「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

ソメイヨシノがなくなる? 

2015年03月31日 22時16分22秒 | Weblog
 
 ソメイヨシノが 全国的に老朽化してきているということは、
 
 昨年の記事にも書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/63959342.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/63961274.html
 
 ソメイヨシノは病気などに弱く、
 
 樹齢40年くらいを超えると だんだん衰えていくと言われています。
 
 日本のソメイヨシノは 高度経済成長期に大量に植えられたので、
 
 一斉に老齢化しているというのです。
 
 並木の桜の枝が 通行の邪魔になり、 大きな枝を剪定したため、
 
 切り口から不朽菌 (病原菌) が入って、
 
 てんぐ巣病などの 伝染病が蔓延してしまうというも、 枯れる原因になっています。
 
 腐食が進むと 倒木の危険性もあります。
 
 そこで 東京の国立市では、
 
 2年前から ソメイヨシノの半数を 植え替え始めたそうです。
 
 新しく植えられるのは、  「ジンダイアケボノ」 という品種の桜です。
 
 ソメイヨシノ系の桜で、 花の形や開花時期が ソメイヨシノに類似しています。
 
 ソメイヨシノよりピンク色が濃くて、 甘酸っぱい香りがするそうです。
 
 ソメイヨシノよりも病気に強く、 寿命が長い可能性があるといいます。
 
 やや小振りなので、 通行の邪魔になりにくいというのも、
 
 植え替えに選ばれた理由のひとつです。
 
 全国にソメイヨシノを提供してきた  「日本花の会」 では、
 
 平成21年度から ソメイヨシノの苗木の生産,販売を中止し、
 
 ジンダイアケボノを推奨しています。
 
 近年人気の目黒川の桜並木も、
 
 ジンダイアケボノなどへの切替を 計画しているそうです。
 
 やがて日本から、 ソメイヨシノの壮麗な並木が なくなる日が来るのでしょうか? 

 YouTubeに ジンダイアケボノの投稿もありました。
https://www.youtube.com/watch?v=xLSKg6jXb88
 
 でも ここまで立派になるには、 植樹してから 長い年月がかかるのでしょう。
 
 苗木に植え替えて、 貧相な桜の時期が続くのは 何とも残念な気がします。
 
 それでも 桜の老齢化解消には 必要な過程なのかもしれません。
 
〔参考:テレビ朝日「グッドモーニング」3月31日放送〕
 
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ボーダーラインの人の 良い性質を思い出すこと

2015年03月29日 21時27分09秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 ボーダーの人の 困難な部分を検討していると、
 
 時折私たちは 肝心なことを忘れがちです。
 
 私たちがボーダーの人を愛しており、 心配しているということです。
 
 ボーダーの人は 双極価値に揺れる人間で、
 
 どちらも複雑なパーソナリティの 一部なのです。
 
※ アクション・ステップ11 プラスの面を強調する
 
 以下の良い特質のリストで、
 
 あなたのそばのBPに当たるものに ○を付けてください。
 
 一番大事なものに◎をして、 抜けているものは何でも書き入れてください。
 
 それから、 その人と繋がっていると 感じた出来事を 2~3つ書き込んでください。
 
_芸術的     _魅力的      _哀れみ深い    _有能
 
_創造的     _教養がある    _献身的      _面白い
 
_寛大な     _助けになる    _賢明な       _ユーモアのセンス 
 
_親切な     _礼儀正しい    _興味深い     _フレンドリー
 
_熱心な     _技術がある    _思い出の共有  _共通の趣味がある
 
_自然体     _機知のある    _才能のある    _恐れを知らない
 
_社交的     _愛情に満ちている
 
『      』 『       』 『      』 『      』
 
『      』 『       』 『      』 『      』
 
『                                  』
 
『                                  』
 
『                                  』
 
 長所も短所も、 人間全体を見るようにしてください。
 
 ふたつの自己を 統合することは難しいけれど、 治療を受けるボーダーの人は、
 
 悪い時より良い時を 増やせますし、 悪い時を より扱いやすく変えていけるのです。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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葛藤 (双極価値=アンビバレンス) の感覚

2015年03月28日 21時48分19秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 ボーダーの人は、 親密性を求めると同時に それを恐れています。
 
 愛情を望みながら、 相手にコントロールに与えることに 我慢がならないのです。
 
 結局、 愛する人は去っていってしまいます。
 
 ボーダーの人は、 相手がいなくなったら 自分も存在しなくなると感じるのです。
 
 自立と依存のバランスは 誰もが直面しますが、
 
 ボーダーの人は、 15メートルの綱の上で、
 
 (自尊心も希望もなしに) バランスをとっているようなものです。
 
※ アクション・ステップ10 沈没船のアクション・ステップ
 
 まず、 あなたがひどく嫌っている人を 思い出してください。

 その人の最も憎いときを 想像してください。
 
 次に、 クルーズ休暇中のあなたを想像してください。
 
 クルーズ船は 座礁して沈み始めます。
 
 救命胴衣を付けて 船から脱出しますが、 周りには何も見えず、 ひとりぼっちです。
 
 不安と渇きに襲われ、 助けを求めて叫びます。
 
 夜になり、 やがて朝がきます。
 
 すると、 ボートが近づいてくるのを目にします。
 
 しかしそのボートでは、 軽蔑するあの人間があざ笑っています。
 
 彼は、 あなたを助けるか、 そのまま置き去りにしていくか 決められるのです。
 
 仇 (かたき) が自分を助けようとする時 どう反応するか、
 
 下記のコメントに 幾つでもチェック印をつけてください。
 
 矛盾があっても構いません。
 
1. 「あいつに助けられるくらいなら 溺れ死んだほうがましだ」 と考える。
 
 □ 全く反対
 
 □ 反対
 
 □ 賛成も反対もしない
 
 □ 賛成
 
 □ 前面賛成
 
2. 歯ぎしりしながらも口をつぐみ、 船によじ登る。
 
 □ 全く反対
 
 □ 反対
 
 □ 賛成も反対もしない
 
 □ 賛成
 
 □ 前面賛成
 
3. その嫌な奴のボートに乗り込み、
 
  陸地に安全に戻ったら、 こいつに本音を言おうと 心に誓う。
 
 □ 全く反対
 
 □ 反対
 
 □ 賛成も反対もしない
 
 □ 賛成
 
 □ 前面賛成
 
4. 救出されたことをただ感謝し、 誰のボートだったかは忘れる。
 
 □ 全く反対
 
 □ 反対
 
 □ 賛成も反対もしない
 
 □ 賛成
 
 □ 前面賛成
 
 ふたつの全く正反対の反応に 引き裂かれたという感覚を感じたとしたら、
 
 ボーダーの人が慢性的に感じている、
 
 アンビバレンス (双極価値の間の葛藤) の感覚です。
 
 ボーダーの人が 首尾一貫性を欠いた行動をし、
 
 意見や希望を 頻繁に変える理由のひとつです。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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法廷のアクション・ステップ  ※アクション・ステップ9

2015年03月25日 20時44分02秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 ボーダーラインの障害を持つということは、 実際どういう感じなのでしょう。
 
 ボーダーの人の感情に近づくことは、
 
 ボーダーの人の反応を 予測するのに役立ちます。
 
○ 法廷のアクション・ステップ
 
 重大な犯罪で 糾弾されている状況を 想像してください。
 
 裁判にかけられ、 陪審員が評決を持って入ってくるのを 待っています。
 
 あなたはピリピリ、 ドキドキし始めています。
 
 恐怖を感じ始め、 刻一刻と状況は厳しくなっています。
 
 誰かが後ろから袖を引っ張り、 振り向くと旧友がいました。
 
 「今日は約束があるから、 子供を学校へ 迎えに行ってもらわないと困るんです。
 
 時間がないなんて言わないでください。」
 
 あなたはどう感じますか? 
 
【ステップ1】
 
 このような状況で 想像される感じ方に○をしてください。
 
_ 不機嫌な
_ 評価されていない,大事にされていない
_ 踏みにじられている
_ 緊張した
_ 警戒した
_ 腹が立った
_ 卑しめられた
_ 平穏な
_ 激怒した
_ 悲しい
_ 緊張した
_ 煽動された,あおられた
_ 利用された
_ 焦燥
_ 傷つきやすい
_ 激昂した
_ 脅えた
_ 欲求不満の
_ 辱められた
_ 安らいだ
_ 気落ちした
_ イライラしている
_ 空腹の
 
 自分の気持ちを 以下の空欄に書いてください。
 
 『                                    』
 
【ステップ2】
 
 上述の感情を 全て同時にもつのは 何を意味するか考えてみてください。
 
 これらの感情を毎日、 断続的に終日抱いているとしたら、
 
 どのようなものか想像して書いてください。
 
 『                                    』
 
 そういう状態だったら、 慰めや優しい理解を示す人に、 どんな影響を受けますか?
 
 『                                    』
 
 そういう状態だったら、
 
 あなたの目下の人に対する態度は、 どういう影響を受けると思いますか?
 
 『                                    』
 
 ここで戻って、 感じる可能性のある気持ちと 反対の気持ちに ×をつけてください。
 
 
 ボーダーの人の中には、 自分自身や 自分のしてしまったことに対して、
 
 恥と罪の意識を感じ、 自分自身を罰する人がいます。
 
 ほとんどのボーダーの人は 存在自体を恥じています。
 
 (これは ボーダーラインの定義の一部です。)
 
 自分自身を  「すべて黒」 か 「すべて白」  どちらかに見なし、
 
 最悪の判決を待つ 犯罪者のような気持ちになります。
 
 そして最悪の事態とは, 愛し、 頼りにしている人から 見捨てられることなのです。
 
 絶え間なくプレッシャーがかかり、 ピリピリして脅えている感じは、
 
 ボーダーの人の心や行動の 理解を助けるものです。
 
 日常的な出来事でも、 限界を超えた出来事になるのです。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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「世捨て人」 タイプ

2015年03月24日 21時36分25秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
○世捨て人
 
・ 典型的な思考
 
 生き馬の目を抜くような世の中で、 安全な場所なんてないのです。
 
 皆、 最後には裏切るのだから、 隠された意味に 警戒しなければいけません。」
 
・ 典型的な感情
 
 コントロールできない恐れ, 飲み込まれてしまう恐怖から、
 
 安堵を得ることができません。
 
 批判を、 自分に対する 全面的な死刑宣告のように 厳しい非難と取り、
 
 自尊心を保とうとして 仕事や趣味に頼ります。
 
 内面的な恥の気持ちは、 他人を途切れなく批判することで 表現されます。
 
・ 典型的なふるまいと 中心的ジレンマ
 
 固い殻があるため、 自信があり、 断固としており、 自立していて、
 
 社交の才にさえあふれているように見えます。
 
 身近にいる家族は、
 
 不信, 完全主義, 不安感, 焦燥感, 激怒, 妄想を 体験します。
 
 皆を 完全主義の理想に照らし合わせ、 激怒や締め出しで 相手を罰します。
 
 自己の喪失を恐れ、 これは 所有物の独占欲に繋がります。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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「捨て子」 タイプ

2015年03月23日 19時36分50秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
○ 捨て子
 
・ 典型的な思考
 
  「私は価値のない犠牲者です。
 
 愛されたいし保護されたいと 強く望みますが、 その価値はないのです。」
 
  「コップは半分 空であるうえに、
 
 掃除したばかりの床一杯に 今にもこぼれそう。」
 
・ 典型的な感情
 
 救いのない感じ, 希望の欠如, 絶望。
 
 激しい怒りは 悲しみと抑うつでカバーされていますが、
 
 拒絶や見捨てられることで噴出します。
 
 自分を、 過ちと失望とねじ曲げ, 恥辱の状態へつなげてしまいます。
 
 傷つきやすく、 自分には欠陥があると感じ、
 
 不安で気分が変わりやすく、 理屈に合わないほど臆病なのです。
 
・ 典型的なふるまいと中心的ジレンマ
 
 人が 「救ってくれる」 ことを期待しますが、
 
 救われないという気持ちに 安心感を得るので、 結局は援助を拒否します。
 
 誰も信用せず近づけなければ、 コントロールを維持でき、
 
 誰も 「捨て子」 たちを見捨てることも 失望させることもできないのです。
 
 自分自身を傷つけるかもしれませんが、
 
 自分が拒否されたとか 見捨てられたと感じたら、 激怒する力もあります。
 
 必要とするものを求めないので、 他人には心を読むことができず、
 
 望むものを与えられないため、 殉教者のように見えます。
 
 泣いてばかりいる期間が 存在しかねず、 他人を育んでやることができません。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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「女王」 タイプ

2015年03月22日 19時12分41秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
○女王
 
・ 典型的な思考
 
  「私はもっと注目されたい。
 
 私はもっと多くの注目を 受けるに値する。」
 
  「私に反対意見を言ったり、 私の願いに逆らったり、 自分の要求を抱くとしたら、
 
 それは 私を愛していないとか 尊敬していないということ」
 
・ 典型的な感情
 
 必要なものを与えられていないという 子供時代の剥奪感から生じた、
 
 特権意識, 剥奪感, 空虚感, 怒り, 欲求不満や孤独感が あります。
 
 忍耐力がなく、 他人の境界を侵し、 それを認識も後悔もしません。
 
・ 典型的なふるまいと 中心的ジレンマ
 
 空虚感にかられるうえ、 自分自身をなだめることができないので、
 
 望むものを手に入れるためには どんなことでもしでかします。
 
 脅迫のような報復行為も含まれます。
 
 真の操作をすることもできます。
 
 (原初的なボーダーの人とは対照的に)
 
 初めは 社交的で優雅な印象を 与えるかもしれませんが、
 
  「友人」 が期待に沿わなくなると、 少しも考えずに切り捨てます。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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「魔女」 タイプ

2015年03月21日 22時17分26秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 臨床家のクリスティーヌ・アン・ローソン博士は、
 
 BPを 4つのタイプに分類しました。
 
 魔女, 女王, 世捨て人, 捨て子です。
 
 魔女と女王は、 高機能でアクティング・アウト・タイプ。
 
 世捨て人と捨て子は、 低機能でアクティング・イン・タイプです。
 
 ほとんどのボーダーの人は、 4種すべての要素を表します。
 
○ 魔女
 
・ 典型的な思考
 
 敵対的または 加虐的な養育者に、 全面的な服従を要求される 環境で育ったため、
 
 無意識的に自分自身を憎むのです。
 
 他人に対して
 
 -- 特に 弱く、 若くて、 自分を救うことができない者に対して --
 
 残酷にふるまって、 同じサイクルを繰り返すのです。
 
・ 典型的な感情
 
 他人を傷つけたことよりも、 自分の状態がよくなることに 関心があり、
 
 懺悔の気持ちは持ちません。
 
 魔女の引き金になりうるのは、
 
 嫉妬心, 批判, 裏切り, 見捨てられること, 疎外感, 無視されることです。
 
・ 典型的なふるまいと 中心的ジレンマ
 
 ほとんどのボーダーラインの親は、 子供を身体的に虐待することはありませんが、
 
 身体的虐待をする人は このカテゴリーに入る可能性が大です。
 
 しかし虐待は 他の大人がいないときに起こります。
 
 他人が自分を見捨てることがないように、 権力と支配力を欲します。
 
 見捨てられ恐怖の 引き金が引かれると、
 
 残酷化し 激怒でいっぱいになり、 邪魔する家族を 罰したり傷つけたりします。
 
 最も治療に抵抗します。
 
 他人が援助することを許さず、 自己嫌悪の源が 非常に奥深くにあるからです。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」 (星和書店)
 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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高機能・低機能 連続体のどこにいますか?  ※アクション・ステップ7

2015年03月20日 20時25分14秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 あなたのBPは、 どのような点で 高機能/アクティング・アウトで、
 
 どのような点では 低機能/アクティング・インですか? 
 
 以下のうち、  当てはまるものに○をし、  実例を書いてください。
 
 分からない際は、 その行為によって、
 
 BPのことが心配になる (アクティング・イン) か、
 
 あなた自身のことが心配になる (アクティング・アウト) か、 自問してください。
 
高機能でアクティング・アウト
 
_ 激怒する時期がある
 
_ 仕事をしている (特に責任を伴う仕事)
 
_ 友情関係を維持できる
 
_ 家族以外はほとんどの人が 問題について知らない
 
_ 必要なときは 「正常」 にふるまえる
 
_ 人を近づけるよりは 遠ざける
 
_ 全てのことについて  「完璧」 を装う
 
_ 他者を 自分の延長とみなす
 
_ 他者を責め非難する
 
低機能でアクティング・イン
 
_ 自傷行為の歴史
 
_ 自殺の脅し,実際の自殺企図
 
_ 仕事を維持できない、 あるいは 能力を下回る仕事をしている
 
_ 買い物など 日常生活で 責任を持つのが困難
 
_ 不必要に危険な活動をする
 
_ 苦痛の感情を述べる
 
_ 治療を求めている
 
_ ひとつの失敗で、 全面的な失敗という気持ちになる
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」
 (星和書店) 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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高機能BP, 低機能BP

2015年03月19日 22時03分11秒 | 「BPD 実践ワークブック」より
 
 ボーダーの人たちを、
 
 低機能で 自分に向かって 行動化 (アクティング・イン) するタイプから、
 
 高機能で 他者に向かって 行動化 (アクティング・アウト) するタイプへの
 
 連続体でくくります。
 
 ふたつのタイプは、 大幅に異なるので、
 
 まるで 2つの違った障害であるかのようですが、 純粋な対極関係なのです。
 
 ボーダーの人は普通、 ひとつのタイプが優勢ながら、 ふたつのタイプの混合体です。
 
○ 高機能BP
 
 このタイプの人は、 働くことができ、 自傷行為や自殺企図をしたりせず、
 
 よそでは正常という 仮面を被っています。
 
 しかし、 家族といると 暴れたり、 激怒, 非難したりし、
 
 自分の低い自己価値感を 相手に投影します。
 
 自分以外に問題があると 信じており、 専門家の助けは求めようとしません。
 
 子供の高機能BPは、 成績優秀で 色々な才能を持つ 優等生です。
 
 しかし、 1ヶ月以上 同じ人と親友であることはなく、
 
 服で隠れる部分に 沢山の傷があります。
 
 ノン・ボーダーの人に 自尊心を失わせ、 BPに依存しているように感じさせ、
 
 恐れや心配を感じさせます。
 
○ 低機能BP
 
 このタイプの人は、 障害者補助を受けていたり、 失業していたり、
 
 自分の能力に見合わない 低いレベルの仕事についているかもしれません。
 
 自傷行為や自殺企図, 自己批判, 薬物乱用などで、
 
 苦痛に満ちた恥の感情に 対処します。
 
 自分に問題があると自覚し、 プロの助けを求めます。
 
 このタイプの例は、 マリリン・モンローです。
 
○ 両タイプの特徴を示す人
 
 ふたつのタイプの真ん中、 あるいは
 
 一方に少しだけ偏ったところに 位置する人です。
 
 いい例は 故・ダイアナ妃で、 摂食障害, 自傷行為, うつ状態と闘う一方で、
 
 公の場に登場し、 慈善事業を行ない、 二人の息子を育て上げたのです。
 
〔「境界性人格障害=BPD 実践ワークブック」
 (星和書店) 〈ランディ・クリーガー著/監訳:遊佐安一郎〉 より〕
 
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「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (21)

2015年03月14日 19時31分45秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【ふたつめは、 いわゆる ロマンティック・ラブ・イデオロギーを前提として
 
描こうとする点である。】
 
 ふたつめも ひとつめと重なる点がありますが、
 
 心子がロマンティックなのも また障害に関係するものでもありました。
 
 この点では 販促のためのイデオロギーではありません。
 
 また、 拙著発刊当時ボーダーは、
 
 一般の人にはまだ 名前さえよく知られていない存在で、
 
 知っている人も 批判的なイメージしか持っていませんでした。
 
 ボーダーを理解してほしいという 僕の第一の目的のため、
 
 ボーダーに誤解を抱かないようにしてもらうのが、 まず重要なことでした。
 
 そのため ボーダーの魅力的な面を 特に強調することに、 僕は腐心したのでした。
 
 敢えて美化しているような点も ないとは言えません。
 
 作品というのものには それぞれの役割があり、
 
 ある題材を描くにも、 その時期によって 狙いは変わると 僕は考えています。
 
 ボーダーを取り扱う 初期の作品は、
 
 上記のように ボーダーをネガティブでないものとして 知ってもらうことが、
 
 その役割だとするのが 拙著のポジションです。
 
 次の世代の作品群で、 ボーダーをさらに深めるために、
 
 暗部も究明したり、 難題に取り組んだりしていく必要が あるのではないかと、
 
 思案するものです。
 
 従って拙著では、
 
 ロマンティック・ラブ・イデオロギーと言われても 構わないような面があります。
 
 それによって、 一人でも多くの人に ボーダーのことを読んで知ってもらえるなら、
 
 それが本望なのです。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(以上)
 
                   *
 
 野崎さんの論文  「境界性パーソナリティ障害の障害学」 が掲載されている
 
  「現代生命哲学研究」 は、 下記で見ることができます
 
http://www.philosophyoflife.org/jp/
 
 大阪府立大学の 「現代生命哲学研究所」 が 発刊している学術誌ですが、
 
 どれも興味のあるタイトルが 並んでいます。
 
 因みに、 筆者の一人である 森岡正博さん (大阪府立大学教授) は、
 
 新進気鋭の生命倫理学者だったころ、 生命倫理のシンポジウムでご一緒したり、
 
 手紙のやり取りをしたことも 思い出します。
 
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「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (20)

2015年03月13日 20時28分25秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 [13]  本論に直接関係するわけではないが、
 
 『境界に生きた心子』 の書籍の帯には、
 
 「激しい感情の荒波に巻き込まれ、 壮絶ながらも、
 
ピュアでドラマチックなラブストーリー」 とある。
 
販売促進が 帯の目的のひとつであるとはいえ、
 
こうした文言が 販促として成立するような 社会のありように対し、
 
私は次の二点において 疑問を投げかけたい。
 
ひとつめは、 患者あるいは なんらかのハンデを背負った者が
 
恋愛物語に登場するとき、 それをあたかも純粋なものとして 描こうとする点である。
 
ふたつめは、 いわゆるロマンティック・ラブ・イデオロギーを前提として
 
描こうとする点である。
 
出版社が、 こうした点を 読者に対して あからさまに要求している点において、
 
この社会における 恋愛の表象、
 
とりわけ なんらかのハンデを有する者との 恋愛の表象は 不問にされている。】
 
 販促に対する社会への 発言ですが、 僕は筆者の立場から 述べさせていただきます。
 
 ひとつめの点については、
 
 BPDの人が純粋であるというのは 野崎さん自身も強調していることです。
 
 ドラマや映画などで、 いわゆる “障害者もの” と言われる ジャンルがあり、
 
 そのラブストーリーで  「ピュアな」 という うたい文句が付いたりしますが、
 
 拙著の場合は それとは違うと思っています。
 
 いわゆる “障害はあるけれど 心はピュア” というのではなく、
 
 BPDの場合、 ピュアであるのも 障害の故なのだと言えます。
 
 心子も  「現実離れした純粋さ」 でしたが、
 
 それが障害となって 苦しむことになってしまうという、 厄介なものだったわけです。
 
 それで僕は、  「境界に生きた心子」 が  “障害者もの” と言われるのが、
 
 どうしてもピンとこなかったものです。
 
 僕にとっては  “障害者の美しい話” ではなく、
 
 苛酷で悲痛な 障害の話なのでした。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (19)

2015年03月12日 19時59分54秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 《心子にとって 自分の言動を否認されることは、
 
生存そのものが消滅してしまうくらい 恐ろしいことである。》
 
(中略)
 
言動の否定と生存の否定とを 結びつけてしまうのは、
 
BPD患者の責任でもなんでもない。
 
私たちの社会が、 正しいやり方で議論をし、
 
何ごとかを決定する段を ふまえないからこそ、
 
こうしたことが BPD患者の 〈生きづらさ〉 となって 現れてしまうのではないか。
 
つまり、 「主張の否定が人格の否定ではない」  ということを、
 
社会に根づかせる必要が あるということである。】
 
 僕は拙著で、 次のように記しました。
 
 《それらは程度の差こそあれ、 我々が誰でもやっていることである。
 
 (中略)
 
 我々は ボーダーの人のひな型だ。
 
 ボーダーの人は、 誰しもが持ち合わせている 普遍的な性 (さが) を、
 
 いとも鮮烈に見せつけてくれるのだ。》
 
  「言動を否定されると 人格も否定されたと感じてしまう」 のは、
 
 世の中の誰にでもあり得ることです。
 
 BPDの人は それが特に強烈で、 生存の消滅にまで エスカレートしてしまいます。
 
 しかし私たちは、 人から自分の意見を否定されても、
 
 自分の人格が否定されたわけではないのだ ということを、
 
 刻苦しながら学んでいかなければならないのではないか と考えます。
 
 それが人間としての成長でしょう。
 
 もちろん それを人に教えてもらうこと (教育) も必要で、
 
 社会が担う点もある とは言えるでしょう。
 
 でも それを社会に  「根づかせる」 という処までいくのは、
 
 かなり難しいのではないか という気がします。
 
 それは 人間の永いテーマであって、
 
 誰もが身に付けるというのは 現実的ではないのではないかとも思われます。
 
 我々は幾つになっても、 言動の否定を人格の否定と感じて、
 
 怒ったり傷ついたりしてしまうものです。
 
 例えば、  「不惑」 というのを 教えることはできますが、
 
 本当に不惑の境地になるのは 極めて困難なことです。
 
 いくら教わっても、 個人の資質や 長年の精進がなければならないでしょう。
 
 言動の否定と 人格の否定を結びつけるのが、
 
 個人の責任ではなく、 全て社会の責任だというのは、
 
 いささか言い過ぎではないだろうか というふうにも感じます。
 
 生きづらさは、 個人ではなく社会の問題だという 野崎さんの主張は重要ですが、
 
 それに重きが置かれすぎてしまうと、
 
 逆に 個人の責任を霧消させてしまうのではないか という懸念もないではありません。
 
 人間的成長には、 痛みも伴う個人の修養が 必要だと思うのですが、
 
 いかがなものでしょうか? 
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (18)

2015年03月11日 19時11分21秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【 「現実はグレーゾーンであり、
 
白や黒など はっきりと決着のつけられないものである」  とよく言われる。
 
それは一理あるかもしれない。
 
しかしながら、
 
決着をつけるべき問いに 決着をつけようとしていないだけのことも あるだろう。】
 
【BPD患者が 「答えのない問いを生きる」 】
 
【字義通り、  「答えのない問い」 に答えることはできない。
 
ならばどうすればよいのか。
 
 「答えのない問い」 を 可能な限り社会からなくしていくことである。
 
すなわち、  「答えのない問い」 に はまり込む手前で、
 
そのような問いを問う必要のない 社会を作っていくことである。】
 
 世の中や人間は、 簡単に決着が付いたりしないからこそ、
 
 奥深く素晴らしいものであると 言うこともできます。
 
( 「決着をつけるべき問いに 決着をつけようとしていないだけのこともある」 のも、
 
 確かだと思いますが。)
 
 すぐに答を求めるよりも、 分からないものを分からないまま抱えながら、
 
 それを味わっていくことも、 また必要かもしれません。
 
 答の出ない問いに、 最後まで向き合っていくのが、
 
  「生きる」 ということだとも言えます。
 
 自分が人生に 生き方を問うのではなく、
 
 人生が自分に 生き方を問うているのであり、
 
 それに答えていくのが、 生きることであるとも。
 
  「どう生きていけばよいのか」 という問いは、 人類の永遠のテーマであり、
 
 世界からなくすのは不可能だし、 なくしてはいけないものなのではないでしょうか?
 
 (その問いがない社会というのも 想像しにくいものです。)
 
 そういう問いから 哲学が生まれ、 芸術が生まれます。
 
 それこそが、 人間の豊かさや幸福にも 繋がっていくものでしょう。
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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「境界に生きた心子」 が 「境界性パーソナリティ障害の障害学」 に引用 (17)

2015年03月10日 20時32分09秒 | 「境界に生きた心子」
 
(前の記事からの続き)
 
【BPD患者の織り成す世界の ひとつの魅力とは、
 
純粋なるものへの 激しいまでの渇望である。
 
ただし、 その世界においては、 現実と折り合いがつくことはない。
 
折り合いがつかないからこそ  〈生きづらさ〉 を感じるのだが、
 
そのとき、 現実のほうが間違っている 可能性もあるわけである。】
 
 確かに、 僕が心子に惹かれた 大きな理由のひとつは、 彼女のピュアな心根でした。
 
 でも心子の純粋さは  「現実離れした純粋さ」 で、
 
 それが社会に馴染まないために 傷ついてしまうわけです。
 
 僕自身も若いときは 純粋な世界を求めていたので、 苦悩の体験もありました。
 
 そして、 大いなる挫折の時期を経て、
 
 否応ない現実というものを認識し、 より広くて深い 人生観を築いていきました。

 それが 人間としての成長でした。
 
 現実の中で通用しうる、 強さを持つ純粋さを身に付け、
 
 実現を目指していくことが 大切だと思います。
 
 本音と建前を使い分けたり、 長いものに巻かれたりして、
 
 妥協や世間擦れすることを 良しとするわけではありませんが、
 
 自分の純粋さだけに留まっているのは、 狭い価値観であり 未熟ではないでしょうか。
 
 心子の純粋さというのは、 そういうレベルのものだったと考えます。
 
 従って、 生きづらさを乗り切っていくには、
 
 自らが成長を求め、 努力していく必要があるでしょう。
 
 つまり 純粋さによる生きづらさは、
 
 不純な社会の問題だけでなく、 個人の問題でもあると思います。
 
  「水清ければ魚棲まず」 「清濁併せ呑む」 とも言いますが、
 
 世の中は 単純に無垢なだけではなく、
 
 複雑で猥雑なところが 人間臭くて、 面白さであるとも言えます。
 
 どんな世界が 興味深いと感じるかは、 その人の価値観そのものが 関わってきます。
 
 BPDの人の 生きづらさを解消するために、
 
 社会が BPDの人の純粋さを 受け入れていくべきだとは、
 
 必ずしも言えないのではないでしょうか。
 
 ただし、 社会も不正義を改め、 より成熟したあり方を求めていくべきなのは、
 
 言うまでもありません。
 
(因みに、 心子のような潔癖さを、
 
 他の多くのBPDの人が 持っているとも限らないでしょう。)
 
〔引用:「境界性パーソナリティ障害の障害学」
 野崎泰伸 『現代生命哲学研究』第3号〕
 
(次の記事に続く)
 
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