が 作品中のママチャリに乗って 舞台に現れ。

 出演者が座る椅子にブーブークラクション という古典的なイタズラのあとは、

 市原隼人のマイクに 仕掛けがされていて 甲高い声になってしまったり。

 素直に楽しめた ひとときでした。

 原作のブログ小説は、アクセスランキング20ヶ月No.1 という記録を更新中で、

 今も毎日 書き続けられているそうです。

 書き込まれたコメントによって 翌日のストーリーが変わったり、

 コメントを付けたユーザーを そのまま登場させたり、

 参加型ブログ小説の パイオニアだということです。

http://700days.blog69.fc2.com/
 
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「青い花火」 (3)

2008年03月27日 21時34分04秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53448581.html からの続き)

 10年前には 先取りしたテーマだったのではないでしょうか。

(心子と僕が 付き合い始める 前の年ですね。 (^^;))

 アダルトチルドレン,虐待,イジメ,引きこもり,自傷行為,

 そして、自分が自分であることの アイデンティティ、

 色々な問題が 含まれています。

 生きづらさを感じている人間が、自分と相対することによって、

 自分を回復していく 再生のドラマ。

 演出も凝っていて、心証に訴えかけてきました。

 NHKは時々、こういう珠玉のドラマを 放送してくれます。

 原作は鎌田敏夫で、放送文化基金賞本賞、演出賞 (若泉久朗)、

 女優演技賞 (桃井かおり,松尾れい子) の3部門を受賞。

 松尾れい子は、当時 ポスト広末涼子と言われたそうですが、

 何といっても その “目力” が 強烈な印象を与えました。

 ぶっきらぼうな物言いは、演出なのか 演技の未熟さなのか。

 大熱演で 異彩を放っていましたが、その後 あまり活動を耳にせず、

 どうしているのか 気にかかるところです。

 この作品は 前半を見ることができなかったにも拘らず、

 強く引きつけられ、記憶に残る 作品になりました。

 前半も見られたら、彼女たちの心の世界が

 もっとよく 感じられたであろうことが残念です。

 彼女らは ボーダーとまでは言えないと思いますが、

 親の虐待に遭ったり、親の期待に 応えようとしすぎたりした結果、

 自分自身の生き方を見失ってしまった アダルトチルドレンでしょう。

 彩佳は己の意志で そこから抜け出るため、

 その若さゆえ 手段は拙劣だったかも知れませんが、

 懸命に 自分の足で踏み出そうと もがいています。

 そんな彩佳の目には、人との交わりを拒んで 自分を閉ざして生きている、

 玲子が許せなかったのでしょう。

 それは 自分自身に対する、怒りや苛立ちだったように見えます。

 玲子は彩佳に触発され、彩佳も 自分をぶつける相手があったからこそ、

 お互い 立ち上がっていけたのかもしれません。

 回復への道は 一人で歩んでいくことはできず、支え合う存在は やはり大切です。

 タイトルの 「青い花火」 ですが、彩佳が 玲子と花火をしようと言い、

 二人で花火を持って 高架下を走るシーンに 因んでいます。

 玲子はそこに、彩佳の生の力を 感じるのです。

 或いは タイトルは、

 二人の人間の まだ未熟な 「青さ」 に 掛けているのかもしれません。

 青いながらも、無我夢中で瞬こうとしている、

 秘められた息吹を 表している気がします。
 
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「青い花火」 (2)

2008年03月26日 22時56分36秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53431467.html からの続き)

 圧巻は、玲子が ビデオの編集をするシーン。

 バックから攻められる 彩佳の顔のアップが、複数のモニターに映し出され、

 玲子はそれを見ながら 編集作業をします。

 彩佳の鋭い眼が 玲子を睨むように並び、玲子は彩佳と 正面から見つめ合います。

 彩佳と玲子の 眼と眼の激闘。

 ビデオの中の 彩佳の演技は、正に 「自分は生きているんだ」 と

 必死に主張しているようです。

 そして玲子は 彩佳から逃げずに対峙し、自分自身とも 向き合っていくのです。

 ビデオ制作が終わり、彩佳は 会社を去っていきます。

 そして 何本ものビデオを ポストに投函し、告白します。

 自分も中学生のとき、クラスの男子を 苛めたことがある。

 高校で 自分が苛められて、初めて 彼の気持ちが分かった。

 自分は、声を上げられなかった 彼のために叫んだのだと。

「彼は私。 私は彼。 私は私。 皆とは違う。 文句あるか。

 これをやらなければ、私は生きていけなかった」

 彩佳のビデオ出演は、自分が自分として 生きていることの、

 死に物狂いの 叫びだったのでしょう。

 それが 玲子の心を動かした。

 そのあとで 玲子はスタッフから、彩佳の置き土産だという 携帯電話を渡されます。

 電話を持たない玲子に、人とのコミュニケーションの 象徴である携帯電話。

「いつか電話するって 言ってた」

 スタッフから そう告げられた玲子は、

 声を上げて ボロボロ涙をこぼすのでした。

 そして、田舎を走る電車の中に 玲子の姿。

 携帯電話に 彩佳が公衆電話から架けてきます。

 玲子は、虐待を受けた 母親に会いに行くことを 話します。

「そうしなければ、あたしも 生きていけないでしょ」

 彩佳は 自分の捨て身の演技が、玲子に伝わったことを確認し、目に涙を溜めます。

 知らない街の 電話ボックスから出てきた彩佳、その姿は 何とスキンヘッド。

 彩佳の、新たな場所での、次の一歩が 始まります。

 人込みの中を闊歩する、輝くような存在感が 際立っていました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53462117.html
 
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「青い花火」 (1)

2008年03月25日 21時49分57秒 | 映画
 
 ミクシィの マイミクさんが教えてくれた、NHKの 1998年のドラマです。

 心の傷を負った 二人の女性が、自分の生きる証を獲得していく 闘いの物語。

 DVDなども 売っていないということで、

 マイミクさんが 録画してくれたビデオを 貸してくれました。

 残念ながら 前半が録画されておらず、その部分は マイミクさんのあらすじ説明と、

 コピーしてくれた ネットのレビューで了解しました。

 皆さんも観ることができないでしょうから、ネタバレの感想を書きます。 (^^;)

 加藤玲子 (桃井かおり) は、いとこの矢島 (岸部一徳) と

 AVビデオの制作をしています。

 玲子は幼いとき 母親から虐待を受けており、

 摂食障害になったり、引きこもったりしていました。

 今も自閉気味で 人と関わることができず、

 部屋には電話もなく、自分の殻の中に うずくまって生きています。

 そこへやって来た 彩佳 (松尾れい子)、AVビデオに出たいと言うのです。

 彩佳の手に 吐きダコ 〔*注〕 を見つけた玲子は、

 彩佳に 自分と同じ姿を見て、出演を思い止まらせようとしますが、

 彩佳の気持ちは変わりません。

〔*注: 心子にもありました。
     過食嘔吐で 口に指を突っ込むため、手にできるタコです。〕

 彩佳は、玲子と自分が同じだと見られることに 反発します。

 自分は 玲子のように弱くはない、

 傷ついているからビデオに出るのだ などと思われたくない、と訴えます。

 そして、人との関わりを避けて生きている 玲子を批判するのです。

 玲子は その言葉から逃げるように、耳を背けます。

 NHK制作のドラマでもあるので、ベッドシーンは そのままは映しません。

 松尾れい子の顔だけの映像で、彼女の痛烈な眼光が 観る者を射抜きます。

 その苦しみの表情は、

 自分のアイデンティティを掴むための 苦悩でもあるかのようです。

 そして彩佳は、ビデオができ上がったら、

 自分を苛めた 同級生や先生,親たちに それを送るのだと言います。

 「これが私だ! 文句あるか!」 と 言ってやるのだと。

 うずくまっていた 玲子の胸に、彩佳の絶叫が 突き刺さります。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53448581.html
 
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「4ヶ月、3週と2日」

2008年03月15日 23時06分23秒 | 映画
 
 今から20年前、チャウシェスク政権下のルーマニア。

 労働力確保のために 妊娠中絶が禁止されている中、

 女学生のオティリアが、ルームメイト・ガビツァの 中絶のために

 奔走する姿を描きます。

 タイトルは、妊娠期間を表しているということです。

 監督は新鋭 クリスチャン・ムンギウ。

 2007年 カンヌ国際映画祭で、パルムドール賞を 受賞した秀作です。

 劇的な演出や 音楽までも一切排し、

 カット割りのない 長回しの手持ちカメラで、オティリアたちの 動きを追います。

 彼らの生々しい息づかいが 緊張感を伝え、

 リアリティ溢れる映像が 映し出されていくのです。

 ガビツァは頼りなく、むしろ自分勝手で、いい加減な嘘を ついたりもします。

 ホテルの一室で 闇医者に堕胎手術を 依頼するのですが、

 ガビツァの不手際のために オティリアは、著しい犠牲を払うことになります。

 オティリアは 友達のためというよりも、

 暗鬱な空気の中で 何かに抵抗するように、突き進んでいきます。

 それは 束縛された社会の 支配に対して、

 一人の女性として 生きる姿勢を貫徹する 行為なのかもしれません。

 静かで 息詰まる展開が 最後まで見る者を引きつけ、

 ルーマニアの新しい力を 見せてくれました。
 
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「ジャンパー」

2008年03月13日 23時35分08秒 | 映画
 
 テレポーテーション。

 瞬間移動 (=ジャンプ) する 超能力を持った青年の話です。

 15才のとき この能力に目覚めたデヴィッドは、

 一晩で世界中の景勝や モニュメントなどを堪能したり、

 “究極の自由” を謳歌していました。

 手にしたものも 一緒に移動できるので、

 銀行の金庫にジャンプして 大金を手に入れたり、放埒なこともしています。

 ところが、実はジャンパーは デヴィッドだけではなく、他にも存在していました。

 そして、ジャンパーを 悪の存在と見なして、

 抹殺を使命とする 「パラディン」 という組織が、彼らを追っていたのです。

 パラディンは、ジャンプを封じて感電させる 特殊な武器を手に、

 ジャンパーを追い詰めます。

 ジャンパーとパラディンの、追いつ追われつの 攻防が繰り広げられます。

 デヴィッドは 恋人ミリーには、この超能力を 明かしていませんでしたが、

 ミリーをも巻き込んでいくのです。

 ジャンパーは その能力が高まるにつれ、

 自分が接している より大きなものを、共に移動させることが できるようになります。

 能力の増大に伴って、アクションシーンは 大掛かりになっていきます。

 渋谷でのカーアクションも 見所です。

 スピーディなVFX、世界の観光地、スリルと葛藤、単純に楽しめる映画でした。

 そしてラストに、デヴィッドの母親の 秘密が明かされます。

 続編ができそうな 新たな作品でした。
 
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「接吻」

2008年03月10日 21時14分36秒 | 映画
 
 一家惨殺事件を起こして、マスコミに 自分が犯人だと

 名乗り出た 坂口 (豊川悦司)。

 その逮捕現場を テレビの生中継で見た OL・京子 (小池栄子)。

 その瞬間 京子は、坂口と自分は 同じだと直感します。

 京子は常日頃、周囲からの疎外感を感じており、

 坂口に猛烈な共感を感じて 惹かれていくのです。

 京子は 坂口のことを徹底的に調べ、裁判を傍聴し、

 弁護士の長谷川 (中村トオル) を通じて 坂口に差し入れをしたりします。

 坂口は 法廷でも弁護士の接見でも、終始 無言を貫き通しますが、

 京子は坂口のことなら 全て分かると言います。

 狂気と隣り合わせの愛情に 身を委ねる京子。

 京子と坂口は 手紙を交わし、ついに獄中結婚をし、

 そして 驚愕のラストシーンを迎えるのです。

 万田邦敏監督から 出演を依頼された小池栄子は、当初 断ったそうです。

 何回脚本を読んでも、京子の言動が理解できず、好きになれないからと。

 しかし プロデューサーに説得され、また脚本を 10回くらい読み直して、

 少しずつ 京子に惹かれるものも 感じていったということです。

 それでも、ラストの京子の行動の意味が どうしても分からず、

 万田監督に聞いても  「意味って言うか……」 としか 言ってくれなかったと。

 そして、人間は 常に意味のある行動だけをするものではない、

 と思い至って 臨んだのだといいます。

 
 試写会上映後、会場で 万田監督との質疑応答がありました。

 試写会で 出演者の舞台挨拶が あることはありますが、

 約40分も時間をとって、監督と会場が じっくり語り合う機会は 普通ありません。

 万田監督は、頭が禿げて しょぼくれた、にこにこしてる おじさんという感じでした。

 僕は 例のラストシーンの意味を 尋ねてみました。

 監督は、意味は 京子がこれから考えていく,全て意味が あるものでなくてもいい、

 などと言いながら、こうして自分は 質問に答えて 納得してもらおうとしていると、

 自己矛盾を 吐露していた次第です。

 「作る」 という作業は 「意識的な」 作業です。

 現実の人間の 無意識な言動とは 根本的に異なります。

 脚本家や監督は、スタッフに質問された場合、

 全て 「言葉で」 説明できなければいけない と言われています。

 “理由” を求める僕としては やはり釈然としませんが、

 監督は憎めない人であり、強烈な印象に 残る作品でした。
 
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「ラスト・コーション」

2008年03月02日 23時55分18秒 | 映画
 
 「ブロークバック・マウンテン」 の アン・リー監督、禁断の愛の衝撃作。

(「ブロークバック・マウンテン」
  http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34019511.html)

 舞台は 1940年前後の、日本占領下の上海。

 傀儡政権は 自国民の抗日運動を 弾圧しています。

 大学に入学して 演劇部に入った ヒロイン、ワン(タン・ウェイ)、

 劇団員に誘われ 抗日運動にはまっていきます。

 弾圧側の顔役、イー (トニー・レイン) に近づいて

 ハニー・トラップを仕掛け、暗殺の機会を伺うのです。

 演劇の延長で、殺人の謀略にまで エスカレートしてしまう学生たち。

 しかし 色仕掛けをしようにも、劇団員たちは一人を除いて 全員性体験がありません。

 しかもその一人も 娼婦相手だという。

 ワンは その男を相手に、床入りの練習をするのです。

 当時の抗日運動の 実態は知りませんが、ただの学生が そこまでするのかと……。

 一度は 殺害計画に失敗して 挫折するものの、

 3年後、ワンたちは再び イーに接触を図ります。

 今度は 本物の女スパイとして。

 ワンとイーは、虚々実々の駆け引きの中で、危険な情欲の逢瀬に 身を投じます。

 このベッドシーンが 極めて激しくて挑発的です。

 ぼかしが入っていますが、本当に“実演”をしているのではないか と思えるような。

 この刺激的なシーンに、タン・ウェイが 文字通り体当たりでぶつかり、

 見る者の 感情を揺さぶります。

 童顔のタン・ウェイは、女学生役も 難なく演じていましたが、

 一変して 妖艶な眼差しを見せつけ、大胆な濡れ場に挑んでいます。

 そして、相手を欺くための 手段だったはずが、次第に真実の愛に……。

 タン・ウェイはテレビドラマで 活躍していたそうですが、映画出演は初めて、

 1万人のオーディションで アン・リー監督から大抜擢されました。

 作品はヴェネチア国際映画祭で 金獅子賞を射止め、

 タン・ウェイは一躍 世界的な女優に名を連ねました。

 僕にとっても 非常に印象に焼きついた女性でした。

 「ラスト・コーション」 の原題は 「色戒」。

 「Lust」 は仏教用語で 「色」 「欲」 「感情」、

 「caution」 は 「戒め」 の他に、 「誓い」 の意味があるそうです。
 
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「明日への遺言」

2008年03月01日 23時36分08秒 | 映画
 
 第二次大戦の B級戦犯・岡田資 (たすく) 中将が、

 戦犯裁判にかけられて、自らの信念を携えて 堂々と戦い、

 部下を守って 全ての責任を背負っていく 実話です。

 米軍爆撃機の搭乗員を 日本軍が捕え、

 岡田資は 米兵を死刑に処すよう 命令しました。

 その罪を問われますが 岡田中将は、

 米軍機は 国際法違反である無差別爆撃をしたと 主張します。

 そして責任は、米兵処刑に直接手を下した 部下ではなく、

 命令した自分に全てあると訴えます。

 法廷の誰もが、岡田中将は部下を救うために、

 自分だけが 死刑になろうとしていると察します。

 弁護士だけでなく、ある時期からは 検察や裁判官までもが、

 岡田中将に 有利な答を促すような 質問をしますが、

 中将は断固として これを拒むのです。

 アメリカ人の弁護士と 岡田中将は心で結ばれ、

 検事も中将に 好意を感じるようになっていきます。

 そして 傍聴席から連日 中将を見守る家族は、

 誇りを持って 中将と気持ちを交わします。

 最後に中将は 公正な法廷に感謝をし、「本望である」 と述べて、

 粛然と死刑を 受け入れていくのです。

 中将以外の被告は、全て懲役刑 (重労働) でした。

 これほど毅然として、重い責任感を抱き、部下を思いやる人間が、

 戦争という 時代状況であったがために、死んでいかなければならない。

 それは 無名の兵士たちも同じですが、

 もし通常の時代に 岡田資が生きていたら、

 どんなに優秀で立派な 上司になっていたことでしょう。

 現代は、無責任で 社員や消費者のことを考えない 経営者も多いなか、

 我々は岡田中将のような 過去の偉人に、

 理念を学ぶ必要が あるのではないでしょうか。

 自分の運命から逃げずに、背筋を伸ばして対峙し、

 誠実に、愛情と気概を持って 生ききった、

 清廉な男の言葉が 心に残ります。
 
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「バンテージポイント」

2008年02月27日 22時46分19秒 | 映画
 
 有楽町 国際フォーラムで、ジャパンプレミア試写を 観てきました。

 定員5000人という、僕が知っている中で 一番大きな会場ですね。
 

 米大統領が、大観衆の面前の演壇で 狙撃されます。

 シークレットサービスはじめ、8人の 重要な目撃者がいますが、

 それぞれの視点 (バンテージポイント) からは 異なった光景が見えています。

 TVディレクター,地元の私服警官,ビデオを撮っていた旅行者,

 暗殺者たち,事件とは無関係の女の子,大統領、

 様々なエピソードが展開します。

 映画は、狙撃直前の12:00amから 23分間の出来事を、

 それぞれの視点から 描きます。

 一人の視点の映像が終わると 時間が巻き戻され、

 再び12:00amから 別の人物の視点で描く という構成です。

 無関係だった幾つもの伏線が 次々と絡み合い、

 スピーディに 真相が明かされていきます。

 裏の裏をかき、さらにまたその裏をかく 陰謀,策略。

 サスペンスあり、カーチェイスあり、

 息をつく間もなく、手に汗握るとはこのことでしょう。

 ぐっと胸に迫る クライマックスもあります。

 斬新で緻密な構成が、見る者を引きつけた 映画でした。
 
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「KIDS」

2008年02月24日 20時50分38秒 | 映画
 
 3ヶ月余りぶりの 映画の感想です。

 とある うらぶれた街で、タケオ (玉木宏) は 暴力に身を任せたり、

 すさんだ 生活をしています。

 彼がよく行く 喫茶店で働くシホ (栗山千明) は、

 何故かいつも 大きなマスクを。

 その街に ふらりとやって来た、か弱そうな少年マサト (小池徹平)。

 彼には 不思議な力がありました。

 人の傷を 自分に移動させ、相手の怪我を “治して” しまうことができるのです。

 タイトルの 「KIDS」 は、「傷」 にかけています。

 原作は 乙一の短編小説。

 タケオは 父親から児童虐待を受け、その父は 今は脳卒中を起こして 植物状態。

 マサトの母は マサトが幼いとき 父を刺し殺し、

 マサトはその母を刺した という過去があります。

 そしてシホは 高校で苛めに遭って、顔に酷い傷を 負っていたのでした。

 それぞれに 重い事情を抱え、心に傷を持っています。

 マサトは 服役中の母親に会うために、この町へ やって来たのでした。

 マサトは、怪我の絶えない 元気な子供たちの傷を “治し”たり、

 喧嘩で大怪我をしたタケオの傷を 自分に移動させたりします。

 そしてマサトには、自分に移動させた傷を、

 さらに別の人に 移動させられる力が あることが分かるのです。

 友情,親子の愛情,裏切り,恋愛,絶望と希望……

 純粋で切ないエピソードが展開し、胸を締めつけられました。

 不覚にも、上映中何度も ハンカチを使わなければならなかったことは、

 僕は ほとんどなかったのですが。

 マサトと母親の 関係など、真実が次第に 明かされていきます。

 母親の愛を失って 生きる希望をなくしたマサトは、

 偶然、大規模交通事故で 大量の怪我人が発生した 現場に出くわします。

 そのとき 彼が取った行動は……。

 マサトの下へ 走るタケオ。

 ラストでは、それぞれが心の傷を癒し、自分の心に 向き合っていきます。

 演出に難ありの 所はありましたが、

 人の傷を移動させるという 秀でた発想から、佳作のドラマが生まれました。
 
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