ホフマンの『悪魔の霊酒』だって通俗的と言えば通俗的だが、本家ルイスの『マンク』と決定的に違うのはその幻想を描くときの筆力であろう。
ホフマンの幻想描写は彼のどんな作品を読んでも凄いと思う。他の幻想作家の追随を許さぬものがある。『悪魔の霊酒』の中からほとんど無作為に引用するだけで、こうだ。
「むかし出会ったことのある人間たちが、醜く歪んで気違いじみた顰め面を見せながら、立ち現れた。――どれもこれも、頭だけの姿で、その耳のすぐわきから生え出た蟋蟀の脚であたりを這いずり回り、わたしのほうをむいては陰険な目つきで笑うのであった」
背中に虫酸が走りそうではないか。もっと凄い場面もいくらでもあるが、それはホフマンを取り上げるときまでとっておこう。一方ルイスの方は、幽霊が出現する場面であれ、悪魔が姿を現す場面であれ、少しも幻想的なところがない。ホフマンの狂気にも似た想像力はルイスにはみじんもないと言わなければならない。
悪魔との契約の場面にしたってどこが恐るべきことなのか、感じられるようにはさっぱり書かれていない。むしろ富山太佳夫が言うように「なぜ滑稽なと言わないのであろうか」というような皮肉さえ言ってみたくなる。
悪魔の使いであるマチルダが僧院長アンブロシオを誘惑する場面もちっともエロチックでないし、悪魔がアンブロシオを連れ去る場面も怖いと言うよりは滑稽なのである。ジェイムズ・ホッグの『悪の誘惑』とはえらい違いである。
しかし、それでもルイスの『マンク』は後のゴシック小説に決定的な影響を与えたのだった。
ホフマンの幻想描写は彼のどんな作品を読んでも凄いと思う。他の幻想作家の追随を許さぬものがある。『悪魔の霊酒』の中からほとんど無作為に引用するだけで、こうだ。
「むかし出会ったことのある人間たちが、醜く歪んで気違いじみた顰め面を見せながら、立ち現れた。――どれもこれも、頭だけの姿で、その耳のすぐわきから生え出た蟋蟀の脚であたりを這いずり回り、わたしのほうをむいては陰険な目つきで笑うのであった」
背中に虫酸が走りそうではないか。もっと凄い場面もいくらでもあるが、それはホフマンを取り上げるときまでとっておこう。一方ルイスの方は、幽霊が出現する場面であれ、悪魔が姿を現す場面であれ、少しも幻想的なところがない。ホフマンの狂気にも似た想像力はルイスにはみじんもないと言わなければならない。
悪魔との契約の場面にしたってどこが恐るべきことなのか、感じられるようにはさっぱり書かれていない。むしろ富山太佳夫が言うように「なぜ滑稽なと言わないのであろうか」というような皮肉さえ言ってみたくなる。
悪魔の使いであるマチルダが僧院長アンブロシオを誘惑する場面もちっともエロチックでないし、悪魔がアンブロシオを連れ去る場面も怖いと言うよりは滑稽なのである。ジェイムズ・ホッグの『悪の誘惑』とはえらい違いである。
しかし、それでもルイスの『マンク』は後のゴシック小説に決定的な影響を与えたのだった。