小池新党が公約を発表した。
総花的な項目の羅列で、まさにポピュリズムの極致とも言える内容であり、埋蔵金の発掘で財源を確保するとして失敗した政権交代前の民主党のマニュフェストが彷彿される。この中で「2030年までに原発0を目指す」項目について考えてみた。原発反対論の多くが、原発の代替エネルギーとして「再生可能エネルギー」の活用を挙げており、その大半は太陽光発電を念頭に置いていると思われる。風力・地熱・潮力はより多く自然とメンテナンス費用の制約を受け、バイオ燃料は更に効率的な素材が開発されるまで食料需給の兼ね合いから拡充は不可能と考えられるからである。太陽光発電についても原発に比し膨大な用地を必要とし、過疎地を活用する場合は送電設備の整備も必要となる。さらに天候に左右されるとともに夜間には発電できない太陽光発電を主にした電力供給には、補完機能として太陽光発電量と同等の火力発電設備を常備しておかなければならないという致命的な欠陥を持っている。今年の8月のように日照時間が例年の半分以下となる事態がお起こったが、このような不測の事態や夜間に火力発電が排出する二酸化炭素量はいかほどになるのだろうか。パリ協定遵守のために他の産業からの排出量を抑えなければならない事態は起こらないのだろうか。
弱小貧民として最も気になるのは国民の負担増である。小池新党の公約にしても電力置き換えの具体策はおろか原発0達成までに負うべき国民の負担にはついては触れられてもいない。二重の発電設備を維持するために発電コストが増えることは確実で、それに伴う電気料金は確実に値上がりする。さらには新規の火力発電設備整備に伴う負担、火力と太陽光の二重の発電設備を維持する負担、廃炉に伴う負担、電力料金の値上がりによる消費財の値上がり、そのいずれもが電気料金或いは税金として国民が負担するものと思う。また、工業製品の製造コスト増は国際競争力の低下を招き、日本経済の根幹をすら揺るがしかねない。
原発0世界の安全童話は喧伝されるが、原発0が引き起こす化石燃料消費や個人負担増については触れられていないのが気になる。
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