「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

煙が充満して 消防隊が……! ( ̄○ ̄;)

2010年06月30日 13時59分56秒 | Weblog
 
 毎日、 心子と両親の遺影に お線香をあげていますが、

 マッチ棒の燃えカスが溜まったので、 いつもしているように、

 それを燃やすことにしました。

 (火遊びが好きなんです。 σ(- -;))

 ビールの空き缶を 半分に切って、 

 (飲み口のある方を 逆さにして) マッチ棒を入れ、

 ベランダ (窓の外) に出して 火を点けます。

 ところが、 今回は マッチ棒の量が多かったため、 なかなか燃えきらず、

 煙がもうもうと 噴き出すように出てきてしまいました。

 煙は相当な勢いで、 風でどんどん 中に入ってきて、

 またたく間に 部屋中に充満。

 さらに、 少し開けておいた 入り口ドアの隙間から、 廊下にも出てしまいました。

 ドアを閉めて、 むせ込みながら 空き缶に水をかけ、

 扇風機を窓の外に向けて 煙を追い出していると、 廊下から 人の声が聞こえます。

 住人の人が 煙と臭いに 気付いたのかと思い、 外に出て 事情を話すと、

 管理人の人が 消防車を呼んでしまったというのです。 ( ̄□ ̄;)

 間もなく サイレンの音が聞こえ、

 ボンベを背負った消防隊員が 5~6人やって来ました。 (・_・;)

 一人が 部屋に上がってきて、事情を聞きながら 無線で本部と連絡を取り、

 マッチ棒の入った 空き缶などを確認。

 火災扱いはせず、

 もう一人の消防士から、 名前と生年月日, 電話番号, 職業を聞かれました。

 大事にはならず、 消防隊も 静かに帰っていきました。

 しばらくすると ドアを叩く音がし、

 今度は 警察官と刑事が 6人ほど上がり込んできたのです。 (・o・;)

 放火などの可能性も 通報されたのでしょうか?

 少しく話を聞かれ、 刑事さんが 空き缶の写真などを 撮っていました。

 周りの人が気にするので 燃やさないようにと 軽く言われて、

 引き上げて行った次第です。

 「お騒がせしてしまって すみません」 と 皆に謝りましたが、

 小さな火遊びが 大袈裟なことになってしまいました。 m(_ _;;)m

 心子にも 小言を言われるでしょうか。
 

(心子と 消防隊員に関わった話を、 下記のURLから 2回に分けて書いてあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/30769535.html )
 
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恩赦後、 音信不通 -- 更生への道 (2)

2010年06月29日 21時47分01秒 | 罪,裁き,償い
 
 保険金目当てに 知り合いの女性を殺害し、 無期懲役が確定した受刑者。

 13年後に仮釈放されますが、

 刑務所で義務を果たしたという、 自分本位の姿勢が見られました。

 担当の保護観察官は 受刑者に、 遺族の苦しみを 繰り返して説き、

 「月5000ずつ積み立てて、 10万円ためて 遺族に謝りに行こう」

 と提案しました。

 そして 事件から30年後、 受刑者は仏壇の前で 畳に額を付けたのです。

 遺族の男性は 穏やかに受け入れました。

 「申し訳ないという 気持ちが伝わった。

 怨んでも 死んだものが生き返るわけでもないし……」

 付き添った保護司は、 加害者と被害者でも 分かり合えるものなのだと 感激します。

 受刑者はそれから 10ヶ月おきに2回、 5万円ずつを渡しました。

 それを見て観察官は、 恩赦を申請します。

 恩赦の伝達式で、 受刑者は 初めての涙を見せました。

 ところが その頃、 受刑者の部屋で 被害者の位牌は ほこりを被っていました。

 恩赦を堺に、 保護司と会う 義務はなくなり、 音信は途絶えました。

 元受刑者は高齢で 仕事を続けられなくなり、 翌年以降は 遺族とも会っていません。

 遺族は、 あの謝罪は何だったのがと、 納得がいきませんでした。

 元受刑者は昨年 病死し、 荼毘に付されました。

 保護司は わだかまりが残ります。

 「償いを促し続ける 支えがなくなってしまったのは、

 彼にとって良かったのだろうか」

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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仮釈放 「償いの形」 自問 -- 更生への道 (1)

2010年06月28日 21時18分26秒 | 罪,裁き,償い
 
 読売新聞の 「罪と罰」 の シリーズ第3部。

 服役して 社会へ戻った人の、 更生への行方を 追っています。
 

 40年前、 盗み目的で住宅に入り、

 女子高生を包丁で刺殺してしまった 無期懲役囚は、

 毎朝 位牌に手を合わせ、 罪を自問し、 被害者の残像に 胸をかきむしられます。

 刑務所では模範的で、 刑務所長による 3度目の仮釈放申請がされました。

 更生保護委員会の委員長は、

 受刑者の 「悔恨の情」 「更生の意欲」 は認めました。

 しかし、 遺族の感情は峻烈で、 仮釈放者の再犯も絶えず、 判断に悩みます。

 2000年当時、 無期囚約千人のうち、 仮釈放を認められたのは 7人だけです。

 けれども委員長は、

 「仮釈放は、 生活に困らない 環境の有無で 判断すべきだ」 と考え、

 委員3人の合議で 仮釈放を許可しました。

 仮釈放された受刑者は、 遺族に謝罪しようと 故郷の事件現場を目指します。

 ところが 街並みは全く変わってしまい、 遺族も転居していました。

 保護観察所に出向き、 遺族の意向を聞いてほしいと 依頼しましたが、

 「相手の感情を 害するかもしれない」 と断られます。

 「確かに、 自分が被害者の立場なら、 何の慰めにもならないだろう。

 謝罪は 自分が楽になりたいためではないのか?……」

 遺族の男性は こう語っています。

 「加害者には関わりたくない。

 謝罪も金もいらない。

 謝る気があるのなら、 私たちに分からないところで、

 社会に役に立つことを しているほうがいい。

 それで 許せるわけではないが……」

 更生保護委員長は、 受刑者に伝えたいと思います。

 「償いの形は ひとつではない。

 その気持ちさえ忘れずに 更生に励めば、 いつか必要なことが 見えるはずだ」

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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異所性脂肪 (第三の脂肪)

2010年06月24日 23時14分37秒 | Weblog
 
 先日 友だちに、 テレビで 「異所性脂肪」 というのを やっていた話を聞き、

 ちょっと調べてみました。

 「第三の脂肪」 とも言われ、 皮下脂肪, 内臓脂肪に続くものですが、

 とても 危険なものなのだそうです。

 皮下脂肪や内蔵脂肪は、 脂肪細胞というカプセルに 包まれているのに対して、

 異所性脂肪は むき出しの状態でくっついていて、 毒性が強いということです。

 あたかも バターやラードを、 内臓に直接 塗りたくったかのように取り付きます。

 内臓脂肪が、 おなかの腸間膜や その周辺にたまる

 「腹腔内脂肪」 であるのに対し、

 異所性脂肪は、 心臓や肝臓, すい臓, 筋肉など、

 命を支える 臓器や組織に蓄積し、 生活習慣病など 様々な病気を招きます。

 脳を除く 全ての 「異所」 に 取り付くということです。

 脂肪が付いていく順番は、 皮下 → 内臓 → 異所となります。

 皮下脂肪を “沢山付けることができる” 人は、

 内臓脂肪や異所性脂肪が 少なくて済みます。

 それに対して 痩せている人は、

 皮下脂肪を “付けることができない” 体質なので、

 内臓や異所に 脂肪が付きやすく、 危ないということなのです。

 (内臓脂肪が多いと、 異所性脂肪が付きやすくなるとか。)

 例えば 相撲取りは、 皮下脂肪が一杯付いていても 非常に健康なのに対して、

 肥満指数が低くても、 総コレステロール値, 中性脂肪値が高くて、

 動脈硬化の危険がある 人がいるといいます。

 生活習慣病の危険ありと 診断された人の6割は、

 標準か痩せ型の 人たちだったとのことです。

 でも 脂っこいものを控え、 1日1万歩を歩くと 異所性脂肪は減らせるので、

 生活習慣が大切ということでした。
 
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「死刑裁判の現場」 (6)

2010年06月22日 21時24分31秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 死刑執行現場に立ち会った 土本氏は、

 生きている人を 数分後には強制的に 死に追いやるという、 凄まじさを感じました。

 それまで 検事の職務として 死刑を求刑するのは、

 恥じることでも躊躇することでもないと 思っていましたが、

 どんなに勉強しても足りない 命の問題に遭遇し、

 それは観念論に過ぎないと 思うに至ったのです。
 

 昨年の内閣府の調査で、 死刑は止むを得ないと答えた人は 85.6%。

 昭和31年に 統計を取りはじめて以来、 最も多い数字です。

 土本氏は、 そういう国, 時代で、

 死刑を廃止するのは 現実として無理だと言います。

 そして、こう語ります。

 「死刑制度は 理想としては、 できればないほうがいい。

 皆が知っている死刑は、 しょせん抽象的なもの。

 せいぜい、 人を殺したら 自分の命で償わなければならないという、

 一般的な死刑存置論の根拠。

 それは多くの人の 賛同が得られる。

 しかし、 具体的な事件について、 極刑を言い渡すのであるなら、

 もう一歩、 深く重いところで、 人の命を考えた上での、

 言い渡しであるべきである。」
 

 裁判員制度が始まり、 我々が死刑裁判に 加わるようになりました。

 けれども 死刑について 考えるための情報は、 極めて限られています。

 より多くの情報の下に、 議論を深める時が 来ています。

〔 NHK・ ETV特集より 〕
 
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「死刑裁判の現場」 (5)

2010年06月21日 20時44分39秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 土本氏は、 ある死刑執行現場に 立ち合う決意をします。

 それまでは 死刑執行を抽象概念としてしか 認識していませんでしたが、

 実際に現場で 体験したかったのです。

 看守に連れられて、 刑場に 白髪の小柄な男が 入ってきました。

 死刑囚です。

 顔面蒼白で、  きょろきょろして 落ち着きません。

 教誨師 (僧侶) に促されて 焼香する手が、 小刻みに振るえています。

 土本氏も 並んで焼香しますが、 自分の肘が 死刑囚の肘に接触します。

 いま横にいる 生きている人のために、 そして数分後に 死んでいく人のために

 焼香しているという、 不思議な感覚に捕らわれます。

 土本氏は 正視することが難しかったといいます。

 悪い奴だから 一番重い刑に 処してやるんだという気には、 全くなりませんでした。

 やがて死刑囚は 看守に目隠しをされ、

 ぶ厚いカーテンの向こうの 刑壇 (絞首台) に入っていきます。

 読経の声が 一段と大きくなります。

 最高度に張りつめた 空気を破るように、

 「バタンッ!!」 という 凄まじい音が鳴り響きます。

 刑壇の下に 吊り下げられた死刑囚の 姿が見えました。

 医務官が 宙吊り人の胸に 聴診器を当て、 目隠しを外して その目を覗き込みます。

 脈拍, 心音, 瞳孔の、 死の三徴候を調べているのです。

 医務官が、 「絶息しました」 と告げました。

〔 NHK・ ETV特集より 〕
 

 死刑執行現場の より詳細な記述は、

 一昨年5月の 文化放送 「死刑執行」 の記事があります。

 下記のURLから 6回にわたって連載しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54095758.html

(次の記事に続く)
 
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「死刑裁判の現場」 (4)

2010年06月20日 20時57分32秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 土本氏は 被告の恩赦を 申し出ようとします。

 けれども 上司から、

 求刑した検事が 執行を止めるのは 筋が通らないと言われ、 諦めてしまいました。

 その体験を氏は、

 鬼になりきれなかった 非常に情けない 検事の話だったと 自嘲します。

 しかし 土本氏は改めて考えるに、 死刑制度が存在していて、

 死刑判決が確定した以上、 執行されるのが当然であって、

 法制度全体としては、 執行されてよかったと思う、 とカメラの前で語ります。

 法的な特段の事情もないのに 執行をやめるのは、

 法治国家としては 自らを破壊することになると。

 ここで、 番組のインタビュアー (プロデューサー?) が、

 「本当に そう思ってらっしゃるんですか?」 と 問いかけました。

 土本氏は すぐに答えられず、 約10秒の沈黙が続きます。

 そして、 慎重に口を開きました。

 「当時の法律家としては、 そう思っていたと 言う他ありません。

 ただ、 一個人としての、 彼と心を分かち合った 一人間としては、

 別の答が 出てくるだろうと思う」
 

 そして、 被告の死刑は執行されます。

 犯した罪は 消すことはできない、 しかし人間は 変わる可能性を持っている。

 死刑とは、 一体何なのか? 

〔 NHK・ ETV特集より 〕

(次の記事に続く)
 
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「死刑裁判の現場」 (3)

2010年06月19日 20時32分23秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 人を殺めた者に、 命を持って償わせる 死刑。

 犯した罪に対する 刑罰の目的には、 次のふたつの 考え方があります。

 教育刑 …… 刑罰は 犯罪者を教育・ 更生するために科す

 応報刑 …… 刑罰は 犯した罪に相応する 報いとして科す

 土本氏の恩師は 一貫して、 刑罰の目的は 教育刑であると主張していました。

 土本氏は その教育刑論に共感し、

 検事に任官する前は 死刑廃止を真剣に考えました。

 しかし検事になって、 悲惨な事件を 目の当たりにするようになり、

 教育刑は理想論だと、 死刑への疑問を 封印しました。

 恩師はなぜか 死刑問題に限っては、 終生 多くを語らなかったといいます。

 教育の主体をである 被告を抹殺してしまう 死刑は、

 教育刑と矛盾するから、 なぜ恩師は 声を大にして 死刑反対を叫ばなかったのか。

 今の土本氏は、 できれば 墓を掘り返してでも 聞いてみたいと言っています。

 死刑への疑問を封印した 土本氏の心を、

 死刑囚からのひたむきな手紙が、 再び揺さぶり始めました。

 手紙には、 罪と罰、 被害者と加害者、 命というものを真剣に見つめ、

 懺悔する 被告の言葉が綴られています。

 土本氏は、 被告が社会に戻ったとしたら、

 再び罪を犯す恐れは 一点だにないと感じます。

 そういう人を 刑場へ送らなければいけないのだろうか? 

〔 NHK・ ETV特集より 〕

(次の記事に続く)
 
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「死刑裁判の現場」 (2)

2010年06月18日 22時28分07秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 当時 この強盗殺人事件で 土本氏は、 事件を調査する 「捜査検事」 を勤め、

 その後、 裁判を担当する 「公判検事」 に 引き継ぎました。

 公判の詳しい内容は、 土本氏も知りませんでしたが、 新たに調べてみました。

 一審の判決理由は わずか2枚しかなく、

 あっさりしすぎていることに 土本氏は驚きます。

 通常 死刑判決は 何度も公判を重ねて、 慎重に議論が進められます。

 「罪責が重大で、 あらゆる情状を考慮しても なお、

 極刑が避けられない場合」 にのみ、 死刑が選択されるとされています。

 被告は前科がなく、 近所の人たちの評判は 非常に良いものでした。

 裁判では 少しも弁明することなく、 罪状を認めていました。

 罪を心から悔い、 自らは 控訴することもありませんでした。

 しかし その後、 弁護士に説得されて 書いた上申書で、

 被告は初めて 殺意を否認したのです。

 ナイフは 脅すつもりで持っていたこと、

 主婦に見つかり ナイフを取り上げられたこと、

 揉み合いになって 狼狽したこと、 無我夢中で 刺し殺してしまったこと、

 その瞬間  「しまった」 と思ったことが、 はっきり書かれていました。

 しかし翌年、 最高裁で 死刑判決が確定します。

 被告は獄中で、 被害者の命日に 読経して冥福を祈り、

 事件を起こした人物とは 一致しないようだったといいます。

〔 NHK・ ETV特集より 〕

(次の記事に続く)
 
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「死刑裁判の現場」 (1)

2010年06月17日 23時58分30秒 | 死刑制度と癒し
 
 過日のNHKのETV特集で、

 「死刑裁判の現場」 という 番組をやっていました。

 元最高検察庁検事の 土本武司 (75才) が扱った、

 死刑裁判のことを取り上げたものです。

 プロの裁判官や 弁護士, 検察官でも、

 実際に 死刑の裁判に臨むのは 非常に珍しいことで、

 司法関係者でも 死刑の現場には 触れることがないそうです。

 土本氏も、 死刑判決に関わったのは 30年間で1度だけだったといいます。

 44年前の強盗殺人事件で 土本氏は、 被告に死刑を求刑し、 確定しました。

 その後、 その死刑囚から 土本氏の下に 手紙が来たのをきっかけに、

 氏は死刑について 真剣に、 現実的に 考えるようになったといいます。

 土本氏は、 死刑囚から怨みの手紙が 来たのかと思いましたが、

 手紙には 土本氏に対するお礼や、 被告が真摯な態度で、

 罪に真正面から向き合う、 苦悩と覚悟が したためられていました。

 全部で 9通の手紙が届きましたが、

 死と直面する 人間の言葉は、 土本氏にとって重いものでした。

 氏は、 別の事件の 死刑執行現場に立ち合います。

 その壮絶な実態を、 氏は今まで誰にも 語ることができなかったといいます。

 死刑を求刑し、 判定する人間たちが、

 死刑の実態を知らなくて、 死刑の裁定をしていいのか? 

 裁判員制度が始まり、 死刑制度に国民的議論が 必要とされるとき、

 氏はそれを 今こそ語るべきと決断したのです。

〔 NHK・ ETV特集より 〕

(次の記事に続く)
 
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裁判員による 境界性パーソナリティ障害の責任能力の判断 (2)

2010年06月16日 20時16分32秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 公判後、 鑑定医は 説明の分かりにくさを 認めた上で、 次のように述べました。

 「精神鑑定は 症状だけでなく、 生い立ちや病歴から 総合的に判断する。

 個々の行動が 精神疾患に該当するかどうかだけで、

 責任能力の有無を考えるのは 本質でない。

 判決を見ると、 その点は 理解されたと思う」

 ある検察官は、 こう話します。

 「プロは 病名などに拘りすぎるのかもしれない。

 ただ、 医師の説明によって、 裁判員は 病気そのものの理解ができなくても、

 責任能力を判断する 手がかりになるのではないか」

 従来の裁判では、 被告が統合失調症かパーソナリティ障害かを 判断することが、

 判決の分かれ目になったのでしょう。

 しかし この裁判員裁判では、 病名を判断するのではなく、

 被告の 犯行時の心の状態を、 市民感覚による常識で 見極めたことになります。

 本人が 悪いことと分かっていたかどうか、 それが決め手になったようです。

 (うつ状態やパーソナリティ障害のために 執行猶予が付いたのか、

 新聞記事からは 分かりませんでしたが。)

 確かに 専門家でも、 統合失調症かパーソナリティ障害かの 診断は簡単ではなく、

 誤診されることも 多々あります。

 境界性パーソナリティ障害を 知らない裁判員が、

 それを短時間に 正確に理解するのは、 ほとんど不可能ではないでしょうか。

 その診断によって 量刑を決めるより、 被告の心に 素直に目を向けて、

 責任の大きさを考えるのが、 あるいは 妥当なこともあるかもしれません。

 判決に 診断名は必要ない……?

 非常に 難しいところではあると思います。

 裁判員制度だけでなく、 罪と罰とは何かという 本質的な問題に関わる、

 大切な問題でしょう。

〔 参考・ 引用文献 : 読売新聞, 毎日新聞 〕
 
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裁判員による 境界性パーソナリティ障害の責任能力の判断 (1)

2010年06月15日 22時28分20秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 今年3月の裁判員裁判で、

 境界性パーソナリティ障害の 可能性がある被告の 公判がありました。

 その責任能力が 焦点となった審理です。

 自宅に放火した女性 (27才) は 被告席で、

 「なんでこんな所に 来ないといけないの」 と、

 祈るように 両手をすり合わせました。

 裁判員は 緊迫した法廷に 息をのんだといいます。

 弁護側は、 被告は統合失調症で 心神喪失状態だったとして、 無罪を主張。

 それに対し 検察側は、

 境界型パーソナリティ障害よるもので、 完全責任能力があるとしました。

 統合失調症なら無罪、 パーソナリティ障害なら有罪 という構図になります。

 公判では、 精神鑑定医が 検察側の証人として出廷しました。

 しかし 専門用語が飛び交い、 裁判員には 全く理解できない人も 少なくなく、

 質問することすら 諦めてしまった人もいました。

 被告は 統合失調症なのか、 境界性パーソナリティ障害なのか。

 判断が付きそうにないと思った ある裁判員は、

 別の視点から 責任能力を考えることにしました。

 「医学的な判断ではなく、 自分が これまでの人生で培った 常識を頼りに、

 犯行前後の 被告の精神状況や行動が、 理解できるものかどうか」

 「細かい用語にとらわれず、 火をつけたことを認識し、

 悪いことと分かっていたかどうかを 中心に考えよう」

 被告は放火後に、 外に出て 震えていたということです。

 裁判員は、 行動の意味を議論しようと 思いました。

 そして、 判決は 懲役3年、 執行猶予4年。

 うつ状態にはあったとしましたが、 完全責任能力を認めました。

〔 参考・ 引用文献 : 読売新聞, 毎日新聞 〕

(次の記事に続く)
 
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利用者さんの暴力は 攻撃? 

2010年06月13日 22時27分33秒 | 介護帳
 
 うちのデイサービスは 認知症対応型です。

 もちろん認知の程度は 人それぞれですが、

 なかなか言いたいことが分からない 利用者さんもいらっしゃいます。

 Aさんは 発語に障害があり、 要求をうまく言葉にできません。

 それを こちらが理解できないと、 イライラしてスタッフを叩いたり、

 猛烈な力で 爪を立てて 手を握りしめてきたりします。

 痛いので、 最初は こちらも力を入れて 踏ん張ったりしていました。

 でもAさんは、 家に帰りたいという  「帰宅願望」 に駆られた時

 このような行動をしたり、 「こわ」 という言葉を 発することがありました。

 「恐い」 というのは 不安の表現であり、

 デイサービスにいて 安心できないという気持ちでしょう。

 Aさんは、 苛立って攻撃的な感情で 暴力に訴えているのではなく、

 不安な気持ちから 相手にしがみつきたくなったり、

 何とかしてほしいと 訴えているのではないでしょうか? 

 不安で 相手が敵に見えてしまい、

 叩くという行動になってしまうこともある と知りました。

 Aさんの心配な気持ちを 第一に理解すれば、 こちらの心構えも 変わってきます。

 「不安なんですね」 と、 Aさんの不安を まず受け止めるだけで、

 こちらも 乱暴を恐がったり、 力で対応したりする 必要はなくなるでしょう。

 今は、 「大丈夫ですよ、 安心してください」 と 手や体をさすったり、

 一生懸命 いたわるようにしています。

 「Aさんの気持ちを理解できなくて、 すみません」 と 言うのもいいようです。

 帰宅の時間が 近づいているときは、

 「帰りたいですね、 準備して帰りましょうね」 などと、

 早めに準備をすることも 効果があります。

 でもまだまだ Aさんの気持ちを 良く理解したり、

 適切な対応をすることは 充分にできません。

 もっと経験も積み、 Aさんに寄り添っていきたいと 思っています。
 
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おわりに

2010年06月11日 20時38分50秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
 境界性パーソナリティ障害は、 自己を確立するための 産みの苦しみです。

 病というより、 これまでの与えられた自分を 打ち消して、

 新たに自分を 打ち立てようとしています。

 見苦しい姿でも、 生きようと必死に もがいているのです。

 BPDの人の主体性を 尊重すると共に、 ひたむきに愛するという、

 ふたつの課題を 同時に行なう必要があります。

 その危機の時代を 乗り越えさえすれば、

 境界性パーソナリティ障害が回復する日は 必ず来るでしょう。

〔 「境界性パーソナリティ障害」 岡田尊司 (幻冬舎) より 〕

(以上)
 

 心子は、 父親に束縛された 価値観から抜け出して、

 本来の自分を 確立しようとしていたのでしょうか。

 心子にとって父親は 絶大な存在だったでしょう。

 完璧を求める姿勢, 共に死ぬという約束、 それらを一度打ち消し、

 ありのままでいい, 生きていていいんだという 価値観を、

 自ら打ち立てていこうと、 心子はもがいていたのでしょうか。

 心子の障害者年金などの 手続きをするとき、

 心身とも弱って 倒れそうな彼女を、 僕は一日中 支えて歩いて回りました。

 その帰りに、 ふとしたことで 心子は憤激し、 その後はふてて 無言になりました。

 でも 帰宅してから、 心子は不承不承、 ぽつりと言ったのです。

 「今日は ありがとう……。

 寒いところ、 手続きしてくれて……」

 それは 初めてのことでした。

 悲嘆し嫌悪しながらも、 100か0かではない所から 出てきた言葉です。

 旅立っていく前に 心子は、 真っ黒なオセロの中の ひとつの白い点に、

 目を向けることが できるようになり始めていたのだと 思います。
 
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怒りが感謝に変わる (2)

2010年06月10日 21時03分59秒 | 「境界性パーソナリティ障害」より
 
(前の記事からの続き)

 心子は 心底では、 ドラマチックな出来事より、

 ひっそりとした安らぎを 切々と願っていたのです。

 でも その境地に至ることなく、 旅立っていきました。

 また この手紙では、 存在への感謝よりも、

 人間から離れたいという 気持ちが現れています。

 心子は現実には、 不安定な関係に 身を投じざるを得ず、

 上へ下へと 慌ただしく揺れ動き続けるのでした。
 

 こんなこともありました。

 心子が自殺企図を繰り返し、 ナイフで 自分の首を刺そうとしたとき、

 僕は ナイフをわしづかみにして 取り上げました。

 食ってかかる心子を、 僕は力付くで押さえ込みました。

 しばらくして、 心子は静かになり、 言ったのです。

 「……いつもありがとう……。

 マー君に何度も 命を助けられた。

 清志でもない、 お母さんでもない、 森本先生でもない、

 マー君が助けてくれた。

 本当に ありがとう……」

 正に、 怒りが感謝に 変わった瞬間でしょう。

 心子は 本当は生きたいのです。

 生きていることができれば、 実は どんなにか嬉しいのです。

 存在することに、 崇敬の念も抱いていたことでしょう。

 心子が旅立つ、 十日ほど前のことでした。
 
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