今も日本を揺るがし続けている 3・11から、 ちょうど1年目の日です。
国立劇場で行われた追悼式の TV中継を観ながら、
2時46分には 僕も1分間の黙祷を捧げました。
僕が生きてきた中で、 日本で起きたでき事のうち 最大のものです。
新聞でも地震発生の日以来、 震災関係の記事が 途絶えたことはありません。
正にあの日を境に 日本は変化し、
あらゆる想定外を想定内とする 防災, 減災対策へ 舵を切ってきました。
今回の天災で、 津波の恐ろしさを 誰もが思い知らされました。
1万6千人近くの被害者の、 9割が津波によるものです。
(しかも高齢者が 大半を占めています。)
初動の 「3mの津波」 という警報により、
人々が安心して 逃げなかったということも 被害を拡大させ、
今後の警報のあり方を 変えさせました。
今も進まぬ復興を 遮っているもののひとつに、 ガレキがあります。
100年分とも言われる廃棄物の 処理が済んだのは、 まだわずか6%です。
放射能汚染が輪をかけていますが、
全国の自治体が 分担して受け入れなければ 解決の道はありません。
原発問題も ずっと尾を引いています。
国策として 強引に推進されてきた原発は、
計画当時から 巨大津波の可能性を訴えていた 学者たちの忠告を、
全て闇に葬ってきたのでした。
これは間違いなく人災です。
将来の電力源について、 孫正義氏は
「アジアスーパーグリッド」 という、 壮大な構想を述べていました。
ゴビ砂漠に 風力, 太陽光発電の施設を建設し、 日本に送電するというものです。
原発2000基分の電力を、 遥かに安価な費用で まかなえるといいます。
また、 これからの心のケアや、 孤独死の予防も重大です。
阪神大震災では、 2年目以降に 仮設住宅での孤独死が急増したそうです。
今回はそれを教訓として、 被災者の孤立化を防ぐため、
サポートセンターが多数設立され、
被災者の見守りや 相談業務などが行なわれているそうです。
とても書き切れない問題を 無数に抱えた今回の災禍。
全員が忘れることなく 胸に刻み、
様々な課題を 考え続けていかなければなりません。
被災地の 真の復興を祈りつつ、 自分にできることを やっていきたいものです。
幸か不幸か人間は、 危難を経験してから、 成長するものです。