「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

殺意否認, 母胎回帰ストーリー -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (11)

2012年02月29日 21時59分37秒 | 光市母子殺害事件
 
 大月被告は差し戻し審で、 それまで認めていた犯行事実を 一変して、

 殺意はなかったという 新たな供述を始めました。

 作家の佐木隆三氏は、 被告が訴えたかったことを、

 新しい弁護団が伝えられなかったのだと 批判しています。

 犯罪心理を専門とする 長谷川博一教授は、 何度も被告に面会を行ないました。

 そして、 被告が 検察や新たな弁護団に 迎合した結果、

 供述が揺れ動いたのではないか と考えました。

 彼を理解するキーワードは 迎合性の高さだと言います。

 被告が見せる 微妙な笑顔も、

 相手に嫌われたくないために、 防衛的に付いたもので、

 相手が 意図して誘導しなくても、

 期待に応えるような 応答をしてしまうのだということです。

 しかしその後、 被告への面会を 弁護団から阻まれ、

 真実を読み解くことは 叶いませんでした。

 この裁判は、 犯行の判断に必要な材料が 欠損しているのが

 大きな問題だと語っています。

 一方、 萩谷麻衣子弁護士は、 新たな供述は 被告に不利に働いてしまったが、

 本当に殺意がなかったとすれば、

 一審段階で弁護士が 早く引き出すべきだったと 主張します。

 殺意がなかったということも含めて、 精神鑑定するべきだったと。

 被告にとって 遅すぎた供述だったと言います。

 さらに ジャーナリストの門田氏は、 被告に何度も会ううち、

 この奇怪なストーリーこそが、 被告の反省が深まっている 現れだという

 推測を述べました。

 自分の罪を心底反省し、 余りにも無残な 犯行に直面すれば、

 人間の精神は 極限までいくと 耐えられずに壊れてしまう。

 防衛本能として そこへ行き着く手前で、

 自分を納得させようとするストーリーを 構築した可能性があるというのです。

 差し戻し審では 細部にわたる検証によって、

 傷害致死と母胎回帰ストーリーを 否定しています。

 (当時、 詳細な裁判記録が ネットに載っていたのですが、

 現在このページは なくなってしまいました。)

 この検証データは 僕には説得力のあるものであり、

 殺意がなかったという主張は 事実とは言い難いと思います。

 ただし、 門田氏の言う仮説は、 直ちに頷けるものではなくても、

 可能性を否定することはできません。

 もしも仮にそうだとすると、

 昨日の記事の  「部分的に冤罪だと言いたい」 というのも、 整合性が出てきます。

(次の記事に続く)

〔参考: TBSテレビ 「Nスタ」, フジテレビ 「知りたがり!」〕
 

居場所をなくした少年 -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (10)

2012年02月28日 15時15分53秒 | 光市母子殺害事件
 
 大月被告は子供の頃、 人懐こく能天気で、

 笑顔が絶えない ムードメーカーだったといいます。

 ところが家庭では 父親が暴力による 絶大な権力を持ち、

 笑顔を見せることはありませんでした。

 母親が心の支えで、 少年が帰り着く先は 家ではなく、 母親だったのです。

 その母親が 夫の暴力から逃れるためか、 少年が中学のとき 物置で首を吊り、

 少年は遺体を目の当たりにします。

 でも学校では 辛い様子は見せず、 変わらず 明るく振る舞っていました。

 高2で 新しい母親との 暮らしが始まり、 家出をしたり、

 担任の教師に 家庭での疎外感を 泣きながら訴えたといいます。

 「誰も心配してくれん」 と。

 高3になると 友だちとの付き合いも減り、

 教師たちは原因が分からず 困惑していました。

 卒業して 水道設備会社に就職しますが、 4日で行かなくなり、

 2週間目の事件の日も 無断欠勤。

 家裁の裁判官だった 井垣弁護士は、

 少年が 自分の 「居場所」 を失ったことが 事件に繋がったと考えています。

 母親を亡くし、 信頼していた 高校の先生とも離れ、 友だちもどこかへ行き、

 仕事も面白くなく、 将来の夢もなく、

 マイナスイメージで 恐らく一杯だったろうと。

 判決前、 何故 事件を起こしたのかという質問に、 大月被告は答えています。

 「甘えと言われてしまうが、 誰かに自分の話を 聞いてもらいたかった。

 18歳になり、 社会人として 自分で仕事の責任を 守らなければならないのに、

 それができず、 社会から逃げるようにして、 行き着いた犯行でした」

 少年の心の真相は 明らかにならなかった裁判でしたが、

 単なる凶暴性だけで 説き明かせない問題です。

 何が少年を 凶行に駆り立てしまったのか、 これからも求めていくことも、

 この事件を風化させず、 失われた 弥生さんや夕夏ちゃんの命に応える、

 社会の責任かもしれません。

〔NHK 「ニュースウォッチ9」 より〕
 

少年の償い 厳罰か更生か (2) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (9)

2012年02月28日 04時39分41秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 被告が少年の場合、 成人の場合と比べて 量刑をどうするかという問に、

 市民と裁判官では 意見が大きく異なっています。

 重くすると答えたのは、 市民が25%、 裁判官は0%。

 軽くすると答えたのは、 市民25%、 裁判官91%。

 どちらでもないは、 同じく50%、 9%です。

〔参考資料 : 朝日新聞〕

 以前から こういう傾向が報道されていましたが、

 この “市民感覚” に 僕は非常に疑問を持ち、 理解できないでいます。

 少年は未熟であり、 変わる可能性が 成人よりもずっと高いので、

 刑罰の対象よりも 教育の対象となるはずです。

 日常生活でも、 小さい子に 何か悪いことをされても、

 「子供のすることだから」  「相手は子供だから」 と言って

 おおらかになるのが普通ですし、

 むきになって怒るのは  「大人げない」 とされます。

 小さい子供は まだ善悪の判断が付かないので、

 責任が大人より軽いのは 当然のことです。

 何故 上記のような結果になるのか 教えてください。

 生育歴などによって 精神的な発達が 遅れてしまっている場合にも、

 そのこと自体は 本人の責任ではなく、 むしろ被害者なので、

 その事情を 充分に考慮すべきだと思います。

 もし やったこと (事件の態様など) 自体が重大で、

 生育歴など他の要件で 罰を大きく変えるべきでない と言うとしたら、

 被害者 (遺族) 感情も あまり考慮すべきでないということになります。

 同じ罪を犯しても、

 被害者 (遺族) によって 怒りや憎しみの大きさは 違いますから、

 被害者 (遺族) がどんな人かによって 罰が変わるのは、

 加害者にとっては  “運不運” みたいなもので、

 僕は昔から 疑問を感じていました。

 もちろん日常生活でも、 相手の怒りが大きければ より深く謝らなければいけないし、

 相手が許してくれたら 幸いだったということにはなるのですが。
 

少年の償い 厳罰か更生か (1) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (8)

2012年02月26日 10時12分32秒 | 光市母子殺害事件
 
 90年代後半から2000年代前半にかけて、

 光市母子殺害事件や酒鬼薔薇事件など、 少年による凶悪犯罪が 幾つか起きました。

 それに応じて、 少年犯罪に対する 厳罰化の流れが生まれました。

 「少年犯罪被害当事者の会」 の武るり子代表 (57) は、

 「厳罰化ではなく、 適正化」 だと言います。

 「隠され続けた 少年犯罪の問題を、

 遺族だけでなく社会全体が 考えていかなければいけない」

 一方、 永山則夫元死刑囚の弁護人を務めた 大谷恭子弁護士は、 こう語ります。

 「少年犯罪は社会の鏡。

 少年をしっかり育てられなかった社会が 責任の一端を負うべきなのに、

 個人の責任として切り捨ててしまっている」

 名古屋アベック殺害事件の主犯格の少年は、 二審で無期懲役となり、

 今は遺族と 手紙のやり取りをしています。

 担当の多田元弁護士は述べます。

 「少年は立ち直れる。

 更生を見守り、 償いの気持ちを求める 遺族もいる」

 「重大事件を起こした少年ほど、 虐待などの問題を抱えているのに、

 立ち直りを支援する情熱を 家裁が失っている」

 本村さんは 記者会見で述べていました。

 「少年に やり直すチャンスを与えるのか、 命をもって償わせるのか。

 どちらが正義か悩んだ。

 答はないと思う。

 判決をきっかけに、 この国が死刑を存置していることを、

 いま一度 みなさんに考えてもらいたい」

〔朝日新聞より〕

(次の記事に続く)
 

大月被告の反省 (3) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (7)

2012年02月25日 23時23分42秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 最高裁判決の多数意見は、

 被告の反省の不充分さを 死刑とした理由のひとつに 挙げました。

 「犯行時少年で、 更生の可能性がないとは言えない ことなどを考慮しても、

 責任はあまりに重大で 死刑を認めざるを得ない」  とも言っています。

 しかし 反対意見を述べた宮川裁判官は、 こう指摘します。

 「人は 人の関係の中でしか 成長しない。

 人間的成熟度が 12歳程度で停滞しているのであれば、

 (そのまま拘置所で) 8年、 9年過ごしたとして、

 反省・ 悔悟する力は生まれない」

 実際 拘置所には、 人間的に成長させる態勢や プログラムが全くありません。

 被告は 13年近く独居房で過ごし、 職員を除くと、

 話をするのは 弁護士とわずかな支援者、 そして教誨師だけです。

 被告自身、  「自分の考えが 必ずしも正しくないと 教えてくれるのは本」

 ぐらいだと話していました。

 罪の重さを感じていくためにも、

 裁判中から 成長させるためのプログラムが必要です。

 本村さんも、

 「反省の情があれば、 死刑の判決は 下らなかったと思う」 と語っています。

〔朝日新聞より〕
 

 アメリカでは 加害者の更生プログラムとして、

 「アミティ」が 非常に有効だとされています。

 加害者同士で 自分の生い立ちなどを 吐露し合い、 自分の内面と向き合うものです。

 多くの加害者は 虐待や悲惨な生育歴のなかで 育ってきました。

 「アミティ」 は 暴力の連鎖ではなく、

 「命のつながり」 を 実感していくプログラムです。

 下記のURLから 記事を連載しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/30977301.html
 

大月被告の反省 (2) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (6)

2012年02月24日 18時51分21秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 法廷で何か述べることができたら 何を言いたいかという質問に、

 大月被告は答えています。

 「あえて最後に言うとしたら、 部分的に冤罪だと言いたいです。

 本村さんと弥生さんのお母さんに、 頭を深く下げることをしたかったです。

 地面に頭をこすりつけてでも、 地面を掘ってでも下げたかった。

 そのことだけが心残りです」

 不審なところもありますが、 事件から年月を経て、 ようやく 己の犯行を悔やみ、

 精神的な成長を始めたと 言えるのではないでしょうか。

 (短期間で行なわれる裁判員裁判では、 その時間がないのが懸念されます。)

 少年の甦生の可能性を示し、 反省の気持ちは 確かにあると思われます。

 (その深さが 充分であるかは別にして。)

 しかしながら 本村さんは、

 反省している状態で 極刑を受けてこそ、 死刑の意味があると 主張しています。

 自分の犯した 罪に向き合い、 自責の念に苦しんで、

 死の重さを背負って 死刑に処されてこそ、

 命をもって 罪を償うということになるのだと。

 一般的には、 自分を苦しめた相手が 深く懺悔すれば、

 報復感情は減ずるものだと思います。

 殺人を許すことはできなくても、

 死刑以外あり得ないという 結論にはならないのではないでしょうか。

 他の殺人事件の 被害者遺族のなかには、

 犯人の反省の態度に 接するうちに、 死刑制度に反対するようになった 人もいます。

 また、 加害者の死刑を 待ち望んでいたのに、

 実際に刑が執行されると、 虚しさしか残らなかった という被害者遺族もいます。

 死刑は決して、 遺族の感情に 応えるものになるとは限らないのです。

 ただ、 最愛の人を 残忍極まる所業で 殺められたという惨害は、

 レベルが異なるのかもしれません。

 そして、 死刑判決があるからこそ、

 被告に悔悟の念が生じる という側面があるのも否めません。

(次の記事に続く)

〔参考: TBSテレビ 「ニュース23クロス」, 朝日新聞〕
 

大月被告の反省 (1) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (5)

2012年02月23日 18時27分03秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 この裁判を追い続け、 大月被告とも面会を重ねた ジャーナリスト門田氏によると、

 今の被告は 反省をしているといいます。

 最初の死刑判決が出たとき、 被告は

 「胸のつかえが降りました……。

 自分は無期懲役では 軽いと思ってました」 と 言ったそうです。

 そして、

 「殺めた命に対して、 死をもって償うのは 当たり前のこと」 と、

 正に 本村さんが言っていたのと 全く同じ言葉を 口にしたのです。

 教誨師 (きょうかいし) に出会って、

 命の尊さを教えられたことも 大きいということです。

 「自分は死んで償うべきか、 けれどもそれだけでいいのか。

 自分は 本村さんに裁いてほしかった」 とも、

 穏やかな目で、 優しく語り、 被告は変わってきたといっています。

 遺族を甚だしく愚弄した 大月被告の手紙は、 人々の猛烈な反感を招き、

 法廷での反省は 形だけだと非難されました。

 けれどもその後 被告は、

 「遺族をたびたび傷つけたことは 深く反省しないといけない」 と 話しています。

 差し戻し後の08年、 26歳になった大月被告は、

 事件当時と現在の認識を 次のように述べました。

 「当時は自分中心で、 相手がどう感じるのか 度外視していた。

 自分に向き合い、 弱さに気付いた」

 差し戻し後の控訴審で 遺族の意見陳述については、

 「胸に迫るものがあった」 と 語っています。

 1回目の死刑判決後、 新聞記者に寄せた手紙があります。

 「つらくないわけではない。

 しかし、 ぼくよりつらい御立場 (遺族) が おられる以上、

 ますます つつしみながらかんじゅし、 学ばせていただきたいとする気持ちも、

 またまぎれもない事実です」

 大月被告は、 09年には 次のように話しています。

 「支えてくれたひとから いただいたものを胸に、

 なぜ悪くなったのかを 見つめて改善する、 大きな人間になりたい。

 判決が 自分に有利でも不利でも。

 死刑でも、 そうでなくても」

 2年ほど前から 支援者に頼んで、

 母子の月命日に 犯行現場に花を 捧げてもらっているといいます。

(次の記事に続く)

〔参考: フジテレビ「知りたがり!」, 朝日新聞〕
 

死刑回避の事情 (2) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (4)

2012年02月22日 20時07分20秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 事件直後の家庭裁判所で、 絵画を見てストーリーを作る 検査を行なった結果、

 被告の発達レベルは 4~5歳と評価されたといいます。

 大月被告に面会した ジャーナリストや記者たちは 異口同音に、

 被告の幼い印象を語り、 凶悪事件と全く結びつかない ギャップを感じています。

 被告が少年時代、 父親から 激しい暴力を受けていたことや、

 母親の自殺を目の当たりにし、 さらに父親が 若い外国人女性と再婚し、

 異母弟が生まれたことで、 より孤立感を 深めて言ったといいます。

 そのような生育歴によって 精神的発達に障害があったとすると、

 パーソナリティ障害や 発達障害に通じる面があります。

 心子は 犯罪は犯しませんでしたが、

 パーソナリティ障害のなかには 犯罪的な行為をしてしまう人もいます。

 パーソナリティ障害は 責任能力があるとされていますが、

 自分自身が苦しめられている 障害のために、

 死刑にまでならなければいけないのか?  という場合を考えると、

 居たたまれないものがあります。

 環境その他によって 精神的な発達に 相当程度の障害があったとすれば、

 極刑を回避する 事由になるのではないかと、 僕には思われます。

 死刑判決は、 どの裁判官が判断しても それ以外にないという場合にだけ、

 選択されるべきとされていますが、

 その意味でも 反対意見が述べられたのは異例であり、

 今回の判決が 必ずしも適切とは言えないことを 物語っています。

 無論、 加害者の確固とした甦生プログラムと、 被害者遺族への十二分なサポートが、

 喫緊の課題であるのは 言うまでもありません。

(次の記事に続く)

〔参考: 朝日新聞〕
 

死刑回避の事情 (1) -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (3)

2012年02月21日 19時50分31秒 | 光市母子殺害事件
 
 最高裁判決で反対意見を述べた 宮川光治裁判官は、 次のように言っています。

 「精神的成熟度が、 少なくとも18歳を相当程度 下回っていることが、

 証拠上認められるような場合は、

 『死刑の選択を 回避するに足りる、 特に酌量すべき事情』 が

 存在するとみることが相当である」

 「被告は12歳当時、 母親の自殺や 父親の暴力で、

 精神レベルが止まっているというのは 説得力がある」

 「 『少年司法運営に関する 国連最低基準規則 (北京ルールズ) 』 は、

 『死刑は、 少年が行なった どのような犯罪に対しても、 科してはならない』

 としている」

 「行為規範ができていない 少年の行為については、

 刑法的に非難することは 相当でなく、

 刑罰による改善効果も 威嚇 (犯罪防止) 効果も 期待できない」

「被告の人格形成や 精神の発達に、 何がどのように影響したのかや、

 犯行時の精神的成熟度について、 審理を尽くすべきだ。

 二審判決 (差し戻し審) は破棄しなければ、 著しく正義に反する」

 一方、 金築裁判長は、

 「精神状態が 18歳を下回っているかどうか、 客観的な基準や 調査方法はない」

 と述べましたが、 少年の未熟さを どのように判断するか、

 最高裁でも 意見が別れたことを物語っています。

 司法福祉論の野田正人教授は、 今回の判決について 下記のように述べます。

 「精神的な成熟が 遅れていたことに対して、 丁寧に吟味されていないなのが残念だ。

 虐待による人格形成への影響を、

 もっと 刑事裁判や少年審判の中で、 正当に評価していくべきだ。」

(次の記事に続く)

〔参考: 朝日新聞〕
 

神が与えた被害者 -- 光市母子殺害事件、 最高裁判決 (2)

2012年02月21日 00時16分38秒 | 光市母子殺害事件
 
(前の記事からの続き)

 第一審で無期懲役判決が出たとき、 本村さんは

 「被告を早く 社会に出してほしい。 私がこの手で殺す」

 と 公の記者会見で述べ、 人々に衝撃を与えました。

 参加していた記者たちは、 自分の家族に思いを馳せ、

 ぼろぼろ涙を流しながら メモを取っていたといいます。

 そして、 本村さんは自殺を考えたそうです。

 被害者が二人で 死刑にならないとしたら、 自分が3人目の犠牲者になれば、

 結果の重大性が 裁判官に伝わるのではないか、 そういう遺書を書いたというのです。

 (遺書を見た会社の人に、 本村さんは止められました。)

 悲憤と涙に打ち震えながら 訴えた本村さんの言葉は、 非常に強く胸を打つものです。

 「被害者だって 回復しなければいけないんです、 被害から。

 人を恨む、 憎む、 そういう気持ちを乗り越えて、 再び優しさを取り戻すためには、

 死ぬほどの努力をしなければならないんです」

 怒りに身を任せてしまうだけでなく、 その先にある 優しさのことまでを見据えた、

 深い人間性と、 その苦しみには、 計り知れないものを感じます。

 当時の小渕総理は、

 「無辜 (むこ=無実) の被害者への 法律的な救済がこのままでいいのか。

 本村さんの気持ちに 政治家として応えなければならない」 と 語りました。

 被害者の立場を見直し、 改善させてきた動きは、

 本村さんの存在なしには あり得ませんでした。

 法律の専門家でさえ、 自分自身が被害者遺族の立場になると、

 ガタガタになって まともな話ができなくなってしまうといいます。

 しかし、 素人でありながら本村さんは、 極めて冷静で論理的に、

 そして 深遠な人間的感情をたたえ、

 人の心に響く 言葉を発して、 司法を動かしてきました。

 犯罪被害者支援の黎明期にあって、 甚大な功績を担った 本村さんに対し、

 ある人が言った言葉を、 僕は忘れることができません。

 「神が与えた被害者。」

(次の記事に続く)

〔参考:フジテレビ「知りたがり!」〕
 

光市母子殺害事件、 最高裁判決 (1)

2012年02月20日 23時16分09秒 | 光市母子殺害事件
 
 本日午後3時、 光市母子殺害事件の最高裁判決があり、

 史上最年少の死刑が確定しました。

 事件から13年、 本村洋さんの長い闘いが、 大きな区切りを迎えたのです。

 被告が少年であっても、 また 少年事件で被害者が二人でも、

 死刑の適用があると 最高裁が示したことは、 今後への影響が大きいでしょう。

 ただし、 最高裁の死刑確定判決においては異例の、

 裁判官の反対意見が添えられています。

 そして その反対意見に対して 更に、 裁判長が意見を述べたといいます。

 判決は決して 決定的なものではなく、 とことん 慎重を期すべきだということです。

 これから 裁判員裁判も世論も、 安易に 厳罰主義に陥ってはいけないでしょう。
 

 マスコミは 元少年の実名 (大月孝行/旧姓・福田) を明かし、

 写真も公開しました。

 今までは 少年法に基づき、

 元少年が社会に復帰したとき、 甦生の妨げになるため 匿名にしてきましたが、

 死刑が確定して 社会に戻る機会が失われた という理由です。

 事件の社会への影響が 重大だったこと、

 匿名のまま死刑が執行されると、

 誰に執行されたのか 国民が監視することができなくなる、

 などの理由も述べています。

 この事件, 裁判が 社会に与えた影響は、 余りにも大きいものでした。

 僕自身も 生前の心子と一緒に、

 本村さんがシンポジストとなった 犯罪被害者支援の会に参加した縁で、

 この裁判についての記事を 綴ってきました。

 僕は元々 死刑廃止論者で (同時に 犯罪被害者支援の勉強も 充分してきました)、

 あらゆる死刑存続論に 反駁できましたが、

 本村さんの痛烈な訴えにだけは、 異議を申し立てることができませんでした。

 今の僕が 絶対的に死刑反対の 立場が取れないのは、

 本村さんに感化されたものです。

 (この裁判に関しては、

 最高裁が差し戻しをした時点で 死刑判決への流れができてしまったため、

 それに反対するというより、 死刑がほぼ確実と 思ってしまっていました。)

(次の記事に続く)

〔参考: フジテレビ 「知りたがり!」, テレビ朝日 「スーパーJチャンネル」〕
 

しずちゃん、 全日本選手権優勝 (2)

2012年02月20日 18時48分25秒 | Weblog
 
(前の記事からの続き)

 大会当日、 試合の相手は 鈴木佐弥子 (30才)。

 かつてライフセービング日本代表となり、 アジア大会で金メダルを獲得、

 卓越した身体能力の持ち主です。

 鈴木の試合ぶりを見た梅津を、  「強いな、 相手」 と唸らせました。

 しずちゃんのセコンドには 日本代表の監督が付き、

 梅津は 観客席の最前列で見守ります。

 しずちゃんは 相手の強打にひるむことなく 前へ出て、

 連打で 相手からスタンディングダウンを奪いました。

 以前 テレビでスパーリングを見たときは、 素人に毛が生えた 程度でしたが、

 短期間に 数段の成長を見せています。

 ガードが疎かになりがちなものの、

 攻撃の手を休めず 相手の顔面を捉えるファイトに、

 もはや芸人の余技などと 言わせるものはありません。

 客席から 声を枯らせて、 指示と声援を送る梅津。

 積極的に責め続ける山崎。

 その結果、 26 vs 11の 見事な判定勝ちでした。

 これで 5月の世界選手権への 出場が決定。

 ロンドンオリンピック出場に 一歩前進しました。

 世界との実力の差は まだまだ大きいようですが、 さらに二人で 練習を積み重ね、

 世界選手権で 好成績を修めることを期待したいです。

 しずちゃんは、  「梅津さんのために 絶対勝たないとと思ってやった」 と述べ、

 梅津コーチへの 信頼と感謝を 前面に出しています。

 過酷な試練を通して、 二人は より絆を深めたのでしょう。

 梅津は 試合の4日後に入院し、 手術も無事に終了。

 今は 治療に専念しているということです。

〔TBSテレビ「バースD」より)
 

しずちゃん、 全日本選手権優勝 (1)

2012年02月19日 17時53分54秒 | Weblog
 
 南海キャンディーズの山崎しずちゃんが、

 2月8日の全日本選手権に優勝し、 ロンドン五輪代表内定を果たしましたね。

 僕の知り合いである 梅津コーチと、 二人三脚でやってきて3年半、

 ついにその努力が 花開きました。

 一時は 不協和音が聞こえたこともありましたが、
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/62163545.html )

 どうやらそれも乗り越えたようで、 二人の信頼関係は 深まっているようです。

 ところが、 この全日本を前にして、 梅津コーチには 重大な危機がありました。

 昨年11月から 足に痛みがあったそうですが、 練習を優先していました。

 しかし今年1月、 激痛が限界になり受診すると、

 右大腿部の付け根に 皮膚がんの疑いのある 腫瘍が見つかったというのです。

 悪性腫瘍の場合には、 手術や検査などで 2週間以上の入院が必要となり、

 そうすると 2月8日の全日本大会に 同行できなくなります。

 梅津は、 全日本のときは 入院 (手術) は外してほしいと ドクターに言います。

 不穏な話に しずちゃんの表情が変わりますが、

 梅津は 検査結果よりしずのほうが心配だ と笑いました。

 1月末の検査結果は、  「メラノーマ」 (悪性黒色腫)。

 皮膚がんの一種で 悪性度が最も高いといいます。

 腫瘍の成長が早く、 手術が遅れれば リンパや内臓に 転移する危険があり、

 時に 命を落とす可能性もあると。

 梅津はドクターから、

 「肺がんなどよりも恐い。 下手をすると 1年持たない」 と 言われました。

 手術しなければ 手遅れになるかもしれない、

 しかし今手術すると 全日本に行けない。

 ドクターと相談し、 結局 大会が終わってから 手術をすることになりました。

 梅津は大会の直前、 しずちゃんに検査結果を告げます。

 涙を流すしずちゃんに、

 「ロンドンへ行ってくれれば治るよ。

 それが一番の抗がん剤だよな」  と梅津。

 しずちゃんは、

 「いま私ができることは、 試合に勝つこと」 と決意します。

(次の記事に続く)

〔TBSテレビ「バースD」より)
 

保護命令 (2)

2012年02月18日 21時26分53秒 | 「愛した人がBPDだった場合のアドバイス

(前の記事からの続き)

 虐待者のもうひとつの特徴は、  「分離トラウマ」 です。

 皆さんなしには生きていけないと信じ込み、 絶望や怒りの引き金となります。

 また、 アルコールや薬物は 反応を鈍くさせるので禁物です。

 一時的に引きこもり状態に陥り、 パートナーにとらわれる危険があります。

 いつまでも傷つきやすいまま、

 自分自身やお子さんに 充分な配慮ができなくなってしまうでしょう。

 自分の弱さを 少しでも克服するために 一歩を踏み出してください。

 周囲の状況を 常に自覚するようにしてください。

 パートナーと暮らしていたときの 習慣を変えると、

 好ましい変化が生まれるかもしれません。

 暴行に対する用心は し過ぎるくらいの方が良いですが、

 過剰な警戒は 一種のストレスになります。

 自分自身をいたわることが 何よりも重要です。

 自分のために何かをする 時間を確保してください。

 どんな過ちをしてしまったとしても、 自分を許してあげてください。

 皆さんは前へと進んでいます。

 もはや犠牲者ではありません。

 お子さんがいる方は、 自分の前向きな姿勢に 気付く必要があります。

 そうすればお子さんも、 自分のそういう面を見つけるでしょう。

 親が強くなれば 子供も強くなります。

 親が未来を信じれば、 子供に希望を与えるのです。

〔 「愛した人が BPDだった場合のアドバイス」
   星和書店 (ランディ・クリーガー) より 〕
 

保護命令 (1)

2012年02月17日 23時57分09秒 | 「愛した人がBPDだった場合のアドバイス

 保護命令が発令されると、

 虐待者には 自宅から出るように命じ、 子供たちから引き離します。

〔*注: 本書の記述は アメリカにおける状況です。

 日本の保護命令は、 DV防止法に基づいています。

 配偶者や恋人からの暴力によって、 生命・ 身体に 重大な危険性がある場合、

 被害者は裁判所に 保護命令を申し立てることができます。

 加害者が 被害者に近づくことを禁ずる 接近禁止命令と、

 同居している場所から 加害者が出ていく退去命令があります。

 これに背くと、 加害者には罰則が与えられます。〕

 保護命令があっても、 相手を思い止まらせることができないかもしれません。

 皆さん自身が自分の責任で 身を守らなければなりません。

 支えてくれる人たちと 親密なコミュニケーション 取ることが必要です。

 パートナーが 皆さんやお子さんを殺すと言ったり、 自殺すると脅すときは、

 深刻に受け止めなければなりません。

 彼ら自身 無意識にその計画を 進めていることもあり得ます。

 パートナーが武器を持っていたり、 以前に使用した 経歴がある場合は、

 致命的な暴行へ 発展する危険性が高まります。

 また、 パートナーがうつ状態で、 人生に希望を見いだせなくなったとしたら、

 危機的な状況です。

 自分の行動が どんな結果を招くか顧みず、 自分を危険にさらすことがあります。

 暴行のサイクルを 断ち切らない限り、 それは続いていくでしょう。

(次の記事に続く)

〔 「愛した人が BPDだった場合のアドバイス」
   星和書店 (ランディ・クリーガー) より 〕