小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

春に来た、べらぼうなマラカス台風がもたらしたもの

2022年04月16日 | 母島 日常 日記
■入学式を終えた4月。
なんとこんな時期に非常に強い台風1号が小笠原を襲いました。

その名もマラカス。
2000年の台風委員会で制定された台風のアジア名(国際名)のひとつで、
命名国はフィリピン。タガログ語で「強い」という意味だそうです。

なかなかの名前ぢゃね~か!

写真は台風通過後に潮枯れしたクサトベラです。
すぐに復活するのも多いですが、島中の色んな植物の葉がこのように枯れています。

そもそも4月に台風が来るなんてとても珍しいのに、
まさか950hPa、風速40m/sの規模で第1号が来るなんて、
僕の20年の小笠原暮らしで初の事でした。

案の定、4月の観測史上最高の記録を出したらしく、
父島では最大瞬間風速46.5m/sを記録したそうです。
(3年前の台風は風速計を飛ばしていて60m/s以上と言われています)

TVの報道もすごかったらしく、
多くの内地の友人・知人からも心配を頂いていました。
本当にありがとうございました!

こちらは月桃の花です。台風通過後も無事でした♪
力強さと可憐さ、そして何とも言えない香りがあって、好きな花のひとつです。
葉っぱなど料理にも使えます(#^.^#
)


■4月に赴任したばかりの方は、こんなにすぐに南の島の洗礼を受けるとは思っていなかったでしょう。
農業の被害はそれなりにあると思います。
実際、ハーブ系など枯れたのも多かったです。

しかし不思議なものです。
植えたてのまだ若い苗が塩枯れしている様をみて、
なんと春の作付けが遅れに遅れているのが功を奏したと思ったりしちゃいました(^^♪
色んな目線があるものですね☆
これから夏野菜の種まきを頑張ります!

圧倒的な暴風雨が通り過ぎた後は、
スッキリとした夏のような雲と青空が広がっていました☆
まさにデフォルト状態。

家の周りに散らかっていたものも、
この機会に片付けることが出来たし、
冬というリセットのタイミングを知らない島の植物にとっては、
伸びすぎた枝を選定し、葉を作り直すには台風の存在が欠かせません。

今回、有難いことに母島は停電になりませんでしたが、
隣の父島では大村地区以外は長い時間の停電になったそうです。
そんな時、電気の有難みが再確認できるし、
ロウソクや電気のない時だからこ、その過ごし方ができるいい機会とも言える部分があったのではないでしょうか?

我が家は家族で久々にゆっくり映画を観ました。
「きっと、うまくいく」
妻が朝に「これを観ろって降りてきた!!」というお告げがあり(笑)、みんなで観たら、まあ最高に良かった♡

「All izz well」と歌と口笛で進むストーリー。
成績や進路、競争ばかりのエンジニアの学校で繰り広げられる、本当の学びということ。
知らないことを知るって、本当は楽しいもので成績や評価を気にするものではない♪
親や他人が決めた進路ではなく、自分がやりたいことをやって生きていく意味。

そんなテーマをインド映画の絶妙なセンスとテンポのいい展開で、安心して魅せてくれました☆
インドにおける学歴至上主義、それによる自殺数の多さの社会問題もテーマにしています。
最後の圧倒的な店舗での伏線の回収は凄まじかったです!
ステキな映画をありがとうございました(^^♪


■3年前の10月。
台風21号ブアローイが島にもたらした被害は甚大なものでした。

今回の台風1号マラカスはなんと同じ規模の950hPaです。
しかも台風接近の2日前にSUPで海に入ったら、なんと沖で26℃の水温!
これは台風が弱まらないで行ってしまいそうな条件でした。

そんなわけで事前にかなりビビっていました。

漁師さんたちのあまりに芸術的なロープワークにうっとりしちゃいますが、
そんな場合でないほどの養生であるということです(汗っ)!

毎回、この陸揚げげされた漁船の見事なさまで感動しつつ、
その養生具合で台風の備えを覚悟します。

家の周囲、
バイクや自転車、
畑に職場周辺、
独居の高齢者のお宅。

色んな養生を済まして、
まさに「人事を尽くして天命を待つ」状態でした。

脇浜の春の風物詩、
ネムリブカダンゴもこの時期の台風には驚いたことでしょう(#^^#)



■避難所も開設され、やれることをやった後は、無事の通過を祈るだけです。
夜が明けて、そろそろ暴風圏に入るかな?の直前。
畑の家畜の世話にダッシュで行きつつ、前浜の状況を撮影してきました。

この時点でも物凄い雨と風のセレナーデです。
この後は危険なので外に出れる状況じゃありません。

もの凄い風の音でした。
これがもっと強くなって、強くなったらヤバいという感じでした。

有難いことに停電していなかったので、
家族で感動の映画を見てお昼ご飯を食べた後くらいに、
風が少し弱まりました。

ネットで確認すると、大方の予想を覆し、
直撃ではなく、少し西を通り過ぎて行った感じでした。

吹き返し後半は集落は風向きが丁度よく、
そよ風程度になったので、高齢者のお宅をチェインソーを持って周りましたが、
今回は3年前ほど深刻な倒木などはありませんでした。

去年から枯れていたママキ(ウラジロエノキ)が光ファイバーの線に引っかかっていました。
村に急いで報告し、
こちらはその後の復旧作業となり、僕も少し手伝いました(#^.^#)


母島の二戸建て都住のシンボル的な寒緋桜が根元からボッキリ折れていました。
これはかなりショックでしたが、折れた根元を見ると、少し傷んでいる感じもあり、
結構限界だったんだなあと思わされました。

今年の春に素晴らしい花を魅せてくれていただけに、とても寂しかったです。
今まで沢山の喜びをありがとう!


新村民会館を建てるエリア(旧:赤間建設跡地)からは大量の砂利が流出しており、
その片付けに追われていました。
これは杉田建設から学校まで長く続いていました。


深刻な倒木は少なかったですが、幾つかはもちろん見かけました。
今回は、3年前に比べると時間もコースもラッキーだったと言えます。


養生していたカヌーも無事で、心底ホッとしました。
3年前の台風では損傷してしまっていただけに、ずっと気がかりでした。
カノー部のみんなも心配していたので、みんなで喜んでいました(#^.^#)


丁度、潮汐も大潮で高潮が心配されましたが、母島はどうにか無事でした。
父島は雨なのか高潮なのか、冠水している映像が見えて、
昔住んでいた奥村が見たこともないような光景になっていてビックリしました☆

そして夜通し避難所を開設してくれていた役場の皆さんに感謝でした!
停電時に備えて、東電も色々と準備してくれていましたし、通過後も様々な対応をしていました!
父島が停電と聞いていましたが、暴風雨の最中でも復旧した個所があると聞くと、
あんな状況でも復旧作業をしてくれているのだと思うと頭が下がります。
その他各インフラも色んな組織の方が台風襲来に備えてくれていました。
本当に感謝です!!

通過後にみんなが片付け作業をしていて、
母島の力強さを再確認しました☆


■台風の接近は色んな被害や災害を覚悟して、消耗しますが、
逆に楽しみな面もあったりします。

それは鳥です。

いつも台風後はグンカンドリなど珍しい鳥を確認できたりします。
今回はなんとオオソリハシシギらしき鳥を発見しました♪

レギュラーのムナグロに混じって、真ん中ですました顔をしている子です。


チュウジャクシギちゃんも来ていました☆


なかなかいい腰つきのムナグロさんもお見掛けしました(#^.^#)

こんなイレギュラーな出会いも台風ならではのものだと思います。


■島では色んな大変な被害をもたらす台風ですが、
色んな観点から見ると、やはり必要な存在だと思います。

この時期の直撃は、
路地の野菜やパッションを全滅させる物凄い災害ですが、
同時に大地に海のミネラルを戻してくれる大きな仕事もしています。

今回は少し霞がかかっていた景色を、一気にクリアにしてくれました。
まるで夏と錯覚してしまうほど、今日の空と海は青かったです!

これはキョウジョシギ。
京都の女性の着物の共な美しい鴫で、京女鴫。
台風後もいつも通り群れを成して漁港を歩いていて、癒されました♪

今回の台風が大きな被害をもたらす結果でなくて本当にホッとしました。
この台風を糧に今後も頑張って行こうと思います☆

月桃風呂にでも入りながら♡








母島の春 ~切ない旅立ちと出逢いの季節

2022年04月03日 | 母島 日常 日記
■正直に言います。
僕は母島の春は嫌いです。
特にこの春は格別です。

それは大好きな島の仲間が沢山旅立ってしまうからです。
あんなにも楽しく一緒に過ごした仲間が島を離れて行ってしまうなんて、
何度経験しても慣れません。
だからこの春は嫌いです。


でももう一つの本音も正直に言います。
僕は母島の春が大好きです。

それは大好きな仲間が前向きに進む大きな一歩の旅立ちをして行くからです。
大好きな仲間が人生の次のステップに進むために、シフトしていくのを応援しない訳はありません。
でも間違いなく寂しい気持ちが胸の中に溢れています。
島を離れる港での見送りの時、一緒に過ごした時間が走馬灯のように巡って来ます。
島の暮らしでなければこんなにも関わって暮らすことはなかったと思うと、
島の春はその集大成のようで大好きです。

そして島を巣立っていく子供たち。
高校のない母島は中学を卒業すると同時に、
島を巣立っていきます。

これは3年前の長女達が島の卒業式に向かう場面です。

自分が中学卒業の頃、もう巣立つなんて考えてもいなかったのに、
母島の子供たちは当たり前に巣立っていきます。
なんとたくましい事か。

島の子供は誰一人名前の知らない子供はいません。
子供は地域で育てていきます。

この春に巣立つ島っ子達は、特に柔道などでも直接関わる事も多く、
なんだかとても感触深いです。
内地の高校に進む子、父島の小笠原高校に進む子などそれぞれですが、
新天地で頑張って欲しいと思います。


■3月の中旬以降、島の出港日の港はそんな見送りの雰囲気に溢れています。
僕にとっては寂しいけれど、なんだか応援する気持ちも入り混じった、
複雑な見送りです。

20年前、小笠原に移住した頃はこの春が本当に辛くて、
もう2度と転勤の人と仲良くなるか!!と思ったほどでした。
仲良くなった人たちと別れるのが辛過ぎたのです。

でも年月が経つにつれて、この期間限定の出会いも、
まさに一期一会。
大切にして、島を離れても繋がっていけるし、大事なご縁と思えるようになってからは
あまり躊躇することはなくなりました。

お別れで寂しい事は変わりないですが、
その先の関りを考えると、終わりではなく次へのステップと思えて、
辛い気持ちは薄らいできました。


■高校を卒業して、僕が19歳で初めて小笠原に行くとき、
小笠原行きを強く後押ししてくれた高校の担任の恩師が、
「その土地を離れる時に、涙が溢れるような過ごし方をしてこれると、それはいい旅なんだと思う。そんな旅をして来いよ!」
と声をかけてくれました。

涙涙に見送る場面を眺めるたびに、
その言葉が僕の胸の中で響いています。
【どうもありがとう!】
【いってらっしゃい!】
【元気でね!】
そんな言葉で見送りながら、
相手がこの島でどれだけいい時間を過ごせたのかと
想いを馳せます。

島に来てくれてありがとう。
一緒に過ごしてくれてありがとう。
また、逢おうね(#^.^#)



■小笠原ではお別れの時に花とティーリーフで作ったレイなどを渡す風習があります。

このレイを受け取った人は、
船が出港するときに海に投げて、
そのレイが島の浜に辿り着いたら、またいつか島に帰って来れると言い伝えられています。

丁寧に編み込まれたレイを大海原に託す。
この風習、とても素敵だと思います。
僕は大好きです♡

ハワイのフラ文化が島に定着している証だと思います。

僕もレイを良く作ります。
レイ作りを教えることもあります。

レイを作るにはティーリーフと花を集める必要があります。
ティーリーフは島のいたるところにあって、
僕は畑にも自宅にもあります。

ティーは編み込むために、
冷凍したり、火であぶったりしますし、その後切る手間があります。

その後は島を離れる相手を想って、
丁寧に編み込んでいきます。

僕はこの作業の時間がとても好きです♪
既製品でも流れ作業でもなく、
レイを編んでる時は、その相手のことを想っています。
一緒に過ごした時間に想いを馳せながらレイを編んで、
沢山の花を飾る工程はとても愛おしい時間なのです。


この春は本当に大好きすぎる仲間の引き揚げがあり、
なんと父島までレイを作って持っていくという機会に恵まれました☆
自分にできる事はこれくらいしかないので、一生懸命作りました(^^♪


■そして、いざお見送りです。
コロナ禍で去年は行えなかったお見送り式を行う事が出来ました。
これはすごく嬉しい事でした♪

島を離れる子供たちや先生が最後にひとつの節目を迎える場面です。
これでお互いの気持ちに一区切りつけることが出来ます。

セレモニーの後はそれぞれにお別れの時間を過ごします。
毎回思うことだけど、なんて切ないのでしょう。

だけど、この島のお別れの春というのはすごく人情的で大好きです。

見送り人の手には沢山のレイが見えます。
みんなそれぞれが良いと思う花を探して作ってきます。
僕はレイそのものももちろんですが、
そのレイを作るまでのそれぞれのストーリーや想いがたまらなく想えてしまいます。

時間にすれば受け取って、海に捧げるまでに1時間も持っていないレイですが、
受け取るものはそのスピリットだと思うのです。

見送った後にしばらくして、海に浮かぶレイ、浜に打ちあがるレイを見て、
すごくたまらない気持ちになります。


サッカー部は毎回、愛のこもった胴上げで旅立つメンバーを見送ります。
やっぱ愛だよなぁと思ってしまいます(#^.^#)


どれだけ撮っても足りないくらい、お別れのハイライトの連続です。

今回は離島のメインのタイミングで我が家の春休み父島旅行を設定したので、
見送られる目線でははじま丸に乗船しました。

沢山のレイ(首飾り)やハク(髪飾り)に包まれた仲間を見ていると、
島でいい時間を過ごせたんだなぁと感じさせられます。


■父島では毎回、すごい数の見送り船がおがさわら丸の出港に合わせて出ています。
母島では本当にこの時だけは!という時だけ、島の漁師さんが見送り船を出してくれます。

なおさら嬉しいですよね。
ずっとお互いが手を振って、お別れの時間を惜しんでいます。


遠くまで見送り船も並走して進みます。
この時間にすれば数十分の時間がたまらなく大事なひと時な気がします。


丹精を込めて作られたレイを大海原に投げて、フィナーレを迎えます。
沢山の涙が溢れます。
まさに島暮らしの集大成なのではないでしょうか。

島でいい時間を過ごせた勝だと思うのです。
僕はこんな見送りが出来る母島を誇りに思います♡


■そんな盛大な見送りを終えて、心にぽっかりと穴が開いたような時間が待っています。
この虚しさは形容しがたいのですが、すぐその後に新しい出逢いが待っています。

この春はなんとヤツガシラという派手な珍鳥に出会うことが出来ました♡
母島にはほぼ毎年のように来ている渡り鳥なのですが、
やはり派手なので目立つし、なんか嬉しいです。

ヤツガシラは春に来ることもあれば秋に来ることもあります。
ロシアや中国などで繁殖するために、通過地点として小笠原を利用しているようです。

そしてこの春から新たに赴任するメンバーと色んな場面であったりします。
父島帰りのははじま丸でも出会いました。

言葉にできないほど寂しい別れの後は、
また新しい仲間との出逢いが生まれてきます。

夕陽を眺めながら、この島に来たプロセスやいろんな話をしたりします。
そうして島の暮らしは巡っていくのだと思います。

最後に母島にも住んでいた友人が、
島のお別れのレイについて曲を作っています。
良かったらその曲を聴きながら、島のお別れのレイに想いを馳せてみてください(#^.^#)

音骨「ボニンオハナ〜レイの言い伝え〜」MV

確定申告を楽しんじゃうセンス♡

2022年03月12日 | 母島 日常 日記
■人生初の青色確定申告を無事に期日内(~3/15)に終えることが出来ました☆
島のみんなも内地の友人も結構、鬱々とその大変さを訴える確定申告。
良く驚かれるのですが
僕は何故か以前から確定申告が好きでした♪

間違いなく頭も悪いし、計算も苦手なのに!です。
きっとクイズの謎解きのように、
よく分からなくてぼやけていたものが、
仕組みごと理解できて、それを把握できた時のカタルシスがたまらないのでしょう。


去年の5月に島の便利屋「母島こまわりさん」を開業し、
個人事業主になって、初めての青色確定申告でした。

今までは給与所得がメインだったので、
白色確定申告で問題なかったのですが、
有難いことに開業のチラシを配布する前からご依頼を沢山頂くほどで、
今ではほぼ毎日、便利屋の仕事ができるくらいになっています。
求められている仕事ができて、本当に嬉しいし、有難いです(#^.^#)

個人事業の確定申告も分からないづくしでしたが、
三宅島のいとーまんが企画してくれた
東京島嶼ベースアップ講座(オンライン)を半年間、毎月受けれたこと(講師が税理士の吉村知子さん)、
去年の秋から日商簿記3級を目指して勉強したことが
実を結んで、
なんとエクセル簿記で複式簿記ができて、決算書も作成できました♪

最初は弥生会計やfreeの会計ソフトを導入しようかと思っていたのですが、
簿記勉強をしてみて、エクセルができれば、なんか自分でできそうだなぁと思ってきました。

そして、自動で色々やってくれるのではなく、
なるべく自分で仕組みを理解して確定申告をしたかったので、
エクセル簿記が僕にはぴったりでした♪
簡単なかつ、よくできた無料のテンプレート素材で
結果的に自分でカスタマイズできるのでとても面白く決算書が作れました☆(←タダです!)

もちろん、弥生会計やfreeはクレジットカードや銀行口座と連動させて、
お手軽に確定申告が出来てしまうので、
なるべく楽に自分で確定申告したい方はそちらが良いと思います。



■毎年、この時期に小笠原は芝税務署の方が来島し、相談窓口を開設してくれます。
今回は個人事業主開業後初の青色確定申告なので、
ガッツリ相談する気満々で臨みました。

その前の農業簿記相談や、インボイス説明会もフルで参加し、
事前の疑問や準備を可能な限り片付けて臨みました。

来島していた芝税務署のおじさんが、
エクセル簿記を僕から聞いて初めて知って、
「初めての青色申告でここまで仕上げてくるのはすごい!完璧です!」
「税理士いらずですね!税理士廃業ですよ(笑)!」
「エクセル簿記、むしろ教えてください☆」
と褒めてくれました♡イェイ!!

仕上げなきゃいけない日に
海が凪で天気も良く、
何度も沖にSUPやカヌーで遊びに行っちゃうという
攻略がムズカシイ障害はありましたが(笑)、
個人事業を始めてからずっと気にしていた確定申告をこうして無事に終えることが出来て感無量です☆

これで島で新たに個人事業を始める人に会計の説明がある程度はできるようになりました(#^.^#)
前から好きだった確定申告がさらに楽しくなりました♡


■そもそも確定申告自体、20代前半は分からないまま生活していました。
確か25歳を過ぎた頃に、何かのきっかけで始めたような気がします。

確定申告は1年間の収入を申告し、所得税を計算し、
暫定で引かれたりしている税金を取り戻したりする申告で、
気付いて遡って申告し、そこそこの金額の国民健康保険代金がバックされたのを覚えています。

母島に移住した二十代後半くらいから、
しっかりと把握して確定申告をしたいと思い、
来島する税理士さんにノウハウを習い、
毎年少しずつ、近年はしっかりと仕上げて確定申告に臨めるようになってきました。

今回は初めての青色確定申告。
想像以上に許年秋から勉強した日商簿記3級に出てくる、
勘定科目の仕分け、複式簿記の知識がとても為になりました♪
挑戦するキッカケをくれた友人に超感謝です(#^.^#)

複式簿記という、世界共通のすごい発明を理解できると、
自分で確定申告が理解できて、楽しくなる気がします♡

また色んなものを経費にできて、控除対象にできるというのは本当に有難いものです。
(これがどういう意味かをようやく理解できました☆)
節税という観点からも個人事業者の青色申告は、めちゃくちゃ有効なのです(#^.^#)



■あまりに美しい黄昏時、
目の前を漁船が帰港していく様子。

これも日商簿記を勉強したのがとても意味がありました♪
(合格発表は明後日ですが、すでに目茶苦茶チャレンジした意味がありました☆)

父親が他界した39歳を超え、ようやく1年。
個人事業として、さらに面白い日々が待っていました。

人生80年の時代、ついに折り返しです。
子供たちも大きくなったし、
親が生きてる意味って何だろう?って最近、思います。

似たような年齢で母島に新チャレンジにやって来た人に出逢い、
なんだか前に進むエネルギーがヒシヒシと伝わってきて、
いい刺激になってます♪

夕陽を眺めている時、周囲にはザトウクジラの息吹が聞こえました。

夕陽や夕焼けって、
どうしてこんなにも切ないのでしょう。
「夕暮れ時って悲しいな、
 オレンジジュースとミルク混ぜながら呟いた」
ブランキーのベンジーが「赤いタンバリン」で表現した感覚が頭の中で鳴っています。

自然と1日の感謝の気持ちに溢れる時間。
逆に朝日は1日の始まりのエネルギーが詰まっていて、
夕陽とは違う感覚があります。

周囲に海しかない絶海の孤島の小笠原。

毎日、通りすがりのように
太陽は巡り、
人の暮らしも巡っています。

すぐ隣の国での
哀しくなる現状を思うと、
この景色を味わえる日常の有難みが身に沁みます。

みんな、どうもありがとう☆

喜びをシェアするということ

2022年03月04日 | 母島 日常 日記
■祖母が言いました。
「おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
 なにかいいものを見つけたとき、まずしなくちゃな らないのはね、
 それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、いっしょに喜ぶことなの。
 そうすれば、いいものはどこまでも広がっていく。
 それが正しい行いってものなんだ。」

これは僕がバイブルとしているリトル・トリー(フォレストカーター著)という
大好きな本のお気に入りの一コマです。
インディアンの少年の行いに祖母が優しく語りかける場面です。

先日、島の友人たちと母島の最高の景観ビーチ「蓬莱根」に行ってきました。
「最高の場所だから、みんなを連れていきたい!」
この春に島を離れてしまう友人の一言から始まりました。
僕は彼女のそのモチベーションに感謝せずにはいられません(#^.^#)
とても贅沢で楽しい時間を過ごせたからです。

そんな時に冒頭の言葉が頭の中に浮かびました。
僕がブログを書いている意味にも繋がっているのですが、
“喜びをシェアする”ことって、本当に素敵だと思います。

今も悲しい事にウクライナとロシアは戦争状態になっています。
そして世界の情勢はこの美しい景色とは真逆の状態でとても悲しいですが、
そんな時だからこそ、
“喜びをシェアする”ような平和の種まきをしていきたいと思っています。

南崎で眺める夕陽も最高でした♡

■蓬莱根は母島の南崎エリアにある、秘境スポットです。
個人的に母島のビーチではナンバーワンのお気に入りの場所です。

2020年の夏に数年ぶりに蓬莱根に行ったら、
母島で特に気に入っていることを思い出し(笑)、
それからは主にSUPやカヌーでよく海側から来るようになりました。

あまりに美しい白い砂浜。
なかなか簡単に来れない秘境。
ビックリするような透明度、
沢山の魚たちとサンゴ礁、
カツオドリが営巣する大きな根、
根の周辺にはダイナミックな海の地形も見られ、
すぐ近くの沖にはザトウクジラやハシナガイルカがお気に入りのポイントがあります。

蓬莱根のクオリティは本当にすごいんです(#^.^#)

都道最南端の駐車場から遊歩道に入り20分程度で歩くと
蓬莱根海岸に着きます。

でもここはゴールぢゃありませんっ!!ここ要注意です!!
ここも美しいのですが、ここからもっと先が超絶に美しいのです♡


今までは10回中10回とも海を泳いでいったのですが、
今回は大潮の干潮の時間を狙って、
磯伝いに行くルートで初めて行くことになりました。
何故なら、メンバーにギタリストが2名もいて、なんと楽器が荷物にあるのです(#^.^#)

途中に1か所、西うねりだと波がかぶりやすいポイントがあって、
そこはタイミングを見計らって渡らなければなりませんが、
足元は磯場で危ないので慎重に渡らなければいけません。

大事な楽器を塩水で濡らすわけにはいきません!!

僕は行きにミスって見事、波をかぶってしまいましたが(笑)、
手持ちの一眼カメラが防滴だった(オリンパスOMD EM5 markⅡ)ので、
すぐに真水で洗うことが出来て一安心でした(#^.^#)

帰りはもう一人のメンバーがモロに波をかぶってしまい、
本人も含め、みんなで大笑い☆彡
何も怖いものはなくなりました♡

そんな磯場を抜けて辿り着いた先には楽園が待っていました♪


■丁度、この日の早朝に介護の便利屋仕事で島のレジェンドのお宅に伺っていて、
ちょうど蓬莱根の話をしました。

今年98歳のレジェンドは、
戦前の青年学校(今の中学校)時代に大時化で蓬莱根に外国船が座礁し、
島民の若い男手総出で助けに行って、
乗組員を全員救助したことがあると言っていました。

蓬莱根に陸ルートで行くと最初に見えるこの残骸がそうだとのこと。

出発の日の朝にまさにこの話が聞けるとは!
この有難すぎる奇跡に感謝です(#^.^#)

辿り着いた楽園で、
まずは各自自由な過ごし方で、
蓬莱根を味わいました☆

ギタリストはやっぱりこの景観でギターを弾かない手はありません。
このロケーションにギターを持ち込むその姿勢が素晴らしい♪


岩肌を登れば、雨も凌げそうな洞窟もありました。
何度来ても新しい発見があります♡


僕はもちろんすぐに泳ぎました♡
3月だけど、風が当たらずに晴れていれば、寒くなく泳げます♪

ちなみに蓬莱根というのは、
蓬莱根海岸から西側にある大きな島の事を指すのです。
根というのは、海の中の岩礁や岩礁地帯を指す用語であって、
ここの場合はもはや蓬莱島ではないかと思うほどですが、どうなんでしょう?

いずれにせよ、美しい場所であることには変わりありません♪


■それぞれが良い時間を過ごし、気が付けばトランプタイムが始まっていました(#^.^#)
僕は蓬莱根でトランプするのは初です♪
20年小笠原にいても、まだまだ初体験ばかり!
人の数だけ、様々な過ごし方があって、とても面白いです。

今回は「バガーン!」という初めてのトランプゲームで、
unoのトランプ版みたいなものでした。

ルールは
一人5枚持って、
自分の番で1枚ずつ数かマークが一致したら出して、
最初に手札が無くなった人の勝ちです。
出す手札がない場合は1枚山札から引いて、その回は何もできません。

1はスキップ、
2はドロー2、
8は任意でマーク変更、
12のみ同時に複数枚出せる。
ラスト1枚では「ウノ」と言わないとまた5枚補充。

そしてこのバガーン!の一番の醍醐味は、
手持ちの手札の数の合計数が今出ている札の数と一致している場合、
自分の番じゃなくてもいきなり「バガーン!」と言って、
上がれてしまうのです!
これが最高にテンションが上がります♪

トランプをしている間に後発隊も合流し、
ますます盛り上がります。

不思議な事に、弱い人は負け続け「最弱王」の称号を得ます(笑)。
しかし、ずっと最弱王だったメンバーが、
いきなり奇跡のバガーン!で逆転勝ちをするという展開もあり、
蓬莱根トランプ大会は超盛り上がりました(#^.^#)

その後はみんなで岩場探検したり、
ギターを弾いたり泳いだり、
それぞれの楽しみ方で味わって昼食になりました。

食パンを持って、
みんなはそれに付ける惣菜を用意してきました☆
僕は奥さんが作ってくれたフムスを用意して、めっちゃ大好評でした(#^.^#)
ありがとう♪

大変だ!蓬莱根に行き倒れの人が!!!
ってわけではなく、お腹いっぱいになって眠くなったのでバタンキューの図です(笑)。

この日は風も穏やかで、海に入っても寒くないコンディション。
僕もガッツリ美しい蓬莱根の海を堪能しました☆



■今回のトリップ発案者の彼女は美しい景色が大好きで、
世界中を旅している旅人です。
母島でも休日や休憩時間によくいろんな場所に出かけています。

僕も幾つも紹介しているのですが、
沢山のとっておきの場所があって、
最高の場所をシェアしてくれるのです♪
冒頭に書いた言葉通り、その心意気が嬉しいのです。

蓬莱根の後はみんなで南に下り、南崎の絶景ポイントで夕陽を眺めました。

メンバーにはこの春に島を離れる人もいて、
本当に寂しい気持ちになります。

島の春は出会いと別れの季節。
新しい出会いがあってワクワクもするけれど、
やっぱり仲良くなった友達が離れていくのは寂しいです。

その多くが人生の次のステップ、前向きに進むケースが多いので、
応援する気持ちでいっぱいなのですが、
やっぱり毎回毎回寂しいです。


最高の夕陽を眺めながら、
ギターで作曲を続けるも者、
お腹いっぱいで眠くなる者、
クジラの気配をみて歓声をあげる者、
ほんとみんなそれぞれです☆

色んな話をしました。

朝の8時に集合して、
南崎で星が出るまでみんなで過ごして、
集落に帰って来たのがなんと夜の8時!!

実に12時間のピクニックでした(#^.^#)
星が多すぎて、ヤシの木の横の北斗七星が分からないくらいです☆

みんなで最高の場所に行こうと声をかけてくれたことに、
とても嬉しい気持ちと感謝の気持ちで溢れた蓬莱根。

喜びをシェアするって、なんて素敵なのだろう。

また来るね。
今度は僕がシェアをする番だ。


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蓬莱根の海中の美しい写真はこちら!
カナダ留学に戻る長女と家族で行った蓬莱根
2020年8月



大好きな島の雰囲気の有難み

2022年02月26日 | 母島 日常 日記
■つい先日のことです。
鮫ヶ崎展望台に夕陽を見に行くという
何気ない日常があるのですが、
強烈にその日常が有難いな、大好きだなと思えました。

夕方の黄昏時を味わう妻と友人☆
この景色を味わいに人が集まり、
他愛もない話をするっていう雰囲気が僕はとても大好きです♪

北京オリンピックが終わった直後、
ロシアのウクライナ侵攻が始まり、
もうすでに100人以上死亡者(子供も含む)も出ていると報道があり、胸が締め付けられるおもいです。
ウクライナもロシアも、さらに国連も兵を配備する動きとなっていて、
まさに隣国で戦争が始まっています。

どちら側にも「正義」があるのだろうけれど、
正義はきっとその人の数だけ存在していて、
どれが正しいなんて、言えるものではないと思うのです。

そして、みんな人の子であり、親がいて、子供がいたりします。

そんな毎日を一生懸命生きている命が、
理不尽に奪われて、悲しみと憎しみが連鎖していく戦争を、僕は賛成できません。

戦国時代、
山梨県と新潟県が本気で戦争していたのに、
今の時代ではあり得ない様に、
世界の国や民族もそんな段階に行ってほしいと切に願っています。

何も考えずに、
ぼーっと大自然を味わうような贅沢を、
当たり前にみんなができる世の中を願っています。

小笠原も太平洋戦争時は激戦地でした。
今でも硫黄島には日米合わせて1万のご遺骨が眠ったままといいます。

こんな心が締め付けられる時だからこそ、
平和な島の日常が「当たり前」ではなく、
「有り難い」、有ることが難しいほど奇跡であるということを実感して
本当に心底有難いと思ったし、それを発信しようと思うのです。


■23日(祝日)の午後は青年会主催のホエールウォッチングでした☆
今期の母島青年会は2回、ホエールウォッチングを企画しました。
公務員など日曜日向けと観光業向けの出港中開催の2回。

日曜開催は先日、見事に予定通り開催し、心底感動したホエールウォッチングでした♪
しかし、出港中開催は1月末に企画してから、
みんなの都合と海況がマッチしなくて、
なんと5回も延期調整してからの実施となりました(^_-)-☆

ここまで延期が続くと、船のチャーターやみんなの都合の調整も毎度大変で、
一時はかなりくたびれてしまっていましたが、
今期で島を離れてしまう大事な仲間も参加することもあり、
粘りに粘って、ようやく開催することが出来て感無量でした☆

今年の母島のザトウクジラはピークを早めに過ぎた印象で、
パッと見で見れるクジラが半減している印象でした。

主催している側としてはハラハラする状況でしたが、
結果は見事なブロウ(潮吹き)やフルークアップ(尾びれを高く上げて潜る)、
遠いけどブリーチングなど、
存分に母島の大自然を堪能できました♡

このダイナミックさがタマラナイ(#^.^#)

島っ子姉妹2名は見事に船酔いでダウンしてしまいましたが、
過去に何度かホエールウォッチングに参加したけど、
毎度、船酔いで撃沈していた友人も、今回は酔うことなく楽しめたようで、
本当に良かったです☆


こうして、みんなの笑顔とクジラと共に過ごせたことが宝物になりました♡
どうもありがとうございました♡



■そして、ここ1か月弱は父島~母島航路はくろしお丸でしたが、
ははじま丸がドック(船舶検査)明けて戻って来ました♪
お帰りなさい!!

実は今回、ドック明けのははじま丸が内地から小笠原へ戻ってくる途中で、
エンジン内でのオイル漏れが発生し、引き返すという事態になっていて、
くろしお丸がちょっとだけ延長していました☆

島の暮らしの為に本当に感謝です!
ありがとうございます!

最新のくろしお丸もカッコいいのですが、
やっぱりはは丸がいるとホッとします(^^♪

毎回、ドック明けにマイナーチェンジをしていますが、
今回はすぐに気付く部分がありました。

船のデッキ横のクジラのイラストが、
見送り時のクジラのぼりデザインに変わっています!!


いつも僕が出港時に振っている、あのクジラのぼりデザインです♪

今回も色々と変更点があるらしく、
乗ってきた友人のレポートもありますが、
3月に乗るのでお楽しみです♪

ちなみにくろしお丸はその後、
無事に本来の八丈~青ヶ島航路に就き、
無事に運航しているそうです(#^.^#)

くろしお丸、どうもありがとう!!


■そんな2月の母島。
去年はコロナを理由に中止になっていた、消防団の訓練がありました。

毎年、東京消防訓練所の教官が来島して来てくれていて、しっかりと勉強することが出来ました。

ポンプ運用、救命講習、救難救助、結索訓練etc...
どれも島の消防団活動に重要な訓練です。

毎度思うことですが、実際の出動を想定したシュミレーション訓練が、
とても勉強になります。

実際、私たちは通報を受けてから、
その情報をもとに準備し、出動する訓練です。

何度やっても動揺するし、緊張が走ります。
自分がいかに何もできないかを痛感して、
再度もっと学ぼうという気にさせられます。

今回は農繁期ということもあり、
農業者の団員の参加が厳しく、
ほぼ経験の浅い団員だけでのシュミレーションなども行い、
沢山の課題が見えてとても重要なものでした。


訓練をしてみて、本当に実感したことは、
村民の生命や財産を守るのにこの訓練はとても重要なことだということです。

色んな場面でコロナを理由に怠けてしまっている部分があるし、
仕方のない状況とも思えるのですが、
できる限り実施できる最善を尽くして、活動をしていくのがいいと僕は感じました。

実際に現場で「もっと学んでおけばよかった!」と後悔を絶対にしたくないので、
こうした機会は本当に有難いです。
みんな一生懸命学んでいました♡
本当にありがとうございました!!


■最近は夕陽をバックにクジラの存在を写真に収めたくて、
毎日、脇浜に通っています。
先日はこんな写真が撮れました☆

そんな事をしていますが、
こんな記事を書いていますが(笑)、
明日は日商簿記3級の試験日です!!

目の前の試験勉強をまずは頑張ります!!
40歳の脳みそは、
理解力は若い頃より向上している感はありますが、
暗記力はそこら辺の穴が開いたザルよりもスルーするほど、
記憶保持に難があります(笑)。

個人事業の経理勉強のためだから、
別に受かる必要性はないのだけれど、
どうせやるならしっかり理解して、受かりたい(#^.^#)

これで得られた知識を、
あらたに島で起業する人へ伝えれたらいいなと思っています。

毎度のカンヒザクラ写真ですが、
今回は透明感のある写真で撮れました(^_-)-☆

試験が終わったら、本格的にポートレートを頑張るぞ~~!

ココロに咲く花を

2022年02月12日 | 母島 日常 日記
■母島の春は出逢いと別れの季節。
今季は特に大好きなメンバーが何人も島を離れるので、この時期は寂しいし複雑な心境です☆

そんな季節の今、自宅の近くに思いっきり満開のカンヒザクラの木がありました♡
樹によって咲き具合はそれぞれで、全く咲いていない木もあれば、
3分、5分と咲いている木もあります。

揃って咲いていればなお最高!という考えもあれば、
みんなバラバラで長く楽しめるからいいじゃん!っていう考えもあり、
人のココロって多様で面白いです(#^.^#)

でも桜の花を見て、
人々が心動かされているのは紛れもない事実で、
花の力ってすごいなぁと毎度思わされます。

最近は自分自身で色々追い込んでいる状況もあり、
いっぱいいっぱいな時期がありましたが、
花を愛でるココロの余裕というか、
ココロの持ち方で景色がグッと彩りを増すということを経験しました。

自分のスタンス次第で、
見える世界はこうも変わってしまうのだと痛感したのです。

そして、ふとした人からの笑顔や思いやりで、
落ち込んでいた自分が元気になったりします。

ヒトって、なんて不安定で不確かなものなのだろう。
だけど、まったく完全で、安定しかないものよりも、
その「ゆらぎ部分」に人の泥臭さや魅力が詰まっている気がします。

僕はそんな人間らしさが好きでたまらないのです(#^.^#)

そして、そんな好きなヒトの暮らしに、
花という存在は寄り添って存在している気がします。

桜のように人のココロを豊かにしてくれる、圧倒的な存在もあり、
人々のココロの中に咲く花もあり、
花という存在は本当に有難く、素敵だなぁと感じています。
(ミヒャエル・エンデ著の「モモ」に出てくる、人のココロに咲く時間の花がとても好きです)



■羽根つき。
今年はコロナの関係もあり、例年の正月実施ではなく、
1月末に島民限定で羽づくり、羽付き大会が開催されました☆

いつもだと正月に羽根つきをして、
その後そのまま小剣先に登って正月って感じだったので、これでようやく正月を終えた気がします(#^.^#)。


島の竹をナイフで切れ目を入れて8方向に割って、
羽部分をめくって、細くして作っていきます。

このめくる作業が難しくて、面白いんです(#^.^#)


上手に仕上がると、羽が飛び上がった時にクルクルと美しく回って落ちてきます。

周った方が風の影響も受けにくく、飛距離が伸びる印象です☆

みんなで大きな円陣を組んで、中央に上手な人が構えて、続けていくのが母島スタイル♪
僕たちも子供たちに交じって、なんとか連続6回を記録できました(^^♪


大人も子供もみんなで
伝統的な島のタマナの羽子板と竹の羽で楽しめました♡
準備に調整に実施に、本当にありがとうございました♪



■少し遡って、1月23日になりますが、
母島北港にも南硫黄島付近の海底火山「福徳岡ノ場」由来と思われる軽石が少量ですが、確認できました☆

長い海旅をしてきたようで、
色んな漂着物も付いていました。
手で簡単に折れてしまうほど脆いです(#^.^#)

以前、感動的な火山雷を魅せてくれた海底火山です。

その後、軽石が大量に沖縄などに流れ着き、
深刻な問題を引き起こしていました。

母島でもまず最初に漁師さんから沖合での軽石の発見があり、
注意喚起の連絡がありました。



■さらに2月になって、休日に夫婦で南崎のワイビーチに行ってみたのですが、
ワイビーチにも福徳岡ノ場由来と思われる軽石が漂着していました(^^♪

以前の北港のものに比べて、
粒が大きい気がします。


この日は北西の風の大荒れだったので、
恐らくワイビーチにあると思って、行ったら大当たりでした(#^.^#)


それ以上に驚いたのが妻が20年小笠原に住んでいて、
ワイビーチに来たのが初という事実(笑)。

毎朝、鮫が崎展望台から見ていた先の景色の場所に来れて、
本人も予想以上に喜んでいて、微笑ましかったです(#^.^#)

子供たちも大きく育ち、
こうして夫婦ふたりで楽しむ時間が増えてきて、なんだかそれはそれで感触深いです♪

もう20年近く一緒にいるわけで、
親よりも長くなって来ています。
いつまで続くか分かりませんが(笑)。



■先日、漁師さんに立派なオナガダイ(ハマダイ)を頂きました♪
ありがとうございます!!

早速、3枚おろしにして、
刺身と兜煮を作りました。

もう今では当たり前ですが、
家庭用のまな板からはみ出すサイズの魚を、
普通にさばけるようになった島の暮らし。

島に来るまでは魚どころか、料理すらまともにやった事はありませんでした。
そのほとんどが結婚当初にお世話になった小笠原ユースホステルで習ったのが由来です。

今では料理は大好きです(#^.^#)
自分が食べたいものを食べたい味付けで作れるのが最高だし、
それで人が喜んでくれるというのは有難い事だと思っています☆

もっともっと色んな料理に挑戦したいですね♪



■さて12月上旬から始めた減量で、
ようやくマイナス12kgを達成しました♡

今まではずっと集落~新夕日ヶ丘までの7kmコースだったのですが、
集落~南崎ロータリーまでの8kmコースをやってみて、
さらには集落~石門入口までの往復に到達しました♪
往復9.5km程度になります。(アップダウンが激しい!)

あと10か月でさらにマイナス8kgを目標に頑張ります!!

そして、近いうちに南崎~北港にチャレンジします(#^.^#)
こちらは片道13kmちょいになります。

今月は色々自主イベントもやりの、
自分自身の簿記試験ありの、
さらには初めての個人事業の青色確定申告ありの、
次女の学校卒業ありの
いわゆるザ・てんやわんや状態です。

周りからはそう見えてないと思いますが(笑)、
意外と自分の力不足にしょっちゅう凹んでますし、
みんなに支えられて、なんとか楽しく生きてます。本当にみんなに感謝です♪

頑張るぞ~



2022年 母島おらいの年末年始

2022年01月16日 | 母島 日常 日記
くろしお丸の記事と順序が逆になりますが、
2022年新年を迎えました。
今年は我が家は喪中にあたりますので、こちらから年賀状を出したりは控えましたが、
皆さんからの年賀状を楽しく拝見させて頂きました。
これからゆっくりとお返事していこうと思います☆

さてさて、そんな2年目のコロナ禍で迎えた母島の年末年始について書いていこうと思います。

まず何といっても初詣。
この小さな鐘が除夜の鐘に使われるものです。(超素朴な音はこちら

今年もコロナ禍ということで、
鐘を鳴らすことはなく、氏子さん達も不在の月ヶ岡神社。

しかし、神社までの参道には灯りが付けられています。
有難い事です(#^.^#)

次女とふたりで初詣に行ってきました。

コロナ禍前の初詣は、おみくじもあり、大きな焚火も行い、
なかなか趣があるのですが、やはりどこか寂しい感じです。

23:40に僕と次女で神社に上がった時は、
寒そうな駐在所の警察の方が一人で心細そうに待っていました(#^.^#)
みんなの為に有難うございます☆


■さてさて、年明けて元旦。
僕の仕事初めは早朝5時から便利屋さんでした。
高齢者のお宅の朝の訪問。

それを終えたら6:30からは年賀状の配達。
7:30からようやく青年会の獅子舞巡業でした☆

この獅子舞は青年会が手作りで始めたもので、もう10年以上の歴史があります。
去年はコロナ禍で中止としましたが、
今回は観光客と接触するイベント会場を避けるというエッセンスを取り入れ、
島民にご利益を振りまくことにしました。

久々の獅子舞、やってみて本当に良かったです(#^.^#)
すごく楽しかったし、みんなと共に過ごすいい時間(#^.^#)
やっぱりこれをやらないと正月が始まらない。

今回は小学生たちもゾロゾロとついて来てくれて、
とっても楽しい賑やかな獅子舞となりました♪

獅子舞で周っていると、
至る場所でお神酒を頂きます。

お陰で僕たちの体もポッカポカです(#^.^#)

青年会メンバーも途中交代しながら、
やんややんやと回っていきます。

ここでも年末に書いた記事のような手応えがありました。
「ああ楽しかったね~」
そんな素朴な声がなんと嬉しい事か♡

獅子舞に対するご寄付も沢山頂きました☆
青年会としてもますます地域活動を頑張って行く元気を頂きました!!

次女もガッツリ噛んでいただきました♡


■コロナ禍ということで南崎の小富士に向けての初日の出登山は中止。
海開きも規模を縮小しての開催となりました。
母島観光協会のInstagramでその様子が動画配信されています。

船客待合所では挨拶とカメ煮の配布があり、
僕のソウルフードでもあるアオウミガメの煮込みを頂きました♡


初泳ぎ、次女は元旦の大岸壁で、
友人と飛び込んでおりました☆

中にはアルゼンチンから日本に来て働いている素敵な猛者もいて、
次女がとても仲良くなっていました♡

初泳ぎ後、大岸壁でみんながカメ煮を食べながらも、
青空の下で語り合いながら過ごす平和な時間が流れていました♪


次女はアルゼンチンの方とウクレレを習ったり、歌ったり、
楽しい交流をしていました(#^.^#)
長女とは違い、割と人見知りタイプと思っていましたが、英語と交流が好きでたまらないようです☆


ちなみに僕は1/3にSUPで妻と四本岩に行き、初泳ぎを敢行!!

観光協会で初泳ぎ証明書とワンカップを頂きました(#^.^#)
それは次回の記事で書きますね☆


■正月には懐かしい顔ぶれや沢山の観光の方、リピーターの方が島にやって来ました♪
コロナ禍でなかなか交流が難しい時期ですが、
ぽかぽか陽気の出港日は子供たちとみんなで楽しい見送りダッシュ!!

クラウチングスタートの構えで待ち、ははじま丸の汽笛で一気にダッシュ!!

みんなで船に向かって
「いってらっしゃ~~い!
「元気でね~~!」と叫びます☆

こんな平和な光景がたまらなく愛おしい感じでした(#^.^#)



■1/10は前浜のガジュマルイリュミネーションの撤去作業。
これは母島観光協会のご依頼で母島青年会が行っている作業です。

ミズナギドリの巣立ちピークを終えてから約1か月、
母島の前浜にあるガジュマルをクリスマスの飾りで彩った1か月。
その撤去作業を青年会メンバー&観光協会スタッフで行いました♪

取付はああだこうだ言いながら1時間以上かかったのですが、
撤去は30分もかかりませんでした☆

これもみんなのお陰です(#^.^#)
本当にありがとうございます!!


■続けてどんど焼き。
コロナ禍前の母島どんど焼きは前浜でドラム缶と芋煮を用意して、
みんなでワイワイと温かい芋煮を頬張りながら、
焔を眺め、正月飾りをお焚き上げするものなのですが、
今年も去年同様、畑で青年会のみでお焚き上げとしました。

捨てるには忍びない飾りの数々。
火にくべて、天に還すのが一番の行いな気がします。

今年は青年会のメンバーが色々用意して来てくれて、
みんなで炎を眺めながら、色んな話をしました。

他愛もない会話と、
ど~でもいい大笑い、
そんなことがたまらなく愛おしい時間…
みんなみんなに感謝です☆

今度行う青年会のホエールウォッチングの話。
2月は南崎から北港まで走ろうよ。
3月は石門に行こうか?

やっぱりコロナ禍で失われた生身の会話はとても楽しいものでした。
はやくみんなで飲みながら語り合える日が戻ってほしいものです(#^.^#)

僕も40歳になり青年会長をこの春に引退するので、
今後の青年会は次の世代にお任せです☆



■さてさて、こんな冬でも収穫できるローゼルの品種があります。
これは2017年に沖縄やんばるに伺った時に、
森岡尚子さんに種を分けてもらいました。
2017年やんばるの旅 記事
それからずっと代々種取を繰り返し、
今では晩生「うちなーローゼル」と名付けて栽培しています。

今期はこの品種は作付け数が少なくて、
出荷はしていませんが、来期はもうちょい作れるよう頑張ります☆


■コロナ禍。
何でも中止ではなく、できることを模索するのが大事と思います。
今できるベストを尽くす。
考えることを放棄してはもったいないです(#^.^#)

昨晩はトンガの海底火山爆発で津波が発生し、小笠原にも津波注意報が発令されました。
ちなみに母島は無事です☆彡

早朝は70センチくらいの海面変動があり、
漁師たちも夜通し気にしていましたが、
灯台前で波が渦巻いて立ってる以外は
特にいつもと変わらず平和です(#^.^#)

父島は90㎝の海面変動が確認できたとの事です。

現在、大潮なので今日はカヌー練習を中止にしました☆

色々ご心配ありがとうございます!!
トンガがどうか無事でありますように!!

ザ・ギフト②~南洋踊りと初ザトウクジラの物語

2021年12月29日 | 母島 日常 日記
ザ・ギフト①の続き

■今年の12月のテーマは「ギフト」でした。
日々、色んな気付きがある島暮らしですが、
12月は本当にギフトの連続でした♪

都会の暮らし(やったことないw)に比べて、
まったく別の時間が流れている島の暮らし。

でもスローライフって、融通がめちゃくちゃ利くだけであって、
やることなんて膨大にあるので、
それをどうコントロールするかは自分次第なんです。

僕は島で多様な仕事をずっとしているので、
さぞかし忙しく見えるでしょうが、
結構、SUPしたり、ギター弾いたり、景色を眺めたり、ランニングしたり、
色んな余白を楽しんで、忙しく暮らしています(#^.^#)

この春に便利屋を開業してからは、そのスタイルが加速度的に密度が増して、
より濃厚に楽しく暮らしています。

12/31が仕事納めで、
1/1が仕事初めですが、
やりたい事しかしていないので、
まったく苦じゃなく暮らせています♪

それも僕だけでなく、
妻や娘たち、
島のみんなのお陰でこうして暮らせています。
本当に有難い事です☆
どうもありがとうございます!!


■小笠原フォトコンテスト優秀賞入賞!!
なんと小笠原諸島世界自然遺産地域登録10周年記念フォトコンテストに優秀賞で入賞していました(笑)。

人の入賞にはSNSで知っていて、
おめでとうと言っていたのですが、
自分のはメールで埋もれていて気付きませんでした(笑)。

最優秀賞の小太郎さん、流石です!
優秀賞の小林修一さんのイルカ、圧倒的!
同じ母島の仲間、シモナは素晴らしいアングルと瞬間☆

みんなおめでとうございます♪
みんな本当に素敵すぎる写真です。
見事に小笠原の魅力を写真で表現できているのばかりに思えます。

僕が優秀賞を頂いたのはこの写真です。
小笠原の日常風景「いってらっしゃい!」

次女には
「みんなの写真は美しくて、流石と思うけど、 お父さんの写真は普通だね。 なんで入賞したんだろう?」と言われ、
「俺もそう思うんだよなぁ」と(笑)。

そんなことをFacebookに書いていたら、
友人から
「ジャイアンのは「小笠原の日常」だから、島っ子の娘さんが「普通」って言うのは普通なこと。
だから良い作品で、優秀賞なんだと思います。
これからもずーっと、「普通」な生活が続くと良いですね。」

長女からは
「島の外から見れば非日常だね〜。
お父さんの写真は一見普通かもしれないけれど島民だったり、
その背景を知っている人にはすごく響く温かさがあると思うよ。個人的にすごくすき!」
と言われて、とても嬉しかったです♪
皆さんからの沢山のいいねとコメント、とても嬉しかったです♡

いずれにせよ、僕の写真も選んでもらえて光栄です(#^.^#)
島の子供たちの夏の楽しみが見送りダイブです。

その躍動感をパッケージできた1枚な気がします♪
よく見てみると、ノスリのドアップ写真も入賞していました。
個人的には人の暮らしや表情をうまく撮れればと思っているので、この優秀賞はとても嬉しかったです♡
わ~いわ~い!

ついでにノスリのドアップ写真も入賞しておりました!
小笠原の生きもの「生態系の頂点の眼」

これは2018年に中ノ平で仕事をしていて、
ふと近くにオガサワラノスリが木に留まったので写真を撮ったものです。

小笠原の偏った生態系において、頂点に君臨する天然記念物オガサワラノスリ。
いつもは鋭い目つきの猛禽類なのですが、
ふと可愛い表情で写真に収めることが出来ました♪

島で暮らしていて、どちらもよく見られる光景ですが、
それこそが本当のギフトだと思うのです(#^.^#)

こちらは村が配布した卓上カレンダーにも採用されていて、
島民のコメントも付いていて、なかなか嬉しい仕上がりになっています♡



■南洋踊りの練習会と撮影
もうひとつのギフトは南洋踊りに関わる出来事です。

南洋踊りは東京都無形文化財に指定されている、
ミクロネシアから小笠原に伝わる伝統的な行進踊りです。

僕自身も父島に移住した2002年から、
父島の南洋踊り保存会の酋長である高崎さんに習い、
ずっと続けてきました。

ハワイで大勢のネイティヴの前で披露したこともあったし、
文化交流祭ではパラオの皆さんと交流した事もありました。
共通のルーツを持つ沖縄の島民ダンスの皆さんと交流する機会にも恵まれました。

しかし、母島でずっと長年南洋踊りを引っ張てくれていた小高さんが夏に急逝してしまい、
母島の南洋踊りもピンチの状態に陥りました。
そんな中、色んな方々の力添えのお陰で、なんとか次のステップに移る事ができました♪

5年以上前から、ずっと母島で音源を使った踊りではなく、生歌と生カカでやりたいと思っていたこと、
島民向けの南洋踊り練習会をこの数年間ずっと実施できていなかったこと、
そんな悩みがこの12月、一気に前に進みました。

2022年の観光協会による海開きイベントによる南洋踊りを、
コロナ禍であることから映像配信することが決まり、
それに向けて、練習会を2回ほど実施できる運びになったのです!

これは年々、衰退の一途を感じる状況の中、
僕にとっては大きなギフトとなりました♪

その映像は1/1以降に母島観光協会のInstagramで配信されるので、お楽しみに♡
これからが問われている郷土芸能のギフトでした☆


■人生で初めてクジラを見た瞬間
これはこの春、母島に来たばかりのニューフェイスの友人がいました。
聞くと、まだザトウクジラを見ていないというのです。

前回のザ・ギフト①でガジュマルイリュミネーションのエピソードで、
カメを追加した後、
予定が数十分空いたので、一気に一緒に旧へリポートへ向かいました。

旧ヘリ先の御幸ノ浜展望台に行く道から見える海に、
着いた瞬間に見事、ザトウクジラのブロウ(潮吹き)を発見しました♪
限られた時間になんという超ラッキー!!

見事に人生初のザトウクジラを見ることが出来たのです☆
これはまさに友人にとってもギフトには違いありませんが、
人生で初めてザトウクジラを見たいと思っていた人に見せれた時の喜びも
僕にとって相当のギフトでした♡

見れたブロウは、恐らく今シーズン最初に母島で確認された親子のザトウクジラのブロウだったと思います。
とても喜んでもらえて、その笑顔が僕にはとても最高のギフトでした(#^.^#)


■美味しいギフト♡
年の暮れ、漁師さんにめっちゃ美味しいお魚ギフトを頂きました☆

今夜はハロー(ホウキハタ)鍋で頂きました♪
ハローは小笠原で単価がとても高い高級魚です。

どうもありがとうございました!!

他にもアカバ、アカバモドキも頂き、
年末には豪勢過ぎるラインナップになってしまいました(#^.^#)
正面顔で撮ってみたら、なかなか面白かったです♡

いつもいつも本当にありがとうございます!

■このコロナ禍ですが、
無事に12月の学校の恒例行事でもあるロードレースを終えることができました☆

みんな一生懸命走っていて、応援しているこちらもアツくなりました。

2021年は僕にとってはとても大きなターニングポイントの年になりました。

40歳になってみて、まだまだ色々やりたいことが山ほどあります。

娘たちも来年は長女がカナダの高校卒業、
次女は中学入学となり、
今までとは違うステージに入ることは確実です。

僕がこうして沢山のギフトを感じているように、
家族みんなそれぞれのギフトを感じていることでしょう。

いつ死ぬか分からない毎日ですが、
まだまだ面白い日々は続いていくのでしょう(#^^#)

そんなこんなで今年1年、本当に沢山の人にお世話になりました!
来年もどうぞよろしくお願いします

ザ・ギフト①~母島クリスマス活動と母島青年会の物語

2021年12月25日 | 母島 日常 日記
■今年も母島の前浜にあるガジュマルにクリスマスイリュミネーションが光っています♪
これは母島観光協会のアクションで、母島青年会が毎年取り付け協力をしているものです。

僕はこの光景が大好きです。
なぜなら、ただの美しい飾りなのではなく、幾つものストーリーを含んでいて、それを知っているからです(#^.^#)
今日はその背景を少し紹介したいと思います。

毎年、青年会のみんなでああでもない、こうでもないと模索しながら、
楽しんで取り付けしているので、毎年デザインが変わっていて、そこもお楽しみの一つです♪

点灯は12/12~1/10までで17時~21時です。
取り付けた直後から、島民や家族連れがクリスマスの景色を楽しんでいて、
とっても幸せな気持ちになっていました♡


■この12月は久しぶりにこうした地域のイベント活動が続いて、
そのままクリスマスを迎えて、とてもじんわりと感動したことがあります。
「ギフト」についてです。

母島で生活していて、例年だと毎月の様に何かしらのイベントがあり、
日々忙しく過ごしているのですが、
この2年間はコロナ禍ということもあり、イベントがほぼなくなり、
こうしてスポットでイベントを実施したりして、その有難みを再確認しました☆

その中で色んな場面でギフトをプレゼントしたり、
逆に頂いたりする機会があるのですが、
そのギフトはモノだけの話じゃないな、と心底思わされる1か月でした。

その一つとして、
青年会のみんなでガジュマルのイリュミネーションを取り付け終わった後に、
着け忘れた大きなイルカとカメの装飾を倉庫で発見するという事がありました。

今更、大人数を呼べるわけでもないし、
雨ざらしの為に配線をしっかり養生しているので、
追加する際にはそれなりにひと手間かかります。
最初は、カメとイルカは今年はいいねという諦めムードでした。

観光協会の職員さんに相談され、話をしている時に一言、
瞳をキラキラさせて、
「これで子供たちが喜んでくれるのなら、ぜひやりたいです!」
その一言で一気に心が動かされました♪
なんというホスピタリティ!!

お互いの仕事の休みや合間をぬって、新たにイルカとカメを追加したのです(#^.^#)

数日後、新たに追加したカメやイルカにも子供たちや島民が気付いてくれて、喜んでくれました♡

この小さな一件は僕にとってはとても大きな出来事で、
なんだか色んな初心を思い出させてもらうキッカケとなりました。
‟なぜこの活動をしているのか”そんな根本理念に立ち返る大きな部分だったのです。

これぞまさにギフトです♡
何を大切にして暮らしているか、ハッとさせられました。
こういう気付きが、みんなで活動しているいい部分だと思います♪


ベタ凪の沖港内に浚渫船が佇む中の夕焼け、
島民が「この美しい光景を写真に収める術は俺にはないな。ジャイアンのカメラはどうだい?」
と言われて、撮った写真です。
現場の半分くらいはその雰囲気を表現できているでしょうか?

自然と人の暮らしとクリスマスと。
お母さんの自転車に乗った小さな幼児が、
「わあ、きれいだね~!サンタさんもいるよ~」
「そうだねぇ、綺麗だねぇ」
そんな他愛もない会話なのですが、
なんだか抱きしめたくなるような愛おしい雰囲気がありました♪



■まだまだギフトはあります(笑)。
去年同様、コロナ禍ということで例年の母島のクリスマス子供大会は、
屋外のクリスマススタンプラリーという形に姿を変え、
各ブースで色んなレクを行い、子供たちがスタンプを集めるスタイルで実施しました。

僕たち青年会は学校校庭で、
①ジャンケンポイ、あっち向いてホイ!
②ジェスチャーゲーム
③面白クイズコーナー
④プレゼントコーナー
を実施しました。

それぞれのブースにリーダー的な人を任命し、任せる形式を取ってみました。

まずは会場の設営から1日が始まります。
地域の大人が、子供たちの為に舞台をクリスマスの装飾に変えていきます♪

学校のブランコもこの通り♡

これ、実は大人たちも相当楽しんでやっていて、
子供たちに贈っているはなのですが、
実は大人も子供たちの楽しんでいる姿にめちゃくちゃ癒され、
ギフトを頂いているのです(#^.^#)

クリスマススタンプラリーを終えて、
そのままガジュマルイリュミネーションを取り付けて、
お昼過ぎに解散したのですが、
また夕方にふと集まったメンバーが
「今日はなんか楽しかったね~♪」
「うん、こんなに話したことない人と話した日は初めてかも~」
「子供たちの可愛さに癒されました♡」
そんな言葉を要所要所で聞くことが出来て、僕は感無量でした♪
なぜなら、ずっと何年も、この雰囲気を目指していたからなのです。


■母島青年会は母島の若手の地域団体で、
近年では主に地域のイベントの運営やお手伝いを主軸に活動しています。

職場も性別も立場も超えて一緒に活動するので、
様々な交流という側面も持ち合わせています。

僕が母島に来た当初(10年前)は非常に活発で、
祭だ宴会だイベントでは出店にダンスに劇にと大忙しでした。

しかし、時代とともに、メンバーは雰囲気も変わり、
主に学校の先生メンバーが8割を超えるようになってきて、
地元の若手メンバーが減ってきて、
なんだか"やらなければいけない感”を感じられるようになり、
少し参加者に重荷に感じられる場面が幾つか見られました。

人数の少ない母島。
もちろん学校の先生は貴重な若手の人手で超重要ですが、
学校の先生に任せてばかりでもいけないと思うのです。

数年間の赴任の中で一緒に活動して楽しんでいける部分はいいのですが、
いつの間にかそこに甘えて、任せっきりになって「どうしてこの活動をやっているのだろう?」が
分からなくなってきているように感じられました。

色々あって、女性のメンバーもたった数人になってしまい、
なんだか楽しい雰囲気が薄くなっている気がしました。

3年前、僕が会長にならせてもらう少し前から、
まずは
「やりたい人が参加して、できる人がそれぞれできることをする。
 強制はしない。そして、なんか楽しいねという雰囲気にする」
これを目標に活動してきました。

会長になった年に、
グッとそこの部分に踏み込めた気がして、
返還祭もクリスマス大会も大いに盛り上がり、
古いメンバーから「なんだか青年会、昔の楽しそうな雰囲気になってきたね」と言われて、
とても嬉しかったのを覚えています♪

そんな中、僕が会長になって2年目の春にコロナ禍に突入し、一気に宴会やイベントが出来なくなり、
人の交流が一気に希薄になってしまいました。

オンラインのZOOMを使ったり、色々模索しましたが、やはり難しい課題が出てきました。
そんな中、今年の春の総会は歓迎会こそオンラインにしましたが、総会は実際にリアルで集まって、
お互いの顔を確認し、道端で会った時に誰か分かるような場面を意識的に作ったりしました。

それからもイベントはできないながらも、
少しずつ色んな場面で人と人のご縁を繋ぐことを意識してやって来ました。
そんな中でのこのイベント、さっきの感想だったので、とても嬉しかったのです(#^.^#)


■青年会の活動もこれまでの活性化も
僕一人の力ではなく、みんなの協力なしでは到底無理な事です。
青年会の役員のみんなも幾度となく集まって話をしてきたし、
活動に参加してくれた会員もそれぞれ、楽しんで参加してくれました♪
本当にありがとうございます(#^.^#)

スタンプラリーのジェスチャーゲームでは、
隊長を任せたSさん、なんと100個以上のネタを用意してくれて、
それにハマって、リピートする子供も発生(笑)。←特にうちの次女w

チンパンジーの真似に対して「ドラミング?」という専門用語が発生したり、
ニワトリのジェスチャーに「烏骨鶏?」なんて母島らしいワードが出てきたり、
終始、笑いの連続でした。

子供の反応も楽しいし、
大人もそれで楽しむ。
もうお互いに十分すぎるほどのギフトです☆

それぞれが言われてやる、ではなく、
主体的に自分に何ができるか?と考え、楽しんで関わることができたからこその達成感。
それが青年会などの地域活動の醍醐味な気がするのです☆

その中で、子供たちがワッと走り集まる様の躍動感は、
なんだか本当にウキウキさせられました(#^.^#)


子供たちは役場の婦人会ブースから、
ステキなカップケーキを持って来ていました。

大人からのギフト。
それを作る側へのギフト。


クイズコーナーでは、
幼児向けな優しい質問から、
非常に凝った質問まで、数多く夢と希望と絶望の交じった素敵なクイズが用意されていました☆

この答え分かりますか(笑)?

当日はサンタの恰好をして、子供たちにいじられまくっていたD先生が監修したクイズです。


島の大人たちが、子供たちの為にこうして汗をかいて、楽しむ。
それが島のクリスマスなんだと思うのです♪
愛が詰まっていて、最高です(#^.^#)


■クリスマスって、
プレゼントをもらうのももちろん嬉しいのですが、
相手の事を想ってプレゼントを用意する時間、プロセスが実は一番のギフトな気がするのです♡

それで相手が喜んでくれる。
なんてピースフルな世界なのでしょう(#^.^#)

僕がバイブルにしている本の一つにリトル・トリー(フォレスト・カーター著)という物語があります。

その中で大好きな場面があります。
それはインディアンの少年であるリトル・トリーがある虫に素敵な匂いがあることに気付きます。
それを祖母に伝えると、長年生きてきた祖母にとってもその匂いの事は知らなくて、ビックリしたのです。
その後の祖母の一言が凄いのです。

「おまえはとっても正しいことをしたんだよ。
 何かいいものを見つけたとき、まずしなくちゃいけないのはね、
 それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、
 いっしょに喜ぶことなの。

 そうすれば、どこまでも広がっていく。
 それが正しい行いってものなんだ」


僕はこのエピソードが大好きで、
嬉しい事や感動したことがあったら、その時伝えたい人に伝えるようにしています。
きっとそれが世界を少しでも平和に近づけると信じているからです(#^.^#)

そんなストーリーがあるからこそ、
今回の母島前浜にあるガジュマルのイリュミネーションの輝きは、
深く温かいものになっているのです♡

ほんと、島のみんなに感謝です(#^.^#)

ザ・ギフト②に続く


七五三と厄除け、お宮参りの母島秋の神事

2021年12月02日 | 母島 日常 日記
■11月23日は月ヶ岡神社例大祭の日。
戦前は島民に大神宮と呼ばれ、相撲なども盛んだった母島の暮らしに大切な秋の風物詩。

例年であれば午前に七五三などの神事を行い、
その傍らで子供会がチンドン屋で集落を回り、
昼からは神輿、夜は芸能大会とにぎやかな1日になる日です。

今年もコロナ禍で通常のお祭りは中止となり、
七五三や厄除け、お宮参りの神事のみ執り行われました。

この状況下で神事だけでも行ってもらえる事に感謝です☆

いつも天気が不安定なこの時期ですが、今年は見事土砂降りに遭う巡りあわせでした。

運営の方々が用意してくれたテントの下で神事が進みます。


南の島の母島ですが、こういった部分はやはり日本なのです。
僕は仏教やキリスト教を進行しているわけではないですが、
アニミズムのような八百万の神様をいつも感じています。

こうした行事の度に、ハッとその存在を感じさせられます。



■みんなの様を見ていると、自分の娘たちの七五三の頃を思い出します。
今でこそ次女は小学6年生、長女は海外で高校3年生を迎えて、健やかに暮らしていますが、
それがとても有難いことだと再認識させられました。

栄養状態の悪い昔は、7歳まで無事に育ってようやくホッとする、そんな節目の行事といいます。

晴れ着姿の子供たちを眺めていては、
ふとそんな気持ちを思い出していました。

親も子も普段なかなか着ることのない着物や袴に身を包み、
この晴れ舞台を楽しみます♪

子供にとっては窮屈な時間ですが、
女の子はこんな特別なお洒落は嬉しいようで色んなポーズを撮ってくれました♡

長女も中学生の時に巫女さんをやらせてもらい、
非常に喜んでいました。

島にいることで、いろんな経験をさせれもらえて、ほんと感謝です♪

■この季節ならではの奉納の品々。

2年前の台風被害で、この月ヶ岡神社もダメージを受けましたが、
こうして神事を続けてもらえていることが有難いです。


立派なオナガダイやでっかい分担も!!


母島のコンパクトな除夜の鐘の傍らで神事は進んでいきます。


■僕は今年40歳で来春に41歳を迎えます。
男性の42歳は本厄とも呼ばれ、色んな事が起こるタイミングの様です。

今回は前厄というわけで厄除けをお願いすることにしました。

厄年は、特にさまざまな禍、災厄が降りかかりやすい年齢とされています。
起源は古代中国の陰陽五行説とされ、
日本ではなんと平安時代にはすでに貴族の間で厄落としの行事が行われていたそうです。

男性にとっての40代は身体を壊してしまったり、
仕事の軌道が乗りに乗っている時期の注意する時期だったり、
色んな節目になるようです。

僕にとっても今年は大きな転職のタイミングで、便利屋を起業しましたし、
来年も色々と新しい事に挑戦するつもりです。

しかし、実際に40代で命を落としている友人も数人おり、
僕自身も思いっきりオッチョコチョイであることは間違いないので、
気を付けなければいけないと思っています。




■今年の秋も去年同様、雨模様が非常の多いので、こうした束の間の晴れはとても嬉しくなります♪

水不足や、超台風の被害を考えると、
水が多くて困るくらいがどんなに有難いことなのかと思います。

当たり前の日常の有難み。
日常でつい忘れがちですが、
こうして普通の日常を送れていることが奇跡だと思います。

感謝の気持ちを忘れずにいたいです(#^.^#)

今回は雨の七五三だったけど、色んなことを考えさせられる1日でした♪
七五三、おめでとうございます(#^.^#)


■去年9月に念願の購入を果たしたSUP。
なんと1年を過ぎましたが、まだまだハマっていますし、
新しい発見が続いています♪

これは先日の東港方面の遊歩道整備の仕事の時の事。

刈払い機やチェインソーと共に休憩時間用のSUPももちろん準備(笑)。
庚申塚にある探照灯基地や砲台跡の遊歩道の台風倒木などを片付けました。
 
一応、遊ぶばかりぢゃなくて、ちゃんと仕事もしてるんです(#^.^#)

もちろんその仕事を終えたら、ご褒美に久々の東港SUPを楽しみました♪

今回行ったコースは約6kmの東港大回りコース。
約90分の旅☆
臥牛角など、なかなか普段見ない景色なので、圧巻でした(#^.^#)

湾の外は海が悪かったのですが、
戻りの時はいい感じの追いのうねりで、
何回か波乗りも少しだけできて、
とても楽しかったです♪


2016年に縄に絡まったザトウクジラをレスキューした場所も通り、色々考えさせられました。

母島ではまだ陸からのクジラ確認上はありません。
(20日の入港はは丸で北港の沖で見たという観光客情報はあり)
去年の母島ざとやん初確認は11/24。
今年はそろそろかな~と楽しみに待ってます(#^.^#)

毎度毎度思うことですが、この雄大な景色を味わっていると、
世界はなんて素晴らしいのだろう、
自分はなんてちっぽけなのだろうと思い知らされます。

そんな師走直前の母島でした(#^.^#)

厳かな命を偲ぶ日に。

2021年11月14日 | 母島 日常 日記
■昨日、大好きな島のレジェンドが旅立ちました。
今日は朝から家族や島の仲間に囲まれ、火葬を行い、
95年間という激動の時代に魂をのせて過ごした身体も天にあがっていきました。

12年前、僕が母島に来た時からもずっとよくしてくれた、
沢山の話をしてくれた素敵な、大好きな方でした。

多感な十代まで母島で過ごし、
太平洋戦争での強制疎開を経験し、
本当に辛い時代を百姓として生き抜いてきたのです。

それなのに
とても繊細で優しくて、
いつも真剣で真面目で、寡黙な方でした。

でも、その中にとびっきりのユーモアが詰まっていて、
いつも最高の笑顔を垣間見ることができました。

「一、富士
 二、鷹
 三、なすび
 ちょ~どいいのが、あんぽんたん♡」
と、とびっきりの笑顔で話してくれた大好きな人です。

母島の南部、中ノ平に住んで沖村に歩いて通って、
海が穏やかな日は南京浜からカノーで沖港に農作物を運んでいたそうですが、
学校の行き帰りにそのカノーに便乗することも多かったと聞きました。

雨の日はマニラ坂を裸足で滑るように降りたり、
マニラ麻(サイザルアサ)の葉っぱに傷を付けて文字を描き、
後から通る友達に伝言をしたり、
山道を通うあまりに足腰が強くて「ヤマネコ」と言われるほど、
足が速かったと言います。

本当に色んな大事な話を聞かせてくれていました。

天に昇った日も、
大事な家族に囲まれて、
静かに眠るように旅立って、
またスッと起きて笑わせてくれるような、
そんな安らかな寝顔でした。

ご本人も、
ご家族も、
関わった皆さんも、
本当にお疲れ様でした。
心よりご冥福を祈ります。


■母島にはデイサービスや訪問介護を行う施設はあるものの、
老人ホームはありません。
50km隣の父島には老人ホームがあります。

“自分が過ごした母島で最期を迎えたい”
そんな願いがなかなか叶えにくい現在です。

こうして家族に見守られて、
穏やかに最期を迎えることができたことが、
言葉にならないほど心に響きました。

家族の皆さんの日々の関りには、本当に頭が下がります。

今はただ、寂しい気持ちもこみ上げてきて、
複雑な心境ですが、
数年前に先だったパートナーと天国で再開を果たして、
また笑顔で過ごしているんだなと思うと、
ほっこりする気持ちも溢れています。


■この秋は畑の烏骨鶏が4匹のヒヨコを孵し、
日々成長しています。
新しい命が巡るその様を見ていると、
なんだか、生命の儚さと力強さを垣間見させられます。

誰もが平等に訪れる「死」というもの。

僕も今年40歳となり、
少し死生観というものが変化してきた気がします。

前は漠然と畏れ(おそれ)みたいなものがあり、
人が亡くなったり、ご遺体に触れるときに、とても深い心の動きがありました。
でも、最近は死というものが何も特別なものではなく、
誰にも共通する出来事なんだというのが肌で感じることが出来るようになってきました。

そして自分がどのような最期を迎えたいかを考えるようになってきました。

今回のような、景色が色褪せてしまうほどの
厳かな気持ちにさせられる最後にはならないかも知れませんが、
最期を迎える時には
感謝の気持ちでいっぱいになるような、笑顔で迎えることを願っています。

その為には日々を大事に、
どんな出来事にも意味と役割を感じて接して、
できる限り出来事を受け入れて健やかにいれることを大事にしたいと今は思っています。



■1年前の4月。
新型コロナが世界を覆い、
医療崩壊しているイタリアのある病棟の屋上で、
一人のバイオリニストが病院の上でエールの旋律を奏でる場面。
ふと思い出して、また見たらやっぱり感動してしまいました。

当時の自分のコメントです。
「鳥肌が立ちました。
涙が溢れました。

新型コロナウイルスにより、
深刻な医療崩壊を起こしている
イタリアの病院の屋上で演奏する 横山令奈さん。

日々の疲弊する新コロナの医療関係者の皆さん。
来る日も来る日も、自分自身の感染におびえながらも、
患者さんを救おうと必死に働いていると思います。

ふと、外に出たとき、
ベランダに出たとき、
こんな美しい音色が聴こえたら、
アーティストの心意気に触れることができたなら、
またもう1日頑張れる力が沸く。
そんな気にさせられました。
ありがとうございます。

アーティストって、こんなにも凄いんだ。
こういう形で人が人を支える。
だから世界は美しい。
そう思えました。」

日々、色んな想いが交錯する島の暮らし。
人口450人の僻地な田舎の島です。
僕ができることは何でもやっていきたい、そう思っています。

理解できない理不尽な行動に首をかしげることもあります。
狭い社会ならではの課題にぶつかることもあります。
だけど、同時にそのすべてが愛おしくなる瞬間があります。

でも、僕はそんな泥臭い、人間臭い、
母島の暮らしが大好きです。

そんな母島を築いてきたレジェンドに関わることが出来て、
そしてそれを見送ることが出来て、
本当に有難い1日でした。

どうも有難うございました!


魔女の一撃 ~人生3度目のぎっくり腰と村長選挙

2021年09月03日 | 母島 日常 日記
■皆さんは「魔女の一撃」という言葉はご存じですか?
それはヨーロッパ流にぎっくり腰を表現した言葉なのだそうです。

僕はこの度、3日前に人生3度目のぎっくり腰になりました(#^.^#)
きっかけはほんの些細な作業中でした。

便利屋さん仕事で伐採中に、
ノコギリで細い枝を切り終わった瞬間に僕の腰も「ポキっ!」となりました(笑)。
1週間前くらいから腰に違和感はあったのですが、
SUPや野良作業をすると気にならなくなったので、
今回も同様だろうとタカをくくっていました。

自分のブログを検索してみると、
1回目は2018年5月、風呂上り
2回目は2019年7月、カヌーを持ち上げて
3回目は今回、枝を切っていて、です!
実に2年ぶり(笑)!
ブログもいい記録になってます(#^.^#)

これは動けるようになった3日目に家族で見に行った新夕日ヶ丘の美しい夕焼けです。
コロナ一掃期間中はず~っとべた凪です♪
海面に空の景色が映っていて、うっとり♡


今回も発症2日目が一番辛く、
トイレに行くのも数十分要する状態。
どんな姿勢でも痛く、夜もあまり寝れませんでした。
※おかげで沢山の映画や本を楽しめました♡

ただ動けることがこんなに有難いことなんて!!
感謝感謝です

■さてさて、海外でも「ぎっくり腰」はポピュラーな症状みたいです。
ぎっくり腰を英語にすると、
医療的には「Slipped disc(椎間板ヘルニア)」「Lumbar sprain(腰の捻挫)」「lumbosacral strain(腰仙部挫傷)」
と呼ばれているそうです。

しかし、日本の語源同様、いきなり腰に激痛がはしり動けなくなることから、海外でも別の呼称が定着しているようです。
ドイツやイタリアではぎっくり腰が魔女の仕業と信じられており、「魔女の一撃」と呼ばれるそうです。

ドイツ語では「Hexenschuss」、イタリア語では「Colpo della strega」。
そこから転じて、英語圏でもぎっくり腰を「witch’s shot」と呼ぶようになったそうです。

僕は結構この「魔女の一撃」という表現が気に入っています♪
「ぎっくり腰」という言葉だけでニュアンスを表現している部分もなんか素敵です☆

これはぎっくり4日目にだいぶ動けるようになったので、家族で北港リハビリスイムにいった時の写真です。

■そんなわけで今回は
1日目は午前に発症して、午後は横になりましたが割と軽症
2日目は痛くて全く動けず、トイレに行くにも数十分を要するほど
3日目は色々そこそこは動けて、できる範囲で仕事再開
4日目は今日!かなり動けて、入港日の配達仕事も周りにフォローされながらも最後まで遂行。

みんなが気を遣ってくれて、優しさが身に沁みました
本当に有難うございます!!

でも、意外とぎっくり腰は動けるときは
動ける範囲で動いた方が意外と良くなるもののようです(^_-)-☆
明日以降は早朝のSUPも再開できるのではと意気込んでおります(#^.^#)

島のぎっくり先輩の方々からは
「直りかけに無理して再発するともっと地獄だから、無理しないようにね!」
とアドバイスを頂いたおかげで超慎重です♪


北港の海中風景です。

■そんな最中、実は重大な出来事が島を駆け巡っていました。
そう、小笠原村長選挙です。

森下一男村長は平成15年7月から5期、18年を村長として勤めあげました。
近年は体調不良となり、村長業務に従事できない事態になってきて、
体調不良による辞任宣言をしていたのですが、なんと期日前に急逝してしまいました。
非常によく頑張っていた村長さんなだけに、みんな悲しんでいました。

そんな状況の中、
しかも小笠原村はコロナ禍、コロナ一掃期間の最中、
小笠原村長選挙の実施になったわけです。

今回の村長選挙の立候補者は2名。
前回(2019年)の時に立候補し、落選した元村議会議員の一木重夫候補。
今回初出馬で39年間小笠原村役場に勤め、近年は副村長として活躍している渋谷正昭候補。
この2名の一騎打ちとなりました。

母島の投票日は9/4(土)
父島の投票日は9/5(日)
どちらも役場で期日前投票もできます。

村の条例のせいらしいのですが、
島民には葉書一枚が来る程度の広報で、
告示8/31から投票9/4までにあまりに短い選挙期間と稚拙な手段の制限。

これには大いに僕も憤慨し、
両広報車の演説を録画、配信するつもりで臨みました。
※両陣営には確認済みです。

僕は今回、一木さんを支持する立場ですが、
渋谷さんも応援しています。

それは二人とも村を良くしようと思っての立候補だからです。
二人の候補のマニフェストを伝えるのも、
演説やインタビューを両方とも配信するのも、
村の広報が全然機能していないからです。
(これは村の条例のせいだそうなので、今後要改定!!)



■まずは一木重夫候補。
今回はコロナ禍で小笠原村のコロナ一掃期間ということで、
街頭演説は行わず、個別に声をかけてチラシを渡し、挨拶する方針だそうなので、
突撃インタビューを敢行しました。

集落では車や歩きで挨拶をしていました。

コロナ禍での選挙は難しいですね。

内容に関しては上の動画とチラシを参考にしてください。




一木さんは村議会議員を3期(12年間)勤め上げ、
2019年の村長選挙に出馬し、落選しています。

話をしてみると、とても具体的で熱意があります。
この20年間ずっと接してきた中で、
相談するとすぐに調べて動いてきてくれた実績と信頼があります。
消防団など共に活動する機会も多かったです。

僕は彼の行動力と人脈、住民目線での姿勢が薦める理由です。

一木重夫候補のHP


■こちらがもう一人の候補者、しぶや正昭候補です。
渋谷さんはなんと39年間、村役場に勤めていて、近年では副村長として活躍していました。
森下一男村長をずっと支えてきていて、とても信頼が厚いという印象があります。

僕が生まれたころから役場に勤めていたなんて、
今回初めて知りました(#^.^#)

渋谷さんは街頭演説をしていたので、撮影させてもらいました。

渋谷さんとも長い付き合いで、
一緒に南洋踊りをしたり、
色んな相談をしてきました。

非常に優秀な方だと思います。
ぜひこちらも政策チラシをご覧になってほしいと思います。



■小笠原村の人口2589人。
父島が2130人、
母島が459人。

住民の割合でいえば非常に低い母島ですが、
両候補者とも9/2の母島丸で来島し、9/3にそれぞれ漁船で父島に戻りました。

ははじま丸のスケジュールと短い選挙期間がかみ合わない中、
母島で1泊してまで活動してくれた両候補者に感謝です!

母島は9/4(土)が投票日です。
小笠原村である南鳥島(マーカス)、硫黄島にも気象庁や自衛隊の方が住んでいますので、
ヘリで父島に投票箱が届く流れのはずです。

僕が父島にいたときは、
夜になって、投票時間が終わったら地域福祉センターで開票していました。

何よりも一番気になっているのは、
年々下がる投票率。

小笠原の選挙の中でトップの投票率を誇る村長選挙。
それですら、回を重ねるごとに投票率が下がっています。

これは住民の政治に関する関心の低下だと思います。
2019年の村議会議員選挙が無投票選挙で終わってしまった現実があります。

こうして選挙になっただけでも素晴らしいと思うのです。

内地にいたころは僕も選挙に無関心でした。
選挙の時期は単純にうるさいなぁとしか思っていませんでした。

島で暮らしてみると、
議員も村長も暮らしが、家族が見えて、
自分の1票がとても重要なことが分かり、
選挙がとても面白くて大切になりました(#^.^#)

小笠原の住民の皆さん、ぜひ投票に行きましょう!!

ついに母島に夏が来た!!夏と一緒にトランジションがやってきた☆

2021年07月02日 | 母島 日常 日記
■今年は時化や台風のお蔭か、
例年より梅雨明けの雰囲気が遅れましたが、
6/29は完全に海の色と空の色が違いました!!

来た来た来た!!!!夏が来た!!!!
この日を待っていましたっ(*^_^*)

湿気が高く、
曇りや雨の時期が過ぎて、
雷の気配と共に、
ある日突然やってくる、
海と空の色が一気に青くなる日。

この明確に梅雨明けした!っていう日があるのです。
僕はその瞬間がいつも大好きです♪

小笠原は梅雨ではなく、雨季とかなんとかはどうでもよくて、
とにかく大好きな夏の到来!!

最近は便利屋さんの外仕事が続いてヘトヘトですが、
もちろん可能な限り、昼も夕方も海で泳いでます(*^_^*)


■昨晩は「トランジション・タウン講演会」というとても興味深い事を学ぶ機会がありました。
近年、色々と地域の課題を考え、母島部活堂などで活動していた所ですが、
まさにこのトランジションタウンというのが実践していて、
さまざまな参考になるものでした。

トランジションタウンは2007年イギリスの南部、トットネスという地域で産声を上げたそうです。
現在、神奈川県の藤野で活動している、今回講演をして下さった榎本英剛さんが
当時イギリスの有名なエコビレッジ、フィンドホーンに家族で生活していた時に学ぶ機会があり、
鳥肌が立つほど「これだ!!」と思ったそうです。

今回、
「僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる
 トランジションタウンという試み/ 著・榎本英剛(地湧の社)」

という本を出版して全国を回って活動しているそうですが、
この本がまた興味深いのです(*^_^*)

詳しくはHPや本を参考にしてほしいのですが、
【持続可能なコミュニティ(外部にしかない資源に過度に依存した状態)】

【持続可能なコミュニティ(市域に元々ある資源を活用している状態】
にシフトする活動がトランジション・タウンなのだそうです。

本来、トランジション(transition)という言葉は「移行」「変わり目」「過渡期」の様な意味があるそうです。

そしてキーワードとして「脱依存」「レジデンス」「創造(想像)力」があるそうです。

■小笠原は過度に外部資源に依存して暮らしています。
食料は95%は内地や外国に依存していると言われています。
そして、近年は世界遺産になり、生態系保全の予算や活動は活発になってきていますが、
人間の生活、地域力などは年々低下している状態だと感じています。

母島では人口の4分の1が65歳以上となり、
少子高齢化が進んで来ています。
次世代不足も各分野で顕著になってきており、
都住の新規募集が実質約10年間停止という衝撃の方針が合って、
若者の定着が難しい現実に直面しています。

今まさに過渡期なのです。
そんなタイミングでトランジションタウンと出逢えたことはとても画期的でした(*^_^*)
※実は10年前くらいにも聞いてはいたのですが、ピンと来ていませんでした☆

■そんな榎本ひでさんが話す講演の中で、
とても興味深かったのが[大事にしてきたこと]でした。

それは
・やりたい人が、やりたい事を、やりたい時に、やりたいだけやる
 (自分たちが楽しんでやる、自発的にアイディアがでてきている)
・そこに熱意があるのか?

・[自分たちにできないかも]を[自分たちにはどうにかできる]に発想を変える

・3人以上、同じおもいの仲間を見つける
でした。

ふ~む、興味深いですね。

父島のメンバーからは、
「過去に色々実施しても、なかなか継続できなかったが、最近は自然と流れが出来て、
こうして多様な人がこの話を聞きに集まって来ていて、機が熟して来ていると感じた」
「実際にミニソーラーシステムを実践しているので、興味のある人は声かけて」
「経済が大事と思っているので、この活動をはじめて振り回されて終わりでなく、
 いかにしっかりと定着して、丁寧に地域の身になる活動にしていくかが大事だと思う」
などの声があがりました。

僕は最近、
入港の宅急便の配達、共勝丸の物資のINとOUT、ゴミ回収の仕事を通じて、
島のものの出入りに関わる機会が多くなり、
実際に母島で毎週捨てられるゴミの量や、大量のペットボトルのことをもっと島の人に知ってもらう機会を作りたい」
と話しました。

まずは気付き、知る事から始めて、
地域の持続可能に繋げて行ければと思うのです。

NPO法人のONE LIFEが創立当初から言っている言葉、
Tink groval.Act Local(考えは世界的に、地域活動はコンパクトに)
がすごく身に染みて大事と感じる事が出来ています。

今後も小笠原で様々な学ぶ機会、活動が増えていくと思います。
僕も積極的に関わって行こうと思います。


僕のブログをみて、今回の講演に誘ってくれた横山さん、
素敵で分かりやすい本を出版し、講演してくれたひでさん、
トランジションジャパンの小山さん、
講演に参加、企画した父島の皆さん、
素晴らしい機会をありがとうございました!!


■さて、6月下旬にやってきた台風5号。
畑、集落、港、家の周りと見回ってきましたが、
今回の台風は、目立った倒木もなく、
雨も全然降らずm
ほとんど無被害での通過となりました。

先週から時化で、水温が急激に下がり、
台風の勢力が弱くなり、
コースが少し西にそれたのが幸いでした。

結果、いわゆる
「そよ風台風」ってやつでした。

せっかくやった養生が台無しじゃん!と思いがちですが、
そんな養生して損したが一番いいのです。

2年前の台風21号の被害が忘れられません。
今年はこれで2つ目の台風でした。

島民は漁協の養生具合で、
台風養生の段階の目安にしています。

今回は船は陸揚げしたけども、
厳重にロープで縛っていたわけでもないので、
さほどでもないんだなということになります(*^_^*)

いずれにせよ、無事の通過で良かった~!


■そしてそんな台風通過後の6/27。
前日は小笠原返還記念日でした。

コロナ禍ですが、唯一実施できた花火大会。
台風5号の影響で1日延期しましたが、
久々のエンターテイメントにみんな感動していました。

港では小笠原太鼓を叩いていて、
まるでいつもの返還祭の様でした。

花火のクライマックスでは佐々木政治師匠も叩いたそうで、
関係者一同、感動の瞬間でした♪

今年は正月から島の花火師達が頑張ってコロナ禍に実施してくれ、
今回の返還祭の花火実施に繋がったと思います。

ほとんどのイベントがない中、こうしてできることを模索する姿勢は素晴らしいと思います(*^_^*)
本当にありがとうございました!

母島のナンバーワンYoutuberのミッチーが素敵な動画にまとめてくれています♪
ぜひどうぞ~



■台風通過後の先日は次女と二人で北港タイム♡
やっぱ北港は楽しいですね(*^_^*)

珊瑚も生き物の種類もとても豊富です。
個人的には身が引き締まる水温の場合が多いのが北港なので、
暑い日ほどいい感じにクールダウン&リフレッシュできます(*^_^*)

次女のバブルリングはまだ納得いく出来ではないらしいです。
親父にはこれですらできないので、尊敬の対象ざんす。

6月は過去に記憶がないほど海が悪い春でしたが、
できる限り毎日SUPしたいので、
行ける日は多少悪くても沖に出ています。

少し波乗りのコツを感じ始めているので、
少し大きなうねりがあるのはむしろ好都合(*^_^*)

どんどん楽しくなって来ています♪

最後に7月5日は東京都議会選挙です。

母島にも都議会選挙の掲示板が設置されました。
僕はどの政党でもポスターを貼るお手伝いが出来ます。

みんなに選挙に関心を持って欲しいからです☆
(世の中の現状をボヤくなら、きちんと考えて投票しよう!)
毎回、1~2枚は依頼が来ています。

ご希望の立候補者事務所の方、連絡お待ちしております(#^.^#)

トランジションタウンもそうですが、
色んな事を他人事ではなく、自分事にして、
楽しんでいく他ないと思います。

4月にターニングポイントを迎えてから、
どんどん自分の周りの動きが変わって来ました♪

僕が好きなhideちゃんの言葉、
「何にもないってことは、何でもありってこと」
ピンチを逆にチャンスに変えて、楽しく進んでいければと思います。

今日も楽しんじゃおう♡

問題提議!!~初めての5月おが丸ドック期間を経て

2021年05月31日 | 母島 日常 日記
■怒涛の様な物量の宅急便&郵便の配達を終えて、
ようやく初めてのおが丸5月ドック期間を終える事が出来ました♪

この「おが丸ドック期間」というのは、東京と父島を結ぶ定期船、
おがさわら丸が船舶定期検査&整備のために約3週間程度のお休みを取る期間の事を指します。

例年だといつも1月の時期におが丸ドックを行い、
3週間ほどの間、内地とのアクセスが途絶える状況になっていました。

その間は貨物船・共勝丸が郵便物と生鮮食品や宅急便を運搬してくれていました。

今回は初めて、伊豆諸島の東京~大島〜利島〜新島〜式根島〜神津島航路を結ぶ定期船、
新・さるびあ丸が代船として活躍してくれたのです♪

※父島のOさんに写真提供いただきました!ありがとうございます☆

自分たちの定期航路を空けてでも、
おが丸のドック期間中の穴埋めのために、さるびあ丸を代船として貸して頂き、本当にありがとうございます!

大島、利島、新島、式根島、神津島の皆さん、
ジェット船などはあるとはいえ、
貴重な貨物のアクセスが止まってしまいます。
小笠原の暮らしの為に本当に有難うございます!!

いずれ、お世話になっている島の所にも伺いに行こうと思っていますし、
もっともっと島同士交流できたらいいのになと思っています(*^_^*)


■20年前、僕が小笠原に移住した頃はさるびあ丸と同様に
「かめりあ丸」「すとれちあ丸」がドック中の代船として小笠原航路を航海していました。

すとれちあ丸は2002年、
かめりあ丸は2014年にこの伊豆諸島の航路からは引退しています。

どちらも初代おがさわら丸と同じ時期に建造された、よく似た姉妹船でした。

しかし、2004年頃(定かではないです)を最後に代船対応が出来なくなり、
小笠原は毎年1月頃に約1ヶ月、内地とアクセスが途絶えてしまいます。

これまで、伊豆諸島を繋いでいる橘丸や旧さるびあ丸は
小笠原までの外洋を航海するライセンスを持っていないらしく、
ドック期間中の代船は不可能だった背景があったと聞きます。

個人的には静かで島野菜に溢れるドック期間は大好きですし(笑)、
これを機会に観光業や漁師も長期休暇を取って、
内地に旅行をしたり、市場の挨拶回りなどをこなす機会にもなっていたみたいです。

しかし、もちろん困ってしまう場面も多々ありました。

11月の住民健診(人間ドック)で検査結果に引っかかり、内地に再検査などに行かなければいけない時に、
ものすごく長い旅程になってしまうこと、
受験生などにとっては1月のセンター試験や受験を内地に受けに行く場合、
とても不利な状況などでした。

しかし、2020年に新「さるびあ丸」が就航し、
小笠原航路のドック期間代船を想定して、
小笠原までの外洋を航海するライセンスを取得してくれたそうで、
去年から「2021年は新さるびあ丸が代船をしてくれるので、実質ドック期間は無くなる!」と話題になりました。

小笠原航路で普段は乗れない船に乗れるのも、
大きな楽しみのひとつです♪
(コロナ騒ぎになってから一切島を出ていないので、新さるびあ丸は見た事もないですw)

そしておが丸のドック時期も1月から5月に変更となりました。
今回、それを経ての感想です。


■まずはさるびあ丸を代船として運行してもらい、
本当に助かった部分は多くあったと思います♪
本当にありがとうございました!!

いつもの3週間内地とのアクセスが途絶えてしまうわけでもなく、
実質2週間だけとなりました。

5/8父島出港がラストでおが丸ドック入り、
5/19入港、5/20出港がさるびあ丸、
5/29入港、5/30出港からおが丸ドック明け、

2020年に話題になった時はさるびあ丸がドック期間中の3週間に毎週運航(2~3回程度)してくれると思っていましたが、
実際は1回のみとなったのは少し想定外でした。(多くの島民がそう思っていました)

そして、さるびあ丸がおがさわら丸と速度も積載量も違うのも誤算だったと思います。
今回は貨物船・共勝丸での郵便や宅急便の運搬はさるびあ丸頼みで、
内地→小笠原間はなしになり、
小笠原→内地間の上り2便のみ受け付けるという体制でした。

しかし、ここに色んな問題が生まれました。
4月末に注文した物品が5月末まで届かないという事態が沢山発生しました。

さるびあ丸はおがさわら丸に比べて小さいので、
積載コンテナの数が少なく、大量の宅急便などの荷物が内地に残る事態になってしまったのです。

これは遊びの道具や趣味の物品などは待てばいいだけであまり問題はないのですが、
薬などが届かないというのはかなりシビアな問題となりました。

今回実施してみての反省を生かし、
次回は改善していかなければと思います。


■まず現行の3代目おがさわら丸と新さるびあ丸の比較をしてみましょう。

【3代目おがさわら丸】2016年就航
総トン数:11,000 トン
全長 :150 m
全幅 :20.4 m
旅客定員:892名
航海速力:23.8ノット(小笠原~東京を24時間で結ぶ)

【新さるびあ丸】2020年就航
総トン数:6,099 トン
全長 :118m
全幅 :17m
旅客定員:近海区域 639人
     沿海区域(御蔵島まで)1,343人
航海速力:20ノット(小笠原~東京を29時間で結ぶ)

比較してみると、やはりおがさわら丸の大きさと速さが分かります。
コンテナの積載量もかなり違いがあると思います。

代船を務めてもらうのは本当に有難いことです。
しかし、おが丸まったく同じものを求めるのはお門違いだと思います。

まずは代船が動いてくれるだけで超感謝です♪

しかし、今回困ってしまった問題をしっかりと検証し、
改善できる点は改善していかなければと思います。

失敗は成功の母と言います。
進化していきましょうよ☆

次は今回の5月ドックであくまで個人的に見えてきた、
困った点と良かったを挙げてみたいと思います。


■今回の新5月ドックで見えてきたこと(あくまで超個人的主観)
【困った点】
・母島の主要な農作物パッションフルーツの最盛期なのに長期間内地に出荷できない
・同様にトマトの収穫最後のシーズンだが長期間内地に発送できない
・時化る冬の1月と違い、海が穏やかで漁師が漁に行けるのに、魚を内地の市場などに長期間送れない
・貨物積載量が少ないので1回だけの運行だと荷物が乗りきらず、生活必需品(薬など)が届かない事態が発生
・母島は内地送りの準備を出港前日に行うが、1泊便だと入港作業と内地出荷作業が同じ日になり、労働作業が深夜に及ぶほど長時間になってしまう
・GW最後の運行予定にすると問屋が発送日に休業となり、ドックに向けて島に送る精製食品がドック入りの便ですら難しい場合がある
・共勝丸での下り便での精製食品や荷物をなしにしたので、乗り切らなかった荷物がドック明け後に集中してしまう
・さるびあ丸の入港時間が遅く、出港時間がはやい(母島の場合は19時入港、内地行きは朝7:30出港)

【助かった点】
・1月の様に海が悪くないので、共勝丸の運行予定がほぼずれない
・3週間アクセスがないのではなく、2週間で済んだので危機感が半減
・観光の人も以前よりは来島しやすい期間ができた
・受験生にとってシビアな時期に内地に長期滞在しないで済んだ
・住民健診後の検査や入院が長期化しない

こんな所でしょうか?
分野によってはまだまだあるでしょうが、僕個人で考えれた部分です。

5月ドックという時期的な問題は、
第1次産業が主要産業の母島にとっては沢山の課題があったと思います。
父島的にはどうだったのでしょうか?

あとは積載量の問題もあり、
届くと思って早め(4月末)に注文したものですら届かなかったのはシビアな問題だったと思います。
特に日常的に必要な薬などが届かない、
商店からトイレットペーパーがなくなるなどの事態が発生していました。

個人的にはドック明けの入港作業がべらぼうに荷物が多くなり(普段の3倍でしたw)、
そこが現場として超大変でしたが、
アクセスがないドック期間自体は日常が穏やかで元々好きなので問題ありませんでした♪



■さて、今回の経験を経て僕個人的に改善できる部分を提案してみたいと思います。

本土から1000㎞離れた超遠隔離島に好き好んで住んでいるので、
贅沢を言うな!という意見もあるとは思いますが、
できる限り現行の状態を工夫することで改善できる事を模索するのが、現実的と思っています♪

来年もなんと今年同様の運航スケジュールで検討していると耳にしますが、
今年と全く同じでは、改善できる余地があるのにあまりに反省できてないので、
ぜひ小笠原と伊豆諸島の住民の皆さんなど、
漁協や農協も入っている航路検討委員の皆さんや
村、小笠原海運、東海汽船などで話し合ってもらえればと思います。

【改善案】
①今回と同じ5月ドックで さるびあ丸が1回の代船運航の場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
・共勝丸の運行予定を可能な限り、定期船の運航のない週の中間に設定する
・住民に荷物が届かない想定を伝え、4月上旬に注文するように呼びかける
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

②5月ドックで さるびあ丸が3回の代船運航の場合
・乗り切らなかった荷物運搬用に共勝丸はドック期間中はお願いする
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

③1月のドックに戻して さるびあ丸が代船運航の場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
(スケジュールに関しては海の悪い冬なので、あまりタイトには組めないと想定)
・小笠原1泊運航は母島側が入港作業と内地出荷作業が重なり大変なので2泊便か着発にする

④1月のドックに戻して さるびあ丸が代船運航をしない場合
・共勝丸に2回の内地からの荷物と郵便を運んでもらう
(スケジュールに関しては海の悪い冬なので、あまりタイトには組めないと想定)


こんな提案を考えてみました。
どうでしょうか?

個人的には、
1週に1度さるびあ丸が代船として運行できる(3回小笠原航海する)なら来年も5月。
それが厳しいのであれば、やはり1月のドックがいいと思うのです。

そして、さるびあが運航してくれる場合は内地出港を1時間位早めて欲しいと思います。(今回は11時竹芝出港でした)


またさるびあ丸を貸してもらっている恩もありますので、
島間の交流を密にして、色んな特産品の提供や、特別寄港便を盛んにして行ければと思います♪

これはあくまで母島住民の僕の個人的な独断と偏見に満ちた提案です。
さるびあ丸を貸してくれている伊豆諸島の皆さんや東海汽船、
父島の目線は大きくかけていると思うのでご了承ください☆

ぜひぜひ様々なご意見を教えてもらえればと思います♪


■最近、トレーニングとしてなるべく毎日SUPで沖に出ているのですが、
日中の昼休みすらほとんどない日は夕方に漕ぐようになりました♡

Sunset SUPの美しいこと(*^_^*)

日没後の夜の帳と
サメたちの食事の時間なので、
あまり長居はできませんが(汗っ)、
壮大な夕陽を海面で眺めていると、
自然の一日の感謝の気持ちが湧いてきます♡

ドック明けの入港日は母島の配達はとてもべらぼうでしたし、
農作物の内地出荷作業は深夜2時になったと聞いています。

入港日翌日の出港日には、
前日の入港接続でははじま丸に載せれなかったコンテナが沢山やってきました(#^.^#)
急遽土日返上で配達を頑張った次第です☆

毎日ではないとしても、
これが毎年続いてしまうのは、あんまりだと思ったので、
改善できるところは、どんどん改善していきましょう(*^_^*)

今回の深刻な配達状況を心配して、
沢山の方が応援や手伝い、ねぎらいの声をかけて頂きました。

実際、沢山の人に支えられ、無事に乗り切る事が出来ました♪
母島の温かさ、力強さを垣間見た気がします(*^_^*)

大変な物量の配達をしながらも、
母島の素晴らしさを実感したドック明けでした☆

本当にありがとうございました!!


■これは母島の88Cafe(ダブルエイト・カフェ 通称ははカフェ)の照り焼きバーガーです。
次女の運動会&新挑戦のお疲れ様ご褒美でした☆

今年は空梅雨ですし、
海水温はもう真夏のような26~27℃になっています。

これは台風の発達を促すので、ちょっと心配な事項です。

去年はなんと1つも台風が小笠原に来襲しませんでした☆
2年前は超被害がありました

今年は空梅雨でも冬によく降ったので、水不足の心配はない状況ですが、
無事の1年が過ごせることを祈るばかりです。

みなさんが健やかな夏である事を願っています(*^_^*)

皆既月蝕~2021全国のみんながお月様を眺めた日

2021年05月27日 | 母島 日常 日記
■5月26日は地球が1年で一番月に接近する為に大きく見える「スーパームーン」の日。
今年はなんとその日が「皆既月蝕」でした(*^_^*)

僕にとっては母島で初めて見た皆既月食です。
確か2007年くらいに当時住んでいた父島で見た様な記憶があります。

この壮大な太陽と地球の天体ショーを
同時刻に全国の人が大勢眺めていたというのが何だか嬉しいものです(*^_^*)
お月様も恥ずかしくてか、真っ赤になっていました(笑)♪

内地、特に関東圏内は曇りで見えなかったようですが、
福島や北海道、ハワイなどではそれぞれバッチリ見れたみたいですね♪
場所によって角度が違うのも、当たり前だけどなんだか不思議な部分です。

雲って見れなかった皆さんも、
写真でだけど、母島から見たお月様で楽しんでもらえればと思います。

とても美しく、壮大な宇宙を感じれる素晴らしい天体ショーでした(*^_^*)
皆既状態になると薄い紅い月のスーパームーン。

次にスーパームーンと皆既月蝕が重なるのは、
12年後の2033年10月8日になるそうです。
そう聞くと、
なんだかこの一瞬が大事に思えてきます。



■僕は人がいない母島北部のある山の中で、
オガサワラオオコウモリと鳥と虫の気配を感じながら、
贅沢な時間を過ごす事が出来ました♪

ちなみに次女は友人たちと新へリポートに夕食とお菓子持参で出かけて行きました。
夕焼けをバックに素敵な写真まで♪
本当にありがとうございます!

さてさて、今回のスーパームーン。
実は1年前からこの日は、母島のあるポイントに行く事を決めていました。
でもこの日がまさか皆既月蝕であると知ったのは先週の話でした。

島のレジェンドがこの日に皆既月蝕がある事をラジオで知り、
僕に伝えてくれました。
さらに僕は島の友人にSNSで詳細を訪ね、小笠原での観測時間と方向を知りました。
教えてくれた島のレジェンド、友人に感謝ですm(__)m

小笠原の5月はリュウゼツランやサイザルアサが高い花茎を延ばして、
その蜜を求めて、島のコウモリや鳥たちが集まって来ます。

大きな満月とその花を撮るのが夢でした。
今回は予想外の皆既月蝕で、思ったようには撮れませんでしたが、
この珍しい天体ショーは嬉しい誤算でした(*^_^*)

■昨晩の皆既月蝕。
始まりは下の方から欠けてきました。


徐々に地球の影がお月様を隠していきます。


望遠で覗いていても、少しずつ「蝕」が進むのが分かりますし、
お月様自体が高度を上げていくのも分かりました。
こんなにも速く動いているなんて!!!


数十分でここまで欠けてきました。
ちょうどこの頃にコウモリが羽音を建てて、近くのリュウゼツランの花に飛来してきました。


20時12分、ついに皆既月蝕となりました。
赤銅色に輝き、いつもは見せない表情を見せてくれています。
月が赤銅色になるのは、地球の大気を通った太陽光のうち赤い成分のほうが月に届きやすいためだそうです。
大気の状態によって届く光が変化するため、月の色は月食ごと異なり、明るいオレンジ色や暗い茶色のように見えることがあるとのこと。

この状態が15分ほど続きます。

母島は雲が時々流れて、完全に隠れる場面もありましたが、
皆既月蝕の15分間は見事に晴れ渡っていました♪

この瞬間、天の川が輝きを増し、満天の星空が上空を覆っていました。
とっても感動的な移り変わりでした(*^_^*)


少しずつ、明るい月が覗いてきました。
いわゆる薄いペーパームーンの瞬間が、僕は一番好きな感じでした。
今回で実は一番美しいと思った瞬間でした。


その後は雲が増えてきましたが、
なんだか逆に神秘的に見える様を見る事が出来ました♪

同じ母島でも場所によっては、雲が絶妙のタイミングでお邪魔していたとか。
そんなときも一期一会☆
色んなご縁を感じて楽しめれればと思います(*^_^*)

妻と北部に向かう時の集落から上がるお月様です。
集落の明るさの中に、若干下が欠けたお月様が見えます。

何も知らなければ、知らずに通り過ぎてしまったであろう皆既月蝕。

去年のネオワイズ彗星も走でしたが、
こうしてきちんと緻密に計算し、お知らせしてくれたことで、
みんながこの天体ショーを楽しめたと思います。

家族、友人、知人、天文学者、皆さんのお蔭で
この貴重な天体ショーを存分に楽しめました(*^_^*)
本当にありがとうございますm(__)m


■さてさて、最近はできる限り毎日SUPで海に出ています。
そんな時、とても素晴らしい瞬間に立ち会う事が出来ました(*^_^*)

友人の小1の子どもの「人生初頭から飛込み」に立ち会う事が出来たのです♪

脇浜で一緒にSUPで遊んでいた中で、
「こうして頭から行ってみれば~?」
「え~できないよ~」
「じゃあ、最初はSUPにお腹付けてやってみなよ~」
「それなら~」
 …ぽちゃん!
「できた♡」
「次は立ってやってみる!!」
 …ぽちゃちゃん!!
「わ~い!できた~!!!」
…凄すぎです。

まだ浮き輪なしで足のつけない所を泳ぐのが怖い女の子です。

それでも度胸があって、
どんどん目の前で進化していく。

その様が本当に素敵過ぎて、
こちらが大感動♡

超びびりーの弟男の子くんは、
その後、SUPの先から足からだけど飛び込めるようになりました。

みんなすごい(*^_^*)
自分の子供でも感動を頂いてばかりですが、
人の子でも沢山の感動を頂いています。
本当にありがとう♪
SUPが島っ子の頭飛込み入門にこんなに効果的だったとは(*^_^*)

やっぱ女子は肝が据わってます(笑)!


■そして5/24 小笠原アイランズ農協が誕生しました!!
小笠原アイランズ農協の第1回通常総会が開催され、新しい農協が誕生しました。

2001年から続いていた伊豆諸島と小笠原諸島が合併した
「東京島しょ農協」はこれで小笠原が分離独立した形になりました。

1972年に設立した「小笠原島農協」みたいなエリア範囲に戻ったことになります。

思えば、遠く離れた島でひとつの農協だったことに沢山の弊害があったと思います。
なかなか行き来できない島同士がひとつの組織で運営することに無理があったと思います。

これで自治権を自分たちが取戻し、
自分達らしい農協の運営ができるようになったと思います。
分離独立に向けて、ずっと尽力してくれた組合の皆さん、関係者の皆さんに深く感謝いたします(*^_^*)

個人的にはですが、
小笠原の漁協のように、父島と母島が別の農協で良かったと思っています。
漁協は父島と母島は別の組織なのです(*^_^*)

組織はなるべくローカルなエリアでまとまって、でも視野は広くがこれからのスタンダードだと思っています。
そんな門出の日でした(*^_^*)


[皆既月蝕2021撮影機材]
・OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ
 望遠ズームレンズ M.ZUIKO ED 40-150mm F2.8 PRO+ 2.0X テレコンバーター MC-20
・Canon PowerShot SX60 HS