国民民主党の代表選が、玉木氏・津村氏の一騎打ち争闘が確実と見られている。
かねてより、野党の多くで採用されている共同代表制は廃止すべきと思っていた。それは「羊頭狗肉」以上に、「羊頭と牛頭を掲げて狗肉を売る」にも等しいもので、複雑な党内事情に配慮するとともに、有権者に対して自党の主張を曖昧に示すことに繋がると考えていたからである。しかしながら国民民主の党内事情と主張を見て「共同代表も有りかナ?」と思うようになってきた。それは1人代表制の政党は専門店で、共同代表制の政党はショッピングモールみたいなものと思い至ったためである。専門店では特定の商品には特化しているものの不得手な部分もある反面、ショッピングモールには高級ブランド店から100均まで出店されているために、利用者には極めて便利である。かっては国策の選択に「是々非々」の姿勢で臨む西尾末広氏率いる民社党や参院の緑風会という会派が存在し、中道(中庸)勢力としてそれなりの勢力を保っていた。しかしながら、一貫した主張を有権者に示し得ないことから、両勢力ともに保革政党による所属議員の一本釣りの場と化して、消滅してしまった。おそらく単一のテーマでの国民投票であれば、両勢力の主張は多くの国民の支持を得ることができたのであろうが、総合力を問われる国政選挙では存在感を示し得なかったものと推測する。現在でも国民民主以外にも国策への是々非々対応を標榜している維新の主張に対しても、あるテーマでは大きく共鳴できるものの総合的な姿が見え難いことに不安を感じる。中道政党が勢力を伸ばせない背景には、コンピューターの普及があると考えるのは深読みだろうか。これまでのコンピューターの判断は〇✕式で△の回答は無いが、現実社会では無数の△が存在するものと思う。しかしながら現代社会においては△の状態では生き残れないために、人は何らかの理由を見出して〇✕の結論を出すことを強いられる。政党や候補者を選ぶ場合にも同様の思考が働き、△・中庸が除かれる結果になるのかもしれない。
野党第1党が立憲民主党であるのは国民にとって不幸であるのかもしれない。韓国の大統領選を見るまでもなく極端に政策の異なる2大政党による政権交代など望むものではない。立民は共産党に合流して、合流を良しとしない国会議員を糾合して「多頭代表制の政党」を設立して、3大政党鼎立の状態が日本の国情と民情に適合するのではと考えるものである。