「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「たとえば檸檬」 (3)

2013年01月10日 20時36分31秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 「たとえば檸檬」 の 解説記事などを読むと、

 この映画は 母娘の愛憎がテーマの企画 という以前に、

 韓英恵と有森也実で 何か映画ができないか、 というところから始まったそうです。

 (二人とも 片嶋監督の前の作品に 出演していたため。)

 もちろん 主演の俳優から 始まる企画は沢山あります。

 でも BPDを取り入れるのだったら、 入念に取材・ 勉強をし、

 間違った情報は 伝えるべきでありません。

 これは どんな小さなことを描く場合でも、 作品には求められることです。

 企画では 二人の女優から、 母と娘の葛藤というテーマになり、

 そこへ脚本家が、 関心を持っていた境界性パーソナリティ障害を加えた

 ということです。

 後付けであるために、 扱い方が中途半端で、

 矛盾やずさんさも 生じてしまったと思われます。

 この映画はあくまで 母親と娘の話にすべきで、

 BPDは入れないほうがよかったと思います。

 (それを観客が  「境界性パーソナリティ障害の話」 と

 解釈するのは自由ですが。)

 それだけで立派な物語として 成立するのではないでしょうか。

 ただ逆に、 BPDだとしたほうが、 すっきり解釈できる部分もありました。

 母親の自滅は 娘を救うための愛なのか、 自分の苦しみによるエゴなのか

 という局面があり、 作品では 愛よりもむしろエゴだと 解釈しています。

 しかしBPDであれば、 愛とエゴは表裏一体であり、

 どちらかのひとつではありません。

 同じものが一瞬にして反転し、

 一方の極端な面だけが その瞬間ごとに 現れるに過ぎないのです。
 

 いずれにしても、 BPDも 作品に取り上げられるようになってきたわけですが、

 かつて 他の多くの題材がそうであったように、

 最初は 浅い理解のものが 伝わってしまうことがあるでしょう。

 より深く正しい作品が 作られることを願っています。

 (拙著がその一端を担うことができれば………。)
 
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「たとえば檸檬」 (2)

2013年01月09日 20時35分11秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 映画では BPDの発症の時期が 不自然と思われますし、

 幻聴や極端な幻覚 (妄想) は 統合失調症レベルの症状です。

(心子やBPDの人は、

 過去の記憶が塗り替えられて 心的事実に縛られてしまうのは 茶飯事ですが、

 現在存在しないものが 聞こえたり見えたりするのは、

 BPDの特徴ではありません。)

 香織を 境界性パーソナリティ障害と診断する女医 (内田春菊) も、

 「こんな医者は嫌だ」 という お笑いで扱われるようなものに感じました。

 香織に イエスノーで答えさせる

 定型の質問 (「他人に見捨てられるのは恐い」 他) をしたり、 答を強要したり。

 でもこの女医は、 病気を治せる医者として 登場しています。

 以下は、 女医による境界性パーソナリティ障害の説明です。

 「総合的に判断した結果、 境界性人格障害の疑いが 濃厚と思われます。

 ボーダーラインとも呼ばれています。

 神経症と精神病の狭間にあって、 分類が極めて困難な症例です。

 多くの場合、 幼少期に受けた精神的ダメージが 原因と言われています。

 特に母親がボーダーの場合、 子供もその影響を 強く受ける傾向があります。

 取り敢えず 1週間分のお薬を出しておきます。」

 BPDに関わっている人たちの間では、 今どきこんなことは言う医者は 笑い物です。

 (「“人格”障害」 という言い方も。)

 神経症と精神病の境界という分け方は 何十年も前の話ですし、

 原因は 第一に先天的なものであって、 子育てに問題がない 誠実な親は沢山います。

 父親でなく母親がボーダーだと、

 子への影響が強いという話も あまり聞いたことがありません。

(ボーダーが 男性 (父親) より女性 (母親) に

 非常に多いということはあるとしても。)

 それに、  「1週間分のお薬」 って何でしょう?

 グループセラピーも 患者には受け入れがたいもので、

 作品の中でも 香織は腹を立てて 出て行ってしまいます。

 映画の打ち上げのとき 内田春菊が、

 「香織の病気を酷くして すみませんでした」 と言ったら、

 若いスタッフから  「そうだよ」 という声が上ったそうです。

 睡眠療法で 記憶を辿るという治療も、 現在では不適切でしょう。

(次の記事に続く)
 
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「たとえば檸檬」 (1)

2013年01月08日 20時51分12秒 | 映画
 
 境界性パーソナリティ障害の女性が 主人公という映画、

 「たとえば檸檬」 が公開されています。

 〔劇場: シネマート六本木

  監督: 片嶋一貴   脚本: 吉川二郎

  主演: 韓英恵 (かんはなえ)  有森也実

  オフィシャルサイト: http://www.dogsugar.co.jp/lemon 〕

 二十歳のカオリ (韓) は、 彫金の才能に恵まれながらも、

 母親の過干渉と暴力から 逃れられず、 母の放埒さに苦しんでいます。

 40才の香織 (有森) は、 大手企業の秘書を務めていますが、

 一方で万引きや不倫, かりそめの情事を繰り返し、 引きこもりの娘も持っています。

 (香織は 境界性パーソナリティ障害と診断されます。)

 何の接点もない二つの話が 並行して進んでいきますが、

 やがて 二人の予想外の関係に 観客は気付き、 引き込まれていきます。

 そのストーリー構成や、 最後に解き明かされる因縁は 見事です。

 母親の呪縛から 抜け出そうともがき、 母親の死さえ望む カオリと、

 奔放に振る舞いながら、 陰では激しく苦悩する 香織。

 それぞれ独立した物語が やがて融合し、

 母娘間に引き継がれる 確執が浮かび上がってくるのです。

 母と娘の 歪んだ愛情と救いがたい憎しみ、 連鎖する葛藤が テーマの作品です。

 母性愛神話など なぶるように踏みにじり、 痛々しい悲劇が展開します。

 娘から全てを奪い、 愛がありながらも愛することができない 苦悩を抱える母親。

 母親の無惨な最期もありますが、

 そこから 悲劇の連鎖を断ち切る 一抹の希望が指し示されます。

 監督と脚本家は、 あくまで 母娘の愛憎の映画を 作りたかったのでしょう。

 しかし僕としては、 やはり

 境界性パーソナリティ障害がどう描かれるのか という観点から観てしまいます。

 その意味では期待外れでした。

 この映画では、 パーソナリティ障害は後付けの感があり、

 万引きや性依存などがパーソナリティ障害という 間違いやすい印象を与えかねず、


 描かれたくない描かれ方がされていました。

(次の記事に続く)
 
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「ハーモニー  ~ 心をつなぐ歌」

2011年02月17日 20時19分32秒 | 映画
 
 きのう 心子の墓前に 会いにいったあと、 映画 「ハーモニー」 を観てきました。

 韓国の女子刑務所を舞台に、 在監者たちが合唱団を結成した 実話を元にした話です。

 主人公のジョンヘは、

 お腹の中の我が子を 夫の暴力から守るため、 夫を殺してしまいました。

 獄中で出産した女囚は、

 18ヶ月まで 刑務所内で子供を育てられる という規則です。

 (この赤ん坊役の子が また実に愛くるしい。)

 ジョンヘの他にも、

 それぞれ 止むに止まれぬ事情を抱えた 服役者が集まっています。

 そんな彼女たちが、 合唱を通じて 心を開いていき、

 人生に前向きになっていくという、 まあ お決まりのストーリーなんですが、

 実によく 作り上げられている作品です。

 当初は 個性の強い在監者たちの 不協和音が、

 次第に美しいハーモニーを 生み出していくのです。

(涙腺 弱くなってます。σ(;_;))

 我が子との別れ、 家族との不和と再会など、

 胸にしみるエピソードが 散りばめられています。

 劇中で歌い上げられる 数々の名曲も 素晴らしいバイプレーヤーで、

 それだけで琴線が刺激されました。

 死刑に対しても 問題提起をしています。

 韓国には死刑制度がありますが、 もう10年以上 執行されていないようです。

 映画では、 死刑囚と他の服役囚が 同じ部屋に収監されていたのですが 〔*注〕、

 これが事実だとすると、 同居家族のように暮らしている 在監者にとって、

 ある日突然 そのうちの一人に 死刑が執行されるのは、 余りにも酷なことでしょう。

〔*注 : 日本などでは、

 死刑囚は拘置所、 一般の服役囚は 刑務所に収容されています。

 一般の服役囚は 刑務所にいること自体が 刑の執行ですが、

 死刑囚は 死刑が執行されるまでは それを待っているだけですから、

 両者は区別されます。〕

 親密になっている 刑務官にとっても、

 在監者に 自ら手をかけなければならないのは、 これ以上にない 苦痛だと思います。

 死刑制度は そういうジレンマを含んでいるということも、

 よく理解しておかなければなりません。
 
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「孤高のメス」

2010年07月25日 22時16分14秒 | 映画
 
 映画 「孤高のメス」 は、

 現職医師・ 大鐘稔彦の 小説を原作として、 映像化したものです。

 以前、  「メスよ、 輝け!!」 〔原作・ 高山路爛 = 大鐘稔彦〕 として、

 コミックで 連載されたこともありました。

 目の前の患者を 救うことを信念とする、

 無骨でひたむきな 外科医・ 当麻鉄彦 (堤真一) が、

 上からの圧力にも屈せず、 次第に周囲を巻き込んでいきます。

 設定は1989年で、 映画では脳死肝移植が 重大なエピソードとなっています。

 実は 原作者の大鐘先生には、 昔お会いしたことがあります。

 僕が90年代前半、 小学館ビッグコミックで、

 ホスピスのマンガ  「生死命 (いのち)」 を連載していたとき、

 取材で伺ったのです。

 大鐘先生は当時、 ホスピス医療をはじめ、

 リアルタイムでの手術公開、 エホバの証人の無輸血手術などを手がけ、

 患者のための 最先端の医療を実践していました。

 「孤高のメス」 も評判が良く、 僕も期待して 観に行ったのですが……、

 正直言って 少々がっかりでした。

 何故いま、 20年前の脳死肝移植を取り上げるのか よく分からないし、

 描き方も 脳死移植の通り一遍の問題を なぞっただけに 僕としては思われました。

 人物造詣なども 深みが感じられませんでした。

 実は 映画の舞台の1989年は、

 僕がシナリオの新人登竜門  「城戸賞」 を受賞した年で、

 受賞作は 脳死肝移植を題材にした  「生命の処方箋」 というものでした。

 (シナリオは その月の 「キネマ旬報」 に、 全編掲載されています。)

 脳死,移植の問題を かなり掘り下げたもので、

 これなら 「孤高のメス」 より こっちのほうがいいのではないかと、

 自分では思ってしまいました。  (^^;)

 折しも先日、 臓器移植法が改正されました。

 脳死とは何か、 移植とは何かを 知ってもらうためにも、

 この機会に、 ブログに 「生命の処方箋」 を 連載してみようかと思います。
 
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「クロッシング」 (2) (トークショー)

2010年05月06日 20時05分03秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 「クロッシング」 は、

 08年の アカデミー賞外国語映画部門・ 韓国代表作品に選ばれた 問題作ですが、

 日本では その公開が難航しました。

 09年の春に、 シネカノンで公開される 予定だったところ、

 同映画館は経営困難で 廃業してしまいました。

 その後、 この秀作に 大手配給会社は手を付けず、

 弱小・ 太秦 (うずまさ) の林三四郎代表が、

 「我々がやらなくてはならない」 という意気込みで、 公開にこぎ着けたのです。

 大手映画配給会社だけでなく、 日本という国や、 我々国民も、

 隣国での惨状に 目をつむりがちです。

 自分たちにできることは、 せめてこうしてブログなどに 書き込むことでしょう。

 映画を観た当日は 偶然、

 コラムニスト勝谷誠彦氏と 加藤博氏によるトークショーがあり、

 幸い とても貴重な話を 聞くことができました。

 ふたりは以前 週刊文春で師弟関係にあり、 北朝鮮への潜入取材の経験もあります。

 加藤博氏は、 ベトナム, 東欧, ソ連など、

 様々な歴史的場面を取材し、 現在は 脱北者の支援活動をしています。

 02年には 中国公安当局によって拘束され、

 1週間にわたる 拷問を受けた 体験もある人物です。

 日本当局は 加藤氏が囚われたときも、 何の情報も 手立てもなく、

 救出のために 何もすることができませんでした。

 トークショーで勝谷氏は、

 こういうことも知られていない 日本という国を、 痛烈に批判していました。

 瀋陽の日本領事館で起きた  “ハンミちゃん事件” は 

 多くの人が覚えているでしょうが、

 あのとき脱北者に 手を貸すでもなく、 警官の帽子を のんびり拾っていた領事館員。

 それが日本人の姿勢を 象徴しているでしょう。

 最後に 勝谷氏は  「クロッシング」 について、

 神の偏在と、 それでも 万人の上に降る 雨という自然の普遍、

 それを描いた 美しい映画だと述べていました。
 
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「クロッシング」 (1)

2010年05月05日 22時16分03秒 | 映画
 
 北朝鮮から中国に渡った 親と子の悲劇を描いた、

 キム・テギュン監督の手による 韓国映画。

 炭鉱で働くヨンスは、 妻ヨンハ、 11歳の息子ジュニととに、

 貧しくも平穏な 生活を送っています。

 ある日 ヨンハが肺結核で倒れ、 ヨンスは 薬を手に入れるため、

 我が身の危険を顧みず 中国へ入国するのです。

 その甲斐もなく ヨンスは息を引き取り、 ジュニは父を追って 国境の川を渡ります。

 しかし身柄を拘束され、 強制収容所に送られてしまいます。


 北朝鮮での撮影は 不可能なので、

 緻密な調査と 100人以上の脱北者への 取材を重ね、

 北朝鮮の惨状を 稀有なリアリティで 再現しています。

 スタッフには 実際の脱北者が 多数含まれており、

 我々が 隠しカメラによる映像でしか 目にできない北朝鮮の現状や、

 映像が存在しない 強制収容所の実態も、

 フィルムに焼き付けることに 成功したのです。

 実際の脱北路を再現するため、 韓国, 中国, モンゴルを結ぶ

 8000キロの海外撮影が 敢行されました。

 脱北者問題に冷淡だった ノ・ムヒョン政権下で、

 企画, 制作は 徹底的に極秘裏に行なわれ、 4年を費やしたといいます。

 しかし この映画は、 金政権を直接批判したり、

 声高に アジテーションすることもありません。

 ある善良の家族、 親と子の 涙ぐましい姿を描くことによって、

 今もこの世界で 起きている現実を、 我々の胸に突きつけてきます。

(次の記事に続く)
 
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「車輪の一歩」 (2)

2010年05月03日 19時20分36秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 良子たちを見守っていた 主人公の吉岡 (鶴田浩司) は、

 沈思熟考の末に 口を開きます。

 「人に迷惑をかけない」 という価値観は、

 誰も否定できないものとして 受け入れられている。

 しかし、 人に迷惑をかけてもいいんじゃないか、

 ぎりぎりの迷惑は かけなければいけないんじゃないか、

 周りの人も それを迷惑と思わない社会に なるべきではないか、 と……。

 そして ラストシーン、 良子は勇気を出して、 一人で街へ出ていきます。

 駅の階段の前で、 良子は声を振り絞ります。

 「……誰か……、 助けてください。

 私を、 上に上げてください……!」

 物陰から 涙を堪えられずに 見ている母親。

 近くの男性2~3人が 手を差し伸べるところで、 ドラマは終わります。

 こういう人たちの 勇気が積み重ねられて、 現在の 車椅子の風景があるのですね。

 このように、

 心の障害も 人々に受け入れられる社会が、 早く来てほしいと願います。

 ボーダーの人の 激しい言動も、

 周りの人が迷惑と考えずに 受け止められるような社会が。

 でも、 車椅子の人に 手を貸すことは まだ容易ですが、

 ボーダーの人の言動は 周りの人を強く傷つけたり、 翻弄させたりしてしまいます。

 本人だけでなく、 周囲の人も 困窮を極めるのが、

 まさしくボーダーの 難しいところです。

 車輪の一歩よりも  “ジェットコースターの一歩” は、

 見上げるほど高い壁が あるかもしれません。

 それでも、 僕たちはその一歩を 踏み出していかなければなりません。

 そして それが 人々に理解される時代は、 いずれ必ず来ると 信じています。
 
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「車輪の一歩」 (1)

2010年05月02日 19時48分05秒 | 映画
 
 昨日は 障害者の話を書きましたが、 介護の仕事を 始めたせいもあるのか、

 街中で車椅子の人が 非常に目につくようになりました。

 外に出れば、 1日に2~3人は 車椅子の人を見る気がします。

 車椅子を押してもらう高齢者も、 自分で動かす 障害者の人もいますが、

 車椅子で外出する人が 昔に比べて増えました。

 山田太一さんの  「車輪の一歩」 という話を ご存じでしょうか? 

 約30年前、 ドラマ 「男たちの旅路」 の中の 1話として放送されたものです。

 当時、 車椅子で外に出るというのは、 とても珍しいことでした。

 普通の人は、 車椅子にはブレーキが付いている ということも、

 なかなか知らない時代でした。

 ドラマでは、 下半身麻痺の女性・ 良子 (斎藤とも子) は 母親と二人暮らしで、

 ずっと家に 閉じこもっています。

 母親 (赤木春恵) は、 娘が外に出れば 人様に迷惑をかける、

 娘は 自分が絶対に守る、 という信念で 娘を抱え込んでいます。

 そんな良子に、 同じ車椅子の男性たちが、 外へ出ようと働きかけます。

 良子はためらいつつも 外へ出ますが、

 踏み切りで 車椅子のタイヤが線路に挟まり、 電車が迫ってきます。

 車椅子の人たちだけでは タイヤを外せず、

 危ういところを 健常者に助けられますが、 良子は失禁してしまいます。

 母親は、 だから 嫌だと言ったんだ!  一番傷つくのは この子なんだ! 

 と 泣いて訴えるのです。

 男性たちは 無力感に囚われます。

(次の記事に続く)
 
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「ぼくはうみがみたくなりました」 (2)

2009年09月23日 18時14分07秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59713067.html

 映画は、 自分を見失いかけていた 看護学生の明日美 (大塚ちひろ) が、

 偶然 自閉症の青年・ 淳一 (伊藤祐貴) に出会い、

 ドライブをする ロードムービー形式の話です。

 自閉症のことを 全く知らなかった明日美が、

 次第に観客と共に 自閉症を理解していく 筋立てになっています。

 その中で明日美も 自分を取り戻していきます。

 全編、 暖かさやユーモアに包まれ、 ほんのり癒されるような 作品です。

 先日観た 「BALLAD」 より 遥かに面白く、

 気持ちが引き込まれる 良い映画でした。

 障害者の家庭だからといって、 悲惨で 重苦しかったりするのではなく、

 現実の家族は 陽気に過ごしています。

 過度に気を遣ったり 心配したりもせず、 突き抜けて ありのままを受け入れ、

 あっけらかんとしているのが 印象的でした。

 しかしもちろん、 パニックを起こす 激しいシーンや、

 周囲の誤解や偏見による 厳しいエピソードもあります。

 それらも含めて、 自閉症の描写については やはりリアリティがあります。

 特に 淳一を演じる伊藤さんは、 前もって 大勢の自閉症児から学び、

 自閉症の人の動作などを 完璧に身に付けました。

 淳一役を決める オーディションのとき、

 一生懸命 自閉症を演じる 他の参加者の中で、

 一人だけ “本物” がいるのではないかと 思われたほどだったといいます。

 そして、 淳一のセリフや言い回しは、

 山下さんの長男・ 大輝君の 実際の口癖だそうです。

 口調なども 大輝君そのままだということです。

 何となく うるうるするシーンが 幾つもありました。

 今後この映画が 各地でもっと上映され、

 自閉症への理解が もっと広まってほしいと思います。

(すでに 自主上映の予定が 多数決まっています。)

(次の記事に続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59722304.html
 
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映画 「ぼくはうみがみたくなりました」 上映

2009年08月12日 13時05分30秒 | 映画
 
 昨日の読売新聞に、 知り合いの脚本家・

 山下久仁明 (くにあき) さんが 紹介されていました。

 山下さんは 

 自閉症児・ 大輝 (ひろき) 君 (イケメンです) の 父親です。

 大輝君をモデルにした小説  「ぼくはうみがみたくなりました」 を、

 2002年に ぶどう社から出しました。

 それを映画化したいと 動き始めた3年前、

 大輝君は 大好きな散歩中、 事故に遭って 亡くなってしまいました。

 大輝君が全てだった山下さんは 頭が真っ白になりましたが、

 仲間の人たちに励まされ、 映画化を決定。

 自ら脚本を書き、 全国の賛同者からの 寄付金により、

 この度ついに 映画が完成・ 上映されることになりました。

 本当に喜ばしいことで、 ここまで来られた 山下さんに、

 心からの祝福と 敬意を捧げたいと思います。

 8月22日 (土) から 恵比寿の東京都写真美術館で 上映されるので、

 関心のある方は 是非ご覧になってみてください。

 秋野太作さんなども出演し、

 主役の伊藤祐貴さんの 自閉症の演技は、

 山下さん自身をも 唸らせたということです。

 心に沁みる 作品になっているようです。

 自閉症は随分 知られるようになりましたが、

 まだ 誤解もされていて、 居場所のない 家族の人たちも多くいます。

 山下さんも 映画で理解が広まることを 期待しています。

 山下さんのブログにも 上映について書かれています。

http://bokuumi.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/10-e3a4.html

 映画 「ぼくはうみがみたくなりました」 公式サイトです。

http://bokuumi.com/

 ネットでのチケット購入も できるようになりました。

http://www.711net.jp/product/n/a01b00/p/3080563

 なお、 映画のパンフレットには 寄付をした人の名前が 載るらしいので、

 σ (^^;) も載るでしょう。

 それにしても、 山下さんの甚大な熱意と 努力と人脈があったとはいえ、

 作品が映画化され 人々に伝わるというのは、 本当に羨ましいことです。

 自閉症とBPDに対する 世間の理解度は まだ雲泥の差ですが、

 いつの日か 「境界に生きた心子」 も 映像化されることを夢見る次第です。
 
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「ディア・ドクター」

2009年07月27日 21時05分53秒 | 映画

 前作 「ゆれる」 で 話題をさらい、

 数々の映画賞を獲得した 西川美和監督の作品。

 笑福亭鶴瓶が 田舎の “ニセ医者” を演じます。

 キャッチコピーは、 「その嘘は罪ですか。」

 半数が高齢者という 山村で、 ただ一人の医者・ 伊野は、

 村人たちから 神様のように崇められています。

 研修医として来た 相馬 (瑛太) も、

 初めは 伊野の力量に 疑問は感じるものの、

 村人たちのために尽くす 伊野の姿勢に 次第に感化され、

 自分もこの村で 医者を続けたいと 思うようになります。

(伊野は熱心に 医学書で勉強を欠かしません。)

 何が偽物で 何が本物なのか。

 何が善で 何が悪なのか。

 西川監督は 問いかけるようです。

 劇中で伊野は、 「自分には 医者の資格がない」 と口にします。

 でも 「医者の資格がない」 とは どういうことでしょう? 

 国家資格が ないということなのか、

 金のことしか考えず 患者を省みないということなのか。

 目の前の村人を 助けるために走り続けて、 止まれなくなってしまった 伊野。

 しかし それが行き詰まる 時が来ます。

 突然の 伊野の失踪。

 それもまた、 伊野の人間としての 良心の葛藤から、

 そうせざるを得なかった 選択です。

 そして、 取ってつけたとも言えるかもしれない ラストシーンも、

 また乙で 印象深いものでした。


 ある町で ニセのタクシー運転手が逮捕され、

 高齢者たちが病院へ行けなくなった というニュースから、

 西川監督はこの話を 思いついたと言います。

 「ゆれる」 で 脚光を浴び、

 国際的にも 極めて高い評価を 受けることになった 西川監督。

 「自分は本当は そんなすごい監督ではない」 という思いを、

 この作品に 重ねたというから、 監督のしたたかさを 感じます。

 因みに、 西川監督が事前に 取材を重ねる中で、

 医者でない者が 医者のふりを続けることは 現実にあり得るかどうか、

 現場の医師に 聞いて回ったそうです。

 その答は  「あり得る」 だったというのも、 恐い話ですね。
 
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「マン・オン・ワイヤー」 (2)

2009年07月11日 20時53分51秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 WTCの外観が 屋上まで完成したとき、

 フィリップたちは 夢を実行に移します。

 ビルに内通する人物を 仲間に引き込み、

 入館証を偽造し、 警備員の目を盗んで 屋上へ向かう。

 最上階で 警備員の巡視に出くわし、

 梁の上で 何時間も身じろぎもせず 身を隠したり。

 そして、 深夜の間に ワイヤーを設営。

( 何十メートルものワイヤーは、

 自重でたわんだり、 揺れたり、 ねじれたりします。

 それを防ぐため、 補助のワイヤーを 取り付けなければなりません。

 通常の綱渡りでは、 主ワイヤーの中央に 2本の細いワイヤーを繋げ、

 その一方の端を 地上に固定するのですが、

 400メートル以上の高さでは それは不可能です。

 そこで WTCの屋上の 別の場所に

 細いワイヤーを 固定することにしましたが、

 映画では それをどうやって設営したのかの 説明がありませんでした。

 主ワイヤーを ピンと張るところの 描写もなくて、

 それがとても残念で 見たかったことです。 )

 やがて 日が昇り、 地上を歩く人が 見上げる遥か上空に、

 綱を渡っている フィリップの姿がありました。

 直ちに逮捕しようとする 警官の目の前で、

 悠々と 綱を8往復もする フィリップの姿は痛快です。

 その警官自身、 内心では感動しているのです。

 もちろんこれは 犯罪に間違いありません。

 でも卑劣ではないし、 誰も傷つけず、 むしろ夢を与える。

 綱渡りをするという たったそれだけの筋立ての映画が、

 観る者を 引き付けてやまない所以でしょう。

 アカデミー賞はじめ、 英米の映画賞を 総なめにしたのでした。

「 何故 あんなことをしたのか? 」

 必ず聞かれる質問に、 フィリップは いつもこう答えます。

「 理由なんてない 」
 
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「マン・オン・ワイヤー」 (1)

2009年07月10日 22時41分50秒 | 映画
 
 心子が亡くなった年の 9月11日に、

 テロによって崩落した 世界貿易センタービル (WTC)。

 1974年、 このツインタワーの 屋上の間に ワイヤーを張り、

 地上411メートルの空中を 命綱なしで 綱渡りした男がいます。

 フランスの伝説的 大道芸人、 フィリップ・プティ。

 この壮大な “犯罪” の、

 周到な計画から 実行までを描いた ドキュメンタリー映画です。

 当時の映像と 再現ドラマ、

 現在の関係者への インタビューで構成されています。

 子供のときから 学校に馴染めず 5回も退学させられ、

 独学で 幾多の技能や語学, スポーツを学び、

 各国で芸を披露して回った フィリップ。

 その情熱と 詩的な語り口は 人を引き付けます。

 パリのノートルダム寺院や オーストラリアのハーバー・ブリッジなど、

 数々の建造物の 中空を綱渡りし、 その逮捕歴は 500回以上に及ぶとか。

 彼の命知らずの  “犯罪芸術” に魅せられて、

 力を合わせる 同士が集まってきます。

 フィリップが WTCで空中散歩をする 夢を抱いたのは、

 WTCがこの世に生まれる 6年も前のことでした。

 高校生のとき、 こういうビルが建つかもしれない という新聞記事を見て、

 ここを綱渡りすると 瞬時に思い立ったのです。

 66年に WTCの建設が始まると、 フィリップは仲間と共に、

 フランスからアメリカまで 何度も往復して、 何十回となく下見を重ねます。

 監視の厳しいWTCに いかに侵入するか。

 百数十キロのワイヤーや そのワイヤーを設営する機器を、

 どうやって見つからずに 屋上に運ぶか。

 60メートルも離れた ふたつのビルの屋上に、

 どうやって 鋼鉄のワイヤーを渡すか。

 ワイヤーを引っかけるのは ビルのどの場所がいいか。

 様々な難題を ひとつずつ克服していくため、

 何年にもわたって 議論を交わし、 実験や練習を繰り返します。

 時には 決行をはやるフィリップを、

 まだ計画が杜撰すぎると 親友が引き止め、 大喧嘩になるほどでした。

(次の記事に続く)
 
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「精神」 (2)

2009年07月07日 20時08分22秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 患者さんたちの話を聞くと、

 やはりそれぞれ 壮絶な体験をしてきています。

 こんな のんびりした田舎でも、

 これほど多くの人が 心を病んでいるのかと思ってしまいます。

 また、 働けないために 経済的な問題も抱えています。

 折しも 映画の撮影時は、 障害者自立支援法が成立する時で、

 患者の自己負担が増えて 困惑する、 社会の矛盾も 浮き彫りにしていました。

( 心子が通院していたころは、

 精神保健法32条の規定で 外来診療は無料でしたが、

 2003年の 自立支援法成立によって、

 患者は治療費の1割を 支払わなければならなくなりました。

 収入のない障害者にとっては、 1割負担でも死活問題です。 )

 しかし 様々な困難を 抱えた中でも、 本を読み 思索を深め、

 趣深い 心に沁みる言葉を 語る患者さんもいます。

 詩人であり、 賢者であり、 ユーモアもたっぷりです。

 こういう人たちがいるのも、

 診療所の “赤ひげ” 山本医師の 存在があるからでしょう。

 ナースやヘルパーよりも 低い給料で、

 自分は年金と 安い講演料で暮らしています。

( 他の先生が断るような 安い講演 )

 無骨なじいさんですが、

 患者さんの話に 耳を傾け、 親身な言葉を投げかけます。

 それによって 患者さんたちは落ち着き、 人を信頼することができるのです。

 患者さんたちが 映画撮影を承諾したのも、

 山本医師に支えられているからでしょう。

 精神障害者の素顔を 映すことなどに、 批判的な意見も あるかもしれません。

 精神障害者と健常者の 間のカーテンは 容易にはなくならないとはいえ、

 こうした一歩が 積み重ねられていくことが 大切でしょう。

 その試みこそが 評価されるべきだと思います。

 カーテンを開けたいという 想田監督の想いは、

 我々に何かを 投げかけてくれるのではないでしょうか。
 
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