「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

怒り (3) (怒りへの対処)

2008年05月31日 21時20分41秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54483529.html からの続き)

 BPDの人は 怒る必要があるのだということを、理解するのは大切です。

 怒りは 形を変えた失望かもしれませんし、うつに対処する方法かもしれません。

 暴力的でない怒りは パートナーとして受け入れ、吸収することが重要です。

 しばらくすれば 怒りは自然に消えていき、

 その根底にある問題について 話し合うことができるようになるかもしれません。

 激しい怒りは、恐れや痛みを 外に向けた表現であるのが 一般的です。

 怒っているほうが、恐れているより楽なのです。

 過去の虐待,親の不在,愛情の喪失などの 痛みは、

 闘うことによって 和らげられます。

 BPDの人の怒りは、心の傷に反応して、または 避けようとしているものなのです。

 恐れと痛みを 常に抱えているBPDの人は、

 表面上の理由はなくても、いつ爆発するか分かりません。

 BPDの人が 激怒するときというのは、まさに自分が 見捨てられるのではないか、

 窒息させられるのではないかという、最も恐ろしい予見を 感じたときなのです。

 BPDの人の怒りに 対処するには、コミュニケーションが 何よりも重要ですが、

 それは非常に繊細で バランスが求められ、練習も必要です。

 一方では、BPDの人に サポートと共感を示し、

 自制心を 積み重ねなければなりませんが、

 他方では、不合理な怒りは 受け入れられないということを、

 相手に知ってもらわなければなりません。

 怒っても受け入れられるのだ と思われると、

 BPDの怒りを 増幅させる結果になってしまいます。

 パートナーにも限界があり、それを超えて 受容しようとすれば、

 こちらも破綻して 共倒れになってしまいます。

 「してもダメ、しなくてもダメ」 という時には、

 その場から 離れるしかありません。

 しかしそれは 永遠の別れではなく、また再び 一緒にやっていくための小休止です。

 時間を置くことによって 怒りは治まり、

 落ち着いたときを 過ごすことができるでしょう。

 相手との境界を はっきりさせておくこと (限界設定) は、

 ずっと共に生きていくための 知恵なのです。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 
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怒り (2) (怒りの底にあるもの)

2008年05月30日 22時21分09秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54469496.html からの続き)

 怒りは フラストレーションから起こります。

 些細なことで 愛する人に対する 落胆が続いて、

 最後には憎悪が 沸き起こってきてしまいます。

 そうなる前に 先制攻撃で、BPDの人は 怒りをあらわにします。

 あざけりや 激しい敵意の裏には、期待に反した 失望があるのです。

 また怒りは、人を喜ばせる行動に カモフラージュされている 場合もあります。

 なけなしの財産を 人のために 無差別に使ってしまったり、

 行きずりのセックスを したりします。

 BPDの人は 怒りを覆い隠すことによって、怒りを免れようとするのです。

 しかしそれは、互いに満たされることない 欲求不満を募らせるだけになります。
 

 幼児虐待を受けてきた BPDの人は、

 ひどい仕打ちを受けるのは 当然だという感覚を抱きます。

 そのため 過去のシナリオを 再現しようとしますが、

 虐待を挑発するときに、怒りが薄められるのかもしれません。

 これは 「反復強迫」 と 言われる現象です。

 過去の経験を 再構築して、「今度こそはうまくやろう」 という 試みだといいます。

 BPDの人にとって こうした挑発は、パートナーが腹を立てる 状況を作り、

 それによって 関係を支配すると 感じることができます。

 激怒し、次に後悔して 自責の念に駆られ、

 最後にはパートナーに 許しを乞うことを繰り返します。

 こうして、支配権を手にするのです。

 BPDの人の 傷つきやすい恐怖感は、傲慢な激昂に逆転します。

 それによって、自分をコントロールする感覚を 持てるという人もいます。

 幼児虐待は、愛情がレイプに変わりうる,見捨てられる恐怖が 隣り合わせにある、

 予測できない おぞましい経験です。

 BPDの人の多くは、虐待を思い出して 自分自身を責めます。

 この歪んだ認知が 罪悪感や落ち込みを招きますが、

 それは コントロールできるという感覚を 取り戻すのに役立つのです。

 BPDの人の 忌まわしい体験は、

 暴力の犠牲者にもなるし、自分を罰する 加害者になることもできます。

 こうした選択肢を与えられると、

 BPDの人は 人生を支配できるという 自己像にしがみつくことになります。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54498083.html

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 
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怒り (1)

2008年05月29日 22時29分30秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 BPDの人の怒りは、他の怒りとは異なって 特徴的で、

 感情の自然発火とでも言うべき、突発的で 予測できないものです。

 誰かに焚きつけられるのではなく、自分で自分に 火を点けてしまうのです。

 怒りは常に存在しており、深層に隠れたまま 横たわっているか、

 見捨てられる恐れによって 抑えられていたりします。

 後者の場合、怒りは内部に溜まって 自分自身に向けられ、

 自分を破壊するような行動に 形を変えてしまいます。

 うつ状態のBPDの人では、怒りはそれほど激しくない 傾向があります。

 うつが怒りを減少させているのか、または、

 うつを防ぐために 怒りを表している可能性もあります。

 怒りは BPDの症状の中で、最も長期化するものだといいます。

 一番変化させにくい 症状のひとつでもあります。

 ある研究では、2年間の年月で、自殺行動は 54%減ったのに対し、

 激しい怒りの減少は 7%だったそうです。

 また怒りは、BPDの他のDSM診断基準と 絡み合っています

 気分の不安定さは、怒りを含んでいます。

 破壊的な衝動性と 自殺・自傷行為は、しばしば 憎しみや怒りを伴います。

 怒りと欲求不満が 共に出現する場合、

 見捨てられ感や空虚感を避けるため、BPDの人は 必死の試みをします。

 怒りと失望感は、理想化された人が こき下ろされる時の、

 不安定な感情に見られます。

 怒りは抗しがたいほど激しく、現実の解釈が 歪められてしまうほどです。

 怒りの原因は、幼少時の自然な欲求が 満たされなかったために、

 そのフラストレーションが 大人になって 攻撃性に変じるのだと言われます。

 原因の最たるものは 身体的・性的虐待でしょう。

 BPDの人が 自分自身を守るための、無意識の防衛本能が 怒りなのです。

 生物学的には感情は、本能的な働きをする 大脳辺縁系に深く関わっています。

 これに対して 前頭前皮質は理性的な抑制をしますが、

 BPDの人では この部分に異常があることがあります。

 攻撃性と抑うつ状態には、SRI (セロトニン再取り込み阻害薬) が功を奏します。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54483529.html

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 
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読売新聞 ・ 医療ルネサンス

2008年05月28日 23時37分56秒 | ボーダーに関して
 
 いま 読売新聞の医療ルネサンスで、境界性人格障害の記事を 連載してます。

(医療ルネサンスのWebページには まだ記事は アップされていません。

 掲載されたら、後日URLを 紹介しようと思います。)

 ボーダーの 攻撃的なタイプ (アクティングアウト) ではなく、

 自分を責めてしまうタイプ (アクティングイン) のことを 書いています。

 激しい怒りなどの感情で 周囲を巻き込むため、

 人から理解されにくい ボーダーですが、

 少しでも理解されやすいものを 載せるという意図なのでしょうか。

 5年前にも医療ルネサンスで ボーダーの連載があり、大変な反響がありました。

 あれから ボーダーの人も増えているでしょうし、

 認知度も 上がっているだろうと思います。

 今回は どんな反響があるでしょう。

 なお 現在において、「境界性パーソナリティ障害」 や 「BPD」 などではなく、

 「境界性人格障害」 という 表記をすることには、少々疑問も感じました。

 しかし もしかすると、前回 「境界性人格障害」 で連載をしたため、

 今回も同じタイトルに せざるを得なかったのだろうか とも推測します。

 実は 医療ルネサンスの担当の記者さんとは、以前 メールを交わしたこともあり、

 拙著の書評を 読売新聞に載せてくれました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/15996182.html

 また 連絡をしてみようかなとも思っています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54554183.html
 
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空虚 (2) (空虚を満たすには)

2008年05月26日 21時23分07秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54406963.html からの続き)

 精神科医の中には、精神疾患は 脳に原因があると考え、

 薬物療法を行なう人が 少なくありません。

 彼らにとって 症状とは病理学的なもので、

 治療によって 根絶されるべき 「悪」 とされます。

 それに対して 心に焦点を当てる医師は、

 心の病気を 内的な苦悩の 結果であると考えます。

 彼らはコミュニケーションによって、

 患者の全ての人生経験を 理解することを 治療のゴールとします。

 治療とは癒しであり、病根の切除ではありません。

 治療の中心は、BPDの人が 目的意識を引き出す 手助けをすることです。

 患者自身が、自分の存在に 意義を感じ始めるとき、空虚は満たされていきます。

 家族やパートナーの人は、BPDの人が どんなに大切な人であるかを

 強調することで、彼らの達成感を サポートできます。

 ユーモアもまた 有効なすべで、バランス感覚を 取り戻すのに役立ちますす。

 体を動かすエクササイズは、エンドルフィンを放出し、抗うつ作用があります。

 リラクゼーションや、美しい景色を 眺めたりするのもいいでしょう。

 大きな自然と 触れることでも、

 世界の歓びを感じることが できるのではないでしょうか。

 脳に刺激を与えることも 必要です。

 読書や ニュースに関心を持つこと、ゲームなどでも構いません。

 自助グループに参加したり、社会と繋がることも 孤独感を満たす助けになります。

 また瞑想や内省,礼拝なども、心の奥底を満たすための 意味を与えます。

 必ずしも 宗教的な信仰は なくても構いません。

 無神論であっても、哲学や思想を 深めることができます。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より 〕
 
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空虚 (1)

2008年05月25日 22時28分10秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
 BPDの人にとって 「空虚」 とは、

 無力感や疎外感によって、全てが消耗されつくしてしまう 感覚です。

 混乱の中で 自己を失う恐怖が募り、心が麻痺状態になって、

 行動もできなくなってしまいます。

 衝動性,抑うつ,怒りと比べても、最も修正がきかない 感情であるとされます。

 心子もそうだったように、自分の存在意義を失い、気分が不安定になり、

 自死に至ってしまうこともあるほど、底なしの喪失感です。

 ハムレットは 「空虚」 を、世界中のどんなものよりも 耐えがたいと嘆いています。

 空虚は 最も直面化するのが 難しい症状です。

 それは家族やパートナー,治療者についても 言えるでしょう。
 

 BPDのうつ現象は 空虚と孤独によるものであり、

 うつ病のそれとは 明確に区別されます。

 うつ病の人は、罪悪感,悔恨,引きこもりの症状を、より 経験しているといいます。

 それに対して BPDのうつの特徴は、

 怒りと破壊衝動性,自己嫌悪,人間関係に対する 自暴自棄です。

 幼児期の基本的な欲求が 満たされないと、

 そのフラストレーションが 成人期のうつをもたらします。

 養育の欠乏のために、安全や慰謝のイメージを 育むことができず、

 主観的な空虚感に 陥ってしまうのです。

 心子は 生まれたときの足の障害のために、親が抱くことを 医師に止められ、

 1年間たった一人で 寝かされたままでした。

 赤ん坊が 最もスキンシップを 必要とする時に、それを得ることができず、

 安心して生きていていいんだという、

 この世界に対する 基本的な信頼感を 抱くことができなかったのです。

 過去の失望や トラウマがあるため、庇護されることに 恐れを持ったり、

 世界観や価値観を 確立することができなかった結果、

 空虚というブラックホールを 作ってしまいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54422134.html

〔参考文献: 「BPDを生きる7つの物語」 (星和書店) 〕
 
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星和書店、打ち合わせ

2008年05月23日 11時09分09秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54322999.html からの続き)

 昨日、星和書店に 打ち合わせに行ってきました。

 気にしていたタイトルは、副題を付ければ いいことになりそうです。

 表紙や海原純子さんの推薦文も 変更があるかどうか、

 これから 検討していくことになります。

 再出版に当たっては 前から、部分的に 加筆するつもりでいました。

 本文に関しては 細かい語句の 直し程度ですが、

 ボーダーの解説の部分は、拙著の出版後に出た本で 読んだことや、

 新しい情報があるので、書き直す必要があります。

 特に星和書店は 心理学の専門の出版社なので、

 解説の内容には 厳密を期するようです。

 境界例,境界性人格障害という言葉も、今は使われない 方向になっていますから、

 境界性パーソナリティ障害,BPDという用語に 訂正しなければなりません。

 そして、どういう読者層を ターゲットにするか、

 つまり、書店のどの棚に置くか ということですが、

 星和書店は 心理学や精神医学の本を 専門的に出版しているので、

 やはり ボーダーに関心がある人を 考えているそうです

 僕は もしできればラブストーリーとして、

 ボーダーを知らない人たちに ボーダーのことを伝えたい

 という気持ちもあるのですが、確かにそれは 難しいのだろうとは思います。

 ノンフィクションやラブストーリーとして 棚に置いても、

 どういう人が 手に取るか……。

 今までも拙著は、ほとんどの書店で 心理関係のコーナーに 置かれていましたし。

 星和書店としては、ボーダー当事者の人たち (家族,パートナーを含む) に

 まず読んでもらい、そこから広げていきたい と言っていました。

 初版は少なくして、様子を見たいということです。

 急ぐ話ではないので、じっくり進めていくことに なると思いますが、

 とにかく 良いものができ上がっていくことを 願うばかりです。
 
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「境界に生きた心子」 再出版

2008年05月20日 16時28分45秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 先日、「境界に生きた心子」 再出版の可能性の 記事を書きました。
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54279905.html )

 何と昨日、星和書店から、拙著の出版を 具体的に検討したい

 という連絡がありました! ( ^○ ^) /

 早速、22日に 星和書店へ打ち合わせに行きます。

 23日は σ (^^;)の誕生日ですが、最高のプレゼントになりました。 (^- ^)

 星和書店は、精神医学や心理学分野の書籍を 精力的に出版している会社で、

 境界性パーソナリティ障害の本も 多数出しています。

 「境界に生きた心子」 がこの一角に 並ぶことができれば、大変嬉しいことです。

 新風舎が倒産して以来、拙著は一般の販路では 流通しなくなりました。

 新風舎から 新品の在庫200冊を買い取り、

 現在 Amazon の 「e託」 というシステムで ネット販売をしています。

 ただし 元より再出版を求めていたので、e託は中継ぎの手段です。

 新風舎の事業を引き継いだ 文芸社からは、

 改めて共同出版 (著者が実費を持つ) するという 選択肢が示されました。

 再出版さえできるなら、僕は何でも構わない という気持ちもありましたが、

 文芸社は 新風舎と “同類” という面もあり、

 もし 他の出版社から出せれば、それに越したことはありません。

 また、拙著はAmazon では今も コンスタントに売れ続けているので、

 できたら 商業出版 (通常の出版) の見込みはないだろうかと 皮算用もしました。

 知り合いの出版社に 問い合わせることも考えましたが、

 境界性パーソナリティ障害の良書が 多数ある星和書店から 出すことができれば、

 一番いいと 思った次第です。

 新風舎倒産時に、ミクシィで この問題を取り上げた コミュニティができ、

 その管理人さん (出版関係者) には その後もすっかりお世話になっています。

 管理人さんに 上記のことを相談すると、

 管理人さんが星和書店に 打診してくれました。

 すると星和書店の人が 関心を持ってくれ、

 一度拙著を読ませてほしい ということになったのです。

 その後、星和書店から 管理人さんに照会があり、

 僕からも 星和書店に手紙を出しました。

 そして昨日、星和書店の担当の方から、

 出版を検討したいという 連絡があったわけです。 (^- ^)

 星和書店の企画,出費で、通常のシステムで 出版されることになります。

 ただし、星和書店の本として 出すわけなので、

 タイトルの変更などの必要性が 出てくるのかもしれません。

 「境界に生きた心子」 は 思い入れのあるタイトルで、

 とても気に入っているため、できれば変えたくない と思っています。

 それらも含めて、22日に話をしてきます。

 また、経過を報告させていただきます。m(_ _)m 

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54366283.html
 
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気分の不安定さ (6) (他のパーソナリティ障害との関連)

2008年05月19日 22時20分15秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54293725.html からの続き)

 演技性パーソナリティ障害は、極端に感情的で、自作自演をし、自分の魅力にこだわり、

 身体的な外見に関心が高く、急激に移り変わる 浅薄な感情表現が特徴です。

 怒りや自己破壊性という点で、BPDと演技性パーソナリティ障害は 区別されます。

 自己愛性パーソナリティ障害とBPDは、過度の怒りや、特権的で誇大な自己認識,

 批判に対して過敏という 特性を持っています。

 しかし 自己愛性パーソナリティ障害は、

 BPDにない 尊大さや優越感,権利意識を示します。

 反社会性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害は 男性に多く、

 BPDと演技性パーソナリティ障害は 女性に多く見られます。

 遺伝的な違いが 関与していると言われています。

 しかし 診断は社会的,文化的な影響も受けるでしょう。

 例えば、ある人が パートナーと喧嘩して飛び出し、酒を飲んで暴れたり、

 飲酒運転で事故を起こして、警察に捕まって泣きちらし、死にたいとわめいたとします。

 この人が女性なら、病院へ連れて行かれて BPDの診断を受け、

 男性なら反社会性パーソナリティ障害と 診断されることがあるかもしれません。

 反社会性パーソナリティ障害とBPDは、怒り,衝動性,無謀さが特徴です。

 子供時代の虐待,不運な人間関係,物質乱用という類似点があります。

 反社会性パーソナリティ障害は、

 良心や情緒が 欠如しているところが、BPDと異なる点です。

 反社会性パーソナリティ障害の人は もっと攻撃的で、

 養護者を求めるより、利益や力を得ようとします。

 ところが、診断が違っていても、治療は共通しています。

 うつ病のSRI,双極性障害の抗精神病薬,衝動性への気分安定薬が、

 BPDに とても役立つことがあります。

 そのため 医師の誤診は補強されてしまいますが、

 正しい診断が なされていくことが求められます。

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より〕
 
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気分の不安定さ (5) (他のパーソナリティ障害との関連)

2008年05月18日 21時36分40秒 | 「BPDを生きる七つの物語」より
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54084455.html からの続き)

○BPDと 他のパーソナリティ障害

 パーソナリティ障害の診断基準の多くが、

 他のパーソナリティ障害の 基準と重複しています。

 そのため、BPDはしばしば 他のパーソナリティ障害と共存したり、

 誤診されたりします。

 人の言動を勘繰ったり、怒って反撃したりする傾向は、

 妄想性パーソナリティ障害と共通しています。

 失調型パーソナリティ障害も、異様な知覚体験,妙な信念など、

 BPDの特徴を持っています。

 ただBPDの人は、これらのパーソナリティ障害ほど 風変わりではなく、社交的です。

 回避性パーソナリティ障害の人は BPDの人と同じように、

 人に批判されたり 拒絶されることに過敏です。

 BPDの人と異なるのは、社会的な関わりを避けることです。

 依存性パーソナリティ障害の人も、他者に庇護されるためには 極端なことも厭わない,

 一人で生きていけないと 病的に恐れる,

 ひとつの関係が終わると 次の関係を執拗に求める,

 自分が取り残されるという 非現実的な恐れを持つ、などの特徴があります。

 しかしBPDの人は、気分変動,怒りの爆発,自己破壊性を示すのが 特徴です。

 BPDは B群 〔*注〕 のパーソナリティ障害と 関連があります。

〔*注: 10種類のパーソナリティ障害は、A群,B群,C群に分類されます。

 A群は、奇妙で風変わりに 見えることが多いものです。

 妄想性パーソナリティ障害,シゾイド (統合失調質) パーソナリティ障害,

 スキゾタイパル (失調型) パーソナリティ障害があります。

 B群は、演劇的,情緒的で ドラマチックに見えることが 多いタイプです。

 反社会性パーソナリティ障害,境界性パーソナリティ障害,

 演技性パーソナリティ障害,自己愛性パーソナリティ障害が含まれます。

 C群は、不安や恐怖を 感じているように見えます。

 回避性パーソナリティ障害,依存性パーソナリティ障害,

 強迫性パーソナリティ障害です。

 書庫 「パーソナリティ障害が分かる本」 参照
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/folder/1468205.html?m=l&p=2 〕

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54311392.html

〔 「BPDを生きる七つの物語」 (星和書店) より〕
 
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「境界に生きた心子」 再出版の可能性

2008年05月17日 23時09分14秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 今日は 心子の月命日。

 例によって お墓参りに行ってきました。

 苦しい思いをしている ボーダーさんたちのことも祈りました。

 心子の心が届いて、少しでも辛さが 和らぎますようにと……。

 それからもうひとつ、「境界に生きた心子」 の 再出版のことも祈ってきました。

 拙著の再出版の道を  探っていましたが、実はもしかすると、

 某出版社から 商業出版ができるかも知れないという 可能性が出てきたのです。

 もちろん まだ未定ですし、どうなるか 全く分かりません。

 でも もしも実現したとしたら、新風舎のときの 「共同出版」 とは違い、

 出版社の企画,費用で、通常の本と同じに 出されることになります。

 拙著は発刊されてから もう3年以上になりますが、

 本というものは普通、出てから時間が経つと どんどん売れなくなります。

 でも 「境界に生きた心子」 は Amazon を見ている限り、

 本当に幸いなことに 今でもコンスタントに売れています。

 ボーダーの人が だんだん増えてきて、需要が 高まってきているのかもしれません。

 そして今年1月に 新風舎倒産問題が起きてからは、

 何故か むしろ売上が伸びています。

 5月になって 少し落ち着いてきた感がありますが、

 4月までは 連日のように購入されていました。

 どういう原因か よく分からないのですが、非常にありがたいことであります。

 ボーダーの当事者が 書いた本は少なく、

 特に パートナーの立場で書かれた本は ほとんどありません。

 そんな意味でも、拙著は存在価値があるのではないか と愚考するのですが。

 ボーダーの人は これからも増えるでしょうし、関わる人も 多くなっていくでしょう。

 何とか 拙著がまた新たに 生まれ変わって、世に出ることを願っています。

 商業出版がだめでも、共同出版でも何でも、

 とにかく 心子の心が これからも人々に届いていくことを 求めていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54322999.html
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (5)

2008年05月16日 22時17分39秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54251261.html からの続き)

 浅間山荘事件が起こる直前、

 永田と森は 偵察という名目で 一時山を下り、同衾します。

(同志の男女が キスしただけで処刑した この二人が。)

 永田は 前夫の赤軍書記長・坂口と別れ、森と結婚することにします。

 ところがこの間に、二人は警察に通報され、あっけなく 逮捕されてしまいます。

 そして  山に残されたメンバーのうち5人が、

 警察の追手を逃れて 浅間山荘に立てこもることになります。

(うち二人は未成年、一人は現役高校生でした。)

 人質になった 山荘管理人の妻に対して、メンバーは 彼女を絶対に傷つけない,

 警察が攻めてきたら 全力で守る、と約束します。

 同志で “総括” を行なってきた 彼らは、

 民間人を犠牲にしないという 信念を守ったのでした。

 そこに彼らの 最後の純粋さを見て取ります。

 しかし、元々の理念は 崇高だったはずなのに、

 その方法論が 恐ろしい異形のものへと 変容していってしまったのです。
 

 獄中の森恒夫は、司法の裁きの前に 自ら命を絶ちます。

 やはり 己の運命に立ち向かえずに 逃げた、弱い人間だったのでしょう。

 永田洋子は 死刑が確定し、現在も勾留中です。

 山荘に立てこもった メンバーの中で、書記長の坂口は死刑確定。

 現在、再審請求中です。

 残りは 有期懲役刑になっています。

 この事件を境にして、学生運動は 急速に下火になっていきました。

 人間は常に、振り子の揺り戻しを 繰り返すのでしょう。

 その点は ボーダーの人も似ているようです。

 時代はその時によって 様々な現れ方をするわけですが、

 人間の本質は 通ずるものがあるのかもしれません。

 出演者である 現代の若者たちは 初め、

 連合赤軍の兵士たちの心情が 全く理解できなかったといいます。

 しかし 若松監督の下で、懸命に彼らの心裏に 近づいていこうとしました。

 この映画を見る若者も、なかなか理解できないかもしれません。

 けれども事件から、人間の心の闇にあるものを 学びとっていくため、

 この歴史のひとコマを 風化させてはならないでしょう。

 若松監督の執念が 刻み込まれた作品だと思います。
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (4)

2008年05月15日 23時55分56秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54235183.html からの続き)

 僕も若いとき、創作によって 社会を変えたいと思い、

 前衛的な思想に駆られていた 時期がありました。

 ある天才的な同人誌仲間と、現実離れした 観念的な世界に生きていました。

 社会を良くしたいという 歪んだ善意で、信念を持っていちずに 邁進していたのです。

 しかしその方向性が 間違っていました。

 ラジカルな思想を構築していき、批判精神を研ぎ澄まし、人を傷つけもしました。

 そんなことを重ねていった結果、失恋も絡んで、自分がその何百倍も傷つき、

 自分の価値観を 完全に打ち砕かれ、甚大な挫折を 体験することになったのでした。

 20代のときは、現実社会の動かしがたい重みが 分かりませんが、エ

 ネルギーと熱意はあり余り、過激に傾倒しがちです。

 それで破綻して頓挫するまで、どういう結果が待っているか

 気付くことはできないのです。

 従って僕も、連合赤軍のアブノーマルな偏向が、全く理解できないわけではありません。

(そのとき 僕を救ってくれたのは、同じアパートの友人であり、

 ロマン・ロランの 「ジャン=クリストフ」 でした。)

 それからまた、記憶に新しいところでは、あの 「オウム事件」 があります。

 信者は誰もが初めは、真理を求め、自分を成長させて、

 人のためになりたいと 願っていたはずです。

 ところが オウム真理教という ねじれた教義に染められ、

 マインドコントロールという 物理的・強制的な手法もありましたが、

 通常は考えられない蛮行を 犯すまでになって行ってしまいました。

 純粋で 高いものを求めている人間ほど、

 一歩間違えれば 常識はずれの道を 突き進んでしまうのかもしれません。

 そして 松本智津夫もまた、臆病な人間でした。

 ヒトラーも然りです。

 そういうことから考えれば、連合赤軍の暴挙は 全く不可解なでき事ではなく、

 誰もがそうなる可能性を 秘めているとも言えるでしょう。

 若松監督は、それを我々に 突きつけているのかもしれません。

 翻って現代は、長期にわたる不況で 先が見えず、

 自分の力で世の中を変える 夢想をするどころか、

 自分自身の将来さえ おぼつきません。

 社会と関わることを避けて 引きこもったり、心を病む若者が 増えています。

 30年ばかりの間に、日本は何と 変わってしまったことでしょうか。

 だが そんな社会でも、何か特殊な空間に 取り込まれると、

 時代によって 形は変わっても、同じような過ちを 犯す可能性が、

 人間の心の病的な部分には 潜んでいるのかもしれません。

 あと何年かしたら、今度はオウム事件が 映画化されるときが来るでしょう。

 そのとき我々は、何を見せつけられることになるのでしょうか。

(続く)
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (3)

2008年05月14日 23時13分16秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54217435.html からの続き)

 坂井真紀演ずる遠山美枝子も、永田洋子の餌食にされます。

 大山は 自分が “総括” の意志が あることを示すため、

 同士の裸の遺体を おぶって運び、土に埋めながら “自己批判” させられます。

 映画でリンチシーンを映すには 限界があるのでしょうが、

 暴行による外傷性ショックで 死に至るというには、

 相当 執拗で壮絶な暴力が 行なわれたのだろうと思います。

 ネットで調べると、映画では描かれなかった 陰惨な暴行もあったようです。

 非難の内容も、永田や森の 個人的な嫉妬 (コンプレックス) や

 怒りに触れたものになっていきます。

 遠山は、男に色目を使うと 永田に言いがかりを付けられ、

 自分で自分を殴れと 命じられます。

 そして 無残に変形した顔の前に 鏡を差し出され、見ることを強いられたのです。

 そのあとは 柱に縛りつけられ、垂れ流し状態で、

 精神的にも異常をきたして 絶命……。

 連日のように 死者が出て、矛先は 幹部にも向けられていきます。

 森を批判した幹部は、アイスピックで滅多差しに。

 “総括” ではなく、反対者に対する “処刑” です。

 “総括” の犠牲者は11人、

 8ヶ月の子を 身ごもっていた女性もおり、その子を含めれば 12人です。

 一体、どうして人間は ここまで狂気に走ってしまうのか? 

 森はかつて、一旦は組織から 逃亡した人間でした。

 再び戻ってきたとき、幹部たちは逮捕されて、森が主導者になっていったのです。

 森は元々 極めて臆病な人間だったのでしょう。

 弱い人間ほど 強がったり、力に訴えて、自制が効かず 暴走してしまいます。

 異常な思想に取りつかれ、閉塞した空間で、感覚が麻痺していき、

 自らが 失墜したり被害者にならないため、追い詰められて、

 そうする以外 なくなってしまうのではないでしょうか。

 もちろんこれは 頭で考えるだけのことで、

 実際のその状況で 人間がどんな心理状態に なるのかは分かりません。

 しかし、わずかでも 人心を掴む知恵があったなら、

 こんな異様な事態には 陥っていかなかったでしょう。

 人は心で動くものであり、力でねじ伏せようとする者は、

 いずれ 間違いなく破滅するのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54251261.html
 
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「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (2)

2008年05月13日 22時10分07秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54202851.html からの続き)

 1971年、残されたメンバーは 潜伏して先鋭化していきます。

 「革命は 一発の銃弾から起こる」 という狂信から、

 銃砲店や派出所を襲って 銃を奪い、現金を強奪して 武装化を図りました。

 体制打破,理想の国家建設という 思想に燃えながら、

 やっていることは 単なる強盗と変わりがありません。

 この頃、共産主義者同盟 赤軍派の残党と、革命左派の人民革命軍が 統一されて、

 「連合赤軍」 が結成されます。

 実態は、革命左派・永田洋子と 赤軍派・森恒夫の 独裁体制でした。

 連合赤軍は 20数名で山にこもって 軍事訓練を始めますが、

 素人の “戦争ごっこ” のようなものでした。

 巨大な国家警察に 歯向かえるわけもなく、

 個人が “共産主義化” していくことでしか、

 革命は成し遂げられない という空論を掲げ、狂った事態へと 突き進んでいくのです。

 各自が “革命的” になるために、自分の失敗や 至らないところを、

 “総括” と称して “自己批判” することを 強要されます。

 しかし 咎められる内容というのは、山籠もりの時に 水筒を忘れたとか、

 警察の取り調べ中に 親子丼を食べたのは 日和見主義だとか、

 交際していた男女が キスをしたとか、普通なら当たり前のことでした。

 けれども メンバーの中には、どうすることが “総括” になるのか、

 理解できない者もいました。

 やがて、 “総括” の方法に、

 暴力という “指導” が 加えられることになります。

 気絶して 目が覚めたときに、“共産主義化” がなされるという暴論で、

 全員が殴打に 加担しなければなりません。

 逃れようものなら、自分が “総括” の対象と なってしまうのです。

 顔が原形をとどめないほど 集団リンチを受けたあとは、

 極寒のなか 木に縛りつけられて 放置されます。

 食料も与えられず、間もなく 息絶えていくのでした。

 森は、自分たちが 彼らを殺したのではなく、

 彼らが共産主義化できずに 自分で死んだのだと言います。

 “敗北死” だと 位置付けるのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54235183.html
 
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