「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

ユングの連想実験(3)

2006年01月31日 19時41分43秒 | 心理
 
 ユング心理学は一般に理解しにくかったり、証明できないものが多いと言われますが、この連想実験は珍しく反応時間の数字として実証できるものです。

 再生実験でも、反応の乱れがあった単語では答が違っていたとか、客観的な形で示すことができます。

 しかしこの連想実験は、安易に友達などにやってはいけないとされています。

 被験者が抑圧しているものや、否定的な感情が容易に分かってしまうからです。

 でも自分の心のことを知りたいという人は、信頼できる人にちょっと試してもらうくらいなら構わないそうです。

 自分自身が気付かなかったことや、自分の中にはコントロールできないものがあるというのを知るのは、意味のあることでしょう。

 ユング心理学は、自分の無意識に気付いてそれを意識化し、人格の統合を目指して、人間的に成長していくことを求める「思想」でもあるのです。
 

[ユング心理学研究会
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/Index.htm ]
 
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ユングの連想実験(2)

2006年01月30日 20時10分46秒 | 心理
 
 反応の乱れが起こるのは、その単語に対して被験者が何か特別な感情(それも抑圧された否定的な感情)を抱いているからではないか? 

 その感情を刺激されるために反応が乱される、そうユングは考えたのです。

 例えば「父親」という単語を示されたとき、父親を憎いと思っている人だと、混乱して何と答えていいかうろたえたり、「憎い」という言葉をなかなか言えずに黙ってしまったりするのです。

 そう言われてみれば確かに当たり前のことなのですが、これはコロンブスの卵的な着眼でした。

 そしてユングは連想実験によって、その人が抑圧しているものを知ることができると見抜いたのです。

 それは、単なる知能検査だった連想実験に対する、ユングの天才的な発想の転換でした。
 

 さらにユングは、「再生実験」というものを行ないました。

 最初の100個の刺激語と同じ単語をもう一度被験者に示し、さっきと同じ答を言ってもらうものです。

 意外に思われるかもしれませんが、普通の人は1回目の答を99%覚えていて、すぐに答えられるそうです。

 ところが、反応の乱れがあった単語に対してはほとんど覚えていないのです。

 一見逆に思われるかもしれません。

 時間をかけたから印象に残るのではないかという気がしますが、実際には思い出せなかったり、非常に時間がかかったりします。

 人間は感情的になったときのことをよく覚えていないからです。

 冷静なときのことは覚えていても、感情が乱れると記憶に残りにくいのです。

 人間の心の不思議さですね。

(続く)
 
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ユングの連想実験(1)

2006年01月29日 19時34分03秒 | 心理
 
 僕は「ユング心理学研究会」という所に参加しています。

 日本に初めてユングを紹介した林道義先生の流れを汲むものです。

 林先生は、数年前ベストセラーとなった「父性の復権」の著者でもあります。

 「ユング心理学研究会」では今年の前半、「ユングと臨床」というテーマで毎月セミナーを行ないますが、4月には僕が「境界に生きた心子」を演題に話をすることになってしまいました。 (^^;)
 

 さて、ユングは「夢分析」や「無意識」などで有名ですが、オカルトまがいに取られたり、難解なため日本では誤解されていることが多いものです。

 でも実証されにくいユング心理学の中で、唯一客観的な証明ができるものに「連想実 験」というものがあります。

 連想実験は元々心理学にあったテストで、ある単語(刺激語)に対して被験者が連想する言葉を言い、答えるまでの時間の速さで知能検査をするものでした。

 100個の刺激語に対する反応時間の平均を取り、早いほど知能が高いとされます。

 ところが中には、何らかの単語に対して反応時間が異常に長くかかってしまうことが起こります。

 ひとつでもこういうことがあると平均時間が長くなってしまい、正しい知能が判断できません。

 これは「反応の乱れ」と言われて、学者たちはその処理に困っていました。

 しかしユングは、知能検査のための平均時間よりも、何故反応の乱れが起こるのか、ということのほうに注目したのです。

(続く)

[ユング心理学研究会・セミナー日程
http://www002.upp.so-net.ne.jp/u-jung/page9/page9.htm ]
 
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「風と共に去りぬ」

2006年01月28日 19時15分58秒 | 映画
 
 友達と「風と共に去りぬ」(デジタル・ニューマスター版)を観てきました。

 66年の歳月を経た現在観ても、印象的なシーンの数々、絢爛(けんらん)たる名作に変わりはありません。

 さすがに映画技術として古く感じてしまう部分があったとはいえ、全体的にはやはり壮大な人間ドラマです。

 今回が4回目の鑑賞でしたが、4時間があっと言う間に過ぎ、前よりも感動しました。

 最初はわがままばかり言っていたスカーレットですが、逆境にこそ強くなる彼女の生命力には打ち震えるようなものを感じます。

 彼女に感化されてか、メラニーも後半は相当強くなっていきます。

 生きるためには盗みやだまし,人殺しさえも辞さないという、スカーレットの悲壮な覚悟。

 愛や正義のためなら命も捨てるという生き方の対極ですが、どちらが人間的と言えるでしょう。

 きざなバトラーの強靱なダイナミズムにも惹かれます。

 作品の中で魅力的な人物と、現実に自分の隣にいて素敵な人とは別ですが、スカーレットとバトラーは似たもの同士の二人ですね。

 強い意思を道連れに歩んでいく二人は、映画が終わったあとも、生きる限りドラマを展開していくのでしょう。
 
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「スタンドアップ」

2006年01月27日 20時38分12秒 | 映画
 
 昨日の「博士の愛した数式」に引き続き、またまた上映後客席から拍手が起こった映画です。

 久々に骨太の感動を味わいました。

 炭鉱で働く女性ジョーシー。

 彼女らに対する性的迫害や偏見などと闘う主人公を、シャーリーズ=セロンが熱演します。

 前作「モンスター」で、女性連続殺人犯という難役に、美貌を捨て去り体重13㎏増やして挑んだシャーリーズ=セロン。

 今回も炭鉱という男の世界で、身も心も泥まみれになりながら体を張って立ち回りました。
 

 暴力夫と別れ、二人の子を育てるために、炭鉱で働き始めたジョーシー。

 しかし男社会の象徴とも言えるような炭鉱では、数少ない女性労働者は色眼鏡で見られ、屈辱的なセクハラや差別に苦しめられます。

 ジョーシーは組合に、そして裁判に訴えますが、同僚の女性たちさえも更なる迫害を恐れて、証言を拒み、ジョーシーから離れていきます。

 無理解や蔑視のなか孤立無援で争うジョーシーは、封印していた過去の深い傷まで暴かれることになってしまいます。

 しかし本当の強さとは、自分の弱さを認めるところから出てきます。

 ジョーシーのひたむきさに心を動かされた仲間たちが、一人、また一人と、「スタンドアップ」していくのでした。

 お涙頂戴ではなく、人の汚さや愚かさをも見据えて克服していく姿に、深い感銘を禁じ得ません。

「私なんか、と何度も思った。
 お前なんか、と何度も言われた。
 それでも、立ち上がってみようと思った。」

 この映画のコピーが心に残ります。
 
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「博士の愛した数式」(2)

2006年01月26日 14時28分41秒 | 映画
 
 博士が杏子とルートに語る、美しい数字の世界の話です。

 友愛数,完全数など、僕たちが学校では習わなかった、とても興味深い性質の数字を教えられました。

 杏子の誕生日2月20日の「220」と〔*注〕、博士の記念の時計の番号「284」。

〔*注:ちなみに、心子の誕生日は1日違いの2月21日です。

 この日は「境界に生きた心子」の発刊日でもあります。〕

 それぞれの約数(その数自身を除く)を足してみると、

 220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284

 284:1+2+4+71+142=220

 神秘的なえにしに結ばれたお互いの数字、これを「友愛数」と言うそうです。

 極めて稀にしか存在しない、貴重な繋がりの組み合わせです。
 

 それから、約数を足すとその数自身になるという数字を「完全数」と言うそうです。

 最小の完全数は6です。

 6の約数を足すと、1+2+3=6 になります。

 次に小さい完全数は28。

 約数:1+2+4+7+14=28

 それは博士が大ファンである、江夏豊投手の背番号でもあります。

 さらに完全数は、1から始まる連続した自然数の和になります。

 6=1+2+3

 28=1+2+3+4+5+6+7

 美しいですね……。

 見事に自己完結する「完全数」。

 完全な人が滅多にいないように、完全数も30ほどしか発見されていないといいます。
 

 また、「素数」は1とその数自身以外に約数がない、他と比べることができない孤高の数字です。

 この「博士の愛した数式」も、他に似たものがない、素数のような映画と言えるのでしょう。
 
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「博士の愛した数式」(1)

2006年01月25日 21時59分22秒 | 映画
 
 原作は小川洋子「博士の愛した数式」(新潮社)

 交通事故で頭を怪我し、それ以後のことを覚えられなくなってしまった数学の博士。

 事故以前のことは全て覚えていますが、新しいでき事に対する記憶は80分間しかもちません。

 博士の人生の記憶は事故の時点で止まり、それ以降に体験したことは、80分経つとなかったことになってしまうのです。

 自分は記憶ができないということさえも記憶できません。

 過去の記憶を失う「記憶喪失」を「後方性健忘」と言うのに対して、「前方性健忘」と言われるものです。

 博士の家政婦となった杏子と、その10才の息子√(ルート)の、3人の間に織りなされる優しい時間の物語です。

 毎日訪問してくる杏子やルートは、博士にとっては常に初対面。

 毎回同じ挨拶や会話が繰り返されますが、杏子はいつも笑顔で受け答えます。
 

 博士が語る不思議な数式の魅力にいざなわれながら、3人はたおやかな時を過ごしていくのです。

 子供が好きで、無機的な数字に人間味あふれる価値や解釈を与える博士の心。

 新たな体験が積み重ねられることのない博士にとっては、常に「今」が全てでした。

 杏子が料理をする姿を眺めたり、野の草をつんだり、野球に興じたり……。

 それは杏子とルートにかけがえのない、温かい日々として刻み込まれていきます。

 そしてやがて、かたくなだった博士の義姉の心をも開いていきました。

 映画ではそれが象徴的な、胸に迫るシーンで描かれます。
 

 普通映画の基本は、ファーストシーンから始まってエピソードを積み上げていき、次第に盛り上がってクライマックスで最高潮に達して、一挙にカタルシスを迎えます。

 けれどもこの映画の構成はとてもゆるやかで、穏やかなのです。

 映画的に構築されたシナリオではありません。

 でも映画を見終わったとき、僕はふと気付いたのでした。

 この映画は、そのとき、そのときを、しっとりとつづり上げているのだ。

 エピソードの組み立てによってラストを導くのではなく、常に「今」を精一杯味わうことが大事なのだと……。


 上映終了後、会場のどこからともなく拍手が沸き起こりました。

 日本では珍しいです。

 80分しか記憶がもたない博士の映画は、僕の記憶にずっと残りそうです。

(続く)
 
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「ジャーヘッド」

2006年01月24日 20時27分40秒 | 映画
 
 1月17日、心子の祥月命日は、15年前に湾岸戦争が始まった日でもあります。

 今年のこの日、湾岸戦争を描いた映画「ジャーヘッド」の試写会が開かれました。

 湾岸戦争に実際に出兵した一海兵隊員が、戦場での実体験を記したノンフィクションを原作にした映画です。

 一兵卒の目線から描く、今までにない戦争映画でした。

 ヒーローもおらず、敵と闘うことも派手な爆撃シーンもなく、狙撃兵である主人公は、結局敵に向かって一発も弾を撃つことはありませんでした。

 それが戦争の現実です。

「戦場の兵士たちの恐怖と退屈、孤独と猥雑と絶望を描ききった、戦争文学の最高峰」
(ニューヨーク・タイムズ)
 

 開戦した当初、兵士たちは次々と砂漠の戦地に送り込まれてきますが、目の前に敵の姿や実戦はなく、何十万人もの兵隊が百数十日も砂漠で過ごします。

 劇的な武勇伝も、熱き戦友の友情物語もありません。

 国に残された妻が不倫現場のビデオを夫に送ってきて見せつけたり、焼死したイラクの民間人に屍姦する兵士もいます。

 戦闘によって発散されないエネルギーが内に向かって爆発するのです。

 それがまた戦争の空しさを浮き彫りにします。

 大軍が砂漠に長期間駐留するだけで、一体どれほど巨額な軍事費が無駄遣いされていることか。

 しかし非日常の軍隊の場、苛酷な訓練やしごき,兵士同士の喧嘩やいじめなど、様々なトラブルや事件などがしょっちゅう起こります。

 敵が逃げたあと油田に放火したため、天をつく火柱が立ちのぼって油の雨が降ってきたり、とても通常では経験しないような時空間です。

 けれども戦争が終わって帰国すると、兵士たちは再び平凡な日常に戻るのです。

 ただし戦場での現実離れした経験は、体に染みついていつも消えないと言います。

 ノンフィクションが原作のフィクション映画ですが、一級のドキュメント映画を観るような思いでした。
 
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ストーブとクーラーの想い出

2006年01月22日 20時31分15秒 | 心子、もろもろ
 
 夏はクーラーを、冬はストーブを、なるべく使わないようにしているσ(^^;)です。

 光熱費の節約にもなりますが、できるだけ人工の力を借りないほうが、体の抵抗力や自然な体温調節の力が付きます。

 お陰で近ごろ風邪をひいていません。

 以前は冬もコタツだけで頑張ったりしていました。

 でも心子は暑いのも寒いのも、どちらも苦手でした。

 彼女と部屋で過ごすようになった冬、押し入れにしまっていたストーブを出してきました。

 付き合うようになる前、ストーブのないこの部屋に彼女も夜いたことがありましたが、そのときは我慢していたのでしょうか、何も言いませんでした。

 でも僕がストーブを出すと、彼女は泣いて喜んで、炎の前に手をかざしていました。

 ストーブに「あったか君」と名前を付けて、嬉しそうにあったまっていた彼女でした。(^^;)


 夏のクーラーで心子を思い出すのは、卓上コンロのカセットガスボンベですね。

 ボンベが空になったので穴を空けて中のガスを抜きましたが、うっかりそれを作動中のクーラーの前でやってしまいました。

 ボンベの残りのガスがクーラーの風に乗って彼女の所へ。

 彼女は「カナリア」と言われるほど鼻が良く〔*注:〕、わずかな臭いでも敏感に反応してしまうのです。

「マー君て、いつまでたっても気がきかないね……」

 またもや痛いところを突かれてしまったものです。(・_・;)

〔*注:彼女のバイトを探していたとき、「臭気判定士」というのを考えたことがありました。

 住環境などで臭気の判定を行なう国家資格ですが、問い合わせてみると、判定士自身は嗅覚に優れている必要はなく、測定したデータなどを扱うという仕事でした。〕
 
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高橋尚子の言葉

2006年01月21日 20時37分38秒 | 「境界に生きた心子」
 
 女子マラソンの高橋尚子が怪我で走れなかった時、高校の恩師の先生が教えてくれたという言葉があります。

『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ。やがて大きな花が咲く』

 誰の人生でも沈み込むことがあります。

 でもそういう時こそ大事であり、きっとまた花を咲かせることを信じたいと思います。

 心子が引きこもっていた時に、メールで伝えたことのある言葉でした。


 はばかりながら、拙著「境界に生きた心子」に書いた文章も引用させてもらいます。

 僕がかつて精神的な大挫折をした体験の中から見出してきたものです。

『最も苦しいとき、誰にも見えない所で、誰にも分からない豊饒なものが、暗黙のうちにうごめいている。

 日も当たらない地べたの底に埋もれた種は、いつしか芽吹く日のため人知れず息づいているのだ。

 人は、苦しいときこそ真に豊かなのである。』
 
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あとがき(3)

2006年01月20日 20時38分49秒 | 「境界に生きた心子」
 
 苦しみのない人生は、人生の名に値しない。

 涙のない人生は、生きるに値しない。

 笑顔がなくては生きていけない。

 心子はそれらを一心に刻み込んでいったのである。

 心子は、小さいけれども、深く重い足あとを、くっきりと、いくつも残していった。

 この足あとを誓って消すことなく、いかにたどっていくか、それは僕が与っている務めだと思う。

 我々の心神のテーマを見つめ、愛情というものがどんなに大切であるかを知り、実践していくことが、心子の命に応えることになるだろう。


 僕の部屋には今、父母の遺影の隣に心子の笑顔が並んでいる。毎朝三人に手を合わせ、お祈りをするのが日課だ。

 月に一度、心子の墓前へ会いに行くのも楽しみな習慣になっている。

 今は穏やかに、平和に暮らしているだろう心子に、この本を捧げたい。


 二〇〇四年十月

                                稲本 雅之
 
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あとがき(2)

2006年01月19日 15時45分56秒 | 「境界に生きた心子」
 
 心子をはじめ、表面的には解しにくい境界例の人の内面を思いなしていただけるよう、境界例について解説の章を巻末に設けた。

 しかし境界例全般に渡る説明は素人である僕の領分ではないので、必要限度内の記載に留めた。

 境界例や人格障害を詳述した本は、一般向け,専門書とも多数出ている。

 拙著を読まれた方が境界例に関心を持たれ、それらで理解を深めていただけるとありがたい。


 拙著は心子という一人の女性が、この世に生きた証を残すことが第一の役割だと思う。

 心子の足取りを書き記すことによって、彼女の生と死をより意義あるものにしていきたい。

 僕自身は彼女の真の苦しみを知ることはできず、傍らの立場から語らせてもらうだけだが、それが僕にできることだと愚考する。

 ご意見,ご感想をいただければ幸いだ。もし某かでも胸に感じていただけるものがあったら、望外の喜びである。


 人のために身を献じることをいささかも厭わなかった心子も、境界例の人たちが受け入れられる一里塚となることができれば、きっと心底から喜んでくれるに違いない。

 心子は、精神科医になって心の病に苦しむ人をたった一人でも救えたら、自分は死んでも構わないと悲願していた。

「あたしは、患者さんが心を休めていってくれる木陰になりたい。

 患者さんが癒されてそこを離れて行ったら、あたしのことなんか忘れていいの」

 それが心子の本望なのかもしれない。

(続く)
 
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あとがき(1)

2006年01月18日 21時48分50秒 | 「境界に生きた心子」
 
 二〇〇一年一月十七日、心子は逝った。


 それから三年半余りの間、本稿に加筆を重ねてきた。

 書くという作業が僕にとって、心の整理をすることに役立ってくれた。

 そしてやっと少し、心子のことを客観的に描けるようになったのかもしれない。


 当時はまだ、心子を充分に把握して包み込むことができていなかった。

 嵐の只中にいるときは暴風雨をしのぐのに目一杯で、嵐の成り立ちや治め方を学んだり、落ち着いて考え合わせる余裕がなかった。

 境界例の知識についても、彼女が世を去ってから出版された本が多々あり、あとになって知ったことも少なくない。

 僕には遅すぎる情報だった。

 もっと早く手にできていれば、彼女にまた新たな対応を試みることもできたのだろう。

 何が最善のやり方かは今でも分からないが、別の可能性もあったのかと思うと、誠に無念でならない。


 そういう意味でも、境界例に関する理解が少しでも早く広まることを、心から望むばかりだ。

 境界例の人と連れ行く人たちやこれから出会う人たちが、境界例に心を用いることによって、お互い無益ないさかいができるだけ減っていくことを切望している。

 そしてこの先も境界例の治療研究が進み、臨床の経験が積み上げられていくことを衷心より祈っている。


 今後も増えるであろう境界例の人が身近にいたら、本人の責任ではない生育歴によって心に傷を負っているのだということに、どうか思案を巡らせていただきたいと思う。

 境界例の人が親からふさわしい愛情を手に入れられなかったのだとしても、その親自身もまた適切な境遇で育ってくることができなかったのかもしれない。

 その悲劇の連鎖のシナリオを書き換え、境界例の人および境界例的素質を共有する我々自身が、問題にどう向かい合えばいいのかということを宿題にしていきたい。

 境界例の人と実際に行き来するのはなかなか大変だとしても、双方が幾らかなりとも生きやすい社会になっていくよう願ってやまない。

(続く)

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丸5年目の祥月命日

2006年01月17日 23時40分11秒 | 心子、もろもろ
 
 今日1月17日は、世間的には色々なことがありましたね。

 新聞のトップを飾ったライブドアショック、東京地検の強制捜査のメス。

 連続幼女殺人事件・宮崎勤への最高裁死刑判決。

(彼にも人格障害という精神鑑定が出ましたが。)

 耐震強度偽装事件のヒューザー小島社長の証人喚問。

 そして日本人の脳裏には、阪神大震災の日として記憶されています。

 また世界的には15年前の今日、湾岸戦争が始まったそうです。

(湾岸戦争を描いた映画「ジャーヘッド」の試写会が本日あり、鑑賞してきました。)


 でも僕的には、1月17日は何といっても心子の祥月命日です。

 彼女が召されてから、丸5年が経ちました。

 彼女が編んでくれたセーターを着て、彼女がプレゼントしてくれたスカーフと手袋をし、墓前の心子に会ってきました。

 途中でランチバイキング、いつもより奮発してホテルのレストランへ(^^;)。

 駅前の花屋さんで、いつもより奮発してきれいな花を買って行きました。

(2ヶ月前、今まで花を買っていた花屋さんがなくなってしまいましたが、先月、新しい花屋さんがオープンしていました。
 今度の花屋さんもいい人です。)


 久しぶりに「境界に生きた心子」を持参して、心子の前で拙著の一節を読みました。

 それから、幾つかのことをお祈りしました。

 心子たちが天国で安らかに過ごせること。

 「境界に生きた心子」がまた人々に読まれていくこと。

 境界例への理解が広まっていくように。

 願わくは、「境界に生きた心子」のマンガ化や映像化の企画が進むように。

 そして、これからも僕たちを見守ってくれるようにと。


 それにしも、心子が眠りについてからもう5年も過ぎてしまったんですね。

 今日は冷える日だったし、お墓の下は寒いでしょうか。

 この5年は僕には随分早かった気がします。

 心子と同じ年、僕の父と祖母が人生の幕を閉じました。

 それから、僕は拙著の原稿を少しずつ書きはじめ、約3年半ほどの月日をかけて、昨年「境界に生きた心子」ができ上がりました。

 心子の生まれ変わりで、彼女の足あとを残すことができました。

 これからも、彼女が生きた証が人々に伝わっていくよう願っています。

 さて、今晩は、彼女からもらったクリスタルグラスで、心子とワインを交わしたいと思います。(^^)
 
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心子のお義姉さん

2006年01月16日 21時23分59秒 | 心子、もろもろ

 心子のお母さんは現在、心子のお義姉さんと二人で暮らしています。

 将来もずっと一緒に過ごしていくそうです。

 お母さんはお義姉さんを我が子と思って可愛がり、お義姉さんもお母さんにとてもよくしてくれるということです。

 お義姉さんは天涯孤独のため、お母さんは自分が亡くなったあともお義姉さんが今の家に住んでいけるようにと考え、お兄さんの没後、お義姉さんと養子縁組をされました。

 心子は生前、お義姉さんは心子に食事も作ってくれない酷い奴だと、客観的事実とは異なる心的事実を僕に話していました。

 でも実は、仲がよかったお兄さんをお義姉さんに取られてしまったという、心子のジェラシーもあったらしいです。

 在りし日は心子の話を僕は信じていましたが、お義姉さんたちは実際はとてもいい人でした。

 僕の部屋に残された心子の荷物から出てきたメモ用紙。

 お義姉さんが心子を気づかって書いた、食べ物の置き場所を記したものでした。

 生前の客観的事実に関して心子が残した、唯一の“物的証拠”です。

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