「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

パソコン苦労談(3)

2006年08月31日 18時25分33秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39474989.html からの続き)

 パソコンの再修理は、最速の2日でやってきてくれました。

 そうして今度は ソフトのインストールや、各種の設定,データの整理など、

 1からひとつずつ やりなおす作業です。

 これがまた とても大変で、方法が分からなかったり、恒例の不具合が生じたりで、

 各メーカーに 電話で問い合わせながら、何日もかけてやってました。

 親指シフト入力は 特別な設定が必要なのですが、何故かうまくいかず、

 おまけに土日だったため メーカーの電話サービスはお休み。

 週明けまで待って 電話をかけ、やっと 親指入力が可能になった次第です。

 その他の環境も整えて、どうにかこうにか ブログの再開にこぎ着けました。

 更新は3週間の 空白になってしまいました。
 

 ところで、ブログの訪問者を増やすには、

 毎日 記事を更新することが大切だと、当初 聞いていたので、

 僕はブログ開設以来、一生懸命頑張って 毎日 書き込んできていました。

 ところが、3週間 全然 更新できなかったにも拘らず、

 アクセス数は それほど大きくは変わりませんでした。

 喜んでいいのでしょうが、そんなに無理して頑張らなくても

 良かったということなのでしょうか……。

 もちろん アクセス数だけで 全てが決まるわけではありませんが。

 何にせよ、晴れてブログが再開できましたので、

 またどうぞ よろしくお願いします。m(_ _)m
 

(ちなみに、僕は自由業なので平日の昼間でもメーカーに電話をかけて、パソコンの操作ができるのですが、

 会社勤めの人はパソコンをリカバリーしたときなど、どうしてるんでしょう?)
 
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パソコン苦労談(2)

2006年08月30日 23時51分38秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39433821.html  からの続き)

 手元からパソコンが失われた間は 何もできず、

 ネットカフェで メールなどのチェックをしていました。

 実は僕は、フジツーの 「親指シフトキーボード」 というものを使っています。

 これは 日本語入力のために特化して、フジツーが独自に研究した キーボードです。

( 「親指シフトキー」 について ↓

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/40522620.html )

 従って僕は ローマ字入力があまりできず、

 ネットカフェなどでは 入力に支障があって、書き込みができないのです。

 パソコンの修理中は、簡単なコメント以外、ずっと記事の更新が できませんでした。

 そうして約10日、やっと パソコンが戻ってきました。

 ところが、パソコンを立ち上げて 作業を始めると、また突然再起動! 

 その後も すぐ再起動してしまい、メーカーに文句を言いました。

 そして パソコンは再び、修理に持っていかれることに なってしまったのです。

 思い出したのですが、以前も修理を頼んだとき、戻ってきても直っておらず、

 再修理ということがありました。

 パソコンを取りに来た 運送屋さんによると、

 他の客も 直っていないことが しばしばあるというのです。

 一体どういうことなのか……。

 無論 無償の再修理ですが、迷惑なこと この上ありません。

 再び ネットカフェ通いをする 羽目になってしまいました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39500960.html
 
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パソコン苦労談(1)

2006年08月29日 23時01分56秒 | Weblog
 
 皆さん、長らくご無沙汰しました。

 昨年の11月に このブログを開設してから、ほとんど毎日 記事を更新してきましたが、

 パソコンが壊れて 書き込みができなくなってしまいました。

 それがついに復旧し、3週間以上ぶりの返り咲きです。 (^^;)
 

 そもそも今回は、万が一の災難に備えて、ハードディスクのバックアップを 取っておこうという、

 建設的な動機が ことの始まりでした。

 バックアップ用の 外付けハードディスクを買ってきて、

 コンピューター内のデータを 外付けハードディスクに 移す作業をしました。

 しかし 基本的な操作の説明書きが 不足していたため、

 作業に何時間もかかったり、様々な不具合が生じたり。

 メーカーに電話で問い合わせ、何度もやり直しました。

 そして どうにかバックアップが終わろうというとき、

 何故か マウスが効かなくなってきてしまいました。

 そうこうしているうちに、インターネットにもつなげなくなったり、

 前々から起きていた 作業中の突然の再起動が 頻発したりしたのでした。

 メーカーに問い合わせ、あれこれやっていましたが 不具合は直らず、

 結局 コンピューターをリカバリーしなければ ならないということに……。

 データは コピーし終わっていたわけですが、

 アクシデントに備えて バックアップを取ったという作業 そのものが原因で、

 トラブルが起きてしまったとは、

 一体何のための バックアップだったというか、まるで本末転倒というか……。

 まあ、いずれ バックアップは取っておかなければ いけないものだったのですが。

 それで、泣く泣く リカバリーを行なったのでした。

 ところが、それでも 不具合は解消しません。

 結局 ハード的な故障だということで、修理に出すことになってしまいました。

 ここまでが 約5日間の成り行きです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39474989.html
 
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境界性人格障害の治療(1)

2006年08月07日 20時20分16秒 | ボーダーに関して
 
 ボーダーの治療には 長期のカウンセリングが必要です。

 支持療法,力動精神療法,認知行動療法 などもあります。

 しかし それを専門的に実施できる医師は、日本にはまだ少数だといいます。

 薬による治療は 抗鬱剤や安定剤などの 対処療法だけで、

 根治療法は 現在は少ないと言われていますが、研究もされています。

(ちなみに心子は、眠剤や痛み止め,腰痛の湿布などを含めて

 14~5種類の薬を処方され、精神科の診察を受けたあとは

 毎回 大きな袋をぶら下げて 帰ることになっていました。)
 
 欧米では、弁証法的行動療法が とても有効な治療方法として 行なわれています。

〔参考記事: http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html〕


 ボーダーの人の感情や見方は、客観的な実態との間に ずれがあります。

 この 「認知のゆがみ」を 修正していかなければなりません。

 でも 自己のゆがみに 目を向けるということは、

 蓋をしておきたい醜い部分を 覗きこむことになります。

 当事者には 堪えきれないことであり、

 治療の途中で 病状がかえって悪化することもあります。

 しかし ときには、怒りや行動化(アクティング・アウト)の

 背後にあるものを 探っていくことが必要です。

 不合理な感情を自覚して 徐々に 手なずけていくようにし、

 分裂した認識を 順次 統合していくのです。

 紆余曲折を繰り返し、何年にも渡る格闘を 余儀なくされるでしょう。

 そして、不安や苦しみを 取り除くことが目的ではなく、

 不安や苦しみを抱えながら、

 持ちこたえられる自分を 作ることを目指していきます。

 「悩む力」を 身に付けていくのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39580737.html
 
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亀田興毅タイトルマッチの判定

2006年08月06日 13時28分31秒 | Weblog
 
 この週末、全国的に話題になっているのが、

 亀田興毅選手の世界王座決定戦での 疑問の判定結果ですね。

 僕は 試合の一部しか見られなかったので、実際の優劣の感想は 言えないのですが、

 WBCの採点方法に かなり問題があるように思います。

 採点は 互角で10-10、優勢で10-9、ダウン1回で10-8、ダウン2回で10-7と、

 相当 形式的に決まっているようです。

 10-6というのは 制度上ないということです。

 さらに、各ラウンドで極力 優劣を付けるようにし、

 10-10は 1試合で2ラウンド程度にしたいという、WBC会長の意向があるそうです。

 今回のように亀田選手が 第1ラウンドでダウンをきっしても、

 あと2ラウンドを 僅差でも優勢を取れば、それでイーブンになってしまうのですね。

 ダウンは野球で言えば ホームランに当たりますが、

 相手が ボテボテのヒットを2本打てば 同点になるというようなものです。

 おまけに、ダウンといっても すぐに立ち上がって ダメージが少ないものもあるし、

 カウント9ぎりぎりで立つような 強烈なダウンもあるでしょう。

 それが 同じ2ポイントに評価されるのも 矛盾した話です。

 あるいは、TKO寸前の大差でも 同じく10-9の差しか付かなかったり、

 圧倒的優勢に運んでいても、偶然 ラッキーパンチを食らって 軽く倒れれば

 10-9で 劣勢になってしまうとすれば、これも不公平です。

 亀田選手の試合も、ダウンを含め全体的な印象では 不利に感じるとしても、

 規則通り 機械的に採点すると、あのような結果に なったのかもしれません。

 また、手数,有効打,積極性など、何を評価するかという

 統一された採点基準がないのも、問題とされているようです。

 それから、レフリーやジャッジの 宿泊費・交通費は、

 興行主(今回は協栄)が持つとのこと。

 こういうあり方も 疑問を招くでしょう。

 これを機会に、国際的な採点方法も 見直されることを期待します。
 

 ともあれ、亀田選手に 責任はないのであって (過度のパフォーマンスは別問題としても)、

 19才の少年への批判は 控えたいものです。

 ランダエタ選手と再戦するなり、

 今後の実績で 文句を言わせないチャンプに なってほしいと思います。

(それにしても 朝青竜、亀田選手の大事な賞状を グシャグシャにするなよ!)
 
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岡本太郎の追憶

2006年08月05日 18時01分34秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38485732.html からの続き)

 僕は岡本太郎には、二十歳を過ぎたころ、

 「今日(こんにち)の芸術」 という太郎の著書で 非常に感化されました。

 アバンギャルド(前衛芸術)について 熱筆を振るった本で、

 「芸術はうまくあっはならない、きれいであってはならない、快くあってはならない」

 という、あの岡本太郎の主張に 初めて触れたのでした。

 そのときの僕の感銘は衝撃的で、それまでの既成概念を打ち壊され、

 新しい価値観に 目を開かされたのです。

 僕にとっては岡本太郎は、ラジカルで驚異的な、天才芸術家でした。

 その後、彼はテレビなどにも 頻繁に出るようになり、

 「何だ、これは!?」 と連発する 変なオジサン、

 というような目で 見られていました。

 僕は内心、「本当の岡本太郎は違う」 と思ったりしていたものです。

 ピカソと並び称される 極めて高度な芸術家で、学術的な素養も 非常に深い彼は、

 人に好かれたり 評価されることを求めず、闘争や挑むことを好み、

 人に媚びるのを拒否していたのです。

 しかしながら岡本太郎は、お高くとまった 権威的な“芸術”ではなく、

 人間の日常の生活の中にこそ 生きた芸術があると考え、

 作品は 誰でもいつでも触れられるようにすべきだ と言っていました。

 「明日の神話」を 誰でもが目の前で観られるように、

 大衆に愛されることこそ、逆説的に 彼が欲していたことなのかも知れません。
 
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岡本太郎「明日の神話」(3)

2006年08月04日 19時00分39秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38449064.html からの続き)

 今年は太郎の昇天から ちょうど10年、

 多くの人の力が集まって、天才の魂が込められた壁画が 息を吹き返し、

 人々の目の前に 姿を現わしました。

 本当にそれは 幸運なことだと思います。

 もちろん作品にとっても、我々にとっても。

 汐留の展示場で、観客たちは携帯で 絵を撮りまくったり、

 ピースをして 記念写真を撮ったりしていました。

 普通の美術館では 許されない行為ですが、皆が作品を身近に感じて、

 太郎と敏子も 天国から微笑みながら 見ているのではないでしょうか。

 
 ちなみに、先日の日本テレビの番組で 「明日の神話」の 除幕式が放送されたとき、

 世界初公開のはずなのに、僕はその絵に はっきりと見覚えがありました。

 20数年前、新宿・小田急百貨店で開催された 「岡本太郎展」の カタログに、

 「明日の神話」の 写真が載っていたのでした。

 「明日の神話」の写真は 日本でもすでに出回っていたのだろうかと、

 岡本太郎記念館や岡本太郎美術館に 問い合わせてみました。

 その結果、実物の壁画の写真は 制作過程のものだけで、完成品の写真はなかったが、

 下絵は4枚存在していて、その写真は 日本にもあったと聞きました。

 「岡本太郎展」カタログに 掲載されているものは、

 名古屋美術館に保管されている下絵の 写真だということです。

 この下絵は 1m×7mだそうですが、

 ほとんど実物そのままで 克明に描き込まれています。

 大阪万博「太陽の塔」の制作に 忙殺されるなかで、

 日本とメキシコを 何度も往復しながら、こんな完璧な作業を こなしていたとは、

 正に岡本太郎のエネルギーには ただ驚くばかりです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38522946.html
 
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岡本太郎「明日の神話」(2)

2006年08月03日 21時47分19秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38385800.html からの続き)

 僕は昔から 岡本太郎の大ファンで、かつて 非常に傾倒していました。

 長らく絵画を観にいっていませんでしたが、

 「明日の神話」を観て、久々に絵に感動しました。

 涙が出そうになり、体がぶるぶる震えました。

 太郎の情念が 伝わってくるようでした。

 汐留の展示場では、間近で 絵を観られるようになっているのですが、

 僕は1時間半ほども 飽かずに観ていました。

 大規模な壁画なので、端から端まで観るだけでも大変です。

 最後の方まで観ると、最初の方とのつながりを見比べたくなって、

 何度も見直したり、目前で筆致に見入ったり、遠目で全体を見渡したり。

 体力的には疲れましたが、気持ちはずっと充足していました。
 

 「明日の神話」は 原爆をテーマに描いたもので、

 中央に 炸裂するような骸骨が 反り返っています。

 そこから 真っ赤な火炎が画面一杯に広がり、

 群衆が火の玉に巻かれ、動物たちが逃げまどいます。

 太郎の怨念に ぞっとするようです。

 しかし 絵から発せられているのは、それだけではない気がします。

 地獄絵図のような悲惨さだけでなく、

 暴力に対する怒り、人間の力強さ、再生の希望、生命力のようなものも感じます。

 それが 太郎のメッセージでしょうか。

 絵というのは 言葉や理屈では現わせないものを感じ取り、

 やはり本当に素晴らしいものです。

(壁画の中で 一箇所、太郎のダイナミックな筆の流れが

 何故かさえぎられているような所があり、とても不思議で 不可解な思いがしました。)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38485732.html
 
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岡本太郎「明日の神話」(1)

2006年08月02日 11時00分00秒 | Weblog
 
 いま 汐留に展示されている、岡本太郎の巨大壁画

 「明日の神話」 を観てきました。

 1970年の大阪万博のシンボル 「太陽の塔」 と同時進行で描かれた、

 5.5m×30mの威容を誇る、岡本太郎の最高傑作です。

 メキシコのホテルロビーを飾る 壁画として制作されましたが、

 何と ホテルは経営悪化で 開業直前に倒産。

 悲運の 「明日の神話」は 公開されることなく、

 何度も人手に渡るうち、行方が分からなくなってしまいました。

 その後 35年を経て、岡本太郎のパートナー岡本敏子が 執念で、

 メキシコの資材置き場に ひっそりと保管されていた 壁画を発見したのです。

 しかし 野ざらしにされた壁画は ひび割れ、穴があき、

 損傷状態はひどいものでした。

 敏子は、何としても これを元通りに復元して、多くの人に見せたい

 という悲願で 奔走しました。

 多くの人の気持ちが結集して 再生プロジェクトが立ち上げられ、

 苦難の修復作業の結果、ついに昨年末、太郎の最高峰が蘇ったのです。

 ところが 壁画が日本に到着する直前、

 敏子は やるべきことをやり終えた というかのように、

 太郎の下へと 旅立っていったのでした。

 太郎の手によって完成してから 長い眠りについていた 「明日の神話」は、

 数奇の運命をくぐり抜けて、ついに白日の下に 姿を現しました。

 7月と8月、汐留の日本テレビで 無料で一般公開されています。

 「明日の神話」は 太郎と敏子の心血を注いだ結実 と言えるでしょう。

 久しぶりに 太郎の絵画に触れてきました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38449064.html
 
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境界性人格障害の人との付き合い(11)

2006年08月01日 08時19分07秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38299199.html からの続き)

 しかし 頭では分かっても、

 直接 ボーダーの人に面と向かえば どうしても感情的にもなり、

 とても 容易にできるものではないでしょう。

 ボーダーの人と接するのは、その魅力に引き付けられるとともに 困窮を極めます。

 失敗もして、互いに傷つきながら やっていくしかないと思います。

 ボーダーの人が 強い愛情を求めるのは 近しいパートナーに対してであって、

 誰かれ見境なく 厄介な感情をぶつけることはない とはいえ、

 誰でも うまく親しめるものではないでしょう。

 ただ ボーダーの人に出会ったとき、嫌ったり振り回されたり するだけではなく、

 事情を了解することで 多少ともこちらが楽になれれば、

 それだけでも 甲斐があると思います。
 

 イギリスの ある精神分析医が言っています。

「 (ボーダーの人を)大地のように支え、水のように浮かべ、激しい行動に堪えていると、

 いつしか 新しい出発点に立つかもしれない。

 そうならないかもしれないが、少なくとも害はない。」

( 「人格障害かもしれない」 (光文社新書)より)
 
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