「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

広告の効果

2009年01月30日 21時15分39秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 今朝の読売新聞に 「境界に生きた心子」 の 広告が掲載されましたが、

 その隣に 「今日、ホームレスになった」 という本の 広告が載っていました。

 これは何と 偶然にも新風舎の本でした。

 他にも再出版された本が あるのですね。

 同じ日に 隣同士になるとは。 ( ^^;)

 広告の効果は 早速出ているようで、

 Amazon で 新風舎版 「境界に生きた心子」 の中古品が、

 今の時点で 7冊ほど売れています。

 星和書店版は まだAmazon に登録されておらず、

 新風舎版の宣伝に なっているのは、 皮肉というか何というか。

( もう安いのが なくなってしまいます。 )

 でも 星和書店の本として 広告が出て、

 星和書店版がないと 不審に思って 購入し損なう人もいるかもしれません。

 広告は タイミングが大切なので、 遺憾なことです。

 新風舎版もAmazon で コンスタントに売れていましたが、

 これから星和書店版も 地道に人々に届いていくことを 願っています。
 
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読売新聞に 「境界に生きた心子」 の広告

2009年01月29日 20時11分20秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 明日1月30日(金)の 読売新聞朝刊の一面下段に、

 星和書店版 「境界に生きた心子」 の広告が 載るそうです。

(もし良かったら 見てみてください。 (^^;))

 流通開始より 先になってしまいますが、

 掲載期日を指定するのが 難しい場合があるということです。

 効果が 半減してしまいますが……。

 本の完成も 明日です。

 僕の手元に届くのは 来週でしょうか。

 とにかく 楽しみです。


 ちなみに、 いま検索してみたら、 丸善のページには

 星和書店版の 「境界に生きた心子」 が すでに載っていました。

 星和書店のHPにも まだ載っていないのに。

http://www.med-navi.com/bk/200901/jnb_07.html

(何が主語だか 分かりにくい説明文だ。 (^^;))
 
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「境界に生きた心子」 完成目前

2009年01月27日 20時25分07秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 今日、 星和書店の担当の人から メールがありました。

 「境界に生きた心子」 が30日(金)に でき上がる見込みだそうです。

 また、 読売新聞 朝刊の一面下に、

 広告を載せてくれる 予定があるということです。

 ありがたいです。

 いよいよですね。

 待ち遠しいばかりです。


 ところで Amazon の 「境界に生きた心子」 は、

 さすがに4000円近くだと 買い求める人はほとんどおらず、

 どんどん値引きされています。

( ところが 最高値のものは、 何と 11,111円です。 (@_@) )

 今は 定価以下のものも 何冊も出品されており、 時々売れています。

 どうやら “平常な” 状態に 戻ったようです。  (^^;)
 
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執着

2009年01月26日 22時48分37秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

(9/22)

「 おまえは 自分にばかりこだわっている。

 だから 他のものが見えない。

 そんなうちは 人が理解してくれるはずがない。

 おまえが 自分にこだわるほど、 人はおまえに 興味を持ってはいない。

 人の評価を得られないと おまえが悶え苦しむほど、

 人はおまえを 評価してはいない。

( と、書いているうちにも 疑問が湧いてくる。

 評価されたいという こだわりが湧いてくる。

 僕が苦しむに値するほどの 評価を。)

 自分へのこだわりは 捨ててしまえ。

 そして 人に目を向けろ。

 人の心の悲しさに、

 おまえが 自分に持つのと同じくらい こだわりを持ってみろ。

 その時 おまえは初めて 人を理解できよう。

 評価はやがて それに伴ってくるだろう (か?) 」

(10/11)

「 自分の苦痛ばかりを 表そうとしていても、 いい作品は描けない。

 客観的にならなければ、 人に伝えることはできない。

 だがしかし、 苦しみがなければ

 どうして僕の表現欲求は かきたてられるのだろうか?

 いや、 苦しみは 表現の温床であり、

 欲求とするのは 子供っぽい自己顕示欲だろうか。

( 何という揺れ動きだろう) 」

 僕は苦しみに執着し、 そんな自分は 異常じゃないのかとも 苦悩しました。

 しかし 「ジャン・クリストフ」 の言葉に 救われます。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 大多数の人間は、

 なんらかの情熱に 全身をささげるほど 充分の活力を持っていない。

 彼らは 用心深い吝嗇 〈りんしょく〉 さで 己を倹約している。

 万事に 少しずつかかわって、 何事にも 全身を打ち込みはしない。

 すべて自分のなすことに、 すべて自分の苦しむことに、

 すべて自分の愛することに、 すべて自分の憎むことに、

 無制限に没頭する者こそ、 驚異に値する人であり、

 この世で出会いうる もっとも偉大な人である。

 情熱こそは 天才のごときものであり、 一つの軌跡である。」

 しかしそれは 両刃の剣でもありました。

 猛烈なエネルギーが 人には重圧にはなります。

 でも 「ジャン・クリストフ」 は言います。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 決して誤ることのないのは、 何事もなさない 者ばかりである。

 生きた真理の方へ 向かうときの過ちは、 死んだ真理より 一層豊かである。 」

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57841018.html
 
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苦悩の中の愛

2009年01月25日 21時23分55秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57332523.html からの続き)

 当時、 僕は毎日 苦衷の日記を、

 何頁にもわたって びっしりと書き連ねていました。

 分厚い日記帳を 2冊書きつぶしました。

 一方 クリストフは、 故国のドイツから 新天地パリへと移りました。

 今度こそ 自分の芸術を理解してもらえると、

 クリストフは 希望を抱いていました。

 しかし彼は、 ここでも再び その期待を裏切られるのです。

 彼に対する非難は、 沈黙へと変わりました。

「 クリストフは またもや、 敵意を含んだ 他国の大都市の中で 孤立した。

 今までになく ひどい孤立だった。

 しかし彼は もはや気にしなかった。

 これが 自分の運命である、 生涯この通りだろう、 と

 彼は信じ始めていた。

 彼は知らなかった、

 偉大な魂は 決して孤独でないことを、

 時の運によって 友をもたないことがあるとしても、

 ついにはいつも 友を作り出すものであることを、

 それは 自分のうちに満ちてる愛を 周囲に放射することを、

 また、 自分は永遠に孤立だと 信じてる現在においても、

 彼は 世の最も幸福な人々より さらに多くの愛を 他から受けていたことを。 」

 当時の僕は、 それを必死になって 自分に言い聞かせていました。

 僕を最も救ってくれた 言葉のひとつです。

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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「誰も守ってくれない」 (2)

2009年01月22日 18時50分18秒 | 映画
 
(前の記事からの続き)

 自分は何もしていないのに、 次々と降りかかる 災難と悲劇、

 15才の沙織には とても受け止めることのできない 激動です。

 気丈な沙織ですが、 志田未来の涙の訴えは 峻烈に胸に迫り、

 涙を禁じ得ませんでした。

 特に後半では、 ネットの 偏執的な書き込みによる、

 プライバシーの暴露や 外野席からの糾弾を、

 荒々しい映像で 畳みかけていきます。

 自分たちは安全地帯にいて、 無謀な攻撃を広げる 傍若無人さは、

 人間の恐ろしい性 (さが) でしょう。

 ネットの被害は 僕も受けたことがあるので、

 その言いようのない脅威は 身に沁みて分かります。

 無責任に人を傷つける 匿名の誹謗も、 決して許されない 犯罪です。

 しかし、 人のプライバシーを知りたい,

 悪い奴を必要以上に 取っちめたいという気持ちは、

 誰の心にも あるものでしょう。

 そういう気持ちが、マスコミやネットの暴走を 招く要因になっていると思います。

 これは 日本で起きている現実です。

 我々自身も 戒めなければならない ことではないでしょうか。


 沙織は 自分の母親を助けられなかった 勝浦を憎み、

 決して 心を開きませんでしたが、

 身を挺して 沙織を守る 勝浦の姿に、 心が動かされていきます。

 そして 沙織もまた 兄を守ろうとしていたのでした。

 沙織が最後に見せる 勝浦への心情。

 口には出さず それを受け止める勝浦。

 印象深い ラストシーンでした。


 家族が罪を犯したばかりに、 いつまでも 激しく付きまとう 中傷や嫌がらせ。

 そのために 自殺してしまう家族もいます。

 しかし警察は それを公に認めず、 マスコミも取り上げてきませんでした。

 恐らくこれは人知れず 沢山起きている 悲劇でしょう。

 そこに着目し、 サスペンスフルな 人間ドラマに仕上げた、

 君塚良一の意欲と 手腕に敬服します。

〔* 映画が公開される 1月24日(土)、

 映画の 4ヶ月前のできごとを描く ドラマが放送されるそうです。

 フジテレビ 「誰も守れない」  午後9時~11時10分〕
 
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「誰も守ってくれない」 (1)

2009年01月21日 21時52分25秒 | 映画
 
 「犯罪者の家族を守る」 という、

 これまで 光が当てられなかったテーマを 描いた秀作です。

 脚本・ 監督は 「踊る大捜査線」 の君塚良一で、

 殺人犯の家族を マスコミや世間の攻撃から守る 刑事・勝浦を 佐藤浩市、

 犯人の妹・沙織を 志田未来が熱演しています。

 東野圭吾原作の 「手紙」 でも、

 犯罪者の家族が受ける 被害や苦悩を描いていましたが、

 本作品のほうが 事件直後の生々しい 緊迫感や迫真力があります。

 そして 現代ならではの、

 ネットの書き込みによる 実害の恐怖も描かれています。

 未成年の長男が 容疑者として逮捕されるやいなや、

 マスコミや野次馬の群れが 騒々しく自宅を取り囲み、 刑事が押しかけます。

 また 裁判所の人間がやって来て、 夫婦に離婚を迫ります。

 実名報道がされると 苗字から犯人の家族だと 分かってしまうので、

 それを防ぐため 夫が妻の籍に入って 苗字を変えるというのです。

 両親は訳も分からないまま、 差し出された書類に署名し、

 あっという間に 離婚・再婚が成立します。

 長男だけが籍から外れ、 その場で 沙織の就学義務免除の 手続きも取られ、

 中学生の彼女には 事態を呑み込むこともできません。

 マスコミの無遠慮な詰問や 執拗な追跡が、 幼い沙織に襲いかかります。

 3人は別々に 保護されることになり、

 勝浦は 沙織の警護を任され、 逃避行が始まるのです。

 そして勝浦自身も 家族の危機的な問題を抱え、

 過去に 心の深手を負っています。

 勝浦はかつて 助けられる被害者を殺してしまった、

 それなのに今度は、 反対の立場の 犯人の家族を保護している。

 マスコミは それを無情に追及し、

 加害者の家族など 守る必要はないと 責めたてます。

 勝浦は 自分の過去とも 闘わなければなりませんでした。

 加害者, 被害者, それぞれの家族, 刑事、

 それぞれの立場の苦悩や、 癒されない傷が交錯します。

 どの立場の人間にも、どうしようもない痛みがあるのです。

 それを理解できない 人間たちが、 偽物の “正義感” を振りかざし、

 不心得な好奇心で 傷ついた人の心を 無惨に踏みにじります。

 あくどい新聞記者, 不謹慎で残酷な大衆, 信じていた人間の 裏切りなどが、

 彼らをさらに 窮地に追い込んでいくのです。

(次の記事に続く)
 
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心子と境界設定

2009年01月20日 20時19分36秒 | 心子、もろもろ
 
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57474122.html  からの続き)

 「BPD家族の会」 の話を受けて、 心子のことについてです。

 心子の場合は 社会の規則を守れなかったり、

 お金の問題を 起こしたりすることなどは 全くなく、

 そういう点は むしろ人並み以上に 厳格でした。

 しかし、 延々と続く 僕への非難の電話など、

 愛情を求める故の行為は 無制限でした。

 当時は 境界設定などの 情報がまだなく、

 僕は 「受容」 の姿勢を 旨としていました。

 僕は ホスピスの勉強をしていて、

 死に直面した人の 苦しみをそのまま受け止め、

 ただひたすら 耳を傾ける 「傾聴」 が

 最も大切なことと 考えていたのです。

 ただし 主治医の先生の、

「 要求されても、 できないことはできないと 言うしかない 」

 という助言は 理解していました。

 また僕は 受容のキャパシティーが 人より少し大きかったかもしれず、

 自分の限界を超えることは しなかったと思います。

 でも 「限界設定」 ということが、 当時の僕に 足りなかった情報でした。

 それを知っていたら、 また別の対応が できたでしょうし、

 心子も違う生き方が できたかもしれないというのが、 一番残念なことです。

 例えば、 電話は 30分や1時間までなどという 境界設定をしておいたら、

 最初は 心子は荒れ狂うでしょうが、

 無際限の愛情というものは 現実には存在しない ということを理解し、

 自分で 折り合いを付けていくように できたかも知れません。

 もちろん 「かもしれない」 に過ぎませんが。

 心子は 洗礼を受けて 神様の子になりたいと 言っていました。

 人間の愛情には 限界があるけど、

 神様の愛情には 限界がないから と言って。

 一方で、 100%でない愛情に いい意味で諦めを付けたり、

 99の黒の中の ひとつの白に、 目を向けることが できたこともありました。

 そんな兆候を 見せた矢先に 旅立って行ってしまったのでした。

 当時もっと 境界設定などの情報があり、

 そして 家族会のようなネットワークがあったら、

 何かの可能性が あったかもしれません。

 だから、 ボーダーに関する 情報が増え、

 人々の理解が広まってほしいと 望んでやまないのです。
 
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「BPD家族の会」 3回目 (2)

2009年01月19日 17時08分22秒 | 「BPD家族会」
 
(前の記事からの続き)

 今回の出席者は 25人ほどでした。

 前回は30人ほどで、 一人4分以内の 自己紹介 (近況報告) をするだけで、

 多くの時間が かかってしまいました。

 人が多いと 参加者同士の距離が 遠くなることもあるし、

 こういうグループでは 10~15人位が 適切な人数だと思います。

 それで今回は参加者を ふたつのグループに分け、

 それぞれのグループで 自分の話や シェアリングをしました。

 お陰で今回の方が 皆さんのお話を よく聞けたと思います。

 別グループの話を 聞けないのは残念ですが、 致し方ないですね。

 会も始まったばかりで、 試行錯誤しながら やっているようです。

 スタッフの人たちも 大変だろうと思います。

 ボーダーの専門家の人を 招いたり、 講演会も予定しています。

 貴重な家族の会ですから、 きっと より良くなっていくことを 願っています。

( 僕にも何か 協力できることがあれば いいのですが。 )


 ところで 参加者の中には、

 僕のブログを 見てくれているという 人たちもいました。

 ブログを書いている 本人を見て びっくりしたとか、

 いつも読んで 勇気づけられるとか。

( もし良かったら、 コメントなどいただければ 幸いです。  (^^;) )

 こういう所からも 繋がりが広がっていくと いいですね。  (^^)

 心子が取り持つ 縁です。
 
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境界設定 -- 「BPD家族の会」 3回目 (1)

2009年01月18日 22時28分20秒 | 「BPD家族会」
 
 今日は 「BPD家族の会」 に 3回目の出席をしてきました。

 初参加の方や、 ご夫妻で参加されている方も 多くいらっしゃいました。

 今回も 「境界設定」 の話が 大事なテーマとして 話されました。

 どこまでのことなら してもいいか、 どこから先は してはいけないか、

 その境界 (限界) を、 ボーダーの人と 予め約束しておくということです。

 ボーダーの人は 自分の言動に 責任を持つことが苦手で、

 人のせいにしたり、 アクティング・アウト してしまったりします。

 しかし、 約束を破ったら 自分で責任を取るようにと 決めておくのです。

 ボーダーのお子さんが 問題を起こしても、

 親は 子供のためと思って 助けたり、 後始末をしたりして しまいがちです。

 でも それは結局 みんな逆効果になってしまいます。

 ボーダーの人は 親に守られて 自分が困らないうちは、

 何とかしようという 自覚を持てないので、

 厳しく限界設定をし、 親は絶対に 尻拭いをしないことが必要です。

 自分が困っても 親が何もしてくれないということが 分かると、

 ボーダーの人は 自分でやらなければならないと 思い直してくるそうです。

 本人が困っても、 人に迷惑がかかっても、 本人の責任である場合は、

 親は絶対に 手を貸さないという 断固とした覚悟が重要です。

 最初は反動が大きく、 事態は 前よりも悪くなりますが、

 腹をくくって かからなければなりません。

 ボーダーの人が 泣き叫んで暴れたり、

 「死んでやる!」 などと 脅されたりすると、 初めは 親もビビるでしょう。

 でも頑張って そこをやり過ごし、 何が起きても 揺るがないようになれると、

 ボーダーの人も 変化が出てくるということです。

 親が変わることで、 子も変わってくるのです。

 そうしてボーダーの人が 自分の言動に責任を持ち、

 小さな成功体験を 重ねていくことによって、

 次第に自分に 自信が持てるようになり、

 自立していけるように なると言われます。

(次の記事に続く)
 
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8回目の祥月命日

2009年01月17日 22時08分39秒 | 心子、もろもろ
 
 本日は 心子の8年目の祥月命日です。

 今日は用事があったので、 お墓参りは きのう行ってきました。

 もうすぐ心子の本が 再び生まれ出ることも 話してきました。

 彼女も 楽しみにしているでしょう。 (^^)

 来月は心子の前に、

 星和書店の 「境界に生きた心子」 を 見せることができます。

 それにしても 本当に早いものです。

 あっと言う間の 8年でした。

 心子が旅立って以来、 毎月 墓参りに行っていますから、

 もう100回近く お参りをしていることになるんですね。

( 途中で お墓の場所が変わりましたが。 )

 いまさらながら、 心子が生きたいたら と思います。

 心子のお墓の前で、 しばし 感慨にひたってきました。
 
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裁判員 悩む宗教界

2009年01月15日 19時33分49秒 | 死刑制度と癒し
 
 1月11日・ 読売新聞の記事からです。

 死刑判決もあり得る 裁判員制度を前に、

 人々の心の救済を 求める宗教の、 社会への関わり方が 問われています。

 裁判員制度では、 「人を裁きたくない」 という理由だけでは、

 裁判員を辞退できません。

 しかし、 宗教上の理由で 裁けない人もいるため、

 「裁判参加で 精神上の重大な 不利益が生じる」 と

 裁判官が判断した 場合に限り、 辞退が認められることになりました。

 浄土真宗では、

 「人間は誰でも 罪を犯す可能性を持つ 弱い存在」 と 説いています。

 「そんな自分が 他人を裁いていいのか」 と、

 抵抗感を持つ 僧侶や信者も多いといいます。

 浄土真宗の中で 死刑制度に反対している 真宗大谷派は、

 「裁判員に選ばれたら、 真宗門徒として

 死刑という判断はしない 態度が大切だ」 と述べました。

 禅宗の曹洞宗では、 「人を裁くことはできないと 思う一方、

 宗教者としての意見を しっかり述べることが大切」 と 悩む僧侶もいます。

 新約聖書で 「人を裁いてはならない」 とする キリスト教の、

 カトリック中央協議会。

 「私的な裁きは 認められないが、

 法治国家の 正式な裁判制度まで 否定はしていない。

 ただ、 被告の人権への配慮や 国民の充分な理解が必要だ」 としています。

 プロテスタントの神召教会・ 山城晴夫牧師 〔*注〕 は、

 「様々な考え方があり得るが、 非常に重い問題で、

 すぐには答が出ない」 と 話しました。

〔*注: 奇遇にも、 心子が通っていた教会の 牧師先生です。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57390375.html〕

 神社本庁は、 「国民の義務として、

 裁判員に選ばれたら 原則参加する」 という立場です。

 裁判員制度や死刑と 教義との関わりを どう説明するか、

 どの宗教にも 降りかかってきます。

 裁判官もまた、 裁判員の選任手続きで 個々の内面を どこまで考慮するか、

 難しい問題に直面するでしょう。
 
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最終決定

2009年01月13日 19時36分52秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 今日、 星和書店から 表紙イラストの最終稿が 送られてきました

 僕の小うるさい 注文に応えてくれ、 やっと これで行くことが決まりました。

 イラストレーターの人は 全部で15枚の絵を 描いてくれました。

 帯の文も 決定です。

 本文の印刷は 順調に進んでいるようで、

 今月中に でき上がるそうです。 (^o ^)


 思えば、 新風舎が倒産したのは ちょうど1年前のことでした。

 新風舎からの情報もなく、 一体 何がどうなるのか、

 不安と焦燥に かられていました。

 ミクシィで 新風舎倒産問題に対処する コミュニティが作られ、

 そこで 様々な情報や アドバイスを得たり、

 意見交換を することができました。

 コミュニティ管理人の方には 本当にお世話になり、 感謝の念に堪えません。

 しかし 日ごとに情勢が変化し、

 対応していくだけで 右往左往する一ヶ月でした。

 新風舎の在庫が 断裁処分されるとか、

 それを防ぐには 買い取らなければならないとか、

 その締め切り日が突然 一ヶ月前倒しされるとか、

 散々 振り回されたものです。

〔 カテゴリー 「新風舎倒産 -- 新たな歩み」 参照 〕

 その後は Amazon の 「e託」 というシステムで、

 引き取った在庫を 販売することができました。

( 新風舎が倒産してから、

 Amazon での売上が 何故か急に 2~3倍になりました。 )

 そして、 本当に幸いなことに、

 星和書店から 再出版されることが決まったわけです。

 でも考えてみると、 2度の発刊を することができたのは、

 かえって ラッキーだったかもしれません。

 発刊直後は 出版社も宣伝してくれ、

 本が一番 売れるときですから。  (^^;)

 何より、 心理・精神医療専門の出版社であり、

 ボーダーの本も 多数出している 星和書店から 出版できるということは、

 心子の本にとっても 幸甚でしょう。

 長かったですが、 いよいよですね。

 あとは 完成を待つばかりです。
 
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心子の牧師先生が 新聞に

2009年01月11日 19時09分29秒 | 心子、もろもろ
 
 今日の読売新聞 一面トップに、

 「裁判員 悩む宗教界」 という 記事が載っていました。

 「人を裁くことは、 犯罪者も含めた 人々の 『心の救済』 を目指す

 宗教の立場と 両立するか」 というテーマです。

 その中で、 心子が通っていた 教会の牧師先生が

 インタビューに答えていました。

 神召 (しんしょう) キリスト教会の

 山城 (やまき) 晴夫牧師です。 (プロテスタント)

 心子は 奥さんの牧師先生を 実の母親と慕っていましたが、

 そのご主人です。

 神召教会は 心子のマンションの すぐ近くにある、 ごく小さな教会ですが、

 牧師先生は こんな偉い人だったのでしょうか。  (^^;)

 裁判員制度と キリスト教の関係について、

 読売新聞で山城先生は こう答えています。

「 様々な考え方が あり得るが、 非常に重い問題で、 すぐに答が出ない 」

 山城先生は、 「境界に生きた心子」 の 再出版に当たって、

 「クリスチャン」 と 「求道者」 についても 教えてくださいました。

(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56431624.html )

 また、心子が旅立っていったとき、 葬式は遺族の意向で 仏式になりましが、

 教会での葬儀を望んでいた 心子の願いを叶えるため、

 教会で葬送の義を 執り行なっていただきました。

 キリスト教では 自死は認められないと言いますが、

 先生は それには一言も触れず、 心子を送ってくださったのです。

 牧師先生は今も 心子のために祈ってくださっているでしょう。


 引き続き、 裁判員制度と宗教の記事について 書きたいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57437800.html 

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「BPD家族の会」 2回目

2009年01月10日 21時30分51秒 | 「BPD家族会」
 
 今日、「BPD家族の会」に2回目の参加をしてきました。

(初参加は http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57135099.html 参照)

 今回は 長谷川病院の遊佐 (ゆさ) 先生が 特別ゲストでした。

 遊佐先生は、 星和書店からも 著書や訳書を出されており、

 過日の ランディ・クリーガーさんのワークショップで 通訳もされた方です。

(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/55945772.html 参照)

 また長谷川病院は、

 日本で 弁証法的行動療法を行なっている 数少ない病院のひとつです。

 遊佐先生が来られるということで 参加希望者が多く、

 僕はキャンセル待ちでした。

 夕べの深夜になっても キャンセルがなく、

 今回はダメということに なりましたが、

 今日 午前11時過ぎになって キャンセルの知らせの メールが入りました。

( 開場は午後2時 )

 急いで用意をして 参加させてもらった次第です。

 今日の出席者は 30人ほどで、

 娘さん (20~30才代) がボーダーだという

 お母さんが 圧倒的に多かったです。

 前回は お父さんも随分いらしたのですが。

 例によって 守秘義務があるので、

 会場で話された内容は ここに書けませんが、

 BPDの人との 距離の取り方 (境界設定) などの 話もされました。

 親は子供には 何とかしてあげたいと思い、

 本人が苦しんでいるのに 境界線を引くことに

 罪悪感などを 感じてしまいがちです。

 でも、 自分が元気でないと 子供を支えることもできないので、

 距離を取ることは 必要という話です。

 離れたら BPDの人も自分の行動に 責任を持てるようになり、

 うまくいったという お話もいくつかありました。

 こういう 家族の話し合いは、 情報提供になるだけでなく、

 同じ体験を している人同士の 励みになります。

 ときに 専門家の指導以上に ためになるということです。

 遊佐先生も 家族会の今後に 期待していました。

 きっとこれから 参加希望者も増え、

 活動のネットワークも 広がっていくのではないでしょうか。
 
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