4月3日に中韓外相がアモイで会談した。
会談の時期が日米韓の安全保障担当高官協議と重なることから、今回の外相会談は韓国の苦衷を示すのみならずバイデン大統領の中国包囲網構想自体が脆いものであることを示しているように思えてならない。
韓国外相は就任後初の外遊先としてアメリカを選ぶことが慣例とされてきたが、今回は先例を破って中国を選択し、加えて会談の時期についても中国の意に沿って安全保障高官協議に符合することに同意した形で会談させられた感が深い。
朝鮮半島の地勢的背景と常に国論が尖鋭的に対立するという国民性からであろうか、韓国は困難な時局にあっては強国の袖に縋るケースが多いように感じられる。
1894(明治27)年に勃発した日清戦争は、日本からの近代化並びに同盟要求と東学党の乱による内戦状態に近い騒擾鎮圧のために宗主国の清に派兵を求めたことが発端と理解している。
1896(明治29)年、日本からの近代化要求と米露からの権益要求に伴って国論が沸騰し武力衝突にまで発展したため、李朝第26代の高宗はロシア公使館に国内亡命してしまった。いわゆる露館播遷であり、高宗がロシア公使館で朝議を執り行った結果として、ロシアと欧米列強は朝鮮国内の利権を欲しいままに簒奪する事態となった。
では、強国の袖に縋った結果はどうなったかと見れば、防衛・外交を清国に依存しつつも何とか内治だけは維持していた李朝の終焉と日韓併合であったように思えるが、日韓併合が無かったとしてもロシアの傀儡国家若しくはロシア領となったであろうことは容易に察しが付く。
バイデン大統領は世界の現状を「民主国家と専制国家との冷戦」としているものの、大統領からはアメリカが民主主義国家の盟主として行動する決意は読み取れず、同盟重視という美辞をもって心もとない各国の戦闘力に期待している。また折に触れての報道官発表も常に対話の可能性を残したもので、気候変動対策や経済対策の妥協のためには一夜にして「対中戦略的忍耐」に先祖返りし、中国をサプライチエーンの中心に迎え入れることも厭わないだろう。そんな読みもあって中国は包囲網の個別突破の糸口として、最も弱い韓国を標的にして外相会談にこぎつけたと思っている。
日本としてはASEAN・韓国が中国の軍門に降ることを想定して備えなければならないと思う。Quad(日米豪印)の経済・軍事の枠組みは何としても維持する必要が有るが、台湾海峡の自由の航行作戦に参加しているイギリス、空母シャルル・ドゴールのアジア歴訪やアデン湾での共同訓練に参加したフランスなども迎え入れて、アメリカの腰砕けに備える必要があると思っている。
中国の横暴を見る限り、今や集団的自衛権論争など児戯にも等しい空論であったことを実感させられる時代に来ているように思うのだが。