今国会初の憲法審査会の詳細が報じられた。
今次の憲法審査会は、自民党と立憲民主党の幹事長間で「何らかの結論を得る」との合意の下で開催されたために討議内容と採決の行方が注目されていたが、終わってみれば「国民投票法改正案の継続審議」が事実上決定されたことと理解した。同改正案の採決については自・公・国民・維新も賛成しており、反対したのは立憲民主党と改憲そのものを全否定する共産党だけとされている。この結末に関して立憲民主党の委員理事を務める奥野総一郎議員は「《何らかの結論》とはすんなり採決を意味していない、機が熟しているとは思えない」と語っている。おそらく世間一般では「何らかの結論」は可否いずれかの採決と理解するであろうが、奥野議員を始めとする立憲民主党議員にあっては採決はおろか開催や討議を拒否することすら結論に含まれているらしい。
さらに奥の議員は、「急いで憲法の中身の議論に入る必要は無い」とも述べている。
多くの識者から「現憲法は制定時に想定されていなかった社会の変革に対応できない」とは指摘され続けてきたが、中国コロナ禍では新たに「緊急事態条項の欠落」が浮き彫りにされた。コロナの感染防止は要請に留まらざるを得ず、ワクチン開発で先進国の後塵を拝したことは、偏に緊急条項の欠落に起因するものである。アメリカ大統領は憲法の緊急条項に基づく「国防生産法」で、自動車産業に人工呼吸器の生産を命令し、ファイザー社に対してワクチン開発の公的資源を大量投下したが、日本ではマスクの増産さえできなかった。
近年、同性婚の解禁が議論を呼んでいるが、婚姻の自由を定めた憲法24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し・・・」と規定している。憲法制定時にも同性愛は存在していたであろうが、「世間を憚る行為」で公には存在し得なかったと思っている。現在、同性婚賛成論者は、憲法条文の「姓」は男女を示すものでは無く最近に市民権を得た「ジェンダー」であると主張しているが、自衛力は「武力」ではないとした牽強付会の再現であり、憲法を恣意的な解釈で運用することは法治国家としてはあってはならないように思える。
憲法規定と現実社会が乖離した原因は何であろうか。憲法が悪かったのか、それとも憲法制定時の理念を蔑ろにした社会の発展・変革が悪かったのだろうか。科学技術の進歩に伴って社会や文明は変化することは必然であることを思えば、憲法が間違っている、憲法が古くなっているのは明白であるように思える。
そんな中にあって、憲法論議さえ拒否する立憲民主党は公党としての責務を放棄したと思わざるを得ない。国民の70%が改憲に期待している現状にあっても、一桁台の支持率を正義として国語の意味さえ私する立憲民主党に、「糊塗名人」の称号を贈呈するものである。