「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

若き日の 「ジャン・クリストフ」 (1)

2008年11月30日 19時15分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 若きクリストフは、 自らの芸術に 新しい価値を発見し、

 歓喜に満ちていました。

 それを力一杯 表現し、 主張していったのです。

 当時の僕も クリストフと同じ道を 辿っていました。

 マンガ同人誌の会誌に、 自分の芸術観などを 毎月 書き続けていました。

 長くなりますが、 「ジャン・クリストフ」 の一節を そのまま引用します。

 僕は当時 何回も何回も読み返し、 ある部分は 完全に暗唱していたものです。

「 ジャン・クリストフは 過去にも未来にも

 ただ1度しか 存在しないということを、 彼は傲慢にも信じていた。

 青春の素敵な無遠慮さで、

 まだ何物も できあがったものはないように 思っていた。

 すべてが 作り上げるべき--もしくは作り直すべき--もののように思えた。

 内部充実の感情は、 前途に 無限の生命を有するという 感情は、

 過多な やや不謹慎な 幸福の状態に 彼を陥れていた。

 たえざる喜悦。

 それは 喜びを求める要もなく、 また 悲しみにも順応することができた。

 その源は、 あらゆる幸福と美徳との 母たる力の中にあった。

 生きること、 あまりに生きること……!

 この力の陶酔を、 この生きることの喜悦を、

 自分のうちに--たとい 不幸のどん底にあろうとも--

 まったく感じない者は、 芸術家ではない。

 それが試金石である。

 真の偉大さが 認められるのは、

 苦にも楽にも 喜悦することのできる 力においてである。

 クリストフは その力を所有していた。

 そして 無遠慮な率直さで 自分の喜びを見せつけていた。

 少しも 悪意があるのではなかった。

 他人とそれを 共にすることをしか 求めていなかった。

 しかし その喜びをもたない 大多数の人々にとっては、

 それは 癪にさわるものであるということを 彼は気づかなかった。

 そのうえ彼は、 他人の 気に入ろうと入るまいと 平気であった。

 彼は おのれを確信していた。

 自分の信ずるところを 他人に伝うることは、

 わけもないことのように 思われた。

 そして 自分の優秀なことを 認めさせるのは、

 きわめて容易なことだと 考えていた。

 容易すぎるくらいだった。

 おのれを 示しさえすればよかった。

 彼はおのれを示した。」

(次の記事に続く)

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕
 
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「ジャン・クリストフ」 前書き

2008年11月29日 19時19分48秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 次に、 ロマン・ロランの 「ジャン・クリストフ」 の 前書きから抜粋します。

 クリストフの生きざまを 表したものであり、

 当時の僕は これを読んだだけで、 涙が止まりませんでした。

「 彼は 故国にある時、 またパリにある時、 幾多の恋愛を経験した。

 あるいは やさしい心の愛情であり、 あるいは 強い肉体の欲情であった。

 そして それらの迷執に、 幾度か傷つきながらも、

 幾度かつまずきながらも、 彼の魂は かえって鍛えられ つちかわれた。

 真実と芸術とに 奉仕する彼の心が、

 息苦しい 異性の香りの方へ 引きずられたのは、

 また それらの事件から、 憂鬱でなしに力を、 精神の頽廃でなしに 緊張を、

 たえず摂取していったのは、 彼の強烈な 生命の力の故に ほかならなかった。

 生命の力と その闘争、

 それが ジャン・クリストフの生涯を 彩るものであった。

 絶食を余儀なくせらるるまでの 貧困、 愛する人々の死より来る 無惨なる悲哀、

 愚昧なる周囲から 道徳的破産を 宣告せらるるの恥辱、

 すべてを巻き込まんとする 虚偽粉飾の生温かい空気、

 あらゆるものに 彼の霊肉はさいなまれた。

 しかしながら 彼は、 自分の信念を道連れとして

 勇ましく 自分の道を 切り開いていった。

 いかに つまずき倒れても、 ふたたび猛然と 奮い立つだけの力が、

 彼の内部から 湧き上がってきた。

 苦しめば苦しむほど、 障害を 突破すればするほど、

 その力は ますます大きくなっていった。

 そして 彼の苦闘の生涯は、 洋々として流れていった。 」

〔 「ジャン・クリストフ」 ロマン・ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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僕が追及していた 芸術観

2008年11月28日 21時12分39秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56810877.html からの続き)

 当時の僕が 天才的友人の影響を受けて、 創作上で求めていたことを、

 以前 ある冊子に 掲載したことがあります。

 それを紹介します。

「 僕が学んできたものは、 既成概念を否定すること、

 自分達が 無反省に受け入れているものを もう一度 疑いなおすことによって、

 隠された真実を 見いだそうとする姿勢だった。

 物書きに限らず、 真理を追究したいと 望む人間は、

 批判精神を研ぎ澄ましていかなければならない。

 常に 『これでいいのか』 という問いを 発しつづけなければならない。

 それは時に 苦渋に満ち、 残酷ですらある。 」

 例えばそれは、 哲学の基本的な態度と 共通します。

 哲学というのは、 誰もが 常識と思っていることを 見つめなおして、

 本当に正しいことは 何なのだろうかと 追求していくことです。

 でもそれは、 常識通りに生きている 人との間では、

 トラブルが 生じることがあります。

 若いときには、 真実を追い求める姿勢と 日常のコミュニケーションを、

 使い分けるなどという 柔軟さや賢明さは、 とても持ち合わせていません。

 本音と建前が 別だなどということは、

 むしろ とんでもなく不誠実で 卑怯な態度だったのです。

 ありのままの自分を 表現することが、 僕にとっての誠実さ, 正直さでした。

「 かつての政治的な青年が 共産主義思想の 洗礼を受けたように、

 芸術を目指した僕は、 当時 アバンギャルド (前衛芸術),

 または 表現主義に傾倒していきました。

 自分の生活の 全てを占めるのは 創作であり、

 僕は自分の 価値観を探究し、 日々 自分の創作世界を 構築していきました。

 そして それを幼い傲慢さで、 マンガの同人誌仲間に 主張していました。

 その結果 周囲との軋轢, 無理解, そして それによる失恋で、

 僕は致命的な挫折に 陥りました。 」

「 僕が成してきたことは 正に、

 若き日のクリストフが やってきたことそのままでした。

 たったひとつ 違うことは、

 クリストフは天才であり、 僕は凡人であった ということです。 」

(次の記事に続く)
 
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妄想性パーソナリティ障害 (3)

2008年11月27日 21時09分36秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
(前の記事からの続き)

 妄想性パーソナリティ障害の人と 付き合うときは、

 適度な距離を保ち、 深い感情移入を 避けることが必要です。

 親密な関係になると、 逆説的な反応が起こってきます。

 トラブルが起きても、 決していさめようとしたり、

 闘おうとしてはいけません。

 頭を下げて、 法的な力に 助けを求めることです。

 関わるのが逃れられない場合は、 中立的な立場を維持し、

 目立たない存在で あり続けるのが賢明でしょう。

 偏執的なエネルギーというものは、

 抵抗勢力がなくなると 案外萎えてしまうものです。

 相手を力によって 支配しようとしても、 心を支配することはできません。

 逆に 相手の気持ちを 尊重しようとすれば、

 求めなくても 周囲から大切にされるでしょう。

 それがこの障害の 回復へのポイントです。


 このタイプの人が示す、 他人の言動の裏まで 読み取ろうとする傾向は、

 他者の気持ちを 鋭敏に察知し、 気配りする能力に通じます。

 実際、 交渉や政治的な駆け引きに 長けていることがあります。

 法曹関係や役人, 管理職, 政治家に向いています。

 妄想性パーソナリティ障害の人の 権力指向は、

 父親に愛されなかった、 あるいは 恐れていたことに由来しています。

 愛という 不確かなものの代わりに、

 秩序や階級, 法というものに 関心を示すのです。

 非常に 反抗的にもなりますが、 強い忠誠心を抱きます。

 仕える相手を 間違わなければ、 ひとつの長所となり、

 厚い信頼を勝ちえます。

 妄想性パーソナリティ障害が回復して、 バランスを取れるようになった

 「妄想性パーソナリティ・スタイル」 については、 下記をご覧ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48153669.html

〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書) より 〕
 
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妄想性パーソナリティ障害 (2)

2008年11月26日 22時38分28秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
(前の記事からの続き)

 硬さと傷つきやすさも 妄想性パーソナリティ障害の特徴です。

 柔軟性がなく 冗談も通じません。

 些細なことで 攻撃されたと受け取り、

 プライドを傷つけられて 怒りを感じ、 執念深い 怨みを抱きます。

 妄想性パーソナリティ障害の人は 人生の中で必ず、

 人間の恐ろしさというものを体験し、 不信感の原点となる 体験をしています。

 屈辱的な体験や 虐げられた体験が 影響していることも多いのです。

 また、 過度な秘密主義でもあります。

 プライベートなことや 出自に関することに過敏で、

 はっきりした答を避けます。

 愛情を信じられないため、 権力や力で 人間関係を理解しようとします。

 権力者に 妄想性パーソナリティ障害が多い とも言われます。

 絶対権力を手にした 万能感と、

 裏切りによって 失脚する不安が 心を蝕んでしまいます。

 独裁者や ワンマン経営者だけでなく、

 カルト教団の教祖が 妄想性パーソナリティ障害であることもあります。

 麻原彰晃がそうであったと 言われています。

 しかしながら、 このような 危険な人物ばかりではありません。

 多くの 妄想性パーソナリティ障害の人は、 とても律儀で、

 責任感が強く、 きちんとしています。

 強い 「秩序愛」 を持っており、 家族を大事にします。

 しばしば 気分の波を伴い、

 行動的な時期と 意気消沈して反省的になる 時期があります。

 人の目を 過剰に気にし、 評価してくれる人がいると 能力を発揮しますが、

 非難を受けると 迫害されたように 思い詰めてしまいます。

 対人的な不信感から、 人付き合いを避けて 引きこもること少なくありません。

 こうした傷つきやすさは、

 幼いころの不遇な体験に 根ざしていることが多いものです。


〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書)
  「人格障害の時代」 岡田尊司 (平凡社新書) より 〕

(次の記事に続く)
 
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小泉毅容疑者が 妄想性人格障害? 

2008年11月25日 23時23分15秒 | BPD,パーソナリティ障害の書籍から
 
 元厚生次官を殺害したという 小泉容疑者が、

 妄想性人格障害だと言う 人がいるようです。

 こういう事件があるたびに、 専門家が直接 診察したわけでもないのに、

 どうしてTVなどで こういうことを軽々しく 公言するのでしょう。

 パーソナリティ障害への偏見を 助長するばかりです。

 本当に発言には 慎重になってほしいと思います。


 この機会に、 妄想性パーソナリティ障害について 書いてみたいと思います。

 妄想性パーソナリティ障害は  「人を信じられない障害」 と言えます。

 常に 裏切られるのではないかという 猜疑心に駆られています。

 彼にとって 人と親しくなるということは、

 疑いと苦しみの 始まりでもあります。

 多くの場合は 生真面目で 引っ込み思案だったりしますが、

 攻撃的な行動に 出てしまうこともあります。

 親しい人を 信用できないため、

 監視したり 行動を全て把握したいという 衝動を覚えます。

 パートナーが いつか裏切るという 確信を持っていて、

 詰問したり、 浮気の証拠をつかもうと 躍起になります。

 その結果 関係が悪くなり、 本当に相手が 離れていってしまったりします。

 愛情と憎しみが 表裏一体で、

 境界性パーソナリティ障害や 自己愛性パーソナリティ障害以上に

 執拗なストーカーになる 場合もあるといいます。

 人口の0.5~2%に 見られるといい、 決して稀なものではありません。

 妄想性パーソナリティ障害の人は 孤独で傷つきやすく、

 人に心を開くのに 臆病です。

 しかし一旦 心を開き始めると 執着し、 相手を独占したくなります。

 根拠の薄い思い込みが 裏切られると、 今度は 逆恨みに向かってしまいます。

 殺すなどと強迫し、 本当に 実行に移されてしまうこともあります。

 自分が 迫害されている被害者だと 思う故に、

 加害的な行動に 出てしまうのです。

(次の記事に続く)

〔 「パーソナリティ障害」 岡田尊司 (PHP新書) より 〕
 
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「ジャン=クリストフ」 および 友人との出会い

2008年11月24日 22時27分17秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕は20代の中頃、 マンガ家を目指して、

 あるマンガ同人誌に加わり、 自分の創作を 模索していました。

 当時 僕はマンガ同人誌とは 別の場で、

 ある天才的な友人の 影響を受け、 特殊な芸術観を 構築していきました。

 同人誌のメンバーは皆 僕より年少でもあり、

 その価値観は 彼らのそれとは 異なっていました。

 しかし当初は、 僕はメンバーに影響も与え、

 仲間として数年間 親しく活動していました。

 恋愛もありましたが、 そのうちメンバーとは 次第に隔たりが大きくなってきて、

 厳しい批判も受け、 軋轢が増していきました。

 傾倒した友人の芸術観は、 高度で難解であり、

 あまりに特異な 世界であったのです。

 二人の女性に 恋愛を抱きましたが、

 特に二人目の女性は 僕とは全く 別の世界の人でした。

 やがて 痛ましい失恋が訪れて、 僕は 自分の創作観も否定され、

 それまでの 自分の全ての価値観が 崩壊して、

 生き地獄へと 落ちていったのです。

 価値に生きる人間が、 「価値そのもの」 を 失ってしまったとき、

 その苦悩は 奈落の底を 遥かに超えています。

 そして、 最も理解してほしい人に 理解されないこと、

 それは人間にとって 最大の苦しみです。

 ボーダーの人が、 愛する人の愛を 得られない苦痛と 通じるでしょう。

 そんな 阿鼻叫喚のなかで出会ったのが、 同じアパートの 友人の存在と、

 ロマン・ロランの 「ジャン=クリストフ」 でした。

 「ジャン=クリストフ」 は、

 ベートーヴェンをモデルとした 天才音楽家・ ジャン=クリストフの、

 苦悩と歓喜の 生涯を描いた ノーベル文学賞作品です。

 クリストフの挫折と苦悩は、

 まさしく 当時の僕のそれと 全く同じものでした。

 友人は、 「ジャン=クリストフ」 は

 ロマン・ロランが 僕のために書いた小説だ と言ってくれたほどでした。

 そして アパートの友人は、 苦しみもがく僕の 出口のない話に、

 毎晩毎晩 何時間も一生懸命 耳を傾けてくれたのでした。

 そのことによって僕は、 地獄の底から 長い時間をかけて ようやく這い上がり、

 やがて 豊饒なものを 育んでいくことができたのです。

 少々長くなりますが、

 当時の僕の日記や  「ジャン=クリストフ」 などからの抜粋で、

 僕が歩んできた 茨の道と、 そこから体得していったものを 綴っていきます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56858392.html
 
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無差別殺傷衝動は 僕にもあった……

2008年11月23日 14時05分45秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
 「 元厚生次官を殺した 」と、 男が警視庁に 出頭してきました。

 この男が 本当に犯人か、何かに対する 怨みが動機なのか、

 まだ分かりませんが、 6月の秋葉原での 無差別殺傷事件が彷彿させられます。

 秋葉原の加害者は、 自分の不運な境遇や、

 周囲から疎外されたことに対して、 社会全体への怨みを 募らせていきました。

 孤立が あまりに高まると、 直接の引き金は 身近な出来事だったとしても、

 怒りや憎しみの対象は 不特定多数の世の中に なっていってしまいます。

 自分対社会という 対立の構図になってしまうのです。

 実は僕は、 この加害者と 同じような感情を 抱いたことがあります。

 道行く人を、 無差別に殺傷したい という衝動を……。

 それは 僕が27才のときのことでした。

 拙著 「境界に生きた心子」 でも 少し触れましたが、

 僕は人生最大の 挫折の危機にあり、 泥沼の底を のたうち回っていました。

 失恋と 創作上の価値観の崩壊が 相まって、

 それまで自分を支えていた 全てを失い、

 苦しみと憎しみに 長いあいだ 責め苛まれていたのです。

 苦悶のあまり 胸が押しつぶされて 呼吸もままならず、

 一刻も早く この場からいなくなりたい, 存在をなくしたい

 という欲求に駆られました

 道の両側の建物が 赤錆びた廃墟となって、

 僕にのしかかって来る 妄執に襲われます。

 街を歩いている 人間たちは、 無機質の塊のように 感じました。

 正に 異常な精神状態でした。

 自分がこれほどまで 苦しんでいるのに、

 安穏と過ごしている 人間たちを見ると、 激しい憎悪が 沸き上がってきました。

 道ですれ違う人 (塊) を 殺傷したいという 恐ろしい衝動と、

 僕は 闘わなければなりませんでした。

 実際に刃物を手にして 実行するには まだ距離があったものの、

 その妄動を 僕は現実に抱いたのでした。

 上記の加害者が、 僕ほど異様な 地獄の中にいたとは 思えませんし、

 彼らの行為は 言うまでもなく 決して許せない犯罪です。

 しかし、 不特定多数の人間に対する 殺意というのは、

 僕には 理解できてしまうのでした。

 この機会に 当時の僕の体験を、 今日から 書いていってみようと思います。

( 昔、あるセミナーで発表したときの 原稿を元にしています。 )

(次の記事に続く)
 
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TBS 「境界性人格障害」 を見た ボーダーの人の感想

2008年11月22日 21時23分28秒 | ボーダーに関して
 
 11月8日の TBS 「報道特集NEXT・ 境界性人格障害」 を見た、

 ボーダーの人が書いたブログを たまたま見つけました。

 記事を読んで 目頭が熱くなりました。

 ボーダーの方本人の 心の叫びを聞き、 周りの人間には知り得ない

 ボーダーの人の 本当の気持ちを 知ったような気がします。

 「私を理解しろ」 「育ちすぎた赤ん坊」 など、 胸に迫る言葉です。

 「ボーダーの人が パニックを起こしたときは、

 逃げた方が 本人も早く落ち着く」

 「人の目があるほど 張り切ってしまう」 ということも、

 そういうものかと思わせられます。

 下記のURLなので、 ご覧になってみてください。

http://nekotamahime.blog55.fc2.com/?no=22

 ボーダーの人は 落ち着いているときは 客観的に自分を見つめ、

 人のためを考えているものです。

 それだけに パニックを起こしてしまったときの 自分を嫌悪し、

 本当に治りたいと 願っているのでしょう。

 僕の知るボーダーの人は 純粋で、 真摯な人が多いです。

 そういうことが理解されていけば、

 ボーダーの人に対する 誤解も薄れていくのでしょうが。
 
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法相 サインの重責 -- 死刑執行の現実 (10)

2008年11月20日 20時36分48秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の日記からの続き)

「 裁判記録は熟読したが、 目を通す前から、

 死刑執行命令書に 判を押さないと決めていた」

 91年、 佐藤恵元法相は、 真宗大谷派の住職でした。

「 仏教の教えからも、

 生まれてきた人の命を 勝手に絶つことは許されない 」

 一方、 同じ浄土真宗の 陣内孝雄元法相は、

 99年、 3人の死刑囚の 執行命令書にサインしました。

 3人とも 殺人を犯して服役し、 仮出所中に再び 人の命を奪ったのです。

「 被害者は どんなに怖かっただろう。 法秩序を守るためだ 」

 執行の数日後、 陣内法相は妻と共に 築地本願寺を訪ね、

 被害者と死刑囚の 供養をしたといいます。


 戦後、 死刑の執行は、76年まで 年間10人を超えていました。

 しかしその後 92年までは、 年平均1.4人という 時期が続きました。

 70年代末、 死刑囚の再審開始が相次ぎ、

 死刑制度を疑問視する 声が強まったのです。

 特に 佐藤元法相を含む 89~92年は、

 死刑執行のない 空白期間となりました。

 93年、 後藤田元法相は、

「 法相が責任を回避したら 国の秩序が揺らぐ 」として、 執行を再開しました。

 ただし、 反対論もあるため、 法相が国会で 説明に追われずに済むよう、

 国会開催中の執行は 避けられました。

 前任の鳩山元法相は、 国会の状況を問わず、

 ほぼ2ヶ月に1度のペースで 計13人の執行を命令しました。

 その都度、 執行対象者の氏名を公表し、 記者会見を開くようになりました。

 7ヶ月後には 裁判員制度の施行が迫っています。

「 死刑について 裁判員に 的確に判断してもらうには、

 刑の執行を 透明化しなければならない 」

 保岡前法相は そう指摘しています。

〔読売新聞より〕

(以上)
 
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ボタン押す重圧 -- 死刑執行の現実 (9)

2008年11月19日 22時13分46秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 退官した ある刑務官は、

 自分が関わった死刑執行を 鮮明に記憶しているといいます。

 薄暗い 3畳ほどの狭い部屋、

 コンクリートの壁に 赤いボタンが5つ並んでいます。

 壁の向こうは刑場です。

 5つのボタンのうちどれかが、 刑場の踏み板に連動しています。

 頭上の赤いランプが 点灯し、 「押せ」 と 看守部長の声とともに、

 親指で思い切り ボタンを押し込みました。

「 使命を果たせた という思いとともに、 緊張が解け、 力が抜けた 」

 執行命令書にサインする 法務大臣以上に、 刑務官はつらいでしょう。

 執行に伴う 刑務官の特殊勤務手当は 2万円だそうです。

 事前に幹部が、

 ひとつのボタンの回線を 踏み板につなげる 作業をしておきます。

 どのボタンなのかは 墓場までの秘密です。

( ボタンの数は 拘置所によって異なります。 )

 執行当日は 10人ほどの刑務官が 選ばれます。

 ボタンを押す役のほか、 死刑囚を 独房から刑場に 連れてくる役、

 踏み台の上に 立たせる役などに分かれます。

 一人の刑務官は、

 死刑囚が落下した反動で 揺れるロープを 両手で握りしめる役でした。

「 さっきまで生きていた人が 目の前で亡くなる。

 ショックでした」

 執行に関わったことを、

 同僚や家族にさえ 話せないという刑務官は 多くいます。

「 妻に話したら、妻はどんなに ショックを受けるだろうと思うと、

 とてもその勇気はない。

 今の小さな幸福を 守るために、 絶対 妻に秘密にしておきたい 」

 元所長を務めた 刑務官は、

 刑場に入ってきた 死刑囚に、 自ら 「今から執行します」 と 告げました。

「 刑務官として働いた 40年間で、 あれほど 重圧がかかったことはない 」

 その死刑囚の命日には、 自宅の仏壇に向かって 手を合わせます。

 刑務官の苦悩は大きいが、 誰かが やらなくてはいけない仕事だと、

 今も信じている といいます。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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教誨 物心両面に負担 -- 死刑執行の現実 (8)

2008年11月18日 22時56分27秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 教誨師を30年以上務めた 僧侶は、

 執行直前の教誨をして 死刑囚と別れたあと、

 閉じられたカーテンの奥から  「ガタン!」 という音を 聞きました。

 その日の夜は、 動揺を抑えられなかったそうです。

「 被害者の不幸は悲しい。

 しかし、そのために何故、 加害者が死ななければならないのか 」

 宗教家として 命の尊さを説いているのに、

 死刑執行の一端を担う ジレンマを感じる 教誨師は少なくありません。

「 執行の日は 心が重すぎて 一人でいられず、

 拘置所から帰ると、 教会の人たちに 一緒にお祈りをしてもらう。

 本当は 教誨師をやめたい 」

 真言宗大谷派は 1998年、

 死刑は 宗派の教義に反するという 見解を発表しました。

 しかし 仏教系のある教誨師は、

「 死刑となる人に向き合い、 罪を自覚できる 内面を育てるのが 我々の仕事。

 死刑への疑問を 口にするべきではない 」と 自戒します。


 教誨師に負わされるのは 精神的負担だけではありません。

 経済的負担も のしかかります。

 犯罪被害者の気持ちを知るためなどの 研修会を開くと、

 何百万円もの持ち出しに なるといいます。

 刑場に置かれている 仏像の修理費100万円は、

 教誨師たちが出し合いました。

 国が活動費を支給している 保護司とは対照的です。

 教誨師に対する 国の支出は 交通費のみで、 年間約6600万円。

 一方保護司は 年間58億円です。

 しかし国には 政教分離の原則があるため、

 国が関与することは 難しいといいます。

 最近の拘置所職員は、 国は宗教を 押しつけられないとして、

 死刑囚に教誨を 熱心に勧めないそうです。

 死刑囚が急増しているわりに、

 教誨を受けるケースは 増えていないということです。

 後継者難も深刻化しています。

 国が真剣に考える時期に 来ているのではないでしょうか。

〔読売新聞より〕

(次の日記に続く)
 
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刑場まで付き添う 教誨師 -- 死刑執行の現実 (7)

2008年11月17日 22時47分21秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56587880.html からの続き)

 恨みに駆られて、 複数の命を奪った 凶悪犯。

 聖書を片手に 年老いた教誨師 (きょうかいし) は、

「 復讐はいけない 」と 語りかけました。

「 それが分かっていれば、 ここにいないはずだけど…… 」

 悔いを見せる死刑囚。

「 犯行の前に、 キリスト教に出会っていたら 」

 教誨師は 残念でなりませんでした。

 執行直前、 ある死刑囚は いきなり教誨師に抱きついてきました。

 体の震えが伝わってきます。

 教誨師は、 暗記してきた最後の言葉を かける余裕はなかったといいます。


 拘置所の死刑囚は、 希望すれば 月1回ほどの 個人教誨を受け、

 穏やかな心境で 死を迎えようとすることができます。

 ある教誨師は 明かしました。

「 刑務所の受刑者は 更生という希望がある。

 でも 拘置所に向かうときは、

 その希望がない 死刑囚のことを考えて 気が重くなる 」

 死刑確定者の 心の平穏を保ちつつ、 罪の重さを省みさせるのは、

 刑務官だけでは難しく、 宗教の助けが 必要なこともあります。

 教誨師の役割は 大きいといいます。


 豊島区の 霊園の片隅に、 ひっそりと立つ 東京拘置所の納骨堂。

 遺族が引き取りを拒んだ 死刑囚の遺骨が 納められています。

「 許されない罪を 犯した人であっても、

 せめて執行のあとは 他の霊と同じように 弔ってあげたかった 」

 引き取り手のない 遺骨を持ち帰り、

 自身の寺や教会の墓地に 葬る教誨師もいるそうです。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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まとめ -- TBSで境界性人格障害の特集 (8)

2008年11月15日 21時49分22秒 | ボーダーに関して
 
(前の日記からの続き)

(以上でビデオは終わり、 スタジオでのトーク)

重松 「本当にショッキングだし、 社会の常識から 逸脱した行動も多いが、

 彼女たちの一番訴えたい 心の悲鳴は、

 そのショッキングなところに 現れていると思う。

 そこから目をそらしたり、 彼女たちを否定すると、

 わがままだとかいうことになってしまう。

 心の闇という 言い方があるが、 そう言っているうちは 孤立するだけ。

 本当に病気なんだと捉えて、 専門的な治療を 受けなければいけないと思う。

 感情の起伏が激しいから、

 それに全て 付き合ってしまうと、 周りまで大変になってしまう。

 無理をせず、 できる範囲で 気長に考えることだと思う。

 一人ぼっちではなく、 周りとのネットワークが大切。

 そこから変わっていく。

 人間関係を 広げていってほしい 」

〔 以上、 TBS 「報道特集NEXT」 より 〕
 
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家族会 -- TBSで境界性人格障害の特集 (7)

2008年11月14日 22時43分47秒 | ボーダーに関して
 
(前の記事からの続き)

 助けを必要としているのは、 患者ばかりではない。

 自殺をほのめかす我が子に 苦しむ家族を救おうと、

 7年前、 神奈川に 家族会が結成された。

患者の父親 「言い方は悪いけど、 この子がいなくなったら 自分も楽になる。

 どっかにそういう気持ちが ふと湧いてくることがある。

 一緒に死ねば 楽になる 」

 孤立する家族が集まり、 互いの苦悩を 分かち合うことで、

 ほんのひとときだが 救われる。

患者の母親 「娘が 『死ぬ!』 と言って 暴れたときに、

 『じゃあ 一緒に死のうか』 と言ったら、

 娘が 『死にたい』 と 言わなくなった。

 私たちが ふらふら動揺していると、 子供たちは ますます動揺する 」

 家族会をサポートする 看護師は、

 親が 一人で抱え込まないことが 大切だと指摘する。

看護師 「他人に話せないと、 気分的には どんどん視野が狭くなる。

 話す場所は あったほうがいい。

 それで 親が変わることで、 子供も変わっていく 」


 リストカットに苦しんでいた 愛知県の麗さんから、 突然の連絡が入った。

 大量の薬を 飲んだのだという。

 幸い 命に別状はなかったが、

 服薬から 丸1日たっても、 意識が朦朧としている。

 麗さんが 大量服薬したのは6度目。

 薬の量は これまでで最も多く、 200錠を超えていた。

 母親は 朝早く仕事に出たため、 発見が遅れた。

麗 「とにかく ゆっくり寝たかった。

 何も考えたくなかった 」

 境界性人格障害の治療には 時間が必要だ。

 その間、 家族や友人が無理をせず、

 できる範囲で 患者と関わり続ければ、症状が改善することも あるという。

〔 TBS 「報道特集 NEXT」 より 〕

(次の記事に続く)
 
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