■今年も島一番のお祭り、返還祭が無事に終える事が出来ました!
と、同時に梅雨明けの気配です!
今日の前浜の写真です♪
この暑さ、この空の青さ、
今年は6月23日に小笠原は梅雨明けした!と信じています(笑)。
※気象庁は小笠原エリアは宣言してくれないのですw
先日の島の梅雨について書いたブログ記事で、
「ああ、今日梅雨が明けた」
とはっきりと分かる1日があります。
僕はその1日がとても大好きです♪
と書きました。
今年は返還祭当夜祭の6月23日がその日でした(*^_^*)
青年会のメンバーと返還祭の夜店の準備をしながら、
みんなで「今日、梅雨明けだね」「暑さの質が変わったね」などと言い合い、
確かにみんなの夏が始まった感があります♪
■暑い日はこうして飛び込む日々が本格的に始まりました!
海で泳ぎまくって、さすがに冷えたら、
太陽熱で温まったコンクリートで体を温めます。
島っ子は自然とこのことを知っています。
これってとても素敵な事だと思うのです♡
休日や夏休みは見送りでもどんどん飛び込むことでしょう♪
■さてさて、そんな母島の一番のお祭り、返還祭。
母島において、返還祭とは6月下旬の土日の前夜祭、当夜祭だけではありません。
6月に入ってから、
毎週のようにゲートボール大会、バトミントン大会、
駅伝大会などのスポーツ大会を経て、
最後の締めくくりとして、演芸大会があるのです。
駅伝も毎年親子で出ているのですが、
毎度キツいです(笑)。
ですが最高齢67歳、そして小学1年生が一生懸命、泣くほど走っているのをみると、
自分も頑張らなければ!と毎年思います(笑)。
なので母島にとって6月は超忙しい1月なのです。
今年は都合により、夏休み恒例の納涼祭がないので、
今回の返還祭が母島唯一の盆踊りになってしまいました。
盆踊り好きの僕としては少々残念です(ToT)/~~~
しかし、そんな事を言っている暇はありません(笑)。
今年は7月に小笠原村長選挙もあります。
色んな場面で小笠原もシフトして行く時期を迎えたと感じます。
この夏も色んな意味で充実した夏になりそうです(*^_^*)
■そんな母島の6月を締めくくる返還祭の前夜祭と当夜祭。
今年もとても充実した内容でとても楽しかったです♪
今年は僕自身が青年会長なので、
あまり他の出し物をゆっくり見る余裕はありませんでしたが、
自分の出番の前後は見る余裕があったので、それだけでも紹介します(*^_^*)
まずはフラです。
次女も可愛いフラダンスを披露しておりました♪
島の多くの女性がフラをしていて、とても盛んなのです☆
各スポーツ大会の表彰式も行われます。
次女はバトミントンダブルスの3位をゲット♪
毎年返還祭は定期船おがさわら丸が年に一度の八丈寄港便となるので、
八丈太鼓も見逃せません。
小笠原太鼓のルーツは八丈太鼓です。
今年は6人衆の力強い、素晴らしい太鼓を聴かせてくれました♡
この春、ハワイでその存在意義をはっきりと確認した、
東京都無形文化財の南洋踊り。
今回は父島から高校生の長女も駆け付け、娘二人と一緒に踊れる南洋踊りでした(*^_^*)
父島に住んでいることからずっとやっているので、かれこれ15年のキャリアになります。
太平洋の島々に繋がる行進踊り、
身体だけで小笠原の文化を表現できる踊り、
それが南洋踊りです。
今回はお願いして動画も撮ってもらっていますので、どうぞ♪
また、当夜祭のトリとしては恒例の壮年会による劇です。
今年も子供たちを大いに喜ばせて、盛り上がっていました♡
■さてさて、青年会&有志。
毎年、前夜祭のトリを務めさせてもらっています。
今年はみんなでDA PUMPのU.S.Aを踊ることにしました。
前列5名は3週間ほぼ毎日練習し、なるべく本家と同じフリを目指しました!
最初は「絶対こんなのできないっ!」と思いましたが、
ダンス経験者の先輩にご指導いただき、猛烈に練習を頑張りました!!
他メンバーも忙しい返還祭シーズンの中、1か月の練習を頑張って仕上げてくれました。
本番は会場の皆さんも大いに盛り上げてくれて、とても嬉しかったです♡
この曲はイントロで猛烈な動きがあり、
体力のほとんどをそこで消費します(笑)。
踊り終わって、やっと終わったぞ!と思ったら、間一髪いれずに「アンコールの声!」。
想定外だったので、お互いに「マジで!?やるの?」と顔を見合わせていたら、音楽が(笑)。
終わってみれば、最高に盛り上がって、最高に汗かいて、超ヘトヘトになる演芸披露でした☆
とても楽しかった!本当に有難うございました♡
フルムービーもありますので、よかったらどうぞ。
(踊りながらも、間違えまくっていますが、盛り上がったので良しとしましょうw)
今回の青年会は、あくまで踊りたい人、踊ってもいい人に絞って演芸に臨みました。
楽しい青年会にするために、色々試行錯誤しています♪
皆さんのおかげで、本当に楽しい思い出になりました、ありがとうございました(*^_^*)
■最後に返還祭実行委員会、副実行委員長として一言挨拶する場面がありました。
母島返還祭は昭和49年に始まったそうです。
小笠原がアメリカから返還されたのが1968年(昭和43年)6月26日。
当時、父島では返還祭が行われていたそうです。
母島は完全に無人島だったので、インフラがある程度整うまでに5年の月日がかかり、
母島は1973年(昭和48年)から戦後、人が住み始めています。
その翌年から始まっていたのです。
母島の返還祭が返還51周年に対して、第46回を表記するのは、こういう背景があるのです。
島の大先輩に話を伺ったところ、
最初の返還祭は現在の月ヶ岡神社の場所で行われたそうです。
そこで返還祭で相撲大会が執り行われたそうです。
当時は、今のように裏に道路が無いので、
島の男性陣が土嚢袋を担いで、土俵を作ったそうです。
すごい!!
その後、舞台は学校校庭に移り、
脇浜なぎさ公園が完成してからは、現在の様に脇浜で返還祭が執り行われることになったそうです。
この母島の手作りのお祭り、
運営側で関わってみると、本当に多くの人の力で成り立っていることに気付かされます。
このお祭りを作り上げた先人たち、
そして今、運営している島の皆さん、
支えてくれる家族、
盛り上げてくれる観客の皆さん、
遠路はるばる来てくれる八丈の皆さんや、観光の皆さん、
これから島を作っていく若い世代の皆さん、
すべての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいですとスピーチしました。
本当にありがとうございました!
お疲れ様でした♡
と、同時に梅雨明けの気配です!
今日の前浜の写真です♪
この暑さ、この空の青さ、
今年は6月23日に小笠原は梅雨明けした!と信じています(笑)。
※気象庁は小笠原エリアは宣言してくれないのですw
先日の島の梅雨について書いたブログ記事で、
「ああ、今日梅雨が明けた」
とはっきりと分かる1日があります。
僕はその1日がとても大好きです♪
と書きました。
今年は返還祭当夜祭の6月23日がその日でした(*^_^*)
青年会のメンバーと返還祭の夜店の準備をしながら、
みんなで「今日、梅雨明けだね」「暑さの質が変わったね」などと言い合い、
確かにみんなの夏が始まった感があります♪
■暑い日はこうして飛び込む日々が本格的に始まりました!
海で泳ぎまくって、さすがに冷えたら、
太陽熱で温まったコンクリートで体を温めます。
島っ子は自然とこのことを知っています。
これってとても素敵な事だと思うのです♡
休日や夏休みは見送りでもどんどん飛び込むことでしょう♪
■さてさて、そんな母島の一番のお祭り、返還祭。
母島において、返還祭とは6月下旬の土日の前夜祭、当夜祭だけではありません。
6月に入ってから、
毎週のようにゲートボール大会、バトミントン大会、
駅伝大会などのスポーツ大会を経て、
最後の締めくくりとして、演芸大会があるのです。
駅伝も毎年親子で出ているのですが、
毎度キツいです(笑)。
ですが最高齢67歳、そして小学1年生が一生懸命、泣くほど走っているのをみると、
自分も頑張らなければ!と毎年思います(笑)。
なので母島にとって6月は超忙しい1月なのです。
今年は都合により、夏休み恒例の納涼祭がないので、
今回の返還祭が母島唯一の盆踊りになってしまいました。
盆踊り好きの僕としては少々残念です(ToT)/~~~
しかし、そんな事を言っている暇はありません(笑)。
今年は7月に小笠原村長選挙もあります。
色んな場面で小笠原もシフトして行く時期を迎えたと感じます。
この夏も色んな意味で充実した夏になりそうです(*^_^*)
■そんな母島の6月を締めくくる返還祭の前夜祭と当夜祭。
今年もとても充実した内容でとても楽しかったです♪
今年は僕自身が青年会長なので、
あまり他の出し物をゆっくり見る余裕はありませんでしたが、
自分の出番の前後は見る余裕があったので、それだけでも紹介します(*^_^*)
まずはフラです。
次女も可愛いフラダンスを披露しておりました♪
島の多くの女性がフラをしていて、とても盛んなのです☆
各スポーツ大会の表彰式も行われます。
次女はバトミントンダブルスの3位をゲット♪
毎年返還祭は定期船おがさわら丸が年に一度の八丈寄港便となるので、
八丈太鼓も見逃せません。
小笠原太鼓のルーツは八丈太鼓です。
今年は6人衆の力強い、素晴らしい太鼓を聴かせてくれました♡
この春、ハワイでその存在意義をはっきりと確認した、
東京都無形文化財の南洋踊り。
今回は父島から高校生の長女も駆け付け、娘二人と一緒に踊れる南洋踊りでした(*^_^*)
父島に住んでいることからずっとやっているので、かれこれ15年のキャリアになります。
太平洋の島々に繋がる行進踊り、
身体だけで小笠原の文化を表現できる踊り、
それが南洋踊りです。
今回はお願いして動画も撮ってもらっていますので、どうぞ♪
また、当夜祭のトリとしては恒例の壮年会による劇です。
今年も子供たちを大いに喜ばせて、盛り上がっていました♡
■さてさて、青年会&有志。
毎年、前夜祭のトリを務めさせてもらっています。
今年はみんなでDA PUMPのU.S.Aを踊ることにしました。
前列5名は3週間ほぼ毎日練習し、なるべく本家と同じフリを目指しました!
最初は「絶対こんなのできないっ!」と思いましたが、
ダンス経験者の先輩にご指導いただき、猛烈に練習を頑張りました!!
他メンバーも忙しい返還祭シーズンの中、1か月の練習を頑張って仕上げてくれました。
本番は会場の皆さんも大いに盛り上げてくれて、とても嬉しかったです♡
この曲はイントロで猛烈な動きがあり、
体力のほとんどをそこで消費します(笑)。
踊り終わって、やっと終わったぞ!と思ったら、間一髪いれずに「アンコールの声!」。
想定外だったので、お互いに「マジで!?やるの?」と顔を見合わせていたら、音楽が(笑)。
終わってみれば、最高に盛り上がって、最高に汗かいて、超ヘトヘトになる演芸披露でした☆
とても楽しかった!本当に有難うございました♡
フルムービーもありますので、よかったらどうぞ。
(踊りながらも、間違えまくっていますが、盛り上がったので良しとしましょうw)
今回の青年会は、あくまで踊りたい人、踊ってもいい人に絞って演芸に臨みました。
楽しい青年会にするために、色々試行錯誤しています♪
皆さんのおかげで、本当に楽しい思い出になりました、ありがとうございました(*^_^*)
■最後に返還祭実行委員会、副実行委員長として一言挨拶する場面がありました。
母島返還祭は昭和49年に始まったそうです。
小笠原がアメリカから返還されたのが1968年(昭和43年)6月26日。
当時、父島では返還祭が行われていたそうです。
母島は完全に無人島だったので、インフラがある程度整うまでに5年の月日がかかり、
母島は1973年(昭和48年)から戦後、人が住み始めています。
その翌年から始まっていたのです。
母島の返還祭が返還51周年に対して、第46回を表記するのは、こういう背景があるのです。
島の大先輩に話を伺ったところ、
最初の返還祭は現在の月ヶ岡神社の場所で行われたそうです。
そこで返還祭で相撲大会が執り行われたそうです。
当時は、今のように裏に道路が無いので、
島の男性陣が土嚢袋を担いで、土俵を作ったそうです。
すごい!!
その後、舞台は学校校庭に移り、
脇浜なぎさ公園が完成してからは、現在の様に脇浜で返還祭が執り行われることになったそうです。
この母島の手作りのお祭り、
運営側で関わってみると、本当に多くの人の力で成り立っていることに気付かされます。
このお祭りを作り上げた先人たち、
そして今、運営している島の皆さん、
支えてくれる家族、
盛り上げてくれる観客の皆さん、
遠路はるばる来てくれる八丈の皆さんや、観光の皆さん、
これから島を作っていく若い世代の皆さん、
すべての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいですとスピーチしました。
本当にありがとうございました!
お疲れ様でした♡
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