「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「3万人の命に」 (2)

2009年12月19日 22時39分37秒 | 自死について
 
 記事では  「完全自殺マニュアル」 (太田出版) を取り上げています。

 本書は 自殺を推奨も阻止もせず、 首吊り, ガス, 飛び込みなど、

 死ぬ方法を図解入りで、 ただ事実とデータのみを 詳述しています。

 筆者の鶴見済 (わたる) 氏は、

 「自殺がいいとは言わない」 と 前置きした上で、

 「どんなに苦しくても生きろ と言うのはおかしい」 と 断言します。

 樹海で この本を持った自殺遺体が 見つかった一方、

 「この本で救われた」 という 瀬戸際の人たちからの 声が寄せられました。

 自殺を助長する という批判と、

 「死に向き合う事で 生きようと思った」 と 絶賛する意見、 賛否両論です。

 この本の後書きには こう書かれています。

「強く生きろ、 自殺は弱いもののすることだ、などということが

 平然と言われている 生き苦しい世の中に 風穴をあけて、

 ちょっとは 生きやすくしたいからだ」

 

 また、 南条あやが ネット上で書いていた日記。

 「いつでもどこでもリストカッター」 と 自称して、

 奇妙に軽いタッチで、 自殺未遂を繰り返す 自らの日常を記しています。

 高校卒業の直後に 大量服薬で亡くなるまでの 日記は、

 彼女の父親が  「卒業式までは死にません」 (新潮社) として 出版しました。

 今も10代から  「お守りにしています」 という 手紙が届くそうです。

 それから10年。

 「自殺は弱い人」 と 決めつける言い方は減ってきました。

 「その点はよくなった」 と 鶴見氏は言います。

〔 朝日新聞 「3万人の命に」, 「ウィキペディア」 より 〕
 
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「3万人の命に」 (1)

2009年12月18日 23時31分30秒 | 自死について
 
 朝日新聞夕刊の1面に  「3万人の命に」 という、

 自殺に関する記事が 連載されています。

 NPO東京自殺防止センターでは、 夜の間中 ボランティアが電話を受けます。

 ビルの屋上、 ひとりぼっちの部屋などから かかってくるそうです。

 ボランティアは 敢えて切り出します。

 「自殺したいのではないですか?」

 危ないと思うと、 直接会いに行きます。

 「死なないで」 と 説得するのではなく、

 「心配している人がいますよ」 と 告げに行くのです。

 「人は 死にたい時にも生きたい。

 矛盾しているけど、 そこに賭けるんです」
 

 記事では 自殺遺族のことも書いています。

 自殺で家族を失った 遺族は、 罪や恥の意識に 苦しめられます。

 親族からも 「隠せ」 という 圧力を受けるといいます。

 全国に300万人という 遺族に、 支援はほとんどありません。

 「自分が 本人の悩みに 気付いてあげられなかったから」

 「追い詰めたのは自分だ」

 病気や事故の 遺族とは異なり、 誰にも言えずに 苦しみ続けます。

 そんな人たちが 安心して話せる場を 作ろうと、

 各所で 自殺遺族の会ができています。

 あるいは、 「自殺って言えなかった」 という本を 出版したり、

 首相官邸を訪問して 自殺対策を訴えた 自殺遺児たちもおり、

 06年には 自殺対策基本法が成立しました。

 「あの人は死んでよかった」 と話す 遺族もいるそうです。

 「苦しみぬいての選択は 認めてやりたい」 と。

 もはや 自殺は悪でもないし、 気付いて防ぐべきことでもない といいます。

 これも 命を見つめた末の 境地なのでしょう。

〔 朝日新聞 「3万人の命に」 より 〕
 
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死に瀕している人に 向き合って (2)

2009年12月16日 21時05分51秒 | 自死について
 
(前の記事からの続き)

 もうひとつ、 先のメッセージの主は、

 大病のため 生きたいのに生きられない 人から見たら、

 何て命を粗末にする、 勿体ないことかという 意味合いのことも書いていました。

 自殺するくらいなら、 その健康な体や命を 自分と替わってほしいという、

 身体障害者や難病の人の 声はよく聞きます。

 それは その通りでしょう。

 けれども、 敢えて 誤解を恐れずに 言ってみたいことがあります。

 真に苦しみを苦しみ、 悲しみを悲しんでいる人は、

 願わくは交換してほしいと 思うのではないかと。

 この心の苦しみを 替わってくれるなら、

 体の障害や難病も、 甘んじて引き受けると。

 それほどまでに、 心の苦しみは 体の苦痛に 勝る場合もあり得ると。

 もちろん 全ての場合がそうではありません。

 肉体の苦難を 低めることなどできるはずもありません。

 ただ、 身体に障害や病を 抱える人は、

 それに耐えたり 乗り越えたりする力もありますが、

 心の障害や病を 持つ人は、 その力自体に 障害があり、 病んでいるのです。

 耐えること自体、 頑張ること自体が できない障害なのです。

 それ故に 苦悩が いや増しに増して、 精神を苛み蝕んでしまいます。

 心の健康な方は、 そんなことも 少し考えてみていただけたらと 思います。

 深く苦しんでいる人の 心の中や、 どのように接したほうが 望ましいのかを、

 多くの人々にも 知ってほしいと願っています。
 
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死に瀕している人に 向き合って (1)

2009年12月15日 21時44分43秒 | 自死について
 
 きのう書いた ODをした人は、

 実はその数日前にも 1度ODをしてしまっていました。

 その後 ある人から、 励ましというか、 説教のメッセージが あったそうです。

 僕も その全文を見ましたが、

 ご多分に洩れず、 命の大切さや 生まれてきた意味を説き、 誰でも愛されている、

 絶たれていい 命などはないという、 手垢にまみれた 奇麗事でした。

 死に直面している人に そんなことを言っても、 何も伝わらないどころか、

 より一層 苦しめてしまうだけだということを、 この人は知らないのですね。

 ODをした人は、 メッセージの意味は分かっても、 自分には厳しくて辛すぎる、

 どうしたらいいのか分からないと、 僕に助言を求めてきました。

 メッセージの送り主人はきっと、 “正義感あふれる善意” で述べているのでしょう。

 でも、 泥沼の底をのたうち回って 自ら苦しんだ 経験のない人の、

 口先だけの常套句です。

 そんなメッセージが 2度目のODを招いた とは限りませんが、

 一因にはなっているのではないか と思います。

 真に苦しんでいる人は、 励ましてほしいのではない。

 教えてほしいのではない。

 理想を 聞かせてほしいのではない。

 ただ、 苦しみを苦しみのまま 受け取ってほしいのです。

 ただ、 傍らに寄り添って ほしいだけなのです。

 それを理解できない人が、 苦しんでいる人に 更なる追い打ちをかけてしまう。

 そういう人が 世の中には多すぎる。

 そのことを、 多くの人たちにも 知ってほしいと思います。

 うつ病の人に  「頑張れ」 と言ってはいけないということは、

 ある程度 知られるようになってきました。

 でも、 死の瀬戸際にいる人を 目の当たりにしたとき、 人はつい、

 生きていればいいことがあるとか、 死んだら悲しむ人がいるとか、

 紋切り型のことを 口にしてしまいがちです。

 残念なことですが、 そんな “善意” が 世の中には溢れています。

 断末魔にある人や、 愛する人を失って 悲嘆に暮れている人に、

 周りの人が  「二次被害」 を与えてしまうのです。

 確かに、 死んでしまうのは 決してあっていいことではありませんし、

 何とか引き止めようとするのは 必至なことでもあります。

 でも それは実は、

 自分が 死や苦しみと向かい合うことに 耐えられないからでもあるでしょう。

 その人の苦しみと共に、 じっと留まるという勇気も、 必要なのではないでしょうか。

 難しいことですが、 死にたいほどの痛みに まず思いを寄せ、 それ否定しないこと。

 その苦しみを 分かってもらえたとき、

 逆に人は 命をつなぎ止めることがあると思います。

(次の記事に続く)
 
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ODから生還……

2009年12月14日 19時55分19秒 | 自死について
 
 いつも僕のブログを 見てくれているBPDの人が、

 3日前に OD(大量服薬)をしてしまいました。

 朦朧とした状態で書かれた メッセージが送られてきて、

 ろれつの回らない文面からも、 かなり危険な状況でした。

 リチウム剤を180錠?飲み、 放置された場合は 生還率は極めて低いという、

 ウィキペディアの説明文が コピーされています。

 もし自分が死んでも、 僕のことを 元気であることを祈っている、

 お空から……と したためられていました……。

 そして 3日半経っても 何の連絡もなく、

 その人のブログも 全く更新されていません。

 事態は相当 深刻に思われ、 非常に危惧していました……。

 もしもこのまま 知らせが来なかったとしたら、

 ネット上の知り合いから ODしたというメールが届いて、

 その後2度と 音信がなかったということが、

 僕はこれで 3人目になってしまいます。

 ネットだけの繋がりだと、 こちらからは 為す術がないのです。

 ところが、 先ほど帰宅して パソコンを開いたところ、

 その人からのメッセージが 届いていました……! 

 やっと ICUから出られて、 年内は 退院できないというのですが、

 本当に良かった……。 (;_; )

 またきっと 復活すると書いてありました。 (-。-)

 今回ODしてしまった 直接の原因や、 その後の経緯は まだ分かりませんが、

 とにかく今は 身も心も ゆっくり休めて、 早く落ち着いてほしいものです。

 実は 3日前にその人からの メッセージを見たのは、

 朝起きた時で すぐ出かけねばならず、 ゆっくり見ることができませんでした。

 夜帰宅してから よく読むと、 とても深刻な状況だということが 分かった次第です。

(ODしたというだけの 連絡を受けるのは、 必ずしも珍しいことではないのですが)

 もしもまた 誰かからこのような 通知があったとしたら、

 警察に連絡するべきかと 思います。

 人の生命が 関わる場合、 今は警察も 動いてくれるのではないでしょうか。
 
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ネットで再会したBPDの人(2)

2007年06月20日 21時36分27秒 | 自死について

( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48387904.html からの続き)

 けれども、その後、その人から 夜中にメールが来ました。

 ODをしたと……。

 朦朧とした意識の中で、倒れる前に 書いているというのです。

 理論的には 死ねる量を飲んだが、

 もし助かったら またメールをすると 書いてありました。

 ODで死ぬことは 少ないし、その人自身も 可能性を残しているので、

 必ず回復して メールが来ると信じていました。

 でも なかなか連絡はなく、

 入院していて メールを出せないのだろう などと思っていました。

 こちらから 何度もメールを送りましたが、

 宛て先不明で 送り返されてきてしまいます。

 HPも削除され、他に連絡を取る 手立てはありません。

 そして、その後 とうとう メールは届かず、

 音沙汰は 絶たれてしまいました。

 もう 2年近く前のことです……。
 

 ネット上だけでの お付き合いで、顔を見たこと もありませんでしたが、

 色々専門的なこと,個人的なこと、多くの話を することができた人でした。

 心子に続いて、自死で 二人目の人を失ってしまいました。

 何とも、本当にやりきれない思いです。

 全く 残念でなりません。

 そういう人たちが 死にたいという気持ちに ならなくても済むように、

 治療や社会の理解,体制が、進んでいってほしいと 心から願うばかりです……。
 
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意識化による修正と その限界

2007年06月16日 15時34分49秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48286618.html からの続き)

 自傷行為に限らず、訳の分からない感情や 衝動に見舞われた時、

 まず それがどういう感情なのかを知り (悲しいのか、苛々するのかなど)、

 次にその原因を探ると、それだけでも 動揺は半減します。

 さらに 原因が分かれば、どう対応したらいいのかを 考えることができ、

 今後のケースに 活かすことができるでしょう。

 でも 意識化して認識していても、それだけでは 実践できないことは多いので、

 実際に 行動に移す練習が 必要になってくるでしょう。

 以上が認知行動療法ですね。

 一連の思考パターンを自覚し、行動パターンを トレーニングすることによって、

 我を失って 感情に振り回されたり、闇雲に行動化してしまうのを

 コントロールできるようになっていきます。

 でも、いくら認知しても、やろうとしても できないこともあるでしょう。

 意識化しても 無理なものは無理で、

 認知行動療法の限界と 言われているそうです。

 例えば、イモムシを食べても死なない ということが頭で理解できても、

 とても 食べることはできない。

 ただそれは、食べる必要がないことでもあります。

 人間関係などでも、絶対に会いたくない人には、

 会う必要がない という場合があります。 (たとえ身内でも。)

 解決できなくても やっていけるものなら、問題を抱えたままでも いいわけです。

 一方、辛いけれども行わなければ 生活に差し支えがある、というものもあります。

 そういう 境界の事例に適用する 最新の治療法が、

 「マインドフルネス」 (または 「弁証法的行動療法」 ) だということです。

 ヨガの東洋思想を 西洋科学に取り入れるものです。

 「弁証法的行動療法」 と 「マインドフルネス」 については、

 下記の記事に 書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html
 

[ 参考ブログ :  http://blogs.yahoo.co.jp/isshy_0810/41650010.html ]
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(5)

2007年06月15日 11時29分24秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48268070.html からの続き)

 「自傷行為と つらい感情に 悩む人のために」 (誠信書房) という本から、

 自傷行為を治めるための エクササイズを書いてみます。
 

・自分の自傷行為を 理解するため、

 自傷行為をする前の感情と、した後の感情について 考える。

  ex.寂しさ, 悲しさ, 羞恥心, など。

   落ち着いた, 自分を罰して気分がよくなる, など。

 なぜ 自分を傷つけたのか、 なぜ 自分を傷つけたくないのか、

 なぜ 自分を傷つける いわれはないのか、を書き出す。

・自傷行為の理由を考える。

  ex.緊張を和らげる, 罪悪感のため自分を罰する,

   苦しみを 現実に見える形にする,

   不快感や怒りを 人に分かってほしい,

   実際の自殺を食い止める, など。

・ 「心の中の傷ついた子供」 を労るため、子供の気持ちを 尋ねてみる。

  ex.寂しい, 怖い, 疲れた, 疎外されている, など。

 言葉によって 自分を慰める。

  ex.いずれ良くなる, 今は違う, 何とかやっていける,

   この気分は変わるだろう, いつも悪いわけではない, など。

・自傷行為の代わりに 不快感を発散する方法を考え、リストを作っておく。

  ex.誰かに電話して話す, 氷の塊をかじる, 手で卵を押しつぶす,

   赤ペンで傷跡を描く, マットレスをホースで思い切り叩く,

   枕に顔をうずめるか、ヘッドホンで 大きく音楽をかける,

   海に向かって 声を上げたり、石を投げたりする,

   安物の皿を 壁に投げつけて割る,

   自分の感情を 最もよく表す言葉を 何度も書く,

   自分以外の何か (タオルなど) を切る, 何かを思い切り噛む,

   傷つけたい所を マッサージする, など。

 苦しみがなくなるまでは 「自傷行為をしたつもり」 になる。
 

 これらを 習慣づけることによって、自分で自分を 労ることを学び、

 スキルが 身に付いていきます。

 そうして 自傷の衝動を 実行しなかったたびに、

 自分への配慮と 自分をコントロールする力が 育っていくのです。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48310396.html


[参考文献 : 「自傷行為と つらい感情に 悩む人のために」 (誠信書房)
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(4)

2007年06月14日 14時50分36秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48254244.html からの続き)

 自殺企図や自傷行為を起こす 極度のストレスが続いている時は、

 入院治療で行動を防ぎ、サポートする必要があります。

 ただし、入院の必要があるかどうかを 見きわめるのは、非常に重大なことです。

 不必要な入院は 逆効果になったり、入院に依存するように なってしまいます。

 自傷行為を減らすためには、次のようなことが挙げられます。

・前記の 自傷行為のプラスの意味を自覚し、

 この目的を達成するための 別の上手な方法を考え出す。

・過去の自殺行動における、死ぬ意図の有無を判断する。

・自傷行為を起こす 「認知のゆがみ」 を修正する。

(例えば、 「自分は辛い感情に 耐えられない」 とか、

 「辛さに対処するのは 自傷行為しかない」、といった 歪んだ認識。)

・自傷行為の結果、それを繰り返してしまう 自傷行為の影響を知り、

 行為の強化のパターンを変えて、適切な行動を促す。

 意識して起こした影響と、意図しなかった影響を 区別する。
 
 

 弁証法的行動療法や 認知行動療法は、

 自傷行為を減らすのに 効果があることが知られています。

(関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html
        http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/46473031.html )

 これらの療法は、自傷行為への衝動や、それを行動化する 歪んだ認識を、

 修正することをします。

 患者の感情や経験は 意味や価値があるのだ ということを認識し、

 感情のコントロールを高め、自己非難を緩和することを 目標にしています。

(続く)

 
[参考文献 : 「境界性パーソナリティ障害 最新ガイド」 星和書店 ]
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(3)

2007年06月13日 22時34分59秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48219305.html からの続き)

 自殺行為は 多くの精神障害で起こりますが、

 致命的ではない自傷行為が 簡単に繰り返されるのは、

 ボーダーの人のみに 見られることです。

 自傷行為の原因として 一番多いのは、

 見捨てられたり、見捨てられたと 思い込むことです。

 ボーダーの人は、他者を操ろうとしたり、

 人の注目を集めるために 自傷行為するというより、

 むしろ この行為を恥じたり、隠したりすることが しばしばあります。
 

 ボーダーの人にとって 自傷行為のプラスの意味には、

 次のようなものがあります。

・ストレス,不安,怒り,罪悪感,羞恥心など、

 感情の緊張がほぐれて、気分がよくなるように感じる。

・精神的な苦痛から 注意をそらして、気持ちを紛らわせる。

・自分を罰する。

 羞恥心,後悔,疎外感など 苦悩からの救いとなる。

・目に見えない精神的苦痛を、具体的に見える形で 証明・確認する。

・ボーダーの人は 自分を制御できないと 感じているが、

 自傷をすると、出来事や感情を コントロールできると感じる。

・感情的な苦しみのために 感覚麻痺や離人感に陥ることを、自傷行為が緩和してくれる。

・怒りの感情のはけ口。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48268070.html
 

[参考文献 : 「境界性パーソナリティ障害 最新ガイド」 星和書店 ]
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(2)

2007年06月12日 11時37分26秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48193950.html からの続き)

 「境界性パーソナリティ障害 最新ガイド」 (星和書店) という本があります。

 これによると、一般的なボーダーの人は 心子の場合と いささか事情が異なるようです。

 この本から 書いてみようと思いますが、

 ボーダー本人の方々の 意見や気持ちなども 伺いたいと思っています。

 よろしくお願いいたします。

 
 多くのボーダーの人は、実際に死のうという意思のない

 自傷行為,自殺念慮,周りの人を操作するための 自殺行動が見られます。

 そのため周囲の人は、実際の自殺の危険性を 予測することが難しくなります。

 過剰な反応も 過小評価もしないように することが必要です。

 巻き込まれて 共倒れになってしまってはいけませんし、

 逆に 「オオカミ少年の訴え」 のように思って 呑気に構えていると、

 本当の自殺を 招くことになってしまいます。

 ボーダーの人の中では、自殺を意図しない自傷行為と

 はっきりした自殺企図とは、全く異なっています。

 体を傷つけることで 本当に自分を殺さなくても済み、

 生きる 「許可」 を 得ている場合もあります。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48254244.html
 

[参考文献 : 「境界性パーソナリティ障害 最新ガイド」 星和書店 ]
 
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ボーダーの人の 自殺行動と自傷行為(1)

2007年06月11日 11時12分56秒 | 自死について
 
 心子は 僕の目の前で、包丁を胸に突きたてようとしたり、

 カッターでのどを 掻っ切ろうとしたり、何度も 自殺行動を見せました。

 それは 助けてほしいというサインであり、

 僕が危険を犯してでも 彼女を救うかという “試し” だったと思います。

 彼女は僕の部屋で 僕がいない間に、のど元にナイフを突きつけたまま、

 僕が戻ってくるまで 待っていたことも、一度ならずありました。

 また、僕が体を張って 心子を助けた後、

 心子は落ち着いてから 切に感謝したこともあります。

 心子の主治医の先生も、

 本当に死のうとする人は 人前では自殺行動をしない、と言っていました。

 心子の自殺行動は、実際の死を 意図したものではないと、僕は思っていました。

 しかし最後は、本当に 旅立って行ってしまいました。

 ボーダーの人は、自殺行動によって 相手の愛情を 操作しようとすることがあるが、

 現実に死に至ることもある というのを知ったのは、

 彼女が亡くなって しばらくたってからのことでした。

 ボーダーの人が 自殺によって命を終える確率は、約1割だといいます。

 また心子は、リストカットなどの自傷行為は、僕の前では ほとんどありませんでした。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48219305.html
 
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自死について思うこと(6)

2007年03月15日 15時57分19秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45951811.html からの続き)

 まだ失われていない 命に対しては、

 どんな苦況にあっても ぎりぎりの土壇場まで

 生への手がかりを 追求するべきでしょう。

 しかし すでに失われてしまった 命に対しては、

 苦しみを踏みしめてきた人の 歩みを重んじ、

 疲れ果てた魂の 安寧を祈りたいと 真摯に思います。

 逝った人も 残された人も 不幸な結末に させないためには、

 新たな死生観を 見いだしていく他 ないのではないでしょうか。

 自殺者の遺族が 多く抱くという、

 いわれのない罪責感も 解きほぐれていってほしいと思います。
 

 尊厳死と自死は 必ずしも同列に 論じられませんが、

 オランダでは 精神障害の苦悩を根拠にした 尊厳死の是非の 議論もあります。

 個人の生き方には 他人が口をはさめない とはいえ、こと死に限っては、

 個人の命だから 個人の自由で良い というものではありません。

 命は 当人だけのものではなく、人類の普遍的なテーマです。

 ボーダーは 我々の社会が生み出した 落とし子でもあり、

 誰も 自分が無関係だと 言うことはできないでしょう。

 肉体的苦痛による尊厳死が 国民的関心を経て 合意を形作ってきたように、

 精神的苦痛による それに関しても、

 皆が 考えてみる必要が あるのではないでしょうか。

 ただし その前提は、いかに 苦しみを減らす 手立てが講じられ、

 支援しながら 生きていけるかであるということを 忘れてはなりません。
 
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自死について思うこと(5)

2007年03月14日 11時27分52秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45923285.html からの続き)

 日本では、キリスト教圏ほど 自殺を罪悪視する風潮は 少ないと言われますが、

 自殺は卑怯で 負け犬の逃げだという見方も 一部に根強くあります。

 でも 自殺を批判する人の中には、本物の蹉跌を 体験したことがあるのか

 疑問を覚える人も ままいるように思います。

 自ら 窮地をくぐってきた人ならば、死を訴える人の 胸中を推しはかることもなく、

 非難を浴びせることは できないのではないでしょうか。

 苦しみもがく人に さらに鞭打ち、踏みにじるような真似だけは

 してほしくないと 僕は願っています。
 

 僕は、果たして 自殺を美化してはいないだろうかと 自問しています。

 僕は 実際に自殺を試みるまでに 至ったことはなく、

 最後の一歩を踏み出した 心子の断末魔を 実感することはできません。

 けれども、心子の最期を 単に悲運なでき事として

 すませることのできないものが、僕の中にはあります。

 心子は これでやっと 苦しみから解き放たれたのだと 思わざるを得ない、

 そう信じるしかない というものが、どうしようもなく あるのです。

(続く)
 
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自死について思うこと(4)

2007年03月13日 12時21分26秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45889711.html からの続き)

 肉体的苦痛に関しては、

 末期がんの苦痛によって 人間性までが 壊されてしまわないように、

 行きすぎた延命を 拒否することは 尊厳死とされ、

 今では かなり普及しています。

 積極的安楽死も、厳格な条件の下に 承認する判例が 定まっています。

 精神的苦痛に対しても、それに準ずることが 考えられないでしょうか? 

 精神的な苦しみは 肉体的なそれに 及ばないとは、決して言えません。

 まして心子は、苦渋に過敏で 耐性が極めて弱いという 障害でした。

 阿鼻叫喚の 責め苦にあえいでいる 人格のときの彼女が、

 光も一切見えない 暗闇の中で、万事に終止符を打ちたいと 望んだとしても、

 それを否定することは 僕にはできません。

 病苦を和らげる治療が すぐに期待できない 現状では、

 絶望から脱するため 止むにやまれぬ手段を 選び取ってしまったとしても、

 それを咎めるのは あまりにも酷ではないでしょうか。

 人間だけが、希望がなくては 生きていけないのです。
 

(自殺者の九割は、うつ病など 精神科の診断名が 付くといわれます。

 自殺は “病気の症状” なのだとも言えます。)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45951811.html
 
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