玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(4)

2015年06月22日 | ゴシック論
「狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く騒然たる森」という言葉は、ゴシックをその精神性において規定する言葉に他ならない。ドノソの『夜のみだらな鳥』はラテンアメリカ文学の多くの作品の中で、もっともゴシック的な作品であると言えるし、ドノソは小説のタイトルを彼がもっとも大きな影響を受けた作家ヘンリー・ジェイムズの父親の言葉からつけたことに、大きな満足を感じたことだろう。
『夜のみだらな鳥』について書くのはまだ早すぎるので、今はまだ立ち入らないが、私としては父ヘンリー・ジェイムズの言葉がアメリカ人が受け止めたゴシックの本質に関わるものであるということを強調しておきたいし、同じ名前の息子ヘンリー・ジェイムズもまた父親から血脈としてゴシック的本質を受け継いだのではないかということも言っておきたい。
 アメリカの作家にとってゴシックは、内面的あるいは精神性に関わるものでしかあり得なかった。歴史の浅い国であるアメリカには、2000年も昔の遺跡もなければ、中世の古城もない。ヨーロッパの作家のようにそんなものを外面的になぞることはアメリカの作家には不可能なことであった。
ピューリタニズムという宗教的狂熱が、そこでどのような役割を果たしたのかということは、C・B・ブラウンの小説にかいま見ることができるし、ヘンリー・ジェイムズの父親の言葉にも窺うことのできる部分ではある。
 しかし、私にはそのような大きなテーマを扱う能力はないし、ただアメリカの作家における精神的ゴシック性ということを言っておくことができるだけに過ぎない。
 それにしても父ヘンリー・ジェイムズの手紙を原文で読んでみたい。ホセ・ドノソの掲げたエピグラフが英語で書かれているなら、見つけるのは易しいかも知れないが、スペイン語に翻訳されているとすれば原典に当たることはかなり難しいことになりそうだ。
(この項おわり)