アロンソは抵抗する。激しく抵抗する。父と、とりわけ母がアロンソに修道院に入ってくれるように説得するが、アロンソは猛然と反論する。
「母上、涙を以って叱責されなければならぬ何を私がしたのでしょう? 修道院生活を嫌うこと、それは罪ではないはずです」
と。父母の罪をなぜ自分が負わなければならないのか、そんな理不尽なことはないだろうとアロンソは言うのである。しかしアロンソは母の懇願に負けて「母上のお望み通りに致します」と言ってしまう。
アロンソは絶望の中で、譫言のように「僕は修道士になるんだ」と繰り返す。このあたりの人物造形が他のゴシック小説には見られないほどにきめ細やかで、『放浪者メルモス』がゴシック・ロッマンスの最高傑作といわれる所以の一つとなっている。
修道院に入れられてもアロンソはなおも抵抗を続ける。院長に対して「自分は修道士になどなるつもりはない」と言い、宣誓を求められてもそれを拒絶して次のように言い放つ。
「宣誓などするものですか――私を強制した連中には、当然の酬いです――私をこの世に生んだ父が、自分で罪の償いをすればいいんだ――弟の奴なんか、天狗の鼻をへしおられてしまえばいいんだ――なぜ僕が父の罪の犠牲になるんだ? なぜ弟の欲の犠牲に?」
家門の重圧をものともせず、このように抵抗するアロンソの姿に共感しないわけにはいかない。『マンク』で尼僧院に幽閉されるエルヴィラは、アロンソに比べれば人形に過ぎない。アロンソはゴシック小説の主人公であるよりも、近代小説の主人公としての資格を持っている。
アロンソはこのように語っていく。放浪者メルモスの子孫たるジョン・メルモスに対して。アロンソの語りは極めて具体的かつリアリスティックであり、そこにゴシック・ロマンスの残滓ではなく、近代小説の特徴を見ないわけにはいかない。『放浪者メルモス』はこのような意味において、ゴシック・ロマンスの掉尾を飾る大傑作なのである。
「母上、涙を以って叱責されなければならぬ何を私がしたのでしょう? 修道院生活を嫌うこと、それは罪ではないはずです」
と。父母の罪をなぜ自分が負わなければならないのか、そんな理不尽なことはないだろうとアロンソは言うのである。しかしアロンソは母の懇願に負けて「母上のお望み通りに致します」と言ってしまう。
アロンソは絶望の中で、譫言のように「僕は修道士になるんだ」と繰り返す。このあたりの人物造形が他のゴシック小説には見られないほどにきめ細やかで、『放浪者メルモス』がゴシック・ロッマンスの最高傑作といわれる所以の一つとなっている。
修道院に入れられてもアロンソはなおも抵抗を続ける。院長に対して「自分は修道士になどなるつもりはない」と言い、宣誓を求められてもそれを拒絶して次のように言い放つ。
「宣誓などするものですか――私を強制した連中には、当然の酬いです――私をこの世に生んだ父が、自分で罪の償いをすればいいんだ――弟の奴なんか、天狗の鼻をへしおられてしまえばいいんだ――なぜ僕が父の罪の犠牲になるんだ? なぜ弟の欲の犠牲に?」
家門の重圧をものともせず、このように抵抗するアロンソの姿に共感しないわけにはいかない。『マンク』で尼僧院に幽閉されるエルヴィラは、アロンソに比べれば人形に過ぎない。アロンソはゴシック小説の主人公であるよりも、近代小説の主人公としての資格を持っている。
アロンソはこのように語っていく。放浪者メルモスの子孫たるジョン・メルモスに対して。アロンソの語りは極めて具体的かつリアリスティックであり、そこにゴシック・ロマンスの残滓ではなく、近代小説の特徴を見ないわけにはいかない。『放浪者メルモス』はこのような意味において、ゴシック・ロマンスの掉尾を飾る大傑作なのである。