小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

小笠原返還50周年 記念セレモニー&パレード 母島編

2018年07月07日 | 島のイベント
■2018年6月26日、小笠原諸島はアメリカから返還されて50年の節目の時を迎えました。
そして
6月30日に父島でパレードと式典、
7月1日には母島でパレードと記念セレモニーが行われました。

これは母島のパレード風景です。
海上自衛隊横須賀音楽隊が奏でる音に合わせて、
森下村長、小池都知事、石井国土交通相、そして母島の中学生が先頭に行進しました☆

小笠原に住んで15年。
この50年に一度の節目をこの目で見て、感じるために母島から父島の式典を見に行きました。
その中で、この50年の月日に思いを馳せるとともに、色々と感じることがありました。

父島の方の式典やパレードは報道や多くの人が書いていますので、
母島の目線から書こうと思います。


■まず一連通して一番感動したのが、
小池都知事を乗せたははじま丸が母島に近づいたときに、
10隻の漁船が歓迎のお迎えをするシーンでした。

15年、小笠原に住んでいますが、これは初めて見る光景でビックリしました!!

漁船にはその家族や子供たちが手を振っています!

母島は第一次産業である漁業と農業が盛んな島です。
その第1次産業は燃料補助、運賃補助など、多くの補助に支えられています。
悔しいですが、まだまだ自立には程遠いのが実情です。

その補助の多くを支える東京都の代表である小池知事が初めて来島するのですから、
歓迎しない訳がありませんね!!

村長もこれには「やるね!漁協!これが母島ですよ!」の一言。

予想外にあまりに感動した僕は、
船の自衛隊音楽隊の皆さんや関係者に「こんな歓迎は10年住んでて初めて見ました!すごい事ですよ!」と伝えました(笑)。

聞くところによると、
最近の役人さんはみんな船ではなくヘリで来るので(今回も国土交通相はヘリでした)、
船の歓迎の迎えは横田副知事の来島以来だとか…

海況もそこそこ良いとは言えず、揺れましたが、
よく不便で時間のかかる船で来てくれました!

動画も撮ったのでぜひどうぞ!


■沖港に到着したら、多くの母島小中学校の生徒達が迎えました。
実は長女(中3)はこの時、重大な役目を任されていましたが、
なんと前の晩に人生初のぎっくり腰になっていました(10代の若さで!!)。

しかし、傷み止めとコルセットと気合で乗り切り、
午後には海に飛び込み、「泳いだら完全に治った~~!!」という滅茶苦茶な流れがあったことは内緒です(笑)。

その後、少し時間をおいてガジュ下から学校前まで150mほどのプチパレードを開催。
母島の中学生と役人、村長、そして海上自衛隊横須賀音楽隊が母島の短いメインストリートを歩きました。

島民の多くは国旗と返還50周年の記念旗を持って歓迎のアピール。

パレードの後に続くみんなが楽しそうです♪
なんだかんだ言って、シャイな母島の島民もパレードを楽しんでおりました♡
僕はその光景が楽しかったです。

学校の前までを過ぎてパレードは終了。

なんかどこか昭和チックでノスタルジーな感じがしました(笑)。

前日に見に行った父島のパレードはとにかく島民のパワーが凄まじかった印象があります。
母島は、みんなでお祝いしている雰囲気がなんかとても良かったです♡

その後は学校体育館で記念セレモニーです。


■学校の体育館で村長をはじめ、
返還50周年のお祝いの言葉が延べられました。
返還当時、欧米系が住んでいた父島と違い、
無人だった母島は父島の返還から5年遅れての開拓でした。

今こうして便利で幸せに暮らせているのも、先人たちが一生懸命に作り上げて来てくれた背景があるからです。
本当に感謝と尊敬の念でいっぱいです。
母島のセレモニーでは古くから地域を支えてきた母島クラブの副会長の方がお祝いの言葉を述べて下さいました。

返還当時、一緒に島を作ってきた仲間の多くが亡くなり、寂しいが、
こうして無事に50周年を迎えれたことが感無量であると。
これからは次の世代が島を支えていって欲しいというおもいが伝わってきました。


小池都知事は母島のスピーチでは空港問題には触れず、
母島の早くて4年後、太陽光発電で年間半年分の電気をまかなう計画を明かしました。

ソーラーパネルの為に新たに土地を開墾するのか心配になりましたが、
具体的には今年の3月に閉鎖した畜産指導所の跡地を利用するようです。
※旧ヘリポート先の美しい圃場がソーラーパネルになるのだろうか?それはあまり歓迎しないです。

個人的には太陽光発電は、
「発電自体はクリーンだが、
生産、運搬、廃棄に多大な化石燃料を消費し、
それで消費する化石燃料と、
その燃料で電気を作るのとさほど変わらない、
なので太陽光発電は大きな電池を買うものだ」と思っているので、
素直に喜べない部分も多いのです。

しかし、今の母島は火力発電所しかなく、
毎日ドラム缶5本近くの重油を消費している事を思うと、
ソーラーパネルさえあれば、
いざという時に自分たちの島にあるものだけで発電できる強みがあるのは事実です。

こういう挨拶というのはありきたりな言葉ばかりで、
さほどグッとくる言葉は少ないものだと思っていましたが、
小池都知事、この場でしっかりとした具体案を提示して、凄いなと思いました。


セレモニー1部の最後には全員で歌う「大切なもの」が歌われました。
これは以前母島に赴任していた教員が作曲し、子供たちが作詞した素敵な曲です。
教員も子供たちも島民もみんながステージに向かって、
素晴らしい合唱を聞かせてくれました。
妻はこれが凄く感動したと言っていました☆


■その後は海上自衛隊横須賀音楽隊の皆さんが素晴らしい演奏を聞かせてくれました。
この音楽隊の皆さんは音楽のプロとして自衛隊に勤務し、
世界各国で演奏を披露しているそうです。

音大出の選りすぐりのメンバーが揃い、
長い航海中は毎日ずっと練習しているとのことです。

素晴らしいアンサンブルに圧倒されました♪

1曲目は大好きな「南崎」。
母島の一番南にある半島部の事で、
海鳥が営巣し、美しい情景を歌っています。


2曲目は島の南洋踊りの古謡を織り交ぜた返還マーチ

を披露してくれました♪


■船が到着し、パレード、記念セレモニーと立て続けに続いた後は記念表彰された方と知事ら来賓の皆さんが、
島の皆さんお手製のお弁当を食べる昼食会をして、
その後はもうははじま丸に乗って島を発ちます。

父島と違い、日帰りの母島は滞在時間4.5時間。
その間に島内を巡視し、農園も見たりしているから、相当な過密スケジュールだったと思います。

それらを迎える島の関係者の皆さんのご苦労も相当だったと思います。
双方ともに本当にお疲れ様でした!

多くの島民と漁船に盛大に見送られて母島を後にしました。



■アメリカ統治時代、母島は無人島でした。
強制疎開で故郷を奪われた旧島民の皆さんが数々の返還を求める活動が実り1968年、小笠原が返還されました。

50年前、無人となりジャングル化した母島を少しずつ開墾して、
先人の皆様がインフラを整備してくれて、今の便利な暮らしがあります。

しかし、返還後、小笠原特別処置法の元、多くの補助で私たちの生活基盤は作られ、維持されてきています。
今はその補助がなければ、今のように暮らすのは難しいでしょう。
国境離島という立ち位置、
排他的経済水域の多くを占める小笠原は国的にも重要な離島なので、
補助がなくなることはきっとないでしょう。
人が住み続けるとこに意味があるからです。

しかし、この暮らしは持続可能とは言い切れません。
生活物資のほとんどを外に依存している暮らしです。

僕は50年後の100周年を迎える頃、
この小笠原が補助に甘えることなく、
今よりももっと持続可能に近づき、
少しでも自立した地域になることを願ってやみません。

大事なのは過去を知り、今をどう動き、未来をどう見据えるか。
返還50周年の節目にいる今、次の世代の子ども達が健やかに生きていけるように、
私たちは頑張っていこうと思います!!


最後に横須賀音楽隊の皆さんがアンコールに奏でてくれた「アオウミガメの旅」をどうぞ!





行きたかった沖ノ鳥島ツアー中止!! 色々調べてみました♪

2018年06月09日 | 島のイベント
■ツアーに申し込んでから、当選の返事があり、
とても楽しみにしていた、初めての沖ノ鳥島ツアー(6/8~6/10)、
やはり台風5号の影響で、
出発2日前に中止との連絡がありました(防災無線のみ!)。
とても残念です!

沖ノ鳥島ツアーが中止となり、
悔しかったのですが、
今夜はその船上で講演会してくれる予定だった東海大の山田吉彦先生の講演先生が
「沖ノ鳥島の国家的役割」について講演してくれました(母島はTV会議)。

結構、政治色が強くて、
貴重な鉱物資源の話もワクワクしとても面白いお話でした!
ありがとうございました♪


沖ノ鳥島は日本の最南端で、
日本では唯一の熱帯気候の島です。

この島は東京都心から約1,700km離れた南の海に位置し、
ホノルル(ハワイ)とほぼ同じ緯度にあります。

父島からは910km離れています。
遠いですね~!
グアムの方が近いんですから(#^.^#)


■沖ノ鳥島ツアーは過去に2回のツアーが組まれていましたが、
どれも中止になっています。

2013年10月のツアーは台風の影響で中止。
2014年4月のツアーはその年の3月に発生した事故の影響で中止。
またも今回も台風で中止!
呪われているのかな~と思ってしまいます。

正直、悔しいです!!
でも自然の天候だし、これはある程度予想していました。
これで決行されて揺れまくるクルージングじゃ行きたくなかったです。
目指せリベンジ!!

中止と決まれば返還祭の駅伝大会に出れるし、
駅伝に出る子供たちの応援もできるわけです!!
沖ノ鳥島行けなかったメンバーで駅伝チームを作り(笑)、駅伝に参加することにしました!!


■さてさて、せっかく行くつもりになった沖ノ鳥島について、色々調べてみました♪

沖ノ鳥島はリーフに囲まれた中にある、
2つの島で構成されており、
それぞれ北小島、東小島と命名されています。

これは東小島です。
二つの小島を合わせても広さは畳6畳分しかないそうです。

国連海洋法条約では大潮の満潮時に水没しなければ、
大きさを問わず「島」というそうです。
満潮時、
東小島は6㎝、
北小島が16㎝、
の高さしかありません♪

現在は波浪での浸食を防ぐためにコンクリートで周りを囲まれています。
住所は東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地と2番地だそうです。



■周囲に島のない絶海なぜ沖ノ鳥島が生まれたのでしょう?

海底にある九州・パラオ海嶺と呼ばれる海底山脈(3000㎞)で唯一海面上に姿を現しているのが沖ノ鳥島なのだそうです!
遠く離れていても九州と沖ノ鳥島は繋がっているんですね♪

沖ノ鳥島の周囲はすぐに水深4000~7000mの深い海で、
水深1500m地点から上はサンゴ礁が成長してできた部分だそうです。

この島は
1543年 スペインのサンファン号によって「アブレオホス(目を開いて見よの意味)」と名付けられ、
1639年 オランダのエンヘルス号が「エンヘルス礁」と呼び、
1789年 イギリスのイフィジェネイアが船長の名「ダグラス礁」と呼び、
1890年 イギリスのアンフィヨン号が測量を行っていますが、
飛行機も無線も発達していない時代において、
絶海の孤島に領有を宣言するメリットがなかったらしく、どこも宣言していなかったそうです。

しかし、大正時代に入ると沖ノ鳥島は国益に繋がると考えられ、
水上飛行機の基地として考えられたようです。

1922年 第1次世界大戦後に赤道以北の南洋諸島を委任統治するようになり、
南洋諸島と沖縄の中間地点の沖ノ鳥島は安全保障上、航海の安全上、重要と考えられたようです。

1922年、1925年と日本の調査船「満州」によって測量が行われ、
島の現状が明らかになり、
1931年 「沖ノ鳥島」と名付けられました。

この時点で他国が領有を宣言していないのが確認され、
正式に日本の領土に編入されたそうです。

1939年には灯台と気象観測所の建設工事が始まりましたが、
3年後に第2次世界大戦が勃発し中断することに。

その後、
1968年に小笠原諸島と共に沖ノ鳥島も日本に返還されました。
1987年に気象観測所が設置、浸食保全の為の工事、
2007年には灯台も設置、
工事開始から70年でようやく完成と至ったようです。


■沖ノ鳥島は日本の排他的経済水域(EEZ)をとても広く確保してくれる存在となっています。
排他的経済水域とは、
国連海洋法条約で定められた、沿岸国に権利のある水域の事で、
沿岸から200カイリ(370km)以内は漁業権、鉱物資源などの調査、開発、保存する権利、
そしてそれらの資源と環境を管理する義務も担っています。

小笠原村は陸地面積こそ小さいですが、
沖ノ鳥島、南鳥島も合わせて、
日本の排他的経済水域の31%を持っている凄い村なんだそうです(笑)!
(ちなみに伊豆諸島を入れると41%!東京の島すごい!)

また、沖ノ鳥島も含め、小笠原諸島の周辺は海洋鉱物資源の宝庫なのだそうです。

コバルト・リッチ・クラスト(深海底に存在する鉱物資源)や
リチウム(蓄電池の材料)などレアメタル資源の宝庫なのだそうです。
日本近海は海底熱水鉱床というマグマと海水の反応でできる鉱物の取れる地点も多いそうです。

メタンハイドレードという、次世代の化石燃料と期待されている天然ガスの仲間も、
日本は豊富にあり、うまく運用できればエネルギーの自給も夢ではないほどだそうです。

2014年に報道もされた小笠原諸島に現れたサンゴ密漁と言われた中国の船団、
本当の狙いはサンゴではなく、海底資源だったという見方もされています(ー_ー)!!


簡単に言うと、
沖ノ鳥島は結構遠いけど、
漁業資源としても、
海底資源としても、
気象観測所としても、
排他的経済水域確保としても重要な島ということが分かりました。

でも、いつも思うのは、
この世界・資源は本来どの国のものでも、
誰のものでもないということ。

「この土地は最初に見つけ、最初に宣言した人のもの」という概念はいつも疑問です。
インディアンが白人の言う土地の所有というものになかなか理解ができなかった様に…
(先住民にとって土地は大いなるものであり、個人の所有という概念があり得ないという考え)
領土問題という側面も考えさせられます。

いつか、またツアーが企画されることを願ってやみません。
個人的には島の風景と、そこまでの外洋性の鯨類、海鳥に会えるのも結構楽しみなんです♡

参考資料:国境の島を発見した日本人の物語 藤岡信勝・著、海上保安署ウェブサイト、国土地理院ホームページ



東洋と西洋のガラパゴス交流!!

2018年03月14日 | 島のイベント
■小笠原はよく東洋のガラパゴスと言われます。
それは島の誕生から現在に至るまで、一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島であること。
独自の進化を遂げた、島の固有の動植物が多く存在することが、
南米エクアドルのガラパゴス諸島に類似しているからだと言われています。

小笠原がアメリカから返還されて50周年を迎える今年、
なんと西洋のガラパゴスと東洋のガラパゴスの交流が企画されました(企画:小笠原自然文化研究所)!

※長女が母島に来島するガラパゴスの子ども達に向けて作った横断幕です♡

地球の反対側のガラパゴス諸島から、わざわざ小笠原諸島まで4人の中高生と、
あの有名なチャールズ・ダーヴィン研究所の所長さんが来島しに来ました♪

父島と母島でTV会議で繋ぎ、
西洋と東洋のガラパゴスが交流する…
とても刺激的な時間でした♪

イグアナやゾウガメなど、大きな爬虫類がいない東洋のガラパゴス・小笠原ですが、
自然の背景は冒頭で書いたように良く似ています。

しかし、今回特に面白いと思ったのはガラパゴスと小笠原が似ている部分が自然以外にもあったことでした。


■南米の孤島でもあるガラパゴス。
そこは生物の楽園ですが、飲み水に乏しく、
インカ人が過去に来た石器などはあったようですが、
永続的な定住には至らなかったようです。
人の定住はエクアドルが領有を宣言する(1832年)せいぜい200年程度とのこと。

小笠原は石器時代に人が住んだ名残はありますが、
現在に繋がる人の暮らしは江戸時代(1593年)に小笠原貞頼が発見してから、
ナサニエル・セーボレーが最初に定住(1830年)して今に至る約200年。
ここも似通っています。

※母島の南崎・小富士で水を飲むガラパゴスの高校生☆

小笠原は戦後の強制疎開で伝統的な文化や芸能の多くを失っていますが、
ガラパゴスもスペイン人が移住してからの歴史で、独自な伝統や文化がないそうです。
自給率も低く、生活物資はほとんどが輸入に頼っている部分も同じです。

飲み水のほとんどをペットボトルの輸入に頼っているガラパゴス。
しかし、そこの子供たちの環境意識の高さは目を見張るものがありました。


■僕は主催者の関係者として母島の受け入れの一部を手伝わせて頂きました。
冒頭に載せた長女力作の横断幕。

せっかくの機会なので「学業優先で出迎えを認めない」学校に対し、
無理やり港に出迎えをすることにしました(笑)。

遠路はるばる南米からやって来た、同じような世代の仲間に、できるだけのおもてなしをしたい心。
長女が作った横断幕にいたく感動してくれて、長女はとても嬉しそうでした♡


良く見ると、ガラパゴスのアオアシカツオドリや
スペイン語でようこそ!の意味、
国旗やイグアナやゾウガメなど色々凝っています♪

英語が大好きな長女。
先日のTV会議で繋がった質疑応答でも特異な英語で質問したりして、
果敢に交流し、自分の英語が通じる嬉しさと自信を感じていました♪


■ガラパゴスの子供たちは母島の自然も十分に満喫していました☆

遊歩道で終始歌って踊り続けるラテン系のノリには驚きました♪
いや~なんて楽しい雰囲気(#^.^#)
長女と同じ匂いがします(笑)!!!!


クジラの跳ねる大海原と乳房山をバックに記念撮影☆

また、驚いたのは海岸に行くと自然と海のプラスティックゴミを拾う姿勢です。

いつも僕も海洋生物に対する影響を知り、何かできないかと思い、
海岸に行くたびに無理のない範囲で拾ってはいるのですが、
当たり前に拾うガラパゴスの子供たちの精神性に驚かされました。

講演会では小笠原からの質問で
「子供たちにどのような授業で環境教育を行っていますか?」
という質問があり、
チャールズ・ダーヴィン研究所所長は、
「すべての授業に環境保全のエッセンスが入っています」
という回答をしていました。

あまりのレベルの差に圧倒されましたが、
子供たちのこの自然な関心と動きに、
頷かされました。

ガラパゴスではゴミの60%をリサイクルしているそうです。
リサイクルは莫大なエネルギーを消費するし、
リユースが理想ですが、
それだけの意識が素晴らしい。

世界危機遺産にもなったことで、
新たな意識も沢山生れたことでしょう。


南崎ではこんなに沢山のゴミをみんなで分担して遊歩道を運びました。

海ゴミを体にまとい、ジャングルを歩く姿、

なんだか素敵な飾りみたいに見えてしまいます。


第2次世界大戦の戦跡を見て、圧倒されていました。
こんなものを山の中腹に作らせてしまう戦争の惨さが伝わったと思います。


夜には宿に駆けつけ、
小2の妹、宿のお友達も一緒に島のフラを披露し、
最後は南半球ではあまり綺麗に見えないという満点の星空を見に行って、母島最期の夜を一緒に過ごしました。


■母島最終日には母島の子供たちが参加しているサッカーチームFCフォルサで交流をしました♪


島の子供たちは予想以上に積極的に交流していました!
子ども同士に言葉の壁はあまりないようです(笑)。


中学生はその後、一緒に海の見えるレストランで食事をし、
名残惜しいですが、お別れの見送りです。


最後は島の子どもが作ったレイをかけて、
別れに涙を流すほど、良い滞在になって良かったと思います♪

親にとっても長女が自分の英語が通用し、
外国の人とうまくコミュニケーションが取れる自信が持てたようで、
とても嬉しかったです。


■世界自然遺産でもある東洋と西洋のガラパゴス。
そこは自然以外にも人の暮らしに多くの共通項がありました。

資源やエネルギー問題(ガラパゴスは30~40%は自然エネルギーとのこと)、
貴重な野生動物との共存、
観光の在り方、
人間の暮らし方、
ゴミの問題、
それぞれにいいものがあり、学ぶものがあると感じました。

小笠原もガラパゴスも治安がいいそうです(エクアドル本土は危ない地域アリとのこと)。
小笠原は町中もゴミが少ないと言われました。

今年は日本とガラパゴスが交流を開始して丁度100年の節目の年だそうです。

小笠原の人口は約2500人で年間観光客数が約2万5000人。
ガラパゴスの人口は25000人で年間観光客数が25万人。
絶対数は圧倒的に違いますが、
比率的には同じなんですね~

この機会にお互いの想いを交錯し、
自然に負荷をかけすぎない、より持続可能な暮らしを模索するきっかけになれば幸いです。

子供たちも2週間以上、長い移動と活動の連続でクタクタだと思います。
関わった関係者の皆様もどうもありがとうございました♪

夏には小笠原の子供たちがガラパゴスに交流に行くそうです。
よりお互いにとって実りある交流になると嬉しいです(#^.^#)

こうなったら姉妹都市になっちゃえばいいのにと思います♡


小笠原凧作り!!(為朝凧)

2018年01月29日 | 島のイベント
■今年は小笠原諸島がアメリカから日本に返還されて50年の節目の年になります。
それに向けて様々なイベントが企画されているのですが、
今回実施された「小笠原凧作り教室」に僕と次女で参加してきました!

小笠原凧は戦前から島で作られていた伝統的な凧で、
八丈島から小笠原に伝わってきた為朝凧(ためともたこ)が基礎となっています。

「源為朝(みなもとの ためとも)」は平安時代末期に活躍した武将のひとりです。
古今無双の弓の名手として知られ、勇士として様々な伝説などを残しています。(結構すごいです!)

しかし、【保元の乱】 に破れ、伊豆大島に流されてしまいます。
ですが、さすがの為朝。
そこでも国司に従わず、自慢の武力で伊豆諸島を事実上、すべて支配下においてしまいます。
そして乱暴狼藉が訴えられ、追討を受け、最後は自害した伝説の武士です。

為朝凧は、八丈実記をあらわした流人・近藤富蔵 が図案を考案したものとのこと。
今も伊豆諸島で慕われている為朝を凧に描いたのが始まりのようです。
強弓の名手であることから、背中に矢が見えるのも特徴です。

※これは母島に残っていた小笠原凧です。為朝の絵が描かれていますね☆


凧の形は、風力にあった縦横の絶妙な寸法、
軽くて丈夫な竹の骨組み、
糸目の長さが緻密に計算されていて、
尾なしの色鮮やかな凧として芸術的にも評価が高くなっているそうです♪

島のおじいちゃんやおばあちゃんに聞くと、
昔は島のあちこちで作られ、
正月にはみんなが凧揚げをし、
小剣先の頂上で凧を揚げては、木に縛ってそのままにして、
集落からみんなで見上げていたといいます。

今回は島で10年ぶりに凧作りが企画されたので、
ずっとやりたいと思っていた僕は娘を誘い、参加してみました!

これは子供たちが作った凧を母島小中学校の学習発表会で展示してもらった写真です☆(完成の翌日!!)


■まずは凧作りは3日間の予定で作成から揚げるまでを組まれてありました。
が、母島小中学校の授業参観と日程が重なってしまい、
なんと金曜の夜と土曜の1日で仕上げることに!

そもそもこんなに時間をかけるのに、
大人も子供も集中力を維持し耐えられるのか心配でしたが、
結果を見ると見事、素晴らしい仕上がりだったのです!

準備、運営をしてくれたスタッフの皆さん、
本当にありがとうございます♪


■そんなこんなで早速金曜の夕方に集まり、
早速制作が始まりました。


まずはのりしろを含めた線を寸法を測りながら和紙に書いていきます。
今回は40cm×90cmの凧を作ります。
のりしろは3cm~3.5cmを周りに書きます。
まっすぐに描かないと後で困るので、
2年生の次女も必死に線を引いていきます。


線を引いた後は表に好きな絵を描きます。

次女は大好きなシロハラミズナギドリ、ヤツガシラ、りんごを描き、


僕はカツオドリを書いてみました。

とにかく、他の子どもたちの絵もほんとうに素晴らしい!!

下書きをした後、墨と筆でラインを引き、
その後は色塗りをする前に色の混ざりを防ぐために、
熱して溶かした蝋を墨で描いた周囲に塗ります。

この蝋はその後、透明に近くなるので、
凧から光が透けて綺麗に見えるラインにもなるのです♪

とても熱いので注意が必要です!

蝋をぬった後は、楽しい色塗りです☆


みんなおもいおもいの色を塗って仕上げていきます。

そのあとは竹を組んでいきます。
以前は竹を削るところもやっていたそうですが、
それをやると1週間はかかってしまうので、
今回は用意してもらいました。

この竹組みは、出来上がり後の折れや破損に繋がるシビアな部分です。

竹の固さや節を良く見極めて、
長さをよく合わせながら組んでいきます。
今回はグルーガンを使って繋いでいきました。

竹を組んだ後は、
周囲の竹の合わさったところを和紙で補強して(竹が絵を突き抜けない様にするため)、
その後、描いた和紙とドッキングさせていきます。

ペタペタと糊付けをしていく作業です。
速く塗らないと先に塗った糊が乾いてしまいます!

周囲を糊付けしたら、
今度は中心付近の竹の合わさっている部分を和紙と糊で補強して行きます。


補強したあとは千枚通しで糸を通す穴を空けていきます。

これが結構気持ちがいい♪

そのあとは凧に付ける糸を作っていきます。
凧から伸びる糸は凧の長辺の6倍の糸を6本作ります。
一つ一つ長さが異ならない様に慎重に作っていきます。
糸は伸びるので、張って測るのではなく、
たるませて、同じたるみで見極めるのがミソでした!

組穴(糸穴)を空けたら、
今度は糸を通し、結びながら、
凧を湾曲させていきます。
強引にしては折れてしまうし、
へたにバランスが悪いと、
凧はまっすぐ飛ばなくなるので、
ここも難しい所です。

結ぶ時の約束ごとは、2本の糸のうち長い糸を持っている手は糸から離さないで、
短い糸の方を2回巻いて、長い糸を引き、
根元を締めていくことが大切です。


上は狭く、
下は広めに絶妙に調整していきます。
(上の部分は凧を空高く揚げる為に必要な風を受ける部分です)

個人的にはこの作業が難しかったのですが、一番好きでした♡

このあとが一番職人芸な部分。
凧から伸びる12本の糸の調整です。

均等にしなるように、
集めた時に凧の3分の2の高さで、しかも中心に来るように、
そして張った時に凧がまっすぐ斜めに上昇するのを確かめながら、
糸を一組ずつ調整していきます。

これが本当に職人芸で難しい!!
父島から教えに来てくれた講師さんが最終調整やらないと、
なかなか凧はうまく上がってくれないらしいです☆
※これは馴れと感です!←講師・談

なんやかんやして、
2日間かけて無事に凧は完成しました!

左が僕が作った凧で、右が小2の次女が作った凧です。
本当にお疲れ様でした!

みんなの凧を並べると、ほんとうに素敵な光景でした♪

最後に感想や挨拶をして、
長い長い2日間がこれで終わりました。

作っても想像以上に大変で難しく、
びっくりしましたが、
それを教える側はもっと大変だったと思います。

貴重な経験をさせていただき、本当に有難うございました!!


■翌日は学校の学習発表会&授業参観だったのですが、
急きょ凧の展示もさせてもらうことになり、
子どもたちの凧をみんなにお披露目することが出来ました!

そして、参加したパパ達は授業で来れない子供たちに代わって、
こっそり凧揚げを習う機会を得ました!

講師のAさんはこの日に父島に帰ってしまうので、
今日習わないといけない!と数人が評議平グラウンドに集まり、
ビックリするほど冬なのに風がない中、
最低限、凧を揚げて、壊さないコツを習う事が出来ました。

自分の凧がまっすぐ空に向かって上がった時は、
凄く嬉しく、
何とも言えない感動がありました♪

その日の夕方、
次女はなんと発熱してしまい(インフルではなかったです)、
まだ次女が作った凧は揚げれていませんが、
元気になった次の休日にはぜひ凧を揚げたいと思います♡

わ~い!!小笠原凧万歳!!
どうもありがとうございました!!!

月ヶ岡神社例大祭2017

2017年11月25日 | 島のイベント
■11月23日は母島の月ヶ岡神社の例大祭が執り行われました☆
島で別名・大神宮と言われるこの神社のお祭り、
朝のチンドン屋に始まり、山車、神輿、演芸大会と盛り沢山な一日となります。


まずは我らが子供会の恒例のチンドン屋が集落を演奏しながら、
この日お祭りがあることを告知します。

今年は長女(中2)が子供会の会長となり、
みんなを引っ張る役を務めていました♪

小学1年生から中学3年生までが属して活動している子供会。
みんなをまとめるのはなかなか大変です。
良く頑張っていました(*^_^*)

僕も育成会の会長として、
一応頑張ったつもりです(笑)。

チンドン屋は密かに島の人たちが温かく見守ってくれ、
愛されて続いている素敵なイベントです。
いつまでも続いてほしいなと思っています。

■お昼過ぎからはまずは低学年&未就学児による山車の巡業です☆

「わっしょい!わっしょい!」
のかけ声で元気に集落を周ります♪

次女(小2)はこの山車が大好き♡
楽しそうに綱を引いてはかけ声をかけていました!


高学年と中学生は子供神輿。
集落を練りながら、道行くお客さん目がけて神輿を振りまくります(笑)。


迫力は大人の神輿には適いませんが、
一生懸命担いで声をあげています♪

宮司さん曰く、
お祭りというものは神様がこの世界に降りて来る日。
「私たちはこんなにも元気にしています!だからご安心ください!」
とアピールするために賑やかに騒ぐことに意味があるそうです。

オトナも子供もそれに便乗し、
この日とばかりは騒ぎに騒ぎます(笑)。


大人の神輿はかけ声も「せいや!」となり、迫力があります♪
僕も祭も神輿も大好きなので、
子どもの山車を見守りつつ、
少しだけ担がせて頂きました(*^_^*)

腕を神輿に回して、
リズムを合わせて、
力いっぱい担ぐ。

それだけで、なんだかとても気持ちがいいのです♪


父島からも多くの人が担ぎに来ていて、
和気あいあいと楽しかったです☆


最後に神社の境内に戻ってきて、
奉納の担ぎを行い、無事に終了♪


年に一度のこのお祭りを無事に終える事が出来ました!
事前の準備や草刈り、
当日の休憩所の振る舞いや運営など、
多くの皆様の支援のお蔭で楽しませて頂いています。
本当にありがとうございます!

写真はないですが夜は演芸大会もあり、
僕も娘も南洋踊りに出て、
あとはミズナギドリの保護巡視に行き、
あわただしい11月もこれで終えようとしています。

明日は母島初開催のアイランド・ジャズ・フェスティバル!!
3時過ぎからの集落初のパレードからライヴは始まります♪
こちらもスタッフとして関わらせて頂いています(*^_^*)
さあいっぱい楽しむぞ~!!

母島属島・平島 無人島の海岸清掃!

2017年07月09日 | 島のイベント
■昨日は母島・属島の平島という無人島で海岸清掃を行いました♪


平島は母島の集落から見えて、美しい白砂の砂浜が広がる無人島です。
母島との距離は約4km程度。

この島は小笠原諸島で最大のアオウミガメの産卵地で、
砂浜には無数のカメの上陸跡が無数にありました!


夏には母島小学1年生が1泊で無人島キャンプを行います。
長女も去年参加して、
無人島で1夜を明かしてきて、
遠く見える母島の集落の明かりや、
かすかに聞こえる太鼓の音、
夜に産卵に上がってくるアオウミガメの産卵を観察したりと、
島ならではの体験をしてきたようです♪

■今回、私たちはクラブノア母島を改め「ダイブステーション母島」主催で海岸清掃に行ってきました!

まずは漁船で平島へ!
今回、子供たちは参加できない為に母島でお留守番です。


目下、碧く美しい海と綺麗な砂浜が広がります!


今回は上陸の際、T船長のカヤック姿というレアな姿が拝めました(笑)!!
人生初だったそうで、かなりハマってました♪


■美しい浜に立ち、海ゴミを拾い始めます。

印象としては北港や東港、南京浜に比べれば
ゴミの絶対量は少なく、小さめなプラスティックゴミが多かったです。
(と言っても、トン袋2袋半はありました!)



森の中にも発砲スチロールゴミが沢山落ちていました。


集めてみんなで漁船に載せると、
こんなに集まりました!

本当にお疲れ様でした!


■海ゴミは景観を損なうだけでなく、
現在、野生動物の脅威としても知られています。


最近は5mm以下のマイクロプラスチックのごみの問題もクローズアップされています。


■海を漂うプラステックゴミは、
有害物質を含み、
生き物はその漂着した藻が発するオキアミと同じ匂いを嗅いで捕食してしまう様です。

私たちはこの自然の恩恵を受けて生きていけます。
その自然をこうして破壊しているのも私たち人間です。

平島の海の中です。

美しいサンゴや


美しい海底


海に降り注ぐ太陽の光。

この美しい自然に恩返しするためにも、
できる限りのことをしていこうと思います☆

今回の海岸清掃では島の人とスタッフ以外にも漁業体験で来島している方も参加していました。
漁師を志す同世代の人、
二十歳の若者、
十代の漁師見習い、
普段なかなか話さない人と出逢い、
色々話せたこともとてもいい刺激になりました!

予算を出してくれた東京都、
運営、準備してくれたダイブステーション母島、
自ら艀舟を出してくれたNやん、
そして参加した皆さん、
ほんとうにありがとうございました♪
とても楽しい海岸清掃でした!!



母島の返還祭 (第44回母島返還祭2017)

2017年06月28日 | 島のイベント
■母島の島民に「島で一番のお祭りは?」と聞いたら、
多くの人が「返還祭!!」と答えると思います。

それもそのはず、
母島では6月は返還祭イベントで目白押しなのですから☆

6月に入り、バトミントン大会の1週間、駅伝大会、ゲートボール大会、
そして月末の土日に行われる返還祭の前夜祭と当夜祭。

母島ではただ単に最後の2日間のお祭りではなく、
1か月を通じて、様々な行事が行われる激動の1か月なのです!


■昭和43年6月26日、戦争でアメリカに占領されていた小笠原諸島が日本に返還がされました。(沖縄返還は昭和47年5月)
欧米系住民はその前に帰島が許されていましたが、
戦後23年間の空白を経て、島民が戻ってきました。

アメリカ統治時代、父島には米軍基地もあり、
欧米系住民が住んでいたこともあり、
人が住んでいましたが、母島はその間無人島となり、
ジャングルに戻っていたそうです。

8ミリフィルムが語る昭和の小笠原諸島 ~母島~


そして父島から遅れて5年。
どうにかインフラを整備し、定住がはじまったそうです。

なので返還49周年の今年の母島返還祭は「第44回」になるのです。

返還祭は、その頃から続いており、
島の先人の皆さんが、
今と違い娯楽のない島の暮らしを盛り上げる、
とても大切なお祭りなのです♪




■そんな島の一大イベント、我が家もずっと参加しています。
今年も職場チームでゲートボール大会に参加し、

娘二人はバトミントン大会にも出場し、大いに楽しみました♪

毎年、僕も娘も参加している駅伝大会は、
1kmの集落を走るコースを6名のチームで走る大会。
小学1年生から50代までが参加する地域挙げての駅伝です♪

次女は小学2年生チームで出場!

毎日の練習もそうですが、
ゴール後は頑張り過ぎて大泣きするほどのいいタイムでした♪


長女は中2と小6+大人の混合チームで頑張りました!
女子は中学生になると成長の問題で足が遅くなりがちですが、去年のタイムを超える頑張りでした!


駅伝後はみんなでそのまま岸壁から海に飛び込み、
頑張った汗を流します♡

これがまた気持ちいい♪


■そしてフィナーレは返還祭の前夜祭と当夜祭です!
子どもたちは子ども会で屋台を出店したり、
フラや太鼓、ダンスと大忙し!

みんなで島の返還を祝い、盛り上げます。

前夜祭は島の色んなサークルの発表が多く見られ、
娘二人もフラで参加しました!

秋のフラの祭典、フラオハナでもそうですが、
フラ人口の多さにはビックリします!

この日はみんな日頃の練習を活かして、見事な舞いを披露してくれます。
着飾った美しい装飾や衣装で、
みんな可愛く、美しく見えます♡

毎年トリとして恒例の青年会の今年のダンスは
「DJ OZMA - アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」でした☆

すごい楽しかったです♪

当夜祭は八丈からの太鼓やカラオケ、南洋踊りなど伝統芸能が多く見ることができます。

僕と次女は南洋踊りに参加しました。
今回、踊りながら最前列で踊る次女を見ていたのですが、
とても気持ちが入っていて、集中したいい南洋踊りになったと思います♪

返還祭と言えば間近でみる花火!!

内地の花火大会に比べたら大きさは小さいのでしょうが、
とても近い距離で、
人混みも少ないので、ゆっくり楽しんで見ることができます。

そして、花火と花火の間に見える満点の星空!!
これが母島の花火の醍醐味かもしれません。


フィナーレは壮大な海に落ちるナイアガラ!!

返還当初は内地から花火師を呼んで上げていたそうですが、
今は島の人が何人も資格を持っていて、
島の人たちが事前にしっかり準備して、
危険を顧みず上げてくれます。
どうもありがとうございます!

最後は大好きな盆踊りで締めます☆
曲は炭坑節、大東京音頭、大漁節、東京音頭、小笠原音頭、母島音頭です。
僕のお気に入りは小笠原音頭と母島音頭です。
特に母島音頭の振りの気持ち良さ、美しさは最高です♡


中学生の長女は浴衣を楽しんでおりました♪


そんなこんなで母島の返還祭も今年も無事に終わりを迎えることができました。
準備から運営、出場、応援に関わった皆様、本当にありがとうございました!
来年は返還50周年の大きな節目の年になります。

この大きな節目を期に小笠原のこれまでを振り返り、
これからを見直す、よりよい島づくりを目指していけたらと思います♪





映画「ある精肉店のはなし」の上映を終えて

2016年12月07日 | 島のイベント
■先日、父島と母島で自主上映会がありました。
映画のタイトルは「ある精肉店のはなし」。

父島の友人が主催で行うと聞いて、ぜひ母島でもと手を挙げ実現しました。

映画について詳しくは映画のサイトをご覧ください。

映画の予告はこちら


上映会をしてみて、
こうした素晴らしい映画を島の人と共有できて良かったなぁと思いました。

この映画を島まで繋げてくれたSちゃん、
参加してくれた皆さん、
2回の上映会に色々フォローしてくれた家族、

そして、この素晴らしい映画を作ってくれた製作者の皆さん、
北出ファミリーの皆さん、
どうもありがとうございました!


上映後、次女が書いたイラストです。



■牛を育て、家族4世代が一緒に頑張り、
自ら屠畜し、丁寧にさばき、
その肉を販売する…

そして家族のひとりが、
牛の皮をなめして太鼓の革にしていく。

地域での家族の在り方、
有名な大阪のだんじり祭りにその太鼓が使われ、その場面も描かれています。

とある番組にも紹介されていました↓


監督の纐纈(はなふさ)あやさんは言います。
「生き物を食べて、人は生きる。
その命を奪う行為が日常の暮らしの礎にあることを知ってほしい」と。

■僕が映画を見て思ったことは、
牛に対する気持ち、
職人としての心構えとても素晴らしく、
と殺の手際の良さ、
家族の分業が素晴らしく美しく見えました。

ほぼ1本のナイフで1頭の牛を解体していく業は、
圧巻でした。

冒頭と最後の牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、
あえて淡々とこなし、
映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。

自分が鶏をさばくときも思いますが、
全部無駄にすることなく、
有難くいのちを頂こうと思うのです。

そして、その手間がほんとうにかかります。
自分でさばいた後にスーパーで、
1匹に1個しかない砂肝が8個で248円で売られていて、
これは本当に正当な価格なのだろうかと疑問を抱きました。

命を頂く、
そしてそれをと殺する仕事の人の報酬として
あまりに価格が見合っていない気がしたのです。


映画ではと殺のシーンだけでなく、
家族の4世代の温かい場面が数多く描かれています。
この主役の北出ファミリーがとても素敵なんです♪

孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、
退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。

やはりいのちと向き合い、常に関わるからなのでしょうか?
文字通り「いのちを食べて、いのちは生きる」ことを心から理解している人たちなのでしょう。

102年続いたと殺場が閉鎖を迎える時の
一抹の寂しさは何とも言えませんでいた。

牛を飼わなくなった来た井出さんは、
そこで太鼓を作る方にシフトするという柔軟さをもっていたのです。
そこに素直に感動しました。

そして、
大阪のだんじり祭り、
太鼓の制作も初めて見れて良かったです。

江戸時代から使われている太鼓は、
内側に張り換えの時の職人の名前が書かれていました。

こんなにも手間をかけて、
牛の皮も使われていくのが見れたのがとても良かったです。

上映後に次女が書いてくれたイラストです。

小学1年生はこの映画でどんなことを学んだのでしょう?
下のアンケートにも鋭い部分を見出していて、驚かされました。


■上映会で参加してくれた方が書いてくれたアンケートを紹介します。
・最初は精肉店の話と聞いていたので、想像していた話とちがっていて、ビックリした。命のこと、まわりとのつながりなど色々と考えさせられた映画でした。(20、女性)

・命をいただくとそのための手段をして差別が発生することが生きることの多面性をあらわしていると思いました。ありがとうございました(50代、女性)

・牛を割るのも、太鼓を張るのも初めて見ました。屠畜場が動いているのも初めて見ました。最後の話を聞いて、やっぱり仕事はトータルな方がいいんだなと改めて感じました。(50代、男性)

・とても深い作品で感動しました。(50代、男性)

・食の大切さを知りました(60代、男性)

・ていねいに仕事をする、ていねいに生きる姿とても心地の良いこと。この家族にたくされた牛は幸せだな…。肉が苦手な私はわぁ…と思うシーンもありましたが、しっかり見ました。ありがとうございました(50代、女性)

・最初の方は衝撃的でしたが、色々と繋がっていること。人柄や人生観が伝わってすごくよかったと思います。(30代、男性)

・うしのいのちをもらうときくるしそうにならないようにきをつけて、すごいな~とおもいました。どうもありがとうございました。(小学生)

・時代の流れで家業でできる仕事がなくなるのはさびしい。とてもいい家族でした(40代、女性)

・食べののが食卓に並ぶまでに、生きものやそれに関わる人々の背景、ストーリーがあって、生々しく、活々としていて、印象深かった。タイコ作りもふくめて、命のダイレクトなつながりを感じました。(30代、男性)

・と殺シーンはショッキングだったけど、今私たちがこうしてお肉を普通に食べれているのは 差別、偏見などをうけながらも加工してくれる人たち、そして牛さんたちだということをリアルに知ることができた。こういうものは普通お肉を食べていても見たがらない人が多いけど、少しでも多くの人がこういうのをみて、心を動かされるといいと思った(中学生)

・「いただきます」「ごちそうさまでした」には料理を作ってくれた人だけでなく、食べられる状態にして届けてくれる人、何より生き物に感謝の気持ちを込めるという意味を改めて実感しました。何気なく言っていたこの言葉の本当の意味を分かることが出来ました。ありがとうございました。(20代、女性)

・前から見たいと思っていた映画なので機会をいただけて良かったです。ありがとうございました。またお願いします。(20代、男性)

・問題を改めて知った。タイコの張り替えに感動。(60代、男性)

・思いがけず、とっても素晴らしい映画に出会えてうれしかったです。この映画を作っていただいて、観ることができた出会いに感謝です。終了した時、拍手したくなった映画でした。色々な内容をもりこんであり、ゆっくりとうけとめて考えて、生きていこうと思います。日々の生活にとても結びついた大切な話だったと思います。(40代、女性)

・牛に対するスタンスがとても素晴らしく、太鼓の制作も初めて見れて良かったです。北出ファミリーがとても素敵でした♪孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、あえて淡々とこなし、映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。(30代、男性)



母島フラオハナ2016

2016年10月22日 | 島のイベント
■少し前の事になりますが、10月8日(土)、母島のフラの祭典、フラ・オハナ2016が開催されました♪
今年も沢山の島の踊り手が参加し、
華やかな一夜を盛り上げました☆

僕も男フラとして、
娘二人も踊り手として参加しました♡

踊り手の女性陣による美しいステージの装飾は目を見張るものがあります♪

序盤は保育園~中学年クラスの可愛いフラ。

その後は高学年~中学生の素敵なフラと続きます。


この時は妻が内地だったので、
お母さんに見せる姉の踊る姿を動画で撮影している次女♡


う~ん中学生たち、どんどん素敵になります(*^_^*)
子供のころからずっと自然にフラをしている島の子供たちは、
ごく自然にしなやかなフラの動きが身に付いていて、
大人から始めたそれとは根底から違う、
自然体のフラを見せてくれます☆


父島から高校生達も参戦してくれ、
より素敵になった姿を見せてくれました。
思春期を乗り越え、
存分に楽しんでいる姿になんだか嬉しくなってしまいます♪

父島の中学生たちも可愛くキメてくれました♡

■そしていよいよ男フラの番です!
今年も人気の古典フラ(カヒコ)のサワラを披露しました!

今年はなんと12名でのカヒコ!
過去最多です!

なんとここまでに進化するとは!!
子供たちもバッチリ決まってきています♪


ド素人で始めた母島男フラですが、
数年間続けたお蔭で、今年はさらに素晴らしい出来栄えでした♪


サワラは伝統カヌーによるサワラ漁を表現する小笠原オリジナルのフラです。
フラの根源ともなるカヒコ=古典フラ。
歌はなく、パーカッションとかけ声で踊ります。

演奏は「トヨスクードーズ」の皆さんでした(毎年名前が変わりますw)♪


今年のサワラの動画です。
背後にいる白いワイシャツのミスターが気になります(笑)。


その後、着替えて男フラは華やかなハワイアンカウボーイも披露しました♪
こちらは古典フラのカヒコとは違い、楽しく笑って踊れるアウアナ(現代フラ)です。

元々は3年前に「父島でやったことのないフラをやりたい!」というメンバーの発案から始まった曲でした。

踊ってみると、難しいのですが、
こりゃまた楽しいのです♪


美しい女性を乗る馬に例えた、
悲しい男の性(さが)が溢れるユーモアたっぷりのこの曲。
3年前はすべて日本語に意訳したのですが、
今回はサビのみハワイ語で歌ってくれています☆


最高に楽しく踊れたハワイアンカウボーイでした♪


■その後も進み、上級クラスの女性のフラに酔いしれます♡


落ち着いて微笑を湛えた大人のフラは、とても気持ちが良く、素敵です♪


終盤には恒例の来春島を離れる中学生女子のフラ。

今年度は一人の中三の女の子が踊り、
その母が共に踊り、
涙のフィナーレを迎えました。
今年は特にグッとくるものがありました。
うちの長女はもう大泣きで大変でした(笑)。


■こうして台風シーズンにも関わらず、
無事に今年も母島フラオハナを大盛況の中終えることができました。

毎年のことですが、
こうしてフラを続けていれること、
オハナを無事に開催し終えれることは、
家族をはじめ、
運営、準備、演奏、売店etc...多くの人の支えの元に成り立っています。

そんな人たちに精いっぱいの感謝の気持ちを込めて、
今年のオハナも終えたいと思います。
どうもありがとうございました!


■今年の曲順です☆
1.Tutuki
2.世界中の子どもたち
3.ププヒヌヒヌ
4.ボニンアイランド
5.カヴァイレフア
6.レイン
7.カウルヴェオケカイ
8.カピリナ
9.カイマナヒラ
10.丸木舟
11.プアナニ?
12.涙そうそう
13.コアリ
14.プアリリレフア

15.ドキドキアイランド
16.サワラ
16.パイナップルプリンセス
17.プアナニ?
18.海の声
19.メレオハナ
20.ランデブー
21.ハワイアンカウボーイ
22.プアナニ?
23.イアリィノオエ
24.たいせつなもの
25.アオウミガメの旅

アンコール
26.海の声
27.Te Wahine Tahiti


母島 どんと焼き2016

2016年01月13日 | 島のイベント
■今年も母島青年会主催のどんと焼きが開催されました♪


闇夜に輝く焔の揺らめき。
はぜる竹や朽木の音。
吹き香る煙。
紅く揺らめく燠(おき)の美しさ。

そこにいた誰もが炎に見とれて引き込まれます。



実はここ母島では最近(10年前位?)始まったばかりのイベントです。

母島青年会が始めたこの行事、
正月の獅子舞いで頂いた奉納金を芋煮にしてお返しします。

寒い夕方に暖かい芋煮は最高です♪
子供も大人も大喜び☆

前日から集めておいた竹に餅を挟んで、
みんなで直火で焼きます。

火との距離や時間の調整で色んな焼け具合が楽しめます♪

そのあとは醤油や海苔で美味しく食べます☆

島の小学生が進んで「磯部モチ屋さん」お手伝いをしてくれました。


■正月飾りを燃やし、天に還すこの行事、
最近は別の意味合いも大切になってきました。

最近は直火を見れる機会が減ってしまい、
子供達が火を身近に触れ合える機会がぐっと減ってしまいました。

これからを生きる子供達にも
どうか火の怖さ、
火の美しさ、
火の不思議さを味わってもらいたいと思っています。

台所がIHになっているお宅はまったく火の見えない暮らしということになります。
これは実は人として凄い節目なのだと思います。

人と動物の違う点は火を扱うところと言います。
(扱えきれない火=原子力も人だけです)

焔を見ていると、
太古の石器時代に小笠原に住んでいた人間の記憶を呼び起こしている気がしてきます。

きっとカヌーで暮らしていた遠い昔、
島が自給自足で成り立っていた時代、
その当時の人もこの前浜で火を焚き、
語り合っていたかも知れません。

そんな火を囲んで笑い合い、
語り合うそんな島の風情がたまらなく愛おしくなる1日でした☆

母島 真夏の音楽会2015.08.15

2015年08月18日 | 島のイベント
■「素晴らしい音楽をありがとう!」
「うっとりするしちゃった!」
「あまりに素敵であのあと酔っぱらっちゃった!」
開催後、多くの方に聞かされた嬉しい喜びの声。

終戦記念日の8月15日。
島に帰ってきた早々、美しいピアノの旋律の余韻が残る素晴らしい音楽会がありました。

450人の母島でなんと55人も集まりました♪

しかし、この音楽祭は計画から開催まで2日しかなかったのです(笑)。
事の始まりは夕日ヶ丘で起こりました。


■約1か月の怒涛の夏休みを終えて、ようやく住み慣れた母島に帰ってきた僕と次女。
やっぱり1日の〆は夕陽でしょう!ということで、夕日ヶ丘に向かいました♡

そこで夕陽を見ていたKさんともうひとりの人が....
挨拶を交わすと、以前島で演奏会を行い、素晴らしいピアノを聞かせてくれた阿部大樹さんでした。

阿部大樹さんは両親の転勤で小学生時代に父島に住んでいた経験のあるピアニストです。
現在は北陸地方で仕事をしながら、時々ピアノを披露しているとか。
今回の滞在では演奏会の予定はなく、3日後には島を離れて帰ってしまうとのこと。
Kさんから「何とかならないかな~」と話しが降られました。

あれだけ素晴らしいピアノを聞かせれるのに、
聞けずして帰してしまうのは、あまりにもったいない!
ということで演奏会の開催準備をする決意をしました。
開催は明後日の夜。
できる限りのことをして、多くの人に大樹さんの美しい旋律を届けたい!

ということでその時点から音楽祭の準備に取り掛かりました。
この2日というわずかな準備期間で、どれだけできるか分かりませんが、
出来ると思えば、できないことはないと信じているので、
島の素晴らしきミュージシャンに力を借りることになりました。

そこで瞬く間に快く演奏を引き受けてくれた素敵な6人のお蔭で、
素晴らしい音楽会が開催できる運びになりました。
本当にありがとうございました!

5歳の娘と二人っきりで、
アコースティックに聴かせる音楽の術を持たない僕は、
広報と準備に専念することとなりました♪


■そんな駆け足以上の展開の中、開催した音楽会はずっと美しい旋律が残るほどの素晴らしい音楽会となりました。
阿部大樹さんをはじめ、出演をお願いしてからこんな短期間でここまで素晴らしい音楽を披露できる皆さんに感動です♪
せっかくなので、順に紹介したいと思います。

最高のプレゼンテーターは母島が誇る有名人・ブラジルさんです!

得意の話術で会場を盛り上げます♪

1.平田ノリさんとびっちさん

言わずと知れた、母島の音楽会の代表的存在のびっちさん。
10年以上前に父島に住んでいて、今は母島に住んでいる多くの音楽を生み出す平田さん。
この二人は実は20年以上前からの知り合いで今回披露してくれた曲はびっちさんが結婚するときにも披露した曲だとか(笑)。

それがこの「小曲トマト」です。

父島からのお客さんもいて、この曲を知っていて大喜びでした♪
なんでも20数年以上前、父島の小曲地区に入植する時に唯一の隣人だった
農協のSさんが作るトマトがあまりに美味しくて、できてしまった曲だとか(笑)。

この他にも母島で作成した曲など、5曲ほど披露してくれました☆

とっても楽しそうに歌うノリさんとほほ笑むびっちがとても印象的でした(*^。^*)


2.コニコニ&妙ちゃん

二番手は母島のウクレレ界の有名コンビのお二人です。
いつもは船待ライブやフラオハナのバックバンドで活躍している二人。

今回も素晴らしいウクレレを聴かせてくれました♪

中でもお気に入りは映画フラガールの曲「虹を~」です。

こんなに美しいウクレレの旋律を聴くことができて、
とても感激でした!

後半ではフラの曲を演奏し、スケちゃんのちゃんの素敵な歌声が響く中、
なんと飛び入りでフラの踊り手も参加する展開に!

とても島らしい展開に大歓声が上がりました。


3.中学生Sくん

島の中学生で格段に弦楽器の上手さを誇るSくん。
こんな急な出演依頼を引き受けてくれて、見事に披露してくれたのは
天空の城ラピュタの曲、2曲。

パズーのトランペットの曲とテーマ曲の「君をのせて」を
美しいアルペジオで聴かせてくれました。
何事も恥ずかしい思春期の真っ最中!
時折見せるニヒルな笑顔とため息がたまりません(*^_^*)
本人の承諾が得られたら動画を公開します♪


4.麻耶さん

セミファイナルに登場したのは島の主婦の麻耶さんです。
以前、春先の島の音楽会でピアノを披露してくれ、
そのあまりの素晴らしさに今回、声をかけさせてもらいました。

小さな子供を抱える身で、なかなか普段練習できないと言いつつも、
引き受けて2日後に素晴らしいショパンの旋律を披露できるなんて、
やっぱり凄すぎます。

今回は終戦記念日にちなんだ選曲をと事前にお話ししていたので、
ショパンの
・ノクターン 嬰ハ短調 (遺作)
・練習曲 作品10-3 ホ長調(別れの曲)
を演奏してくれました。

とても謙虚な方で、
曲の前後のお話もとても素敵でした。

島でも彼女が素晴らしいピアニストであることを知らない人が多くいます。
シャイな方なので動画の公開は控えますが、
あまりに素敵なピアノなので
ぜひ3月の音楽会での彼女のピアノを聴きにお越しください♪


5.阿部大樹さん

最後は大樹さんの言葉にならないほどの素晴らしい旋律を聴くことができました。
披露してくれた曲は
・〜Moon River〜ティファニーで朝食をより
・〜愛を奏でて〜海の上のピアニストより
・〜月の光〜ドビュッシー ベルガマスク組曲より
の3曲。


アンコールでは島の古謡でもある丸木舟を披露してくれました。


聴き終わったあとは、うっとりしてもう何も聞きたくないほど
素晴らしいピアノの旋律が耳に残っていました。

多くの人を魅了するピアノという楽器の素晴らしさ、
奥深さが少しだけわかった気がしました。
大樹さん、本当にありがとうございました!

そして最後には麻耶さんの発案で
終戦記念日にちなんで「さとうきび畑」をみんなで合唱しました。

最後に記念撮影を行い、こうして素晴らしい音楽会も幕を降ろしました。


■お蔭さまでこうして本当に急な申し入れにも関わらず、
最高の音楽会を堪能することができました!

なかなかじっとしていられない5歳の次女も、
ちょこんと座って、美しい旋律に耳を傾けます♪

たった1日の広報で450人の島で55人も集まって大成功できたのは、
呼びかけて快くすぐに素晴らしい演奏ができたミュージシャンの皆さん、
準備に照明や音響をあっという間に揃えてくれた橋本さん、
子供を寝かしているうちに準備を進めてくれた皆さん、
そして会場を暖めてくれた沢山のお客さんのお蔭です!


僕一人では何もできませんが、
多くの皆さんのおかげでこうして
本当にありがとうございました!

うっとりするほど聞き惚れるピアノの旋律を味わう島の夜...
音楽とは文字通り「音」を「楽しむ」と書きます。
この夜はそんな文字通りの音楽に浸れる時間となりました。

哀しげな旋律は終戦記念日の夜を染めていき、
人々に様々な思いを抱かせてくれました。

みんなの力のお蔭で実現できた素晴らしい最高の音楽会でした♪

玄牝(げんぴん)上映会 in 母島

2015年05月23日 | 島のイベント
●現在、小笠原の父島・母島の両島で『玄牝(げんぴん)』という映画の自主上映会を開催しています。
22日~24日まで父島上映中。

母島では上映25日から27日まで上映します。

★『命』を持つ僕らは、
『命が生まれること』について少し無知すぎたのかもしれない
(アンダーグラフ・真戸原直人)
・・・・『玄牝』コメントより

興味のある方はどなたでもお越しください♪

男性陣もぜひ!!
子供たちも、
産んでない人も、
産んだ人も、
もちろん夫婦でも家族でもぜひおすすめです。

命と向きあう時間へ、あなたもどうぞ。

●上映用DVDを有料で借用しております。協賛金として、ご協力下さい。
(大人700円・子供無料です)

母島での上映予定は以下の通りです。

◎26日午後・27日午前、
上映希望の方が1人でもいらっしゃれば上映します。
お気軽にご連絡ください。

『玄牝(げんぴん)』オフィシャル・サイトはこちら






●長女が25日午後ル・シエルで開催のシネマ&ティータイム用に書いてくれたイラストです☆
せっかく上手に書いてくれたのですが、
ポスターでは小さく載せるしかできなかったので、
ここでは大き目にお披露目です♪










楽しかったぞ!!母島船待ライヴ2015.03.14

2015年03月19日 | 島のイベント
■去る3月14日、母島の年度末の恒例ライヴが開催されました!!
このライブは毎年、島を離れる教職員や卒業生に捧げる意味合いも持つこのイベント。

今年も素晴らしい盛り上がりを見せ、大成功で終えることができました♪

「船待ライヴ」は内地のライヴハウスに出るのとは違い、
会場を借りて、機材・照明を持ち込むすべて自分たち手作りのライヴです。
お客さんも顔見知りの島民がほとんどです☆

それだけに終わったあとの達成感も計り知れないものがあります☆

準備・演奏・片付けに頑張った出演者のみなさん、
温かい声援をくれたみなさん、
支えてくれた家族のみなさん、
今回の大成功は支えてくれた皆さんのお蔭です♪
どうもありがとうございました!

●出演者●
1.JC-band(仮)(女子中学生バンド) 
2.妙子事変     
3.ふぁじー  
4.すりっぷ→おっと 
5.超☆笑止(男子中学生バンド)
6.ろーず&がんず 
7.SPACE CHAOS BABYZ
8.江口とその一味


■せっかくなので超個人的な出演者紹介です☆

1.JC-band(仮)

島の女子中学生バンドです。
1名、中学生じゃない方が混じっていました(心は中学生!?)♪
なんと本番3日前まで1度も合わせて練習していないという大物ぶりです!(笑)。
年度末、色々と忙しい中しっかり仕上げて来ました!
とても可愛く素敵な演奏でした☆

2.妙子事変

去年に引き続き2回目の出演!
今年は父島のミュージシャンが参加して、夢のコラボとなりました。
アコースティックに素敵に聴かせてくれましたヽ(^o^)丿

3.ふぁじー

ふぁじーも去年に引き続き2回目の出場です。
今回一番面白かったのもこのバンド!
ホーンやダンスも入れて総勢9名の大所帯バンドです。
曲はたまの「さよなら人類」、サザンの「勝手にシンドバット」、米米CLUBの「FUNK FUJIYAMA」というナイスな選曲でした。
とても盛り上がり、楽しかったです♪ 

4.すりっぷ→おっと 

今回から参加でいつもドラムだった僕ははじめてギターで参加しました♪
曲は
1.ROSIER/LUNA SEA
2.HIT THAT!/The Offspring
3.刺身と山葵/Sex Machineguns
4.The Biginning/ONE OK ROCK
でした。
ファジーのお陰か、とても盛り上がり、楽しく演奏を終えることができました。

我がバンドの極悪な音を出すベーシストです☆

ヴォーカルは超高音シャウトのA君です♪

5.超☆笑止

こちらは男子中学生バンドです!
毎日学校の昼休みに練習していた熱心な彼ら。
堂々としたとてもカッコいいステージを決めてくれました!

6.ろーず&がんず 

見事なまでの豪華メンバーがそろった別名:老眼ズ(笑)。
ちょっとずれ落ちた眼鏡がチャームポイントの大人のバンドです。
大好きなサッチモの「この素晴らしき世界」井上揚水「少年時代」など、ム~ディーに聞かせてくれました♪
あ、老眼ではない可愛い女子3人もコーラス参加しておりました☆

7.SPACE CHAOS BABYZ

これも僕が参加したもう一つのバンド、といってもすりっぷ→おっととはヴォーカルが違うだけです(笑)。
曲は
1.Minority/Green day
2.Enter Sandman/Metallica
3.Smells like teen spirit/NIRVANA
4.Basket Case/Green Day
5.20th Century Boy/T-Rex(アンコール)
を演奏しました。

アコギも弾きこなすギターのMです。


ドラムのYさん。
女性ながらもパワフルに華麗に叩きこなします。

4曲では唯一ドラムで参加し、これまでドラムをしていたYさんはなんとキーボードというチェンジをしました。

温かいアンコールも頂き、とても楽しく演奏することができました!


ヴォーカルのJ。
6年間の母島滞在を経て、今回内地へと向かいます。
本当にどうもありがとうございました!


8.江口とその一味

そしてファイナル!
今回島を去るエンターテイナーのフロントマンを従え、
母島の音楽シーンを引っ張るメンバーの大トリでした!
タイマーズの「デイドリームビリーバー」、
RCサクセション「雨上がりの夜空に」で盛り上がり、
最後はアンコールの長渕剛の「とんぼ」の大合唱で幕を引きました。


多くの人に支えられての大成功となりました♪
本当にありがとうございました。


■今回は新たにバンドを組み、ギターを弾いたのにはちょっとしたエピソードがあります。
それは去年の4月、
バンドのベーシストが内地から母島に渡る船の中にメタル好きのドラマーが島に赴任する事を聞きつけ、
船中で組むことを決めてきたことから始まります(笑)。

さて、もともとずっとドラムの僕でしたが、メタルは是非やりたい!
娘も去年のライヴを見ていて「お父さん、ドラムも素敵だけど、来年は違う楽器をやって!」と言われていました。
ということでギターでもやろうかということに…(笑)。

そこに快くギターを貸してくれる存在が現れ、
めでたくギターを頑張ることになりました。

中学の頃に中古のギターでコードを弾くくらいまではやっていましたが、
バンドではずっとドラム1本だったので、色々新鮮で面白かったです♪
まさかリードギターをやるとは夢にも思いませんでしたが(笑)。

そして去年のライヴの楽屋で話して音楽の共通の好みを見付けたメンバーに声をかけ、
めでたくバンド結成となりました。

選曲はメンバーが思い思いのセレクトをして一時は10曲を超えていましたが、
なんとか9曲に抑えて2バンドで演奏させてもらう事になりました。
激しい曲が多かったので、
次回はミドルテンポのバラードを導入できればと思います♪

ヴォーカルのA氏はとにかく上手で高音シャウトが最高にカッコいい存在です。
今回大ファンが数人できていました(*^。^*)

もう一人のヴォーカルJは島の英語の先生として6年間、島を引っ張ってくれました!
来たときは全く日本語が話せなかったのに、大漁と島っ娘でスラングを学びまくり(笑)、
今や歌うと「ヨハンえいご上手いね!」と言われるほど英語が達者になりました!
今回の異動で淋しくなるけど、新天地でも頑張ってほしいです!

もうひとりのギターは一番練習熱心で抜群の音作りができる強者です☆
クールなプレイが魅力です♪
密かにバンマスと思っています☆

ベースのO氏は2年前から意気投合して組んだHR/HM好き同志です。
極悪な爆音ベースが持ち味です。

ドラムのYさんはとても器用でツーバスで細かいフレーズもお手の物、
キーボードまで勤めれる頼もしい存在です!
SLIP KNOTの大ファンなのでバンド名もそれをもじりました☆

SPACE CHAOS BABYZの名の由来は、
スタジオ練習で僕がギターを弾いていて、気持ちいいまでヴォリュームを上げると、
それに負けじとみんなレベルを上げ、
終いには物凄い状態に(笑)。

演奏後Yさんの一言が「まるで宇宙みたいでした♪」=SPACEになりました。
それを聞いて僕らが「カオスだったね!」となり、それがそのままバンド名になりました。
本番直前に音がまとまってほんとホッとした次第です(笑)。

■今回、嬉しかったことが沢山あります。
まずはこうしてバンドを組めて演奏できたこと。
お客さんが声援を沢山くれたこと。

演奏後に「すごいカッコ良かったよ!」「すごく良かったよ!」
と言ってもらったことなど、挙げればキリがないほど嬉しい言葉を頂きました。

中でも母島音楽同好会のお頭でもあるB氏に
「意外とやるじゃないか!」と言われたのは凄く嬉しかったです♪
爆音、メチャクチャと言う評判だったので、すごいのを想像していたようです(笑)。


悔しかったことと言えば、The biginningのリフがメインの部分で、
ギターの音が接触の都合で途切れてしまったこと。
速弾きのギターソロ部分がいまいちだったことが悔しかったです。

が、全般的に気持ち良く、楽しかったのでOKです♪


■僕は中学からずっと音楽が趣味でした。
中2で初めてバンドを組み、仙台を離れる20歳までずっとバンドを続けていました。

その割には大した演奏力もないのですが(泣)、
音楽の夢のような力と魅力、
ロックの持つカッコいい精神性に惹かれていました。

父島に住んでいたころは
結婚、初めての子育てと慣れない事ばかりで
なかなかバンドができる状況ではありませんでした。

弾かない楽器は可哀そうだと思って、
持って来ていたスネアやペダル、スティックは皆友人に譲りました。
とても悔しかったのを覚えていますが、後悔はしていません。
きっと時期が来たら自然と再会できると信じていたからです。

そして4年前、母島で声をかけてもらって
10年ぶりに再会できたバンドという音楽との関わり。
久々に叩いたドラムは眠っていた情熱を呼び覚ますには十分過ぎるほどでした。

こうして島の暮らしでバンドという夢を再開できたことがとても嬉しいです。
音楽は「音」を「楽」しむと書きます。
文字通り、十分に楽しんでやって行ければと思います。
より楽しめるように演奏力も上達していければと思います。


■今回のライブでは全体を指揮してくれたB氏の存在も本当にすごいと改めて感動しました。
そしてPAの仕事をかって出てくれたE氏にも大感謝です♪

こんなに満足に音作りもままならないギター超初心者でしたが、
PAのお陰で音のまとまりもよく、とても弾き易かったのです。

自分は出演しないのにずっと裏方で支えてくれていて、
とても感謝しています。

今回のライヴの成功はPAなしではありえません。
本当に大感謝です!

こうして多くの方に支えられてライヴを無事終えることができました。
色んな人の関わりに気付き、感謝することに気付けたのもとてもいい学びでした。
切ない年度末のお別れですが、
こうしてまた新たに人は巡り、出逢っていくのだなと最後のトンボの大合唱の時に思いました。

どうもありがとうございました!!

恥ずかしいのですが最後に来れなかった人の為にちょっとだけ動画公開します!!
母島船待ライヴのSPACE CHAOS BABYZアンコールで演奏した、
20th CENTURY BOY(原曲はT-REX)です。

6年間母島の英語界を支えたJのラストステージですヽ(^o^)丿
沢山の温かい声援をありがとうございました!

母島ハローウィン2014!!

2014年11月18日 | 島のイベント
◆最近忙しくてすっかり更新が遅くなっていました☆
少し前の事ですが、10/31母島ハローウィンを今年も楽しんだので紹介します♪

子供達と妻は魔女に、



僕ははっぱお化けに仮装して各箇所を周りました。


◆本来、ハローウィンはアイルランドの古代ケルト民族の収穫祭だそうです。
ケルト人の1年の終わりは10月31日とされ、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたそうです。
が、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたとのこと。

そこから仮装するという形となり、カトリック教が入り、キリスト教圏に広がっていったと言われています。

そんなわけで、宗教的な意味合いのある行事でしたが、
現代では特にアメリカで民間行事として定着し、
祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっているようです。

欧米系時代があり、今も欧米系島民が住む父島では、
今も大人たちの本気のハローウィンが行われています♪


◆今年のハローウィンは当初、「小さな規模で少人数で」をコンセプトに保育園を中心としたグループに参加しました♪
夜な夜なみんなで仮装して集まる姿はとても幻想的で賑やかでした♪


可愛いお化けたちがぞろぞろと事前にお約束してあるお店やお家を訪ねて歩きます。

用意してくれる方も素敵なお菓子などを沢山用意して、さらには仮装までしてくれて迎えてくれます☆


中にはこんな手の込んだものまで!(アナと雪に出てくるオラフを作ったお菓子袋!!)


我が家のほうはカボチャクッキーを仕込んで葉っぱお化けが配りました♪


◆今年の我が家のカボチャクッキーは

卵や乳製品を使わず、

妻が生地を作り、マリアが型を取り、

焼き、

凪穂がパッケージを作るという形で作成しました☆

後で素朴な味で美味しかったと言ってもらえて嬉しかったです♡



◆はっぱお化けも以前宮古島の奇祭「パーントゥ」を体験し、
それに似たことをずっとやりたいと思っていました。

今回は色々考慮して泥をまき散らすまでは出来ませんでしたが、
子供達を驚かせ、泣かせることができたので大満足です♡
最初に見たときの子供達+大人たちの驚く顔がとてもステキでした☆

準備に丸1日を費やしましたが、やった甲斐がありました♪

◆しかし、今回クリアできない課題もありました。
例年、多くのお菓子を用意し、大人数に対いて流れ作業のように配り、
もらった方も誰のか分からないまま食べていくというのが少しもったいないと感じていました。

子供のお祭りで楽しみだから、もちろん良い部分もあるのですが、
どうせやるなら準備に追われる大人数のものよりも、
数家庭でひっそりと大事にゆったりとハローウィンを楽しみたい、そう思うようになりました。

去年は40人近い用意をして、今年は減らそうとしましたが結局30人近くになりました。
この微妙なさじ加減と価値観はとても難しいのですが、
来年以降は用意する人、参加する人、子供達がそれぞれひとつひとつを大切に過ごせるものにできればと思います。

今年も多くの皆様に支えられて、無事ハローウィンを終えることができました。
関わった皆様、ほんとうにありがとうございましたm(__)m


AKIRA LIVE in HAHAJIMA無事終了!!

2011年10月04日 | 島のイベント
■無事AKIRAのライヴが終了しました。
去年に引き続き約60人の動員でした♪

特に今回は去年よりAKIRAの歌が必要な人が集まった気がします。
詳しくはAKIRAのブログへ→

■僕にとってはさらに「ナラの木」の朗読という前座を企画してしまったので緊張しまくりでした。
この詩は3.11の被災者に向けてつくられた詩です。 詳しくは「がんばれナラの木」へ→

僕のこの詩との出会いは4月の父島での震災チャリティーライヴでの鈴木創さんの朗読がはじめでした。
彼は英詩、標準、さらに山形の庄内弁で朗読してくれました。
やはり、方言の力強さを感じました。
詩に感動しました。

そして今回は私たちにとっても大事な詩で、僕はこの詩を母島で紹介したかったのです。
僕は仙台出身なので仙台弁で読んでみることにしました。

そして、英詩原文を母島小中学校英会話講師のヨハンに、
標準語を福島からきているさっちゃんに依頼しました。

これらの裏話は後日アップしたいと思います。

■参考までに僕が詠んだ「仙台弁 ナラの木」です。

仙台弁 ナラの木(ち) 
佐山暢一さん訳、、ジャイアン改訳

どえらい風(かづ)が吹いだっちゃ
昼間(しんま)どなく 夜中(よなが)どなく
ナラの木(ち)の みんな葉っぱばふっと飛ばす
枝(いだ)っこを びゅんびゅんと揺らがすて
木(ち)の皮も ひきはがすんではねいがとおもった

ついぬナラの木(ち)は すっぱだかになってすまった
んでも大地(だいつ)さ すっかり立っていだっちゃ
ほがの木(ち)は みな倒れてすまった

へこたれてすまった風(かづ)は
あぎらめで言ったっちゃ
「ナラの木(ち)、どうすてまだ立っていられんのしゃ?」

ナラの木(ち)は 言ったつちゃ
「あんだは おればの枝(いだ)っこをへしょるごども
ぜんぶの葉っぱばを ふっと飛ばすごども
枝(いだ)っこを 揺らすごども
おればを ゆさゆさと揺するごどもでぎっちゃ

んでも おれぬは大地(だいつ)さ広がる
根っこがあるす

おらが生まれてから
少すずつ 少すずつ 強くなるすた

あんだはこの根っこだけは 決すて さわれねっちゃ
わがっべ!
根っこはおれの一番(いずばん)深げいどころっしゃ

おらは今まで 自分が どんだけふんばれるか
よくわがんねでいだっちゃ

んでも、今おかげでわかりすた
おらが思っていたよりも
おら ずっと ずっと 強がったんだ」

■ライヴに来てくれた島民の皆様!
島に来てくれたAKIRAさんはるなさん、そして司会をしてくれた奥さん、急な朗読を引き受けてくれたヨハンとさっちゃん、本当にどうもありがとうございました♪
お陰さまで、本当に良いライヴになりました。
また来年もよろしくお願いします!


※最後にAKIRAライブ準備に追われて、本番は精一杯で写真を撮る暇がなかったので、AKIRAさんのブログから画像を頂きました。