玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

C・B・ブラウン『ウィーランド』(5)

2015年06月14日 | ゴシック論
 だからC・B・ブラウンの作品が、後のアメリカの偉大な作家達に影響を与えたというよりも、八木俊雄の言うようにアメリカはもともとピューリタニズムの国として(あるいはピューリタニズムに限らず、宗教的狂熱の国として。このことは後でラテンアメリカにおけるゴシック小説の影響について考える時に、詳しく考えなければならない問題である)ゴシック小説を繁栄させる風土を持っていたのだと結論づける方が正しいと思う。
 訳者の志村正雄は解説で、ポオの作品のいくつかの冒頭部分に『ウィーランド』の各章の書き出しの反響を読み取っているが、ポオについてもブラウンの影響というよりはイギリス本国のゴシック作家達の強い影響を見るべきと思う。恐怖小説の書き出しというのは一定のパターンがあって、一人称で書かれた場合には自分が恐怖の体験にあって、狂気の淵にあるというようなことはいつでも言われうることに過ぎないからである。
 セオドアは狂信の故に狂気に陥った人物として描かれてはいるが、決して批判や否定の対象にはなっていない。むしろセオドアは敬虔なピューリタンとして純粋な宗教性を求めながら、現実の世界では狂人として妻子を惨殺してしまう“犠牲者”として描かれているのである。おそらくそのあたりが、アメリカにおけるピューリタニズムとゴシック小説の親和的関係の中核にある精神性なのだろう。
 ともかくもブラウンの『ウィーランド』は決して優れた小説ではないし、後の大作家達に大きな影響を与えたなどとも思わない。まして「アメリカ文学のゴシック性を決定した」などとは夢にも思わない。
 しかし、『ウィーランド』はアメリカの持つ“ゴシック的精神風土”というものに気づかせてくれる好個の例であって、その意味でもアメリカン・ゴシックの原点に位置づけられる作品であるということに異存はない。
(この項おわり)