序章には多くのことが書かれている、というか“ほのめかされて”いる。本編を読む上で極めて重要で必要不可欠な情報がさりげなく書かれているので、注意深く読まなければならない。本編を読み終わったあとで、もう一度序章に戻る必要さえある。
最も重要なのは、本編の手記を書いた主人公の女家庭教師(この人物には名前が与えられていない)が、依頼主であるロンドンの独身紳士(この人物にも名前が与えられていない)に“恋をしている”ことである。そのことは序章に出てくる“わたし”(作者自身に該当する人物)の言葉「なるほど、彼女は恋をしていたんだな」にほのめかされている。
本編に入って彼女が赴任地である屋敷に到着し、子供たち(ロンドンの紳士の甥・マイルズと姪・フローラの姉弟)の世話係グロースさんに会う場面で、彼女は「わたしってすぐ夢中になる性なの。ロンドンでも夢中になりました」と口走ってしまう。これはロンドンに住む依頼主に「夢中になった」という恋の告白なのであり、そのことが全編に深く関わってくる。
また当時の彼女の精神状態について「明らかに一種の魔法にかかっていたので……」というようなほのめかしもあり、彼女が恋の魔法の影響で心理的に心霊現象をみてしまうのだという解釈に根拠を与えている。
もうひとつ。序章には「子供の出てくることが物語にねじの一ひねりを加えるとすると、子供が二人だったらどうかね?」「子供二人なら二ひねりになる!」というやりとりがあり、ここで出てくるanother turn of the screwという言葉こそがタイトルの由来になっているのである。
だから『ねじの回転』などという邦題はもともとおかしいのだが、どういう訳かこれが定着してしまっている。今日多くの文庫本にこの作品が入っているが、すべて『ねじの回転』で統一されている。2012年の光文社古典新訳文庫がタイトルを変えてくれるのではと期待したが、これもまた『ねじの回転』だった。
最も重要なのは、本編の手記を書いた主人公の女家庭教師(この人物には名前が与えられていない)が、依頼主であるロンドンの独身紳士(この人物にも名前が与えられていない)に“恋をしている”ことである。そのことは序章に出てくる“わたし”(作者自身に該当する人物)の言葉「なるほど、彼女は恋をしていたんだな」にほのめかされている。
本編に入って彼女が赴任地である屋敷に到着し、子供たち(ロンドンの紳士の甥・マイルズと姪・フローラの姉弟)の世話係グロースさんに会う場面で、彼女は「わたしってすぐ夢中になる性なの。ロンドンでも夢中になりました」と口走ってしまう。これはロンドンに住む依頼主に「夢中になった」という恋の告白なのであり、そのことが全編に深く関わってくる。
また当時の彼女の精神状態について「明らかに一種の魔法にかかっていたので……」というようなほのめかしもあり、彼女が恋の魔法の影響で心理的に心霊現象をみてしまうのだという解釈に根拠を与えている。
もうひとつ。序章には「子供の出てくることが物語にねじの一ひねりを加えるとすると、子供が二人だったらどうかね?」「子供二人なら二ひねりになる!」というやりとりがあり、ここで出てくるanother turn of the screwという言葉こそがタイトルの由来になっているのである。
だから『ねじの回転』などという邦題はもともとおかしいのだが、どういう訳かこれが定着してしまっている。今日多くの文庫本にこの作品が入っているが、すべて『ねじの回転』で統一されている。2012年の光文社古典新訳文庫がタイトルを変えてくれるのではと期待したが、これもまた『ねじの回転』だった。