「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

うまくいかないときこそ 真価が問われる (2)

2010年01月31日 19時27分13秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 こうした視点で見ると、 境界性パーソナリティ障害は、

 与えられた 既成の枠に対する 拒絶反応であり、

 その枠を脱ぎ捨てるための 七転八倒だと言えます。

 親に支配された タイプの人に、 これはよく当てはまります。

 本当の気持ちを 話せるということ、

 ありのままの姿を 見せるということが 重要なのです。

 悪いところも受け止めてもらえる という安心感が、

 この障害の回復の 鍵を握ります。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子を 最も支配していたのは、 父親との死の約束の 呪縛だと思います。

(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/59812983.html の後段。)

 心子は 解離を起こしたり、 子供の人格との交替を 見せ始めた時期、

 父との死の約束の話を 僕にしました。

 心子の没後、 主治医の先生は、

 心子が 心の中の どろどろした部分まで、

 安心して (もちろん無意識に)  僕に見せられるようになったため、

 抑圧していた子供の人格が 出てきたのだと言いました。

 そして、 意識下に隠していた 真実を出すようになって 初めて、

 解離した自分を  「統合」 する作業が 始まるのだといいます。

 しかし その統合の過程が、 本人にとっては 最も苦しい道のりになります。

 抑うつ状態に陥ったり、 解離が生じることがあり、

 最悪の場合は 自殺に向かってしまいます。

 けだし心子は、 そのプロセスを 歩み出したところだったのでしょうか? 
 
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うまくいかないときこそ 真価が問われる (1)

2010年01月30日 22時29分17秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 努力の末、 やっとうまくいくように なってきたのに、

 また不安定になり、 悪かったときに 逆戻りしてしまうことがあります。

 そんなときは 周囲も落胆し、 「やっぱりダメか」 と 無力感や苛立ちを覚えます。

 けれども、 本人こそが傷ついているのだと 自分に言い聞かせ、

 こちらの期待を押しつけず、 冷静に対処することが 大事です。

 そうすれば、 「失敗しても分かってもらえる」 と 考えられるようになり、

 安心感と信頼感が築かれていきます。

 小さいときから 批判や揶揄に さらされて育てば、

 失敗 = 悪いことという 二分法に縛られたまま、 心の成長が止まってしまいます。

 失敗することによってこそ、

 人間は成長するのだという 認識を育てていくことが大切です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子の父親は、 心子に完璧を要求しました。

 学校のテストも 満点でなければ許さず、

 99点だと 答案用紙を目の前で 破り捨てたといいます。

( のちに僕は母親からも、 そういうことはあったと 確認しました。)

 100か0かという 心子の二分法は、

 父親からも 植えつけられたのかもしれません。

 それにもかかわらず 心子は、

 失敗を恐れず どんな困難にも立ち向かっていく 気質に育っていました。

 心子は ボーダーのひとつの特徴である、

 ピュアで 究極の理想を求めるという 性向を持っていたのです。

 しかし 些細なことで、 やっぱり何をやってもダメ という無力感に陥り、

 希望と絶望の 両極端を行き来していました。

(以下の記事の、 それぞれ後段に 具体例の記述があります。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60083961.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/60087845.html )

(次の記事に続く)
 
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自傷行為を 強化してはいけない

2010年01月29日 19時23分00秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 自傷行為をしたとき、 心配しておろおろしたり、 止めさせようと叱りつけたり、

 大騒ぎすることは、 自傷行為によって 得られる満足を増大させ、

 強化させてしまいます。

 思いやりはあるが、 穏やかで冷静な態度を 保つことが重要です。

 議論をしても 逆効果です。

 境界性パーソナリティ障害の人は 頭がよくて 理屈っぽい人も多く、

 自殺などの問題行動を 正当化する論理を組み立てます。

 こちらの言葉の 揚げ足を取ったり、 矛盾を巧みに突いてきます。

 生きるか死ぬかの 二分法で議論すると、 思考の罠に陥り、

 相手を説き伏せることは 困難です。

 議論はせず、 本人の言い分を 黙って聞いた上で、 入院などの枠組みを確認し、

 端的に結論を告げるのが、 本人を冷静にさせ、 強化を防ぎます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子の自傷行為に対して、 穏やかではいられませんでしたが、

 毅然とした態度は 取っていました。

 死んでいいか悪いかの 議論をしたことはありません。

 目の前で 自殺行動に出たときは、 有無を言わず止めるだけです。

 ただ僕は、 死にたいほどの苦しみを 否定することはできません。

 かつて僕自身、 一線を越す手前まで 行ったこともあります。

 死んでもいいとは 決して言いませんが、 死にたいという 気持ちに寄り添うと、

 相手は 胸中を分かってもらえたと感じ、

 かえって一命を 取り留めることもあります。

 「生きていれば いいことがある」 「周りの人が悲しむ」

 などという常套句に 意味はなく、

 死ぬなと強調するほど、 死にたい気持ちが 起こったりしてしまうでしょう。
 
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自殺企図には どう対処するのか

2010年01月27日 21時38分06秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害で 最も苦慮するのは、

 自殺企図や薬物乱用などの 逸脱行動で、

 取り返しの付かないことや、 重大な後遺症を 残してしまうこともあります。

 自殺企図を 繰り返している場合は、

 慣れっこになるうち、 不幸な結果に 至ってしまうこともあります。

 こうした行動化に対しては、 二面作戦で臨むのが効果的です。

 ひとつは、 限度を超えた行動に 出たときには、

 大目に見ず 医療機関に入院することを、 予め決めておくことです。

 行動制限があるほうが、 本人も自分を コントロールしやすいのです。

 もうひとつは、 自殺行動だけに目を奪われず、 背後にある思いを 汲むことです。

 行動化は、 自分を分かってほしい、 向き合ってほしいという 必死のアピールです。

 苦しくても 向き合うことが重要です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 自殺企図の 背後にある気持ちには、 僕は向き合っていたつもりでした。

 心子と父親との 死の約束、 死にたいほどの絶望などには 耳を傾けましたし、

 実際に 行動を起こしてしまったときには、 断固として守りました。

 でも 入院させることについては、 僕は当時、 今よりも抵抗がありました。

 心子は普段から、 入院は絶対に嫌だと 言っていました。

 主治医の先生も、 入院すると余計 自傷行為に走るだろうと 言いました。

 ただ 心子の自殺企図が 一番頻繁になったときは、

 最悪の場合は 入院させるようにと、 主治医から言われたことがあります。

 心子は次第に アップダウンが激しなり、

 パニックを起こして 自殺企図を見せた1時間後には、

 ケロッとして 元気に笑ったりしていたので、

 入院にまで 踏み切ることはできませんでした。

 けれども 今考えると、 ちょっと休養するという 軽い意味で、

 入院してみるという 方法もあったのかもしれません。

 時間の規則などが きちんとしている生活は、

 ボーダーの人を 落ち着かせるともいいます。
 
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言葉に囚われずに 本音を汲む (2)

2010年01月26日 22時01分57秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 「気持ちを汲む」 という妙薬も、 心子には 通じないことがありました。

 心子が電話で 苦痛を訴えてきたときの会話です。

僕 「そんなふうに思うほど、 つらいんだね……」

心子 「マーには分からないわ、 希望を持てない 人間の気持ちは」

僕 「色んな事が重なって、 今 疲れてるんだね……」

心子 「今じゃないの!  36年間 ずっと苦しんできたの!

これからも 一生苦しむのよ!」
 

 心子は言葉が立ったので、 自分の気持ちや考えを 言葉で伝えることは得手でした。

 僕はそれを 傾聴することに勤めました。

 パニックを起こしたときは 別ですが、

 心子は感情的になって 攻撃してくるときでも、

 自分でわけが分からず 混乱しているのでもありませんでした。

 それは心子が 自分の気持ちを自覚し、

 感情をコントロールすることに 役立っていたのでしょうか? 
 

 僕はもしかすると、 言葉を額面通りに受け取る 傾向があるかもしれません。

 心子が引きこもっていたとき、 僕の部屋に来ないかと マンションへ迎えに行ったら、

 案外抵抗なく 応じた心子でしたが、 僕の所へ 向かう道すがら、

 「もう帰る」 「顔見たから もういいでしょ」

 などと しきりに文句を言いました。

 従来の僕なら、 来たくないのだろうかと 思ったかもしれません。

 でも、 主治医の先生の助言を 思い出していました。

 「言葉より行動を見るように」

 言葉とは裏腹に 足は前に進んでいる 心子を見て、

 僕は彼女の気持ちを 汲むことができた次第です。
  
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言葉に囚われずに 本音を汲む (1)

2010年01月25日 20時24分51秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害を よい方向に変化させる 最大のものは、

 気持ちを汲むということです。

 どんな頑なに 凝り固まった心も、 傷つき過敏になった心も、

 気持ちを汲まれると その殻をやわらげます。

 境界性パーソナリティ障害の親子関係では、

 しばしば 気持ちを汲むのが とても不器用です。

 気持ちを汲むのが 苦手な人は、

 言葉を額面通りにしか 受け取らない傾向があります。

 境界性パーソナリティ障害の人の 親に共通して見られやすいのは、

 自分の気持ちのほうに 視線が向いていることです。

 親を苦しめるわが子に、 落胆と批判の 気持ちを抱き、 困り者扱いしています。

 子供は、 本心では親を求めていて、 認めてもらいたいと願っています。

 親も本当は、 子供の助けになりたい、

 わが子に幸せになってほしいと 思っているのです。

 でも 親自身余裕がなく、 素直に子供に向き合えません。

 子供のほうも、 どうせ 親に分かってもらえないと諦め、

 これ以上 傷つけられることを避けています。

 こうした関係を よい方向へ変える妙薬が、 気持ちを汲む ということなのです。

 本人が口で どういう言葉を言おうと、 その奥底にある気持ちに 目を向けるのです。

 第三者が接する場合も、 本人の気持ちに 身を置いて、

 「傾聴」 することが基本です。

 すぐに 分かったような気にならず、 一度に全て 分かろうと焦らず、

 相手の気持ちを 丁寧になぞっていきます。

 実は本人にも 何が起きているのか、 分かっていないのです。

 溢れ出るものを 冷静に受け止め、

 思いをひとつひとつ 言葉にしていく作業を 繰り返すなかで、

 自分の気持ちが自覚され、 コントロールされやすくなるのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕

(次の記事に続く)
 
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試すような行動を 取られたらどうするか

2010年01月24日 21時39分36秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人は しばしば、

 こちらの辛抱を 試すような行動を取ります。

 それは相手を挑発し、 苛立たせることを、 意識的・ 無意識的に意図しています。

 こうした行為には、 いくつかの意味があります。

 まず、 自分の中の苛立ちを そういう形で表現すること。

 次に、 相手が挑発に乗って 爆発すれば、 一気に苛立ちを 放出できるということ。

 つまり、 苛立ちを極限まで暴走させて 解消する、 悪い行動パターンです。

 そして、 こちらの反応を試すこと。

 相手が感情的に反応すれば、

 本人の否定的な確信と 行動パターンを強化するだけです。

 しかし こうした行為に対して、 さり気ない言葉や ユーモアを用いて切り替えたり、

 辛抱強く見守ったり、 優しく声をかけたりすれば、

 本人は  「今までと違うぞ」 と感じるでしょう。

 それを 何十回も繰り返せば、 関係は変わり、 本人の態度も変わってきます。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子の 様々なネガティブな言動は、 自分の感情の表現であり、

 僕が どれだけ受け止めるかという 試しでもあったのでしょう。

 僕は挑発に乗って 感情的に反応はせず、 受け止めていましたが、

 さり気ない言葉で切り返すという 余裕はありませんでした。

 どんな言葉をかけたらいいか、

 日頃 考えるゆとりを 持てたらよかったと思いますが、

 当時は情報もなく 難しかったかもしれません。

 渦中にいるときは、 冷静に 自分にも距離を置いて、

 大局的に見直してみることは、 それだけ大変なことなのでしょう。
 
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激しい感情を どう受け止めるか

2010年01月23日 21時40分11秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人が ぶつけてくる 激しい感情に対して、

 本人の状況を考えれば、 至極もっともなことだと 受け止めることです。

 「そう感じるのは 当然だと思う」 「よく そこまで耐えたね」

 などと伝えます。

 その上で、

 「辛いことだけど、 それを乗り越えることも 大切なんだよ」

 「どうすればいいか、 考えていこうよ」

 と方向転換を図るのです。

 「それは、 ~ということなんじゃないかな?」

 と 客観的に整理していくことで、

 境界性パーソナリティ障害の人は 冷静に対処する 術を学んでいきます。

 最悪なのは、 感情に感情で返すこと、

 ついで望ましくないのは、 感情を否定して はぐらかすことです。

 もっといけないのは、 

 「だから病気なんだ」 と 烙印を押したり、 説教をすることです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子の気持ちを 受け止めた上で、 方向転換を図ったり、

 客観的に整理することが、 僕にはできませんでした。

 心子が荒れるときというのは ほとんど、 僕を非難・ 攻撃しているときですから、

 それを方向転換したりするのは、 自分の言い訳をすることになり、

 心子の怒りを 否定することになってしまうからです。

 僕はただ 黙って受け止めるしか 術がありませんでした。

 それは 心子の怒りの反応を 強化することに なってしまったでしょうか。

 何か 一言でも言おうものなら、 火に油を注ぐのと 同じで、

 血を見るのは 明らかでした。

 でも境界設定は、

 最初は 以前より事態は悪くなるのを 覚悟しなければならないといいます。

 そんな試行錯誤も してみたかったと思います。
 
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中立的な態度で接する

2010年01月22日 21時17分47秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 治療者, 援助者として 関わる場合の基本は、

 誠実だが あくまでも中立のスタンスを 維持することです。

 境界性パーソナリティ障害の人は、

 相手が 少しでも自分に 不信感を持っていると感じると、

 自分も相手に 不信感を持ち、 受け入れなくなります。

 逆に、 過度に好意的に接近すると、 急に期待を膨らませたり、

 幻想を抱いて 期待外れに終わると、 裏切られたと思ってしまいます。

 本人に先入観を持たず、 真っ白な心で 接することです。

 ただし、 放っておけない親切心や あふれる熱意は禁物で、

 「仕事として」 「専門家として」  割り切った姿勢が必要です。

 中立的な態度を 守り続けることが重要です。

 境界性パーソナリティ障害の人の 依存に応じだすと、 不適応を強化してしまいます。

 あくまで 主体と責任は 本人にあるのです。

 本人に 自分の足で立ってもらうことが 目標なのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 僕は 治療者ではありませんから、 中立的な立場では ありませんでした。

 恋人という、 物理的にも時間的にも 密接な関係ですから、

 心子は僕に 白馬の王子の 幻想を抱いたり、 一変して 絶望したりしたわけです。

 でも 主治医の先生から、

 「要求されても、 できないことはできないと 言うしかない」 と

 助言を受けていました。

 今で言う境界設定ですが、依存に何でも全てに応えることはしませんでした。

 最低限の距離は 取っていたと思います。

 それが心子からは、

 「あなたほど 自分の殻を守る 人間はいない」 と 言われたりしたのですが。
 
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心の中で 拒否していないか

2010年01月20日 18時44分11秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の人が 落ち着いていくのに 最も有効な方法は、

 家族の関係を 改善することです。

 親は、 この子のために 不快や迷惑をこうむったと、

 心の中で思っていることも 少なくありません。

 恐怖感を持っていることもあり、 それは 態度や言葉の端々に 現れてしまいます。

 いくら 他の面で援助し、 治療に協力しても、

 本人に対して 否定的な思いが強いと、 なかなか改善はしません。

 逆に、 本人を受け入れられるようになると、

 状況は良い方向へ 変わりやすくなります。

 傷ついた本人の心を、 本人の気持ちに立って 受け止めることです。

 それによって 信頼と安心が生まれ、

 本人は自分の課題に 目を向けていくようになります。

 安心感が与えられない限り、 スターとラインに立つこともできません。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 僕はもちろん、 心子を 拒否していたということはありません。

 心子の ネガティブな言動は嫌でしたが、

 彼女のために 不快な思いをさせられたという 気持ちはありませんでした。

 普段の明るいときの 心子のお陰で、 楽しい思いを させてもらったと思います。

 そして 彼女が苦しいときの、 心の痛みを 受け止めるようにしていました。

 心子の具合がいいときには、 二人の関係は この上なく好ましいものでした。

 その点では 心子に信頼や安心を 与えられていたでしょうか。

 彼女は 改善のスタートラインに 立つことができていたのでしょうか? 
 
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9回目の祥月命日 --- 浅野忠信? 

2010年01月17日 20時52分09秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は心子の 9年目の祥月命日でした。

 昼に焼肉バイキングを食べて、

 墓参りに行き、 いつものように花と、

 甘い物好きな心子に あんころもちを供えました。

 「境界に生きた心子」 ドラマ企画のことや、

 最近のことなどを 話してきました。

 映画を観た帰り、 地下鉄に乗ると、 座席に 浅野忠信似の人が。

 確かめようかとも思いましたが、 よくある顔だし、

 その人が見えない位置に 座りました。

 浅野忠信と言えば、 様々な作品で 名演を見せ、

 特に チンギス・ハーンを演じた  「モンゴル」 は圧巻でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53523423.html

 その人のことも すっかり忘れて 地下鉄を降り、

 今日は心子と 一献かわそうと思って、

 スーパーで ワインとつまみを買って 勘定を済ませ、 品物を袋に入れる台へ。

 すると、 さっきの浅野忠信似の人が 目の前にいるではありませんか。 (・_・;)

 そっくりでもあり、 そら似のようでもあり。

 マイバッグに 布製の風呂敷のような 袋を使用し、 なんか芸能人ぽいなとも。

 その人の顔ばかり見ながら 品物を袋に入れていたら、

 ワインのビンを倒してしまい、 ゴトンッと大きな音が。

 そしたらその人が 僕の顔を見て、 微笑んだのです。 ( °○ °)

 その目は、 浅野忠信本人!?

 浅野忠信が出て行って、 あとを追いましたが、

 どの方向にも その姿を見ることは できませんでした。 (;_;)

(この近くに 住んでるのかなぁ。)

 何事もなく終わるかと思った 祥月命日でしたが、

 最後に心子が いいものを見せてくれました。  (^^;)
 
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先入観で決めつけない

2010年01月16日 21時28分28秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害の子は 小さい頃から、

 ネガティブな決めつけを されてきたことが多いのです。

 「またこの子は」  「どうせまた困らせるのでは」。

 本人も、  「どうせ分かってもらえない」 と心を閉ざし、

 前向きの努力を 放棄してしまいます。

 推測と事実を 一緒くたにしてしまうのです。

 でもその起源は、 周囲が本人に そういう扱いをしてきたからなのです。

 それを改善していくため、 周囲は 先入観で決めつけず、

 客観的に 純粋な目で 見ることが大事です。

 「 ~ではないの?」 「 ~ということはない?」

 本人が 「ノー」 と言える 余地を残した言い方を することが基本です。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 僕は心子に対して、 決めつけることはしませんでした。

 むしろ 心の中が分からず、 何か見当違いなことを言って 傷つけないか、

 ということのほうを 恐れていました。

 心子は、 自分の気持ちを 完璧に理解してほしいという希求と、

 「どうせ分かってもらえない」 という絶望の、 両極端の間で揺れていました。

 心子は親から、  「どうせ~だ」 と

 決めつけることは されてこなかったと思います。

 心子の 自己評価の低さや 諦めは、

 生後の スキンシップの欠如によって、 自己肯定感が 育たなかったためでしょうか。
 
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穏やかで 冷静な態度をとる

2010年01月15日 20時19分05秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害では、 基本障害として 情動のコントロール不全があり、

 それに対して 感情的な反応で返してしまうと、

 たちまち激しい ぶつかり合いになってしまいます。

 本人が 強い感情を見せても、 穏やかで冷静な態度で 応じることが基本です。

 自分の苦しさを 分かってもらおうとして、 それを相手にぶつけたり、

 ときには 相手の急所を ぐさっと突くような攻撃をしてきます。

 「そういう言い方を聞くのは とても悲しいな」

 などと 冷静に返すと、 本人も落ち着きやすいといいます。

 ただ 例外もあります。

 ときには 怒りや悲しみをあらわにすることが、 必要な時もあります。

 「逃げても 何も変わらないぞ! 」

 と 一喝することが、 本気を示すために 不可欠な瞬間です。

 ただし あくまで例外であり、 例外であるからこそ 力を持って、

 ターニングポイントとなることがあるのです。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 僕は心子の 激しい感情に対して、 感情で返すということは 絶対しませんでした。

 どんなに辛くても 受け入れるということだけは、 常に自戒していました。

 でも、 穏やかな態度で 言葉を返すことはできませんでした。

 心子が攻撃的になっているときは、

 何をどう言っても 通じることはなかったと思えます。

 ただ、 自殺企図を見せたときは、 一喝したこともあります。

 僕が隠していた包丁を、 心子が見つけてきて 自分の首を刺そうとし、

 僕は包丁をわしづかみにして 取り上げました。

 「どこから探してきたんだ! 」

 それが良かったのかどうか、 心子は落ち着いてから こう言ったのです。

 「……いつもありがとう。 

 マー君に何度も命を助けられた。

 清志でもない、 お母さんでもない、 森本先生でもない、

 マー君が助けてくれた。 

 本当にありがとう……」
 
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目的と枠組みを 明確にする

2010年01月14日 19時19分49秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 専門家が関わる場合は、 何を目的とするかが 重要です。

 当面困っている問題を 改善することか、 自立能力や適応力を 高めることか、

 自分を見つめ直して 根本的な改善を図ることか、 はっきりさせる必要があります。

 ただし 主体はあくまでも本人です。

 その上で、 治療の時間や 突発的な事態への対応など、 ルールを決めておきます。

 危険な場合は 入院させるなど、 より制限の強い 治療も必要です。

 最悪の場合についても 触れて、 釘を刺す必要があります。

 枠組みを 再三守れないときは 関係を終結させる、

 そういう厳しさが 変化を生む原動力になります。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 目的と枠組みを持った 治療は受けていませんでした。

 診察室の中では、 まだそのレベルまで

 行っていなかったのではないかと 推測します。

 想像ですが、 診察室では ある時期まで、

 ボーダーの症状は 出ていなかったのかもしれません。

 心子は自らカウンセラーをし、 心理学の勉強をしていながら、

 自分がボーダーである 病識がありませんでした。

 それは今でも 不思議なことなのですが、

 ボーダーの治療は 自分で治したいという 強い意志が不可欠なので、

 その意味でも 治療段階に至っていなかったのかもしれません。
 
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本人の主体性を 重視する

2010年01月13日 22時41分15秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 その人の人生は その人の責任で決断し、 行動することでしか、

 本当の改善は起こりません。

 こちらの価値観や期待を 押しつけることを止め、

 本人の選んだものを 大切にすることです。

 普通の家庭から 境界性パーソナリティ障害が生まれる場合は、

 ほとんど主体性と責任を 侵害されてきています。

 そうしてでき上がってしまった  「偽りの自分」 に対する拒絶反応が、

 パーソナリティ障害となって現れます。

 問題を起こしたとき、 本人かわいさに守りすぎると、

 結局 どんどんエスカレートしてしまいます。

 ただし、 危険なことをしたり 限度を超えた行動に 及ぶときは、

 はっきりストップを かけなければなりません。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕
 

 心子は 普段は社会的にも適応し、

 主体性を持って、 責任ある仕事も こなしていました。

 心子や母親から 聞いた話の限りでは、

 子供の頃から 主体性や責任を 奪い取られていたことは、

 ないのではないかと思います。

 父親は心子を独りで生きていけるように躾け、心子は幼いころから何でも自分でする子だったといいます。

 でも、 一旦 傷ついたり落ち込むと、 独りでは何も できなくなってしまいます。

 状態の悪いときには、 病院へ通うのも 必ず僕が同伴したり、

 役所の手続きにも 終日付いて回ったりしました。

 それから、 自殺企図を見せたときは、 必ずそれを 止めなければなりませんでした。

 心子は本心では 助けてほしかったのです。
 
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