「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「闇の子供たち」 (2)

2008年08月06日 20時54分22秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55414343.html からの続き)

 “微笑みの国” として 人気の高いタイですが、

 日本人観光客の知らない所で、無力な子供たちの 性と生が搾取されています。

 ただしタイ政府は 摘発に力を入れ、事態は相当 改善されましたが、

 その分 アンダーグラウンドへと潜んでいきました。

 恵子 (宮崎あおい) は 幼い純粋さで、

 子供の命を買う日本人に 食ってかかります。

 しかし そうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。

 一人のタイの子供を 救っても、また “予備” の子が 用意されているのです。

 そのシステムを 明らかにしていかない限り、犠牲者は 次々と生まれてくる。

 南部 (江口洋介) は、事実を見て、それを伝えるのだ と主張します。

 南部と恵子は 同じ正義感を持ちながらも、

 行動への移し方が 異なるため、両者は 何度もぶつかり合います。

 一筋縄ではいかない 現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、

 原作の人物と設定を変えた 見せ場です。

 我々観客も、映画を観て 「知る」 ことが 第一歩として必要なのだと思います。

 確かに 知ったからといっても、一人で何が できるわけでもありません。

 しかし 知る人が増えてくれば、それは 「世の中」 としての 力になっていきます。

 その中から 実際に行動する人たちも 多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。

 そして 世論のバックアップは、強力な支えになるに 違いありません。

 「すそ野」 を広げることが、頂きの高さを せり上げていくのです。

 それが 作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。

 そして 今の僕にできることは、こうして 映画を紹介することでしょう。

 阪本監督は 作品のテーマや意義を、

 タイの政府や役者たちに 丹念に説明していったといいます。

 限りない困難を克服しながら タイでのロケを敢行し、

 骨太の構築物に 結実させていった 阪本監督の胆力は、称賛に値します。

 監督は 児童虐待や性的搾取のシーンも 決してオブラートに包むことなく、

 大人の醜悪さを 映し出します。

 それらは 目を背けたくなるばかりです。

 そのシーンを 撮影する際、監督は タイの子役たちの心のケアに

 神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまった といいます。

 阪本監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて 告発するのではなく、

 自分自身に戻ってくることなのだ と強調しています。

 それを表現するため、原作とは異なった 設定にされている南部は、

 ラストシーンで 驚愕の過去が明かされます。

 「自分を見ろ!」

 阪本監督から そう言われたかのようなメッセージは、

 我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。
 
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「闇の子供たち」 (1)

2008年08月05日 19時52分22秒 | 映画
 
 「亡国のイージス」 の社会派・阪本順治監督が、

 衝撃の問題作を 我々に見せ付けました。

 原作は、「血と骨」 の梁石日 (ヤン・ソギル)。

 タイを舞台にして 暗躍する、人身売買,児童売春,

 そして 臓器密売、闇社会の実態を暴きます。

 そして、そこには日本人も 関わっているのだという現実を……。

 日本新聞社バンコク支社の 南部浩行 (江口洋介) は、

 タイで 日本人の子供が 心臓移植手術を受けるという 情報を得ます。

 裏事情に通じる男を通して、臓器密売の仲介者に 接触した南部は、

 恐ろしい事実を掴みます。

 ドナー (臓器提供者) となる タイの子供は、脳死ではなく、

 生きたまま麻酔をかけられて 臓器を摘出されるのだと……。

 南部は真実を追います。

 意気地ないカメラマン 与田博明 (妻夫木聡) も、

 やがて 南部に感化されていきます。

 一方、バンコクの社会福祉センターに やって来た音羽恵子 (宮崎あおい) は、

 タイの子供たちのために 何かをしたいという 熱意に燃えています。

 女性所長のナパポーンが スラム街を視察し、

 同行した恵子は 貧民層の厳しい現実に 直面させられます。

 貧困のため 我が子をブローカーに 売らざるをえない親。

 売春宿の片隅の 牢屋に監禁されている子供たち。

 仲買人も子供に 性的な行為を強要し、拒むと 容赦ない暴力を加えます。

 醜い外国人客が お気に入りの子供を指名して、宿の部屋へ 連れて行きます。

 ペドフィリア (小児性愛) と言われる 性的倒錯であり、犯罪です。

 そして その客の中には 日本人たちもいるのです。

 先進国では このような幼児期を 体験した子供は、

 解離性同一性障害や 境界性パーソナリティ障害に 陥ったりします。

 しかしここでは、そこまで至ることさえ 許されません。

 エイズに感染した子は ゴミ袋に入れられて、生きたままゴミ捨て場に……。

 元気な子は 臓器摘出のため、初めて きれいな服を着せられ、

 病院へ連れられていくのです。

 これは遠い国の 無縁は話ではなく、

 地図の上では わずか20cmの所で 実際に起こっていることであり、

 日本人も 子供たちの命に 値札を付けて買っているのです。

 我々もそれを 知らなければならないでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55427668.html
 
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「ゲゲゲの鬼太郎  千年呪い歌」

2008年07月30日 23時28分24秒 | 映画
 
 前作の 「ゲゲゲの鬼太郎」 が 大したことなかったので、

 期待していなかったのですが、今回は かなりよくできていました。

 鬼太郎が人間を助けても 何も報われないことに 嫌気が差していたり、

 単なる勧善懲悪でもなく、きれいごとでもありません。

 妖怪ぬらりひょん (緒方拳) が 人間を破滅させようとするとき、

 自然を破壊して 争いを繰り返す人間の 愚かさを述べます。

 これに対する鬼太郎の言葉、普通なら 「それでも人間には、優しさや希望もある」

 とか言うようなところでしょうが、ちょっとひねりが利いていました。

 CGも効果的で、鬼太郎の髪の毛針や 砂かけ婆のしょぼい武器も、

 スケールアップされています。

 終盤の 巨大な骸骨の化け物も 見応えはありました。

 妖怪・ぬれ女 (寺島しのぶ) と 人間 (荻原聖人) との愛情も、

 ぐっと涙を誘います。

 憎しみを抱き続けるのは 虚しいということも思わされましたね。

 それにしても、ウエンツ瑛士は どうしてもミスキャストだと思われてなりません。

                  *

 ところで、「妖怪」 というのは元来は、「起こる」 ものなのだということです。

 僕が所属している 「ユング心理学研究会」 の、

 「妖怪学」 のセミナーで聞きました。

(参考:http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29076643&comm_id=1454900)

 例えば、寝ているときに足音が聞こえる という 「現象が起きる」 とします。

 これは 「ざしきわらし」 がいるからだ、という 「名前」 が付けられます。

 足音という 「起こった現象 (=事) 」 に 名前を付けることによって、

 不思議な 「事」 を記述してきたのです。

 昔からの妖怪の話は 言葉によるものだけで、目に見えないものでした。

 水木しげるが描くキャラクターは、コミックの中だけのものです。

 在る  「コト」が、居る 「モノ」 に 成っていったということです。

 妖怪は、この世的なものと あの世的なものとが 交わる領域に現れるものです。

 「物」 と 「心」 の間にある 「事」 として現れるのが、妖怪なのだそうです。

 人間は それに名前を付けることによって 人格化し、

 相手が何者か 特定して語り合います。

 妖怪と人間の付き合いは、「事」 と 「名」 の間に あるというお話でした。
 
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「帰らない日々」

2008年07月29日 20時24分50秒 | 映画
 
 「ホテル・ルワンダ」 の 監督テリー・ジョージが、

 またひとつ 心に残る映画を 作ってくれました。

( 「ホテル・ルワンダ」 :http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/28004338.html )

 突然の交通事故で、かわいい息子ジョシュを 奪われたイーサン。

 警察の捜査は進まず、しびれを切らせて 弁護士に調査を依頼します。

 ところが その弁護士ドワイトは、ジョシュをひき逃げした その張本人だったのです。

 イーサンは その事実を知りません。

 ドワイトは現在 妻と別れ、息子ルーカスと面会することを 最大の喜びにしています。

 ルーカスと 会えなくなることが恐くて、逃げてしまったのです。

 イーサンの妻グレースと 娘のエマは、それぞれに悲しみと 罪悪感を抱えています。

 しかし 父親と母親では 悲しみ方や、犯人への怒り方が異なり、

 きしみが生じていきます。

 ひとつの不幸が、また新たな不幸を 生み出していってしまう。

 何とやりきれないことでしょう。

 ドワイトも 罪責感に駆られ、自首を決意しますが、

 いざとなると 僅かなタイミングのずれで 言い出せません。

 今一歩の強さが 持てないのです。

 ふたつの家族、二人の父親が、それぞれに苦しみながら、

 崩壊の危機にさらされ、懸命に踏み出していきます。

 卑怯なひき逃げ犯が 今ものうのうと生きていることに、憎悪をかきたてるイーサン。

 真実を言い出せない 罪意識に押しつぶされそうになる ドワイト。

 やがてイーサンは、ドワイトが真犯人ではないか ということに気付きます。

 そのとき、彼が取った行動は……。

 予想できない 旋律の展開に息を呑みます。

 緊迫で胸が高鳴り、「サスペンス」 とは、

 こういうシーンのことだと 思わされました。

 そして ラストシーン。

 あともう一押しがあれば と残念でしたが、

 終わったあとも ズーンと胸に迫るものがあり、

 重いテーマを 投げかけられた作品でした。
 
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「おくりびと」 (4) (新宿ピカデリー)

2008年07月21日 21時23分11秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55208477.html からの続き)

 「おくりびと」 の試写会は、7月19日にオープンした 新宿ピカデリーの、

 オープニング記念として 行なわれました。

 元は 松竹のピカデリーだった所で、

 以前僕が 松竹シナリオ研究所に通っていた頃は、無料で入場できていました。

 以前はスクリーンが4つで、一番小さいスクリーンは

 ホームシアターよりも 小さいくらいのものでした。

 それが 真っ白で明るい シネコンに生まれ変わりました。

 大勢のスタッフに出迎えられ、丁寧に応対してもらいました。

 他のシネコンとは 一味違うデザインの、しゃれた空間です。

 オープニングキャンペーンでは、土曜日は 映画1本千円とか、

 平日千円鑑賞券などが配られ、各種の抽選会もあります。

 新宿ピカデリーの スクリーンは10個ですが、

 「プラチナシート」 という VIP席もあります。

 二人で個室感覚が味わえるという 3万円のプラチナルームと、

 一人5千円の プラチナシートがあります。

(σ (^^;)はそんな所で 観るつもりはありませんが。)

 一方、最前列は平日千円という リーゾナブルなサービスもあります。

 でもこの席は やっぱりちょっときついですね。

 メンバーズカードは、映画を6本観ると 1本無料で観られます。

 千円の日に観れば、6千円で7本ですね。

 同じサービスのカードは、TOHOのシネコンと シネカノン系列にもあり、

 僕はどちらも持ってます。 (^^)

 TOHOは 毎月14日(とおフォー)が千円、シネカノン系列は 水曜日が千円です。

 エコノミーなサービスが 本当に増えました。

 誕生日月に千円 というのもありますし。 (^^;)

 というわけで、身近な新宿に また新たなスポットができて、楽しみが増えました。
 
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「おくりびと」 (3) (うちの場合)

2008年07月20日 20時22分30秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55197261.html からの続き)

 僕も数年前、立て続けに 別れを体験しました。

 母、心子、祖母、父……。

 それを思い出しながら、映画を観ていました。

 母は病院で納棺され、実家に運ばれてきたので、

 僕は納棺の場に 立ち会うことはありませんでした。

 父のときは、病院から実家まで ストレッチャーに乗せて 車で運ばれてきて、

 二日後くらいに 家で納棺を行ないました。

 葬儀社から係りの人が 3人やってきましたが、リーダーの人は 温水洋一似で、

 しんみりした場に いかにも似つかわしい 風貌でした。

 この人は 顔でこの仕事に 配属されたんじゃないかなと、内心思ってしまいました。

 見習いの人もいて かしこまっていましたが、

 毎回 死人の相手をする仕事を 担当させられて、

 楽しくないだろうなと 思ってしまったものでした。

 僕も こういう仕事に対する 理解がなかったんですね。

 納棺の儀式は 映画と同じではありませんでしたが、

 係の人に指示されて、遺族が一人ずつ 父の体を清める 所作もしました。

 初めてのことで 少し戸惑いましたが、僕は気持ちを込めて お清めをしました。

 でも僕の兄などは、かなり違和感を感じたようです。

 いきなり そんなことをさせられて、その場で断るわけにも いかなかったものの、

 あとで文句を言っていました。

 しかし 元々伝統的な 清拭の儀式だったんですよね。

 あるいは父は そういうことをされるのを、余り好まない 人だったかもしれません。

 また事前の説明もなく 費用に含まれてしまうことも、

 出費者の兄には不満だったでしょう。

 でも僕は、父と別れの儀式ができて、

 そういう形で 父に触れることもできて、とても良かったと思っています。

 都会の葬儀で こういうことがどのくらい 行なわれているのか知りませんが、

 習慣として 広まってもいいことだと思います。

(前もって説明は あったほうがいいかもしれません。)

 ところで、映画では 寝間着から白装束に 着替えていましたが、

 父の場合は 普段着ていた服に 着替えました。

 和服なら 寝たまま着替えさせることも 可能ですが、

 洋服だと それは難しいのではないでしょうか。

 その時だけ 家族は部屋の外に出されました。

 想像ですが、洋服の背中を はさみで切って着せたのか、

 遺体を起こして 着せたりしたのかもしれません。
 

 今回 この映画を見て、僕も納棺師の仕事に 魅力を感じました。

 自分もこの仕事をしようかと 思ってしまったほどです。

 なかには、この映画を観て 納棺師になる人も 出てくるのではないでしょうか。

 そうだとしたら、映画にとっても、納棺師にとっても、幸いなことでしょう。
 
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「おくりびと」 (2)

2008年07月19日 21時17分22秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55184485.html からの続き)

 大悟は 妻の美香 (広末涼子) に 自分の仕事の内容を言えず、

 冠婚葬祭関係とごまかしていました。

 ところがある日、とうとう美香に 仕事のことがばれてしまい、

 美香は 「けがらわしい!」 と言って 実家に帰ってしまいます。

 友人からも 「まともな仕事に就け」 と言われ、

 内心反発しながらも、きちんと 言葉にできない大悟。

 人は誰でも 必ず死ぬ、死ぬことは 普通のことなんだ。

 納棺師は 悲しい別れを、優しい愛情で 満たす仕事なんだ……。

 美香は 妊娠したことが分かって 戻ってきますが、

 「自分の仕事を 子供に誇れる?」 という質問に、

 大悟はまだ 言葉に詰まってしまいます。

 しかし、知り合いの 銭湯のおばあちゃんが急死して、

 納棺式に立ち会った 美香は、厳粛な夫の仕事に 圧倒されるのでした。

 そして、生前おばあちゃんが 愛用していたスカーフを 首に巻いてあげる、

 夫の優しさに 心を打たれます。

 誰でもが 「おくりびと」 になるし、「おくられびと」 にもなるのです。

 でも 日常から死が遠ざかっている 現代人は、死を忌避してしまいがちです。

 映画は、旅立ちの静謐さを 改めて教えてくれます。

 それは本来、自然で穏やかに 迎え入れるべきものでしょう。

 故人の在りし日の 面影を取り戻し、送別のお手伝いをするのが 納棺師の勤めです。
 

 大悟の父親は、大悟が幼いときに 女を作って家を出て行き、

 大悟は父親の顔を 覚えていません。

 母親も2年前に 世を去りました。

 大悟は 父を憎んでいますが、そこへ突然、父の訃報が舞い込みます。

 父を引き取る気もない 大悟ですが、

 じわ~っと感動する クライマックスへと 話は進んでいくのです。

 大悟が奏でる チェロの音色、

 「石文 (いしぶみ) 」 と言われる、自分の気持ちを表した石を

 相手に渡すというエピソードも、映画のキーポイントになっています。

 監督は滝田洋二郎。

 「名作」 と呼ぶのに相応しい、

 ユーモアと感動に溢れた 日本映画が、新たに誕生しました。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55208477.html
 
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「おくりびと」 (1)

2008年07月18日 21時42分08秒 | 映画
 
 納棺師 (のうかんし)。

 遺体を清めて 柩に納める仕事の 映画です。

 ちょっと辛気臭くて、敬遠されそうな職業のように 感じられてしまいます。

 しかし、親族の目の前で行なわれる 納棺の儀式は、

 静謐で、厳かで、死者に対する 敬意に満ちていました。

 故人の肌を 遺族に一切見せないように、遺体を清拭し、

 寝間着から白装束に着替えさせる 一連の手技は、一糸乱れぬ職人技です。

 生きていたときのように 死に化粧を施す指先は、

 何よりも亡き人への 愛情が溢れてます。

 遺族にも一人一人 清拭をしてもらいます。

 それが 旅立つ人と残される人の、最後の心の交流になるでしょう。

 合掌の仕方など、ひとつひとつの所作が 厳格に定められていますが、

 時には臨機応変に、個人的な心尽くしが 振る舞われます。

 ルーズソックスを履きたいと言っていた おばあちゃんのために、

 足袋の代わりに ルーズソックスを履かせたり、

 大往生のおじいちゃんの顔一杯に 娘たちがキスマークを付けて 送ったり。

 悲しみのなかに 微笑ましさが漂います。

 映画の舞台は田舎でしたが、東京では納棺式など あまり知られていないでしょう。

 納棺は、元々は親族が 行なっていたそうですが、葬儀屋が執り行うようになり、

 さらに納棺の業者が 下請けするようになったということです。
 

 主人公の大悟 (本木雅弘) は、「旅のお手伝い」 という求人広告を見て、

 旅行会社だと思い 面接に行きます。

 ところが、出てきた社長 (山崎努) は、「旅立ちのお手伝い」 の誤植だな

 と言って、大枚を差し出して 大悟を雇ってしまいました。

 大悟の初仕事は、孤独死した 老人の遺体。

 死後2週間経っていて、悲惨な現場は 大悟にとって余りにショッキングでした。

 でも大悟は、社長の納棺の儀式を目にして、

 次第に納棺師の仕事に 気持ちが傾いていきます。

 ある遺族は、死に化粧を施された妻が 「今までで一番きれいだった」 と言って、

 涙を流して 社長に頭を下げました。

 ときには 遺族の喧嘩に巻き込まれたり、

 女性だと思った故人が ニューハーフで “あれ” が付いていたり。

 悲喜こもごものエピソードを、映画はユーモラスに描いていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55197261.html
 
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「クライマーズ・ハイ」

2008年07月17日 23時34分00秒 | 映画
 
 1985年、群馬県・御巣鷹山に墜落した 日航ジャンボ123便。

 死者540人を出した、史上最大 最悪の航空機事故。

 当時、奇跡的に助かった少女が 自衛隊員にしっかりと 抱き抱えられて、

 ヘリコプターに つり上げられていく映像を、僕もはっきり覚えています。

 でも その裏では、事故を連日報道し続けた 地元新聞社の中で、

 様々な人間関係が交錯する、もうひとつのドラマが 繰り広げられていたのでした。

 原作は、自身が新聞記者として この事故の取材に当たった 横山秀夫が、

 実体験を元に描いた 同名小説です。

( 他の作品に 「半落ち」 「出口のない海」 など。)

 主人公の・悠木 (堤真一) は、

 社内の 抜いた抜かれたの競争から 一線を画した、実直な一匹狼の 遊軍記者。

 ワンマン社長 (山崎努) の鶴の一声で、

 未曾有の墜落事故の 全権デスクに抜擢されます。

 編集局の上司は、かつて 連合赤軍や大久保清の報道をした、

 過去の栄光にしがみつく “恐竜”たち。

 新聞記者は足で稼ぐものだという 時代錯誤の考えで、

 局内には 無線機さえ導入していません。

 悠木は キャップの佐山 (堺雅人) を、“丸腰で” 現場の山に送り込みます。

(当然、携帯電話はまだありません。)

 佐山たちは 救護隊の無線機や 民家の電話を借りながら、

 悲惨極まり事故現場の取材を 必死で行ない、記事を悠木に伝えます。

 しかし編集局長たちは 悠木に嫉妬し、佐山の記事が 一面に掲載される妨害をします。

 妬み、手柄争い、部下との板挟み、信念と利害のぶつかり合い,

 締め切り時間との 1分を争う闘い、編集局と販売局の 確執と権謀術数、仲間の死…。

 凄まじい緊迫感と 葛藤が渦巻いていきます。
 

 悠木は 記事を掲載するには、情報の裏を 確実に取ること、

 「チェック、ダブルチェック」 を 信条にやってきました。

 苦労の末、事故原因についての スクープを入手しましたが、

 100%確実とは 言い切れないものがあります。

 他社を出し抜くことを迫る 次長との言い争い、記事を掲載するか否か、

 悠木は究極の選択を 迫られるのでした……。

 実話を元にした話ですが、男同士の 互いの人格否定にも繋がる 激しい諍い、

 こういう激突のなかで 人間は錬磨されていくのだなと、思いを馳せました。

 当時のできごとと、主人公の 現在の登山のシーンが カットバックされて、

 効果的な物語を 紡ぎだしていました。
 
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「奇跡のシンフォニー」

2008年06月07日 21時07分59秒 | 映画
 
 生まれながらに 音の才能を持っている少年 エヴァン (11才)。

 親の顔も知らず、施設で育てられましたが、必ず両親に会えると 信じています。

 孤児院を抜け出して 母親を探しに行く子の映画 「この道は母へとつづく」 と、

 盲学校で 音楽の才能を見いだす少年の映画 「ミルコのひかり」を、

 合わせたような話です。

( 「この道は母へとつづく」 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51068187.html
  「ミルコのひかり」 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50799705.html )

 エヴァンの母ライラは チェリスト,父ルイスは ロックのギタリストで、

 エヴァンはその素質を 受け継いでいたのです。

 11年前、ライラとルイスは 巡り合わせの一夜を過ごしましたが、

 ライラの父親によって 引き裂かれました。

 エヴァンを身ごもっていた ライラは、臨月に交通事故で 手術を受け、

 そのとき父親が 無断でエヴァンを施設に渡して、

 ライラには 子供は駄目だったと 告げていたのです。

 今では ライラもルイスも 音楽から離れ、ばらばらに過ごしています。

 ある日 エヴァンは、両親に会うため 施設を出て行きます。

 初めての都会の喧騒、エヴァンの天性の耳は、そこにも音楽を聴き取ります。

 楽器の演奏などしたこともない エヴァンですが、

 初めて触ったギターを 独特な流儀で “鳴らし”、注目を集めます。

 基本的な和音を教わっただけで パイプオルガンを弾き、

 天分を見いだされて 音楽院に入学。

 エヴァンは 紛れもない神童でした。

 知らない人間が見たら 落書きにしか見えない、現代音楽のような楽譜を

 ノートに書きなぐり、狂想曲 (ラブソディー) を作曲します。

 沢山の人に 曲を聞いてもらえば、きっと両親に伝わる。

 そして ラストのコンサートシーンに、物語は紡がれていくのです。

 主役のフレディ・ハイモアが、目に見えない 音楽の世界を、

 子供とは思えないような 豊かな表情で表現しています。

 親を求める エヴァンの心、我が子を思う ライラの愛情、ライラを追うルイス、

 それぞれの思いと行動が、互いに誘い合うように 絡んでいきます。

 まさに 現代のおとぎ話。

 映画全体が ひとつの交響曲のようでもあり、

 音と映像が相まって 絶妙の情感をかもし出し、目が潤みっぱなしの 2時間でした。
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (5)

2008年05月16日 22時17分39秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54251261.html からの続き)

 浅間山荘事件が起こる直前、

 永田と森は 偵察という名目で 一時山を下り、同衾します。

(同志の男女が キスしただけで処刑した この二人が。)

 永田は 前夫の赤軍書記長・坂口と別れ、森と結婚することにします。

 ところがこの間に、二人は警察に通報され、あっけなく 逮捕されてしまいます。

 そして  山に残されたメンバーのうち5人が、

 警察の追手を逃れて 浅間山荘に立てこもることになります。

(うち二人は未成年、一人は現役高校生でした。)

 人質になった 山荘管理人の妻に対して、メンバーは 彼女を絶対に傷つけない,

 警察が攻めてきたら 全力で守る、と約束します。

 同志で “総括” を行なってきた 彼らは、

 民間人を犠牲にしないという 信念を守ったのでした。

 そこに彼らの 最後の純粋さを見て取ります。

 しかし、元々の理念は 崇高だったはずなのに、

 その方法論が 恐ろしい異形のものへと 変容していってしまったのです。
 

 獄中の森恒夫は、司法の裁きの前に 自ら命を絶ちます。

 やはり 己の運命に立ち向かえずに 逃げた、弱い人間だったのでしょう。

 永田洋子は 死刑が確定し、現在も勾留中です。

 山荘に立てこもった メンバーの中で、書記長の坂口は死刑確定。

 現在、再審請求中です。

 残りは 有期懲役刑になっています。

 この事件を境にして、学生運動は 急速に下火になっていきました。

 人間は常に、振り子の揺り戻しを 繰り返すのでしょう。

 その点は ボーダーの人も似ているようです。

 時代はその時によって 様々な現れ方をするわけですが、

 人間の本質は 通ずるものがあるのかもしれません。

 出演者である 現代の若者たちは 初め、

 連合赤軍の兵士たちの心情が 全く理解できなかったといいます。

 しかし 若松監督の下で、懸命に彼らの心裏に 近づいていこうとしました。

 この映画を見る若者も、なかなか理解できないかもしれません。

 けれども事件から、人間の心の闇にあるものを 学びとっていくため、

 この歴史のひとコマを 風化させてはならないでしょう。

 若松監督の執念が 刻み込まれた作品だと思います。
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (4)

2008年05月15日 23時55分56秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54235183.html からの続き)

 僕も若いとき、創作によって 社会を変えたいと思い、

 前衛的な思想に駆られていた 時期がありました。

 ある天才的な同人誌仲間と、現実離れした 観念的な世界に生きていました。

 社会を良くしたいという 歪んだ善意で、信念を持っていちずに 邁進していたのです。

 しかしその方向性が 間違っていました。

 ラジカルな思想を構築していき、批判精神を研ぎ澄まし、人を傷つけもしました。

 そんなことを重ねていった結果、失恋も絡んで、自分がその何百倍も傷つき、

 自分の価値観を 完全に打ち砕かれ、甚大な挫折を 体験することになったのでした。

 20代のときは、現実社会の動かしがたい重みが 分かりませんが、エ

 ネルギーと熱意はあり余り、過激に傾倒しがちです。

 それで破綻して頓挫するまで、どういう結果が待っているか

 気付くことはできないのです。

 従って僕も、連合赤軍のアブノーマルな偏向が、全く理解できないわけではありません。

(そのとき 僕を救ってくれたのは、同じアパートの友人であり、

 ロマン・ロランの 「ジャン=クリストフ」 でした。)

 それからまた、記憶に新しいところでは、あの 「オウム事件」 があります。

 信者は誰もが初めは、真理を求め、自分を成長させて、

 人のためになりたいと 願っていたはずです。

 ところが オウム真理教という ねじれた教義に染められ、

 マインドコントロールという 物理的・強制的な手法もありましたが、

 通常は考えられない蛮行を 犯すまでになって行ってしまいました。

 純粋で 高いものを求めている人間ほど、

 一歩間違えれば 常識はずれの道を 突き進んでしまうのかもしれません。

 そして 松本智津夫もまた、臆病な人間でした。

 ヒトラーも然りです。

 そういうことから考えれば、連合赤軍の暴挙は 全く不可解なでき事ではなく、

 誰もがそうなる可能性を 秘めているとも言えるでしょう。

 若松監督は、それを我々に 突きつけているのかもしれません。

 翻って現代は、長期にわたる不況で 先が見えず、

 自分の力で世の中を変える 夢想をするどころか、

 自分自身の将来さえ おぼつきません。

 社会と関わることを避けて 引きこもったり、心を病む若者が 増えています。

 30年ばかりの間に、日本は何と 変わってしまったことでしょうか。

 だが そんな社会でも、何か特殊な空間に 取り込まれると、

 時代によって 形は変わっても、同じような過ちを 犯す可能性が、

 人間の心の病的な部分には 潜んでいるのかもしれません。

 あと何年かしたら、今度はオウム事件が 映画化されるときが来るでしょう。

 そのとき我々は、何を見せつけられることになるのでしょうか。

(続く)
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (3)

2008年05月14日 23時13分16秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54217435.html からの続き)

 坂井真紀演ずる遠山美枝子も、永田洋子の餌食にされます。

 大山は 自分が “総括” の意志が あることを示すため、

 同士の裸の遺体を おぶって運び、土に埋めながら “自己批判” させられます。

 映画でリンチシーンを映すには 限界があるのでしょうが、

 暴行による外傷性ショックで 死に至るというには、

 相当 執拗で壮絶な暴力が 行なわれたのだろうと思います。

 ネットで調べると、映画では描かれなかった 陰惨な暴行もあったようです。

 非難の内容も、永田や森の 個人的な嫉妬 (コンプレックス) や

 怒りに触れたものになっていきます。

 遠山は、男に色目を使うと 永田に言いがかりを付けられ、

 自分で自分を殴れと 命じられます。

 そして 無残に変形した顔の前に 鏡を差し出され、見ることを強いられたのです。

 そのあとは 柱に縛りつけられ、垂れ流し状態で、

 精神的にも異常をきたして 絶命……。

 連日のように 死者が出て、矛先は 幹部にも向けられていきます。

 森を批判した幹部は、アイスピックで滅多差しに。

 “総括” ではなく、反対者に対する “処刑” です。

 “総括” の犠牲者は11人、

 8ヶ月の子を 身ごもっていた女性もおり、その子を含めれば 12人です。

 一体、どうして人間は ここまで狂気に走ってしまうのか? 

 森はかつて、一旦は組織から 逃亡した人間でした。

 再び戻ってきたとき、幹部たちは逮捕されて、森が主導者になっていったのです。

 森は元々 極めて臆病な人間だったのでしょう。

 弱い人間ほど 強がったり、力に訴えて、自制が効かず 暴走してしまいます。

 異常な思想に取りつかれ、閉塞した空間で、感覚が麻痺していき、

 自らが 失墜したり被害者にならないため、追い詰められて、

 そうする以外 なくなってしまうのではないでしょうか。

 もちろんこれは 頭で考えるだけのことで、

 実際のその状況で 人間がどんな心理状態に なるのかは分かりません。

 しかし、わずかでも 人心を掴む知恵があったなら、

 こんな異様な事態には 陥っていかなかったでしょう。

 人は心で動くものであり、力でねじ伏せようとする者は、

 いずれ 間違いなく破滅するのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54251261.html
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (2)

2008年05月13日 22時10分07秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54202851.html からの続き)

 1971年、残されたメンバーは 潜伏して先鋭化していきます。

 「革命は 一発の銃弾から起こる」 という狂信から、

 銃砲店や派出所を襲って 銃を奪い、現金を強奪して 武装化を図りました。

 体制打破,理想の国家建設という 思想に燃えながら、

 やっていることは 単なる強盗と変わりがありません。

 この頃、共産主義者同盟 赤軍派の残党と、革命左派の人民革命軍が 統一されて、

 「連合赤軍」 が結成されます。

 実態は、革命左派・永田洋子と 赤軍派・森恒夫の 独裁体制でした。

 連合赤軍は 20数名で山にこもって 軍事訓練を始めますが、

 素人の “戦争ごっこ” のようなものでした。

 巨大な国家警察に 歯向かえるわけもなく、

 個人が “共産主義化” していくことでしか、

 革命は成し遂げられない という空論を掲げ、狂った事態へと 突き進んでいくのです。

 各自が “革命的” になるために、自分の失敗や 至らないところを、

 “総括” と称して “自己批判” することを 強要されます。

 しかし 咎められる内容というのは、山籠もりの時に 水筒を忘れたとか、

 警察の取り調べ中に 親子丼を食べたのは 日和見主義だとか、

 交際していた男女が キスをしたとか、普通なら当たり前のことでした。

 けれども メンバーの中には、どうすることが “総括” になるのか、

 理解できない者もいました。

 やがて、 “総括” の方法に、

 暴力という “指導” が 加えられることになります。

 気絶して 目が覚めたときに、“共産主義化” がなされるという暴論で、

 全員が殴打に 加担しなければなりません。

 逃れようものなら、自分が “総括” の対象と なってしまうのです。

 顔が原形をとどめないほど 集団リンチを受けたあとは、

 極寒のなか 木に縛りつけられて 放置されます。

 食料も与えられず、間もなく 息絶えていくのでした。

 森は、自分たちが 彼らを殺したのではなく、

 彼らが共産主義化できずに 自分で死んだのだと言います。

 “敗北死” だと 位置付けるのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54235183.html
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (1)

2008年05月12日 23時31分18秒 | 映画
 
 1960年代の学生運動の中から 連合赤軍が生まれて、

 「総括」 と称する 凄まじい連続リンチ殺人が行なわれ、

 浅間山荘事件へと発展していく 過程を描いた、若松孝二監督・渾身の作品です。

 3時間10分の大作ですが、全く長さを感じることなく、

 スクリーンに釘付けになりました。

 あの時代に、何故あのような 凄惨な事件が起きたのか、

 若者たちは何故 狂気に陥っていったのか、

 若松監督は 同じ時代を生きた者として、

 何としても 残しておかなければならないという 執念で取り組みました。

 浅間山荘事件が起きた当時 テレビ各局は、終日 浅間山荘を放映し続けました。

 僕も学校から帰ると、母親が テレビを点けっぱなしにしていたことを 覚えています。

 でも僕は 政治や社会的なニュースには まだ余り関心はなく、

 事件の背景などは 知りませんでした。

 また、京大は 学生運動のメッカでしたが、

 僕が入学した頃は その残り火がくすぶっていた感じで、

 立て看板やゲバ学生の姿が 垣間見られたくらいでした。
 

 映画では、当時の状況を 時系列で描いていきます。

 学費値上げ反対に 端を発した学生運動は、国家権力に対抗し、

 三里塚闘争など 農民や労働者と 観念的に結びついて、全国的に拡大していきました。

 そんな活動に参加した 学生の一人に、遠山美枝子がいました。

 演ずるのは、この映画の主要人物の中で 唯一著名な俳優、坂井真紀です。

 彼女は元々 この事件に関心があり、自らオーディションに 飛び込んだのだそうです。

 学生たちは各地で 激しい暴動を起こし、

 数百人,数千人単位の逮捕者や、不幸な犠牲者までも出してしまいます。

 国は 徹底弾圧に躍起になり、「赤軍罪」 という言葉まで使われて、

 微罪逮捕で 取り締まりを強化していきました。

 よど号ハイジャック事件などを経て、幹部たちは次々と検挙され、または国外逃亡し、

 組織は弱体化していきます。

(海外逃亡したメンバーの中に 重信房子がいました。

 ここだけの話  (^^;)、心子の本名 (下の名) は 実は彼女と同じです。)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54217435.html 
 
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