「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

境界性人格障害の人との付き合い(10)

2006年07月31日 11時33分26秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38271984.html からの続き)

 ボーダーの人との付き合い方を 学ぶことによって、

 人間の所業の内にある 弱さや愚かさなどに 気付くことができたら、

 人の過ちを許す 手助けにもなるでしょう。

 周りの人や 自分自身をも そのような心理に注目して 見ていければ、

 人間というものへの 理解も深まると思います。

 もし、ボーダーの人と直面したとき 沸き起こってくる雑多な感情を省み、

 自らの精神的成長につなげる 積極的な態度に 転換していくことができたら、

 申し分はないのかもしれません。
 

 次のように述べる、ボーダーのパートナーの人たちがいます。

「ボーダーの人といることは 最高のプレゼントだよ。

 自分を見つめることができるし、人とどう関わっていくのか 知ることもできた。」

「僕は無力ではなく、自分でそうすることを選んだんだ。

 自分で選択したことだから、沢山のことを学んだよ。」

( 「境界性人格障害=BPD」 (星和書店)より)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38336705.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(9)

2006年07月30日 18時20分44秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38236795.html からの続き)

 ボーダーの人と付き合う負担を、孤軍奮闘で 抱え込まないようにするため、

 悩みを話し合える人を持つことも、心強い助けなります。

 僕の場合それは、元々僕の知り合いである 心子の主治医の先生でした。

 ボーダーの人の家族や恋人の役目を、他人に分担してもらうことはできませんが、

 苦労を分かち合ってくれる人の存在は 得難いものです。

 自分が癒されなければ、人を癒すこともできません。

 合わせて、ボーダーの人がキレたときなどに どう振る舞ったらいいか、

 サポートしてくれる人と 予めロールプレイしてみるのも 役に立つでしょう。

 ボーダーの人の怒りの裏に隠された 悲しさや寂しさを洞察し、

 それに適した受け答えをするには、かなりの経験と技量を 要すると思います。

 でもそれは ボーダーの人に対してだけでなく、

 どんな人との付き合い方にも 有益なはずでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38299199.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(8)

2006年07月29日 18時46分58秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38198415.html からの続き)

 ただし、ボーダーの人が 自分の心の障害と 闘おうとするとき、

 常に かたわらに寄り添って、精一杯サポートすることが 何にも増して重要です。

 ボーダーの人にとって 自分と格闘する作業は、

 愛する人の援助なくして、到底 独りで立ち向かえるような 課題ではないのです。

 そして ボーダーの人に、次のようなメッセージを 伝え続けることが、

 何よりも肝心なのだと思います。

「あなたの感情は あなたのもので、私には変えられない。

 でも 私はいつでもここにいて、あなたの味方だ」

 人間は必ず 自分で自分を癒す力を 備えているのだと信じ、

 ひたすら 「共に居る」 ことの力が、ボーダーの人を 救うのではないでしょうか。

 幼いときに 損なわれた愛情によって 刻み込まれた心の傷を 癒すものは、

 ただ 愛情でしかありません。

 詰まるところ、人間にとって 最も不可欠なものは、やはり愛情なのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38271984.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(7)

2006年07月28日 19時18分39秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38154482.html からの続き)

 しかし、ボーダーの人と 距離を空けるといっても、

 彼らは 完全に一体化することを欲しているので、

 わずかでも隔たりがあると くじかれて、怒り苦しんでしまいます。

 ボーダーの人と接するには 一定の枠を設けなくてはなりませんが、

 彼らはその枠を 何よりも嫌います。

 拘束されることが苦手で、境界線を 捨て身で切り崩そうとしてくるでしょう。

 中途半端なことは許されず、

 境界を保つことと 共感することとの兼ね合いは、よくよく頭の痛いところです。

 どうしても 収拾がつかないときは、

 時間的,物理的に 間を置くことが有効です。

 自分の要望が 必ずしも通るわけではない という経験を積むことによって、

 ボーダーの人は 自分と相手は 個別の人格なのだということを 少しずつ学んでいくでしょう。

 怒りや悲しみは 自分の感情であり、最終的に処理できるのは 自分でしかありません。

 自我の葛藤には 自分自身で向き合っていく他ないのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38236795.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(6)

2006年07月27日 19時13分36秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38111404.html からの続き)

 ボーダーの人の繊細さには 日頃からできるだけ配慮をしつつ、

 それでも傷つけてしまったときには、

 その悲しみは 悲しみとして受け止め、労るべきでしょう。

 でも、自分が 相手の気持ちを分からない人間だと 自己否定することはありませんし、

 逆に 彼らを度し難いと うとんじないようにしたいものです。

 自分が安定していなければ、人を支えることはできないのですから。

 ボーダーの人に こちらとの境界線を示すのは、

 確かに一時的に 彼らを突っぱねることにもなります。

 そのときボーダーの人は フラストレーションで煮え返り、

 コントロールを逸して 荒立つことでしょう。

 短期的には 大変な修羅場を 見るかもしれません。

 しかし 長期的に見れば、相互にとって それが必要なことだといいます。

 それは 試行錯誤の積み重ねになるでしょう。

 腰を据えて、粘り強くやっていく 心構えが欠かせないと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38198415.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(5)

2006年07月26日 19時26分36秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38063525.html からの続き)

 ボーダーの人の攻撃を 無条件に聞き入れていると、

 彼らの行動パターンを 強化してしまうといいます。

 彼らは攻め立てるのが 許されるのだと思い、

 それがだんだん エスカレートしてしまいます。

 そうなる前に、ボーダーの人の言動に傷つけられたという 自分の気持ちを素直に表し、

 これ以上はやめてほしいと、然るべく伝えなければなりません。

 第三者の前で 不当な批判をされたときなども、自分の名誉を 守るべきでしょう。

 また、「自分が治してあげよう」 などと 思ってはいけません。

 無理をすると焦りが生じ、ボーダーの人に 束縛感を感じさせ、

 双方が疲れ果てる 悪循環になってしまいます。

 ボーダーの人とのやり取りのなかで 彼らがキレたときも、

 こちらの言動は 彼らの怒りや痛みを引き起こした 「きっかけ」 ではあっても、

 根本的な 「原因」 ではないということを 知っておくべきでしょう。

 ボーダーの人の中にある 見捨てられ不安など 本質的な内因そのものは、

 こちらが原因ではなく、その場ではどうしようもないことなのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38154482.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(4)

2006年07月25日 17時03分26秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38022347.html からの続き)

 一般に、ボーダーの人の 家族や恋人など、

 パートナーとして付き合う人は、ボーダーの人に接するとき、

 腫れ物に触るように ビクビクと相手の顔色を窺ったり、

 ボーダーの人から したたか非難されるあまりに、

 自分のほうが間違っていると 思ったりしがちです。

 あるいはまた、自分がボーダーの人を 助けなければならないという、

 過度の “救世主願望” に囚われてしまう人も 少なからずいるといいます。

 僕も心子に対して、ご多分に漏れないところがあったでしょう。

 けれども、ボーダーの人と パートナーとして交わるには、

 自分と相手との 「境界」を しっかり設定しておくのが 肝要なことです。

 物理的にも精神的にも、どこまで入り込むことが 許容されるかという

 「ボーダーライン」 をきちんと決め、

 それを破らないように することが大切です。

 人には 自分の領域を守る 権利があります。

 各々に 自分を重んずるべき 尊厳があるのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38111404.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(3)

2006年07月24日 18時38分55秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37979999.html からの続き)

 ボーダーの人に接するときには、

 本人が一番つらいのだ ということにこそ

 真っ先に心を砕くのが 願わしいでしょう。

 ボーダーの人自身の 苦しみや悲しみに、思いを馳せてみたいと思います。

 筋違いな誹謗をされても 同じ土俵に引きずり込まれず、

 挑発に不用意に乗せられないよう 注意しなければいけません。

 ただし、「ボーダー」 というレッテルを貼って 特別扱いするのではなく、

 人として対等な立場であるのは 言うまでもないことです。

 しかし、ボーダーの人と言っても 皆それぞれですし、

 その人との間柄も 千差万別です。

 付き合い方に 決まったマニュアルなどはありません。

 あの人に対してと この人に対してでは、当然 応対の仕方は変わるでしょう。

 実は僕は 心子が亡くなったあと、

 人格障害だという人と 偶然あらたに知り合いました。

 でもその人は、心子とは 似つかないタイプの人でした。

 心子とは関係性も異なりますし、一口に人格障害といっても、

 どの人にも通用する術はなく、やはり簡単なことではありません。

 ケースバイケースで 模索していくしかないのだと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38063525.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(2)

2006年07月23日 19時31分12秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37947443.html からの続き)

 身体に障害がある人との 付き合いに例えると、

 その人本人が ハンディと感じていることについては、

 こちらは充分に 心を配るべきでしょう。

 それは その人を甘やかしていることでもなく、下に見ていることでもなく、

 尊重していることだと思います。

 しかし、仮に 身体にハンディのある人が、

 必要以上に 手厚く扱われることを求めたり、

 こちらがそれに応じられないとき 腹を立てるとしたら、

 それは その人の障害の問題ではなく、人格の問題になってしまいます。

 人間関係のあつれきに どう対応するかは、

 その人の 「人格の力」 によるものです。

 しかしながら 人格障害の人は、

 正に その力にこそ 障害があるのだと言えます。

 トラブルに対処する力が 弱いわけです。

 そのために、当人自身が 最大の災いをこうむっているのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38022347.html
 

境界性人格障害の人との付き合い(1)

2006年07月22日 22時24分30秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37882244.html からの続き)

 以上のような 心の働きをわきまえながら、

 ボーダーの人と接することが できたらいいと思います。
 

 ボーダーの人は、こちらの神経を逆なでするのに 実に巧みですが、

 それに 「巻き込まれない」 ことに くれぐれも留意したいものです。

 例えば 小さな子供になら、言われたことに いちいち冠を曲げるのは 大人げないでしょう。

 或いは、認知症の老人が 見当はずれな言いがかりを 付けてきたとしても、

 それは その人本来の人格が 言わせていることではありません。
 

 ボーダーの人も、こちらの自尊心を侵すような 中傷をしたとしても、

 コントロールを放れた人格が なしていることで、

 それが こちらに突きつけられた 決定的な評価ではないのです。

 それは 深い愛情の裏返しです。

 壮烈なエモーションに 誰より幻惑されているのは 当の本人なのです。

 人格の成長に 障害を受けたのは 生育歴が主因で、

 それ自体は 彼や彼女の責任ではありません。

 むしろ 被害者だと言えるでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37979999.html
 

境界性人格障害の心理的メカニズム--相手との境界

2006年07月21日 11時10分35秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37850603.html からの続き)

 我が身の弱さを引き受けられるのが 実は強い人間で、人にも優しくできます。

 しかし弱い人間ほど 自分の誤りを認めることができず、

 人も自分も傷つけてしまうというのが 人間の悲しい業(ごう)とも言えます。

 これは 自己と相手との「境界」が しっかりできていないことによるものです。

 自分と人との境界が 安定している人は、自分の感情や思考を大事にでき、

 それと等しく 人の感情や思考も尊重することができます。

 「YES」 と言える包容力と 「NO」 と言える自由を 兼ね備えています。

 人との境界が曖昧だと、自分中心に物事を判断したり、

 手前勝手な注文を 相手にしてしまいます。

 ボーダーの人は、誰しもが持ち合わせている 普遍的な性(さが)を、

 いとも鮮烈に 見せつけてくれるのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37947443.html
 

境界性人格障害の心理的メカニズム--無意識の防衛機制

2006年07月20日 17時52分32秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37808863.html からの続き)

 ボーダーの人たちと同じように、人は皆 常に「投影」を行なっています。

 己の非を人に押しつけたり、虫の居所が悪いときは 人様の善意もしゃくに触ったり、

 自分で勝手に 誰かに当て込んで 結果的に怒ったり 傷ついたりします。

 そのため コミュニケーションに差し障りが出てしまいます。

 我々は ボーダーの人のひな型です。

 身をもって反省したり 悔い改めたりすることができないと、

 自分を棚に上げて 他人を叱責するわけです。

 人を一面だけで見てしまったり、立腹して我を失ったり、

 自分のことが分からなくなったり というのも、万民共通の課題です。
 

 「投影」の他にも、人間には 無意識に自分をかばおうとする

 心理学的な防衛機制がいくつかあります。

 不利益なことは認めようとしない 「否認」。

 自分を正当化しようとする 「合理化」。

 白か黒かのラベルを貼って安心する 「分裂」など。

 そのようにしないと 自分の安全が脅かされ、立っていられなくなるからです。

 どれも 自分のネガティブな部分を 見据えることができない、

 人間の弱さから来るものです。

 ボーダーの人は 特にこれらの性向が顕著なのです。

(続く)
 

境界性人格障害の心理的メカニズム--「投影性同一視」

2006年07月19日 19時20分48秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37739863.html からの続き)

 ボーダーの人は 自身を省みる力が弱いので、

 自分を問いただす代わりに、人を 自分の鏡のように利用して

 やり込めることがあります。

 例えば、利己的な自分の姿を 相手の中に映し出し、

 鏡に向かうように 相手を身勝手だとつるし上げたりします。

 自分で自分を嫌悪するのは 辛すぎるからです。

 自分の欠点や 不具合な気分を抱えきれないために、

 その影を 相手のほうに投げ映すのです。

 「投影性同一視」 (移しかえ)と言われる、

 無意識の自己防衛のメカニズムです。

 自分の難点を 他人に移しかえ、主観で その人への見方を変えてしまいます。

 自分のフィルターを通して 相手を見ていると 言い換えることができるでしょう。

 色眼鏡をかけて 落ち度を人の責任にしてしまうのです。

 かつ、自分と他者は 別の人格だという区別(境界) が充分できていないため、

 自身の延長線上で 他を見てしまいます。

 相手も 自分と一緒の気持ちや考えを 持つべきだと見なし、

 先方がそれに反すると その人のほうが悪いと決めつけます。

 自分の中にあるものを 相手に「投影」しているのです。

 ただし これらは、程度の差こそあれ 我々が誰でもやっていることです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37850603.html
 

境界性人格障害の心理的メカニズム--「自己同一性障害」

2006年07月18日 08時45分14秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37696804.html からの続き)

 ボーダーの人には 本当の自分がないと言えるのでしょう。

 「自己像の不安定さ」 「自己同一性の障害」 と言われるものです。

 自分がどんな人間なのかという実感,一貫した生き方をする姿勢,

 自分の存在への肯定感 などが希薄です。

 ただし普段は、一見 周囲に適応して 差しつかえなく生活しているように見えます。

 “自分がない” などというのは 見た目には判別できません。

 順応した自分を 無意識に装っているのです。

 これは 「as if personality」 と言われます。

 さながら 正常である「かのような人格」です。

 しかし 内側では常に何かが満たされず、

 今の自分は本当の自分ではない という感覚に苛まれているのです。

 それは人を 根源的な不安にさらすことでしょう。

 幼いときから “偽りの自分”を演じ、内なる波風を 覆い隠してきても、

 いつか 自分や実社会の矛盾に 立ち向かわなければならなくなったとき、

 未解決の難題が暴露され、彼らを蝕みはじめるのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37808863.html
 

境界性人格障害の心理的メカニズム--「分裂(splitting) 」(2)

2006年07月17日 08時34分58秒 | ボーダーに関して
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37676178.html からの続き)

 しかし こういう精神的な発育が妨げられると、

 人間は 善悪の両面を合わせ持ったものだ ということが認知できなくなります。

 100%理想的な無欠の人間か、自分を打ちこわす最悪の存在か、

 一方でしかなくなってしまいます。

 相手に向けられる 理想化とこき下ろしは、

 こういう心理的な発達過程の結果です。

 好ましいときの相手は 素敵な横顔しか見えませんが、

 ひとたび理想が崩されると 愛しい面影は残らず消え去り、

 軒並み悪質な代物に なり下がります。

 それは 自分自身についても同様で、

 素晴らしいところも だめなところも両方あって 自分なんだという、

 統合された自己像をキープできません。

 心子も 高い理想を掲げて 脇目もふらず努力するかと思えば、

 急転して自己嫌悪に落ち込み、一切合切に絶望して 存在価値が消え失せてしまいます。

 オセロのように スイッチが切り替わってしまうのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37739863.html