玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(5)

2015年03月27日 | ゴシック論
 アロンソは抵抗する。激しく抵抗する。父と、とりわけ母がアロンソに修道院に入ってくれるように説得するが、アロンソは猛然と反論する。
「母上、涙を以って叱責されなければならぬ何を私がしたのでしょう? 修道院生活を嫌うこと、それは罪ではないはずです」
と。父母の罪をなぜ自分が負わなければならないのか、そんな理不尽なことはないだろうとアロンソは言うのである。しかしアロンソは母の懇願に負けて「母上のお望み通りに致します」と言ってしまう。
 アロンソは絶望の中で、譫言のように「僕は修道士になるんだ」と繰り返す。このあたりの人物造形が他のゴシック小説には見られないほどにきめ細やかで、『放浪者メルモス』がゴシック・ロッマンスの最高傑作といわれる所以の一つとなっている。
 修道院に入れられてもアロンソはなおも抵抗を続ける。院長に対して「自分は修道士になどなるつもりはない」と言い、宣誓を求められてもそれを拒絶して次のように言い放つ。
「宣誓などするものですか――私を強制した連中には、当然の酬いです――私をこの世に生んだ父が、自分で罪の償いをすればいいんだ――弟の奴なんか、天狗の鼻をへしおられてしまえばいいんだ――なぜ僕が父の罪の犠牲になるんだ? なぜ弟の欲の犠牲に?」
 家門の重圧をものともせず、このように抵抗するアロンソの姿に共感しないわけにはいかない。『マンク』で尼僧院に幽閉されるエルヴィラは、アロンソに比べれば人形に過ぎない。アロンソはゴシック小説の主人公であるよりも、近代小説の主人公としての資格を持っている。
 アロンソはこのように語っていく。放浪者メルモスの子孫たるジョン・メルモスに対して。アロンソの語りは極めて具体的かつリアリスティックであり、そこにゴシック・ロマンスの残滓ではなく、近代小説の特徴を見ないわけにはいかない。『放浪者メルモス』はこのような意味において、ゴシック・ロマンスの掉尾を飾る大傑作なのである。

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C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(4)

2015年03月27日 | ゴシック論
「スペイン人の物語」に始まるアロンソの物語と、「印度魔島奇譚」に始まるイシドーラの物語が『放浪者メルモス』の説話群の中にあってその中核をなすものと言える。時代は18世紀末に設定されている。
「スペイン人の物語」はアイルランドのジョン・メルモスの伯父の館に近い海岸に漂着した難破船の乗客アロンソ・モンサダの語る苦難の物語で、彼の語りが『放浪者メルモス』前半の大部を占めている。
 アロンソは名家モンサダ家の生まれだが、両親の婚姻前の子供であったため、醜聞をはばかって里子に出されている。そして弟がモンサダ家の後継ぎとなり、アロンソは修道院に入れられることが、モンサダ家を牛耳る神父によって決められている。修道院が名家の子女を修道士あるいは修道女として迎えることは、修道院にとって莫大な収入があるということを意味していたのだ。宗教はとうに形骸化されている。
 ところで、この話どこかで聞いたことがある。『マンク』のエルヴィラの話とそっくりである。エルヴィラは迷信深い両親によって尼僧院に入れられてしまうのであり、『マンク』ではそこからの脱出作戦がクライマックスとなるように、「スペイン人の物語」でも、激しい抵抗にも拘わらず修道院に幽閉されてしまうアロンソの脱出作戦が『放浪者メルモス』前半のクライマックスとなっている。
 しかも舞台は『マンク』と同じスペインのマドリッド。イギリスではもちろんない。カトリックの国でなければならない。マチューリンはアイルランドの新教の貧しい牧師であり、『放浪者メルモス』全体がカトリック批判に貫かれている。信仰がもはや形骸と化した時代のカトリック修道院と異端審問所に対する激しい批判の書でもあるのだ。
 それにしても舞台といい筋立てといい『マンク』を意識しているのは明白であり、細かい部分でも『マンク』によく似た設定がたくさんある。でもそれが、マチューリンのルイスに対するオマージュであるのかどうかは定かではない。しかしアロンソの修道院に入れられることに対する両親らへの抵抗や、修道院生活の中での無言の抵抗は『マンク』のエルヴィラの場合よりもはるかに詳しく書かれているし、遙かに論理的に書かれている。
 修道院への幽閉はゴシック的な物語を駆動させているだけではなく、そこに幽閉された人間の苦悩のドラマともなっているし、それこそが『放浪者メルモス』を古色蒼然たるゴシック・ロマンスに止めず、近代小説としても優れた作品としている要素なのである。

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