玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(1)

2015年06月15日 | ゴシック論
 というわけで、アメリカのゴシック小説には大いに注目しなければならないということが分かっていただけるだろう。
アメリカン・ゴシックの第一人者はエドガー・アラン・ポオであるというのが一般的な考え方であろうが、私にとってポオの小説はイギリスのゴシック小説の重苦しさ、息苦しさを思う存分に引きずっていて、あまりにも古風に過ぎ、現代につながる要素を感じることができない。
 一方、ヘンリー・ジェイムズの小説は、とくに中短編にあっては、必ず“ひとひねり”(the turn of the screw)が利いていて、イギリス本国のゴシック小説とはかなり距離をとった書き方がされているし、そこに心理主義的な要素が加味されて極めて現代的である。私がヘンリー・ジェイムズの小説を偏愛する理由はそこにある。
 木村栄一は「現代イスパノアメリカ文学とゴシック」という論考(例によって国書刊行会『城と眩暈――ゴシックを読む』収載)で、ラテンアメリカの現代作家におけるゴシック小説の影響について論じている。木村はホルヘ・ルイス・ボルヘス(アルゼンチン)や、ガルシア・マルケス(コロンビア)、アレホ・カルペンティエール(キューバ)やカルロス・フェンテス(メキシコ)など多くの作家を取り上げているが、それほどにラテンアメリカにおけるゴシック小説の影響には無視できないものがある。
 ここでは、アメリカ(英語圏としてのアメリカ)におけるゴシック小説の影響と併行した関係があるのかどうか、ということがテーマになってくるだろうが、今はそんな大きなことを考えている余裕はない。しかし、木村が次のように書いてアメリカ文学を経由してのゴシックの影響ということを指摘する時、テーマは俄然興味深いものになっていく。ホセ・ドノソについてのくだりである。
「十九世紀アメリカ文学を代表する作家ヘンリー・ジェイムズは『ねじの回転』や『アスパーンの手紙』といったゴースト・ストーリーによってゴシック文学史にその名を留めているが、そのH・ジェイムズから大きな影響を受けたホセ・ドノソ(チリ)もまたゴシック風の作品をいくつか書いている」
 ドノソについて書くには私はまだ準備不足なのだが、木村が『アスパーンの手紙』を、ジェイムズのゴースト・ストーリーの代表作のひとつとして紹介している以上、これを読まないわけにはいかない。
 ヘンリー・ジェイムズの1888年の中編作品であるこの小説は『アスパンの恋文』という邦題で岩波文庫に収められている。『ねじの回転』の10年前、『聖なる泉』の13年前の作品である。
『アスパンの恋文』の最大の特徴はその分かりやすさにあり、読みやすさにある。あれほど晦渋な文章を書いた同じ作家の作品とは思えないほどに分かりやすい。そのことはジェイムズの作品にあっては例外的なこととして強調されることがあるが、必ずしもそうとは言えない。
『幽霊貸家』とか『オーウェン・ウィングレイヴ』といったゴースト・ストーリーの中期の短編もまた、非常に分かりやすい作品であり、これはジェイムズの短編の特徴であろう。『アスパンの恋文』は『ねじの回転』と同じくらいの長さの中編作品ではあるが、『ねじの回転』のような複雑さはなく、むしろ短編的な作品なのだと言える。
ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』(1998、岩波文庫)行方昭夫訳