( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51936066.html からの続き)
さてそこで、死刑賛成者が必ず 口にする言葉があります。
「お前の家族や子供が、強姦され、目をえぐられ、残忍に殺されたら、
それでも 犯人を死刑にするなと 言えるのか?」
という類の 定番です。
僕は、そういう事態になってみないと 誰にも分からないけれども、
常に自分に 問いかけることはできる と答えています。
廃止論者の 中山千夏は、
「もし私が 犯人を殺しに行こうとしたら、力付くで止めてください」
と言っています。
ただし それは半分冗談で、本当はそういう場合でも 彼女は、
死刑はいけないと言えると思う と述べていました。
団藤氏も語っていたように、遺族が報復感情を抱くことと、
国家が制度として 犯人を殺すことは 別の問題です。
「目には目を」 の復讐法典は 遠い過去のものです。
憎しみの連鎖は 断ち切らなければなりません。
成熟した法体系による国家は 叡智を持って、
社会の尊厳という 理念を希求していくべきと思います。
ヒトラーでも死刑にしないのか、という問いもあります。
けれども そういう場合こそ、彼が何故 あのような狂気を犯してしまったのか、
その背景に何があったのか、彼を生かして 探求していき、
悲劇が二度と起きないように しなければならないのではないでしょうか。
被害者遺族に対しては それとは別に、
手厚く対応していく重要性を 重ねて述べておきます。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51991773.html