今上陛下の譲位に伴う皇太子殿下の即位儀式と新しい元号が世情を賑わしている。
今上陛下の即位は昭和天皇の薨去・葬送という弔事と並行で実施されたが、今回の新天皇即位は慶事のみであるために華やいだ空気で行われるものと思う。即位に伴う全ての諸行事を国家行事とすべきと考える自分としては不本意ながら国家行事と皇室行事の線引きも終わり、話題の中心は新元号に移っている。新元号に関する政府の発表では、元号選定委員の構成(氏名は将来ともに秘匿)や新元号発表の手順が明らかにされ、改元の諸準備は粛々と行われているものと思う。しかしながら、ここにきて赤松広隆衆院副議長から思いもよらぬ不協和音が発せられた。政府の計画では選定委員の提案は5月1日に閣議に報告され、3権の長に報告ののち閣議決定したものを官房長官が発表する手順である。その際、発表前に新元号が漏れることを防ぐために、3権の長は閣議が行われる首相官邸に缶詰めとされ、電話の使用を禁止して携帯電話も取り上げることとなっている。赤松氏が異論を唱たとの報道に対して、一瞬「天皇制や元号制に対する思想的」なものかと思ったが真相は「缶詰めと電話・携帯の禁止に反対」と聞いて唖然とした。国民的な行事にも1時間程度の我慢ができない幼児性は、流石に「何でも反対する社会党」の末裔・老闘士としての面目躍如の感がある。副議長は議長と同じ処遇を得ているが、憲法・慣習の順守や立法府の長としての識見に関しても議長と同等であって欲しいものである。下種な勘繰りで言わせてもらえるならば、農水大臣として口蹄疫問題に対処した際の尊大かつ責任逃れの言動と不手際な顛末批判にも、恬として自己の正当性を主張する独善性、まさに三つ子の魂の見本とされる存在である。不遇な境遇から一転して栄光を得た人間が、意趣返し的な報復行動を採ることは一般的であり、韓国の大統領の代替わり毎に繰り返される積弊清算は夙に有名である。
赤松氏は、党勢挽回のホープと期待され党の要的な職に在りながら沈みゆく社会党(社民党)を見捨てて民主党/立民党と華麗なる転身の果てに3権の長にまで上り詰め、まさに位人臣を極めた後に辿り着いた主張が「1時間の我慢」に集約されるのかと思えば、そこはかとない無常を感じる。折しも桜咲き誇る時期、赤松氏の散り際が見事であることを祈るものである。