「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

救助が任務のはずなのに

2011年06月30日 22時16分45秒 | 東日本大震災
 
 津波の被災地では、 自衛隊や警察などが 直後から人命救助に取り組みましたが、

 懸命に探しても 見つかるのは遺体ばかりという、 かつてない経験でした。

 「生きている人もいるはずだ」

 自ら鼓舞しても、 人命救助の任務は、 無数の遺体の収容に 変わっていました。

 抱き合ったままの 母子の遺体を見て、 自分の家族の姿に重なり、

 辛い思いを抑えられなくなった 隊員も少なくありません。

 「遺体の夢ばかり見る。 自分を見失いそう」

 「食事がのどを通らない」

 隊員からの 悩みの訴えが急増しました。

 「早く救助できていたら」

 「自分は無力だ」

 と 自責の念にとらわれる人もいます。

 そんな隊員に、 安置所に来た僧侶は、

 「あなたのお陰で ご家族は遺体を拝むことができる。

 大切な仕事をしてくれて ありがとう」

 と声をかけました。

 僧侶の読経の声で、 張りつめた空気が緩み、 心が落ち着いたといいます。

 読経は、 亡き人を通して 感謝の心を教わる 時間だということです。

 「個人の頑張りで 何とかなるものではなかった」

 「あなただけが弱いのではない」

 と伝えることが大切です。

 この大きな喪失は、 一人で受け止めきれるものではありません。

 残された者が、 手を取り合って 受け止めていくしかないでしょう。

〔 読売新聞より 〕
 

大量出血の主

2011年06月29日 20時56分46秒 | Weblog
 
 先日、 アパートの階段下に 大量の血が流れていた 話を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61936786.html

 今日、 僕の部屋のドアを 叩く音がしました。

 出てみると 同じアパートの住人・ Kさん。

 普段、 顔もあまり会わさないのに、 一体なんだろうと思ったら、

 実は 先日の大量出血の主は、 このKさんだったというのです。

 交番で お巡りさんと話していたときに たまたま通った、

 Sさんではありませんでした。

 Kさんは酔って昏倒し、 救急車で運ばれて入院、 今日 退院してきたのだそうです。

 約10日間の入院で、 頭を10数針 縫ったとのこと。

 確かに それほどの怪我によると思われる 量の血液でした。

 すたすた歩いていた Sさん程度のものではありません。

 傷がもう少し深かったら、 開頭手術をしなければならなかったそうです。

 Kさんは 僕が救急車を呼んだのだと思って、 お礼を言いに来たのでした。

 でも僕は 救急車が去ったあとに 血液を見て、 交番に問い合わせただけです。

 Kさんは 今はピンピンしており、 大事にならず幸いでした。

 これで  “一件落着” ですね。
 

 ところで 僕は僕で、 きのう 寝酒を飲んで酔っぱらい、

 寝ぼけたまま パソコンに向かったらしく、

 椅子から転倒して、 じゅうたんに 顔から突っ込んでしまいました。

 頬にすり傷を作り、 眼鏡も曲がってしまった次第です。

 皆さん、 飲み過ぎには くれぐれも気を付けましょう。 (- -;)
 

被災地の介護タクシー

2011年06月28日 22時20分51秒 | 東日本大震災
 
 被災地で介護タクシーが、 通院や買い物の足として、

 お年寄りたちの生活を支えています。

 介護タクシーは ヘルパー資格を持つ乗務員が、

 車の乗り降りや 移動の介助サービスを提供するものです。

 タクシー会社自体も被災し、 一時は 避難していた所もありますが、

 お年寄りのために戻ってきたといいます。

 利用者宅を訪れると、 ずっと動けず ひどい床ずれを 起こしている人もいました。

 燃料不足のなか、 病院への送迎だけでなく、

 避難所への移動、 買い物の手伝いに走り回ります。

 緊急車両の指定を受けて、 各地で奮闘しました。

 乗務員は、 「市外から戻るお年寄りの 嬉しそうな顔を見ると……

 少しは役に立ったのかな」 と 話します。

 タクシー会社は 介護保険が使える会社と、 全額自費の会社に分かれます。

 前者は、 利用は要介護の人で、

 通院介助の乗務員の付き添いは 病院の受け付けまでなど、

 サービスに制限があります。

 後者は、 要介護認定されていなくても、 介助が必要なら利用でき、

 冠婚葬祭の送迎など 目的も自由ですが、

 費用は保険利用の 約5倍以上かかる場合もあります。

 会社に問い合わせ、 うまく利用することが大切です。

〔 読売新聞より 〕
 

がれき処理の試み

2011年06月27日 20時51分14秒 | 東日本大震災
 
 膨大ながれきの処理に 幾つかの対応が行なわれています。

 石巻市では、 5人の作業員が 手作業でがれきを分別してから、

 トラックで仮置き場に搬送しています。

 場所が限られている仮置き場では、

 コンクリート, 鉄, 畳, 自転車などが、 分けて積み上げられているため、

 最初から現場で仕分けすることによって、 効率化を図るのだそうです。

 しかし やはり大変な時間がかかります。

 その時間とコストを 省く試みが、 愛知県のある工場でなされています。

 生ゴミ, 木材, 紙くず, プラスチックなどが混在したゴミを、

 特殊な機械に入れ、 高温高圧の水蒸気で 熱処理をします。

 すると 有機物は溶解され、 熱湯の中で分散、 全ての成分が混合して、

 石炭並みの燃料が できるというのです。

 塩分や雑菌も、 高温で処理されるため 問題ないということです。

 今は実験段階ですが、 実証レベルで被災地に据えつけ、

 がれきの処分に携わりたいと、 開発業者は述べています。

 ただ 自ら被災している自治体では、 処理業者の情報がなく、

 業者から申入れがあっても それが適正かどうか 審査することもできず、

 対応が難しいのだといいます。

 国主導のがれき処理の必要性が 高まっています。

 秋田県能代市では、 がれき受け入れを検討しはじめています。

 能代市は、 「リサイクルポート」 という、

 がれきの受け入れをしやすい 港を持つ、 日本有数のリサイクル都市です。

 今まで 資源化できなかったものも資源化でき、

 レアメタルを抽出することもできます。

 津波で塩分を被ったプラスチックは リサイクルが困難ですが、

 秋田では 粉砕, 洗浄することで 新たな製品を作り、 被災地へ戻しています。

 被災地が必要とする 業者や自治体の調整に、 今こそ国が介入するときです。

〔 フジテレビ 「新報道2001」 より 〕
 

被災障害者の安否調査に、 個人情報保護の壁

2011年06月26日 19時19分16秒 | 東日本大震災
 
 被災した障害者の 孤立が懸念されるなか、

 個人情報保護法が 障害者支援の足かせになっています。

 障害者団体が、 被災した障害者の安否確認のために 個人情報の開示を求めても、

 自治体によって対応が 大きく異なっています。

 宮城, 岩手, 福島の3県と 33市町村のうち、

 情報開示に応じたのは 1県1市のみでした。

 南相馬市は 職員不足のため、 「日本障害フォーラム」 の 要請を受け、

 障害者1000人分のリストを渡し、 訪問調査を依頼しました。

 情報を他に利用しない 確約書を交わしました。

 個人情報保護条例は

 「個人の生命、 身体などの 安全を守るため 緊急かつ止むを得ない場合」 に、

 本人の同意なしに 情報を提供することを認めています。

 一方 福島県は、 開示は市町村の判断に任せる という姿勢です。

 宮城県は、 個人情報保護優先のため 開示はしないとの立場。

 日本障害フォーラムが 宮城県で、 震災後2ヶ月で 安否確認できた障害者は、

 全体の1.7%でした。

 同フォーラムが 実地調査をしたところ、

 リストでは  「軽度障害」 となっていても、

 実際は 深刻な困難を抱えている ケースもあります。

 リストに載っている 男児だけでなく、 高齢の祖母は 足が悪くて歩けず、

 姉も持病があって 働けず、 母親が一人で 支えている家もありました。

 支援には 早期の調査が必要です。

 役所も被災したので、 障害者支援には

 外部の強力を 得る必要があるとの 認識が広まっています。

 ただ、 遠方のなじみのない団体が 支援を申し出る場合もあり、

 「どういう団体か知らずに 個人情報は出せない」 という 事情もあります。

 災害時の協力体制を、 平時から作っておくことが 今後の課題です。
 

原発シニア隊 (3) -- 年寄りは放射線に強い? 

2011年06月26日 17時09分02秒 | 東日本大震災
 
(前の記事からの続き)

 「原発シニア隊」 の正式名は  「福島原発 暴発阻止行動プロジェクト」で、

 下記のページから登録できるようです。

http://bouhatsusoshi.jp/
 

 ところで、 テレビや新聞では 特に疑問とされていませんでしたが、

 高齢者は本当に 被曝に有利なのでしょうか? 

 いま被曝しても 今後 生きていく時間が短いから、

 大勢に影響ないという 考えなのだと思いますが、

 本当にそうなのだろうか という気がします。

 人間は放射線を受けて 遺伝子が損傷されても、

 修復力があるので ある程度被曝しても大丈夫です。

 でも高齢者は、 その修復力が 衰えているのではないでしょうか? 

 また、 加齢によって 自然に遺伝子が傷んでいます。

 高齢になると がんが増えるのはそのためです。

 そこにさらに 放射線を受けたら、

 遺伝子のダメージは より大きくならないのでしょうか?

 ただでさえ がんになりやすいのに、 それを促進して、

 がんで亡くなるのを 早めてしまうのではないかという気がします。

 それとも、 遺伝子が壊れてから がん細胞になるまでには、

 何年, 何十年とかかるので、 やはり大勢に影響がないのでしょうか。

 でも 原発シニア隊の参加資格の 60才で被曝したとして、

 その後 30年, 40年と 生きていくこともあります。

 或いは、 規制レベルの放射線では、

 がん化に繋がる程度の 遺伝子損傷も起きないのか……? 

 もし 危険の可能性があるとしたら、 科学的に正しく検証してから、

 作業を進めてほしいものだと思います。

 正確なところは分かりませんが、 どなたか 分かる方はいらっしゃいますか? 
 

原発シニア隊 (2)

2011年06月26日 17時08分28秒 | 東日本大震災
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61928282.html からの続き)

 「原発シニア隊」 は、 海外メディアからも 注目を受け始めています。

 ただ、 日本のシニアボランティア 「福島決死隊」、

 日本の退職者の 「チーム決死隊」 などと、

 神風特攻隊になぞらえた 報道も多くありました。

 しかしYさんは、

 「我々は無謀なことはしない。 成算のあることしかしない。

 最大限に安全に 帰ってくるのが課題」 だと、 特攻隊との違いを強調します。

 けれども 原発の現場では毎日、

 脱水症状や酸欠などで 体調を崩す人が 後を絶たないそうです。

 さらに 8人の作業員が、

 上限の250ミリシーベルトを越す 被曝をしていることが明らかになり、

 今後も 増えていくだろうと思われます。

 内部被曝に関しては、 一切検査を受けておらず、

 説明も受けていないという状態です。

 人手不足も深刻です。

 技術のある人たちが 線量の上限まで被曝して、 仕事ができなくなったら、

 今後何年も 人材を準備することはできません。

 そこに、 原発シニア隊を 活用することはできるでしょうか。

 現職を離れていた人が 現場に復帰するのは 安全上も問題があり、

 高齢なので 放射線より暑さと湿気で 体力を消耗するということです。

 そんな過酷な環境で、 シニア隊は どんな役割を果たせるのか、

 激論が続いています。

 志願者は 1秒も早く現場に行って、 若い人に代わりたいと 熱望しています。

 でも、 ただ行って 無駄死にするのではなく、

 本当に準備を整えて 事故を収束させるには、

 皆で協力して、 国を動かしていかなければならず、

 時間がかかるのは仕方ないと 訴える人もいます。

 東電は、 医師や休憩所を増やし、

 作業環境を改善することを 工程表に盛り込みました。

 「原発シニア隊」 として、 今月中にも 5人程度の先遣隊を 受け入れる方向で、

 調整が続いています。

 ただ 志願者の半数は、 特別な技術や 経験のない人たちです。

 そこで 現地へ行って何をするのか、 これから考えていく状況だといいます。

〔 テレビ朝日 「Sフロントライン」 より 〕

(次の記事に続く)
 

被災時に なぜ逃げおくれるのか

2011年06月25日 20時58分08秒 | 東日本大震災
 
 東日本大震災では、 津波警報が鳴っても すぐ逃げなかった人が 少なくありません。

 なぜ逃げおくれるのか、 災害心理学で考えられていることがあります。

 人間は安心して生きるために、 心の中に  「あそび」 の部分があります。

 ある範囲までの異常は 異常と感じず、 正常範囲内と 受け止めてしまうのです。

 この 「あそび」 を、

 「正常性バイアス」、 または 「正常化の偏見」 と呼びます。

 小さな物音に いつも驚いていては 神経が持たず、

 心を守るために 必要な反応です。

(思うに BPDの人は、 この 「あそび」 が 非常に小さいのではないでしょうか。

 僅かなことに反応してしまい、 心を守ることができない、

 安心して生きられないのだろうと 思います。)

 しかし この 「正常性バイアス」 は、

 非常時に危機感を 鈍らせてしまう働きもあります。

 ある実験で、 部屋に 80人の被験者に入ってもらい、

 いきなり白煙を吹き込んでも、 煙の速度がゆっくりだと、

 7割の人が 煙が充満しても 逃げませんでした。

 また、 非常ベル, 消防車のサイレン, 煙の進入を、 順番に発生させた実験では、

 一緒にいる人が無反応だと、 逃げない人が多かったのです。

 「地震が起こったら、 君が 最初に逃げる人になれ」

 首都圏防災研究センター長は、 岩手県釜石市の小中学生に そう訴え続けました。

 そして起こった大地震。

 子供たちは 教師の指示を待たずに、 高台へ一斉に駆けだしました。

 避難場所は危険と判断して、 さらに高台に上がって 助かった子供もいました。

 釜石市の小中学生の生存率は、実に99.8%でした。

 正常性バイアスに加えて、

「自分だけが飛び出して 何もなかったら恥をかく」 という心理が 避難を遅らせます。

 非常時には 自分の生存を第一に考え、

 ためらわず行動する 自主性が何よりも大切です。

 その素早い行動が、 周囲も救います。

 また、 行き先で 避難ルートの確認を 習慣づけることも大切です。

 建物内では 非常口を必ず確認し、 海では 高台の位置や距離に 留意しておきます。

 そうするだけで、 いざという時の 心身の反応が 抜群に早くなるのです。

〔 読売新聞より 〕
 

アパートに 大量の流血の跡

2011年06月24日 21時05分22秒 | Weblog
 
 先日の朝、 新聞を取りに 階段下の郵便受けの所へ 降りて行ったら、

 そこにおびただしい血液が 流れていました。  (◎o◎;)

 新聞とチラシが散乱しており、

 血液は 70~80㎝×30㎝くらいの面積に 広がっています。

 相当の大怪我でなければ 出血しないような量です。

 一体何があったのか? (?.?;)

 やはり人間の血?  それとも動物の? 

 すぐ近くに交番がありますが、 朝早くて無人だと思い、

 出勤する際に 事情を書いた紙を 貼っていくことにしました。

 交番へ行くと 電話が置いてあったので、 受話器を取り、 警察署の人と話しました。

 大量の血が落ちているので 調べてほしいと。

 僕はそのまま出勤し、 夜に帰宅すると、 もう血痕は掃除されていました。

 その後、 交番のお巡りさんに聞いてみると、

 アパートの住人が 酔っぱらって怪我をしたらしいのです。

 救急車が来て 運ばれて行ったそうです。

 確かにこのアパートには、 時折かなり酔って 帰ってくる人がいます。

 しかし、 転んだとか その程度の怪我の血量ではなく、

 刃物で深く切りでもしないと 出ないほどの出血です。

 どうやらその人は、 倒れたまま眠ってしまったそうです。

 寝込んでいる間に 出血が続き、 多量に血が流れでたようです。

 なるほど、 それなら頷けますが。

 ちょうどその時、 交番の前を、

 時折酔って帰って来るという 件の住人が通りました。

 毎日 お巡りさんに挨拶するそうですが、

 血痕があった日に限って、 その人はいなかったということです。

 どうも血の主は その人の可能性が少なくないですが、

 特に 頭などに大怪我の跡も 見えませんでした。

 軽症だったのなら それに越したことはありません。

 何にせよ、 殺人や傷害事件などでなく 良かったです。

 びっくりして、 不可解なできごとでした。 (-o-;)
 

原発シニア隊 (1)

2011年06月21日 06時40分37秒 | 東日本大震災
 
 福島第一原発での作業員に、 高齢者たちが志願するという 動きが出ています。

 人呼んで 「原発シニア隊」。

 自分が何か役に立ちたいと、 大変な熱意で臨んでいます。

 このプロジェクトに参加できるのは 60才以上、

 これまでに330人以上の人が 参加を表明しています。

 政府もバックアップに動き出しました。

(因みに、 事務所が開かれたのは5月23日、 僕の誕生日と同じです。)

 呼びかけ人のYさん (72才) は、 学生時代に60年安保を闘い、

 その後 大手金属メーカーの エンジニアとして働きました。

 「被曝に関しては 年寄りは有利だ。

 優先的に現場に出るべきだろう」 と 述べています。

 Yさんは4月上旬に、 2500人の知人に メールや手紙を送り、

 活動への賛同を訴えました。

 その思いに 多くの人が共鳴し、 次第に輪が広がってきたのです。

 その一人、 Oさん (68才) は、 かつて 東芝の原子力部門に勤務し、

 福島第一原発には 20年間にわたって行き来したといいます。

 自分の設計したものが この世にある限り、

 自分に責任があるという  「エンジニアリングシップ」 が参加の動機です。

 「若い世代にも それを身をもって教えたい。

 放射線は 若い人の2倍受けても、 3倍受けてもかまいません」。

 Oさんの奥さんは大賛成で、

 原発を開発した立場として 何かやったら、 と後押しします。

 娘さんも、 父親が殉職なんて 絶対あってほしくないと思いますが、

 知識はあるから 無茶なことはしないだろうと 理解を示しています。

 ある志願者の女性 (68才) は、 かつて原爆を受けており、

 そこから生き延びたため、 放射能に対する恐怖感が あまり強くないと言っています。

 その時に助かったのだから、 今度何かあっても 構わないと思ったそうです。

 彼らの 熱い思いを受けて、

 当初は冷やかだった 政府や東電の態度も 変わってきました。

 細野総理補佐官が 東電を通して、 Yさんに会いたいと申し入れ、

 シニア隊のメンバーが どういう能力を持っているか 情報が欲しいと言ってきました。

 今月6日には、 海江田経産大臣とも面会し、

 具体的なことを進めていくという 話も取り付けました。

〔 テレビ朝日 「Sフロントライン」 より 〕

(次の記事に続く)
 

消防団員の苦しみ 今も

2011年06月20日 09時51分13秒 | 東日本大震災
 
 東日本大震災の被災地では、 一般市民である消防団員に 多くの犠牲者が出ました。

 岩手, 宮城, 福島の3県の

 消防団員の死者・ 行方不明者は 249人にのぼります。

(消防士のそれは27人。)

 団員のOさんは 同僚4人と、 民家で寝たきりの 女性を見つけ、

 津波を避けるため 2階に運ぼうと 民家に飛び込みました。

 津波は瞬く間に 家ごと呑み込み、 Oさんは2キロ先まで流されました。

 助かったのは Oさんはだけでした。

 現在 避難所暮らしのOさんは、

 少しのことでも怒りが込み上げ、 涙がこぼれてきます。

 深夜に目覚め、 朝まで眠れないことも。

 津波に呑まれた 同僚の叫び声が、 今も耳から離れないのです。

 別の団員Aさんは、 沖合の水門を閉めるため、

 同僚と軽トラックで 海を目指しました。

 防潮堤の操作室に飛び込みましたが、

 非常用のバッテリーに切り替えても 反応せず、 手動操作も受け付けませんでした。

 津波が消波ブロックを乗り越え、 轟音と共に流れ込んできて、

 Aさんたちは 裏山を目指して走ります。

 津波は岸壁を呑み込み、 木々を次々となぎ倒していきました。

 「逃げるのが あと1分遅かったら……」

 「街の人たちが危ないと思ったから、 とっさに行動した。

 もし同じことが起きたら、 あんな危険な作業を 誰かに命じることはできない」

 消防団員の中には、 自分だけが助かってしまったという 罪悪感や、

 津波への強い恐怖心から、 今後 消防団員としての職務を 果たせないと悩む、

 「惨事ストレス」 の兆候が報告されています。

 適切な診療を受けないと PTSDになる恐れがあるため、

 消防庁は  「心のケア」 の専門家チームを 派遣することを決めました。

 「緊急時メンタルサポートチーム」 所属の 精神科医や臨床心理士で、

 命の危険を感じながら 活動した消防団員のために 必要な措置です。

〔 読売新聞より 〕
 

立ちはだかる がれき処理

2011年06月19日 12時15分11秒 | 東日本大震災
 
 震災から早100日、

 被災地は未だに 膨大ながれきが残されたままです。

 岩手, 宮城, 福島3県のがれきは 2400~2500万トン、

 この地方の100年分とも 言われています。

(これは建物だけの分で、 船や車両などは 含まれていません。)

 がれきに埋もれた 行方不明者を傷つけないように、

 現地では今でも 自衛隊が手作業で がれきの処理をしています。

 1回では 見落としがあるのを恐れ、

 重機が入る前に人の手で 2回、 3回と、 探すことを繰り返しているのです。

 「がれき」 といっても、 被災者にとっては命であり、 財産でもあります。

 行政が入らないため、 地元の被災者が 手作業で行なっている所もあります。

 行政自身も被害を受けながら 膨大な業務に追われ、

 全てに手が回らない というのも現状です。

 現在までに撤去されたがれきは まだ22%、

 石巻市では1割しか 片付けられていないそうです。

 がれきの仮置き場がなく、 次の処理が進みません。

 全てのがれきを処理するのは 3年と想定、

 処理費用は 6800億円と推定しています。

 ただしそれは 生活圏からの撤去であり、

 完全に除去するには 10年とも言われます。

 がれきの処分は 最終的に国の責任ですが、

 国が方針を示さないので、 現地は動けないという事情もあります。

 今後の生計の目処が 全く立たないという被災者は、 35%。

 これは 6月上旬の調査ですが、 5月上旬の調査では 27%でした。

 こういう調査では通常、 時間が経つに連れて、

 生計の目処が 立つという数字が 増えていかなければなりません。

 ところが、 遅々として進まない復旧作業に、

 現地の人は 絶望感にとらわれているのです。

 震災直後から、 復旧は 気が遠くなるような作業だと 想像していましたが、

 それをも上回って 難航している窮状です。

 ただただ 少しでも早く、 作業が進んでいくことを 願うばかりです。

〔 参考: 日本テレビ 「ミヤネ屋」
      TBSテレビ 「ひるおび」
      フジテレビ 「報道2001」 〕
 

心子によく似た花屋さん (2)

2011年06月17日 21時31分57秒 | 心子、もろもろ
 
 心子の月命日に 最寄り駅の花屋さんに 寄りましたが、

 先月と同じ、 心子によく似た店員さんが 来ていました。

(参照:http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61830468.html )

 向こうも覚えていてくれて、 声をかけてくれました。

 お墓に供える 花の鉢なので、 水をやらなくても済む花を 選んでくれたり、

 鉢の扱い方などを 教えてくれました。

 今月は  「境界に生きた心子」 のチラシを持っていき、 渡すことができました。

 先月に続いて 出勤してくれていて ラッキーだと思いましたが、

 この店員さんは実は 週5くらいで出勤しているのだそうです。

 ここの花屋さんは 昨年の末に経営者が変わり、

 僕は1月から毎月 この店に来ていましたが、

 この店員さんに会ったのは 先月が初めてでした。

 今まで会わなかったほうが、 むしろ珍しかったのですね。

 店員さんは  「境界に生きた心子」 に関心を示して、 色々話してくれました。

 話し声は違うのですが、 目といい鼻といい、 本当に心子を彷彿とさせます。

 心子の本を読んで 感想でも聞かせてもらえると 嬉しいのですが。  (^^;)

 何か心子と 繋がっている気がします。

 心子に会いに行く時の 楽しみがひとつ増えました。
 

被災地でのアルコール問題

2011年06月16日 19時57分42秒 | 東日本大震災
 
 被災地で、 飲酒による問題が 密かに広がっています。

 アルコールが原因の、 近隣住民とのトラブルも起きています。

 被災後1ヶ月以上たつと、

 うつ病, PTSD, アルコール依存症が 増加してくるといいます。

 阪神大震災の時も、 半年ほどたってから アルコール問題が出てきました。

 アルコール依存症の専門家である、

 神奈川県・ 久里浜アルコール症センター 「心のケアチーム」 は、

 被災地での飲酒の問題の 潜在化を危惧し、 現地に入っています。

 避難所では アルコールは飲まないというのが、 暗黙のルールになっていますが、

 隠れて飲酒する人たちがいます。

 避難所にいる 70代の男性は、 朝から焼酎を飲んでしまい、

 アルコール依存症が強く疑われます。

 週に2日、 休肝日を作る約束をしましたが、

 その1時間後に もう焼酎を飲み始めてしまいました。

 近くの女性は、 その男性が飲みながら 泣いているのを目撃しました。

 男性は日頃、 独りで強がって 弱音を吐きませんが、

 本当は 寂しくて居たたまれない、 そのために飲むんだと、

 女性は確信したといいます。

 避難所のストレスや、 失業の辛さ、 自宅が崩壊した 喪失感を紛らわすため、

 やけ酒を飲まずにはいられないのです。

 独りだと 飲む量が増えて 健康を害し、

 場合によっては 不幸にも亡くなるケースが、 今後出てくる可能性もあります。

 早期に専門家が関わり、 支援することが求められます。

〔 参考 : テレビ朝日  「スーパーJチャンネル」

       久里浜アルコール症センター:
       http://www.ieji.org/dilemma/2011/06/post-345.html 〕
 

福島原発による死者

2011年06月15日 20時55分41秒 | 東日本大震災
 
 東電と政府は、 原発による死者はいない と言っています。

 しかし、 酪農家の自殺が相次ぎました。

 「原発さえなければ」 と 書き残して……。

 これは 原発による死者とは 言えないのでしょうか。

 また、 自然死として扱われている人も 複数います。

 震災直後 (3月11日の夜) に 政府の避難命令が出され、

 ゴーストタウンと化した町に 取り残された人たちがいたのです。

 I さん (44才) は避難命令後、 両親と連絡が取れなくなりました。

 電話をしましたが通じず、 実家のある避難区域に 探しに行くことはできません。

 すでに避難したのだろうと、 避難所を探したり、 地元ラジオで呼びかけたり、

 町役場に捜索を依頼したりしました。

 3月23日、 自衛隊が避難区域の捜索に入りました。

 そして、 I さんの両親は 実家で発見されたのです。

 母親は津波による溺死、 2階にいた父親は やせ細って衰弱死、 つまり餓死でした。

 亡くなったとされるのは 3月21日。

 震災から10日間、 生きていたことになります。

 実家に食料はなく、 唇は渇ききっていました。

 他にも5人が衰弱死しており、 その多くが餓死でした。

 持病も怪我もなかったのに、 なぜ逃げられなかったのか、

 助けを待っているうちに 動けなくなってしまったのか、 分かりません。

 避難命令を知らなかったのでしょうか、

 妻の亡骸を 置いていけなかったのでしょうか……? 

 I さんの父親は、

 震災による死亡者リスト (福島県警発表) の 中にさえ入っていません。

 書類上、 「自然死」 として 扱われているためです。

 I さんは父親の死が、 社会から忘れ去られたように 感じるといいます。

 原発がなければ、 すぐにでも 探しに行くことができたのに、 それが叶わなかった。

 それは 原発による死ではないと……? 

〔 TBSテレビ 「NEWS23クロス」 より 〕