星和書店版 「境界に生きた心子」 で、もうひとつ 書き直すことがあります。
心子は 自分のことを 「クリスチャン」 と言っており、
拙著にもそのように 書いていましたが、
先日、友人のクリスチャンから ある指摘を受けました。
キリスト教では 洗礼前の人は 「クリスチャン」 とは言わず、
「求道者」と呼ぶそうなのです。
浅学ながら知りませんでした。
ただし キリスト教では多数の宗派があり、
中には 洗礼前でもクリスチャンという ところもあるようです。
心子がどういうつもりで 言っていたのか、
今、心子の教会の牧師先生に その辺の事情を伺っているところです。
それに従って、拙著に説明を 加えたいと思います。
もっとも、「求道者」 という言葉の使い方は 一般の人には馴染みがなく、
本の中で 「求道者」 の説明しても、読者には違和感があるでしょう。
そこで 断り書きをしたうえで、あえて 「求道者」 の意味で
「クリスチャン」 という表記をしたいと 考えています。
彼女の 生のセリフの中にも 「クリスチャン」 という言葉は出てきますし、
それを 変えるわけにはいきません。
そして 心子の敬虔さは、
クリスチャンに 勝るとも劣らないものだったことは 間違いありません。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56431624.html