( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55414343.html からの続き)
“微笑みの国” として 人気の高いタイですが、
日本人観光客の知らない所で、無力な子供たちの 性と生が搾取されています。
ただしタイ政府は 摘発に力を入れ、事態は相当 改善されましたが、
その分 アンダーグラウンドへと潜んでいきました。
恵子 (宮崎あおい) は 幼い純粋さで、
子供の命を買う日本人に 食ってかかります。
しかし そうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。
一人のタイの子供を 救っても、また “予備” の子が 用意されているのです。
そのシステムを 明らかにしていかない限り、犠牲者は 次々と生まれてくる。
南部 (江口洋介) は、事実を見て、それを伝えるのだ と主張します。
南部と恵子は 同じ正義感を持ちながらも、
行動への移し方が 異なるため、両者は 何度もぶつかり合います。
一筋縄ではいかない 現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、
原作の人物と設定を変えた 見せ場です。
我々観客も、映画を観て 「知る」 ことが 第一歩として必要なのだと思います。
確かに 知ったからといっても、一人で何が できるわけでもありません。
しかし 知る人が増えてくれば、それは 「世の中」 としての 力になっていきます。
その中から 実際に行動する人たちも 多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。
そして 世論のバックアップは、強力な支えになるに 違いありません。
「すそ野」 を広げることが、頂きの高さを せり上げていくのです。
それが 作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。
そして 今の僕にできることは、こうして 映画を紹介することでしょう。
阪本監督は 作品のテーマや意義を、
タイの政府や役者たちに 丹念に説明していったといいます。
限りない困難を克服しながら タイでのロケを敢行し、
骨太の構築物に 結実させていった 阪本監督の胆力は、称賛に値します。
監督は 児童虐待や性的搾取のシーンも 決してオブラートに包むことなく、
大人の醜悪さを 映し出します。
それらは 目を背けたくなるばかりです。
そのシーンを 撮影する際、監督は タイの子役たちの心のケアに
神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまった といいます。
阪本監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて 告発するのではなく、
自分自身に戻ってくることなのだ と強調しています。
それを表現するため、原作とは異なった 設定にされている南部は、
ラストシーンで 驚愕の過去が明かされます。
「自分を見ろ!」
阪本監督から そう言われたかのようなメッセージは、
我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。