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小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

魔女の一撃 ~人生3度目のぎっくり腰と村長選挙

2021年09月03日 | 母島 日常 日記
■皆さんは「魔女の一撃」という言葉はご存じですか?
それはヨーロッパ流にぎっくり腰を表現した言葉なのだそうです。

僕はこの度、3日前に人生3度目のぎっくり腰になりました(#^.^#)
きっかけはほんの些細な作業中でした。

便利屋さん仕事で伐採中に、
ノコギリで細い枝を切り終わった瞬間に僕の腰も「ポキっ!」となりました(笑)。
1週間前くらいから腰に違和感はあったのですが、
SUPや野良作業をすると気にならなくなったので、
今回も同様だろうとタカをくくっていました。

自分のブログを検索してみると、
1回目は2018年5月、風呂上り
2回目は2019年7月、カヌーを持ち上げて
3回目は今回、枝を切っていて、です!
実に2年ぶり(笑)!
ブログもいい記録になってます(#^.^#)

これは動けるようになった3日目に家族で見に行った新夕日ヶ丘の美しい夕焼けです。
コロナ一掃期間中はず~っとべた凪です♪
海面に空の景色が映っていて、うっとり♡


今回も発症2日目が一番辛く、
トイレに行くのも数十分要する状態。
どんな姿勢でも痛く、夜もあまり寝れませんでした。
※おかげで沢山の映画や本を楽しめました♡

ただ動けることがこんなに有難いことなんて!!
感謝感謝です

■さてさて、海外でも「ぎっくり腰」はポピュラーな症状みたいです。
ぎっくり腰を英語にすると、
医療的には「Slipped disc(椎間板ヘルニア)」「Lumbar sprain(腰の捻挫)」「lumbosacral strain(腰仙部挫傷)」
と呼ばれているそうです。

しかし、日本の語源同様、いきなり腰に激痛がはしり動けなくなることから、海外でも別の呼称が定着しているようです。
ドイツやイタリアではぎっくり腰が魔女の仕業と信じられており、「魔女の一撃」と呼ばれるそうです。

ドイツ語では「Hexenschuss」、イタリア語では「Colpo della strega」。
そこから転じて、英語圏でもぎっくり腰を「witch’s shot」と呼ぶようになったそうです。

僕は結構この「魔女の一撃」という表現が気に入っています♪
「ぎっくり腰」という言葉だけでニュアンスを表現している部分もなんか素敵です☆

これはぎっくり4日目にだいぶ動けるようになったので、家族で北港リハビリスイムにいった時の写真です。

■そんなわけで今回は
1日目は午前に発症して、午後は横になりましたが割と軽症
2日目は痛くて全く動けず、トイレに行くにも数十分を要するほど
3日目は色々そこそこは動けて、できる範囲で仕事再開
4日目は今日!かなり動けて、入港日の配達仕事も周りにフォローされながらも最後まで遂行。

みんなが気を遣ってくれて、優しさが身に沁みました
本当に有難うございます!!

でも、意外とぎっくり腰は動けるときは
動ける範囲で動いた方が意外と良くなるもののようです(^_-)-☆
明日以降は早朝のSUPも再開できるのではと意気込んでおります(#^.^#)

島のぎっくり先輩の方々からは
「直りかけに無理して再発するともっと地獄だから、無理しないようにね!」
とアドバイスを頂いたおかげで超慎重です♪


北港の海中風景です。

■そんな最中、実は重大な出来事が島を駆け巡っていました。
そう、小笠原村長選挙です。

森下一男村長は平成15年7月から5期、18年を村長として勤めあげました。
近年は体調不良となり、村長業務に従事できない事態になってきて、
体調不良による辞任宣言をしていたのですが、なんと期日前に急逝してしまいました。
非常によく頑張っていた村長さんなだけに、みんな悲しんでいました。

そんな状況の中、
しかも小笠原村はコロナ禍、コロナ一掃期間の最中、
小笠原村長選挙の実施になったわけです。

今回の村長選挙の立候補者は2名。
前回(2019年)の時に立候補し、落選した元村議会議員の一木重夫候補。
今回初出馬で39年間小笠原村役場に勤め、近年は副村長として活躍している渋谷正昭候補。
この2名の一騎打ちとなりました。

母島の投票日は9/4(土)
父島の投票日は9/5(日)
どちらも役場で期日前投票もできます。

村の条例のせいらしいのですが、
島民には葉書一枚が来る程度の広報で、
告示8/31から投票9/4までにあまりに短い選挙期間と稚拙な手段の制限。

これには大いに僕も憤慨し、
両広報車の演説を録画、配信するつもりで臨みました。
※両陣営には確認済みです。

僕は今回、一木さんを支持する立場ですが、
渋谷さんも応援しています。

それは二人とも村を良くしようと思っての立候補だからです。
二人の候補のマニフェストを伝えるのも、
演説やインタビューを両方とも配信するのも、
村の広報が全然機能していないからです。
(これは村の条例のせいだそうなので、今後要改定!!)



■まずは一木重夫候補。
今回はコロナ禍で小笠原村のコロナ一掃期間ということで、
街頭演説は行わず、個別に声をかけてチラシを渡し、挨拶する方針だそうなので、
突撃インタビューを敢行しました。

集落では車や歩きで挨拶をしていました。

コロナ禍での選挙は難しいですね。

内容に関しては上の動画とチラシを参考にしてください。




一木さんは村議会議員を3期(12年間)勤め上げ、
2019年の村長選挙に出馬し、落選しています。

話をしてみると、とても具体的で熱意があります。
この20年間ずっと接してきた中で、
相談するとすぐに調べて動いてきてくれた実績と信頼があります。
消防団など共に活動する機会も多かったです。

僕は彼の行動力と人脈、住民目線での姿勢が薦める理由です。

一木重夫候補のHP


■こちらがもう一人の候補者、しぶや正昭候補です。
渋谷さんはなんと39年間、村役場に勤めていて、近年では副村長として活躍していました。
森下一男村長をずっと支えてきていて、とても信頼が厚いという印象があります。

僕が生まれたころから役場に勤めていたなんて、
今回初めて知りました(#^.^#)

渋谷さんは街頭演説をしていたので、撮影させてもらいました。

渋谷さんとも長い付き合いで、
一緒に南洋踊りをしたり、
色んな相談をしてきました。

非常に優秀な方だと思います。
ぜひこちらも政策チラシをご覧になってほしいと思います。



■小笠原村の人口2589人。
父島が2130人、
母島が459人。

住民の割合でいえば非常に低い母島ですが、
両候補者とも9/2の母島丸で来島し、9/3にそれぞれ漁船で父島に戻りました。

ははじま丸のスケジュールと短い選挙期間がかみ合わない中、
母島で1泊してまで活動してくれた両候補者に感謝です!

母島は9/4(土)が投票日です。
小笠原村である南鳥島(マーカス)、硫黄島にも気象庁や自衛隊の方が住んでいますので、
ヘリで父島に投票箱が届く流れのはずです。

僕が父島にいたときは、
夜になって、投票時間が終わったら地域福祉センターで開票していました。

何よりも一番気になっているのは、
年々下がる投票率。

小笠原の選挙の中でトップの投票率を誇る村長選挙。
それですら、回を重ねるごとに投票率が下がっています。

これは住民の政治に関する関心の低下だと思います。
2019年の村議会議員選挙が無投票選挙で終わってしまった現実があります。

こうして選挙になっただけでも素晴らしいと思うのです。

内地にいたころは僕も選挙に無関心でした。
選挙の時期は単純にうるさいなぁとしか思っていませんでした。

島で暮らしてみると、
議員も村長も暮らしが、家族が見えて、
自分の1票がとても重要なことが分かり、
選挙がとても面白くて大切になりました(#^.^#)

小笠原の住民の皆さん、ぜひ投票に行きましょう!!

ついに母島に夏が来た!!夏と一緒にトランジションがやってきた☆

2021年07月02日 | 母島 日常 日記
■今年は時化や台風のお蔭か、
例年より梅雨明けの雰囲気が遅れましたが、
6/29は完全に海の色と空の色が違いました!!

来た来た来た!!!!夏が来た!!!!
この日を待っていましたっ(*^_^*)

湿気が高く、
曇りや雨の時期が過ぎて、
雷の気配と共に、
ある日突然やってくる、
海と空の色が一気に青くなる日。

この明確に梅雨明けした!っていう日があるのです。
僕はその瞬間がいつも大好きです♪

小笠原は梅雨ではなく、雨季とかなんとかはどうでもよくて、
とにかく大好きな夏の到来!!

最近は便利屋さんの外仕事が続いてヘトヘトですが、
もちろん可能な限り、昼も夕方も海で泳いでます(*^_^*)


■昨晩は「トランジション・タウン講演会」というとても興味深い事を学ぶ機会がありました。
近年、色々と地域の課題を考え、母島部活堂などで活動していた所ですが、
まさにこのトランジションタウンというのが実践していて、
さまざまな参考になるものでした。

トランジションタウンは2007年イギリスの南部、トットネスという地域で産声を上げたそうです。
現在、神奈川県の藤野で活動している、今回講演をして下さった榎本英剛さんが
当時イギリスの有名なエコビレッジ、フィンドホーンに家族で生活していた時に学ぶ機会があり、
鳥肌が立つほど「これだ!!」と思ったそうです。

今回、
「僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる
 トランジションタウンという試み/ 著・榎本英剛(地湧の社)」

という本を出版して全国を回って活動しているそうですが、
この本がまた興味深いのです(*^_^*)

詳しくはHPや本を参考にしてほしいのですが、
【持続可能なコミュニティ(外部にしかない資源に過度に依存した状態)】

【持続可能なコミュニティ(市域に元々ある資源を活用している状態】
にシフトする活動がトランジション・タウンなのだそうです。

本来、トランジション(transition)という言葉は「移行」「変わり目」「過渡期」の様な意味があるそうです。

そしてキーワードとして「脱依存」「レジデンス」「創造(想像)力」があるそうです。

■小笠原は過度に外部資源に依存して暮らしています。
食料は95%は内地や外国に依存していると言われています。
そして、近年は世界遺産になり、生態系保全の予算や活動は活発になってきていますが、
人間の生活、地域力などは年々低下している状態だと感じています。

母島では人口の4分の1が65歳以上となり、
少子高齢化が進んで来ています。
次世代不足も各分野で顕著になってきており、
都住の新規募集が実質約10年間停止という衝撃の方針が合って、
若者の定着が難しい現実に直面しています。

今まさに過渡期なのです。
そんなタイミングでトランジションタウンと出逢えたことはとても画期的でした(*^_^*)
※実は10年前くらいにも聞いてはいたのですが、ピンと来ていませんでした☆

■そんな榎本ひでさんが話す講演の中で、
とても興味深かったのが[大事にしてきたこと]でした。

それは
・やりたい人が、やりたい事を、やりたい時に、やりたいだけやる
 (自分たちが楽しんでやる、自発的にアイディアがでてきている)
・そこに熱意があるのか?

・[自分たちにできないかも]を[自分たちにはどうにかできる]に発想を変える

・3人以上、同じおもいの仲間を見つける
でした。

ふ~む、興味深いですね。

父島のメンバーからは、
「過去に色々実施しても、なかなか継続できなかったが、最近は自然と流れが出来て、
こうして多様な人がこの話を聞きに集まって来ていて、機が熟して来ていると感じた」
「実際にミニソーラーシステムを実践しているので、興味のある人は声かけて」
「経済が大事と思っているので、この活動をはじめて振り回されて終わりでなく、
 いかにしっかりと定着して、丁寧に地域の身になる活動にしていくかが大事だと思う」
などの声があがりました。

僕は最近、
入港の宅急便の配達、共勝丸の物資のINとOUT、ゴミ回収の仕事を通じて、
島のものの出入りに関わる機会が多くなり、
実際に母島で毎週捨てられるゴミの量や、大量のペットボトルのことをもっと島の人に知ってもらう機会を作りたい」
と話しました。

まずは気付き、知る事から始めて、
地域の持続可能に繋げて行ければと思うのです。

NPO法人のONE LIFEが創立当初から言っている言葉、
Tink groval.Act Local(考えは世界的に、地域活動はコンパクトに)
がすごく身に染みて大事と感じる事が出来ています。

今後も小笠原で様々な学ぶ機会、活動が増えていくと思います。
僕も積極的に関わって行こうと思います。


僕のブログをみて、今回の講演に誘ってくれた横山さん、
素敵で分かりやすい本を出版し、講演してくれたひでさん、
トランジションジャパンの小山さん、
講演に参加、企画した父島の皆さん、
素晴らしい機会をありがとうございました!!


■さて、6月下旬にやってきた台風5号。
畑、集落、港、家の周りと見回ってきましたが、
今回の台風は、目立った倒木もなく、
雨も全然降らずm
ほとんど無被害での通過となりました。

先週から時化で、水温が急激に下がり、
台風の勢力が弱くなり、
コースが少し西にそれたのが幸いでした。

結果、いわゆる
「そよ風台風」ってやつでした。

せっかくやった養生が台無しじゃん!と思いがちですが、
そんな養生して損したが一番いいのです。

2年前の台風21号の被害が忘れられません。
今年はこれで2つ目の台風でした。

島民は漁協の養生具合で、
台風養生の段階の目安にしています。

今回は船は陸揚げしたけども、
厳重にロープで縛っていたわけでもないので、
さほどでもないんだなということになります(*^_^*)

いずれにせよ、無事の通過で良かった~!


■そしてそんな台風通過後の6/27。
前日は小笠原返還記念日でした。

コロナ禍ですが、唯一実施できた花火大会。
台風5号の影響で1日延期しましたが、
久々のエンターテイメントにみんな感動していました。

港では小笠原太鼓を叩いていて、
まるでいつもの返還祭の様でした。

花火のクライマックスでは佐々木政治師匠も叩いたそうで、
関係者一同、感動の瞬間でした♪

今年は正月から島の花火師達が頑張ってコロナ禍に実施してくれ、
今回の返還祭の花火実施に繋がったと思います。

ほとんどのイベントがない中、こうしてできることを模索する姿勢は素晴らしいと思います(*^_^*)
本当にありがとうございました!

母島のナンバーワンYoutuberのミッチーが素敵な動画にまとめてくれています♪
ぜひどうぞ~



■台風通過後の先日は次女と二人で北港タイム♡
やっぱ北港は楽しいですね(*^_^*)

珊瑚も生き物の種類もとても豊富です。
個人的には身が引き締まる水温の場合が多いのが北港なので、
暑い日ほどいい感じにクールダウン&リフレッシュできます(*^_^*)

次女のバブルリングはまだ納得いく出来ではないらしいです。
親父にはこれですらできないので、尊敬の対象ざんす。

6月は過去に記憶がないほど海が悪い春でしたが、
できる限り毎日SUPしたいので、
行ける日は多少悪くても沖に出ています。

少し波乗りのコツを感じ始めているので、
少し大きなうねりがあるのはむしろ好都合(*^_^*)

どんどん楽しくなって来ています♪

最後に7月5日は東京都議会選挙です。

母島にも都議会選挙の掲示板が設置されました。
僕はどの政党でもポスターを貼るお手伝いが出来ます。

みんなに選挙に関心を持って欲しいからです☆
(世の中の現状をボヤくなら、きちんと考えて投票しよう!)
毎回、1~2枚は依頼が来ています。

ご希望の立候補者事務所の方、連絡お待ちしております(#^.^#)

トランジションタウンもそうですが、
色んな事を他人事ではなく、自分事にして、
楽しんでいく他ないと思います。

4月にターニングポイントを迎えてから、
どんどん自分の周りの動きが変わって来ました♪

僕が好きなhideちゃんの言葉、
「何にもないってことは、何でもありってこと」
ピンチを逆にチャンスに変えて、楽しく進んでいければと思います。

今日も楽しんじゃおう♡

問題提議!!~初めての5月おが丸ドック期間を経て

2021年05月31日 | 母島 日常 日記
■怒涛の様な物量の宅急便&郵便の配達を終えて、
ようやく初めてのおが丸5月ドック期間を終える事が出来ました♪

この「おが丸ドック期間」というのは、東京と父島を結ぶ定期船、
おがさわら丸が船舶定期検査&整備のために約3週間程度のお休みを取る期間の事を指します。

例年だといつも1月の時期におが丸ドックを行い、
3週間ほどの間、内地とのアクセスが途絶える状況になっていました。

その間は貨物船・共勝丸が郵便物と生鮮食品や宅急便を運搬してくれていました。

今回は初めて、伊豆諸島の東京~大島〜利島〜新島〜式根島〜神津島航路を結ぶ定期船、
新・さるびあ丸が代船として活躍してくれたのです♪

※父島のOさんに写真提供いただきました!ありがとうございます☆

自分たちの定期航路を空けてでも、
おが丸のドック期間中の穴埋めのために、さるびあ丸を代船として貸して頂き、本当にありがとうございます!

大島、利島、新島、式根島、神津島の皆さん、
ジェット船などはあるとはいえ、
貴重な貨物のアクセスが止まってしまいます。
小笠原の暮らしの為に本当に有難うございます!!

いずれ、お世話になっている島の所にも伺いに行こうと思っていますし、
もっともっと島同士交流できたらいいのになと思っています(*^_^*)


■20年前、僕が小笠原に移住した頃はさるびあ丸と同様に
「かめりあ丸」「すとれちあ丸」がドック中の代船として小笠原航路を航海していました。

すとれちあ丸は2002年、
かめりあ丸は2014年にこの伊豆諸島の航路からは引退しています。

どちらも初代おがさわら丸と同じ時期に建造された、よく似た姉妹船でした。

しかし、2004年頃(定かではないです)を最後に代船対応が出来なくなり、
小笠原は毎年1月頃に約1ヶ月、内地とアクセスが途絶えてしまいます。

これまで、伊豆諸島を繋いでいる橘丸や旧さるびあ丸は
小笠原までの外洋を航海するライセンスを持っていないらしく、
ドック期間中の代船は不可能だった背景があったと聞きます。

個人的には静かで島野菜に溢れるドック期間は大好きですし(笑)、
これを機会に観光業や漁師も長期休暇を取って、
内地に旅行をしたり、市場の挨拶回りなどをこなす機会にもなっていたみたいです。

しかし、もちろん困ってしまう場面も多々ありました。

11月の住民健診(人間ドック)で検査結果に引っかかり、内地に再検査などに行かなければいけない時に、
ものすごく長い旅程になってしまうこと、
受験生などにとっては1月のセンター試験や受験を内地に受けに行く場合、
とても不利な状況などでした。

しかし、2020年に新「さるびあ丸」が就航し、
小笠原航路のドック期間代船を想定して、
小笠原までの外洋を航海するライセンスを取得してくれたそうで、
去年から「2021年は新さるびあ丸が代船をしてくれるので、実質ドック期間は無くなる!」と話題になりました。

小笠原航路で普段は乗れない船に乗れるのも、
大きな楽しみのひとつです♪
(コロナ騒ぎになってから一切島を出ていないので、新さるびあ丸は見た事もないですw)

そしておが丸のドック時期も1月から5月に変更となりました。
今回、それを経ての感想です。


■まずはさるびあ丸を代船として運行してもらい、
本当に助かった部分は多くあったと思います♪
本当にありがとうございました!!

いつもの3週間内地とのアクセスが途絶えてしまうわけでもなく、
実質2週間だけとなりました。

5/8父島出港がラストでおが丸ドック入り、
5/19入港、5/20出港がさるびあ丸、
5/29入港、5/30出港からおが丸ドック明け、

2020年に話題になった時はさるびあ丸がドック期間中の3週間に毎週運航(2~3回程度)してくれると思っていましたが、
実際は1回のみとなったのは少し想定外でした。(多くの島民がそう思っていました)

そして、さるびあ丸がおがさわら丸と速度も積載量も違うのも誤算だったと思います。
今回は貨物船・共勝丸での郵便や宅急便の運搬はさるびあ丸頼みで、
内地→小笠原間はなしになり、
小笠原→内地間の上り2便のみ受け付けるという体制でした。

しかし、ここに色んな問題が生まれました。
4月末に注文した物品が5月末まで届かないという事態が沢山発生しました。

さるびあ丸はおがさわら丸に比べて小さいので、
積載コンテナの数が少なく、大量の宅急便などの荷物が内地に残る事態になってしまったのです。

これは遊びの道具や趣味の物品などは待てばいいだけであまり問題はないのですが、
薬などが届かないというのはかなりシビアな問題となりました。

今回実施してみての反省を生かし、
次回は改善していかなければと思います。


■まず現行の3代目おがさわら丸と新さるびあ丸の比較をしてみましょう。

【3代目おがさわら丸】2016年就航
総トン数:11,000 トン
全長 :150 m
全幅 :20.4 m
旅客定員:892名
航海速力:23.8ノット(小笠原~東京を24時間で結ぶ)

【新さるびあ丸】2020年就航
総トン数:6,099 トン
全長 :118m
全幅 :17m
旅客定員:近海区域 639人
     沿海区域(御蔵島まで)1,343人
航海速力:20ノット(小笠原~東京を29時間で結ぶ)

比較してみると、やはりおがさわら丸の大きさと速さが分かります。
コンテナの積載量もかなり違いがあると思います。

代船を務めてもらうのは本当に有難いことです。
しかし、おが丸まったく同じものを求めるのはお門違いだと思います。

まずは代船が動いてくれるだけで超感謝です♪

しかし、今回困ってしまった問題をしっかりと検証し、
改善できる点は改善していかなければと思います。

失敗は成功の母と言います。
進化していきましょうよ☆

次は今回の5月ドックであくまで個人的に見えてきた、
困った点と良かったを挙げてみたいと思います。


■今回の新5月ドックで見えてきたこと(あくまで超個人的主観)
【困った点】
・母島の主要な農作物パッションフルーツの最盛期なのに長期間内地に出荷できない
・同様にトマトの収穫最後のシーズンだが長期間内地に発送できない
・時化る冬の1月と違い、海が穏やかで漁師が漁に行けるのに、魚を内地の市場などに長期間送れない
・貨物積載量が少ないので1回だけの運行だと荷物が乗りきらず、生活必需品(薬など)が届かない事態が発生
・母島は内地送りの準備を出港前日に行うが、1泊便だと入港作業と内地出荷作業が同じ日になり、労働作業が深夜に及ぶほど長時間になってしまう
・GW最後の運行予定にすると問屋が発送日に休業となり、ドックに向けて島に送る精製食品がドック入りの便ですら難しい場合がある
・共勝丸での下り便での精製食品や荷物をなしにしたので、乗り切らなかった荷物がドック明け後に集中してしまう
・さるびあ丸の入港時間が遅く、出港時間がはやい(母島の場合は19時入港、内地行きは朝7:30出港)

【助かった点】
・1月の様に海が悪くないので、共勝丸の運行予定がほぼずれない
・3週間アクセスがないのではなく、2週間で済んだので危機感が半減
・観光の人も以前よりは来島しやすい期間ができた
・受験生にとってシビアな時期に内地に長期滞在しないで済んだ
・住民健診後の検査や入院が長期化しない

こんな所でしょうか?
分野によってはまだまだあるでしょうが、僕個人で考えれた部分です。

5月ドックという時期的な問題は、
第1次産業が主要産業の母島にとっては沢山の課題があったと思います。
父島的にはどうだったのでしょうか?

あとは積載量の問題もあり、
届くと思って早め(4月末)に注文したものですら届かなかったのはシビアな問題だったと思います。
特に日常的に必要な薬などが届かない、
商店からトイレットペーパーがなくなるなどの事態が発生していました。

個人的にはドック明けの入港作業がべらぼうに荷物が多くなり(普段の3倍でしたw)、
そこが現場として超大変でしたが、
アクセスがないドック期間自体は日常が穏やかで元々好きなので問題ありませんでした♪



■さて、今回の経験を経て僕個人的に改善できる部分を提案してみたいと思います。

本土から1000㎞離れた超遠隔離島に好き好んで住んでいるので、
贅沢を言うな!という意見もあるとは思いますが、
できる限り現行の状態を工夫することで改善できる事を模索するのが、現実的と思っています♪

来年もなんと今年同様の運航スケジュールで検討していると耳にしますが、
今年と全く同じでは、改善できる余地があるのにあまりに反省できてないので、
ぜひ小笠原と伊豆諸島の住民の皆さんなど、
漁協や農協も入っている航路検討委員の皆さんや
村、小笠原海運、東海汽船などで話し合ってもらえればと思います。

【改善案】
①今回と同じ5月ドックで さるびあ丸が1回の代船運航の場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
・共勝丸の運行予定を可能な限り、定期船の運航のない週の中間に設定する
・住民に荷物が届かない想定を伝え、4月上旬に注文するように呼びかける
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

②5月ドックで さるびあ丸が3回の代船運航の場合
・乗り切らなかった荷物運搬用に共勝丸はドック期間中はお願いする
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

③1月のドックに戻して さるびあ丸が代船運航の場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
(スケジュールに関しては海の悪い冬なので、あまりタイトには組めないと想定)
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

④1月のドックに戻して さるびあ丸が代船運航をしない場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
(スケジュールに関しては海の悪い冬なので、あまりタイトには組めないと想定)


こんな提案を考えてみました。
どうでしょうか?

個人的には、
1週に1度さるびあ丸が代船として運行できる(3回小笠原航海する)なら来年も5月。
それが厳しいのであれば、やはり1月のドックがいいと思うのです。

そして、さるびあが運航してくれる場合は内地出港を1時間位早めて欲しいと思います。(今回は11時竹芝出港でした)


またさるびあ丸を貸してもらっている恩もありますので、
島間の交流を密にして、色んな特産品の提供や、特別寄港便を盛んにして行ければと思います♪

これはあくまで母島住民の僕の個人的な独断と偏見に満ちた提案です。
さるびあ丸を貸してくれている伊豆諸島の皆さんや東海汽船、
父島の目線は大きくかけていると思うのでご了承ください☆

ぜひぜひ様々なご意見を教えてもらえればと思います♪


■最近、トレーニングとしてなるべく毎日SUPで沖に出ているのですが、
日中の昼休みすらほとんどない日は夕方に漕ぐようになりました♡

Sunset SUPの美しいこと(*^_^*)

日没後の夜の帳と
サメたちの食事の時間なので、
あまり長居はできませんが(汗っ)、
壮大な夕陽を海面で眺めていると、
自然の一日の感謝の気持ちが湧いてきます♡

ドック明けの入港日は母島の配達はとてもべらぼうでしたし、
農作物の内地出荷作業は深夜2時になったと聞いています。

入港日翌日の出港日には、
前日の入港接続でははじま丸に載せれなかったコンテナが沢山やってきました(#^.^#)
急遽土日返上で配達を頑張った次第です☆

毎日ではないとしても、
これが毎年続いてしまうのは、あんまりだと思ったので、
改善できるところは、どんどん改善していきましょう(*^_^*)

今回の深刻な配達状況を心配して、
沢山の方が応援や手伝い、ねぎらいの声をかけて頂きました。

実際、沢山の人に支えられ、無事に乗り切る事が出来ました♪
母島の温かさ、力強さを垣間見た気がします(*^_^*)

大変な物量の配達をしながらも、
母島の素晴らしさを実感したドック明けでした☆

本当にありがとうございました!!


■これは母島の88Cafe(ダブルエイト・カフェ 通称ははカフェ)の照り焼きバーガーです。
次女の運動会&新挑戦のお疲れ様ご褒美でした☆

今年は空梅雨ですし、
海水温はもう真夏のような26~27℃になっています。

これは台風の発達を促すので、ちょっと心配な事項です。

去年はなんと1つも台風が小笠原に来襲しませんでした☆
2年前は超被害がありました

今年は空梅雨でも冬によく降ったので、水不足の心配はない状況ですが、
無事の1年が過ごせることを祈るばかりです。

みなさんが健やかな夏である事を願っています(*^_^*)

皆既月蝕~2021全国のみんながお月様を眺めた日

2021年05月27日 | 母島 日常 日記
■5月26日は地球が1年で一番月に接近する為に大きく見える「スーパームーン」の日。
今年はなんとその日が「皆既月蝕」でした(*^_^*)

僕にとっては母島で初めて見た皆既月食です。
確か2007年くらいに当時住んでいた父島で見た様な記憶があります。

この壮大な太陽と地球の天体ショーを
同時刻に全国の人が大勢眺めていたというのが何だか嬉しいものです(*^_^*)
お月様も恥ずかしくてか、真っ赤になっていました(笑)♪

内地、特に関東圏内は曇りで見えなかったようですが、
福島や北海道、ハワイなどではそれぞれバッチリ見れたみたいですね♪
場所によって角度が違うのも、当たり前だけどなんだか不思議な部分です。

雲って見れなかった皆さんも、
写真でだけど、母島から見たお月様で楽しんでもらえればと思います。

とても美しく、壮大な宇宙を感じれる素晴らしい天体ショーでした(*^_^*)
皆既状態になると薄い紅い月のスーパームーン。

次にスーパームーンと皆既月蝕が重なるのは、
12年後の2033年10月8日になるそうです。
そう聞くと、
なんだかこの一瞬が大事に思えてきます。



■僕は人がいない母島北部のある山の中で、
オガサワラオオコウモリと鳥と虫の気配を感じながら、
贅沢な時間を過ごす事が出来ました♪

ちなみに次女は友人たちと新へリポートに夕食とお菓子持参で出かけて行きました。
夕焼けをバックに素敵な写真まで♪
本当にありがとうございます!

さてさて、今回のスーパームーン。
実は1年前からこの日は、母島のあるポイントに行く事を決めていました。
でもこの日がまさか皆既月蝕であると知ったのは先週の話でした。

島のレジェンドがこの日に皆既月蝕がある事をラジオで知り、
僕に伝えてくれました。
さらに僕は島の友人にSNSで詳細を訪ね、小笠原での観測時間と方向を知りました。
教えてくれた島のレジェンド、友人に感謝ですm(__)m

小笠原の5月はリュウゼツランやサイザルアサが高い花茎を延ばして、
その蜜を求めて、島のコウモリや鳥たちが集まって来ます。

大きな満月とその花を撮るのが夢でした。
今回は予想外の皆既月蝕で、思ったようには撮れませんでしたが、
この珍しい天体ショーは嬉しい誤算でした(*^_^*)

■昨晩の皆既月蝕。
始まりは下の方から欠けてきました。


徐々に地球の影がお月様を隠していきます。


望遠で覗いていても、少しずつ「蝕」が進むのが分かりますし、
お月様自体が高度を上げていくのも分かりました。
こんなにも速く動いているなんて!!!


数十分でここまで欠けてきました。
ちょうどこの頃にコウモリが羽音を建てて、近くのリュウゼツランの花に飛来してきました。


20時12分、ついに皆既月蝕となりました。
赤銅色に輝き、いつもは見せない表情を見せてくれています。
月が赤銅色になるのは、地球の大気を通った太陽光のうち赤い成分のほうが月に届きやすいためだそうです。
大気の状態によって届く光が変化するため、月の色は月食ごと異なり、明るいオレンジ色や暗い茶色のように見えることがあるとのこと。

この状態が15分ほど続きます。

母島は雲が時々流れて、完全に隠れる場面もありましたが、
皆既月蝕の15分間は見事に晴れ渡っていました♪

この瞬間、天の川が輝きを増し、満天の星空が上空を覆っていました。
とっても感動的な移り変わりでした(*^_^*)


少しずつ、明るい月が覗いてきました。
いわゆる薄いペーパームーンの瞬間が、僕は一番好きな感じでした。
今回で実は一番美しいと思った瞬間でした。


その後は雲が増えてきましたが、
なんだか逆に神秘的に見える様を見る事が出来ました♪

同じ母島でも場所によっては、雲が絶妙のタイミングでお邪魔していたとか。
そんなときも一期一会☆
色んなご縁を感じて楽しめれればと思います(*^_^*)

妻と北部に向かう時の集落から上がるお月様です。
集落の明るさの中に、若干下が欠けたお月様が見えます。

何も知らなければ、知らずに通り過ぎてしまったであろう皆既月蝕。

去年のネオワイズ彗星も走でしたが、
こうしてきちんと緻密に計算し、お知らせしてくれたことで、
みんながこの天体ショーを楽しめたと思います。

家族、友人、知人、天文学者、皆さんのお蔭で
この貴重な天体ショーを存分に楽しめました(*^_^*)
本当にありがとうございますm(__)m


■さてさて、最近はできる限り毎日SUPで海に出ています。
そんな時、とても素晴らしい瞬間に立ち会う事が出来ました(*^_^*)

友人の小1の子どもの「人生初頭から飛込み」に立ち会う事が出来たのです♪

脇浜で一緒にSUPで遊んでいた中で、
「こうして頭から行ってみれば~?」
「え~できないよ~」
「じゃあ、最初はSUPにお腹付けてやってみなよ~」
「それなら~」
 …ぽちゃん!
「できた♡」
「次は立ってやってみる!!」
 …ぽちゃちゃん!!
「わ~い!できた~!!!」
…凄すぎです。

まだ浮き輪なしで足のつけない所を泳ぐのが怖い女の子です。

それでも度胸があって、
どんどん目の前で進化していく。

その様が本当に素敵過ぎて、
こちらが大感動♡

超びびりーの弟男の子くんは、
その後、SUPの先から足からだけど飛び込めるようになりました。

みんなすごい(*^_^*)
自分の子供でも感動を頂いてばかりですが、
人の子でも沢山の感動を頂いています。
本当にありがとう♪
SUPが島っ子の頭飛込み入門にこんなに効果的だったとは(*^_^*)

やっぱ女子は肝が据わってます(笑)!


■そして5/24 小笠原アイランズ農協が誕生しました!!
小笠原アイランズ農協の第1回通常総会が開催され、新しい農協が誕生しました。

2001年から続いていた伊豆諸島と小笠原諸島が合併した
「東京島しょ農協」はこれで小笠原が分離独立した形になりました。

1972年に設立した「小笠原島農協」みたいなエリア範囲に戻ったことになります。

思えば、遠く離れた島でひとつの農協だったことに沢山の弊害があったと思います。
なかなか行き来できない島同士がひとつの組織で運営することに無理があったと思います。

これで自治権を自分たちが取戻し、
自分達らしい農協の運営ができるようになったと思います。
分離独立に向けて、ずっと尽力してくれた組合の皆さん、関係者の皆さんに深く感謝いたします(*^_^*)

個人的にはですが、
小笠原の漁協のように、父島と母島が別の農協で良かったと思っています。
漁協は父島と母島は別の組織なのです(*^_^*)

組織はなるべくローカルなエリアでまとまって、でも視野は広くがこれからのスタンダードだと思っています。
そんな門出の日でした(*^_^*)


[皆既月蝕2021撮影機材]
・OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ
 望遠ズームレンズ M.ZUIKO ED 40-150mm F2.8 PRO+ 2.0X テレコンバーター MC-20
・Canon PowerShot SX60 HS

ガラホのススメ

2021年05月21日 | 母島 日常 日記
■ついに脱ガラケーをしました!
世の中、それは普通はスマホに移行した事を指すと思います。

しかし、僕の場合はそうはいきません(*^_^*)
スマホではなく、ガラホになっただけです(笑)。

機種はDocomoのarrows f-03Lです。

結論から言うと、ガラケー(FOMA)のサービスが終了する2026年まで、
ガラケーを使い続けるつもりでしたが、
機種変更して本当に良かったと思います♪

料金は安くなるし、
使い心地は快適だし、
まったく不満はないからです。

現ガラケーユーザーの方で、スマホはちょっと…という方には、ぜひお勧めしたいです☆



■話は3月に遡ります。

11月の光工事契約に引き続き、またまたドコモショップが母島に出張に来てくれました!
本当に有難いことです。

11月に時にケータイの料金や使い方について、ついでに相談していて、
ガラホを勧められました。

正直、乗り気ではなかったのですが、
料金を聞いてビックリしました!

2019年夏に内地で聞いた時とは大きく料金が変わっていたからです(*^_^*)

前聞いたときは、ガラホにすると月5000円超えくらいの月額料金しかありませんでした。
しかし、2019年秋に新料金が設定され、ガラホ向けに「ケータイプラン」というものが作られたのです。

それはなんと月額1200円という、超低価格設定(*^_^*)
それに通話かけ放題のオプションが付けれます。
・かけ放題オプション 1,870円
・5分通話無料オプション 770円

気になるデータ通信についてですが、
高速通信は100MBまで無料。
それ以上は低速になりますが、追加料金なしで使えます。
それでもガラケーと同程度の速度は出ますし、
なんとWi-Hi、テザリングまでできちゃいます。
データ通信がもっと高速でやりたい場合は1GB1000円程度でその都度追加できます。

OSはAndroidでGoogle playは非対応。
LINEはできません(*^_^*)。
Google検索や、
Facebook、twitterなどは普通にできます。

microSDカードスロットもあり、
電話帳のバックアップや音楽や画像データ(mp3)も入れる事が出来ちゃいます♪

内蔵カメラも背面のみですが、ガラケーより綺麗です。
もお、十分ぢゃないですか(*^_^*)

ドコモショップの方が面白い例えをしていました。
「ガラホは限りなくガラケーに偽装したスマホです(笑)。
 大変な無理をして、ガラケー程度の事が出来るように頑張っています」と。


■そもそも、何故スマホを持たないかという理由です。
それはスマホがあまりに便利すぎるというのと、
価格や通信料が高いというのが理由です。

スマホはもはや小型のPCと言っても過言でない程、
なんでもできてしまいます。

値段もPC並みかそれ以上ですね。

僕の場合、外に出ている時は、
できるだけSNSやLINEから離れたいと思っています。

いつでもどこでも様々な連絡が入ってくるというのは、
僕にとってはあまり歓迎できるものではありません。

畑作業などをしていて、何でも調べれてしまうと、
便利だけど、悶々と考える時間を失ってしまいます。

時代がメールよりSNSやLINEになってきているのは好都合で、
本当に必要な急を要する用事は電話がいいと思っています。

幸いにもFacebookもInstagram、LINEもすべて家のPCでやっているので、
僕の場合は携帯電話の方が合っていると思っています。


■僕の独断と偏見による、メリットとデメリットを挙げてみます。
【ガラケー】
★メリット
・本体が安い(中古で2000円位)
・バッテリーの持ちがいい
・月々の料金が安い
・耐久性が高い
・本体が小さくてかさばらない
★デメリット
・サービスが2026年で終了してしまう
・機種がもう生産しておらず、修理もできない

【ガラホ】
★メリット
・バッテリーの持ちがいい
・月々の料金が安い!!
・自分で入れた音楽を着信やアラームにできる
・今後もサービスが続く見込み
・耐久性が高い
・本体が小さくてかさばらない
★デメリット
・本体がガラケーより高い(中古で1万~2万程度)

【スマホ】
★メリット
・写真がキレイ
★デメリット
・本体が高い(10万)
・本体が大きくてかさばる
・月々の通信費が高い
・LINEなどどこでも繋がってしまう
・バッテリーの持ちが悪い

そんな訳で、
なかなか一般の人とは感覚が違うとは思いますが(笑)、
外出先で通話のみでOKな人にはガラホをお勧めします!


■今年の小笠原はなんだか空梅雨の様です。
存分に冬場に雨は降ったので、現在乳房ダムも玉川ダムも貯水率100%なので、
問題はない状態ですが、少し例年と違うので、若干の不安もあります。

このまま無事に1年が通過することを願うのみですね。
変な台風の当たり年にならない事を祈るばかりです。

すっかり海に入るのが気持ちのいい季節になって来たので、
もはやほぼ毎日海に入っています(*^_^*)

コロナ禍でイベントや飲み会がないので、
ひたすら海に行っています。

これが正しいステイホーム(笑)。

もはや、結婚当初と同じ準ヘビー級になってきてしまったので、
そろそろ体を絞っていかなければいけないでしょう。

16時間断食の極意

島でこれでグッと痩せた人を僕は知っています。
知人にも数人、これを今も実践していて、調子がいいという人が複数います。

僕も依然一度試みたが、玉砕しています(笑)。
そろそろ、またやりたいと思うのですが、どうかな~


■先週の土曜日から毎日SUPが続いていて、
平日は基本的に昼休みに毎日1時間程度漕いでいます。
昨日の昼休みは久々にイルカさんに逢えました♡

家からSUPを抱えて5分で海に入り、
漕いで20分でイルカに逢えてしまう昼休み。

想像では昼休みSUPはクタクタになって、
午後は仕事にならないと想像してたけど、
逆に元気になり、活き活きと働けています(笑)。

この大自然、
家族と仲間、
そしてSUPボード、
すべて有難い限りですヽ(^o^)丿

大貧民から立ち上がる

2021年05月08日 | 母島 日常 日記
■ここ数か月、我が家で大ブームの「大貧民」(大富豪と言ったりもします)。
僕が夜の用事がない場合は、だいたい家族でトランプやUNOなどをするのですが、
ここ最近は大貧民が主流です(*^_^*)

以前はポーカーやババ抜きが主流だったのですが、
最近、大貧民を始めてからはその面白さの虜になり、
ずっと続いています♪

大富豪の基本ルールはこちら

実は小笠原オリジナルトランプです☆Jokerはオオコウモリ、絵札はイセエビやクジラなんです(*^_^*)

ちなみに、累計で僕は一番負けています。
始めた初期は何故か圧倒的に妻が頂点に君臨し続けていたのですが、
最近は次女がかなり強いです。

僕は「平民」か「大貧民」がほどんど(涙)。
なんでだろう!?
悔しい…
こんなにも格差は覆らないのかっ(笑)!?

次女は姉が置いて行ったニンテンドーDSも好きなのですが、
対戦となると圧倒的にトランプの面白さの勝ちの様です。

リアルの駆け引きが醍醐味ですよね。
大人が全力で楽しめるように作ったゲームに優る、
大貧民の魅力♡

次女はきちんと成績をノートに記録していて、
僕の弱さは一目瞭然でした(泣)。

次女が学校の友達に広めはじめると、
子ども達の中でもチラホラ静かなブームが来ていました。


■さて、そんな大貧民、色んなローカル・ルールがあるようです。
学校から帰って来ると、
「今日はまた新しいルールを聞いたよ!」
と嬉々として報告してくれます。

・8切り:8を出せばその人が最初から再スタート
・11革命:11を出せば、そのターン限定の「プチ革命」が出来る
・スペードの3:ジョーカーに対してのみ最強の強さを発揮できる切り札
・複数出し:同じ数字が複数ある場合は同時に出せるが、その後はそれ以上の枚数でないと出せない
・革命:同じ数字4枚を出すと価値観が逆転する(ジョーカーで代理も可能)
・最初は♦3を持っている人が始める

全国各地で色んな異なるルールがあるみたいで、
色々知りたくなってしまいます♡
(ローカルルールまとめを発見!→こちら

TVや携帯ゲームが主流の時代ですが、
少し昭和時代のゲームの面白さも再確認してみるのもお勧めです!!

何と言っても大富豪から大貧民になってしまう「都落ち」、
大貧民が急に大富豪になるなど、色んな起死回生のチャンスがあるのも面白い部分です。

ここで考えさせられるのは、「豊か」の意味です。
お金を沢山持っていることが豊かなのではなく、
心が豊かであることが一番大事であると、実は昔かは分かっているのは周知の事実。

プライベートでもそんな立ち上がりがありました(*^_^*)


■先週からずっとやってみたかった仕事のひとつ「ゴミ回収」を始める事が出来ました♪

父島時代以来の10数年ぶりのフローラ勤務です(#^.^#)

フローラは今、様々な分野の仕事があります。
草刈りや外来種対策、船内清掃や郵便や農園、ガイドまで。
母島ではゴミ回収の委託業務もやっています。

僕はフルで勤務というよりは、
人が足りない時だけのスポット参戦ですが、
ずっとやってみたかった仕事ができて感無量です☆
職場のみんなも素敵な人たちばかり(#^.^#)

最高です!
450人の島で毎日発生するゴミの処理。

ゴミ回収の人たちがやらなければ、
島の暮らしは成り立たない大事な仕事です。

でも臭いし、汚いし、重いしで
なかなか人がやりたがらない仕事でもあります。

僕は何故か高校生くらいからやりたかった仕事が、
・宅急便配達
・引越し屋さん
・ゴミ回収
・し尿処理の回収屋さん
でした。

要はあまり人がやりたがらない仕事ですが、
なくてはならないと思ってる職種な気がします。

これで最後の「し尿処理の仕事」以外はコンプリート!!

そんな仕事をしつつ、別で個人事業の開業準備を進めています。

勉強することが沢山で、
梅干し大の僕の脳みそはてんてこ舞いです(笑)。

生活の安定とは真逆の方に進んでいますが(笑)、
一度きりの人生、
思いっきりやりたい事をしていきたいと思います(#^.^#)

さて、どんな素敵な大貧民になれるかな!?


■GW頃から、ようやく沖に出るのも寒くなくなってきました!!
去年の9月からうちにやってきたSUPを楽しむ番です♪
ザトウクジラ達も随分といなくなったので、少し怖さも減って来ました☆

ひとりで気ままに沖を漕ぐ気持ち良さは絶品です。

しかし、今回は子ども達にSUPを奪われ(笑)、
沖への出発が1時間以上遅れましたが、
赤ブイまで行って来れました。

沖は風がなくて気持ち良かったです♡

この海の色が6月の中旬の梅雨明けの瞬間に、
青さがグッと深くなり、雲が高くなる「梅雨明け」の日があります。

沖から見る母島の谷間の暮らし。
いつ見ても「こんな小さなところで暮らしてるんだぁ」と再確認します。


そして日曜日はカヌー日和(*^_^*)
5月になって、母島もカヌーが盛んになってきました♪
やっぱり寒くないといいですね(*^_^*)

今回は蓬莱根までの往復6.5kmをさらっとボヤージング。

途中はウミガメやイルカちゃんにも会えて、
幸せなひと時でした♡

SUPにカヌーに海三昧。
今年もコロナで内地に行けないだろうから、
夏は存分に海で遊び通します!!

夜にみんなで飲む楽しみはなかなかコロナで難しい世の中ですが、
アウトドアは存分に楽しんでいい気がします☆

こんな正しいコロナ禍の楽しみ方、島ならではですね(*^_^*)


■GW最終日はみんなに愛されたK子ちゃんの見送りでした。
母島のダイビングをずっと支えてくれた、彼女。

最後は足を負傷してしまうというハプニングもありましたが、
みんなに精一杯見送られて行きました。

若手の仲間が引き揚げが決まってから、全力で送別をしていました。
“もう悔いはないっ!”と言ってました。
肩を組んで見送る様はなんだか、とても微笑ましい♡

沢山ありがとう!
いってらっしゃい!
気をつけて!!!


■バタバタと忙しい中、GWは家族で自家製味噌作りをしました。
今年はちょっと例年より遅い味噌作りです。

去年はカナダから帰国した長女と一緒に作ったことを思い出します☆

しかし、毎度思うことですが、
やっぱり薪パワーはすごいんです!!

ガスで煮るのと違って、
すごく豆が芯まで柔らかくなるんです。
何が違うんでしょう?

ガスで沸かしたお湯よりも、
薪で沸かした五右衛門風呂が温まるのと同じ原理なのでしょうが。



■畑では日々夏野菜の種まきや作付けが続いています。
こちらは小笠原ローゼル(旧:母島ローゼル)の種です。

去年は雨が多く、ネズミの害も深刻で種を取るのが難しかったので、
今期はお裾分けは難しい状況です。(ごめんなさい)

4月に蒔いたコたちは、
着実に大きく育ってきました♪

近年は種を分けた人たちでも栽培が増えて来て、
とても嬉しいです(*^_^*)

万が一、僕の方で種が絶えてしまっても、
誰かが残してくれる可能性が上がります。

まだまだ種を蒔いていますし、
基本的に直播きです。

そちらの方が初期管理は大変ですが、
根が巻かないので、
台風に遭っても強い株ができます。

元気に育ってね♪
ローゼルちゃん(#^.^#)


2月に飢えたジャガイモも収穫期!
今年は冬が暖かく、雨ばかりだったので、
涼しくて乾燥を好むジャガイモにはなかなか厳しい冬でした(*^_^*)

掘り終わるまで梅雨入りしませんように!!


■そして先日、生まれて初めて、「タラの芽」という山菜を頂いて食べました。

長い冬を乗り越えて、
精一杯芽を出すエネルギーの詰まった、
春の山菜のえぐみ♡

今回は島のレジェンドの方に天ぷらでの調理を頼まれて、
無事に初挑戦して、お渡しする事が出来ました。

すごく喜んでもらえて、こちらもほっこり♡
お裾分けも頂けて、お腹もほっこり♪

「上手にできてる。衣のつけ具合も完璧だよ!ありがとう」
嬉しい一言を頂きました(*^_^*)
どうもありがとうございました☆

■そんな春先の母島。
ようやくウミガメも産卵が始まりました。

写真は前浜です。

このコロナ禍でも、ちゃんと自然界は季節が巡っていきます。

大貧民でも心豊かに生きることで、
大富豪以上に幸せな「真の大富豪」になれます。

目指すはMaster of Life(人生の達人)。
どんな逆境でも楽しんで、笑顔で死ねる人生を歩んでいきたいですね(*^_^*)

木を見て森を見ず

2021年05月01日 | 母島 日常 日記
■先日の満月は「ピンクムーン」と言われています。

ピンクに見えないのになぜに!?
と思って調べると、
なるほど、
アメリカでは満月に月ごとに名前がついているということがわかりました。

台風みたいなもんですね☆

ちなみに
ピンクムーンは、4月の満月を指す言葉で、4月にピンク色の花が沢山咲くことからついた名前だそうです。
北米の先住民が使っていた呼び名らしいです。

参考までに他の月についてはネットで調べると色々出てきますヽ(^o^)丿

今回は海の上に輝く満月を見ながら、島の先輩と色々お話をしました。
頭上には島の先住民オオコウモリがチラホラ。


■先日、大好きな写真家の水口博也さんのオンライン対談を見る機会がありました。
僕は彼のクジラの写真集が子供の頃から大好きで、
仙台の図書館でしょっちゅう借りては眺めていました♪

幼いころから何故か鯨類に惹かれていたので、
次のページをめくる前に何が書いてあるか分かるほど読んでいました(#^.^#)

そんな小笠原にも来ている憧れの水口さんの対談。
デジカメ、スマホの時代の写真の意味や、
野生動物を撮るということ、
決定的瞬間を狙うのではなく、自分の表現したい気持ちを持って、自然全体を感じて撮っていくなど、
興味のある話の連続でした。

もっと沢山の内容があったのですが、
特に面白かったのが、南極でのドカ雪の話でした。


■地球温暖化について聞かれるとき、
いつも南極の話をするそうですが、
新聞やメディアは1枚の分かりやすい写真を望むけど、
そうではないという話でした。

南極は大きな大陸に氷が乗っていて、
大陸自体は地球温暖化の影響をあまり感じにくいが、
南極半島ではそうではなく、その影響は顕著なのだそうです。

それが氷が解けて水になり、
その水が蒸発して雲となり、
今までにないほどのドカ雪を降らせるというのです。

地球温暖化なのにドカ雪!?と思うけれど、
そういうメカニズムをみると分かってくる部分です。

しかし、1度南極に行って、それを経験しただけではそれしか分からない。
だから、10年ほど通わないと実態は分からないというのです。

1回だけで氷が解けた南極を見て、
地球温暖化の分かりやすい写真を発信するのでは辿り着けない深い洞察だと思います。

水口さんはどこでも最低10年は通わないと分からないと言っていて、
そんな人の写真を僕は見ていたのだなと思いました。

■まさに「木を見て森を見ず」ですね。

木を見て分かったつもりになっているけど、
実は森全体を見ないと分からない事が多いという意味のことわざです。

これはどの世界でも言える普遍的な目線だと思います。

僕もつい決めつけて、分かってしまったような気になる事が多いと思うのですが、
こういうきっかけで、物事をもっと多角的に全体的に見なければと思いました。

母島での日常生活でも、
ふと思い出していきたいと思います。


■先日は母島の原生林・石門へのガイドのお手伝いをしてきました。

ここの森も沢山な貴重な植物もあるし、
歴史的な背景も沢山あります。

ポンと行って見るのではなく、
色んなガイドさんの言葉を聞いて歩いて行くと、
色んな森が見えてきます♪


これは小笠原固有種のオガサワラオカモノアラガイ。

葉っぱの裏に潜んでいるこの小さな存在も、
沢山のドラマを秘めています。

母島が父島よりも100m山が高い事でできる雲霧帯。
そのおかげで沢山のカタツムリが生息できるエリアになっています。
その恩恵ですね(#^.^#)

参加してくれたお客さんも大喜びでした♪

ここでも木を見て森を見ずの場面が沢山あり、
面白いなと思います(#^.^#)

石門の終点付近の石灰岩の地質の所にひっそりとヒメタニワタリという植物があります。

このハート形の可愛いコは、最初は母島の固有種と考えられていたそうですが、
沖縄の北大東島でも発見されて、広域分布種になった経緯があるそうです。

母島のしかも石門だけの固有の植物が幾つもあるのも驚きなのですが、
母島と大東島だけというのも、とても興味深いです。

きっと人が気付いていない、
そんな共通項が色んな分野で世界に散らばっているのでしょうね(#^.^#)

そんなことを考えさせてくれました☆


これは母島の固有種、タイヨウフウトウカズラ。
ネズミの食害で激減していたようですが、
保全活動のお蔭で少しだけですが復活して来ています。


今回はこんな花を咲かせてくれています。

■最近は島の固有の自然と人の暮らしの共生について、
良く考えます。

人の、
自然の
しかも島の暮らしと自然というのは、
常に外からの影響を受けてMIXしながら出来上がっていきます。

最初は海底火山でできて、ただの岩だったわけで。

固有種と言っても、
ある時に海を渡って来て、
長い年月をかけて島で固有の進化を遂げたもの。

実は最初は外来種だったわけです。
人は他地域などを比較して区別しますが、
自然界にとって、それはどう意味があるのか。

「人が運ぶ」ということですら、
ひとつの自然と考える時、
人の暮らしの影響、
人が持ち込んだもので、自然が変わる事は、不自然な事なのか?

そんな事も悶々と考えています。

島の文化なんてどこも外からのMIXで作られている象徴です。
完成なんて実はなくて、
常に変化していくものなのだと思います。

人はつい固定しがちですけど(笑)。


■最近、島のいたるところで天然記念物のアカガシラカラスバトを多く見かけます。
これも小笠原固有のハトです。

南部では18羽の群れ!?とか。

2年前の大型台風以降、大きな群れは見かけなくなっって心配だったけど、少し一安心。
15年前ではほぼ見ることのできない幻のハトでした。
沢山の人の活動のお蔭です☆

どこかこうしてホッとする自分もいて、
なんだか不思議です。

自然派美しく、強く、そして儚い。

なぜ自分たち人間はこの地球にやってきたのか。

そんな事を考えながら、今日は天気もいいし、海が久々の凪なので、
SUPで沖にでも行って見ようかな♪






後悔、先に立たず

2021年04月24日 | 母島 日常 日記
■後悔、先に立たずという諺(ことわざ)があります。
それはすでに終わったことを、いくら後で悔やんでも取り返しがつかないということを言います。

元々、あまり過去は振り返らないタイプですし、
今を生きることばかり続けてきた(後先をあまり考えないw)ので、
あまり僕自身には当たり前すぎて、今さら感がある言葉です(#^.^#)

だけど、とても大切な言葉だと思います。
過去の失敗は悔やむよりも、それを教訓にして次に進むしかないと思うからです。

今、まさに色んな転機となり、
この言葉を改めて噛み締めています。

自分の人生は一回きり。
何かのせいにして言い訳をせず、
思いっきり楽しんだもん勝ちと思います(#^.^#)


この春、母島のとある場所に出現したアヒルちゃんブラザーズ。
一体、誰が置いたのか今でも謎です(笑)。

でもその道を通るみんなが気にしていて、
愛おしく眺め、話題にします。

「なんか、今日は1匹増えたよね(笑)」
「お花が添えられてたよ」
「台風、大丈夫かな?」

そんな話で盛り上がる平和な日常がたまらなく愛おしいです(#^.^#)

■今年の母島の4月。
この数日は朝晩は冷え込み、半袖は厳しくなってきました。
ザトウクジラ達も姿を見なくなりました。
北の海に採餌に向かったのでしょう。
この冬生まれた新しい命がまた次シーズンに成長して帰って来るのが楽しみです♪

今年はなんと4月に台風が接近の予報です。
4月の台風はなかなか珍しいですね。

畑や自宅周りで路地のパッションフルーツをやっているので、
台風の潮風が心配です。

4/29に予定していたこどもの日の集いも緊急事態宣言が発令される見込みで中止となりました。
去年の春から、島ではイベントの中止が相次いでいます。
できる事を模索して、少しずつ動いてきてはいますが、
まだまだ平常通りには戻れないのが悔しいです。


緊急事態宣言もどうして人数が減る要素がないのに、増えるまで待つんだろうか?と思ってしまいます。
オリンピックをまだやろうとしているのが滑稽に思えます。

去年から言い続けていることですが、
しっかり休業補償をして、
感染者がなくなるまで徹底的にロックダウンすればいいのにと思います。
成功している海外の例を参考にできないのかな?と思います。

先日の便で小笠原にもついにワクチンが到着しました。
医療従事者、高齢者を優先して接種が開始されるそうです。
これで少しは安心できる人が増える、のかな?と思います。

オリンピック実施のために急いでワクチンを進めているのでなければいいけどと思ってしまいます。

PCR陽性=感染者ではないのですが、
まだ世の中はその意識があいまいな気がします。(他に方法がないから?)

コロナワクチンの接種が増加している割に、
報道では感染者(PCR陽性者?)が増えているのは、
ワクチンを打っても、陽性になりうるってことのようですね。

まだまだ未知が多いワクチン。
どうなっていくのかしっかりと見極めなければと思います。


■この機会を得て、個人事業を始めようと模索中です。
勉強することが一杯だけど、すごく学びになります(#^.^#)

いままでずっとやろうとしてきたことなんです。

島の人の暮らしを支える仕事。
うまくできるかな?
これで生活できるのかな?
色んな不安がありますが、
準備自体がドキドキワクワクです☆

今まで、畑の収入は大したことがなかったので、
対して問題ありませんでしたが、
これからは保険や、経費、運営など、
勉強しなければいけないことが沢山☆

NPO法人に一般社団法人、
株式会社に前は会った有限会社、
今までしっかり学んでこなかった事ですが、
知れば知るほど面白い(#^.^#)

島には個人事業の友人・知人が沢山います☆
本当に心強いです♪
個人事業の皆様、色々相談に乗って下さ~い(#^.^#)


■僕が好きなバンドにBUCK-TICKという、1985年からずっとメンバーも変わらず、活動を続けているロックバンドがいます。
アルバム毎に常に変化を続け、
挑戦を忘れない、変化を恐れないカッコいい人達です。

そのメンバーの今井寿さんというギタリストが言っていたのですが、
「あまり過去の作品は振り返らないんだよね。なんか意味がなくて。
 だって大事なのは今じゃん」
こんな言葉を僕自身、中高生の頃に聞いて、心底カッコいいなと思った記憶があります。


■先日、この春に父島に新しく配備された海上保安署の巡視船「みかづき」が母島にもやってきました。

今までも父島に海上保安署はあったのですが、
小さな「さざんくろす」という船しかありませんでした。

排他的経済水域の広範囲を占める小笠原諸島。
過去には中国や台湾のサンゴ密漁事件などがあり、
配備が求められていました。

父島にも多くの人数の海上保安官が赴任したようで、
また一つの大きな地域のファクターになったと思います(母島にはゼロです!)。

「母島の皆さん、お見送りありがとうございます!」
そんなご挨拶で出港して行きました(#^.^#)


■先日はアースデイということで、NPO法人ONE LIFE主催で、
父島はハートロック、母島は乳房山に裸足で登るというイベントがありました。

詳しくはワンライフのFacebookページなどに載っています。

子ども達が
「はだしって、すごく気持ちいい!」と叫び、
大人が
「地球を肌で感じれて、帰ったら履物の有難みを痛感しました♡」というコメントを頂きました(#^.^#)

前日は雨ということもあり、足元はぬかるんでいましたが、
それこそ裸足の真骨頂☆
指のグリップを駆使して、楽しく、文字通り肌で地球を感じて歩いてくる事が出来ました(#^.^#)


山頂では「なぜこの地球にやって来たのか?」という質問をしたり、
海洋プラスチックの話をしたり、
片足立ち選手権をしたり、
ワイワイと地球を感じて楽しめました♪

子ども達は一番楽しみにしていたガジュマルの木登り&かくれんぼが白熱。

もちろん大人は負けまくりでした(笑)。



■他には珍しい珍客が。
集落の灯りに寄せられて、オガサワラミズナギドリ(旧:セグロミズナギドリ)を保護しました。

特に怪我もなく、うずくまっているだけだったので、
すぐに脇浜で放鳥し、無事に野生復帰しています。


この小笠原固有の海鳥ともいえるオガサワラミズナギドリ。
なんど海上で15分以上も潜っている観察例があるとのこと。

すごい潜れる鳥なんでしょうね~


そんな4月の母島の日々でした☆

ターニングポイント

2021年04月17日 | 母島 日常 日記
■4月になり、自分自身にも新しい風がどんどん吹いて来ました。
これは母島に来て12年、一番のターニングポイントだと思います。

40歳になり、これからどうして生きたいか?
どうしていくべきなのか?
色んな事を凝縮する1週間でした。

畑ではローゼルが新芽を覗かせています。
まさに今の自分のタイミングにしっくりきます。

毎度思うことですが、どうしてあんなに小さな種なのに、
それ以上の大きさの双葉がたった数日で出てくるのでしょう?
生命の神秘を感じさせられます(*^_^*)

この春からずっと「母島ローゼル」と名付けていた自分で10年種取りしていたローゼルを
父島でも沢山の方に栽培してもらえるようになってきたので、
「小笠原ローゼル」に改名しようと思います。

去年は畑がネズミの猛攻に遭ってしまい、満足な出荷が出来ませんでした。
それに対して模索した結果が、今回の重大な人生のターニングポイントに繋がっています。
ホント、何が起こるか分からないものです(*^_^*)
ドキドキワクワク♡


■既存のことにすがらないで、
思い切って手放してみると、
新しい事がどんどん舞い降りて来ました。
驚きの連続です♡

そんな意味で、この1週間は自分にとってはとても激動の1週間でした♪

近年は先輩たちが言うように時間の流れが加速度的に増して、
1週間なんてあっという間に過ぎゆくものでしたが、
なんか1ヶ月くらいの印象があるほど充実していました。

作業をしながら、
歩きながら、
色んな人に話しながら、
色んな事を考え、調べました。

特に話したわけでもないのに、
自然と色んな声がかかり、
どんどん暮らしが動いていく。

そんな島の暮らしが大好きです♡

写真は畑のパッションフルーツ。
僕の妄想の様に
毎日美しい花が咲いて、
実は日々、どんどん大きくなります。

さあ、これからどうなるか。

理解ある家族のみんなが支えになってます。
感謝です(*^_^*)


■そんな時、妻が送ってくれた、とても興味深い話のページがありました。
・仕事の為に仕事をする!?
・お金の為に仕事をする?
・やるたいことをする?
このページの中のメキシコの漁師の話がとても面白いです。

まさにミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる灰色の男たちの話に通じます。

さあ、自分かこれからどういうスタイルで生きていくか。
ちょうどそれらを考える転機を迎えています。

やりたいことは星の数ほどあるけれど、
時間も寿命も永遠ではありません。

40歳。
まさにいいタイミングですね。

やりたい仕事に就くもいいし、
やったことのない分野に飛び込むもいいし、
自分で事業を立ち上げてもいいし、
何かが起きるまでただダラダラ過ごすのもいい。
今までの仕事を続ける選択肢もあります。

色んなクリエイティブな友人は、
それぞれのタイミング、
色んな年齢で、
シフトしていきました。

僕にとってはこのタイミングだったのだと思います♪

今期はまだ母島にいるオナガガモ♂さん。
彼らも渡りに行くときのタイミングって、どう計っているのでしょうね?



■母島で僕にしかできない仕事、働き方がある気がしています。
自分自身の為に生きている事には変わりないのですが、
困っている人を支える事に関わっていきたいと思っています。

それを今回は事業として立ち上げて行こうか、
立ち上げるにはどんな準備が必要か調べる必要があります。

必要があれば色んな資格を取得する必要性が出てくるかも知れません。

妻がまたまた興味深いHPを探し出してくれました。
5分100円の家事代行で高齢者を支える「御用聞き」というものです。

まさに母島に今必要なものな気がしています。


今花盛りの月桃の花です☆

母島は子どもが多く、過疎化とは無縁の印象がありますが、
そんな事はありません。

今65歳以上が島の4分の1を超えてきています。
僕が週に1度程度だけ働いている福祉施設でも利用者はどんどん増えています。

そして、20~30代の若者が減って来ています。
これは今、会長をしている青年会でも実際に感じている事ですし、
村の統計からも見て取れる部分です。

ほとんどの分野で次世代がおらず、衰退の雰囲気を醸し出しています。

そんな中、来年度以降実質10年間ほど都営住宅の募集をやらないという東京都の発表は、
島の若手世代には衝撃的なものでした。


持ち家も土地もなかなか普通に手に入れられない小笠原。
子育てしたいが収入の低い若い世代にとって、
都営住宅は定住の要の存在です。

今回の方針はまさに行政による定住促進の逆を行くものでした。
「これじゃ子ども産めないよ…。移住を考えてしまう…」
そんな若い世代の声が沢山届きました。

これについては、「小笠原都住を考える会(母島)」が発足し、
改善に向けて、動き出しています。

そんな困った人たちの為の活動も僕がやりたい分野のひとつです。


■そんな色んなことを考え動いているターニングポイントの4月です。
じっくりと考えながら、次の事を模索していこうと思います。

そんな最中、畑に新しい仲間が増えました♡

ウコッケイ(烏骨鶏)が新たに7羽増えました(*^_^*)

ヒヨコではないけど、大人でもない微妙なお年頃のコたち。
すっかり次女は虜になっています(笑)。

畑で飼っている烏骨鶏たちもこれで20羽になりました。

その餌は島の飲食店から出る、いらない食べれるものがほとんどです。
こうして資源は巡っていくのです(*^_^*)


「食っていく事」=「定職に就くこと」ではない事が分かって20年が経過しました。
これからの生き方が問われています。

さあ、今日は何をしようかな?
何をしたいのかな?

4月になって。

2021年04月08日 | 母島 日常 日記
前回の記事で、出会いと別れの季節について、書きました。
新しく母島に赴任した方々は、少し落ち着いた頃でしょうか?
ぜひ各々のセンスを活かして、楽しみつつ関わって行ければと思います♪

今回は4月となり、色々新しい島の動きも出てきたので書こうと思います。

これは桑の木山の景色です。

いつもは乾季で乾いているはずの4月なのですが、
先日は雨季の5月の様な景色の山でした。
こんな中、作業するのはとっても気持ちがいいです♡

この冬から春にかけて、とにかく雨がよく降る母島です。
今年は水不足はまったく心配いらなそうです(*^_^*)


■ついに4/1、母島の簡易郵便局が村役場母島支所に引っ越ししました。
郵便、ATMも窓口も役場です。

ゆうパックの取り扱いは役場も農協も両方できますが、
農協のほうがチルドの対応も出来ます。

簡易郵便局窓口業務は9:00~15:00
ATMは8:30~17:00
土日祝日はお休みですが、出港前日の場合は9:00~11:00郵便窓口もATMも使えます。(この点は以前より便利になります!)

母島内の郵便配達、集荷に関してはこれまで通り農協が行うそうです。
簡単にいうとゆうパックのみ農協、
それ以外の郵便業務は全て役場になります。

役場内にしっかりと郵便窓口が併設されています。
まだなかなか見慣れません(*^_^*)

最初は慣れなくて色々混乱するとは思いますが、
母島に金融窓口がなくなりそうな中、
頑張って役場が受けてくれたので、
しっかり感謝して利用していきませう(*^_^*)

玄関のスロープにもしっかり看板が付けられました。

今回の簡易郵便局、役場開設の背景は、
JA島しょ農協の分離独立に原因があります。

伊豆諸島と小笠原の農協がひとつになり、合併したのが2001年。
本店は八丈島です。
それから時代が流れ、色々とあって、今回小笠原は分離独立することになりました。

それに伴い、金融もJAバンクとしてやりたかったのですが、
時代の変化で農協法が変わり、新たに金融窓口が開設できない状況になってしまいました。

父島と違い、七島信用組合すらない母島。
これでは母島の金融窓口がなくなってしまう!ということで、
なんとか村役場さんが簡易郵便局をやってくれる運びになったというわけです。

母島の切実な状況をこうしてクリアしてもらったこと、本当に感謝です!
ありがとうございます。

開設初日からうちはカナダに国際小包を送る手続きをして、
新窓口を混乱させてしまいました(*^_^*)
ありがと~!!


沖縄のパドルファクトリーより海を越えて、最高のパドルが届きました!!
今回は次女のスペシャル・オーダーです☆
島のアウトリガーカヌー用のパドルです。

彼女は2年前の母島カノー大会に向けて練習し、
大人も混じる男女混合部門で2位にランクインしました。

去年はコロナの影響でキッズカヌーも大人の大会も中止になってしまいましたが、
今年はもっと漕げるようにプレゼントです(*^_^*)

「進め!」という意味のハワイ語IMUA、
ウミガメとAloha、
福井さんとなんどもやり取りしながら納得の仕上がりになりました♪
ありがとうございます☆

木目の美しい、
漕ぐ力が効率的なダブルベントのシャフト。
まさに芸術作品(*^_^*)

次女この春、6年生になる成長過程なので、
気持ち少し長めで作って頂きました。
これからどんどん漕いで行こうと思います(*^_^*)
IMUA!!

そしてパドルファクトリーからは素敵な外洋向けのステアパドルをカノー部に寄贈していただきました。
中央のやつです。

裏面がカーボンとなり、
軽量化、しっかりと補強がされています。


これから沖で漕ぐのが超楽しみです(*^_^*)


■さらにまた大きな景色の変化がありました。

母島の漁協売店が移転し、あった建物がなくなり、眺めがよくなりました(*^_^*)
ここに漁師さん用の単身寮が建設されるそうです

小笠原は戦後の混乱もあり、とにかく土地や家を所有するのが難しい地域です。

とにかく何にしても住居問題。

漁協は住居問題をしっかりと寮でカバーすることで、次世代の生活空間を確保しています。
本当に素晴らしいことだと思います。

現在、島の二戸建て都住の建て替えが決まり、
来年以降、事実上約10年程度新規募集がない方針が決まり、
現地では若い世帯世代がとても困っています。
(母島の建て替えは1期が4~5年後、2期が10~11年後です)

その改善に向けて動いている所ですが、島の住居問題の根底の奥深さに沢山の学びを感じます。

母島の憩いの場「ガジュ下」もベンチが更新されました。

今回は朽ちてきていた木のベンチが人工のものに変わっています。

中にものを収納できる部分もあり、今後が楽しみです♪



■久々の畑投稿(笑)。

遅く植えたジャガイモ、今の所順調です☆
ネズミの食害は酷いもんですが。

収穫期の雨が落ち着いていますように(*^_^*)
とにかく今は雨が多いので、
雨の合間に春の夏野菜の作付けに大忙しです(*^_^*)


最近、母島青年会の1年間の活動報告を作成していて、コロナに振り回されまくった1年だったと痛感しました。
その中でもクリスマス子供大会や、
ガジュマルイリュミネーション、
どんど焼き代行を行えたのは良かったです♪

去年の今ごろは未曽有の緊急事態宣言で、
かつてない雰囲気でした。

今年はある程度、新型コロナがどんなものなのか、
去年に比べては分かってきているので、
できる事から始めて行こうと思います。

今年で40歳。
青年会長として最後の年になります。

いつも猪突猛進で、
至らないばかりで、ずっと周りに支えてもらっています。
ありがとうございます☆

初めて去年、返還祭ができなかった年でした。
今年はどうなるかな?

そんな母島の4月のはじまりでした(*^_^*)


■最後に母島で作られた歌の紹介です!
懐かしいなぁ~!
長女も次女もいる(*^_^*)

この歌詞は当時の学校の音楽の先生が作曲し、
子ども達が歌詞を書いた名曲です(*^_^*)

母島らしさをギュッと凝縮したような映像ですね☆

出逢いと別れの季節~島の春

2021年03月30日 | 母島 日常 日記
■毎年、この時期の思うことですが、島の春はまさに出逢いと別れの季節です。
3月後半の出港は、一緒に島で過ごしてきた家族や先生、子ども達の出発が相次ぎます。

例年だと4月最初の便で来る新しい先生たちも、
コロナに配慮してでしょうか、昨日の入港で来島しました。

寂しいけど、元気で次の土地で楽しく過ごしてほしいし、
島に来た新しい仲間は、存分に島暮らしを楽しんでほしいし、
先生も子供もたちも新しい出逢いにドキドキワクワクしています♪

そんな出逢いと別れの春に樹冠を見事に飾る花があります。
ビーデビーデ(でいごの花)が咲き乱れている母島の春です♪

※ちなみに以前ムニンデイゴと呼ばれていましたが、
DNA解析で沖縄のデイゴと差異がないないことが分かり、
固有種ではなくなった経緯があったと思います。

なんだかちょっぴり寂しいです(*^_^*)



■そんな見送りの前日です。
同年代島仲間(昭和55年会)とみんなで眺めた夕陽。

この世代仲間はみんな仲良しで最高の友人達です(*^_^*)

大人も子供も誰も夕陽を見てなくて(笑)、
ああだこうだ言いながら大笑い。


そんな最後の黄昏時をみんなと過ごせて、
あったかいひと時を過ごしました♪

仲良かった人と別れるのは寂しいけれど、
またそれぞれの旅路の先で頑張っていると思えるだけで、
こっちも頑張れます。

また島で、
また内地で、
元気な顔で再開しようね(*^_^*)

明日の便で母島を離れてしまう同世代夫婦ファミリー。
母島に赴任した直後から、ほんと親子でいっぱい遊んだね☆

いっぱいいっぱいありがとう♪
ついに昭和55年組はオリジナルTシャツを作り、
お別れの夫婦にプレゼント☆
最高の仲間たちです(*^_^*)


■港に向かうみんなの手には美しい花が飾るレイが。
お別れの日です。

サッカー部は恒例の胴上げ★

みんなに沢山の言葉や餞別、レイをもらい、涙涙のお別れです。

いってらっしゃい!!

今日のみんなの見送りダイブ。
子ども達も先生も島民も飛んでます♪

内地に行っても元気でなぁ!!
身体を張って、気持ちを表現する見送り。
僕が大好きな光景です(*^_^*)

次女は大好きなお友達を見送る為に、
大岸壁から初の前転ダイブ(ファイヤーバードスプラッシュ!?ローリングセントーンかw)
※見送り船の上から撮影しました☆

こないだまで一緒に見送りで飛んでいたのに、
今度は見送る側と見送られる側に分かれるのです。
そして、月日が経てば、今度は自分も見送られる側になります。

島で一緒に過ごした時間はとてもかけがえのないものだったでしょう。
またいつか、内地や島で再開した時にどんな話ができるのかな(*^_^*)

大笑いしながら、夕陽なんかそっちのけでシャボン玉をしたね。

実はこっそり、お互いの将来の話なんかもしたりして。


お互い、元気で過ごしていきたいね☆


僕と妻は飛び込んでる次女を尻目に、
真漁丸の見送り船に乗せていただきました☆


先日の見送り船帰りの子クジラちゃん。
元気に跳ねて、顔出して、大忙し♪

大海原を見渡せば、あんなにも沢山いたザトウクジラも少し減ってきた気がします。
そろそろ北の海に向かう頃ですね。

この冬生まれの子どもは、いつも元気に跳ねています。

小笠原を離れて、島のどんな景色を思い出すのかな?

小笠原に初めて来た人たちは、どんな景色に見えるのかな?

そんな出逢いと別れの母島の春、真っ最中です(*^_^*)

母島 春の気配

2021年02月22日 | 母島 日常 日記
■母島のカンヒザクラが咲きました♪
綺麗で、うっとりしちゃいます(#^.^#)

母島には何本かカンヒザクラがありますが、
咲く時期はみんな少しずつずれています。

不思議ですね。
日本人が桜が好きな理由が良く分かります。

木に咲く小さな花を見ているだけで、
ここまで心が豊かになるのですから。

薄めのピンクの木もあれば、濃いピンクの桜もあります。

他の木とは違い、
葉っぱが出る前に花が咲くので、
ハッキリ言ってずるいです☆
人の心を箸掴みにする術を心得ています(笑)。


50km北の父島では2週間前から満開のお知らせを聞いていましたが、
いつも母島は父島より遅いです。

普通、桜前線って南から北上するものだと思っているのですが、
何故なのでしょう?
知っている人がいたら、ぜひ教えて下さい!

ちなみにカンヒザクラとヒカンガクラは同じですが、
ヒカンザクラ(緋寒桜)とヒガンザクラ(彼岸桜)は別種だそうなのでご注意!


■そして、久々の畑ネタ投稿(笑)。
農園の名前のブログなのに(#^.^#)

雨が多かった今季ですが、ようやくジャガイモを植えることができました♪今までで一番遅いかもです☆
収穫はGW過ぎちゃうだろうな~
梅雨になっているかどうかの瀬戸際です。
ドキドキ…

植える時期の目安は菜の花と桜の花。

品種は男爵と北あかりとインカのめざめ。
個人的には「インカのめざめ」がベストネーミング賞と思います♪


■2/14はバレンタインデイ!!

わあい!昨日、次女と妻からバレンタインの手作りお菓子を頂きました♡

アレルギーの友達にもあげれるように、
卵も牛乳も使わないクッキーをマリアは頑張って作っていました。

茶色いのはチョコではなくキャロブを使用しているそうです(*^_^*)
妻からは酒粕クラッカーと、全粒粉とドライフルーツのクッキー!
こちらは写真を撮り忘れて食べてしまった(笑)。

いずれにせよ、
相手の事を考えて、自分の時間を割いて、ものを作る、そして届ける。
このスタンスが本当に素敵だし、嬉しい♪
どうもありがとうございます☆

■先週のことですが、母島の石次郎海岸で大きな岩の落石がありました。

先週、小学生が発見し、連絡を頂きました。
早急に写真を撮りに行き、管轄の役場にも報告しました。

小笠原はどこもかしこも脆くて、
こうした落石はどこも可能性があると思います。
「落石の危険だから立ち入り禁止」にしたら、
どこも行けなくなってしまうので、
そうではなく、
利用する人がその危険を注意しながら、
自然を利用してほしいと思います。

石次郎海岸も、
ずっと危ないなぁと思っていたけど、
こんな落石は20年間はありませんでした。
でも、今期みたいに長雨で、
その後の晴れ間にこうした現象が起こりやすいのだと思います。
利用の際にはご注意!です。


■昨日のサンセットはひみつのブランコを楽しんだ5年生。

大人はそんな子供を横目に2本の木を倒す作業をしておりました☆
タコノキの間に沈む夕日を眺めながら♡

遠くにはザトウクジラが跳ねる音が聞こえてきます。

ブランコをありがとう!

次女ももうすぐ6年生か~!
ホントに進学できるのか(笑)!?

そしてカナダの高校に留学している長女はちゃんと生きているのだろうか?
日本に帰って来るのは一体いつになるのでしょ~ね~(#^.^#)



怒涛の長雨が終わり、
今は青空と言うだけで幸せな気持ちになれます。

季節は巡り、
大自然は本当に美しい。

今年、僕もようやく40歳になります。
39歳で亡くなった父。
僕はこの歳がなんか一つの節目な気がしていました。

男はこの3年が厄年と言われるターニングポイントの時期です。

まだまだ大人になった気はしませんが(笑)、
子供達のお蔭で親になった気はしています(#^.^#)

そんな春の母島でした☆


ありがとう!ゆり丸 その②~アナザーストーリー

2021年02月18日 | 母島 日常 日記
その①の続き
■先日、ゆり丸の小笠原航路 最終運航がありました。

父島と母島を結ぶ定期船、ははじま丸。
そのははじま丸の念に1度の定期検査(ドック)中に、代船として来てくれるゆり丸。

そのゆり丸が2021年で耐用年数を迎えて、引退という話を聞き、
それを見送りながら、ゆり丸との色んな思い出が蘇って来ます。

ゆり丸も我が家にとっては幾つかのアナザーストリーがあるのです。
今回はそんなストーリーを幾つか紹介したいと思います。


■この写真は2010年の畑での写真です。(娘たちがちっちゃい!!)
このヤギの名前が「ゆり」でした。

名前の由来は文字通り「ゆり丸」で母島にやって来たからです。
長女が命名しました。
2010年11月の事です。

ゆり丸のコンテナデッキの上に木箱が固定されていて、
そこにゆりは入っていました。

中身を覗くと「べぇ~~~」とヤギらしくない鳴き声で鳴くヤギでした(笑)。

畑に行って、箱から出しても長時間箱の中で動けなかったようで、
しばらく立ち上がる事が出来ませんでした。

ようやく立ち上がって、当時は「なつ」と「こなつ」の2匹のヤギがいたので、
更に賑やかになっていきました。

そんなゆり丸にご縁のあった「ゆり」ですが、
実は去年の夏に亡くなっていました。

高齢の14歳でした。(ヤギは15歳まで生きればいい方だそうです)

日に日に毛並みが悪くなり、
食欲もある日もあればない日もあり、
最後は立てない数週間がありました。

もうお別れの日が近いことを、家族の伝えていました。

最後は僕の目の前で「べぇ~~~」と弱くひと鳴きして、
天へと昇って行きました。

長野の佐久から母島にやって来た時から、ずっとゆりは人恋しいヤギでした。
いつもそばに人がいて欲しい寂しがり屋さん。
今頃、天国で「なつ」や「こなつ」と一緒に過ごしていると思います。

とても寂しいですが、現在はヤギがおらず、少し寂しい畑になっています。
ヤギの糞の堆肥はとても僕にとっては重要なので、
いずれまた、ヤギは飼うつもりでいます。
そんなゆり丸とのご縁でした。


■もう一つのストーリーはズバリ、母島と次女です。
次女はお腹の中にいるときに、長女に「りりみ」と名付けられ、
生まれたら百合にちなんだ名前を授かりました。

その際に僕の頭にあったのは母島のとある場所のユリでした。

母島のテッポウユリが咲き乱れる場所があり、
そこを「百合ヶ丘」と勝手に命名している場所があります。
その場所が僕は大好きで、結婚の時に本籍地にしてしまったほどです(笑)。

後から思えば、次女を授かった頃から百合:ユリ:Lilyにご縁が沢山繋がって来ます。
まあ、こじつけみたいな気もしますが(笑)。


■そんな次女が2020年青ヶ島に1ヶ月留学しに向かう時もゆり丸でした。
しかも極上の大時化。

しかし、その日はどうしても運行しなければならない日でした。
1月のその出港後は3週間一切の内地からの定期船がないドック入りのタイミングでした。

これがその時のゆり丸です。

海は大時化。
夕日ヶ丘から見送ると、
ゆり丸は船首が海に刺さるような状態でした。

父島には40分遅れの3時間で着いたそうです。

その後、妻と次女は大時化のおが丸は27時間(3時間遅れ)で竹芝に着いたそうです。
さらに2人はその日の夜と翌日の夜も橘丸で八丈に向かい、
2回とも港に接岸は叶わず、竹芝に戻るという、怒涛の3日間の夜間航海を乗り越えて、
青ヶ島に辿り着くのですが、その時の始まりもゆり丸だったのです。


■そんな当時小学4年生の青ヶ島短期留学
3日間も揺れに揺られて、ようやく八丈から青ヶ島に船で渡れたとき、
ここでまたご縁があったのです。

それは船員さんでした。
なんと「あおがしま丸」は「ははじま丸」、「ゆり丸」と同じ伊豆諸島開発なのです。
なんて僻地ばかりを支えてくれる素敵な会社なんだ♪

船員さんは数か月交代でその3隻をローテーションしているので、
顔見知りなのです♪
「あれ~?クジラでも見に来たの!?」
妻がクジラ観察が大好きなのを知っていましたが、
まさか母島の人があおがしま丸に乗っているとは思わなかったようで、
3日間船に揺られっぱなしの妻子は、それでホッとしたようです。

そんな八丈~青ヶ島航路もゆり丸は、代船として活躍する航路なのです。


■2/5はゆり丸と貨物船、共勝丸が母島の沖港に並ぶ最後の日でした。
運航会社としては別の船ですが、
同じ青い船体で、なんだか姉妹のようです。

しかも、普段やっている仕事は伊豆諸島の産業廃棄物や貨物の運搬なので、
共勝丸とゆり丸はどちらも似た様な、
島の生活を底支えしているような有難い存在なのです♪

母島沖港における、貨物船・共勝丸との最後の並んだ景色を写してみました。


共勝丸をこよなく愛する妻としては、
写真を撮らないわけがありません。

昔から、定期船よりも貨物船を選んで乗ってきている人です。
家族で一番、ゆり丸に思い入れがあると断言できます(笑)。


母島 今年引退のゆり丸と共勝丸の最後の並んだ光景 2021.2.7



■そんなこんなで、今回も長くなりましたが(笑)、
最後にゆり丸の船内を軽くだけ紹介します。

ゆり丸は高さのあるタラップを登って船内に入ると、
基本的に横になれる和室が並んでいます。

普段は貨物が主軸なので、広くないのが困る場合があるのですが、
高い位置にある為か、窓も大きくて多くて明るいです。


外に出るデッキにはイス席がありますが、大時化の時は閉鎖されます。



母島の子供達が大いに遊んだ前浜のアートとゆり丸のショット。



小笠原航路最終運航をサンセットシアターでも見送りました。


丁度、眼鏡岩を通過するところでした。


海況は悪く、波を割りながら、最後のゆり丸が突き進んでいきます。


こうして、沢山のご縁と共に過ごしてきました。
ゆり丸という、母島で暮らしていれば年に1か月も接することはないのですが、
この船の存在のお陰で、ははじま丸のドック中も安心して暮らすことはできるし、
日々の当たり前に埋もれがちな、お互いの有難みに気づく機会にもなります。

ゆり丸、沢山の思い出をありがとう!!
次の人生はどこで過ごすのでしょうね?

お元気で!!

最後に、素敵な動画を紹介したいと思います。
fujikochan27さんの動画です。
素晴らしい空撮のゆり丸をご覧になりながら、お別れです☆

ゆり丸 母島へ最後の航路、The last route to Yurimaru Hahajima
 ※ブログへの動画掲載の許可を頂いています。

シン・セツブン~2021年母島の節分

2021年02月04日 | 母島 日常 日記
■2/1お昼をもって、母島の漁協売店が、少しお休みとなりました。
すぐ近くのお魚センターに移転する為です。

この母島の3つの商店が並んで営業している景色も、
もう1枚の写真に納める事が出来ないと思うと少し寂しいです。
新漁協売店は、移転作業が終わったら、次の入港日くらいまでには開店したい感じの予定みたいです。

お魚センター(漁協事務所の下)が新しい売店の場所になります。

農協も島野菜と農業資材の販売のみになってしまったし、
生鮮食品を扱うのが前田商店だけの1店舗だけの、
レアな期間となります。

当たり前の光景は永遠には続かない。
1日1日を大切に暮らしていきたいと再確認しました☆


■2021年の節分は124年ぶりに2/3ではなく2/2の節分なのだそうです。
理由としてはうるう年と同じ考えで、地球が太陽を1周する時間が365日ぴったりではないからなのだそうです。

ちなみに2/2の節分は1897(明治30)年以来の124年ぶり!

節分は本来、四季を分ける節目のこと。
このうち春の始まりを表す立春の前日の節分は、新正月という意味合いで
厄払いの豆まきをしたり、
近年だと関西の風習であった恵方(えほう)巻きを食べたりとなってきています。

立春や夏至、冬至といった暦(こよみ)の二十四節気は、
太陽と地球の位置関係で決まります。

春分は太陽が真東から昇(のぼ)る日です。
こうした暦は今は国立天文台が決めていて、毎年2月に官報で翌年の分を発表しています。

地球が太陽を1周する時間は365日ぴったりではなく、6時間弱長いそうです。
そのために毎年少しずつ地球の位置がずれていくので、立春も2月4日になったり3日になったりするんだそうです。

節分の日の母島の夕陽です。やっぱ夕陽っていいなぁ~

■おりしも今年の節分はコロナ禍の緊急事態宣言の最中です。
毎年月ヶ岡神社で開催してくれている豆まきも中止…

しかも今年はうちの次女さんが丑年の年女!!
ステキな有志たちが都営住宅で豆まきを開催してくれました(*^_^*)


丑年生まれの子供+大人が用意したお菓子や豆を「鬼は外~~!」のかけ声で放ちます。
下で待機している子供たちは袋を持って、キャッチ♪

とっても覗かな光景です(*^_^*)


中止でもこんな素敵な企画をしてくれてありがとうございます♪

ちなみに年女の次女さんは、
受け取るよりも投げる方がお菓子が少なかったと嘆いておりました(笑)が、
投げる方なんか12年に1度しかないんだから、いいじゃん!と言っておきました(*^_^*)



■さてさて、今度は我が家の豆まきです。
季節の行事を大切にしてくれる妻のお蔭で、毎年エキサイティングな節分が繰り広げられます。

美味しい美味しい恵方巻きも作ってくれました(*^_^*)

この恵方巻きと言う風習は、近年関西発で全国に広まったものです。
僕が20歳の頃までは聞いた事がありませんでした。

今年は南南東を見ながら、
静かにほおばりました(*^_^*)

美味しいけんちん汁も絶品♡


■美味しい恵方巻きを終えたら、今度は豆まきです。
いつもは家族の誰かが鬼役になり、
みんなから散弾銃の様に豆をぶつけられ、
床に飛び散った豆を鳩のように食べていたのですが(笑)、
今回は趣向を変えました。

じゃーん!
パチンコを作って、それで鬼の的に当てる的当てゲーム的な豆まきになりました(当日発案w!)。

みんなで急いで的を作ります(お腹が空いているw)。

なかなかの力作が揃いました(笑)。

次女は的の裏に様々な景品を書きます。

ちなみに「しじ」は指定された行動をしなければいけません。
※ダジャレを言うなど

今、カナダにいる長女が以前作った鬼のお面も活躍していました(*^_^*)


さあ、いよいよです。

次女は人生初のパチンコ。

弾(豆)はひとり1回につき5個。


最初はなかなか当たりません。
しかし、次第に技術が向上してきました!!

30分でレベルがかなりあがりました(笑)。

妻も本気です。

僕も4匹の鬼を倒し、みごと景品をゲットしました。
「何かしてもらえる券」「人に命令できる券」「はずれ」などでした(*^_^*)

なかなか面白い豆まきとなりました(笑)


■それはそうと、母島唯一の個人商店でもある前田商店で「恵方巻き」が売られていました!!

知らずにお店に行ってビックリ!!
なんと数年前から販売していたそうです。


このローカルな看板がたまりません(*^_^*)。

店内ではなんと島民が列を作って待っていました!!
弁当待ちで母島で行列を見たのは初めてです(*^_^*)

あっという間に完売してしまいました。

こんな小さな島でもこうして恵方巻きを作って、
わざわざ季節を感じさせてもらえることに感謝です♪

内地では売れ残りを処分してしまう話を毎年聞いていて、
とても胸が苦しくなります。

不必要な分まで作らないでほしいし、
余ったものはぜひ、食べるのに困っている方に分けて欲しいと思います。
(長女がいるカナダのスーパーの売れ残りの食材は、学校の子供達に配られるそうです!)

季節の節句でこうして色んな気付きがあるし、
楽しめる要素も満載なので、やはり季節の行事というのはいいものですね。

去年は次女は青ヶ島にお邪魔して、「フンクサ」と言われる青ヶ島の節分を経験させてもらったそうです。

今年は境内で豆まきが出来ませんでしたが、家族でお参りしました。
日々の感謝を込めて。

節分の度に色んな事に想いを馳せます。
そんな日常に深い感謝です(*^_^*)

「不便が残してくれたもの」を読んで母島を見つめ直してみた

2021年01月27日 | 母島 日常 日記
「不便な状況、不便な環境だからこそ残ってきたものがあります。
それらのかけがえのないものは「豊かな人生」をおくるうえで
欠かすことのできない、とても大切なものなのです」[細い道]より


西表島、船浮出身のミュージシャン、池田卓さんの著書、
「不便が残してくれたもの~西表島・船浮からのメッセージ(ボーダーインク出版)」という本を読んで、
とても感動&共感しました♪
船浮での話を読んでみて、少し前の母島を思い出し、色々考えさせられたので、
今回の投稿は“島の不便が残してくれたもの”に焦点を当てたいと思います。

20年前、初めて小笠原に来た頃を色々思い出しました。
あの頃はまだ携帯電話もドコモのみしか通じませんでしたし、
ネットどころか、iモードですら繋がらず、
ショートメール(SMS)しかできなかった時代です。

インターネットはISDNのみで、今ほどネット通販が出来ない時代の頃。
その頃にあった不便がもたらしてくれたもの、
もっと不便だった頃にも想いを馳せてみようと思います。


■その前に、西表島の船浮という集落についても触れたいと思います。
船浮は沖縄県八重山諸島にある西表島にあり、
道路で繋がっておらず、文字通り「陸の孤島」と表現されています。
交通手段は一番西部の白浜から船で行く事が出来ます。

人口は約50人くらいだそうでです。
僕も3回ほど行った事があります。
2001年は西表島で働いていた頃(20歳)、
2006年は当時3歳の娘と家族3人でお邪魔しました。

鳩間島と並んで特に大好きな所で、
宿泊もしましたし、とてものどかで素敵な所です♪
ゆっくりするには最適な場所です。

集落から歩いて奥にある美しいビーチ「イダの浜」があります。
ここは2018年(平成30年)の「日本のベストビーチ トップ10」で6位に選ばれている場所です。


■不便と言えば、1/25は週に1度の定期船おがさわら丸が入港する日だったのですが、
海況が悪く、父島~母島を結ぶゆり丸(ははじま丸がドック中)が欠航するという事態。

入港日に物や人が来ないというのは数年振りで、
母島に渡る予定だった人も物も父島で1泊足止めを食らう事態が発生しました。

それでもほぼ週に1度は必ず船は来るので、とても便利で有難いと思います。

本土の人は「週に1度しかアクセスがないの!?」と驚くと思いますが、
住んで慣れてしまえば、ほとんど問題はなく、
逆に内地(本土の事)に行って、注文してその日に物が届くと、
逆に「大丈夫なの?そんなに急いでないよ!」と思ってしまうほどです(笑)。

去年の2月にお邪魔した伊豆諸島・青ヶ島のあおがしま丸(ゆり丸、ははじま丸と同じ伊豆諸島開発の船)は、
なんと年間の就航率が50%と聞いて、
小笠原は父島の天然の良港「二見湾」があるお蔭で、ほぼ100%の就航率を誇っており、
なんて有難いのだろうと思うのです。


■20年前の小笠原はスマホどころか、ドコモの通話のみの時代で、
島民は携帯持っていない人も多かったし、メールはショートメールのみでした。

これ、島の人が結構使っていた、当時では斬新だったSONY製の防水携帯です。

懐かしい人多いんじゃないでしょうか?
僕も数年間ずっとコレでした(*^_^*)

内地から来た人は良く、父島に着くと
「会社の携帯呪縛から解かれた!!こんなに縛られていたんだ!!」
と喜んでいたものです(笑)。

出張で来ると解放された気持ちになっていたようです。
夜間の緊急電話を受ける医療従事者も、
「はじめて携帯の音を気にしないでぐっすり眠れた」
と言っていたのを思い出します。

内地行きのおがさわら丸に乗ると、
八丈沖でみんな看板に出でてメールの受信などをしていたのが懐かし光景です。
「ああ~~帰って来てしまった~(笑)」
とかよく言っていました。

便利なもので使っているはずが、
実はそれに縛られていた。
そんな側面は現代のスマホではより顕著かもしれませんね(*^_^*)


■母島はよく、不便と思われがちですが、
住んでいて不便と思った事はほとんどありません。

内地に行く24時間のおがさわら丸の船旅も、
お金も時間もかかるのですが、
ゆっくりと外の世界へ移行していくには、大事な時間。

父島の友人と会うこともあれば、
見知らぬ人と楽しく話す事もあります。
船の中で人と一晩中語り合う事もあるし、
気ままに本を読んだり、音楽を聴きまくる事もできます。

船浮の池田卓さんも、
船浮から船、車、飛行機と色んな乗り物に乗り換えていく過程が、
とても大事と書いていて、すごく共感できました。

父島に住んでいた頃は、母島の人は内地に行くとき、
24時間のおがさわら丸の前に2時間のははじま丸があって、大変だなぁ~と思っていましたが、
いざ母島に住んでみると、それは何ともなく、
逆に接続の間の1時間強の父島滞在を楽しみにできる程になっています。

要は馴れなのでしょうね(笑)。

逆に2~3時間で飛行機で北海道に行ってしまったり、
7時間でカナダに行ってしまうと、
あまりの速さに心が追いついていかない感覚があります。

ゆっくりな船旅が僕たちには合っているようです♪


■島の便利と言えば、
周りは知っている人ばかりというのも大事です。

相談したいとき、
頼りたいとき、
遊びたいとき、
色んな人が周りにいてくれるおかげで成り立っていると思います。

こんなSNSとコロナの時代ですが、
やっぱり会って話すのはとても大事な時間です。

子供だって知らない子供はいないし、
人の子も自分の子供のように叱ることもあるし、
めっちゃ可愛いです。

当たり前に通りすがりに挨拶を交わしますが、
思春期になって、挨拶がちょっと恥ずかしくなる年頃を見ると、
なんだか微笑ましくなってしまいます(*^_^*)

大きな荷物を運ぶときなんて、
僕も手伝うし、手伝ってもらう事もあります。
困った時はお互いさまと言える地域、
それはとても便利な側面も多いのです♪


■コンビニもないし、映画館も、コンサートホールもない。
通販の品物は注文から1週間以上は当たり前、
娯楽施設もない。

でも、大自然があるし、
自然を楽しめる人は、そこにお金はかかりません。

医療だって、
お医者さんも看護師さんも、歯医者さんまでいてくれます。

内地に注文したって、
送料無料で届くこともあるし、送料がかかっても都内料金で扱ってくれることも多いです。

「住めば都」と言う言葉の通り、
なんて便利で有難い環境なのだろうと思います♪

ないものねだりよりも、
あるモノ探しの方が楽しい(*^_^*)

気持ち次第でこんなにも豊かに捉えることができます。
島の暮らしを楽しめる人はきっと、
そんな“人生の達人”なのだろうと思います。