もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

防衛記念賞に思う

2025年01月29日 | 自衛隊
 昨日の産経新聞正論に掲載された櫻田淳(東洋学園大教授)の「自衛官の処遇と名誉の階梯」を読んだ。
 氏は、刀伊入寇の論功行賞に対する藤原実資の【敵を撃退した者に、褒賞を与えなば、この先に奮戦する者はいなくなるだろう】との言を冒頭に掲げて論を展開されている。
 さらに自衛隊員の功績・経歴を示す防衛功労賞(特別、1~5級)、防衛記念賞(48種類)については、授与の根拠が自衛隊法施行令であり内閣府賞勲局所管の行う叙勲とは別であることも紹介し、帝国軍人への位階勲等の再現までは望むものではないが、何らかの「名誉の階梯制度」の創設を提言されておられる。
 改めて調べると、防衛功労賞については退官後も所持・着用や遺族への継承が許されているが、防衛記念賞については制服とともに退官を機に所持・着用することは許されない。このことから、防衛記念賞創設時から海自では「グリコのおまけ」と評されていた。
 自分が現役時にあっては記念賞の種類も少なく合計で7個の記念賞にとどまったが、死装束のために本来は所持すべきでない制服に飾って保管しているものの、家族は何のことやら分からないだろうと思っているし、理解して欲しいとも思っていない。それらを理解して貰うには、一般社会とは異なる組織のあれこれや評価のあれこれを説明する必要があって億劫極まりないので、密かな自己満足に依る他ない。戦争(戦闘)経験者の児孫から「生前に父祖は戦争(戦闘)経験を話すことは無かった」と語られることを耳にすることが多いが、父祖にしてみれば軍隊内における軍人の喜怒哀楽や評価が一般社会のそれとは別で、話しても到底理解できないだろうと思っていたのではないだろうかと思っている。
 残念なこととに、刀伊の入寇においても論功行賞に預かったのは、都で指揮を執った者と国家安寧を祈祷した寺社だけであったとされるが、現在の世情を考えれば軍功に対する褒章にあっても同様のことが再現される可能性は十分であると悲観している。
 先ごろ、トム・クルーズ氏が民間人に与えられる米海軍最高の勲章を受章したことが報じられたが、氏が謝絶した報道もないことから受賞を限りない名誉と捉えているのではないだろうか。