小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

水不足の終焉~お天道様、ありがとう

2019年05月11日 | 母島 日常 日記
■5月9日、ついに母島の飲料水用のダム、乳房ダムの貯水率が100%を達成しました。
今年は4月のうちから雨が良く振り、
GWの10連休はとても天候に恵まれ、GW明けは怒涛の様に雨雨雨でした。

毎日放送されていた節水の放送も終わり、貯水率満タンの放送と共に一つの大きな安心が私たちの心をホッとさせてくれています。

いつも渇いていた集落を流れる大谷川。

今は川のせせらぎの音が聞こえます。

周囲を海に囲まれて暮らしている私たちにとって、
真水がどんなに大事であるか、今回の渇水でもまざまざと学ばされました。

島ラッキョウに残る水滴ですら愛おしいです。

港に設置されていた海水淡水化装置も稼働を止めています。
こちらもいずれ片付けられることでしょう。

毎日毎日、沢山の燃料を消費しながらも真水を作り続けてくれるこの機械に感謝し、
真水を毎日ずっと車で運んでくれた人にも感謝です♪

海で泳いだ後に当たり前にシャワーが出ることが本当に有難いです♡

■太平洋の島々で、昔から人が住めている島と住めていない島があります。
南米エクアドルのガラパゴス諸島がいい例だと思います。

ガラパゴス諸島は現在は人が定住していますが、先住民はいなかったと聞いています。
その理由が水がなかったからと言われています。

小笠原は石器時代も人が住んでいましたが、いつの日か絶滅し、
また江戸時代から現在まで人の定住が続いています。

昔に一度絶えてしまった、小笠原の人の暮らし。
台風の影響だったのか、病気の蔓延だったのか、作物の不作だったのか、
今はそれを知る術がありません。

もしかすると、ダムのなかった当時、極度の渇水で暮らしていけなかった可能性もあります。

海水から水分を摂取できる海鳥やウミガメと違い、
私たちにとって真水は必要不可欠。

今回の渇水はそのことを再確認させてくれることになりました♪

お天道様、どうもありがとうございます!!

■さてさて、先日NPO法人ワンライフの総会がありました。
そこで1年間の活動報告や活動計画を話し合うのですが、
その場で春休みに行ったハワイのプチ報告会をさせてもらいました。

詳しくはこのブログでも少しずつ紹介していくのですが、
持続可能な暮らしを実現しようとするワンライフのメンバーにとって、
とても興味深かったようです♪

美味しい島のピーマカ(魚の酢漬けサラダ)など、みんなの素晴らしい持ち寄りの品を食べながらのひと時。


わずか30分に詰め込んだプレゼンでしたが、
ワンライフ的にはハワイで学んだタロイモ(カロ)の伝統料理、ポイとラウラウが盛り上がりました♪


小笠原にも水芋という名前でタロイモは存在しています。
母島には自生している場所があると聞きます。
ぜひそれを見つけ出したいですね~

食べると地獄のような思いをする、よく似たクワズイモと間違えないようにしなければ(笑)!
上手くいけば、タロイモ料理教室が実践できるかも!!

そんな話などをみんなでワイワイとしました♪

最後に参加したふたりの高校生に感想を話してもらいました。
長女は「全部楽しかった!特に2つの高校に訪問した事。ナーバヒのみんながとても素敵で良かった。
自分が今でも少し恥ずかしい南洋踊りが、こんなにも凄いものだということに気付かされました。」

父島から参加した男子は
「たけちゃんがいう言葉、みんなが楽しくできるペースが大事というのが印象的。
自然が豊か、人が優しい、島、同じ土壌なのにこんなにも郷土愛が違うのがなぜか分からないけどとても興味が出た。
もっと島の若者も島の色んな事に興味を持ってほしい」ということでした。

それを聞いて僕は何が違うのか?に対して「教育と歴史のプロセス」が違うと思いました。
これが小笠原の課題であることも浮き彫りになりました。


■そして、夜も更け良さんと話しているうちに、
みんなに見せようと用意していたものを思い出しました(笑)。

それはハワイでニックさんに頂いた太平洋の島々の地図です。

この地図はポリネシアを中心にハワイやタヒチ、ソロモン諸島など太平洋の島々が細かく描かれています。

そしてなんと、地図の中には日本では小笠原諸島だけが描かれていました。

TVの天気予報ではいつも欄外に表示される小笠原が、
この地図によって全く違った意識になったのです。

さらに良さんはその深みに意識を傾けます。

父島に地名として残っているコペペ。
その人の名をコペペ・ギルバートというのですが、
この地図の中にギルバート諸島というのがあり、そこから来たというのです。

そしてそのギルバート諸島にはTamanaという名前の島があります。

タマナ…島ではテリハボクのことをタマナと呼んでいます。

このあまりにハワイアンチックな名前は一体どこから伝わっていたのか?
ずっと疑問だったものがこの地図を眺めることで少し繋がってくるワクワク感を感じました♪


■私たちが今漕いでいるカヌー。
小笠原には石器時代から存在していたカヌーの民。

ハワイ、タヒチからギルバート諸島、グアムを経て、カヌーの民は小笠原諸島にたどり着いていたと想像します。

その時の島の暮らしや風景はどうだったのだろうか?

先日カヌーを漕いで沖に行った時はハシナガイルカ、バンドウイルカが沢山見ることができました。
古のカヌーの民もきっと同じ景色を見ていたのではないか?


「一番新しい先住民」と自分たちを言うハワイアン。
そのハワイアンが言う9つのルーツ。
そのうちの一つが日本だというのです。

今年、来年とデュークさんが辿ろうとしている伊豆諸島と小笠原をカヌーで繋げる道。

それは私たちの先祖が辿ってきた道と言います。

島に住んで17年目を迎えます。
ここに来て見えてきたものが、なんだかとても大切なものである気がしてならないのです。