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玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」(1)

2015年06月19日 | ゴシック論
『夜のみだらな鳥』はチリの作家ホセ・ドノソ(1924-1996)の作品であって、もちろんヘンリー・ジェイムズの作品ではない。今回書くのは読後ノートではなくて、ヘンリー・ジェイムズの「夜のみだらな鳥」という言葉についてのお話である。
 ドノソの『夜のみだらな鳥』は1976年に集英社版「世界の文学」の一冊として、さらに1984年には同じく集英社版「ラテンアメリカの文学」の一冊として翻訳出版されている。
 この作品はドノソの代表作であると同時に、ラテンアメリカ文学史上ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に唯一比肩することのできる大傑作であると私は思っている。ドノソがマルケス以上の大作家だという見方をする人もいるが、少なくとも『百年の孤独』と『夜のみだらな鳥』が20世紀の小説を代表する二作であることは間違いない。
 この「書斎」でヘンリー・ジェイムズをしつこく追ってきたのは、ホセ・ドノソについて最終的には書くためであるのだが、知らないうちにドノソが深く影響されたヘンリー・ジェイムズにはまってしまっている自分を発見するのであった。
 ところで集英社版「世界の文学」第31巻の『夜のみだらな鳥』のカバーに、次のような文章が引用されている。“夜のみだらな鳥”というタイトルの由来を示すものだ。
「人生は道化芝居ではない
 お上品な喜劇でもない
 それは、
 悲劇の地の底、飢餓から
 開花し、結実するものではないか
 すべての人間は
 狼が吠え、夜のみだらな鳥が鳴く
 騒然たる森を
 心に持っている」
 凄い言葉である。この言葉がインターネット上のブログの多くで「ヘンリー・ジェイムズが自分の息子に宛てた書簡からの抜粋」として紹介されているために、ヘンリー・ジェイムズ自身の言葉であるかのように誤解されているので、ここでその誤解を正しておかなければならない。