玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(1)

2015年06月23日 | ゴシック論
白水社が1970年から1973年にかけて出した「現代(各国)幻想小説」というシリーズがある。フランス編、ドイツ編、ロシア編、イギリス編、東欧編、アメリカ編の6冊が刊行されていて、フランス編だけフランス人の幻想文学専門家マルセル・ジュネデールの編集によるもので、あとの5冊は日本人の学者の編集による。
 このシリーズの特徴は、多くの幻想文学、怪奇小説のアンソロジーがゴースト・ストーリーを専門に書いた作家(特にイギリスにたくさんいる)の作品を中心に編集されているのに対して、そのような編集方針を採っていないところにある。
 アメリカにもH・P・ラブクラフトや、現代でいえばスティーヴン・キングのようなゴースト・ストーリー専門の作家も多くいるが、志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』にはそのような作家は一人も含まれていない。ゴースト・ストーリー専門の作家は一部を除いて娯楽性が高すぎて(スティーヴン・キングをみよ)、文学としての価値に問題があるからである。
 志村はむしろアメリカ文学の王道を行くような、スタインベックやフォークナー、ヘミングウェイやカポーティの作品を選んでいる、アメリカ新文学の旗手とも言えるピンチョンやバースも含まれていて、八木俊雄の言う「アメリカ文学を代表する作家」を概観できる内容となっている。
 短編アンソロジーであるから、これによってアメリカ文学のゴシック性の傾向というものを知るには不十分であろうが、その一端を窺うことくらいはできるだろう。
 アメリカ文学に関しては、若い時にメルヴィルの『白鯨』やポオの主要な作品を読み、ブラッドベリを愛読したこともあったが熱中するとまではいかず、SF作家のフィリップ・K・ディックだけは、いかれてしまってほとんどの作品を読み、ピンチョンの『V.』その他を夢中で読み、現在はヘンリー・ジェイムズに入れ込んでいるというのが私の貧しい履歴である。
 だからアメリカ文学におけるもっとも重要な作家なのかも知れない、ウィリアム・フォークナーを読んだことがない。だから『現代アメリカ幻想小説』に収められている、ごく短い小説だがあまりにも濃厚な「肉体」という作品を読んで、驚嘆の思いを禁じ得ない。
 原題は「カルカソンヌ」Carcassonneといい、古代ローマ時代から城塞都市として栄えたフランス南部の町の名をタイトルとしているが、なぜそんなタイトルなのかも分からない。

志村正雄編『現代アメリカ幻想小説』(1973,白水社)
ウィリアム・フォークナー「肉体」志村正雄訳