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陸上自衛隊が「陸上総隊等の新編をはじめとする新体制への移行を契機に、創隊以来の大改革を断行(陸幕広報室資料)」の一環として制服を一新した。さらに同資料は『改正は「強靭性」「使命感」「品格」を鮮明にするため色調は紫紺を基調、現代的でスマートかつシャープなデザイン、階層区分を明確に識別できるよう袖章及び側線を追加』としている。テレビ出演した陸自幹部の映像を見たが、色調は空自に酷似・海自に見紛う袖章・通常では儀仗兵や軍楽隊しか着けない側線を付け、お世辞にも近代の軍服とは言えないもので、陸幕は軍服の持つ意義を忘れているのではなかろうかと思わざるを得ないものであると感じた。軍人が軍服を着るのは、武器の使用を国際法下に正当化するためであり、次いで被災者や厄災・騒擾に巻き込まれた国民(特に、海外で暮らす邦人)に軍が出動(政府が本腰を入れている)したという安心感を与えるためであると思う。そのためには制服の永続性(見慣れた制服)が最も必要で、制服の改正は陸自が数十年かかって国民に浸透させてきた存在感を根底から覆す愚挙でしかないと思う。階層区分を明確に識別させるという考えにも疑問である。近接戦闘においては、指揮系統を混乱させるために狙撃者は敵の指揮官を第一の目標とするのが鉄則であり、外部から指揮官の存在を判り難くすることが求められると思うが、一見して敵に指揮官の位置を誇示するかのような服制の改革には戦闘行為を忘れてしまったかの印象が強い。列国でも革命等の場合を除いて正規軍が服制を大きく変えることがないのは、服制改革に伴なって国民に与える安心感が損なわれることを危惧することに起因しているものと考えている。
ますます海外派遣の機会が増えた陸上自衛隊で、いま服制を変える判断が適切であるのだろうか。中国の人民軍に見間違うような側線を付けた制服では、在外邦人を混乱させるとともに、外国政府要人に対して日本を主張できるものではなかろうと杞憂するものである。今回の陸自の服制改革は、軍人の本分と軍服の持つ意義を忘れた所業としか感じられないとともに、あの制服を「現代的でシャープなデザイン」と感じる美意識に驚かされるところである。