もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

取手市の少女自殺と教育委員会を考える

2019年03月21日 | 社会・政治問題

 茨城県取手市の女子中学生が自殺した事の顛末から、教育委員会について考えた。

 事件は、2015年11月に起きた。12月には取手市教育委員会が『自殺はいじめではなく、家庭及び本人に起因するもので、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」としないで「死亡事故」』と発表。父兄の真相究明の要望を受けた市教育委員会は、2016年3月に第3者委員会(委員は筑波大・茨城大教授等とされる)を設置したが「いじめはなかった」と結論。結論を不服とした父親は文科省に再調査を依頼、文科省は取手市に再調査を指示。取手市は茨城県に調査を委託して茨城県は調査委員会を設置して2017年12月から再調査を実施。昨日(2019年3月20日)に調査報告書を公表し『同級生によるいじめと自殺の因果関係を認めるとともに、担任教諭は指導を怠り、生徒と一体となって本人を追い詰めたと認定。当初調査に当たった市教委の対応も「違法で、不当極まりない」』と指摘した。取手市のHPによると、「教育委員会は、教育の政治的中立性を保持し、学校教育や生涯学習等の振興を図るため設置された、市長からは独立した執行機関」として、委員会を構成する教育長と4人の委員は「人格が高潔で、教育・学術・文化に関して識見を有する」としているが、”市長からは独立した機関”との記述以外は信じることができないものと感じるのは自分だけだろうか。もちろん熱心に教育行政に取り組み成果を上げている教育委員会も多数あるのだろうが、普段ニュースで目にする教育委員会では”人事(特に採用人事)の不正””自虐史観助長の教材や教育機会の作為””いじめ問題に対する臭いものに蓋主義””教員の能力向上や低素質教員の淘汰に後ろ向き姿勢”等々、碌なものはない。大阪府知事時代の橋本徹氏が、教育効果を上げ得ない教育委員会をバカ・不要と表現したが、取手市教育委員会の実情を見る限り橋本氏に賛同するものである。各種報道から窺い知られるのは、教育委員会とは「教職員の互助会」であり、「教職員の既得権益を守るための利益・圧力団体」としての姿である。さらに取手市教育委員会が設置した第3者委員会なるものも、委員に教育者が存在していることから、教育現場の透明化や教職員の責任を厳しく調査したものとは思われない。おそらく「同病相憐れむ」姿勢で、問題の本質を明らかにして正そうという気概など無い人間を選んだのだろうと推測される。

 日大アメフト問題では第3者委員会が監督の責任を認めたものの、検察は監督等を不起訴とした例にみられるように、一般的に言って第3者委員会の結論は司法判断よりも重いことが多い。これは司法的な証拠よりも被害者救済のほうを重視するためであると思う。全く逆の結論に達した取手市教育委員会が設置した第3者委員会の検討過程、議事録を読んでみたいものである。