もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ポンペオ氏の訪朝中止

2018年08月26日 | アメリカ

 今月の最終週に予定されていた、ポンペオ国務長官4度目の訪朝が中止された。

 トランプ大統領は、中止の理由を朝鮮半島の非核化に進展が見られないこととしているが、将来の米朝首脳会談の可能性については含みを持たせている。十分な実務者協議が無いままに首脳会談を行い、従来の「北朝鮮の即時かつ非可逆的な核廃棄」の方針から安易に転舵して、北朝鮮が主張する「朝鮮半島の段階的な非核化」を容認したことが現在の北朝鮮非核化の頓挫・停滞を招いた原因であると思う。この転舵により、非核化は「物々交換」「値段交渉」の観を呈し、軽水炉型原子炉を供与(後に中止)して核開発を加速させたクリントン政権の轍を踏む結果となりつつある。首脳会談以降、北朝鮮は”拘束米人1名の釈放””使用不能となった地下核実験トンネルの爆破””ロケットエンジン燃焼実験施設の閉鎖(新実験施設が完成)””朝鮮戦争戦没米兵55柱の返還”を行ったが、米側からの具体的な見返りがないことを非難している。一連の処置に対してアメリカは、首脳会談で表明した”核による先制攻撃凍結と金王朝体制の容認”で十分と考えているのに対して、北朝鮮は”朝鮮戦争の終結宣言”を求めているようである。明日のコメにも困っている北朝鮮が、経済制裁解除に先立って朝鮮戦争の終結宣言を求めるのは、大阪冬の陣での勝者家康が採った大阪城の外堀埋め立て戦略と同様に、朝鮮戦争の終結は韓国とアメリカを分断するとともにアジア地域におけるアメリカの影響力減少と宗主国中国の勢力拡大の近道であるとみているに他ならない。米朝首脳会談以後、中国はあからさまに対北朝鮮貿易を再開し、韓国は離散家族再会やスポーツ交流で外貨と物資の支援を行っており、朝鮮戦争の終結という外堀を埋めてしまえば、国連も経済制裁の大義を失うという北のシナリオに基づく進展を期待してのことと思う。

 日本においても、朝鮮戦争の終結宣言は人道上歓迎すべきことであり、朝鮮半島の現状を追認する程度のものと軽視する意見があるが、朝鮮戦争の終結は半島の分断化を固定するのみならず、北の走狗とも評される文大統領のような指導者が韓国に再び登場した場合韓国が北朝鮮に飲み込まれる危険性がある。その際、大量の難民や理不尽な対日要求に曝されるのは日本である。既に、北朝鮮の山地を禿山にし洪水被害が多発したのは日本統治の責任であるとの根拠のないプロパガンダも北は流し始めている。


志位和夫氏の天皇の戦争責任論に思う

2018年08月25日 | 天皇・皇室

 日本共産党志位委員長の天皇陛下の戦争責任発言が炎上している。

 迂遠な表現ながら天皇制(立憲君主制)の廃止を綱領に謳う共産党のトップとして当然のツイートであろうが、論拠が歴史的事実の誤認にあると多くの識者が疑問を呈している。この際にと思い日本共産党綱領(2004年改訂)を再読したが、とても2018年の国際情勢下においては通用するものではないと再認識した。2004年当時はソ連型社会主義が破綻し国際的枠組みの再編が加速する中にあって、社会主義の模範生として中国が急成長する時期であったと思う。綱領は、生産手段の公有化、農業を国の基本に置く、社会主義体制を維持しつつ自由主義経済体制に参加、とりわけアメリカ依存構造からの脱却を随所にちりばめたもので、”農村が都市を包囲する”とした毛沢東の戦略と鄧小平の改革開放路線を融合させたものに、現下の教育、人権、エネルギー問題を付け加えた中国礼賛論に過ぎないと感じた。中国型社会主義が、農村の疲弊と都市への人口集中、国営企業の放漫経営・汚職の温床化・環境破壊、人民元国家管理の危機等々の事態を招き、情報管理と軍及び国家警察による強圧なくしては国民が統御できない事態に追い込まれている現状を見る限り、共産党綱領に基づく国家に明るい未来は見えないと感じた。モリ・カケを含む問題が起こるたびに、共産党は綱領の都合の良い部分を示してソフトかつ清廉さをアピールするが、根底のおぞましい部分は隠している。綱領のキモである生産手段の公有化一つを取ってみても、公有化の範囲や公有化の手段(接収・買収?)については言及しないし、生産手段の公有化によって当然生じる富の不均衡と管理者の特権階級化には頬かむりしている。さらには、日米安保はおろか如何なる国とも軍事同盟を結ばずに、自衛隊(軍備)さえも廃止し永世中立国家を樹立するとも書いているが、同様な国家を樹立した小国コスタリカのように諸外国が日本の中立を支持するとは思えないのだが。

 志位委員長のツイートと軌を一にするかのように、小池晃書記局長の在日大韓民国民団の光複節記念式典参加も論を呼んでいる。共産党は、同日に行われる全国戦没者慰霊式典に例年欠席しているのみならず異国の戦勝記念式典に列席するとは、「日本から出ていけ‼」の書き込に同調したい気分である。


米中関税戦争とAIIB

2018年08月24日 | 社会・政治問題

 米中双方が、1800億ドル相当の品目に25%の追加関税を課す第2弾の関税措置を発動した。

 これで第1弾と併せて双方5000億ドル相当の品目が高関税の対象となるが、アメリカは更に2千億ドル相当の品目に高関税を追加する第3弾を用意しており、そうなった場合中国は相当する報復関税品目が無いという最終局面まで進行せざるを得ない見通しとなった。流石に米中双方ともに、共倒れを懸念しての会話機運醸成も観測されているが、ここにきて中国がWTO(世界貿易機関)への提訴を企図していることが報じられた。しかしながら、スプラトリー諸島の領有権を巡る国際司法裁判所の判断を無視し続ける中国が、関税紛争について国際機関の仲裁を求める図式には苦笑する以上に”利用できるものは何でも利用しようとする”鉄面皮のしたたかさと驚かされる動きである。中国は時間稼ぎをして、トランプ大統領の任期切れ・再選失敗を期待して任期残りの2年を耐え切れば事態は改善できると考えて、選挙に曝される大統領制度の脆弱性を突く戦法を執っているものと思う。ここで注目しておかなければならないのは、アメリカが関税障壁凍結を条件にしてEUに対してAIIB(アジアインフラ投資銀行)からの撤退若しくは資金拠出の凍結や引き上げを迫る事態である。アメリカはEU諸国の軍事費の増強要求ではある程度満足したが、更なる中国封じ込めの手段として、アメリカ主導のIMFに敵対するAIIBの力を削ごうとすることは充分に考えられる戦術である。米中関税戦争で日本はまだ致命的な余波を受けていないが、アメリカとEU間の関税障壁が解消されれば日本は致命的な打撃を受けるとことになると思う。

 習近平主席が恐れなければならないのは政敵の台頭と腹心の離反のみであり、国民の不平・不満・空腹は情報統制と強力な警察機構で抑え込める全体主義の独裁国家の強点には驚かされる。常に支持率と選挙を意識しなければならない民主国家の指導者の目にはうらやましく映るに違いない。


極小型衛星打ち上げに思う

2018年08月23日 | 社会・政治問題

 一般人が設立した社団法人が極小型衛星が9月にも打ち上げられることが報じられた。

 衛星は10cm立方であり、打ち上げは「こうのとり」で国際宇宙ステーションに運んだ後、日本の実験棟「きぼう」から高度400kmの軌道に放出する方法であるらしい。衛星の使用目的は報じられていないが、画像の撮影や伝送機能を持っているらしい。また、衛星が極小であることから姿勢制御用の燃料も限られたものであろうし寿命も短いものだろう。寿命が尽きた場合は宇宙ゴミ(スペースデブリ)となって宇宙を漂うことになるのだろうが、宇宙ゴミはどれくらいあるのだろうかと調べてみた。JAXAのHPによると2010年現在で10㎝以上のもの約2万個、10cm未満1cm以上のものは約50万個も存在するらしい。他に、現在運用中の衛星が約千個、運用を終えた衛星が約2600個と宇宙は極めて混みあっているらしい。10㎝以上のものは宇宙ゴミを含めて国際機関で監視しているらしいが10㎝未満の宇宙ゴミは放置されており、有人宇宙船や人工衛星と衝突した例も報告されている。中国が世界中の反対を押し切って衛星攻撃(破壊)実験を行って、宇宙ゴミを大量に作り出したことも記憶に新しい。宇宙に自前の衛星を飛ばすことは大いなるロマンであり、知的欲求を大いに満足させてくれるであろうが、今回のように目的のはっきりしない衛星を宇宙に送り出すことに、果たして意味があるのだろうかと疑問に感じた。世界中で宇宙ゴミの掃除方法を研究しているが有効なものは未だ開発されていない現状を考えれば、ごみを出さないことの方に意義があるとも思うのだが。

 地上でも興味本位に飛ばしたドローンが制御不能となって危害・被害を与える事象も散見されるし、ドローンがテロのツールとなる危険性は早くから指摘されている。悪意・害意を持って極小型衛星をスペーステロのツールとすることを試みるケースは充分に予想される。今回の衛星打ち上げ(放出)の試みに水を差すようであるが、疑問符を付けざるを得ないと思うところである。


政党の共同代表制に考える

2018年08月22日 | 野党

 国民民主党の代表選が、玉木氏・津村氏の一騎打ち争闘が確実と見られている。

 かねてより、野党の多くで採用されている共同代表制は廃止すべきと思っていた。それは「羊頭狗肉」以上に、「羊頭と牛頭を掲げて狗肉を売る」にも等しいもので、複雑な党内事情に配慮するとともに、有権者に対して自党の主張を曖昧に示すことに繋がると考えていたからである。しかしながら国民民主の党内事情と主張を見て「共同代表も有りかナ?」と思うようになってきた。それは1人代表制の政党は専門店で、共同代表制の政党はショッピングモールみたいなものと思い至ったためである。専門店では特定の商品には特化しているものの不得手な部分もある反面、ショッピングモールには高級ブランド店から100均まで出店されているために、利用者には極めて便利である。かっては国策の選択に「是々非々」の姿勢で臨む西尾末広氏率いる民社党や参院の緑風会という会派が存在し、中道(中庸)勢力としてそれなりの勢力を保っていた。しかしながら、一貫した主張を有権者に示し得ないことから、両勢力ともに保革政党による所属議員の一本釣りの場と化して、消滅してしまった。おそらく単一のテーマでの国民投票であれば、両勢力の主張は多くの国民の支持を得ることができたのであろうが、総合力を問われる国政選挙では存在感を示し得なかったものと推測する。現在でも国民民主以外にも国策への是々非々対応を標榜している維新の主張に対しても、あるテーマでは大きく共鳴できるものの総合的な姿が見え難いことに不安を感じる。中道政党が勢力を伸ばせない背景には、コンピューターの普及があると考えるのは深読みだろうか。これまでのコンピューターの判断は〇✕式で△の回答は無いが、現実社会では無数の△が存在するものと思う。しかしながら現代社会においては△の状態では生き残れないために、人は何らかの理由を見出して〇✕の結論を出すことを強いられる。政党や候補者を選ぶ場合にも同様の思考が働き、△・中庸が除かれる結果になるのかもしれない。

 野党第1党が立憲民主党であるのは国民にとって不幸であるのかもしれない。韓国の大統領選を見るまでもなく極端に政策の異なる2大政党による政権交代など望むものではない。立民は共産党に合流して、合流を良しとしない国会議員を糾合して「多頭代表制の政党」を設立して、3大政党鼎立の状態が日本の国情と民情に適合するのではと考えるものである。