もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

出生前診断の拡大に思う

2019年03月05日 | 社会・政治問題

 出生前診断が拡大・緩和される見通しとなった。

 これまで出生前診断は、外科的処置が必要であったことから胎児への影響を局限するために専門医局と設備を有する医療機関でのみ認められていたが、血液検査で胎児のDNAを採取する技術が確立しために、将来的には当該技術による診断を簡易検査と位置づけて認可病院を増やし、簡易検査で疑いのある妊婦をこれまでの指定医療機関で精密検査する方式に変更することを学会(日本産科婦人科学会)が容認したこととなる。出生前診断では、ダウン症等の3種の疾患が判明するとされており、疑いがあると診断された妊婦の多くが中絶手術を受けているそうである。もともと出生前診断は、障害を持って生まれてくる子供の早期治療の目安とするとともに、両親に障害があるかもしれない新生児を持つ心構えを持たせるために開発された分野であるが、現実には「子供の選別」の意味合いが色濃く運用されている。自分が男であり、かつ、健常者しか育てた経験が無いために、出生前診断の是非や診断基準の緩和について判断する資格を持たないと思うが、科学技術の進歩や、巷間に伝えられる障害者本人や保護者の苦労や心労を考えれば、乗り越えなければならないハードルではなかろうかと思う。先に中国で誕生したとされる遺伝子操作を加えた体外受精児やクローンは、ある目的のために人間を作り出そうとしているものであるが、出生前診断は障害を持って生まれてくるかもしれない子供が辿るであろう将来の困難を予防するものと捉えて容認しなければならないのではないだろうか。識者の意見も、出生前診断と診断に基づく中絶が生命の神秘と尊厳を冒涜するという意見と緊急避難的処置で容認するという意見に分かれているが、現実を見れば止むを得ない潮流ではなかろうかと考える。

 アインシュタインやエジソンに代表される世に天才と称された人物は、常人の及ばない発明・発見で社会を一変させた一方で、凡人社会からは障害者とも受け取れる行為が見られたそうである。将来、平均的な人物とは異なるDNAを持つ胎児が全て排除される時代となった場合には、天才が生まれる可能性もまた低くなることが予想される。こう考えると、新生児の誕生に手を加えることは、自然の摂理に任されていた人類社会の進歩に人類が自ら関与することとなり、人類発展の阻害要因となる危険性も十分に覚悟しておかなければならないのではないだろうか。

 ≪PCが愈々末期的な症状を呈したため修理を決意しましたので、明日から10日間ブログでの口説を中止します。再開できれば良いのですが・・・。≫