MLB(メジャーリーグ)傘下シアトル・マリナーズのイチロー選手が引退した。
昨年の5月以降球団フロントとしての活動が主となり今季はマイナー契約となって事実上の引退状態であったが、昨日正式に引退を表明した。MLBでは現役のまま引退を表明できるのは一部のスーパースターのみで、大多数の選手は所属球団との契約終了後に他球団からのオファーがなければ「なし崩し的に引退」となり、松井秀喜氏ですらその道を辿らざるを得なかった。イチロー選手の実績は素晴らしいものであるが、引退を表明できることだけでもMLBで破格の待遇と尊敬を得ていた証であろうと考える。過去、イチロー選手が「現役中は辞退する」として立ち消えになった国民栄誉賞の表彰が再燃すると考えるが、その際には野茂英雄氏への贈呈も考慮して欲しいと願うものである。日本人大リーガーの歴史は、1964(昭和39)年から2年間「村上雅則氏(南海ホークス→サンフランシスコ・ジャイアンツ)」が活躍したことに始まる。しかしながら村上氏の在籍・活躍は「瓢箪から駒」的な顛末に基づくものであり、以後1995(平成7年)年「野茂英雄氏」が登場するまでの30年間MLBに日本人が在籍することはなかった。野茂英雄氏は1994年シーズン終了後に所属球団(当時近鉄バファローズ、現オリックス)と確執が生じ、近鉄球団は懲罰的に野茂選手が日本の他の球団でプレーできないように任意引退選手としたために、止むを得ずMLBに挑戦したものである。MLBでの野茂選手の活躍は割愛するが、日本野球の質の高さと日本人がMLBで活躍できることを認識したMLB各球団は日本プロ野球(NPB)の有望選手に触手を伸ばすようになるとともに、プロ野球選手の意識もMLBは手の届く目標に様変わりした。その後幾多の紆余曲折を経てポスティングシステムの構築、フリーエージェント(国内・国外)制度が確立して多くの日本人がMLBに挑戦している。このように、野茂選手のMLB所属以前の日本では、球団所属選手は球団の所有物で球団が生殺与奪の権利を有していたが、野茂事件を契機として選手の権利を大幅に認めるNLBの近代化が進んだことを考えれば、野茂選手は現在世情を賑わしている「働き方改革」の先鞭をつけたものともいえるのではないだろうか。
古い言い回しを借りるならば、「野茂がこね、イチローが搗きしMLB、余慶を受ける”黒田・マエケン・松井・大谷」といえると思う。NPBの近代化に先鞭をつけ、プロ野球界やプロ野球選手を目指す若者に夢を与えた野茂英雄氏の功績は、他の受賞者に勝るとも劣るものではないと考える。野茂氏もイチロー選手と同じく国民栄誉賞の表彰打診を断っているとも報じられているが、オリックス球団を始めとするNPBも過去のわだかまりを捨てて、野茂氏の受賞を応援して欲しいものである。